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ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


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第140話 全員そろってから

「その図面は、今ここにあるんですか?」


東の見張り台から戻ってきた男に尋ねると、男は首を横に振った。


『いや、職人が持ってる。かなり古いものらしくてな。破れないように広げて確認しているところだ』


フェナが通訳してくれる。


俺は相馬さんを見た。


東と西の見張り台が、地下の水路でつながっているかもしれない。もし本当なら、今日起きた二つの異常には共通する原因がある可能性が高い。


ただ、図面が古いという点は気になった。建物も道路も、長い年月の間に変わっているはずだ。昔の図面に水路が描かれていたからといって、今も同じ場所を水が流れているとは限らない。


相馬さんも同じことを考えていたらしい。


「まず、図面を確認しよう。それと、東の見張り台にいる人たちは全員退避しているんだな?」


『ああ。見張り番も職人も、建物から離れている』


「人数は確認したか?」


男は少し考えた。


『見張り番が二人、調べに来た職人が二人だ。四人とも無事だよ』


「分かった。建物には近づかないよう、もう一度伝えてくれ」


フェナが通訳すると、男は頷いた。


相馬さんは続けて、西門の見張りを担当している人たちへ声をかけた。


「西の坂道についても、今夜は通行を控えてもらいたい。荷車が止まっている場所は、地面の状態が変わっている可能性がある」


フェナがその言葉を伝えると、見張りの担当者たちはすぐに相談を始めた。


荷車を取りに行こうとする人がいないよう、町の中でも知らせておく必要がある。今日助けた御者が、荷物のことをずっと気にしていたのを思い出した。


「相馬さん、荷車の持ち主にも伝えた方がいいですよね」


「ああ。明日になれば取りに行けると思っているかもしれないからな。安全を確認するまでは待ってもらおう」


「分かりました」


俺がフェナに頼もうとすると、リュシアが手を挙げた。


『私、伝えてくる!』


「ありがとう。でも、もう暗くなってきたから、フェナと一緒に行ってくれる?」


『うん!』


リュシアは元気よく頷いた。


フェナも微笑んだ。


『では、私たちは御者さんに伝えてから、管理人さんの建物へ向かいますね』


「うん。気をつけて」


二人が歩いていくのを見送り、俺は相馬さんと一緒に町の管理人がいる建物へ向かった。


広場には夕食を終えた人たちが集まり始めていた。見張り台の事故について話しているらしく、俺たちが通ると何人かが心配そうな顔を向けてくる。


その中には、今日助けた親方の仲間もいた。


『親方は大丈夫なのか?』


一人の職人が相馬さんに尋ねた。


俺が分かる範囲で答えると、職人は安心したように息を吐いた。


『よかった。あの人がいなくなったら、困る仕事が山ほどあるからな』


「しばらくは休ませてあげてください」


俺が言うと、職人は苦笑した。


『そうしたいんだが、本人が言うことを聞くかどうか……』


その言葉に、俺も笑ってしまった。


親方の様子を思い出せば、確かに大人しく休んでくれるかどうかは分からない。


ただ、今は無理をしてほしくなかった。


町の建物に問題が見つかったからといって、怪我をした人まで働かなければならないわけではない。


必要な仕事を、できる人たちで分担する。


今日の話し合いで、相馬さんが何度も伝えていたことだった。


管理人の建物へ入ると、机の上には大きな図面が広げられていた。


先ほど見た町の地図とは違い、細かな線や数字がびっしりと書き込まれている。ところどころ紙が変色し、端には破れた部分もあった。


図面の周りには、管理人と数人の職人が集まっていた。


『ちょうどよかった。こちらを見てくれ』


管理人が俺たちを呼んだ。


相馬さんが机へ近づき、俺も隣から図面を覗き込む。


「これが古い水路の図面ですか?」


フェナがまだ戻っていないため、俺は覚えている言葉を交えながら尋ねた。


管理人は頷き、図面の右側を指した。


『ここが東の見張り台だ』


その指が、細い線をたどっていく。


線は町の内側へ入り、いくつかの建物の下を通って西へ伸びていた。


途中には分岐があり、別の線が町の北側へ向かっている。


俺は思わず身を乗り出した。


「こんなに長いんですか?」


管理人は頷いた。


『昔は、町の東側に水が集まりやすかったらしい。それを西の低い土地へ流すために作られたそうだ』


相馬さんが図面を見ながら尋ねる。


「今も使われているのか?」


管理人は首を横に振った。


『それが分からない。今の排水路とは別に、昔のものが残っているという話は聞いていたんだが……』


職人の一人が口を開いた。


『何度か工事をしているはずなんだ。古い水路を塞いだり、新しい道を作ったりしてな。ただ、工事の記録が全部残っているわけじゃない』


俺は図面に描かれた線を見つめた。


東の見張り台。


西の見張り台。


そして、今日荷車が動けなくなった坂道。


三つの場所は、古い水路の近くにあった。


偶然かもしれない。


でも、別々の場所で普段は見られない水が出ていることを考えると、無関係だと決めつけることもできなかった。


「この線が、今も全部つながっているとは限らないんですよね?」


俺が尋ねると、相馬さんが頷いた。


「そうだ。途中で埋められている可能性もあるし、別の場所へ流れるように変えられているかもしれない」


「じゃあ、実際に確認するしかないですね」


「ああ。ただし、今夜は地下へ入って調べるべきじゃない」


相馬さんは図面から顔を上げた。


「水が流れ込んでいる場所へ人を入れれば、また事故が起きるかもしれない。まずは地上から確認できることを整理しよう」


管理人が頷いた。


『そうだな。職人たちにも、無理に石を外さないよう伝えておく』


その時、図面を見ていた年配の職人が、少し難しい顔をした。


『待ってくれ。この図面、何かおかしくないか?』


管理人が振り返る。


『どういうことだ?』


『この辺りだ』


職人は町の東側を指した。


『昔の図面だと、ここには建物がない。でも、今は家が並んでいるだろう?』


管理人は頷いた。


『ああ。東の通りにある家だな』


『そうだ。もし水路が今もこの下を通っているなら、家の土台にも影響が出ているかもしれない』


俺は顔を上げた。


「家の下にも水路があるんですか?」


相馬さんがすぐに尋ねた。


「その家では、何か異常が報告されているのか?」


管理人は首を横に振った。


『今のところ、聞いていない』


「なら、まずは外から確認してもらおう。異常が見つからなくても、今夜は念のため住んでいる人たちへ事情を説明した方がいい」


『分かった』


管理人は職人たちに指示を出した。


俺は図面をもう一度見た。


古い水路が通っているかもしれない場所には、現在四軒の家が並んでいるという。


その家に住んでいる人たちは、見張り台の異常が自分たちの生活に関係するかもしれないとは、まだ思っていないだろう。


もし何か起きてから知らせることになれば、避難する時間が足りなくなるかもしれない。


「相馬さん、俺も行きます」


「東の通りか?」


「はい。町の人たちに事情を説明するなら、人手があった方がいいと思うので」


相馬さんは少し考えてから頷いた。


「そうだな。ただし、現場の確認は職人に任せる。俺たちは住民の状況を確認する方に回ろう」


「分かりました」


俺たちが建物を出ようとしたところで、フェナとリュシアが戻ってきた。


『ナオト! 御者さんに伝えてきたよ!』


リュシアが嬉しそうに報告してくれる。


「ありがとう。何て言ってた?」


『明日も取りに行けないかもしれないのは残念だけど、人が無事なら仕方ないって!』


「そっか。分かってもらえてよかった」


フェナも頷いた。


『荷物については、町の人たちと相談するそうです。無理に取りに行かないと約束してくれました』


「ありがとう。助かったよ」


俺がそう言うと、リュシアは満足そうに笑った。


そのあと、相馬さんがフェナへ東の通りについて説明した。


話を聞いたフェナは、すぐに表情を引き締めた。


『分かりました。私も一緒に行きます』


「頼む。住民への説明を手伝ってほしい」


『はい』


俺たちは職人たちと一緒に東の通りへ向かった。


町の中心から東へ進むにつれて、道は少し狭くなっていった。


家々の間には石畳が敷かれているが、古い部分も多いらしく、ところどころ高さが揃っていない。


東の見張り台は、その通りの先に立っていた。


建物の周囲には明かりを持った人たちが集まっていたが、全員が十分に距離を取っている。


近くにいた職人が俺たちへ声をかけた。


『こっちだ。見てほしい場所がある』


俺たちは案内されるまま、見張り台から少し離れた道へ向かった。


職人が指したのは、石畳の端だった。


『ここだ』


俺は足元を見た。


石の隙間に、細い水の流れができている。


雨が降ったわけでもないのに、地面が濡れていた。


「これ、さっきからですか?」


フェナが通訳すると、職人は頷いた。


『ああ。最初は見張り台の近くだけだったんだが、こっちにも水が出てきた』


相馬さんがしゃがみ込み、少し離れた場所から地面の状態を確認した。


「水がどこから来ているのかは、まだ分からないんだな?」


『そうだ。石を外せば確認できるかもしれないが、今は触っていない』


「それでいい。地面の下に空間がある可能性もあるからな」


俺は周囲を見渡した。


水が出ている場所から少し先に、家が並んでいる。


今のところ建物が傾いているようには見えない。


ただ、外から見ただけでは土台の状態までは分からなかった。


「相馬さん、住んでいる人たちには早めに知らせた方がよさそうですね」


「ああ。まずは家の外へ出てもらおう」


俺たちは手分けして四軒の家を訪ねた。


フェナが事情を説明すると、住民たちは驚いた顔をした。


『見張り台の下に水が出ているのか?』


『うちの家は大丈夫なの?』


『今夜はどこで寝ればいいんだ?』


次々と質問が飛んでくる。


俺もできる限り答えようとしたが、まだ分かっていないことが多かった。


家が危険だと決まったわけではない。


ただ、安全だとも言い切れない。


だから、今夜は念のため別の場所で過ごしてもらいたい。


相馬さんは、その点を丁寧に説明していた。


「今すぐ家が壊れると決まったわけではありません。ただ、原因が分かるまでは、建物の中にいるより安全な場所へ移ってもらった方がいいと思います」


フェナが通訳すると、住民たちは顔を見合わせた。


『荷物はどうすればいい?』


一人の女性が尋ねた。


相馬さんは答えた。


「今すぐ必要なものだけ持ってください。大きな荷物は、後で安全を確認してから取りに戻ることを考えましょう」


女性は少し迷ったあと、頷いた。


『分かった。子どもを連れてくる』


俺はその言葉を聞いて、少し安心した。


家を離れるという判断は、簡単ではないと思う。


長く暮らしてきた場所なら、なおさらだ。


それでも、住民たちは事情を理解し、協力してくれた。


俺たちは四軒の住民を町の広場へ案内することにした。


管理人が確認したところ、四軒に住んでいるのは全部で十三人だった。


子どももいれば、年配の人もいる。


歩くのが遅い人には、近所の人が付き添ってくれた。


リュシアも小さな子どもの手を引き、楽しそうに話しかけている。


『大丈夫だよ! 広場に行けば、みんないるから!』


その言葉を聞いた子どもは、少し安心したようだった。


俺は二人の後ろを歩きながら、周囲を確認した。


避難する人たちは、慌てて走ることもなく、落ち着いて移動している。


まだ大きな異常が起きていないうちに知らせることができたのは、よかったと思う。


ただ、広場へ戻ったところで、一つ問題が見つかった。


「十二人……?」


管理人が人数を数え直していた。


俺も集まった人たちを見た。


大人が何人かと、子どもたち。


確かに、管理人が確認していた十三人には一人足りない。


「誰がいないんですか?」


俺が尋ねると、管理人は住民の名簿を確認した。


『東の通りに住んでいる、年配の職人だ』


近くにいた女性が顔を上げた。


『あの人なら、作業小屋に行ったはずだよ』


「作業小屋?」


『昔の工事の記録を探してくるって言ってたんだ。見張り台の水の話を聞いて、何か思い出したらしくてね』


俺は相馬さんを見た。


相馬さんも表情を引き締めていた。


「いつ行ったんだ?」


女性は少し考えた。


『私たちが家を出る前だよ。すぐ戻るって言ってたんだけど……』


「場所は分かりますか?」


『東の通りの裏手だ。古い道具を置いている小屋があるんだよ』


相馬さんはすぐに管理人へ確認した。


「そこへ向かった人は、ほかにいるか?」


『いや。まだ誰も行っていないはずだ』


「分かった。まずは状況を確認しよう」


俺は東の通りを振り返った。


さっきまで人が住んでいた場所だ。


そこから全員を連れてきたつもりだったのに、一人だけ戻っていない。


「相馬さん、俺も行きます」


「ああ。ただし、いきなり小屋へ入るなよ。まずは外から呼びかける」


「分かりました」


フェナが一歩前へ出た。


『私も行きます。言葉が通じないと困ると思うので』


「頼む」


リュシアもついてこようとしたが、俺は首を横に振った。


「リュシアは、ここでみんなと待っていてくれる?」


『またお留守番?』


「うん。今度は、戻ってきた人の人数を一緒に数えてほしいんだ」


『人数?』


「そう。今は十二人いるから、あと一人戻ってきたら十三人になるよね」


リュシアは少し考えたあと、大きく頷いた。


『分かった! ちゃんと数える!』


「ありがとう」


俺たちは管理人から場所を聞き、東の通りへ戻ることにした。


ただ、相馬さんはすぐには歩き出さなかった。


「久世、少し待て」


「はい?」


「先に、現場を知っている職人を呼ぼう。小屋の周囲も地面が濡れている可能性がある」


俺は頷いた。


「そうですね。俺たちだけじゃ、どこが危ないのか分からないですし」


相馬さんは近くにいた職人へ事情を説明した。


職人はすぐに仲間を呼び、道具を持って戻ってきた。


二人とも、先ほど東の見張り台を確認していた人たちだった。


『あの小屋なら知ってる。裏側に細い道があるはずだ』


『ただ、表の道は水が出ている場所に近い。裏から回った方がいいかもしれないな』


フェナが通訳してくれる。


相馬さんは頷いた。


「分かった。まずは裏側から確認しよう」


俺たちは職人たちの案内で東の通りへ向かった。


町の中心から少し離れると、人通りはほとんどなくなっていた。


家々の窓には明かりが灯っているが、先ほど避難してもらった四軒だけは暗いままだ。


その間を通り抜け、裏手の細い道へ入る。


道は緩やかに上っていた。


職人の一人が前方を指した。


『あれだ』


古い木造の小屋が見えた。


周囲には道具や木材が置かれ、壁には長い年月を感じさせる傷がいくつも残っている。


ただ、近づいてみると、少し様子がおかしかった。


小屋の正面側の地面が濡れている。


そして、建物の下から細い水が流れ出していた。


「相馬さん……」


「ああ。まずは呼びかけよう」


俺たちは小屋から少し離れた場所で足を止めた。


フェナが大きな声を出す。


『誰かいますか! 町の管理人さんから頼まれて来ました!』


返事はなかった。


俺は耳を澄ませた。


小屋の中から、何かを動かすような音が聞こえる。


「中にいるんじゃないですか?」


相馬さんが頷いた。


「もう一度呼んでみよう」


フェナが声をかける。


すると、今度は返事があった。


『いるぞ! こっちだ!』


俺は思わず顔を上げた。


「よかった。返事がありました!」


ただ、男の声には焦りが混じっていた。


『扉が開かなくなった! 誰か外から見てくれ!』


フェナが急いで通訳する。


相馬さんは職人たちへ確認した。


「扉の状態を調べられるか?」


『ああ。ただ、正面には近づかない方がいい。裏にもう一つ扉があるはずだ』


「なら、そちらを確認しよう」


俺たちは小屋の裏側へ回った。


裏手の道は少し高い場所にあり、地面も乾いていた。


職人が明かりを近づけると、壁の端に小さな扉が見つかった。


『ここだ』


職人が取っ手を引く。


しかし、扉は動かなかった。


『おかしいな。内側から何かが引っかかってるのか?』


もう一人の職人が扉の隙間を確認した。


『いや、枠が少し歪んでる。建物が動いたのかもしれない』


俺は息をのんだ。


「建物が?」


相馬さんはすぐに周囲を見た。


「無理に開ける前に、建物の状態を確認してくれ。倒れる危険があるなら、別の方法を考える」


職人たちは頷き、外壁や地面を慎重に調べ始めた。


俺は扉の近くから、中にいる男へ声をかけた。


「大丈夫ですか! 怪我はありませんか!」


言葉が通じたかどうか分からなかったが、フェナがすぐに同じ内容を伝えてくれた。


『怪我はしてない! ただ、床が少し傾いてるんだ!』


「床が……」


俺は相馬さんを見た。


相馬さんは小さく頷いた。


「やはり、地面に何か起きているのかもしれないな」


その時、職人の一人が声を上げた。


『裏の壁はまだ大丈夫そうだ。扉の枠だけが歪んでる。ただ、建物全体の安全までは分からん』


相馬さんは少し考えた。


「中にいる人は、裏の扉まで来られるのか?」


フェナが尋ねる。


『ああ! すぐそこにいる!』


扉の向こうから返事があった。


相馬さんは職人たちへ向き直った。


「それなら、扉を外側から開けられるか確認してほしい。建物に負担がかかるようなら、すぐにやめてくれ」


職人たちは頷いた。


二人で扉の状態を確認し、道具を使って少しずつ枠を緩めていく。


俺はその様子を見ながら、扉の向こうへ声をかけ続けた。


「もう少しです! そのまま待っていてください!」


フェナが通訳する。


『分かった! 慌てなくていいからな!』


男の返事が聞こえた。


その言葉に、俺は少し驚いた。


閉じ込められているのは向こうなのに、こちらを気遣ってくれている。


きっと、長く現場で働いてきた人なのだろう。


しばらくして、職人の一人が声を上げた。


『よし、少し動いたぞ!』


扉がわずかに開いた。


もう一人が状態を確認しながら、ゆっくりと隙間を広げていく。


やがて、人が通れるほどの幅ができた。


『開いた! 出られるぞ!』


俺は思わず笑った。


「よかった!」


しかし、相馬さんはすぐに中へ入ろうとはしなかった。


「久世、まだだ。まずは本人に出てきてもらおう」


「あ、はい」


俺は頷いた。


扉の向こうにいた男は、自分の足でゆっくりと外へ出てきた。


年配の職人だった。


片手には古い紙の束を抱えている。


外へ出ると、男は大きく息を吐いた。


『助かった。まさか、扉が開かなくなるとは思わなかったよ』


フェナが通訳してくれる。


俺は男へ尋ねた。


「怪我はありませんか?」


『ああ。少し驚いたが、大丈夫だ』


相馬さんも男の様子を確認した。


歩くことはできそうだったが、念のため医者にも診てもらうことになった。


「それにしても、どうして小屋へ戻ったんですか?」


俺が尋ねると、男は腕に抱えていた紙の束を見せた。


『昔の工事の記録を探していたんだ』


「工事の記録?」


『ああ。東の見張り台の下に水が出たと聞いてな。どうしても気になることがあった』


男は紙の束を抱え直した。


『昔、あの辺りの排水路を直したことがあるんだよ』


俺は相馬さんを見た。


「相馬さん、この人……」


「ああ。詳しく話を聞いた方がよさそうだな」


相馬さんは男へ向き直った。


「まずは安全な場所へ戻りましょう。話はそれからでも大丈夫です」


フェナが通訳すると、男は頷いた。


『そうだな。もう一度閉じ込められるのは御免だ』


男は苦笑した。


俺たちは小屋から離れ、来た道を戻り始めた。


その途中で、俺は何度か振り返った。


古い小屋は、暗がりの中に静かに立っている。


外から見ただけでは、扉が開かなくなっていることも、床が傾いていることも分からなかった。


もし男が一人で何とかしようとしていたら、どうなっていただろう。


そう考えると、少し怖くなった。


「久世」


相馬さんが声をかけてきた。


「はい」


「何か考えてるな」


「……あの人が無事でよかったなって」


「ああ。そうだな」


相馬さんは前を歩く男を見た。


「それに、今回は中へ入らずに助けられた。職人たちが来てくれてよかったな」


「はい」


俺は頷いた。


もし俺と相馬さんだけで来ていたら、扉を無理に開けようとしていたかもしれない。


建物の状態を確認する知識も、道具も足りなかった。


でも、職人たちがいたから、安全を考えながら作業を進められた。


俺は自分の《帰り道》へ意識を向けた。


町の中心へ戻る方向が示される。


ただ、その道の途中にある地面が安全かどうかまでは分からない。


俺たちは職人たちが確認した、少し高い場所を通る道を選んだ。


《帰り道》があっても、ほかの人の判断が必要な場面はたくさんある。


むしろ、俺が知らないことを知っている人たちがそばにいてくれるからこそ、安心して帰ることができるのだと思った。


広場へ戻ると、リュシアが真っ先に気づいた。


『ナオト! おかえり!』


「ただいま」


リュシアは俺たちの人数を数え始めた。


『いち、に、さん……』


俺は笑いながら待った。


リュシアは少し考えたあと、嬉しそうに顔を上げた。


『十三人! 全員そろった!』


広場で待っていた住民たちも、ほっとしたようだった。


年配の職人が戻ってきたことに気づき、何人かが声をかけている。


『心配したんだぞ!』


『記録なんて、明日でもよかっただろうに!』


男は困ったように笑った。


『悪かったよ。ただ、どうしても確かめたかったんだ』


俺はその様子を見ながら、少し安心した。


十三人。


今度こそ、全員そろった。


ただ、相馬さんは管理人へ確認することを忘れなかった。


「避難してきた十三人は全員確認できましたね?」


『ああ。名簿とも合っている』


「分かりました。ほかに東の通りへ向かった人はいませんか?」


『今のところ、いないはずだ』


「それなら、今夜はあの周辺へ人を入れないようにしましょう。家に戻りたい人がいても、まずは管理人へ相談してもらってください」


『分かった』


管理人は頷き、近くにいた人たちへ指示を出した。


俺は相馬さんを見た。


「こういう確認って、大事ですね」


「ああ。避難できたと思っていても、人数が合っていなければ誰かが残っているかもしれないからな」


「そうですね」


「ただし、人数が合ったからといって、それで全部終わりというわけでもない。誰がどこにいるのか、移動するたびに確認する必要がある」


俺は頷いた。


今日の見張り台でも、救助した荷車でも、人数の確認は欠かせなかった。


そして今、町の人たちを避難させる場面でも、同じことが必要になっている。


一人でも取り残せば、全員を安全に帰したことにはならない。


俺は改めて、その重さを感じていた。


その時、年配の職人が俺たちへ声をかけた。


『少し、話を聞いてくれないか』


俺たちは振り返った。


男は広場の端にある机へ向かい、持ってきた紙の束を広げた。


『これを見てほしい』


俺は机へ近づいた。


紙には、古い文字と簡単な図が描かれていた。


ところどころ色が薄くなっているが、町の建物や道の位置は何となく分かる。


「これは……?」


フェナが男の説明を通訳してくれた。


『昔、東の通りで排水路を直した時の記録だそうです』


「じゃあ、さっきの図面より新しいんですか?」


『はい。こちらの方が後の工事について書かれているみたいです』


相馬さんが紙を覗き込んだ。


「どの辺りを直したんだ?」


男は図の一角を指した。


『ここだ。東の見張り台から町の中心へ向かう水路だよ』


俺は目を凝らした。


図には、一本の水路が描かれている。


ただ、管理人の建物で見た古い図面とは、少し形が違っていた。


「相馬さん、これ……」


「ああ。途中で曲がっているな」


男は頷いた。


『そうなんだ。昔の水路は、まっすぐ西へ流れていたらしい。でも、町の建物が増えた時に、一部を付け替えたんだよ』


「付け替えた?」


『ああ。古い水路をそのまま使うと、新しく建てた家の下を通ることになる。それで、別の場所へ水を流すようにしたんだ』


俺は図を見た。


確かに、水路は途中で曲がっている。


ただ、その先が少し分かりにくかった。


「この線、どこへ続いているんですか?」


男は指を動かした。


『ここを通って……』


その指が止まった。


男は少し考え込んだ。


『おかしいな』


「どうしたんですか?」


『いや、記憶と少し違うんだ』


男は紙を持ち上げ、別の記録と見比べ始めた。


『確か、工事をした時は、ここにもう一本水路があったはずなんだが……』


相馬さんが尋ねた。


「図面に描かれていない水路があるということですか?」


『そうだと思う。ただ、何十年も前の話だからな。俺の記憶違いかもしれない』


俺は少し考えた。


古い図面には、東から西へ続く水路が描かれていた。


でも、後から工事をした時に、一部の流れが変えられている。


その変更が正しく記録されていなければ、今の水路がどこを通っているのか分からなくなる。


「相馬さん、これって、今の水の流れを調べるのが難しくなるってことですよね?」


「ああ。図面だけを頼りにするのは危ないな」


相馬さんは男へ向き直った。


「ほかに工事の記録は残っていますか?」


『探せばあるかもしれない。ただ、全部そろっているかどうかは分からん』


「分かりました。明日、明るくなってから確認しましょう。今夜は、分かっている場所の安全を優先した方がいいと思います」


男は頷いた。


『そうだな。俺も、今日はもう小屋へ戻るつもりはないよ』


その言葉に、周りの人たちが笑った。


俺も少し笑ってしまった。


ただ、相馬さんはまだ図面を見ていた。


「一つ、確認したいことがあります」


男が顔を上げる。


『何だ?』


「この水路を付け替えた時、古い方は完全に塞いだんですか?」


男は首を傾げた。


『確か、全部は塞いでいなかったはずだ。水が増えた時に逃がせるよう、一部を残していたと思う』


俺は顔を上げた。


「じゃあ、古い水路にも水が流れることがあるんですか?」


『そういうことになるな』


相馬さんは頷いた。


「なるほど。なら、今回の水がどこから来ているのか、なおさら慎重に調べる必要がある」


俺は図面を見つめた。


普段は使われていない古い水路。


後から作られた新しい水路。


そして、ところどころに積まれた新しい石。


それぞれがどうつながっているのか、まだ分からない。


ただ、もし水の逃げ道がどこかで塞がれているなら、別の場所へ水が回っている可能性もある。


「相馬さん、東の通りに水が出てきたのも、その影響なんでしょうか」


「可能性はある。ただ、まだ決めつけない方がいい」


「はい」


俺は頷いた。


相馬さんは図面を指した。


「大事なのは、今どこで水が出ているのかを確認することだ。昔の水路がどこを通っていたとしても、実際に地面が濡れている場所があるなら、そこは注意しなければならない」


「そうですね」


「今夜は、見張り台と東の通り、それから西の坂道を重点的に確認してもらおう。ただし、危険な場所へ近づく必要はない。離れたところから状態を見て、変化があれば知らせてもらえばいい」


管理人が頷いた。


『分かった。見張りの担当者たちにも伝えておく』


俺は少し安心した。


少なくとも、今夜やるべきことは整理できている。


原因が分からないからといって、何もできないわけではない。


危険かもしれない場所から人を離す。


誰がどこにいるのか確認する。


そして、異常があればすぐに知らせてもらう。


それだけでも、事故が起きる可能性を減らせるはずだ。


その時、リュシアが俺の袖を引っ張った。


『ナオト』


「どうしたの?」


『あの人たち、今日はどこで寝るの?』


リュシアが指した先には、東の通りから避難してきた人たちがいた。


子どもを抱いた女性や、椅子に座って休んでいる年配の人もいる。


俺は少し考えた。


「そういえば、まだ決まってなかったね」


フェナが頷いた。


『管理人さんが、今夜泊まれる場所を探してくれています。ただ、急なことなので、全員が一緒に泊まれるかどうかは分からないみたいです』


「そっか……」


俺は住民たちを見た。


家から離れるだけでも不安だろうに、今夜どこで寝るのかも分からない。


特に子どもたちは、いつもと違う場所で過ごすことになる。


できるだけ安心して休めるようにしてあげたかった。


「相馬さん、俺も手伝っていいですか?」


「もちろんだ。ただ、無理はするなよ」


「はい」


俺はフェナと一緒に、避難してきた人たちへ声をかけた。


必要なものがあるか。


体調の悪い人はいないか。


今夜、家族と一緒に過ごしたい人は誰か。


一人ずつ確認していく。


その間、リュシアは子どもたちと一緒に座り、何か楽しそうに話していた。


しばらくすると、子どもたちの笑い声が聞こえてきた。


俺は少し驚いた。


「リュシア、何してるの?」


『みんなで、帰ってきた人を数える遊び!』


「遊び?」


『うん! 誰かが戻ってきたら、ちゃんと数えるの!』


俺は思わず笑った。


「それ、さっきの仕事じゃない?」


『そうだよ! でも、みんなでやると楽しいでしょ?』


リュシアは得意そうに胸を張った。


周りの子どもたちも笑っている。


俺は少し嬉しくなった。


不安な状況でも、こうして笑える時間がある。


それは、きっと大切なことなのだと思う。


「ありがとう、リュシア」


俺が言うと、リュシアは不思議そうな顔をした。


『何が?』


「みんなを元気にしてくれて」


『えへへ!』


リュシアは照れくさそうに笑った。


その時、相馬さんが俺を呼んだ。


「久世、ちょっといいか」


「はい」


俺は立ち上がり、相馬さんのところへ向かった。


相馬さんは、管理人と一緒に古い図面を見ていた。


「さっきの職人が、もう一つ思い出したことがあるそうだ」


「何ですか?」


相馬さんは図面を指した。


「昔の水路を付け替えた時、町の中心にも工事が入ったらしい」


「町の中心?」


「ああ。東から西へ流れる水を、一度別の場所へ回していたそうだ」


俺は図面を覗き込んだ。


相馬さんの指が、町の中央を指している。


そこには広場が描かれていた。


「ここって……」


「ああ。今、俺たちがいる広場だ」


俺は思わず顔を上げた。


「広場の下にも水路があるんですか?」


「その可能性がある。ただ、今も残っているかどうかは分からない」


俺は周囲を見渡した。


広場には多くの人が集まっている。


東の通りから避難してきた十三人だけではない。


夕食を終えた町の人たちや、見張りの交代を待っている人たちもいる。


もし、この下にも古い水路があるなら……。


「相馬さん、ここは大丈夫なんでしょうか」


相馬さんはすぐには答えなかった。


その代わり、管理人へ尋ねた。


「この広場で、最近地面が濡れていたり、石が沈んだりしたことはありませんか?」


管理人は少し考えた。


『いや、特に聞いていないな』


「そうですか」


相馬さんは頷いた。


「なら、今すぐ危険だと決まったわけではない。ただ、念のため確認した方がいいな」


俺は少し安心した。


でも、相馬さんは続けた。


「それと、今夜の避難場所は広場以外にも考えておこう。ここが安全だと確認できるまでは、一か所に人を集めすぎない方がいい」


「分かりました」


俺は頷いた。


管理人もすぐに動き始めた。


町の北側には少し高い場所があり、そこなら今夜の避難場所として使えるかもしれないという。


ただ、全員を移動させるには準備が必要だった。


明かりを用意し、歩くのが難しい人を手伝い、必要な荷物を運ぶ。


俺はフェナと一緒に、その準備を手伝うことにした。


「リュシア、ちょっとお願いしてもいい?」


俺が声をかけると、リュシアはすぐに振り返った。


『なあに?』


「今度は、みんなが移動する時に一緒に歩いてほしいんだ。小さい子たちが不安にならないように、そばにいてくれる?」


『うん! 任せて!』


リュシアは元気よく頷いた。


俺は笑った。


「ありがとう」


その時、年配の職人がもう一度、俺たちのところへやってきた。


『すまない。さっきの記録を見直していたら、気になることがあった』


俺は振り返った。


「気になること?」


男は紙の一枚を広げた。


『これなんだが……』


そこには、町の中心付近を描いた簡単な図があった。


古い水路と、新しく作られた水路が、別々の線で示されている。


俺は目を凝らした。


「これ、さっきの図面とは違いますね」


男は頷いた。


『ああ。こっちは工事が終わった後の記録らしい』


相馬さんが紙を覗き込む。


「つまり、今の町に近い状態ということか」


『そうだと思う。ただ……』


男は図の一角を指した。


『ここを見てくれ』


俺は指の先を見た。


新しい水路が、町の中心へ向かって伸びている。


その先には、小さな四角い印が描かれていた。


「この印は何ですか?」


男は少し考えた。


『確か、水を集めるための場所だったはずだ』


「水を集める?」


『ああ。雨が多い時に、一度そこへ水を集めてから、別の水路へ流す仕組みだったと思う』


相馬さんが尋ねた。


「その場所は、今どこにあるんですか?」


男は図を見た。


そして、ゆっくりと顔を上げた。


『……この広場だ』


俺は息をのんだ。


「ここに?」


『ああ。昔は、広場の下に水を集める空間があったはずなんだ』


俺は足元を見た。


石畳が広がっている。


普段なら、何も気にせず歩いている場所だ。


その下に、昔の水路が残っているかもしれない。


「でも、今は埋められているんですよね?」


俺が尋ねると、男は首を横に振った。


『それが分からない。工事をした時は、まだ使っていたはずなんだが……』


相馬さんの表情が変わった。


「管理人さん、この広場の地下について、何か記録は残っていますか?」


管理人はすぐに首を横に振った。


『いや、少なくとも俺は知らない』


「分かりました」


相馬さんは一度、周囲を見渡した。


そして、落ち着いた声で言った。


「広場にいる人たちを、別の場所へ移しましょう」


俺は頷いた。


「はい」


「まだ危険だと決まったわけじゃない。ただ、東と西で水が出ている以上、地下に空間があるかもしれない場所へ人を集めておく必要はない」


「そうですね」


俺はすぐにフェナへ声をかけた。


「フェナ、みんなに移動の準備をお願いできる?」


『はい!』


フェナは頷き、管理人と一緒に住民たちへ説明を始めた。


俺も手伝おうとした時だった。


広場の端にいた職人の一人が、何かに気づいたように足を止めた。


『……おい』


俺は振り返った。


職人は石畳を見下ろしていた。


『ここ、さっきから濡れてないか?』


俺はすぐに近づこうとしたが、相馬さんに止められた。


「久世、待て。近づかなくていい」


俺は足を止めた。


少し離れた場所から見ると、確かに石畳の一部が濡れていた。


最初は誰かが水をこぼしたのかと思った。


でも、職人は首を横に振った。


『違う。石の隙間から出てきてる』


俺は息をのんだ。


「石の隙間から……?」


職人は頷いた。


『ああ。ほんの少しだが、水が染み出してる』


相馬さんはすぐに周囲の人たちへ声をかけた。


「その場所から離れてください! 広場の北側へ移動しましょう!」


フェナが大きな声で通訳する。


住民たちは驚いた顔をしたが、管理人たちが落ち着いて案内を始めたため、大きな混乱にはならなかった。


俺も近くにいた人たちへ声をかけた。


「慌てなくて大丈夫です! 足元に気をつけて、ゆっくり移動してください!」


フェナが言葉を伝えてくれる。


子どもを抱いた女性が立ち上がり、年配の人たちも周囲の助けを借りて歩き始めた。


リュシアは子どもたちの手を引き、俺の方を見た。


『ナオト! みんな連れていくね!』


「うん! お願い!」


俺は頷いた。


その時、相馬さんが管理人へ声をかけた。


「移動先で、もう一度人数を確認してください。広場にいた人たちが全員移動できたか、必ず確かめましょう」


『分かった!』


管理人は頷いた。


俺は広場を見渡した。


さっきまで人が集まっていた場所から、少しずつ人影が減っていく。


誰かが転ばないよう、周りの人たちが声をかけ合っていた。


俺はその様子を見ながら、胸の奥が少し熱くなるのを感じた。


今までの俺は、帰れなくなった人を迎えに行くことが仕事だった。


でも、今は違う。


まだ誰も閉じ込められていない。


それでも、俺たちは人を安全な場所へ移そうとしている。


もしこれで事故を防げるなら、それも大切な救難の仕事なのだと思う。


「久世!」


相馬さんの声がした。


「はい!」


「お前も移動してくれ。ここに残る必要はない」


「でも、まだ人が……」


「残っている人の確認は、俺たちでやる。お前は移動先で人数の確認を手伝ってくれ」


俺は少し迷った。


でも、相馬さんの言葉には理由がある。


ここで俺まで残れば、確認する人数が増えてしまう。


必要な場所で、自分にできることをする。


それが今の俺の役割だった。


「分かりました!」


俺は頷き、広場の北側へ向かった。


少し高い場所に着くと、すでに多くの人が集まっていた。


リュシアが俺を見つけ、手を振ってくれる。


『ナオト! こっち!』


「ありがとう!」


俺は駆け寄った。


フェナは管理人から預かった名簿を確認していた。


『ナオト、東の通りから避難してきた十三人は、全員こちらにいます』


「よかった」


俺はほっとした。


ただ、広場にいたのは十三人だけではない。


見張りの担当者や、夕食を終えて集まっていた町の人たちもいる。


その人たちが全員移動できたかどうかも確認する必要があった。


「ほかの人たちは?」


『管理人さんが確認しています。今、相馬さんたちが最後の確認をしているところです』


俺は頷いた。


しばらくして、相馬さんと管理人が戻ってきた。


「相馬さん!」


俺が声をかけると、相馬さんは頷いた。


「広場に残っている人はいない。今のところ、全員移動できている」


「よかった……」


俺は小さく息を吐いた。


ただ、相馬さんは続けた。


「これで終わりじゃない。今夜は、広場へ人が戻らないようにする必要がある。それと、地面の状態を確認できる人たちに、離れた場所から様子を見てもらおう」


「はい」


俺は頷いた。


その時、年配の職人が俺たちのところへ来た。


『すまない。もう一つ、確認したいことがある』


俺は振り返った。


「何ですか?」


男は古い記録を手にしていた。


『さっきの水を集める場所なんだが、どうも変なんだ』


「変?」


『ああ。記録を読む限り、あそこに水が溜まり続けるような仕組みじゃないはずなんだ』


相馬さんが尋ねた。


「どういうことですか?」


男は図を広げた。


『水を集めたあと、別の水路へ流すようになっている。だから、普通なら水が溜まり続けることはない』


「つまり、流れる先があるということですね」


『そうだ』


俺は図を見た。


広場の下に描かれた四角い印。


そこから、一本の線が西へ伸びている。


「この先は、どこにつながっているんですか?」


男は指を動かした。


『西の見張り台の近くだ』


俺は顔を上げた。


「西の見張り台……」


今日、最初に異常が見つかった場所だ。


親方が閉じ込められ、土台の中へ水が流れ込んでいた。


その近くへ、広場の水が流れるようになっていたのだろうか。


相馬さんも図を見つめていた。


「もし、この水路が今も残っているなら、広場と西の見張り台は地下でつながっている可能性があるな」


「はい」


俺は頷いた。


ただ、男は首を横に振った。


『いや、問題はそこじゃない』


俺は男を見た。


「どういうことですか?」


男は図の端を指した。


『ここに、小さく書いてあるだろう?』


俺は目を凝らした。


古い文字が並んでいる。


俺には読めなかったが、フェナが近づいて確認してくれた。


『えっと……』


フェナは少し考えながら読み上げた。


『西側の排水口を閉じた場合は、別の排水路を使う……と書いてあるみたいです』


「別の排水路?」


相馬さんが尋ねた。


男は頷いた。


『そうだ。西側が使えなくなった時のために、もう一つ水の逃げ道があったはずなんだ』


俺は図を見た。


しかし、その先が描かれていない。


「その排水路は、どこにあるんですか?」


男は首を横に振った。


『それが分からない。こっちの記録には、場所が書いてないんだ』


俺は相馬さんを見た。


相馬さんも難しい顔をしていた。


「ほかの記録に残っている可能性は?」


『あると思う。ただ、探すには時間がかかる』


「分かりました。今夜は無理に探さなくていいです」


相馬さんは頷いた。


「まずは安全を確保しましょう。水路の調査は、明るくなってから専門の人たちと一緒に進めるべきです」


男は頷いた。


『そうだな。今度こそ、勝手に小屋へ戻ったりはしないよ』


俺は少し笑った。


ただ、その直後だった。


広場の方から、見張りをしていた職人の声が聞こえた。


『おい! こっちを見てくれ!』


俺たちは振り返った。


職人は広場から十分に離れた場所に立ち、石畳の一角を指していた。


俺は目を凝らした。


さっきまで濡れているだけだった場所に、小さな水たまりができていた。


「相馬さん……」


「ああ。水が増えているな」


相馬さんはすぐに管理人へ向き直った。


「広場には誰も近づけないようにしてください。周囲の道も、念のため通行を止めましょう」


『分かった!』


管理人は頷き、見張りの担当者たちへ指示を出した。


俺は広場を見た。


少し前まで、子どもたちが笑っていた場所だ。


町の人たちが食事をし、仕事を終えて休んでいた場所。


その石畳の隙間から、今は水が染み出している。


もし、避難する判断が遅れていたら。


そう考えると、背筋が少し冷たくなった。


「久世」


相馬さんが声をかけた。


「はい」


「今夜は、まだやることがありそうだ」


「そうですね」


俺は頷いた。


相馬さんは広場を見たまま続けた。


「ただ、一つだけよかったことがある」


「何ですか?」


「今のところ、誰も怪我をしていない」


俺は顔を上げた。


確かにそうだった。


東の見張り台では、異常が見つかったあと、全員が建物から離れていた。


東の通りでは、住民たちを早めに避難させることができた。


作業小屋に残っていた職人も、無事に戻ってきた。


そして今、広場からも人を移動させることができている。


まだ原因は分からない。


でも、少なくとも今のところ、誰かを危険な場所へ置き去りにせずに済んでいる。


「……そうですね」


俺は小さく笑った。


「今回は、誰かが怪我をする前に動けましたね」


「ああ。それが一番いい」


相馬さんは頷いた。


俺はもう一度、広場を見た。


《帰り道》があれば、帰れなくなった人を助けられる。


でも、そもそも帰れなくならずに済むなら、それに越したことはない。


そのために必要なのは、俺一人の力ではなかった。


異常に気づいた職人。


古い記録を探してくれた人。


住民へ事情を伝えたフェナ。


子どもたちを安心させてくれたリュシア。


そして、危険を見つけた時に、慌てず判断してくれる相馬さん。


みんながそれぞれの役割を果たしてくれたから、今ここに全員そろっている。


俺はそのことが、何より嬉しかった。


その時、瀬川さんから通信が入った。


相馬さんが応答する。


「相馬だ」


『こちら瀬川です。町の古い水路について、追加で確認できたことがあります』


「何か分かったのか?」


『はい。管理人から送ってもらった記録を照合していたんですが、どうも水路の一部が、後から変更されているようです』


相馬さんは俺を見た。


「それについては、こちらでも確認している。広場の地下にも水路がある可能性が出てきた」


『広場の下ですか?』


「ああ。今は念のため人を移動させたところだ」


『それならよかったです。ただ、もう一つ気になる記録があります』


俺は通信機へ目を向けた。


「何ですか?」


瀬川さんは少し間を置いた。


『昔の工事で、排水路の一部を塞いだという記録があるんですが……』


相馬さんが尋ねた。


「西の見張り台の近くか?」


『はい。ただ、それだけではありません』


俺は息をのんだ。


『同じ時期に、別の場所でも水路を塞いでいるんです』


「別の場所?」


『はい。町の北側です』


俺は顔を上げた。


北側。


今、俺たちが避難している場所だ。


相馬さんも表情を引き締めた。


「詳しい位置は分かるか?」


『まだ確認中です。ただ、記録には、古い排水路の分岐を閉じたと書かれています』


俺は足元を見た。


今いる場所は、広場より少し高い。


だから、避難するには安全だと思っていた。


でも、地下に古い水路があるなら、地面の高さだけで安全だとは言い切れない。


「相馬さん……」


「ああ。まずは落ち着いて確認しよう」


相馬さんは通信機へ向き直った。


「瀬川、その記録に、北側の水路がどこへ続いていたか書いてあるか?」


『少し待ってください』


通信機の向こうで、紙をめくるような音がした。


しばらくして、瀬川さんの声が聞こえた。


『……ありました』


「どこだ?」


『北の見張り台の近くです』


俺は思わず顔を上げた。


町には三つの見張り台がある。


西の見張り台は、すでに使えなくなっている。


東の見張り台でも、水が出ている。


そして今度は、北の見張り台の近くにも古い水路があるという。


相馬さんはすぐに尋ねた。


「北の見張り台では、何か異常が報告されているか?」


『今のところ、ありません。ただ、まだ詳しく確認できていないようです』


「分かった。今夜は無理に建物へ入らず、外から確認してもらおう。異常があれば、すぐに使用を止める」


『了解しました』


通信が終わった。


俺は北の方を見た。


町の明かりの向こうに、見張り台の影が見える。


あそこは、まだ使われているはずだ。


もし同じような問題が起きているなら、今夜のうちに確認しておく必要がある。


ただ、相馬さんはすぐに動こうとはしなかった。


「久世、まずは今いる人たちの安全を確認しよう」


「はい」


「北の見張り台については、現地の担当者に確認してもらう。俺たちが全員で向かう必要はない」


俺は頷いた。


「分かりました」


相馬さんは続けた。


「それと、今夜の避難場所も、もう一度確認した方がいい。古い水路が近くにある可能性が分かった以上、ここで安心しきるわけにはいかないからな」


「そうですね」


俺は周囲を見た。


住民たちは、少し離れた場所で休んでいる。


リュシアは子どもたちと一緒に座り、フェナは年配の人たちへ声をかけていた。


みんな疲れているはずだ。


できるだけ早く、安心して休める場所を用意してあげたい。


「相馬さん、俺も避難場所の確認を手伝います」


「ああ。頼む」


俺は頷いた。


その時、フェナが近づいてきた。


『ナオト、相馬さん。管理人さんが、今夜使える建物を確認してくれました』


「本当?」


『はい。町の北側にある建物で、少し高い場所に建っています。今のところ、周囲に水が出ている様子もないそうです』


相馬さんが頷いた。


「分かった。ただ、地下の状態までは分からないからな。建物の管理者と職人にも確認してもらおう」


『はい』


俺は少し安心した。


少なくとも、次に移動する場所の候補は見つかった。


あとは安全を確認し、住民たちを案内するだけだ。


その時、リュシアが俺のところへ走ってきた。


『ナオト!』


「どうしたの?」


『みんな、もう一回移動するの?』


「うん。もっと安心して休める場所を探してるんだ」


『そっか……』


リュシアは少し考えた。


『じゃあ、また人数を数えないとね!』


俺は笑った。


「そうだね。今度もお願いできる?」


『もちろん!』


リュシアは元気よく頷いた。


俺はその頭を軽く撫でた。


今日、リュシアは何度も人の帰りを待ち、人数を確認してくれた。


それは小さな仕事に見えるかもしれない。


でも、誰かがいないことに気づくためには、欠かせないことだ。


俺はその大切さを、改めて感じていた。


その時、北の見張り台の方から、一人の男が走ってくるのが見えた。


男は明かりを持ち、こちらへ向かっている。


「相馬さん」


俺が声をかけると、相馬さんも気づいた。


「何かあったのか?」


男は息を切らしながら近づいてきた。


『北の見張り台から来た!』


フェナがすぐに通訳する。


相馬さんが尋ねた。


「どうした?」


『さっき、管理人から連絡があって、土台を確認していたんだが……』


俺は息をのんだ。


「何か見つかったんですか?」


男は頷いた。


『水は出ていない。でも、変な音がするんだ』


「音?」


『ああ。地面の下から、水が流れるような音が聞こえる』


相馬さんは表情を引き締めた。


「見張り台の中にいる人は?」


『二人いる。ただ、今は下へ降りて、建物から離れている』


「分かった。それなら、まずはそのまま待機してもらおう」


男は頷いた。


ただ、まだ何か言いたそうだった。


相馬さんが尋ねる。


「ほかにも何かあるのか?」


男は少し迷ったあと、口を開いた。


『実は、見張り台の裏に古い石の蓋があるんだ』


俺は顔を上げた。


「石の蓋?」


『ああ。普段は誰も触らないんだが、昔の水路につながっているって話を聞いたことがある』


相馬さんが尋ねた。


「その蓋は、今どうなっている?」


『閉まってる。ただ……』


男は言葉を切った。


『さっき見たら、蓋の隙間から風が出てたんだ』


俺は思わず相馬さんを見た。


「風が?」


男は頷いた。


『ああ。地下に空間があるんだと思う。でも、どうして今になって風が出てくるのか分からなくてな』


相馬さんは少し考えた。


「分かった。蓋には触らないようにしてくれ。開けたことで何が起きるか分からないからな」


『ああ。誰も触っていない』


「それならいい。明日、専門の人たちと一緒に確認しよう」


男は頷いた。


俺は北の見張り台を見た。


東と西の見張り台。


町の広場。


そして、北の見張り台。


それぞれの場所で、古い水路に関係するかもしれない異常が見つかっている。


今まで別々だと思っていた場所が、地下でつながっているのかもしれない。


ただ、そのつながりがどんなものなのか、まだ誰にも分からない。


俺は静かに息を吐いた。


今日、俺たちは何人もの人を無事に帰すことができた。


そして、危険かもしれない場所から、住民たちを避難させることもできた。


でも、町の地下で何が起きているのかは、まだ分からないままだ。


その時、年配の職人が小さく呟いた。


『……待てよ』


俺は振り返った。


「どうしたんですか?」


男は古い記録を見つめていた。


『北の見張り台にある石の蓋……。それなら、覚えてるぞ』


相馬さんが尋ねた。


「何か知っているんですか?」


男は頷いた。


『昔、あそこを開けたことがあるんだ』


俺は息をのんだ。


「開けたことが?」


『ああ。水路の掃除をするためにな』


男は少し考え込んだ。


『その時、確か……』


言葉が止まる。


俺たちは黙って待った。


やがて、男は顔を上げた。


『そうだ。思い出した』


「何をですか?」


『あの蓋の下には、水路が一本あるだけじゃない』


俺は首を傾げた。


「一本じゃない?」


男は頷いた。


『いくつかの水路が、そこで合流しているんだ』


相馬さんの表情が変わった。


「合流している?」


『ああ。東から来る水も、西へ流れる水も、昔はあそこで調整していたはずなんだ』


俺は北の見張り台を見た。


町の明かりの向こうに、建物の影が見える。


もし、その下に水路が集まっているなら。


東と西で起きた異常は、北の見張り台の地下とも関係しているのかもしれない。


「相馬さん……」


「ああ」


相馬さんはゆっくり頷いた。


「明日は、北の見張り台の地下についても調べる必要がありそうだな」


俺は頷いた。


ただ、男はまだ話を終えていなかった。


『それと、もう一つ』


俺は振り返った。


「何ですか?」


男は少し不安そうな顔をした。


『昔、あの場所を調べた時、職人たちの間で決めていたことがあるんだ』


「決めていたこと?」


『ああ。水路の蓋を開ける時は、必ずほかの水路の状態を確認するってな』


相馬さんが尋ねた。


「どうしてですか?」


男は静かに答えた。


『一つの水路を開けると、別の場所へ水が流れることがあるからだ』


俺は息をのんだ。


男は続けた。


『だから、勝手に蓋を開けるなって、何度も言われたんだよ』


俺は北の見張り台を見つめた。


もし、今の水の流れが昔と変わっているなら。


どこか一か所を直しただけで、別の場所に水が流れ込む可能性がある。


それは、見張り台だけの問題ではない。


町全体の安全に関わることかもしれなかった。


相馬さんは男へ頷いた。


「大事な話をありがとうございます。今夜は誰にも蓋を触らせないようにしましょう」


『ああ。そうしてくれ』


俺は静かに息を吐いた。


原因が分からないまま、何かを動かすことはできない。


だからこそ、今は情報を集める必要がある。


そして、危険かもしれない場所から人を離しておく。


それが、今の俺たちにできることだった。


「久世」


相馬さんが声をかけた。


「はい」


「まずは避難している人たちを、安全な場所へ案内しよう」


「分かりました」


俺は頷いた。


リュシアがこちらを見ている。


フェナも、住民たちの準備を進めていた。


俺は二人のところへ向かった。


「リュシア、フェナ。移動の準備はできそう?」


『はい! 管理人さんが確認してくれた建物へ、順番に案内することになりました』


フェナが答えた。


リュシアも元気よく頷く。


『みんな、ちゃんとそろってるよ!』


「ありがとう」


俺は笑った。


今夜は、まだ安心して眠れる状況ではない。


でも、少なくともここにいる人たちは、全員無事だ。


そのことが、何より大切だった。


俺は《帰り道》へ意識を向けた。


帰るための道が、いつものように示される。


ただ、その道を使うかどうかは、今いる場所の安全を確認してからだ。


俺は相馬さんと職人たちが選んだ道を見た。


そこには、住民たちが少しずつ歩き始めていた。


俺もその列へ加わる。


「みんな、ゆっくりで大丈夫です。慌てずに行きましょう」


フェナが通訳してくれる。


リュシアは子どもたちの手を引き、楽しそうに話しかけていた。


その姿を見て、俺は少し笑った。


今日も、帰る道を歩いている。


でも、今夜の目的は、誰かを元の家へ戻すことではない。


全員が安心して休める場所へ、無事にたどり着くことだ。


俺は前を歩く人たちを見ながら、静かに頷いた。


その時、後ろから相馬さんの声がした。


「久世、ちょっと待ってくれ」


俺は振り返った。


「はい?」


相馬さんは通信機を手にしていた。


「瀬川から、もう一つ連絡があった」


「何ですか?」


相馬さんは少し難しい顔をしていた。


「北の見張り台の古い記録について、追加で分かったことがあるそうだ」


俺は息をのんだ。


「どんなことですか?」


相馬さんは通信機へ目を落とした。


「昔、あの場所で大きな工事が行われたらしい」


「工事?」


「ああ。ただ、工事の目的が記録に残っていないそうだ」


俺は首を傾げた。


「目的が分からないんですか?」


「そうらしい。しかも、工事が終わったあと、北の見張り台の地下へ入るための通路が閉じられている」


俺は思わず顔を上げた。


「通路が?」


「ああ。理由は分からない。ただ、瀬川が見つけた記録には、こう書かれているそうだ」


相馬さんは少し間を置いた。


「地下水路の確認は、関係者全員の退避を確認してから行うこと」


俺は黙って聞いていた。


相馬さんは続けた。


「それと、もう一つ」


「何ですか?」


「水路の開放は、単独で判断しないこと」


俺は北の見張り台を見た。


その地下に、何があるのかは分からない。


でも、昔の人たちも、あの場所を扱う時には慎重になっていたらしい。


そして今、町のあちこちで水の異常が見つかっている。


俺は静かに息を吐いた。


「相馬さん」


「何だ?」


「明日、調べる時は……」


「ああ」


相馬さんは俺の言葉を待たずに頷いた。


「全員そろってからだ」


俺も頷いた。


誰か一人が先に進むのではなく、必要な人たちがそろってから動く。


危険な場所へ入る前に、情報を確認する。


そして、帰る時には誰も置いていかない。


今まで何度も大切にしてきたことだ。


俺はもう一度、北の見張り台を見た。


暗い空の下に、古い建物が静かに立っている。


その足元には、誰も詳しく知らない水路が残っている。


そして、その水路のどこかに、今も水が流れている。


明日、俺たちはそこを調べることになるのだろう。


ただ、今夜はまだ終わっていない。


俺は前を歩く住民たちを見た。


まずは、この人たちを安全な場所へ連れていく。


そのあとで、次に何をするべきか考えればいい。


俺はそう決めて、再び歩き始めた。


けれど、その時だった。


北の見張り台の方から、低い音が聞こえた。


最初は、遠くで何かが倒れたのかと思った。


俺は足を止めた。


「……今の音、何ですか?」


相馬さんも振り返った。


「分からない。見張り台の方か?」


俺たちは北の空を見た。


暗がりの中に、建物の影が見える。


その近くで、明かりを持った人たちが何かを確認しているようだった。


すると、遠くから声が聞こえた。


『誰か! 管理人を呼んでくれ!』


俺は息をのんだ。


「相馬さん!」


「ああ。まずは状況を確認しよう」


相馬さんはすぐに通信機を手にした。


俺は前を歩く住民たちを見た。


ここで俺たちが慌てて動けば、避難している人たちまで不安にさせてしまう。


まずは安全な場所へ案内する。


そして、何が起きたのかを確認する。


俺はそう考えながら、フェナへ声をかけた。


「フェナ、みんなの案内をお願い!」


『はい!』


フェナは頷いた。


リュシアも俺を見た。


『ナオト、また何かあったの?』


俺は少し考えてから答えた。


「まだ分からない。でも、まずはみんなで安全な場所へ行こう」


『……うん!』


リュシアは頷いた。


俺は相馬さんの方へ戻った。


通信機の向こうから、慌ただしい声が聞こえている。


そして、相馬さんが顔を上げた。


「久世」


「はい」


「北の見張り台の近くで、地面の一部が沈んだらしい」


俺は息をのんだ。


「地面が……?」


「ああ。ただ、今のところ怪我人は確認されていない」


俺は少し安心した。


でも、相馬さんは続けた。


「それと、沈んだ場所の下に、古い水路らしい空間が見つかったそうだ」


俺は北の見張り台を見た。


今日、何度も話に出てきた古い水路。


その一部が、とうとう地上から見える状態になったのかもしれない。


「相馬さん……」


「ああ」


相馬さんは静かに頷いた。


「明日まで待てるかどうか、まずは現場の状況を確認する必要がありそうだな」


俺は頷いた。


ただ、相馬さんはすぐに付け加えた。


「もちろん、無理に近づくつもりはない。今夜は人を離して、危険が広がっていないか確認するだけだ」


「はい」


俺は答えた。


その時、通信機からもう一度声が聞こえた。


『相馬さん! 追加の報告です!』


相馬さんが応答する。


「どうした?」


『沈んだ場所の近くに、古い石の扉が見つかりました!』


俺は顔を上げた。


「石の扉……?」


『はい! 水路の入口かもしれません!』


相馬さんはすぐに尋ねた。


「誰か中へ入ったのか?」


『いいえ! まだ誰も触っていません!』


「それなら、そのままにしておいてくれ。絶対に勝手に開けないように」


『分かりました!』


通信が終わった。


俺は北の見張り台を見つめた。


古い石の扉。


地下へ続く水路。


そして、町のあちこちで見つかっている異常。


今まで別々だと思っていた問題が、少しずつつながり始めている。


でも、その先に何があるのかは、まだ分からない。


俺は静かに息を吐いた。


今日、俺たちは何人もの人を無事に帰すことができた。


そして、危険が起きる前に、住民たちを避難させることもできた。


それでも、町の地下に残された問題は、まだ解決していない。


俺は相馬さんを見た。


「明日、みんなで調べましょう」


「ああ」


相馬さんは頷いた。


「ただし、今夜の安全を確保してからだ」


「はい」


俺も頷いた。


まずは、ここにいる人たちを無事に休ませる。


そのあとで、次に必要なことを考える。


俺はそう決めて、住民たちの列へ戻った。


夜の町には、少し冷たい風が吹いていた。


北の見張り台は、暗がりの中に静かに立っている。


その足元で、古い水路が姿を現し始めていた。


そして俺たちは、まだ知らなかった。


あの石の扉が、町の地下に残された水路を調べるうえで、重要な場所になるかもしれないということを。


今夜の救難は、まだ終わっていなかった。

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