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ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


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第157話 入口で引き返した朝

 翌朝、施設の駐車場には、予定より少ない車しか停まっていなかった。


 調査班の通常入域は延期になっている。昨夜、連絡を受けた六人のうち五人は、予定を変更したと施設へ返事をしていた。残る一人だけは朝まで返信がなく、受付で説明することになっているという。


「本当に来るんでしょうか」


 フェナが入口を見ながら尋ねた。


「分からない。でも、来ても地下へ入らないように、受付で止められる準備はできてる」


 俺は昨夜届いた連絡記録を思い返した。通常の調査を中止することと、施設の安全担当が必要な確認をすることは別の仕事だ。今日は俺たちも、その違いを意識して動くよう相馬さんに言われている。


 管理棟の前には、大きな紙が掲示されていた。


『本日の通常入域は停止しています。施設職員の案内を受けてください』


 入口の金属製案内板は、透明な板で覆われていた。二本の青い矢印の上に、赤い紙が重ねてある。『第二非常口の表示は確認中です。避難経路として使用しないでください』と書かれていた。


「ちゃんと覆われていますね」


 フェナはそう言ったが、少し首を傾げた。


「どうした?」


「この位置からだと、赤い紙の文字が反射で見えにくいんです。矢印の形は分かるのに」


 俺は一歩横へ動いて見直した。朝の日差しが透明板に映り込み、注意書きの細い文字を隠している。二本の青い矢印だけが、透けて見えていた。


「確かに。受付へ行く人は、まずここを通るから……」


 俺が言いかけた時、管理棟から職員が出てきた。相馬さんと瀬川さんはすでに中で話しているらしい。俺たちが事情を説明すると、職員はすぐに案内板の前まで来た。


「昨夜、急いで覆ったんですが、反射までは気づきませんでした。ありがとうございます。今日中に不透明な覆いへ替えます」


「今は受付で直接説明しているんですよね」


 俺が確認すると、職員は頷いた。


「はい。地下へ入る扉は施錠して、入域の受付も止めています。ここに来た方には、先に声をかけるようにしています」


 フェナは安心したように息を吐いた。案内板だけを見て入れるわけではない。それでも、間違った矢印が見える状態をそのままにしない方がいい。


 管理棟へ入ると、会議室のテーブルに新旧の図面が並べられていた。施設の管理責任者、安全担当、設備担当が揃っている。相馬さんは俺たちを見つけると、手招きした。


「ちょうどいい。久世、フェナ。まず、昨日までの案内を見てどう思ったか、話してくれ」


 いきなり話を振られ、俺は少し戸惑った。それでも、入口で見たことをそのまま伝えた。


「案内板には出口が二つあるように見えます。昨日の資料だと、右側は旧搬出室につながっていました。でも、そこから地上へ出られるかは分かっていません。初めて来た人なら、右へ行けば外へ出られると思うんじゃないでしょうか」


 安全担当が頷いた。


「その点は、こちらでも問題だと考えています。昨夜、旧搬出室の資料を確認しました。昇降設備が停止した時点で、地上への搬出経路としては使わなくなっています」


「待機場所として登録されていた記録は?」


 相馬さんが尋ねる。


「残っています。ただ、非常時の一時待機場所に指定した当時と、今では設備の状態が違います。換気や通信、収容人数の確認記録が途切れているため、現在も待機場所として使えるとは判断できません」


 俺は図面の四角い区画を見た。『第二退避口』という文字は、昨日よりも頼りなく見える。


「それなら、今はそこへ向かう案内をしないんですね」


「はい。現地を調べるまでは、避難経路にも待機場所にも指定しません」


 安全担当ははっきり答えた。


 設備担当が別の資料を広げた。古い紙の端は黄ばんでいる。旧搬出室が使われていた頃の設備配置図だという。


「もともと、あそこは荷物を地上へ上げる場所でした。人が出入りするための通路ではありません。ただ、昇降設備が止まったあと、広い空間を緊急時の待機場所として使えないかという検討があったようです」


「検討、ということは?」


 フェナが尋ねる。


「正式に使い始めた記録が見つからないんです。資料には、必要な設備を整えることを条件に登録するとあります。ですが、その設備を整えたかどうか、引き継ぎが残っていません」


 管理責任者は険しい顔で資料を見ていた。


「去年の案内板交換の時、私たちは古い図面を整理して、表記を統一する作業だと認識していました。新しい避難経路を増やす工事ではなかったんです」


「それなのに、入口の案内板では非常口が増えている」


 相馬さんが確認すると、管理責任者は頷いた。


「製作会社が提出した校正図を、こちらの担当者が確認しています。ただ、確認したのは文字や位置、案内板の枚数でした。経路の運用まで確認する手続きになっていませんでした」


 瀬川さんが記録を指した。


「『確認済み』という印が、どの項目に対する確認なのか分からなかったんですね」


「はい。設備の図面には詳しい担当者がいましたが、案内板の発注書には、その担当者の確認欄がありませんでした」


 会議室に少し重い沈黙が落ちた。俺は昨日、瀬川さんが言っていたことを思い出した。図面を作る人、取り付ける人、位置を確かめる人。それぞれの仕事が終わっても、出口として使えるかを確かめる人がいなければ、線だけが残ってしまう。


「去年、何か事故が起きなかったのは幸運だったんでしょうか」


 俺が小さく言うと、安全担当は首を横に振った。


「事故が起きていない理由は、まだ分かりません。右側の通路へ誰も行かなかったのかもしれないし、行った人が戻ってきたのかもしれません。記録がない以上、幸運だったと片づけることもできません」


「……そうですね」


 俺は頷いた。知らないことを、都合のいい想像で埋めない。ここでも、それが必要だった。


 会議が続いていると、受付から内線が入った。連絡の取れていなかった調査班の一人が、予定どおり来たという。


 管理責任者が席を立とうとすると、相馬さんが言った。


「久世たちも一緒に行ってみるか。実際に案内を受ける人の反応を見たいと言っていたんだろう」


「はい」


 俺とフェナは受付へ向かった。窓口の前には、作業着姿の男性が一人立っていた。肩から工具の入った鞄を下げ、手には印刷した予定表を持っている。


「すみません、連絡を見落としていたみたいで。昨日は夜遅くまで別の現場にいたので、朝になってから端末を開いたんです」


 男性は受付職員へ謝っていた。職員は入域停止の理由を説明し、今日の作業は行わないことを伝える。


「でも、主通路は使えるんですよね。いつも使っている方から入れば、調査だけできませんか」


 男性の問いは、昨夜の班長と同じだった。職員は答えを急がず、用意された説明書を開いた。


「主通路の状態だけでなく、緊急時の退避手順を確認しています。第二経路が使えるか不明なままなので、今日は通常の調査を止めています」


「第二経路って、あの新しい案内板に書いてある方ですか?」


「はい。あちらは現在、非常口として使用できると確認されていません」


 男性は入口の方を振り返り、少し驚いた顔をした。


「えっ、去年付け替えたばかりですよね。新しい出口ができたんだと思ってました」


 俺は思わずフェナを見た。彼女もこちらを見返した。


「案内板を見て、そう思われたんですか」


 フェナが尋ねると、男性は頷いた。


「はい。以前は左の出口だけでしたから。新しい地図で右にも線が増えて、設備の改修が済んだんだろうって。実際に右へ行ったことはありませんが」


「その説明を、誰かから聞いたわけではないんですね」


「そうですね。案内板に書いてあるので、使えるものだと思ってました」


 男性は自分の鞄を見下ろした。


「俺、新人に『出口が二つあるから、前より安心だ』って話したこともあります。知らないうちに、間違ったことを教えてたのかもしれないですね」


 声に混じった悔しさに、俺は少し胸が痛くなった。男性は、嘘を教えようとしたわけじゃない。新しい案内板を信じ、後から入ってきた人へ親切に伝えたのだ。


「その人たちには、今回のことを伝えられますか」


 俺が尋ねると、男性は顔を上げた。


「もちろんです。今日帰ったら、連絡します。……でも、前に一緒に作業した人全員の連絡先があるわけじゃないんですよね」


 フェナは受付に置かれた案内を見た。


「施設の方からも、登録者へ通知を送る準備をしているそうです。直接話せる方には伝えていただいて、届かない方への案内は、施設と一緒に考えましょう」


 男性は少し安心したように頷いた。


「分かりました。今日は帰ります。作業はまた組み直します」


 男性が出ていく時、フェナが小さく頭を下げた。俺もそれに倣った。今日、彼は地下へ入らずに帰る。仕事は進まなかったが、間違った出口を信じたまま入ることもなかった。


 会議室へ戻り、男性の話を伝えると、瀬川さんはすぐに記録した。


「『案内板の更新を、設備の改修完了と受け取った』。これは重要ですね」


「現場の人なら、図面を見れば分かると思ってました」


 俺が言うと、設備担当が苦笑した。


「私たちも、知っているつもりになっていたんです。旧搬出室が使えないことは設備担当の間では常識でした。でも、案内板を見ている人は、そんな昔の事情を知りません」


 フェナが口を開いた。


「入口の注意書きも、今朝は反射で読みにくかったです。新しい案内板に大きな矢印が残っていると、説明を聞く前に『使える』と思ってしまうかもしれません」


 管理責任者はメモを取った。


「今日のうちに不透明な覆いへ替えます。地下の案内板も、専門の作業員が安全を確認したうえで、同じ対応をします」


「地下の確認は、いつから始められますか」


 相馬さんが尋ねた。


「午後、安全担当と設備担当で手順を確認します。立ち入り可能な範囲、通信、退避方法を決めてから、必要最小限の人員で実施します。旧搬出室まで行けるかどうかは、そこで判断します」


「救難側の人員が必要なら、手順が決まってから連絡してくれ。久世の能力を理由に、安全確認を省略することはしない」


「承知しました」


 俺はそのやり取りを聞いていた。《帰り道》を使えば、俺が今いる場所から戻る道筋は分かる。けれど、旧搬出室の扉が開くか、そこに人が留まれる空気があるか、床が傷んでいないかは分からない。だから、今日の調査に俺が先頭で入る理由はない。


 代わりに、俺たちは受付で使う説明文の見直しを頼まれた。瀬川さんが用意した案には、専門的な言葉が多かった。


『第二退避口の機能検証が完了するまで、当該経路を避難導線から除外する』


「これ、俺が初めて見たら、何をしていいのか分からないかもしれません」


 俺が言うと、瀬川さんは苦笑した。


「施設の人へ説明する文面を、そのまま利用者向けに持ってきてしまいましたね。どう書けばいいと思いますか」


 フェナは少し考え、紙に書いた。


『右側の通路は、地上へ出られることを確認できていません。非常口として使わないでください。入域は停止中です。施設職員の説明を受けてください』


「これなら、何が分からないのかと、今してはいけないことが分かります」


 俺は頷いた。


「あと、入口に来た人は、どこへ行けばいいか知りたいと思います。受付の場所も書いた方がいいんじゃないかな」


 フェナは紙の最後に『受付は正面の管理棟です』と書き足した。


 安全担当が文面を読み、確認した事実と矛盾がないかを確かめる。管理責任者はその内容を使い、掲示を作り直すことにした。


 午後の現地確認は、俺たちが帰る前には始まらなかった。設備担当が古い図面を見比べ、入域する人数と連絡方法を詰めている。急いで扉を開ければ、答えは早く出るかもしれない。でも、そのために誰かを危険な場所へ送り込むわけにはいかない。


「今日は、何も確かめられなかったような気がします」


 帰りの車で俺が言うと、フェナが隣から顔を向けた。


「そんなことありません。あの調査員さんは、右側が新しい出口だと思っていたでしょう? そのことが分かりました」


「そうだけど。旧搬出室がどうなってるかは、まだ分からないし」


「だから、使わないって決められたんです。知らないまま進むより、ずっといいと思います」


 運転席の相馬さんも、前を見たまま頷いた。


「現地確認が終わるまでは、何も分からないと思うかもしれない。でも、今日分かったことはある。案内板を信じていた人がいて、同じ話を別の人へ伝えていた。図面を直すだけじゃ、そこは変わらない」


 俺は窓の外へ目を向けた。駐車場の入口では、職員が大きな不透明の板を運んでいる。朝には透けて見えていた青い矢印が、今はすっかり隠れていた。


 広域調整室へ戻ると、瀬川さんから先に連絡が入っていた。午後の安全会議で、旧搬出室の現地確認は翌日以降に持ち越すと決まったらしい。図面に記された換気設備の配置と、現在の設備台帳が一致していないため、先に点検記録を調べる必要があるという。


「換気設備まで違うんですか」


 俺が尋ねると、瀬川さんは答えた。


『はい。撤去された設備が図面に残っている可能性があります。今のところ、誰かが旧搬出室に入っているという情報はありません。だから、慌てて確認しに行く必要もありません』


 相馬さんは「それでいい」と短く答えた。


 俺は受付で会った男性のことを思い出した。彼は新しい案内板を信じ、後輩に出口が増えたと教えていた。彼が今日引き返したことは、施設の記録には『入域なし』としか残らないかもしれない。


 けれど、俺は覚えておきたいと思った。誰かを救助して帰ってくる日と同じように、誰も地下へ入らずに終わる日にも、守れたものがある。


 その日の記録をまとめるため、俺は受付で聞いた男性の言葉を思い出しながら、端末に入力した。『新しい案内板を見て、第二経路が使えるようになったと理解していた』。書いてみると、たった一行だった。


 その下に、男性が後輩へ同じ話を伝えていたことも記した。だが、ここで手が止まった。本人が責任を感じていたことまで書くべきなのか、分からなかったのだ。


「瀬川さん。この人の話、どこまで残したらいいでしょう」


 俺が尋ねると、瀬川さんは椅子を寄せて画面を見た。


「まず、案内板をどう受け取ったかという事実が大事です。誰かへ伝えたという話も、誤った情報が広がる経路を考えるためには役立ちます。ただ、本人を責める材料にしてはいけません」


「名前は残さなくてもいいですか」


「今回の目的なら、施設と確認日時、どういう立場の利用者だったかが分かれば十分です。連絡先を残す必要が出た時は、本人に用途を説明して同意を得ます」


 俺は頷き、記録から個人を特定する内容を外した。男性が新しい案内板を信じたことは、責められるような行動ではない。俺だって、あの矢印を見れば同じように思っただろう。


「フェナも、何か気づいたことがあったら書いてくれ」


 瀬川さんが言うと、フェナは少し考えた。


「男性は、説明を聞いたあとすぐに帰ると決めてくれました。でも、仕事を延期する理由が分からなかった時は、納得できない様子でした。だから、使えないかもしれないというだけじゃなく、もしもの時に頼れる出口が確認できていないことを、ちゃんと伝える必要があると思います」


「そうですね。禁止する理由と、再開するための条件を一緒に伝える。今後の案内文にも反映しましょう」


 瀬川さんはフェナの言葉を記録に加えた。


 俺は、机の上の書類を見直した。現場で見たもの、本人が話したこと、施設が確認したこと。その三つが混ざらないように欄が分かれている。少し前の俺なら、こういう記録を面倒だと思ったかもしれない。でも、誰かが次に判断する時、俺たちが何を知っていて何を知らなかったかを確かめられる。


「こうして残しておけば、俺たちがいない時にも使えますね」


「はい。だから、きちんと書いておきたいんです」


 瀬川さんはそう答え、記録を保存した。フェナが隣で小さく伸びをする。朝から立ったり座ったりを繰り返していたせいか、彼女の肩も少し疲れているようだった。


「ナオトさん。帰りに、温かいものを食べませんか。今日は頭ばかり使った気がします」


「いいね。俺も、さっきからお腹が鳴りそうで」


「じゃあ、早く終わらせましょう。明日もちゃんと考えられるように」


 彼女は笑って、自分の記録を閉じた。地下へ入らない日にも、帰る前にする仕事がある。そして、その仕事が終われば、俺たちにも帰って休む時間が必要だった。


 帰る準備をしていると、瀬川さんからもう一通の資料が届いた。今回の案内板に使われた図面と同じ管理番号が、別の施設の資料にも記載されていたという。


「同じ図面を使っている施設が、ほかにもあるんですか」


 俺が聞くと、瀬川さんは首を横に振った。


『まだ同じ経路かどうかは分かりません。ただ、図面の様式だけでなく、元になった管理台帳の番号が一致しています。今回の施設から資料を受け取った別の管理者が、案内図を作った可能性があります』


 俺は画面の番号を見た。昨日、金属の案内板に刻まれていた番号と、同じ並びの数字だった。


 間違った矢印は、ひとつの入口にだけ残っているとは限らない。


 俺たちが今日、入口で止めた人は一人だった。その人が信じていた線が、別の施設にも渡っているのなら、次はそこにいる人へ知らせる必要がある。

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