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ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


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第142話 返事のある壁

「もう一度、音を確かめたい」


相馬さんが通信機に向かって言った。


北の見張り台では、職人たちが古い水路の壁を叩き、そのあとに同じ回数の音が返ってきたという。


三回叩けば、三回返ってくる。


古い記録に残されていた救助を求める合図と一致していたが、それだけで地下に人がいると断定することはできなかった。


「今度は、叩く回数を変えてもらえますか?」


俺が尋ねると、相馬さんは頷いた。


「そうだな。瀬川から聞いた合図とは違うものにしよう」


相馬さんは通信機を握り直した。


「こちらから二回叩いて、少し間を置いてから一回叩いてくれ。そのあと、返事があるか確認してほしい」


『分かりました。ただ、今いる場所から音を伝えられるか、もう一度確かめます』


「無理に近づく必要はない。さっきと同じ場所で頼む」


『了解しました』


通信が終わると、俺たちは集会所の入口近くで返事を待った。


中では住民たちが休んでいる。子どもたちの寝息も聞こえていたが、今夜の出来事を思い出して眠れないのか、大人たちの何人かはまだ起きていた。


俺はその人たちを見ながら、さっきまで確認していた名簿のことを考えていた。


この町で避難が必要になった人たちは、全員の所在を確認できたはずだった。北の見張り台にいた二人も無事に戻ってきている。


それなのに、地下から助けを求める合図が聞こえているかもしれない。


もし本当に人がいるのなら、どうして誰も気づかなかったのだろう。


「久世、何か気になることがあるのか?」


相馬さんに尋ねられ、俺は顔を上げた。


「はい。もし地下に人がいるなら、誰なんだろうと思って」


「名簿に載っていない人間かもしれないな」


「町の人じゃないってことですか?」


「その可能性もある。あるいは、管理人が把握していない場所で仕事をしていた人間かもしれない。まだ何も分からない以上、決めつけない方がいい」


「そうですね」


相馬さんは机の上に広げた図面へ視線を落とした。


「ただ、誰なのか分からなくても、救助が必要なら対応する。それは変わらない」


俺は頷いた。


その時、通信機が鳴った。


『相馬さん、こちら北の見張り台です』


「どうだった?」


『今、二回叩いてから、間を置いて一回叩きました』


俺は思わず通信機へ顔を近づけた。


「返事はありましたか?」


『……ありました』


職人の声が少し震えていた。


『同じように、二回と一回です』


俺は相馬さんを見た。


相馬さんも表情を引き締めている。


「もう一度、違う回数で確認できるか?」


『はい。今度は一回叩いてから、少し間を置いて二回叩いてみます』


「頼む。ただし、地面の状態に変化があったらすぐに離れてくれ」


『分かりました』


再び通信が途切れた。


俺は無意識に拳を握っていた。


最初の三回ずつという音は、古い水路の構造によって偶然そう聞こえた可能性もあった。


でも、こちらが変えた回数に合わせて返事が変わったのなら、話は違ってくる。


誰かが音を聞き、その意味を理解して返しているのかもしれない。


しばらくして、通信機が鳴った。


『相馬さん、返事がありました』


「回数は?」


『一回、間を置いて二回です。こちらが叩いた通りでした』


俺は小さく息を吐いた。


「……本当に、誰かいるんでしょうか」


相馬さんはすぐには答えなかった。


通信機の向こうでは、職人たちが何かを話し合っている声が聞こえる。


やがて相馬さんが口を開いた。


「少なくとも、こちらの音に対応しているように見える。人がいる可能性は、かなり高くなったな」


「はい」


「ただし、今の段階では人数も状態も分からない。まずは声が届く場所を探そう」


相馬さんは通信機を持ち直した。


「こちらでも古い図面を調べている。現場の確認は続けてほしいが、石の扉には近づかないでくれ」


『了解しました』


通信を終えると、相馬さんは集会所の奥へ向かった。


俺もあとについていく。


机の上では、年配の職人が古い工事記録を何枚も広げていた。


「何か分かりましたか?」


俺が尋ねると、職人は顔を上げた。


『まだ全部は確認できていないが、気になる場所がある』


フェナが通訳してくれる。


職人は図面の一角を指した。


北の見張り台の下には、点検用の通路が描かれている。その途中に、先ほど瀬川さんが話していた退避用の部屋らしい四角い印があった。


職人が指しているのは、その四角から伸びた細い線だった。


「これは何ですか?」


『おそらく、空気を通すための穴だ』


「空気?」


『ああ。地下で作業する人間がいるなら、空気の出入りも必要になる。古い施設には、こういう通気用の穴が設けられていることがあるんだ』


俺は図面を覗き込んだ。


細い線は退避用の部屋から上へ伸び、途中で曲がって地表につながっているように見えた。


「ここから声をかけられませんか?」


職人は少し考えた。


『穴が今も残っていれば、可能性はある。ただ、長い間使われていない施設だからな。土砂で埋まっているかもしれない』


相馬さんが尋ねた。


「地上側の出口は、どこにあるんですか?」


『この図面だと、昔の資材置き場の近くだと思う』


俺は顔を上げた。


「さっき見張り番を助けた場所ですね」


『そうだ。あそこには古い石段が残っていただろう。その近くに通気口があったとしても不思議じゃない』


相馬さんは図面と現在の町の地図を見比べた。


「資材置き場なら、地面が沈んだ場所からは離れている。さっき職人たちが確認した範囲もあるな」


「そこへ行ってみますか?」


「そうしよう。ただし、穴を見つけてもすぐに開けるとは限らない。周囲の状態を確認してからだ」


俺は頷いた。


相馬さんは瀬川さんへ連絡し、通気口に関する記録がないか調べてもらうことにした。


その間に、俺たちは現場へ向かう準備を始めた。


集会所では、管理人が住民たちの様子を確認していた。


相馬さんは管理人へ事情を説明し、北の見張り台で人が閉じ込められている可能性があることを伝えた。


管理人は驚いた顔をした。


『地下に人がいるかもしれないのか?』


「はい。ただ、まだ確認できていません。今から安全に連絡できる場所を探します」


フェナが通訳すると、管理人は難しい顔になった。


『分かった。こちらは任せてくれ。避難してきた人たちのことは、私が責任を持って確認しておく』


「ありがとうございます」


俺は頭を下げた。


すると、管理人は少し考えてから尋ねた。


『もし地下に人がいたら、何か必要になるか?』


相馬さんが答えた。


「人数や怪我の状態によりますが、救助後に休める場所は確保しておきたいですね。それと、すぐに手当てができるよう準備してもらえると助かります」


『分かった。手当てのできる者にも声をかけておこう』


管理人はすぐに動き始めた。


俺はその姿を見て、少し安心した。


地下にいるかもしれない人のことは、まだ何も分かっていない。


それでも、助けたあとの準備を進めておくことはできる。


救助することだけではなく、救助した人が安全に休めるところまで考えておかなければならないのだ。


「ナオト?」


背後から声がして、俺は振り返った。


リュシアが眠そうな目をこすりながら立っていた。


「起こしちゃった?」


『ううん。フェナがいなくなったから、ちょっと気になって』


俺はリュシアの前にしゃがんだ。


「ごめんね。少し調べに行くことになったんだ」


『また誰か助けるの?』


「まだ分からない。でも、助けを待っている人がいるかもしれない」


リュシアは俺の顔をじっと見た。


『じゃあ、その人も帰ってこられるようにするんだね』


「うん。そのために、まずは何が起きているのか確かめてくるよ」


『分かった。リュシアはここで待ってる』


「ありがとう」


俺が頭を撫でると、リュシアは嬉しそうに笑った。


『でも、ナオトもちゃんと帰ってきてね』


その言葉に、俺は少し驚いた。


リュシアは真剣な顔をしている。


俺は頷いた。


「もちろん。無理なことはしないよ」


『約束だよ』


「約束」


リュシアは満足したように頷き、毛布のある場所へ戻っていった。


俺はその後ろ姿を見送り、立ち上がった。


助けを待っている人がいるかもしれない。


でも、その人を助けようとして俺たちまで帰れなくなってしまったら、意味がない。


リュシアとの約束は、今の俺にとって大切なものだった。


集会所を出ると、夜の空気がひんやりと感じられた。


町の中にはまだ明かりが残っているが、人通りはほとんどない。住民たちが避難した通りでは、見張りの人たちが交代で周囲を確認していた。


俺たちは職人二人と合流し、北の資材置き場へ向かった。


フェナも一緒だった。


「フェナ、疲れてない?」


歩きながら尋ねると、フェナは首を横に振った。


『大丈夫です。ナオトさんこそ、ずっと動いていますよね』


「俺も平気だよ。ただ、少し眠くなってきたかもしれない」


『無理はしないでくださいね』


「うん。ありがとう」


フェナは小さく笑った。


それから、少し声を落として続けた。


『地下にいる方が、こちらの音を聞いて返事をしているのだとしたら……』


「うん」


『きっと、助けが来たと思っているんでしょうね』


俺は足を止めかけた。


確かに、そうかもしれない。


暗い地下で動けなくなっている時、外から誰かが音を返してくれたら、どれほど安心するだろう。


でも、その人はまだ助かったわけではない。


俺たちがいることを伝えられても、実際に外へ連れ出せるかどうかは分からないのだ。


「そうだね。だから、できるだけ早く状況を確認したい」


『はい』


俺たちは歩く速度を少し上げた。


資材置き場へ着くと、先ほど見張り番を救助した時に使った古い柵が見えた。


柵は閉じられ、その先へ立ち入らないよう目印が置かれている。


職人の一人が周囲を照らした。


『通気口があるとすれば、この辺りだと思うんだが……』


俺たちは資材置き場の中を調べ始めた。


ただし、地面が沈んだ場所に近づかないよう、職人たちが確認済みの範囲に限って探すことになった。


古い木材が積まれた場所。


石材が並んでいる場所。


使われなくなった道具を置くための小さな屋根。


そのどこにも、通気口らしいものは見当たらなかった。


「図面では、どの辺りになっていますか?」


俺が尋ねると、職人は持ってきた写しを広げた。


『ここだな。昔の資材置き場の北側に、小さな丸い印がある』


俺は周囲を見渡した。


北側には、古い石の壁が続いている。


壁の前には木材が積まれており、その一部は長い間動かされていないらしく、土や落ち葉が溜まっていた。


「もしかして、あの木材の後ろじゃないですか?」


俺が指すと、職人たちは明かりを向けた。


『可能性はあるな』


相馬さんが尋ねた。


「動かしても問題ない場所ですか?」


職人たちは木材の積み方と周囲の地面を確認した。


『壁にもたれかかっているわけじゃない。手前から順番に動かせば大丈夫だろう』


「分かりました。お願いします」


俺も手伝い、木材を少しずつ移動させた。


大きなものは職人たちが運び、俺は比較的軽いものを担当する。


しばらくすると、壁の下の方に四角い石板が見えてきた。


「……ありました!」


俺が声を上げると、職人が近づいてきた。


石板の中央には、細長い穴がいくつも開いていた。


穴の一部は土で塞がっていたが、奥へ続いているものもある。


職人は明かりを近づけ、慎重に調べた。


『これだと思う』


「通気口ですか?」


『ああ。古い造りだが、図面にあるものと形が合っている』


俺は石板を見つめた。


こんな場所に、地下へ続く穴が残っていたなんて。


長い間使われていなかった資材置き場の片隅に、昔の水路につながる設備が隠れていたのだ。


相馬さんは職人へ尋ねた。


「この穴は、どこまで続いているんですか?」


『図面通りなら、地下の退避用の部屋までだ。ただ、途中で曲がっているから、ここから中を見ることはできない』


「人が通れる大きさではないですね」


俺が言うと、職人は頷いた。


『そうだな。空気を通すためのものだから、人間が入ることはできない』


俺は少し残念に思った。


もしここから地下へ降りられれば、石の扉を開けずに救助できるかもしれないと思ったからだ。


でも、穴の幅は俺の腕が入るかどうかという程度しかない。


これでは、人を通すことはできそうになかった。


「声は届きそうですか?」


俺が尋ねると、相馬さんは石板を見た。


「試してみよう。ただし、穴を広げたり、石板を外したりするのはやめておこう」


「はい」


職人たちは石板の周囲を確認し、崩れそうな部分がないことを確かめた。


そのあと、俺たちは少し離れた場所から声をかけてみることにした。


フェナが石板へ向かって呼びかける。


『誰かいますか! こちらは救助に来た者です!』


俺たちは耳を澄ませた。


しかし、返事はなかった。


もう一度、フェナが声をかける。


『聞こえたら、何か音を出してください!』


しばらく待ってみたが、何も聞こえない。


俺は相馬さんを見た。


「通じていないんでしょうか」


「分からないな。穴が途中で塞がっている可能性もある」


職人が石板へ近づき、穴の状態を確認した。


『表面に土が詰まっているところはあるが、全部が塞がっているわけじゃない。ただ、奥の状態までは分からん』


俺は小さく頷いた。


せっかく通気口らしいものを見つけたのに、これでは地下にいるかもしれない人と連絡が取れない。


何か方法はないだろうか。


そう考えていると、相馬さんが職人へ尋ねた。


「昔は、ここから声を伝えていたんですか?」


『いや。これは空気を通すためのものだからな。声を伝えることまでは考えていなかったかもしれない』


「なるほど」


相馬さんは少し考えたあと、通信機を取り出した。


「瀬川、こちら相馬だ。資材置き場で通気口らしいものを見つけた」


『本当ですか?』


「ああ。ただ、声をかけても反応がない。図面上では退避用の部屋につながっているようだが、途中で塞がっている可能性もある」


『分かりました。こちらでも確認します』


「それと、地下の部屋から外へ音を伝える仕組みについて、詳しい記録は見つかったか?」


『はい。ちょうど確認できたところです』


俺は顔を上げた。


瀬川さんが続ける。


『退避用の部屋には、石の壁に取り付けられた金属製の板があったようです。その板を叩くと、外側の水路の壁へ音が伝わる構造になっていたと書かれています』


「なるほど。だから外から叩いた音も届くのか」


『その可能性が高いと思います。ただし、通気口とは別の設備です』


俺は石板を見た。


「じゃあ、こっちの穴から声が届かなくても、地下に人がいないとは限らないんですね」


『そうですね。音を伝える仕組みと、空気を通す仕組みは別のものだったようです』


相馬さんは頷いた。


「分かった。ありがとう。引き続き、退避用の部屋の位置と出入口を調べてほしい」


『了解しました』


通信を終えると、相馬さんは俺たちへ向き直った。


「ここは一度、このままにしておこう。通気口が残っていることは確認できた。あとは、地下の状態が分かってから判断したい」


「分かりました」


俺は頷いた。


その時だった。


職人の一人が、石板の前で首を傾げた。


『……ちょっと待ってくれ』


俺たちは振り返った。


「どうしました?」


『今、何か聞こえなかったか?』


俺は耳を澄ませた。


周囲は静かだった。


遠くで見張りの人たちが話している声は聞こえるが、石板の方からは何も聞こえない。


「俺には聞こえませんでした」


『そうか。気のせいかな……』


職人はもう一度、石板へ耳を近づけた。


相馬さんが声をかける。


「何か聞こえるんですか?」


『いや、はっきりとは……』


そこで職人が動きを止めた。


俺も息をひそめた。


すると、かすかに音が聞こえた。


何かが石を擦るような、小さな音だった。


「……聞こえました」


俺が言うと、職人は頷いた。


『ああ。奥からだ』


相馬さんがすぐに尋ねた。


「水の音ですか?」


『分からん。ただ、何かが動いているような音だ』


俺は石板を見つめた。


もしかして、地下にいる人が動いているのだろうか。


でも、それならどうして声をかけても返事がなかったのだろう。


俺たちはしばらく待った。


すると、また音がした。


今度は、さっきより少し大きかった。


石を擦るような音のあとに、短く何かを叩く音が混じった。


「相馬さん、これって……」


「ああ。何かが通気口の近くで動いているのかもしれない」


相馬さんは職人たちへ確認した。


「この穴を通して音を出す方法はありますか?」


職人の一人が考えた。


『細い棒を入れることはできるが、奥まで届くかどうかは分からん。それに、無理に突っ込めば中を傷つけるかもしれない』


「それは避けましょう」


相馬さんはすぐに答えた。


俺も頷いた。


通気口が地下の人たちにとって大切な空気の通り道になっているなら、塞いでしまうようなことはできない。


しばらく考えていると、フェナが口を開いた。


『ナオトさん、もう一度、声をかけてもいいですか?』


「うん。お願い」


フェナは石板から少し離れた場所に立ち、はっきりとした声で呼びかけた。


『こちらは救助に来た者です! 聞こえていますか!』


俺たちは耳を澄ませた。


返事はない。


フェナは少し間を置いて、続けた。


『聞こえていたら、一回だけ音を出してください!』


しばらく、何も起きなかった。


俺は諦めかけた。


その時、石板の奥から小さな音がした。


コン。


俺は顔を上げた。


「今、鳴りましたよね?」


職人たちも頷いた。


『ああ。一回だ』


フェナがもう一度呼びかけた。


『聞こえていますか! 聞こえていたら、もう一回お願いします!』


少し間があった。


そして、また音がした。


コン。


俺は思わず相馬さんを見た。


「返事です!」


相馬さんも頷いた。


「そうだな。ただ、今の音が本当にこちらへの返事なのか、もう少し確かめよう」


フェナは再び石板へ向かって声をかけた。


『今度は、二回音を出してください!』


俺たちは待った。


すると、奥から音が聞こえた。


コン、コン。


俺は思わず息をのんだ。


「……二回です」


相馬さんの表情も変わった。


「フェナ、もう一度頼めるか?」


『はい』


フェナは頷き、今度は少し違う言葉をかけた。


『こちらの声が聞こえているなら、三回音を出してください!』


しばらく待つ。


そして。


コン、コン、コン。


三回の音が聞こえた。


俺は胸の奥が熱くなるのを感じた。


今度こそ、偶然ではないと思った。


こちらが求めた回数に合わせて、音が返ってきている。


しかも、さっきまで返事がなかった通気口からだ。


「相馬さん、地下に誰かいます!」


俺が言うと、相馬さんは頷いた。


「その可能性は高い。まずは、声が届いていることを確認できたのが大きいな」


相馬さんは通信機を取り出し、瀬川さんへ連絡した。


「瀬川、通気口からの呼びかけに反応があった。こちらが指定した回数に合わせて音が返ってきている」


『本当ですか!』


「ああ。地下に人がいる可能性が高い。救難対応として準備を進めたい」


『分かりました。こちらでも必要な人員を確認します』


「それと、退避用の部屋に入るための別の道がないか、引き続き調べてほしい」


『了解しました』


通信を終えると、相馬さんは職人たちへ向き直った。


「ここから、もう少し詳しく状況を確認したいと思います。ただし、無理に穴を広げたり、石板を外したりすることはしません」


職人たちは頷いた。


俺も、何かできることがないか考えた。


通気口から声が届くなら、地下にいる人へ質問することはできる。


ただ、向こうの声がこちらまで届くかどうかは分からない。


今のところ、聞こえてくるのは小さな音だけだった。


「フェナ、人数を確認できないかな?」


俺が尋ねると、フェナは少し考えた。


『音の回数で答えてもらうんですね』


「うん。一人なら一回、二人なら二回って」


相馬さんも頷いた。


「そうだな。ただし、音を出せる人が一人だけという可能性もある。人数を聞く時は、周りに何人いるかを答えてもらおう」


「分かりました」


フェナは石板へ向かって声をかけた。


『そちらには、何人いますか! 人数と同じ回数だけ、音を出してください!』


俺たちは耳を澄ませた。


しばらく、何も聞こえなかった。


もしかしたら、質問の意味が伝わらなかったのかもしれない。


そう思った時だった。


コン。


一回、音がした。


俺は息を止めた。


しかし、それで終わりではなかった。


少し間を置いて、もう一回。


コン。


「……二人?」


俺が呟くと、相馬さんは頷いた。


「二回だな。ただ、もう一度確認しよう」


フェナが声をかけた。


『そちらには二人いるんですか! 二人なら二回、一人なら一回、音を出してください!』


しばらく待つ。


そして、音がした。


コン、コン。


二回だった。


俺は相馬さんを見た。


「二人、いるんですね」


「ああ。その可能性が高い」


相馬さんはすぐに続けた。


「次は怪我人がいるかどうかだな」


フェナが頷いた。


『怪我をしている人はいますか! いるなら一回、いないなら二回、音を出してください!』


俺は石板を見つめた。


返事が来るまでの時間が、やけに長く感じられた。


そして、音がした。


コン。


一回。


俺は胸が締めつけられるのを感じた。


「怪我人がいる……」


相馬さんは頷いた。


「ただ、どんな怪我なのかは分からない。動けるかどうかを確認しよう」


フェナがもう一度声をかけた。


『怪我をしている人は、自分で歩けますか! 歩けるなら一回、歩けないなら二回、音を出してください!』


俺たちは待った。


しかし、なかなか返事が来なかった。


しばらくして、かすかに音が聞こえた。


コン、コン。


二回。


俺は唇を噛んだ。


「歩けないんですね……」


相馬さんは静かに頷いた。


「そのようだな。ただ、ここからでは詳しい状態が分からない。何とか声を聞けるようにしたい」


俺も頷いた。


地下には二人いるらしい。


そのうち少なくとも一人は怪我をしていて、自分で歩くことができない。


もし水が流れ込んできたら、逃げることも難しいかもしれない。


そう考えると、胸の奥が落ち着かなかった。


「相馬さん、急いだ方がいいですよね」


「ああ。ただし、焦って危険な場所へ入れば、救助する側まで動けなくなる。今できることを一つずつ進めよう」


俺は頷いた。


分かっている。


分かっているつもりだった。


でも、地下に二人いると分かった途端、すぐにでも助けに行きたい気持ちが強くなっていた。


相馬さんは俺の肩に手を置いた。


「久世、今の確認は大きな前進だ。少なくとも、相手はこちらの声を聞いている。これなら、向こうの状況を少しずつ確かめられる」


「はい」


「それに、まだ救助の方法がないと決まったわけじゃない。古い図面を調べている人間もいるし、現場を知っている職人もいる。使える情報を集めよう」


俺は深く頷いた。


相馬さんの言う通りだった。


俺一人で何とかしようとする必要はない。


ここには、地下の構造を知っている人も、現場の安全を判断できる人もいる。


俺ができることは、その人たちと一緒に、助けるための方法を考えることだ。


その時、通信機が鳴った。


『相馬さん、瀬川です』


相馬さんが応答する。


「何か分かったか?」


『はい。退避用の部屋へ入るための経路について、追加の記録が見つかりました』


俺は顔を上げた。


「本当ですか?」


『ただし、少し問題があります』


相馬さんが尋ねた。


「どんな問題だ?」


『退避用の部屋には、二つの出入口があったようです。一つは北の見張り台の下にある石の扉。もう一つは、下流側の点検通路につながる扉です』


俺は図面を覗き込んだ。


確かに、四角い印の反対側にも細い線が伸びている。


「下流側から入れるんですか?」


『昔は入れたようです。ただ、今の状態は分かりません』


相馬さんが尋ねた。


「下流側の入口はどこにある?」


『町の外れにある古い水門の近くです。現在の水路とは別に、昔の点検用の通路が残っている可能性があります』


職人の一人が顔を上げた。


『古い水門なら、場所は分かるぞ』


フェナが通訳する。


俺は職人を見た。


「本当ですか?」


『ああ。今はほとんど使われていないが、町の北側を流れる水路の先にある。昔は、そこから水路の掃除をしていたと聞いたことがある』


相馬さんは頷いた。


「そこから退避用の部屋まで行ける可能性があるんですね」


『図面通りなら、そういうことになる。ただし、途中が崩れているかもしれんし、水が溜まっている可能性もある』


「分かりました。まずは入口の状態を確認しましょう」


俺は相馬さんを見た。


「今から行くんですか?」


「ああ。ただし、全員で移動する必要はない。こちらの通気口では引き続き連絡を取ってもらおう。俺たちは古い水門の位置と周囲の状態を確認する」


俺は頷いた。


相馬さんは職人たちと相談し、役割を決めた。


通気口には二人の職人が残り、地下にいる人たちとの連絡を続ける。


俺と相馬さん、フェナは、別の職人の案内で古い水門へ向かう。


ただし、水門の中へ入るかどうかは、現場の状態を確認してから判断することになった。


出発する前に、俺はもう一度、通気口へ向かって声をかけてもらった。


『こちらは、別の入口を探しに行きます! 必ず戻ってきますので、今いる場所で待っていてください!』


フェナの声が夜の資材置き場に響いた。


しばらくして、奥から音が返ってきた。


コン。


一回だった。


俺は少しだけ笑った。


「聞こえてるんですね」


フェナも頷いた。


『はい。きっと、待っていてくれます』


俺は石板を見つめた。


地下にいる二人は、俺たちがどこまで準備を進めているのか分からない。


でも、こちらが助けようとしていることだけは、伝わっていると思いたかった。


「必ず戻ってきます」


俺は小さく呟いた。


それから、相馬さんたちと一緒に資材置き場を離れた。


古い水門までは、町の北側を流れる水路に沿って歩く必要があった。


道は整備されていたが、夜のため足元が見えにくい。


職人が先頭を歩き、相馬さんがその後ろにつく。俺とフェナは少し間を空けて続いた。


水路からは、絶えず水の流れる音が聞こえていた。


俺はその音を聞きながら、地下の二人のことを考えていた。


もし退避用の部屋が今も残っているなら、二人はそこへ逃げ込んだのかもしれない。


でも、どうして地下へ入ったのだろう。


古い水路は、長い間使われていなかったはずだ。


しかも、町では地面が沈むような異常が起きている。


そんな場所に、わざわざ入る理由があったのだろうか。


「相馬さん」


俺は声をかけた。


「どうした?」


「地下にいる二人って、どうしてあそこにいるんでしょう」


相馬さんは少し考えた。


「分からないな。仕事で入ったのかもしれないし、何か別の理由があったのかもしれない」


「町の人たちは、誰も知らなかったんですよね」


「ああ。少なくとも、管理人が把握している範囲ではな」


相馬さんは水路へ視線を向けた。


「ただ、今は理由を考えるより、二人をどう助けるかが先だ。無事に戻ってきたら、本人たちに聞けばいい」


俺は頷いた。


確かに、その通りだった。


今の俺たちに必要なのは、地下へ入った理由を推測することではない。


二人を安全な場所へ連れ出す方法を見つけることだ。


しばらく歩くと、水路の幅が少し広くなった。


その先に、古い石造りの建物が見えてきた。


「ここだ」


職人が足を止めた。


『昔の水門だ。今は新しい水路が使われているから、ほとんど人が来ない』


俺は建物を見上げた。


石の壁には苔が生え、木製の扉は色が褪せている。


ただ、建物そのものはまだしっかり残っているように見えた。


「ここから地下へ入れるんですか?」


職人は頷いた。


『昔は、建物の裏に点検用の入口があったはずだ』


俺たちは建物の周囲を確認しながら、裏手へ回った。


そこには、地面へ向かって下りる石段があった。


石段の先には、古い鉄製の扉が見える。


「……ありましたね」


俺が言うと、相馬さんは頷いた。


「ああ。ただし、まだ近づかない方がいい」


職人は石段の上から、明かりを向けて状態を確認した。


石段の一部には土が溜まっているが、大きく崩れている様子はない。


ただ、扉の下の方は濡れていた。


「水が出ているんでしょうか」


俺が尋ねると、職人は首を傾げた。


『分からん。雨水が溜まっているだけかもしれないし、中から水が漏れているのかもしれない』


相馬さんはすぐに通信機を取り出した。


「瀬川、古い水門の点検口らしい場所を見つけた。入口は残っているが、扉の下が濡れている」


『分かりました。図面を確認します』


「こちらから中へ入る前に、水路の状態を把握したい。水位や流れについて、何か記録はあるか?」


『少し待ってください』


俺たちはその場で待った。


職人は石段の上から扉を見つめている。


俺も明かりを向けた。


すると、扉の下の隙間から、細い水の筋が伸びていることに気づいた。


「相馬さん、あそこ……」


俺が指すと、相馬さんも顔を向けた。


「水が出ているな」


「はい。少しずつですけど」


職人が頷いた。


『中に水が溜まっているのかもしれん』


俺は扉を見つめた。


もし、この先の通路が水で満たされているなら、地下の二人がいる場所まで進むのは難しい。


それどころか、無理に扉を開ければ水が流れ出してくる可能性もある。


相馬さんは静かに言った。


「ここから入るのは、今のところ難しそうだな」


俺は頷いた。


せっかく別の入口を見つけたのに。


そう思った時、通信機から瀬川さんの声が聞こえた。


『相馬さん、確認できました』


「どうだ?」


『古い水門から退避用の部屋へ続く通路には、途中に水を止めるための仕切りがあったようです』


「仕切り?」


『はい。点検作業中に水が流れ込まないよう、通路を区切るためのものです』


俺は顔を上げた。


「それが今も残っているんですか?」


『分かりません。ただ、図面では退避用の部屋の手前に描かれています』


相馬さんが尋ねた。


「その仕切りが閉まっていれば、退避用の部屋へ水が流れ込むのを防げるのか?」


『構造上はそうだと思います。ただし、今も正常に機能しているかどうかは分かりません』


俺は少し考えた。


もし仕切りが残っていて、水を止めているなら。


地下の二人は、まだ安全な場所にいられるかもしれない。


でも、逆に仕切りが壊れていたら。


その先の部屋へ水が流れ込んでいる可能性もある。


「相馬さん、通気口の方で水の状態を確認してもらえませんか?」


俺が尋ねると、相馬さんは頷いた。


「そうだな。向こうの二人に、水が入ってきているか聞いてみよう」


相馬さんは通気口に残っている職人へ連絡した。


「相馬だ。地下にいる人たちへ、水が流れ込んでいるか確認してほしい。水が入っているなら一回、入っていないなら二回で頼む」


『分かりました』


俺たちは返事を待った。


しばらくして、通信機が鳴った。


『相馬さん、返事がありました』


「どうだった?」


『二回です。今いる場所には、水が入ってきていないようです』


俺はほっと息を吐いた。


「よかった……」


相馬さんも頷いた。


「少なくとも、今すぐ水に追われている状況ではなさそうだな」


ただし、相馬さんはすぐに続けた。


「それでも安心はできない。水路の状態が変われば、状況も変わるかもしれない」


俺は頷いた。


今のところ、地下の二人がいる場所には水が入っていない。


でも、その状態がいつまで続くかは分からない。


俺たちは引き続き、救助の方法を探す必要があった。


相馬さんは古い水門を見つめた。


「ここから入るには、まず水の状態を調べなければならないな」


職人が頷いた。


『ああ。扉の向こうにどれだけ水が溜まっているか分からない以上、開けるのは危険だ』


「別の方法はありますか?」


俺が尋ねると、職人は少し考えた。


『昔の水門なら、水を抜くための設備が残っているかもしれない。ただ、今も動くかどうかは分からん』


相馬さんは頷いた。


「それを調べてみましょう。無理に扉を開けるより、安全に水を抜ける方法があるなら、そちらを考えたい」


俺も頷いた。


職人は建物の周囲を調べ始めた。


俺たちは明かりを持ち、足元を確認しながらそのあとをついていく。


古い水門の壁には、いくつかの金属製の取っ手や、使われなくなった操作用の設備が残っていた。


ただ、どれも長い間動かされていないらしく、錆びついている。


職人は一つずつ状態を確認した。


『これが昔の排水用の仕組みだと思うが……』


俺は近づいた。


「動かせそうですか?」


『今すぐには無理だな。どこにつながっているかも確認しないと、下手に動かして別の場所へ水を流してしまうかもしれん』


「そうですよね」


俺は頷いた。


水を抜くことができても、その水が町の別の場所へ流れ込んでしまっては意味がない。


今は住民たちが避難しているとはいえ、建物や道が壊れてしまう可能性もある。


相馬さんは通信機を取り、瀬川さんへ連絡した。


「瀬川、古い水門に排水用の設備が残っているようだ。図面で流れ先を確認できるか?」


『分かりました。調べてみます』


「頼む。それと、現地で設備を確認できる人員も必要だ。水路に詳しい人間がいれば、こちらへ来てもらいたい」


『了解しました。手配します』


通信を終えると、相馬さんは俺を見た。


「久世、ここは専門の人間が来るまで待とう」


「はい」


俺は頷いた。


正直、今すぐにでも何かしたかった。


でも、今の俺には水門の仕組みが分からない。


《帰り道》を使えば、帰る方向は分かるかもしれない。


ただ、それで水を止められるわけではないし、壊れた設備を直せるわけでもない。


まして、地下にいる二人の場所を探し当てることもできない。


今は、現場を知っている人たちの判断を待つしかなかった。


その時、通信機が鳴った。


『相馬さん、こちら通気口です』


相馬さんがすぐに応答した。


「どうした?」


『地下の人たちから、何度も音が返ってきています』


俺は顔を上げた。


「何か変わったんですか?」


『分かりません。ただ、さっきから三回ずつの音を繰り返しているんです』


相馬さんの表情が変わった。


「こちらから質問はしたか?」


『はい。何か困っていることがあるのか確認しようとしたんですが、同じ音が続いていて……』


俺は胸の奥がざわつくのを感じた。


三回ずつの音。


古い記録に残っていた、助けを求める合図。


さっきまでは、こちらの質問に合わせて回数を変えてくれていた。


それなのに、今は三回ずつの音を繰り返しているという。


「相馬さん、もしかして……」


「ああ。何か状況が変わったのかもしれない」


相馬さんはすぐに通信機へ声をかけた。


「水が入ってきていないか、もう一度確認してくれ」


『分かりました』


俺たちは返事を待った。


しばらくして、通信機が鳴った。


『相馬さん、返事がありました』


「どうだった?」


『……一回です』


俺は息をのんだ。


「水が入ってきたってことですか?」


『はい。さっきは二回だったのに、今は一回です』


相馬さんはすぐに尋ねた。


「水の量は確認できるか?」


『やってみます』


俺は通信機を見つめた。


地下の二人がいる場所に、水が入り始めたのかもしれない。


しかも、一人は怪我をして歩けない。


もし水が増え続けたら、どうなるのだろう。


俺は古い水門を見た。


扉の下からは、今も細い水の筋が伸びている。


さっきと比べて量が増えているかどうかは分からない。


でも、地下の状況が変わり始めているのなら、いつまでも待っているわけにはいかなかった。


「相馬さん……」


俺が声をかけると、相馬さんは頷いた。


「分かっている。だが、ここで無理に扉を開けるのは危険だ。まずは水の流れを確認する」


相馬さんは職人へ向き直った。


「排水用の設備について、もう少し詳しく確認できますか?」


職人は頷いた。


『ああ。ただ、動かす前に、どこへ水が流れるのか確かめたい』


「お願いします」


俺たちは再び建物の周囲を調べ始めた。


相馬さんは通信機で瀬川さんへ状況を伝え、地下の部屋へ水が入り始めた可能性があることを報告した。


『分かりました。こちらでも急いで確認します』


瀬川さんの声にも緊張が混じっていた。


俺は明かりを持ち、職人の作業を手伝った。


ただ、頭の中では地下の二人のことばかり考えていた。


暗い場所で助けを待っている。


一人は怪我をして歩けない。


そして、今は水が入り始めているかもしれない。


どれほど怖いだろう。


俺は無意識に拳を握った。


「久世」


相馬さんが声をかけた。


「はい」


「焦るな。今できることをやろう」


俺は頷いた。


「分かっています」


そう答えたものの、胸の奥は落ち着かなかった。


相馬さんは俺を見て、少しだけ声を柔らかくした。


「助けたい気持ちは分かる。でも、地下にいる二人にとって必要なのは、俺たちが無理をすることじゃない。安全に帰れる方法を見つけることだ」


俺は顔を上げた。


「……はい」


「だから、今は調べよう。分からないことを一つずつ減らしていく」


俺は深く頷いた。


その時、職人が声を上げた。


『相馬さん、これを見てくれ!』


俺たちは振り返った。


職人は古い水門の壁にある、小さな金属製の板を指していた。


『ここに、昔の水路の流れが描かれている』


俺は明かりを向けた。


金属板には、いくつかの線と矢印が刻まれていた。


長い年月の間に文字は薄くなっていたが、水路の流れを示す図らしい。


職人はその一角を指した。


『この排水用の設備は、地下の水を外の水路へ逃がすためのものだったようだ』


「じゃあ、ここを動かせば……」


俺が言いかけると、職人は首を横に振った。


『まだ分からん。今の水路につながっているかどうかも確認しないといけない』


相馬さんは頷いた。


「そうですね。ここは記録と照らし合わせましょう」


職人は金属板の図を紙に写し始めた。


俺は明かりを持ちながら、その作業を見守った。


少しずつ、昔の水路の構造が分かってきている。


でも、地下の二人を助けるには、まだ足りない。


その時、通信機が鳴った。


『相馬さん!』


通気口に残っている職人の声だった。


「どうした?」


『地下の人たちから、返事がありました!』


俺は顔を上げた。


「水の量は分かりましたか?」


『はい。さっき、足元に水があるかどうか確認したんです』


相馬さんが尋ねた。


「どうだった?」


『水が入ってきているそうです。それと、もう一つ確認できました』


「何だ?」


『水の量が増えているかどうか、聞いてみたんです。増えているなら一回、変わらないなら二回で』


俺は息を止めた。


『返事は、一回でした』


相馬さんの表情が変わった。


「水が増えているのか……」


『はい。しかも、そのあと何度も三回ずつ音を出しています』


俺は通信機を見つめた。


地下の二人は、助けを求めている。


さっきまでは、こちらの質問に答える余裕があった。


でも、今は何度も救助を求める合図を繰り返しているという。


相馬さんはすぐに言った。


「分かった。こちらでも救助の準備を進めている。向こうには、必ず連絡を続けてくれ。それと、水がどこまで来ているか、できる範囲で確認してほしい」


『了解しました』


通信が終わった。


俺は相馬さんを見た。


「相馬さん、急がないと……」


「ああ」


相馬さんは頷いた。


「ただし、無理に扉を開けることはしない。今の状況でそれをやれば、地下にいる二人まで危険にさらすかもしれない」


俺は頷いた。


分かっている。


でも、時間がないかもしれない。


相馬さんは通信機を握り直し、瀬川さんへ連絡した。


「瀬川、地下の部屋に水が入り始めている。しかも、量が増えているらしい」


『分かりました。こちらでも状況を確認しています』


「排水用の設備について、何か分かったか?」


『はい。今、古い図面と現在の水路の記録を照合しています』


「急いでほしい。ただし、確認できないまま設備を動かすつもりはない」


『了解しました』


俺は相馬さんの横で、通信の内容を聞いていた。


しばらくして、瀬川さんが続けた。


『相馬さん、一つ確認したいことがあります』


「何だ?」


『今いる古い水門の近くに、地面から突き出た大きな石の柱はありませんか?』


俺は周囲を見渡した。


水門の建物の横に、腰ほどの高さの石柱が立っている。


「あります!」


俺が答えると、瀬川さんは続けた。


『その柱の近くに、古い操作用の設備が残っているはずです』


職人がすぐに石柱へ近づいた。


『ああ。確かにあるぞ』


俺も明かりを向けた。


石柱の根元には、金属製の大きな輪が取り付けられていた。


ただ、長い間使われていなかったらしく、表面には錆が浮いている。


「これですか?」


『おそらく、それです』


相馬さんが尋ねた。


「何のための設備なんだ?」


『昔の記録では、地下の点検通路へ流れ込む水を調整するためのものだったようです』


俺は顔を上げた。


「じゃあ、これを動かせば水を止められるんですか?」


『可能性はあります。ただし、今の状態で動かしていいかどうかは分かりません』


職人が金属製の輪を調べた。


『確かに、昔の水門を操作するためのものに見える。ただ、今もつながっているかどうかは分からんな』


相馬さんは頷いた。


「まずは、設備の状態を確認しましょう」


職人は道具を取り出し、輪の周囲を調べ始めた。


俺は明かりを持ち、作業の邪魔にならない場所で待った。


もし、この設備で水の流れを変えられるなら。


地下の二人がいる場所へ水が流れ込むのを止められるかもしれない。


でも、間違った操作をすれば、別の場所へ水を流してしまう可能性もある。


俺は祈るような気持ちで、職人の作業を見守った。


しばらくして、職人が顔を上げた。


『相馬さん、設備そのものは残っている。ただ、今すぐ動かせるかどうかは分からん』


「そうですか」


『ああ。しかも、操作する方向を間違えれば、水を止めるどころか増やしてしまう可能性もある』


俺は息をのんだ。


相馬さんは静かに頷いた。


「分かりました。図面で確認できるまで、動かさないでください」


『ああ。その方がいい』


俺は石柱を見つめた。


助けるための設備が、目の前にあるかもしれない。


でも、今は動かすことができない。


もどかしかった。


その時、通信機が鳴った。


『相馬さん、こちら通気口です!』


職人の声が、さっきよりも切迫していた。


「どうした?」


『地下の人たちから、また返事がありました!』


「何か変わったのか?」


『はい。水がどこまで来ているか、確認していたんですが……』


俺は通信機を見つめた。


『最初は足元だけだったようです。でも、今は……』


職人の声が途切れた。


相馬さんが尋ねる。


「今は、どうなっている?」


『膝の高さまで来ているそうです』


俺は言葉を失った。


膝の高さ。


しかも、一人は怪我をして歩けない。


このまま水が増え続ければ、二人とも危険な状態になる。


相馬さんはすぐに尋ねた。


「二人は今、同じ場所にいるんだな?」


『はい。確認しました。二人とも同じ部屋にいるようです』


「分かった。こちらでも急いで対応する。引き続き連絡を取ってくれ」


『了解しました』


通信が終わった。


俺は相馬さんを見た。


「相馬さん……」


「ああ。状況は厳しくなっている」


相馬さんは石柱の操作用設備へ視線を向けた。


「だが、ここで焦って動かせば、取り返しのつかないことになるかもしれない」


俺は頷いた。


分かっている。


それでも、何かできることはないだろうか。


俺は古い水門を見た。


扉の下からは、今も水が流れ出している。


その水がどこから来ているのか。


どこへ流れているのか。


それが分かれば、何か方法が見つかるかもしれない。


「相馬さん、俺にできることはありませんか?」


俺が尋ねると、相馬さんは少し考えた。


「久世には、引き続き現場の確認を手伝ってほしい。ただし、危険な場所へ入る必要はない」


「分かりました」


「それと、もし地下へ入ることになった場合は、《帰り道》の力が必要になるかもしれない。その時のためにも、今は無理をしないでくれ」


俺は頷いた。


《帰り道》は、帰る方向を教えてくれる。


でも、それだけだ。


地下にいる人を見つけることも、壊れた水門を直すこともできない。


だからこそ、今はみんなで力を合わせるしかない。


俺は明かりを持ち直し、職人たちの作業を手伝った。


その時、瀬川さんから通信が入った。


『相馬さん、確認できました!』


相馬さんがすぐに応答する。


「どうだ?」


『古い水門の操作用設備について、詳しい記録が見つかりました』


俺は顔を上げた。


『その設備は、地下の点検通路へ流れ込む水を調整するためのものです。ただし、通常の水門とは少し違う構造になっています』


「どう違うんだ?」


『操作すると、水の流れを二つの経路に分けられるようです。一つは現在の水路へ流す経路。もう一つは、古い点検通路の下を通る排水路です』


俺は図面を覗き込んだ。


「じゃあ、今はどっちに流れているんですか?」


『それが、まだ分からないんです』


相馬さんが尋ねた。


「確認する方法はあるか?」


『はい。操作用の設備の近くに、水の流れを示す印が残っているはずです』


職人がすぐに石柱を調べ始めた。


しばらくして、声を上げた。


『あったぞ!』


俺は明かりを向けた。


石柱の側面に、小さな矢印が刻まれていた。


その下には、二つの印がある。


一つは水路を示すような波の形。


もう一つは、四角い部屋のような形だった。


「これですか?」


俺が尋ねると、瀬川さんが答えた。


『おそらく、それです。現在の位置を確認してください』


職人は金属製の輪の位置を調べた。


そして、顔を上げた。


『……相馬さん』


「どうしました?」


『今の位置だと、古い点検通路の方へ水が流れる状態になっているようだ』


俺は息をのんだ。


「じゃあ、それが原因で……」


相馬さんはすぐに言った。


「まだ断定はできない。ただ、地下へ水が流れ込んでいることとは関係しているかもしれない」


俺は頷いた。


相馬さんは通信機へ向かって尋ねた。


「瀬川、この設備を動かして現在の水路側へ切り替えれば、地下への流入を減らせる可能性はあるか?」


『図面上では、あります。ただし、現在の水路がその水量を受け入れられるかどうかは確認が必要です』


「分かった。そこを急いで確認してくれ」


『了解しました』


通信が終わった。


俺は石柱を見つめた。


もしかしたら、この設備を動かすことで、地下の二人を助けられるかもしれない。


でも、今すぐ動かすわけにはいかない。


現在の水路が水を受け止められなければ、別の場所で被害が出る可能性があるからだ。


相馬さんは職人たちと相談し、水路の状態を確認するための人員を手配した。


俺も明かりを持ち、周囲の水の流れを確認した。


その間も、通信機からは地下の二人の状況が伝えられていた。


水は少しずつ増えているらしい。


ただ、二人ともまだ音を返すことができている。


俺はその報告を聞くたびに、少しだけ安心し、同時に焦りを感じていた。


一刻も早く助けたい。


でも、間違った方法では助けられない。


その二つの気持ちが、胸の中でぶつかっていた。


しばらくして、瀬川さんから連絡が入った。


『相馬さん、現在の水路の状態を確認できました』


「どうだ?」


『今のところ、水位には余裕があります。水路を管理している担当者にも確認しましたが、古い点検通路から流れを切り替えても、すぐに溢れるような状態ではないそうです』


俺は顔を上げた。


「じゃあ……」


相馬さんは頷いた。


「切り替えを検討できそうだな」


ただし、相馬さんはすぐに職人へ確認した。


「設備を安全に動かせる状態ですか?」


職人は金属製の輪を調べた。


『かなり古いが、固定されている部分は残っている。ただ、無理に力をかけると壊れるかもしれん。少しずつ動かして、様子を見る必要がある』


「分かりました。お願いします」


職人は頷いた。


俺たちは少し離れた場所へ下がり、作業を見守った。


職人は道具を使い、金属製の輪をゆっくりと動かし始めた。


最初は、まったく動かなかった。


錆びついた金属が、かすかに軋む音を立てる。


職人は力を緩め、もう一度状態を確認した。


『無理に回すと折れるな……』


もう一人の職人が近づき、相談を始めた。


俺は明かりを向けながら、その様子を見守った。


しばらくして、二人は道具の位置を変えた。


今度は少しずつ力をかけていく。


すると、金属製の輪がわずかに動いた。


『……よし』


職人が小さく声を上げた。


俺は息をのんだ。


輪はゆっくりと回り始めた。


ただ、途中で大きな音がした。


ガコン。


俺は思わず身構えた。


「大丈夫ですか?」


職人はすぐに手を止めた。


『ああ。今のは中の仕組みが動いた音だと思う。ただ、まだ確認が必要だ』


相馬さんは頷いた。


「無理に続けないでください」


『分かってる』


職人たちは設備の状態を確認した。


しばらくして、一人が顔を上げた。


『相馬さん、切り替えの位置まで動いたようだ』


俺は思わず声を上げた。


「本当ですか!」


『ああ。ただし、実際に水の流れが変わったかどうかは、確認しないと分からん』


相馬さんはすぐに通信機を取り出した。


「瀬川、こちらの設備を切り替えた。現在の水路の水位に変化がないか確認してほしい」


『了解しました』


続いて、通気口に残っている職人へ連絡した。


「地下の二人に、水が増え続けているか確認してくれ」


『分かりました』


俺たちは返事を待った。


古い水門の周囲には、水の流れる音だけが響いていた。


俺は石柱を見つめた。


もし、これで地下への水の流れが減ってくれたら。


二人を助けるための時間を確保できるかもしれない。


しばらくして、通信機が鳴った。


『相馬さん、こちら通気口です!』


「どうだった?」


『地下の人たちから返事がありました!』


俺は息を止めた。


『水が増え続けているか確認したところ、二回の音が返ってきました!』


俺は顔を上げた。


「二回……」


相馬さんが尋ねた。


「水が増えていないという返事だな?」


『はい! もう一度確認しましたが、同じでした!』


俺は思わず息を吐いた。


「よかった……!」


相馬さんも小さく頷いた。


「少なくとも、流入が弱まった可能性はあるな」


ただし、相馬さんはすぐに続けた。


「水が減ったわけではない。引き続き確認を頼む」


『了解しました』


通信が終わった。


俺は石柱を見つめた。


古い設備を動かしたことで、地下への水の流れが変わったのかもしれない。


まだ安心はできない。


でも、さっきまで増え続けていた水が止まったのなら、それだけでも大きな前進だった。


「相馬さん、これで少し時間ができましたね」


俺が言うと、相馬さんは頷いた。


「ああ。ただし、いつまでこの状態が続くかは分からない。救助の準備を進めよう」


俺も頷いた。


相馬さんは通信機を取り、瀬川さんへ連絡した。


「瀬川、地下の水位が上がらなくなったという返事があった。こちらの切り替えが効いた可能性がある」


『分かりました。現在の水路でも水位の変化を確認していますが、今のところ問題はなさそうです』


「ありがとう。引き続き確認を頼む」


『了解しました』


通信を終えると、相馬さんは古い水門の扉へ視線を向けた。


「次は、この先の通路をどう確認するかだな」


俺も扉を見た。


扉の下からは、まだ少し水が流れ出している。


ただ、さっきより量が減っているようにも見えた。


「ここから入れるようになりますか?」


俺が尋ねると、職人は首を傾げた。


『まだ分からん。中にどれだけ水が残っているか確認しないといけない』


「そうですよね」


俺は頷いた。


相馬さんは続けた。


「それに、通路が崩れている可能性もある。まずは中の状態を確認する方法を考えよう」


俺は頷いた。


地下にいる二人を助けるためには、まだいくつもの問題が残っている。


でも、少なくとも水の流れを変えることはできた。


今まで分からなかった地下の構造も、少しずつ見えてきている。


俺は古い水門を見つめた。


この先に、二人が待っている。


そのうち一人は怪我をして歩けない。


だからこそ、俺たちは安全に迎えに行ける方法を見つけなければならない。


その時、通信機が鳴った。


『相馬さん、こちら通気口です』


相馬さんが応答する。


「どうした?」


『地下の人たちから、また返事がありました』


「水の状態に変化があったのか?」


『いえ。水は増えていないようです。ただ……』


職人の声が少し変わった。


『今、別の質問をしてみたんです』


俺は顔を上げた。


「別の質問?」


『はい。怪我をしていない方が、自分で歩けるかどうか確認しました』


相馬さんが尋ねた。


「どうだった?」


『一回の音が返ってきました。歩けるようです』


俺は少し安心した。


少なくとも、一人は自分で動ける。


それなら、救助の方法も考えやすくなるかもしれない。


しかし、職人は続けた。


『それで、もう一つ確認したんです』


「何を?」


『怪我をしている方が、今も意識があるかどうかです』


俺は息をのんだ。


相馬さんも表情を変えた。


「返事は?」


『……まだありません』


俺は言葉を失った。


『怪我をしていない方に、もう一人の様子を確認してもらっているんですが、返事がなくて……』


相馬さんはすぐに言った。


「分かった。無理に音を出させる必要はない。怪我をしていない方が答えられる範囲で確認してくれ」


『了解しました』


通信が終わった。


俺は相馬さんを見た。


「相馬さん……」


「ああ。怪我をしている人の状態が心配だな」


相馬さんは古い水門を見つめた。


「水の流入が弱まったとしても、救助を急ぐ必要があることに変わりはない」


俺は頷いた。


その時、通信機が再び鳴った。


『相馬さん!』


「どうした?」


『返事がありました!』


俺は息を止めた。


『怪我をしている方の意識があるかどうか、確認できました』


相馬さんが尋ねる。


「どうだった?」


『……二回です』


俺は言葉を失った。


二回。


意識がないという返事だった。


地下には二人いる。


そのうち一人は怪我をして歩けず、今は意識もないらしい。


俺は古い水門の扉を見つめた。


その向こうに、助けを待っている人がいる。


しかも、時間が経つほど危険な状態になっているかもしれない。


相馬さんは通信機を握り直した。


「分かった。こちらでも救助の準備を急ぐ。引き続き、地下の人たちとの連絡を続けてくれ」


『了解しました』


通信が終わった。


俺は相馬さんを見た。


「相馬さん、俺もできることをします」


相馬さんは頷いた。


「ああ。頼む」


俺は深く息を吸った。


今まで、何度も人を助けてきた。


でも、今回のように、助けを待っている人の姿すら見えない状況は簡単ではない。


それでも、やることは変わらない。


誰かが助けを求めているなら、その人を安全な場所へ連れて帰る。


そのために、今できることを一つずつ進める。


俺は古い水門を見つめた。


扉の向こうには、まだ誰も知らない地下の通路が続いている。


そして、その先には二人が待っている。


俺たちはまだ、二人の顔も名前も知らない。


でも、助けを求める音は確かに届いている。


俺は拳を握った。


今度は、俺たちがその音に応える番だった。

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