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ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


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第156話 仮の線に刻まれた番号

 瀬川さんが画面を閉じようとした時、相馬さんが「待ってくれ」と声をかけた。


 案内板の発注図面には、二本の避難経路が青い線で描かれている。そのうち右側の線に付いた番号を、相馬さんは指で示した。


「この番号、写真に写っていた案内板と同じだな」


「はい。現物の管理番号と、発注時の図面番号は一致しています」


「じゃあ、途中で別の図面に差し替わったわけじゃない。少なくとも、今ある案内板はこの資料から作られたってことか」


 瀬川さんは頷き、発注記録の隣に、去年の改訂履歴を並べた。小さな文字がいくつも並んでいる。俺には、どこが重要なのかすぐには分からなかった。


「『現地未確認』と書いてあるのに、どうして正式な案内板になったんでしょう」


 フェナが尋ねると、瀬川さんは一度画面から目を離した。


「まだ分かりません。図面を作った人と、掲示を許可した人が同じとは限りませんし、途中で確認が済んだ可能性もあります。そこを調べずに、誰かの見落としと決めるわけにはいかないんです」


「ただ、確認が済んだ記録がないなら、明日の調査班には使わせられないな」


 相馬さんの言葉に、俺も頷いた。明朝入る予定の調査班は、普段から施設の構造を調べている人たちらしい。だからといって、使えるか分からない経路を非常口として頼っていいことにはならない。


 瀬川さんが施設へ電話をかけた。相手は管理責任者で、まだ事務所に残っているという。電話はすぐにつながった。


「夜分に申し訳ありません。明朝の入域予定について、先に確認させてください。調査班の皆さんへは、案内板の経路が未確認だと伝わっていますか」


『はい。今、班の責任者へ連絡しています。明朝の通常入域は一度止める方向で調整しています』


「ありがとうございます。現地確認のための作業と、通常の調査を同じ扱いにしないようお願いします」


『承知しています。ただ、調査班の中には、明日しか来られない者もいまして……』


 相手の声が少し小さくなった。予定を組み直すことが簡単ではないのだろう。施設側にも、作業を止めることで困る事情がある。


 相馬さんは電話を代わった。


「予定があるのは分かります。ただ、出口として案内している場所が本当に外へ通じるか分からない。そこを確かめずに人を入れる判断は、現場の責任者に背負わせるべきじゃありません。確認のために必要な人員と手順を、先に分けましょう」


『……そうですね。安全担当にも同じことを言われました』


「こちらからできるのは、記録の照合と、必要なら救難側の助言です。施設の設備を使っていいかどうかは、そちらの専門担当に判断してもらいます」


 電話を切った相馬さんは、椅子の背に手を置いた。


「今日はここまでにするつもりだったが、もう少しだけ付き合ってくれ。誰が悪かったかより、明日の朝、誰が何を知らずに入ろうとしているかを先に確かめたい」


 瀬川さんはすでに別の資料を開いていた。俺とフェナも、それぞれ机を寄せる。


 届いた写真は五枚だった。入口の総合案内板、地下へ下りる階段の踊り場、作業区画の分岐、保守通路の手前、それから管理室に置かれた携帯用の案内図。どの写真にも、同じ二本の青い矢印が描かれていた。


「一か所だけじゃないんですね」


 俺が言うと、瀬川さんは頷いた。


「案内板を交換する時に、同じ図面を使って複数枚作ったようです。問題の線を消すなら、全部の場所を把握しないといけません」


「地下の分岐にある案内板は、今夜すぐに外せるんでしょうか」


 フェナが尋ねた。


「施設側は、夜間の単独入域をしない規定になっています。今から外しに行く方が危険なら、入域を止めたうえで、明日、適切な人員で対応するべきでしょう」


 俺は写真の一枚を拡大した。地下の分岐には、右へ向かう大きな矢印と、左へ向かう細い矢印がある。左側が従来から使われていた主通路で、右側が新しく避難経路に加わった保守通路らしい。


「これを見たら、右にも出口があると思いますね」


「そうですね。特に主通路が使えなくなった時には、右へ行く理由になります」


 フェナは答えながら、写真の下にある文字を読んだ。


「『第二退避口』……。これ、非常口とは書いていません」


 相馬さんが身を乗り出した。


「もう一度見せてくれ」


 俺が画面を回すと、相馬さんは二本の矢印を見比べた。


「入口の案内板では『第二非常口』。地下では『第二退避口』か。言葉が違うな」


 瀬川さんが発注図面を確認した。確かに、元の図面には『第二退避口』とある。ところが、入口の総合案内板には『第二非常口』と印字されていた。


「案内板の種類によって表記が変わっていますね。施設へ確認します」


「待ってください」


 俺は思わず口を挟んだ。


「『退避口』って、必ず地上へ出る場所なんですか?」


 三人がこちらを見た。俺は少し慌てて続ける。


「俺はずっと、出口が二つあると思ってました。でも、退避する場所と、外へ出る場所は違うんじゃないかって。さっきの図面には、地上までの線が描かれていないように見えるんです」


 瀬川さんは図面の表示倍率を上げた。右側の青い線は、地下の保守通路を進んだ先で、四角い区画につながっている。そこから先に線は続いていなかった。


「確かに、ここで終わっています」


「この四角は何ですか」


 フェナが尋ねる。


「旧搬出室、と書かれています。以前、設備を運び出すために使っていた場所のようです」


 相馬さんは腕を組んだ。


「退避できる部屋があることと、外へ出られることは別だな。入口の看板を作った時、退避口を非常口に読み替えた可能性がある」


 瀬川さんは施設へ追加の質問を送った。旧搬出室から地上へ出られるのか、現在も使える設備があるのか、退避室として運用しているのか。回答を待つ間、俺たちは写真をもう一度見直した。


 よく見ると、地下の案内板の右下には小さな文字がある。拡大しても判読しにくいが、『施設管理者の指示に従うこと』と読めた。


「この一文を、急いでいる人が読めるかな」


 俺が言うと、フェナは首を横に振った。


「たぶん、先に矢印を見ます。私も最初は、そちらばかり見ていました」


 フェナは机の上に紙を置き、二本の矢印だけを簡単に描いた。右に大きな矢印、左に小さな矢印。その下に小さな注意書きを添える。


「ナオトさん。これを一瞬だけ見せられたら、どっちが安全そうに見えますか」


「右かな。大きく描かれてるし」


「そうですよね。文字を読む前に、そう思ってしまいます」


 相馬さんが苦笑した。


「避難案内で見た目が先に伝わるのは当たり前だ。だからこそ、後から小さく注意を書いても、間違った印象は消せない」


 瀬川さんはフェナの紙を受け取り、資料の端に挟んだ。


「明日の説明に使わせてもらっていいですか。現地の人にも、利用者からどう見えるかを考えてもらいたいので」


「もちろんです」


 フェナは少し嬉しそうに答えた。


 しばらくして、施設から新しい資料が届いた。古い設備台帳の写しだった。旧搬出室には、かつて地上へ荷物を上げる昇降設備があったらしい。だが、数年前に運用を終え、現在は使用停止になっている。


「地上へ出る設備は、もう動かないんですか」


 俺が尋ねると、瀬川さんは記載を追った。


「少なくとも、今の台帳では停止扱いです。ただし、旧搬出室そのものが閉鎖されているかは別の記録です。現地を確認しないと分かりません」


「だったら、あの案内板は……」


「非常口として使えるとは、まだ言えません」


 瀬川さんは言葉を選んだ。断定できないことは断定しない。その慎重さに、俺は何度も助けられている。


 相馬さんは別の記録を指した。


「そもそも、どうして去年の更新でこの線が加わったんだ?」


 発注書に添付されていた変更理由は、『旧避難図の復元と表示の統一』だった。災害対策の見直しに合わせ、施設内の案内板を新しい規格へ交換したと書かれている。工事の発注は施設の管理部門、図面の作成は外部の製作会社、設置後の確認は施設の設備担当が行ったらしい。


「みんな、それぞれ仕事をしていたんですね」


 俺が言うと、瀬川さんは頷いた。


「図面を作る人は、渡された資料をもとに作る。設置する人は、指定された位置に付ける。設置後の確認も、看板が正しい位置に付いているかを確かめる仕事だったのかもしれません」


「でも、通れるかどうかを確認する人がいなかった」


 フェナの言葉に、相馬さんはすぐには答えなかった。


「そこは、もう少し記録を見ないと分からない。ただ、全員が自分の担当を終えたつもりでも、肝心な確認が残ることはある」


 俺は昔、救難依頼の書類を見た時のことを思い出した。依頼の受理、現地との連絡、隊員の出動。それぞれの欄に印があっても、要救助者が何人いるか確認されていなければ、救助は始められない。印が揃うことと、必要なことが終わることは同じではない。


「発注した人が悪いとか、付けた人が悪いとか、今決めても仕方ないですね」


「そうだ。もちろん、後で原因は調べる。だが今夜の仕事は、朝に人を入れない判断を間に合わせることだ」


 相馬さんは時計を見た。すでに夕食の時間を過ぎている。窓の外は暗く、調整室の照明がガラスに映っていた。


 瀬川さんが施設からの返信を読み上げた。


「明朝の通常調査は延期になりました。現地確認は、施設の安全担当が別途手順を作成し、必要な人員を揃えてから実施するそうです。案内板については、今夜は入口の掲示を覆い、入域停止の案内を出します。地下のものは、安全な作業手順が整うまで触れません」


 俺はようやく息を吐いた。少なくとも、明日の朝、知らないまま矢印を信じて地下へ入る人はいない。


「よかったです」


 フェナも椅子にもたれた。けれど、相馬さんはまだ資料を見ていた。


「延期の連絡は、予定していた調査班の全員に届いたのか」


「班の責任者へは届いています。個々の参加者への連絡確認は、施設が今から行います」


「そこまで頼む。代表に知らせただけで終わらせると、朝、入口に来て初めて知る人が出る」


 瀬川さんはすぐに連絡した。俺はそのやり取りを聞きながら、今日救助した四人の顔を思い出していた。あの人たちは、朝の説明を覚えていたから未確認のB経路へ行かなかった。説明が一人にしか届いていなかったら、仲間の判断は違っていたかもしれない。


 確認の返事が来るまで、俺はフェナと休憩室へ行った。自動販売機の前には誰もいない。温かい飲み物を二つ買い、一つをフェナへ渡す。


「ありがとうございます。ナオトさんも、今日はずっと働いてますね」


「フェナもだろ。俺は図面を見てただけだけど」


「その『だけ』、今日は何回も聞きました」


 彼女が少しむっとした顔をしたので、俺は笑ってしまった。


「そんなに言ってた?」


「言ってました。さっきも、自分は専門家じゃないからって。でも、ナオトさんが『退避口と非常口は違うんじゃないか』って聞かなかったら、私たちは気づくのが遅れたかもしれません」


「たまたま気になっただけだよ」


「気になったことを口に出すのって、案外難しいんですよ。相手が詳しい人だと、余計に」


 フェナは紙コップを両手で包んだ。


「私も、最初は黙っていようと思ったんです。案内板が新しいことなんて、仕事の邪魔になるかもしれないって。でも、ナオトさんがいつも分からないことを聞くから、私も聞いてみようと思いました」


 俺は返す言葉を探した。地下で帰路を示す時には、俺の能力が必要になる。けれど、ここでは俺も、図面の読み方を教わる側だ。それでも、疑問を口に出していいのだと、フェナの言葉で少しだけ思えた。


「じゃあ、これからも気になったら聞こう。俺も間違えると思うけど」


「間違えたら、確かめればいいんです。今日、ずっとそうしていたでしょう?」


 彼女は笑った。その笑顔を見て、疲れが少し軽くなった。


 調整室へ戻ると、瀬川さんが参加者への連絡状況をまとめていた。予定されていた調査班は六人。責任者を含め五人から確認が取れ、残る一人には電話がつながらず、連絡用の端末へ通知を送ったという。


「朝までに返事がなければ、施設の受付で直接説明する手順にしています。入域の受付自体を止めているので、連絡がつかないまま地下へ入ることはありません」


「それなら、今夜のうちにできることはやったな」


 相馬さんはようやく手帳を閉じた。


 俺は机の上に残った発注図面を見た。そこには、整った線と、読みやすい文字が並んでいる。誰かが丁寧に作ったものなのだろう。それでも、現地で確かめていない線が一本加わっただけで、案内の意味は変わってしまった。


「相馬さん。明日、俺も現地へ行けますか」


 相馬さんは顔を上げた。


「何をするつもりだ?」


「安全確認は設備の人に任せます。俺は、入口で案内を受ける人が何を見て、どう思うのか、聞いてみたいです。今日の四人みたいに、古い図面を持っている人もいるかもしれません」


 相馬さんは少し考え、瀬川さんを見た。


「明日の午前、施設の管理者と話す予定は?」


「あります。現地の写真と記録を確認するため、調整室からも担当者が向かうことになっています」


「なら、久世とフェナも同行してくれ。地下へ入るかどうかは、現地で別に判断する。最初から入域するつもりで準備はするな」


「はい」


 その時、瀬川さんの端末に着信が入った。明朝の調査班を率いる責任者からだった。連絡を受けた瀬川さんは、こちらに聞こえるように通話を切り替えた。


『入域延期の件、了解しました。ただ、一つ確認させてください。私たちが明日行う予定だったのは、避難経路の点検とは別の、排水設備の定期調査です。主通路は使えると聞いています。それでも、全部止める必要がありますか』


 男性の声は落ち着いていた。反発しているというより、仕事を進めるために必要な理由を求めているように聞こえた。


 相馬さんが答える。


「今分かっているのは、主通路が通常の出入口として使われていることと、別に案内されている第二経路の状態が確認できていないことです。もし主通路が使えなくなった時の対応が曖昧なままなら、通常調査を続けていいとは言えません」


『ですが、第二経路がなかった頃も、私たちは作業していました。何が変わったんでしょう』


「案内が変わったことです。あなたたちが以前の計画を知っていても、今の案内板には出口が二つある。非常時に班の誰かがそちらへ向かうかもしれない。その前提を揃える必要があります」


 しばらく沈黙があった。やがて男性が、小さく息を吐いた。


『……なるほど。確かに、新しい班員には二本あると説明していました。私は以前の設備を知っているので、気にしていませんでしたが』


「知っている人と知らない人が混ざっているなら、なおさらです。明日の仕事が無駄にならないよう、設備側の確認が済んだら改めて調整しましょう」


『分かりました。こちらも班員に、案内板の記載を頼りに判断しないよう伝えます』


 通話が終わると、俺は胸の中に残っていた疑問を口にした。


「延期してもらうのって、簡単じゃないですね。明日の予定だけじゃなく、次の作業も変わりますよね」


「そうだな。現場を止める判断には、理由を説明する責任がある」


 相馬さんは答えた。


「危ないかもしれないから全部やめろ、だけじゃ現場は動けない。何が分かっていて、何がまだ分からないのか。再開するために何を確かめればいいのか。そこまで伝えて、ようやく仕事になる」


 俺は手帳にその言葉を書いた。救難の仕事では、行くか待つかを決める時にも同じことを考えてきた。今日は、地下へ入らないという判断を、きちんと伝える番だった。


 フェナが隣で頷いた。俺たちの仕事は、まだ終わっていない。


 帰り支度を始めた頃、施設から最後の資料が届いた。旧搬出室の改修履歴で、使用停止になった昇降設備の図面が添付されている。瀬川さんは確認のために画面を開き、眉を寄せた。


「……相馬さん。少し気になる記録があります」


「何だ?」


「昇降設備が止まったあと、旧搬出室は『非常時一時待機場所』として登録されています。ただし、その後の運用記録がありません」


「待機場所?」


「はい。地上へ出るための出口ではなく、救助を待つための場所だった可能性があります」


 俺は図面を見直した。青い線が終わる四角い部屋。そこへ向かう案内が、いつの間にか『第二非常口』へ変わっていた。


「じゃあ、あの線を信じて進んだ人は、地上へ出られると思って、救助を待つ部屋へ行くことになるんですか」


「そうかもしれません。ですが、今も待機場所として使えるかは確認できていません」


 相馬さんは図面を閉じず、静かに言った。


「明日、まずそこを確かめよう。出口と待機場所を取り違えたのなら、案内板を直すだけじゃ済まない。誰かが閉じ込められた時、どこで待てばいいかという手順まで見直す必要がある」


 俺は頷いた。帰るために進む場所と、助けを待つために留まる場所。どちらも命を守るために必要だが、同じものとして描いてはいけない。


 明日の朝、地下へ入るはずだった六人は、いったん入口で止まることになった。誰も遭難していないうちに、人の足を止められた。そのことを確かめながら、俺は最後にもう一度、発注図面の備考を見た。


『現地未確認。旧避難経路図をもとに暫定作成』


 仮の線だったはずのものに、いつの間にか金属の番号が刻まれていた。


 明日は、その線を信じて歩く人ではなく、その線がどこへ続くのかを確かめる人たちと会う。

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