第17話 《帰り道》は奥を指さない
相原さんが残した印を追って、未整備区画の奥へ進む。
足元にある《帰り道》の光は、ずっと俺たちが来た方向へ伸びていた。
地上へ帰るなら、そっち。
でも今は逆だ。
俺たちは帰るためではなく、探すために奥へ向かっている。
「少し変な感じですね」
神代さんが言う。
「何がです?」
「久世さんの光と反対に進むのが」
「俺もです」
いつもなら、光を見る。
曲がれば曲がる。
止まれば止まる。
迷う必要がない。
今日は違う。
見るべきなのは床だ。
壁だ。
崩れ方。
靴跡。
誰かが通った痕跡。
俺はライトを少し下へ向けた。
「ゆっくり行きましょう」
同行している救難スタッフが頷く。
「了解です」
三人で歩く。
床には細かい石や砂が多い。
未整備区画だけあって、足跡は残りやすい。
その代わり、崩落で乱れている場所も多かった。
少し進むと、道が二つに分かれた。
右。
左。
どちらも暗い。
神代さんが立ち止まる。
「印、ありますか?」
「探します」
まず床を見る。
石はない。
壁。
右側には何もない。
左側。
ライトを当てる。
「ありました」
浅い傷が二本。
黒田さんが教えてくれた印。
「左ですね」
神代さんが頷く。
進む。
またしばらくして、今度は床に石が三つ。
二つ並んで、一つが離れている。
進行方向は右。
「ちゃんと残してますね」
神代さんが言う。
「見つけてもらうつもりだったんでしょうね」
「冷静です」
「少なくとも、この辺りまでは」
それが少し気になった。
印がある。
つまり、相原さんはここまでは自力で移動できていた。
だったら今も動いている可能性がある。
逆に言えば。
印が途中で途切れた場所に、何かあったかもしれない。
考えすぎても仕方ない。
今は追う。
三つ目の印を見つけた辺りで、通路の様子が変わった。
床に大きな引っかき傷。
壁にも傷。
神代さんがすぐにしゃがむ。
「魔物です」
「種類は?」
「ロックリザードだと思います」
「黒田さんたちを襲った?」
「可能性はあります」
神代さんは傷の深さを見る。
「ただ、古くはないです」
「どのくらい?」
「数十分以内だと思います」
同行している救難スタッフが周囲を照らす。
「血は?」
「今のところ見えません」
それは助かる。
俺も床を見る。
砂の上。
何か引きずったような跡。
でも血ではない。
「これ、人ですか?」
俺が指す。
神代さんが近づく。
「……靴跡ですね」
ところどころ消えている。
普通に歩いた跡ではない。
片方が深い。
「片足をかばってる?」
「そう見えます」
相原さんが怪我をした可能性。
俺は少し息を吐く。
「黒田さん、相原さんは無事って言ってたんですよね」
「崩落直後は」
神代さんが答える。
「その後で怪我をしたかもしれません」
嫌な話だ。
でも、まだ歩けていた。
その跡がある。
「進みましょう」
跡を追う。
少し先。
壁際に何か落ちていた。
黒い布。
俺は拾う。
「これ」
救難スタッフが確認する。
「探索者用のグローブですね」
片方だけ。
掌側が裂けている。
神代さんが見る。
「血がついてます」
少量。
乾き切ってはいない。
「持って行きましょう」
証拠袋に入れる。
少しずつ、近づいている気がする。
ただ。
次の分岐で問題が起きた。
三方向。
正面。
右。
左。
床は崩れていて、足跡がほとんど残っていない。
壁にも印がない。
神代さんがライトを動かす。
「見つかりませんね」
救難スタッフも首を振る。
「こっちもないです」
俺は足元を見る。
光はある。
でも、当然のように後ろを指している。
使えない。
いや。
使えないと言うのも違う。
帰る時には必要だ。
ただ、今知りたいことには答えてくれない。
「久世さん」
神代さんがこちらを見る。
「どうします?」
俺は三つの通路を見る。
「一つずつ確認しましょう」
「時間は?」
救難スタッフが端末を見る。
「相原さんが行方不明になってから、もう二時間近いです」
急ぎたい。
でも、勘で選んで外したらもっと遅れる。
「黒田さんが言ってたことを思い出しましょう」
俺は地図を開く。
相原さんは、出口につながる可能性がある方向へ進む。
水没側は避ける。
ここからだと。
「左はどこへ?」
「排水路です」
「水没の可能性は?」
「高いですね」
「なら除外」
神代さんが頷く。
「右は?」
「旧搬出口へつながるはずです。ただし途中に崩落地点があります」
「正面は?」
「採掘跡。行き止まりが多い」
俺は地図を見る。
相原さんが出口を探しているなら、右が自然。
「右から見ましょう」
三人で進む。
十メートルほど。
床が少し湿っている。
足跡。
一つ。
「ありました」
救難スタッフがしゃがむ。
靴底の模様。
さっきと同じ。
「当たりですね」
神代さんが前を見る。
俺も少しだけ安心する。
スキルじゃない。
相原さんの行動。
黒田さんの情報。
地図。
足跡。
それで追えている。
救難って、本来こういうものだ。
さらに奥へ進む。
通路は徐々に狭くなっていった。
途中で一度、ロックリザードが現れた。
一体。
神代さんが前へ出る。
「下がってください」
俺と救難スタッフが距離を取る。
ロックリザードが飛びかかる。
神代さんは一歩横へ。
剣が首元へ入る。
数秒だった。
魔物が倒れる。
「終わりました」
「早いですね」
「一体だけなら」
神代さんが剣を払う。
俺たちは再び進む。
少し先。
今度は壁に傷があった。
二本。
ただし。
「浅いですね」
神代さんが触れる。
確かに。
今までより線が曲がっている。
綺麗に二本ではない。
「手元がぶれた?」
「怪我してる可能性がありますね」
その先。
床に血。
一滴。
二滴。
量は少ない。
でも確実にある。
俺は歩く速度を上げた。
「久世さん」
神代さんが後ろから言う。
「急ぎすぎないで」
「あ」
止まる。
今朝の訓練を思い出す。
自分が先走ってどうする。
「すみません」
「気持ちは分かります」
「神代さんに言われるとは」
「今日は救難側なので」
少しだけ笑う。
それでも足は速くなる。
血痕を追う。
一度消える。
また見つかる。
壁に手をついた跡。
砂に膝をついた跡。
相原さんはかなり疲れている。
「近いですね」
救難スタッフが言う。
「たぶん」
その時。
前方から何か聞こえた。
俺たちは止まる。
耳を澄ます。
石が転がる音。
それだけ。
「相原さん!」
俺が声を出す。
返事はない。
「救難です! 聞こえたら返事してください!」
静か。
神代さんが少し前へ出る。
「私が見ます」
「お願いします」
通路の角。
神代さんが慎重に覗く。
数秒。
「誰もいません」
進む。
角の先は少し広くなっていた。
壁際にバッグ。
壊れたライト。
「これ……」
救難スタッフがバッグを確認する。
探索者登録証が入っていた。
相原健司。
本人のものだ。
「ここにいた」
神代さんが周囲を見る。
「でも、いませんね」
バッグを置いて移動した?
それとも。
俺は床を見る。
血痕。
その先。
壁沿いに続いている。
「こっちです」
追う。
今度は本当に少しずつ。
血の量が増えている。
通路が下り坂になる。
その先。
崩れた岩。
大きな瓦礫が道を半分塞いでいる。
俺はライトを向ける。
何か光った。
金属。
剣だ。
落ちている。
神代さんが拾う。
「使った跡があります」
刃が欠けている。
相原さんのものだろう。
さらに奥。
今度は。
声。
ほんの小さな。
「……誰か」
俺たち全員が止まった。
「相原さん!」
返事。
少し間があって。
「……こっち」
いる。
生きている。
俺は走りそうになる。
でも今度は抑える。
神代さんが先頭。
救難スタッフ。
俺。
瓦礫を回り込む。
その先。
壁際。
男が座り込んでいた。
左脚を瓦礫に挟まれている。
額から血。
服も破れている。
それでも意識はある。
「相原さん?」
男が顔を上げる。
「……はい」
「救難です」
俺が言う。
相原さんの顔が少し緩む。
「黒田は?」
最初に聞いたのがそれだった。
「無事です」
相原さんが目を閉じた。
長く息を吐く。
「……よかった」
「右肩を怪我してますけど、命に別状はありません」
「そうですか」
少し笑う。
「またあいつ、無茶したんだろうな」
「それは本人に聞いてください」
俺はしゃがむ。
左脚。
瓦礫に挟まれている。
「痛みます?」
「かなり」
「感覚は?」
「あります」
神代さんと救難スタッフが瓦礫を見る。
「持ち上げられそうですか?」
俺が聞く。
神代さんが手を当てる。
「一人だと危ないですね。支えが必要です」
「俺もやります」
「久世さんは下がってください」
即答された。
「今日訓練したのに」
「こういう時のためではないです」
救難スタッフまで少し笑っている。
相原さんが不思議そうに俺を見る。
「……久世さんって、あの?」
「どの?」
「帰り道の」
「そうです」
「思ったより普通ですね」
「よく言われます」
神代さんが瓦礫を確認する。
「久世さん」
「はい」
「引き抜いたあと、出血が増えるかもしれません」
「分かりました」
救難スタッフが止血準備。
神代さんが構える。
「相原さん、少し痛みます」
「今さらです」
「では上げます」
神代さんが瓦礫を持ち上げる。
重そうだ。
でも動く。
救難スタッフが相原さんの身体を引く。
「あと少し!」
脚が抜ける。
「抜けました!」
神代さんが瓦礫を下ろす。
大きな音。
相原さんが歯を食いしばる。
救難スタッフがすぐ処置に入った。
俺はその横で待つ。
数分。
「骨折の可能性があります」
「歩けます?」
「自力は厳しいですね」
なるほど。
担架が必要。
でも三人しかいない。
神代さんが言う。
「私が背負います」
「大丈夫です?」
「相原さん一人なら」
相原さんが驚く。
「いや、でも」
「遠慮しないでください」
「神代さん、S級ですよね」
「今は救難協力員です」
相原さんが何とも言えない顔になる。
俺は少し笑った。
「諦めたほうがいいですよ。神代さん、こういう時は聞かないので」
「久世さんもでしょう」
「俺?」
「はい」
そこは否定しておく。
「俺は割と話聞きますよ」
救難スタッフが小さく笑った。
処置が終わる。
神代さんが相原さんを背負う。
問題なく立つ。
「軽いですね」
「俺、七十キロありますけど」
「大丈夫です」
相原さんがもう何も言わなくなった。
俺は全員を見る。
相原さん。
神代さん。
救難スタッフ。
そして俺。
見つけた。
ここからが俺の仕事だ。
そう意識する。
足元を見る。
光。
今まで後ろへ伸びていた《帰り道》が、一度消えた。
次の瞬間。
新しい線が現れる。
俺たち四人の足元から。
地上へ。
いや。
少し違う。
「久世さん?」
神代さんが聞く。
俺は光を見る。
「出ました」
「帰り道?」
「はい」
ただ。
光が、来た道とは違う方向へ伸びている。
右。
さらに奥。
相原さんが俺の背中越しに見る。
「地上、そっちなんですか?」
「たぶん、一度奥へ行きます」
「奥?」
神代さんも光の先を見る。
俺は頷く。
「でも帰れます」
今度は一人じゃない。
相原さんを見つけた。
帰す相手を認識した。
だから。
「黒田さんのところまで戻りましょう」
光は、ちゃんと続いていた。




