第136話 見張り台の下
「作業員の人数が分かったそうです!」
監視担当の声に、俺は資料から顔を上げた。
二つ目の見張り台で足場が揺れていたという報告を受けてから、まだ十分も経っていない。相馬さんはすぐに通信機へ向かい、現場の状況を確認した。
「全員下りているのか?」
『それが、人数が合わないそうです』
返ってきたのは瀬川さんの声だった。
『作業に入ったのは五人ですが、今、現場で確認できているのは四人です。残りの一人について、フェナさんたちが確認しています』
「最後に見た場所は?」
『見張り台の下です。足場の揺れが気になって、土台の状態を確認しに行ったそうです』
俺は思わず神代さんを見た。
さっきまで心配していたことが、現実になりかけている。
「下って、見張り台の周りですか?」
『詳しい場所はまだ分かりません。ただ、作業員の一人が、土台の内側へ入っていくところを見たと言っています』
「土台の内側?」
相馬さんが聞き返した。
『古い見張り台には、石造りの土台の中に点検用の通路があるそうです。今回の見張り台にも入口があって、そこから入った可能性があります』
「可能性ということは、入ったところまでは確認できていないんだな?」
『はい。最後に見た作業員は、土台の方へ歩いていく姿を見ただけだそうです』
相馬さんは机の上に置いていたペンを手に取った。
「分かった。まずは周辺を確認してくれ。本人が別の場所へ移動した可能性もある。通路の中にいると決めつけるな」
『了解しました』
通信が終わると、相馬さんは監視担当に連絡記録を残すよう指示した。
俺は気になっていたことを尋ねる。
「見張り台の下に通路があるって、初めて聞きました」
「俺もだ。向こうの建物の構造までは把握していないからな」
「でも、土台の中に入れるなら、そこから確認できることもあるんじゃないですか?」
「あるかもしれない。ただ、足場が揺れていたという話が本当なら、土台の状態も気になる」
神代さんが頷いた。
「見張り台の上だけでなく、下にも問題がある可能性はありますね。今は通路の中へ新しく人を入れない方がいいと思います」
俺も同じことを考えていた。
行方が分からない作業員を探す必要はある。でも、建物の状態が分からないまま何人も中へ入れば、救助する側まで危険になる。
相馬さんは再び通信機を手に取った。
「瀬川、フェナたちには、まず外から確認できることを調べてもらってくれ。入口の状態と、通路に入った人間が本当にいるのか。それが分かるまでは、無理に中へ入らないよう伝えてほしい」
『分かりました』
俺は椅子へ座り直した。
今日はもう、見張り台で一度事故が起きている。
その時は、子どもが一人取り残されたものの、現場にいた職人とザイルたちの協力で無事に救助できた。
今度も同じように解決できればいい。
ただ、今回は取り残されている場所さえ分かっていなかった。
しばらくして、境目の向こうから連絡が入った。
『ナオト、聞こえる?』
リュシアの声だった。
「聞こえるよ。今どこ?」
『二つ目の見張り台。フェナもいる』
「そっちに着いたんだね。何か分かった?」
『一人いない。みんな探してる』
リュシアの後ろから、フェナが話しかける声が聞こえた。
『リュシア、少し代わって』
『うん』
通信機から衣擦れの音がしたあと、フェナの声が聞こえてきた。
『相馬さん、作業員の人たちに話を聞きました』
「頼む」
『朝から作業していたのは五人です。足場の交換をしていた三人と、資材を運んでいた一人は確認できました。残りの一人は、土台の点検を担当していたそうです』
「その人が通路に入ったのか?」
『はい。今、別の作業員から確認が取れました。土台の内側にある点検口を開けて、中へ入っていくところを見たそうです』
「何時頃だ?」
『足場が大きく揺れたと報告される少し前です。正確な時間は分かりません』
相馬さんは記録用紙に書き込みながら、さらに質問した。
「その通路はどこへつながっている?」
『それを確認しているんですが、詳しい構造を知っている人がいないんです』
「修理を担当している職人でも分からないのか?」
『はい。普段は外側から土台を確認するだけで、中へ入ることはほとんどないそうです。入口があることは知っていても、奥がどうなっているのかは分からないと言っています』
俺は顔を上げた。
入口は分かっている。
でも、その先の道は分からない。
それなら、俺の《帰り道》が役立つ場面かもしれない。
ただし、見えるのは帰るための道だけだ。行方不明の作業員がどこにいるのかまでは分からない。
「フェナ、その人が中へ入った理由は分かってる?」
俺が尋ねる。
『足場が揺れる原因を調べるためです。外から確認したところ、土台の一部に隙間ができていたそうで、それが気になったと言っていたそうです』
「隙間?」
『はい。石と石の間に、以前はなかった隙間が見つかったそうです』
神代さんの表情が険しくなった。
「その隙間は、今も広がっているんですか?」
『そこまでは分かりません。作業員たちは、見張り台から離れた場所に集まっています』
「そのまま離れていてください。土台の状態が分からないので、近づいて確認しようとしない方がいいです」
『分かりました』
フェナは一度返事をしてから、少し声を落とした。
『それと、点検口の近くで声をかけてみたんですが、返事がありませんでした』
監視室が静かになった。
「中が広いのかもしれないな」
相馬さんが言う。
『はい。ただ、入口から少し奥までは見えるそうです。そこには誰もいません』
「入口は塞がっていないんだな?」
『今のところは。ただ、中に入って確認したわけではありません』
「それでいい。今は無理に入るな」
『はい』
通信が終わったあと、俺は相馬さんへ向き直った。
「相馬さん、俺が行った方がいいですか?」
「まだ早い」
「でも、通路の中で道が分からなくなっているなら……」
「その可能性はある。ただ、作業員が道に迷っているのか、怪我をして動けないのか、それとも別の理由で戻れないのかも分かっていない」
俺は口を閉じた。
相馬さんの言う通りだった。
《帰り道》で帰る方向が分かっても、作業員の居場所が分からなければ助けに行けない。まして土台が崩れかけているなら、道が見えたところで安全に通れるとは限らない。
「久世、お前の力が必要になったら呼ぶ。そのためにも、今は情報を集めよう」
「分かりました」
俺は頷いた。
それでも、落ち着かない気持ちは残っていた。
今までにも、救助を待つしかない時間は何度もあった。
ただ、今回の作業員は自分から危険な場所へ入ったらしい。
足場の異常を調べようとしたのだろうが、戻ってこない理由が分からない。
そのことが、どうしても気になった。
「久世さん」
神代さんが声をかけた。
「はい」
「向こうの人たちが中を調べることになったら、私たちも一緒に状況を確認しましょう。今の情報では、安全に入れるかどうかも判断できませんから」
「そうですね」
「それと、久世さんが向こうへ行く場合も、現場の人たちと役割を決めてからにしましょう」
「はい」
神代さんは机の上にあった道具を片づけ、代わりに記録用紙を広げた。
そこには、行方不明になっている作業員について、分かっている情報がまとめられていた。
五人で作業を開始。
四人は安全な場所へ移動済み。
一人は土台の点検口から内部へ入ったと確認。
最後に姿を見た時点では、自力で歩いていた。
現在の位置と負傷の有無は不明。
俺は最後の二行を見つめた。
自力で歩けていたなら、怪我をしていない可能性もある。
ただ、それは中へ入る前の話だ。
今も無事でいるとは限らなかった。
その時、監視担当が慌てた様子で振り返った。
「相馬さん! フェナさんから緊急連絡です!」
相馬さんがすぐに通信機へ近づいた。
「どうした?」
『相馬さん、点検口の奥から音がしました!』
フェナの声が聞こえた。
「どんな音だ?」
『何かを叩いているような音です。最初は一度だけだったんですが、今は何度か続けて聞こえています』
俺は思わず立ち上がった。
「中にいる人かもしれないですね」
「そうだな」
相馬さんは頷いたが、すぐにフェナへ確認した。
「音が聞こえた場所は、点検口の近くか?」
『はい。入口から少し離れたところで、作業員の人が気づきました』
「声は?」
『聞こえません。でも、石を叩くような音がします』
「こちらから呼びかけてみたか?」
『はい。名前を呼んだあと、少ししてから音が返ってきました』
相馬さんの表情が変わった。
「呼びかけに反応している可能性があるな」
『私もそう思います』
「分かった。もう一度、簡単な呼びかけをしてくれ。聞こえているなら、音を返してもらうんだ。ただし、危険な場所へ近づく必要はない」
『はい』
少し間が空いた。
通信機の向こうから、フェナが誰かに指示する声が聞こえる。
やがて、石を叩くような小さな音がした。
一度。
少し間を置いて、もう一度。
『返ってきました!』
フェナの声が明るくなった。
『こちらが二回叩いたら、向こうも二回返してくれました!』
「よし。少なくとも、誰かが反応している可能性は高い」
相馬さんはそう言ってから、すぐに続けた。
「ただ、行方不明の作業員本人かどうかはまだ分からない。ほかの作業員に、音が聞こえる方向を確認してもらってくれ」
『分かりました』
俺は胸の奥にあった重たいものが、少しだけ軽くなるのを感じた。
返事があった。
それだけで、何も分からなかった時よりは前へ進める。
ただ、音が聞こえたからといって、すぐに助けられるわけではない。
相馬さんも同じことを考えているようだった。
「フェナ、点検口の周囲にいる人間は、必要な人数だけにしてくれ。見張り台の土台が不安定なら、近くに人が集まるのは危険だ」
『はい。ザイルが周囲を確認しています』
「それと、中へ入る前に通路の構造を調べたい。昔の図面や、詳しい人間はいないか?」
『町の人に確認してみます』
通信が終わった。
俺は相馬さんに尋ねた。
「これからどうするんですか?」
「まずは、音がどこから聞こえているのかを確認する。それから、入口以外に通れる場所があるか調べる」
「俺が行くのは、そのあとですか?」
「お前の力が必要ならな」
相馬さんは俺の顔を見た。
「久世、焦っているのは分かる。でも、今の段階でお前が向こうへ行っても、現場で待つ人間が一人増えるだけだ」
「……そうですね」
「それより、もし中へ入ることになった時に、何ができるか考えておけ」
俺は頷いた。
《帰り道》は、帰るための道を示してくれる。
ただし、その道が崩れていたり、通れない状態になっていたりすれば、実際に帰るための方法を考えなければならない。
それは、これまで何度も経験してきたことだった。
今回は、古い石造りの通路だ。
途中で道が分かれているかもしれないし、崩れた場所があるかもしれない。
俺が中へ入ることになったとしても、まずは現場の状態を確認する必要がある。
そう考えていると、神代さんが資料を一枚差し出した。
「久世さん、これを見てください」
「何ですか?」
「向こうの人たちから聞いた、見張り台の構造についての情報です。以前の救難記録にも似た施設の話がないか、瀬川さんが確認してくれました」
俺は資料を受け取った。
そこには、見張り台の土台が石造りであることや、点検用の通路が設けられている場合があることなどが書かれていた。
ただ、詳しい図面はなかった。
「これだけじゃ、中がどうなっているのか分からないですね」
「そうなんです。だから、現場の人たちが知っていることを集める必要があります」
「なるほど」
「それと、もう一つ気になっていることがあります」
神代さんは資料の一部を指した。
「点検用の通路なら、必ずしも人が通りやすい造りになっているとは限りません。狭い場所や、途中で高さが変わる場所があるかもしれません」
「そうですね」
「もし作業員が怪我をしていたら、見つけたあとにどう運び出すかも考えなければいけません」
俺は資料へ目を落とした。
確かに、そこが問題だった。
作業員を見つけることができても、歩けない状態なら一人では連れて帰れない。
狭い通路で担架が使えなければ、別の方法が必要になる。
昨日、フェナたちが負傷者を運んだ時とは、また違う状況だった。
「相馬さん、もし作業員が怪我をしていたら、どうするんですか?」
「現場の状況を確認してからだ。通路の幅や高さが分からない以上、今は搬送方法を決められない」
「ですよね」
「ただ、そういう可能性も考えて準備しておくことはできる」
相馬さんは神代さんへ向き直った。
「向こう側で使える搬送用具を確認しておいてくれ。必要なら、こちらから追加で渡せるものも考えておきたい」
「分かりました」
神代さんは頷き、道具の確認を始めた。
俺も手伝おうとしたが、相馬さんに呼び止められた。
「久世、お前はこっちだ」
「はい?」
「フェナから次の連絡が来たら、通路の情報を一緒に確認してくれ。もし《帰り道》が必要になった時、何を聞いておくべきか考えておきたい」
「分かりました」
俺は相馬さんの隣へ座った。
必要な情報を整理しながら、次の連絡を待つ。
その間にも、向こう側では作業員の捜索が続いている。
ただ、今回は闇雲に人を増やすことはしていなかった。
ザイルが周囲を確認し、フェナが情報を集め、リュシアが作業員たちから話を聞いている。
それぞれができることを進めている。
俺たちは、その報告を受けて必要な支援を考える。
昨日までなら、俺が向こうへ行くことを先に考えていたかもしれない。
でも、今は違う。
俺が必要かどうかも含めて、現場の状況から判断しようとしていた。
しばらくして、通信機が鳴った。
『相馬さん、フェナです』
「何か分かったか?」
『はい。見張り台の通路について、少し分かりました』
フェナの声には、さっきまでとは違う緊張があった。
『町の古い建物を管理している人に話を聞きました。あの見張り台の下には、土台を確認するための通路があるそうです』
「入口から奥まで、一本道なのか?」
『いいえ。途中で二つに分かれているそうです』
俺は顔を上げた。
「二つ?」
『はい。一方は見張り台の真下へ、もう一方は土台の外側に沿って続いているそうです』
「どちらに作業員が入ったかは分かっているのか?」
『それが、分からないんです』
相馬さんが尋ねる。
「さっき聞こえた音は?」
『今も時々聞こえます。ただ、どちらの通路から聞こえているのか判断できません』
「なるほど」
相馬さんは少し考えた。
「その二つの通路は、奥でつながっているのか?」
『分からないそうです。昔は点検のために使っていたらしいんですが、長い間、中へ入った人がいないそうで……』
フェナはそこで言葉を止めた。
向こう側から、ザイルの声が聞こえる。
『フェナ! ちょっと来てくれ!』
『どうしたの?』
『入口の近くにいた職人が、変なものを見つけた!』
フェナが慌てて返事をする。
『相馬さん、少し待ってください』
足音が遠ざかった。
俺たちは通信機の前で待った。
しばらくして、フェナの声が戻ってきた。
『すみません。入口の近くを確認してきました』
「何があった?」
『点検口の内側に、土が落ちているそうです』
「土?」
『はい。天井の石と石の間から、少しずつ落ちてきているみたいです』
神代さんが顔を上げた。
「今も落ちているんですか?」
『はい。少量ですが、続いているそうです』
「それなら、中へ入るのは危険です。天井の状態が分からないので、作業員の人たちにも近づかないよう伝えてください」
『分かりました』
フェナの返事は早かった。
そのあと、ザイルへ指示する声が聞こえる。
『ザイル、入口から離れて! 中へ入らないで!』
『分かってる!』
ザイルの返事が聞こえた。
俺は思わず息をついた。
少なくとも、今の段階で無理に中へ入ろうとしている人はいないらしい。
ただ、問題は残っていた。
中にいる作業員が無事なのか。
通路がどこまで安全なのか。
そして、どうすれば助け出せるのか。
相馬さんが通信機へ向かって言った。
「フェナ、今は入口の状態を確認しながら、作業員と連絡を取る方法を考えよう。中へ入るのは、そのあとだ」
『はい』
「それと、音が返ってくるなら、こちらの声が届いている可能性がある。作業員に動けるかどうか確認できないか?」
『やってみます』
フェナはすぐに現場の人たちへ伝えた。
しばらくして、通信機から小さな音が聞こえた。
石を叩く音だった。
『今、こちらから呼びかけています』
フェナが説明する。
『動けるなら二回、動けないなら一回、音を返してほしいと伝えました』
俺は通信機を見つめた。
返事があるまで、少し時間がかかった。
やがて、音がした。
一回。
それだけだった。
フェナの声が聞こえる。
『一回です』
相馬さんの表情が険しくなった。
「聞き間違いの可能性もある。もう一度確認してくれ」
『はい』
再び呼びかける声が聞こえた。
少し間が空く。
そして、また一回。
今度は、はっきりと聞こえた。
俺は思わず拳を握った。
「動けないってことですか……」
「そう答えている可能性が高いな」
相馬さんは落ち着いた声で言ったが、表情は厳しかった。
「フェナ、本人が怪我をしているかどうかは分からない。ただ、動けないという返事があった以上、無理に移動させようとしないでくれ」
『分かりました』
「それと、今の音が本当に作業員本人からのものか、確認できる方法はあるか?」
『名前を呼んで返事をもらっています。作業員たちも、あの人だと思うと言っています』
「そうか」
相馬さんは一度頷いた。
「なら、本人がいる可能性は高い。ただ、場所を特定するまでは慎重に進めよう」
『はい』
通信が終わった。
俺は椅子から立ち上がった。
「相馬さん」
「何だ?」
「俺、向こうへ行く準備をしておきたいです」
相馬さんは俺を見た。
「理由を聞こうか」
「通路の中で作業員が動けなくなっているなら、助けに行く人が必要になると思います。でも、途中で道が分かれていて、奥の構造も分からないんですよね」
「ああ」
「だったら、俺の《帰り道》が役立つかもしれません。少なくとも、中へ入った人が戻る時には」
相馬さんは黙って聞いていた。
俺は続けた。
「もちろん、作業員がどこにいるのかは分かりません。それに、通路が崩れていたら、道が見えても通れないかもしれないです。でも、救助に入る人たちが帰る道を見失う危険は減らせると思います」
相馬さんは少し考えたあと、頷いた。
「分かった。準備だけしておけ」
「はい!」
「ただし、まだ中へ入ると決まったわけじゃない。現場の安全確認が先だ」
「分かってます」
俺は神代さんのところへ向かった。
神代さんはすでに、必要になりそうな道具を確認していた。
「久世さん、向こうへ行くんですか?」
「まだ決まってません。でも、準備だけしておこうと思って」
「そうですね。もし入ることになったら、現場の人たちと役割を決めてからにしましょう」
「はい」
俺は頷いた。
今までにも、道が分からなくなった人を助けるために、危険な場所へ入ったことはある。
でも、今回は少し違う。
助けたい人の居場所が分からないうえに、通路そのものが危険かもしれない。
《帰り道》があるから大丈夫だと、簡単に考えることはできなかった。
その時、再び通信機が鳴った。
『相馬さん!』
フェナの声だった。
「どうした?」
『作業員の人がいる場所について、少し分かったかもしれません!』
「詳しく教えてくれ」
『点検口の近くにいた職人が、音の聞こえ方を調べていたんです。入口から声をかけると返事があるんですが、土台の外側にある小さな隙間からも、同じような音が聞こえるそうです』
「外側の隙間?」
『はい。石の間にできた隙間です。そこから中の音が聞こえるみたいで……』
相馬さんはすぐに尋ねた。
「その場所は安全なのか?」
『職人が離れた場所から確認しています。近づいてはいません』
「それでいい」
『それと、その隙間から声をかけたら、作業員の人が返事をしてくれました』
俺は顔を上げた。
「声が聞こえたんですか?」
『はい。小さな声ですが、確かに聞こえたそうです』
「何て言ってた?」
『動けないって。それから……』
フェナは少し言葉を詰まらせた。
『足が、石の下に挟まっているそうです』
俺は息をのんだ。
怪我をしている可能性は考えていた。
でも、石の下に足が挟まっているとなれば、話は変わってくる。
本人が動こうとしても、簡単には抜け出せないかもしれない。
相馬さんがすぐに確認した。
「意識ははっきりしているのか?」
『はい。名前を呼ぶと返事ができます。今のところ、受け答えもできているそうです』
「足以外に怪我は?」
『それはまだ分かりません』
「分かった。無理に足を引っ張ったり、石を動かそうとしたりしないよう伝えてくれ。周囲の状態が分からないまま動かすのは危険だ」
『はい』
神代さんが通信機へ近づいた。
「フェナさん、作業員の人に、今の姿勢で呼吸が苦しくないか聞いてもらえますか? それから、足の痛みや出血があるかも確認してほしいです」
『分かりました』
フェナはすぐに現場へ伝えた。
しばらくして返事があった。
『呼吸はできています。足は痛むそうですが、出血しているかどうかは暗くて分からないそうです』
「分かりました。今は無理に動かず、声をかけ続けてください」
『はい』
通信が終わると、神代さんは相馬さんへ向き直った。
「足が石に挟まっているなら、救出する時に周囲の状態を確認する必要があります。無理に引き抜こうとすると、怪我が悪化する可能性がありますから」
「そうだな」
相馬さんは腕を組んだ。
「しかも、天井から土が落ちている。救助に入る人間の安全も考えないといけない」
俺は二人の話を聞きながら、現場の状況を想像した。
狭い通路の奥で、足を挟まれて動けなくなっている作業員。
入口は分かっているが、途中で道が分かれている。
そして、通路の天井には異常が起きているかもしれない。
もし俺が中へ入るなら、帰る道が見えることだけでは足りない。
作業員を助け出すための方法も必要だった。
「相馬さん」
「何だ?」
「俺が行くとしても、作業員を見つけたあとに助け出せる人が必要ですよね」
「ああ。お前一人でどうにかできる状況じゃない」
「だったら、ザイルにも協力してもらうことになるんですか?」
「可能性はある。ただ、ザイルが力を使えば解決するとは限らない。石を動かしたことで、周囲が崩れるかもしれないからな」
俺は頷いた。
ザイルは力が強い。
でも、その力を使っていい場所なのかどうかは、別の問題だった。
その時、監視担当が新しい報告を受け取った。
「相馬さん、向こう側から追加情報です!」
「何だ?」
「見張り台の管理をしている人が、古い図面を見つけたそうです!」
俺たちは一斉に顔を上げた。
「図面?」
「はい。正確なものかどうかは分かりませんが、土台の内部について描かれているそうです」
相馬さんがすぐに通信機を取った。
「フェナ、図面が見つかったそうだな」
『はい。今、確認しています』
「通路の構造は分かりそうか?」
『少しだけ分かりました。入口から二つに分かれているところまでは、聞いていた通りです』
「その先は?」
『一方は見張り台の真下で行き止まりになっています。もう一方は、土台の外側を回るように続いていて……』
フェナはそこで言葉を止めた。
「どうした?」
『相馬さん、これ……』
向こう側で紙を広げる音が聞こえた。
フェナは誰かと短く話したあと、もう一度通信機へ向かった。
『外側の通路は、途中で行き止まりになるはずなんです』
「はず?」
『はい。図面ではそうなっています。でも、作業員の人がいると思われる場所は、その先なんです』
俺は思わず相馬さんを見た。
「図面にない場所があるってことですか?」
『分かりません。ただ、古い図面には描かれていない部分があるみたいで……』
相馬さんは少し考えた。
「図面が古いなら、あとから通路を作り直した可能性もある。まずは現場の人間に確認してもらおう」
『はい』
フェナは返事をしたが、すぐに続けた。
『それと、もう一つ分かったことがあります』
「何だ?」
『作業員の人に、どうして戻れなくなったのか聞いてみたんです』
「それで?」
『最初は足が挟まったからだと思っていました。でも、そうじゃないみたいなんです』
フェナの声が少し震えていた。
『作業員の人が言うには、足を挟まれる前に、戻るための通路が崩れたそうです』
俺は言葉を失った。
相馬さんがすぐに尋ねる。
「入口から入った道が塞がったということか?」
『はい。奥で土台の状態を確認していたら、大きな音がして、来た道の一部が崩れたそうです』
「そのあと、どうした?」
『別の出口がないか探している途中で、足元の石が動いて、足を挟まれたそうです』
相馬さんは黙って聞いていた。
俺も通信機を見つめたまま、動けなかった。
作業員は、ただ道に迷っているわけではない。
戻ろうとした道が、物理的に塞がっている。
それなら、《帰り道》で方向が分かったとしても、簡単には助けられない。
フェナが続けた。
『それと、作業員の人が気になることを言っていました』
「何だ?」
『崩れた場所の向こうから、今も時々、石が落ちる音がするそうです』
神代さんの表情が変わった。
「それは……」
「まだ崩れている可能性があるな」
相馬さんが低い声で言った。
俺も同じことを考えた。
今は足を挟まれて動けないだけかもしれない。
でも、通路の崩れ方によっては、作業員がいる場所まで危険になる可能性がある。
時間をかければ安全になるとは限らなかった。
「フェナ」
相馬さんが通信機へ向かって言った。
「作業員には、今いる場所から無理に動かないよう伝えてくれ。それと、周囲で新しい崩落が起きていないか、音だけでも確認してもらいたい」
『分かりました』
「こちらも救助方法を考える。まずは、現場の安全を確認できる人間を集めてくれ」
『はい』
通信が終わった。
監視室に静けさが戻る。
俺は机の上の資料を見た。
図面にない通路。
崩れてしまった帰り道。
足を挟まれて動けない作業員。
今までにも、帰る道が分からなくなった人を助けてきた。
でも、今回は少し違う。
道が分からないだけなら、俺の《帰り道》で助けられるかもしれない。
けれど、道そのものが崩れてしまっているなら、別の方法を考えなければならない。
「久世」
相馬さんが俺を呼んだ。
「はい」
「準備はできているか?」
「はい」
「分かった。向こう側へ行く可能性が高くなった。ただし、現場の安全確認が取れるまでは中へ入れない」
「分かってます」
相馬さんは頷いた。
「それと、今回はお前だけの力で解決できると思うなよ」
「はい」
「必要なのは、帰る道を見つけることだけじゃない。そこを通れる状態にすることと、怪我人を安全に運び出すことだ」
俺はしっかり頷いた。
「分かってます。だから、みんなの力を借りたいです」
相馬さんは少しだけ笑った。
「それでいい」
神代さんが道具をまとめながら、俺たちの方へ近づいてきた。
「久世さん、必要なものは準備しておきます。ただ、実際に使えるかどうかは現場を確認してから判断しましょう」
「お願いします」
俺はそう答えて、境目の向こうへ目を向けた。
まだ作業員の姿は見えない。
どこにいるのかも、正確には分からない。
それでも、助けを待っている人がいることだけは確かだった。
そして、今度は俺の《帰り道》が必要になるかもしれない。
ただし、帰る道が見えることと、無事に帰れることは同じではない。
その違いを、俺は何度も経験してきた。
だからこそ、今回は一人で何とかしようとは思わなかった。
その時、通信機からフェナの声が聞こえた。
『相馬さん、もう一つ確認できました』
「何だ?」
『作業員の人が、崩れた通路の向こうに、別の道があると言っています』
俺は顔を上げた。
「別の道?」
『はい。足を挟まれる前に、少しだけ見えたそうです』
相馬さんが尋ねる。
「その道は、どこへ続いているんだ?」
『分かりません。ただ、古い図面には描かれていない道だそうです』
「なるほど」
『それで、作業員の人が言っていたんです』
フェナは少し間を置いた。
『あの道がどこかへつながっているなら、そこから助けに来られるかもしれないって』
俺は思わず通信機へ近づいた。
「フェナ、その道は作業員の人がいる場所から見えるの?」
『今は見えないそうです。足を挟まれているので、身体の向きを変えられないみたいで……』
「そっか」
『でも、確かに道があったと言っています』
相馬さんは俺を見た。
「久世、どう思う?」
俺は少し考えた。
図面にない道がある。
それがどこへつながっているのかは分からない。
でも、もし別の入口へ続いているなら、崩れた通路を通らずに作業員のところへ行ける可能性がある。
もちろん、実際に通れるかどうかは確認しなければならない。
「調べる価値はあると思います」
俺が答えると、相馬さんは頷いた。
「そうだな。ただ、道があるからといって、すぐに人を入れるわけにはいかない。まずは入口がどこにあるのか確認しよう」
「はい」
俺は通信機へ向き直った。
「フェナ、向こう側の人たちに聞いてみて。見張り台の周りに、ほかの入口がないか」
『分かりました』
フェナはすぐに返事をした。
そのあと、少しだけ声を落とした。
『ナオト』
「何?」
『今回は、来てもらうことになるかもしれません』
俺は頷いた。
「うん。その時は呼んで」
『ありがとう』
「でも、無理に誰かを中へ入れないでね。ちゃんと準備してからにしよう」
『はい。約束します』
通信が終わった。
俺は深く息を吐いた。
昨日は、俺がいなくても救える救難があった。
今日は、俺が必要になるかもしれない救難がある。
どちらが正しいという話ではない。
必要な時に、必要な人が動けばいい。
ただ、今回は一つだけ、今までとは違うことがあった。
**俺が帰る道を見つける前に、まず助けに行くための道を探さなければならない。**
そして、その道が見つかったとしても、そこから先は現場の人たちと協力して進む必要がある。
俺は机の上に置かれた装備へ目を向けた。
まだ出発するとは決まっていない。
それでも、必要になった時にすぐ動けるよう、準備だけはしておこうと思った。
その時、監視担当が再び声を上げた。
「相馬さん! 向こう側から報告です!」
「今度は何だ?」
「見張り台の裏手で、古い入口らしきものが見つかったそうです!」
俺は顔を上げた。
「本当ですか?」
「はい。ただ、入口の前には大きな石が積まれていて、今は中へ入れないそうです」
相馬さんが通信機を取る。
「フェナ、その入口は誰かが使っていたものなのか?」
『分かりません。でも、石の壁に古い扉の跡が残っているそうです』
「扉?」
『はい。今は塞がれていますが、昔はそこから中へ入れたのかもしれません』
相馬さんは少し考えた。
「その入口が作業員のいる場所へつながっているかどうか、確認できるか?」
『それを調べているところです』
「分かった。石を動かす前に、周囲の状態を確認してくれ。土台を支えている部分かもしれないからな」
『はい』
フェナは返事をしたあと、少し間を置いた。
『それと、作業員の人に、もう一度声をかけてみました』
「どうだった?」
『返事はありました。でも……』
フェナの声が小さくなった。
『さっきより、声が弱くなっています』
俺は思わず通信機を見つめた。
「意識は?」
『まだあります。ただ、足の痛みが強くなっているみたいで……』
相馬さんの表情が険しくなった。
「分かった。こちらでも救助の準備を進める。現場の安全確認を急いでもらってくれ」
『はい!』
通信が終わった。
俺は相馬さんを見た。
相馬さんも、俺を見ていた。
「久世」
「はい」
「そろそろ、お前の出番が来るかもしれない」
俺は頷いた。
ただ、今回の救難は、今まで以上に慎重に進める必要がある。
帰る道が見えるだけでは足りない。
助けに行くための道を見つけ、怪我人を安全に運び出す方法を考えなければならない。
そして何より、救助に向かう人間まで危険にさらすわけにはいかない。
俺は準備していた装備を手に取った。
見張り台の下で、今も助けを待っている人がいる。
その人を無事に帰すために、俺たちに何ができるのか。
答えを出すのは、これからだった。




