第130話 救難なら行く
ミアたちを町へ帰したあと、俺と神代さんは人間側へ戻る準備を始めた。
フェナはミアのところへ行ったまま戻っておらず、ガルドも一緒にいる。町から境目へ戻るのは、俺、神代さん、リュシア、ザイルの四人だった。
俺は建物の外へ出たところで、改めて《帰り道》を確認する。
ミアとガルドが町の人たちへ引き継がれたあとも光は残り、ザイルとリュシアの報告先まで同行したところで消えている。
今度は、俺と神代さんが人間側へ帰る。
そう意識すると、足元に再び淡い光が現れた。
「出ました」
神代さんが聞く。
「方向は?」
俺は光の先を見る。
町へ来た時とは反対方向だった。
「境目の方です」
リュシアが足元を見たあと、俺を見る。
『また見える?』
「はい」
『今度は、こっちじゃない』
「俺たちは人間側へ帰るからね」
リュシアは少し考えてから頷いた。
『ナオトの帰る場所、向こう』
「そういうことです」
ザイルにも説明してもらうと、何かを言った。
「何て?」
『さっきと逆だから、変だって』
「俺も仕組みを全部分かってるわけじゃないです」
『自分の力なのに?』
「自分の力でも、分からないものは分からないんです」
リュシアが笑う。
『やっぱり便利じゃない』
「今日はかなり役に立ったでしょう」
『少し』
「厳しいな」
神代さんも隣で少し笑った。
ただ、今回の表示だけで新しい決まりを作るつもりはない。
救難対象と一緒に町を目指していた時と、俺と神代さんが人間側へ帰ろうとしている今では、集団も目的も違う。確認できたのは、その状況の変化に合わせて光の向きも変わったという事実だけだった。
「行きましょうか」
神代さんが言う。
「はい」
俺たちは町を出た。
帰りは、ミアを連れてきた古い道をそのまま戻る必要はない。リュシアたちが普段使っている経路を通り、途中から境目へ向かう道へ入る。
町を離れるにつれて建物や畑は見えなくなり、周囲は再び黒い地面と木々の多い景色へ変わっていった。
行きより歩く速度はかなり速い。
負傷者がいないことに加え、リュシアとザイルにとっては普段使っている場所らしく、古い記録と地形を確認しながら進む必要もなかった。
俺は二人の後ろを歩きながら、足元の光を確認する。
《帰り道》は、二人が案内する方向と重なっていた。
「こっちの道なら、ミアさんを町まで運べなかったんですか?」
俺が聞く。
リュシアが答える。
『途中で、壊れた道につながる』
「ああ。最初に四人が帰れなくなったところか」
『うん。ここから途中までは行ける。でも、その先がない』
道全部がなくなったわけではないらしい。
町側から途中までは今でも使えるが、その先が今回の崩落地点へつながっている。そのため、ミアたちを町へ帰す時には使えなかった。
俺たちはその手前で別の道へ入り、境目方向へ進んだ。
《帰り道》も同じところで向きを変える。
しばらく歩いたところで、先を進んでいたザイルが急に足を止めた。
神代さんもすぐ周囲を見る。
「どうしました?」
リュシアがザイルへ聞く。
ザイルは木々の奥を見たまま答えた。
『魔物の跡あるって』
「近くにいる?」
『分からない。新しい。でも今いるとは限らない』
神代さんが地面を確認する。
俺には違いが分からなかったが、大きな足跡のようなものが残っているらしい。
「避けられますか?」
神代さんが聞く。
リュシアが頷く。
『少し遠くなる。でも行ける』
俺は《帰り道》を見る。
光は今いる道の先へ続いており、迂回路には向いていない。
それでも、迷う理由はなかった。
「回りましょう」
リュシアが俺を見る。
『光は?』
「このまま真っすぐです」
『じゃあ、そっちじゃない?』
「魔物がいるかもしれないって分かってるなら、わざわざ確かめに行く必要ないでしょう」
神代さんも頷いた。
「距離が少し増えるだけなら、私も迂回でいいと思います。戦う必要がないなら戦わない方がいいです」
リュシアがザイルへ伝える。
ザイルも異論はないようだった。
俺たちは少し手前から別の道へ入り、足跡のあった場所を避けて進む。
最初のうち、《帰り道》の光は元の道の方向へ伸びたままだった。
ところが迂回路を少し進むと向きが変わり、再び俺たちの進行方向と重なった。
俺はその変化を確認したが、理由を考えるのはやめた。
危険を避けたから変わったのか、俺たちが実際に別の経路へ入ったから変わったのかは分からない。
分からないことは、見たまま記録すればいい。
それで十分だった。
さらに進むと、見覚えのある地形が増えてきた。
俺と神代さんが行きに通った狭い岩場も見える。
あの時は途中で魔物に遭遇したが、今は周囲に動くものはいなかった。
神代さんが言う。
「もうすぐですね」
「ですね」
リュシアが前を指す。
『この先、境目』
木々の間から、わずかに青い色が見えていた。
境目へ近づくにつれて、人間側に設置した傾いた監視カメラや有線ケーブルも見えてくる。その向こうには、人間側の岩盤があった。
距離にすれば、それほど遠くない。
それでも一度向こう側へ入り、町まで往復したあとに見ると、青い膜の向こうが随分近く感じられた。
境目の少し手前で、ザイルが足を止める。
リュシアもその隣に並んだ。
俺と神代さんは境目へ近づく。
向こう側では現地救難員が待っており、俺たちの姿を確認するとすぐ無線で報告を始めた。
俺は一度振り返る。
「ここまでありがとう」
リュシアが首を傾げる。
『私たちの道』
「それでも案内してくれたでしょう」
ザイルにも伝えてもらう。
短い返事が返ってくる。
『早く帰れって』
「相変わらずですね」
『ナオトがまた帰れなくなると面倒だって』
「そこまで言ってます?」
リュシアが少し笑う。
本当にそう言ったのかは怪しかった。
神代さんがリュシアへ言う。
「ミアさんの状態が分かったら、また教えてください」
『分かった』
「フェナさんにも、お疲れさまでしたと伝えてください」
『言う』
俺もザイルを見る。
「今日は助かりました」
『いるから自分で言えば?』
「通じないでしょう」
リュシアが呆れたようにザイルへ伝える。
ザイルは俺を見て、一度だけ頷いた。
それで十分だった。
俺は境目へ向き直る。
足元の《帰り道》は、青い膜の向こうへ続いていた。
神代さんが言う。
「帰りは久世さんからでいいですよ」
「いいんですか?」
「向こうには救難員が待っていますから」
俺は頷き、境目の前へ立った。
行きと同じ青い膜がある。
今度はその向こうに、人間側の景色が見えていた。
一歩踏み出す。
身体が膜を通る瞬間、視界がわずかに青く揺れ、次の瞬間には足の裏へ人間側の岩盤の感触が戻ってきた。
待機していた救難員が声をかける。
「久世さん、聞こえますか?」
「はい。大丈夫です」
手足と装備を簡単に確認し、その場から少し離れる。
続いて神代さんも境目を越えた。
こちらへ戻ると、すぐ自分の状態を確認する。
「問題ありません」
救難員が無線へ報告した。
『二名帰還確認。境目通過時、目立った異常なし』
そこで俺は足元を見る。
《帰り道》の光は、まだ消えていなかった。
境目を越えたところで終わるのかと思っていたが、淡い光は未記録亀裂の入口方向へ続いている。
神代さんが聞く。
「まだ見えてますか?」
「はい。地上方向です」
考えてみれば、俺たちは人間側へ戻っただけで、まだ御影ダンジョンの第五層にいる。
地上へ帰ったわけではない。
現地救難員の案内で、俺たちは壁際の安全経路を一人ずつ戻った。宮坂さんの事故が起きた床には入らず、未記録亀裂の入口へ到着したところで通信も安定する。
すぐに小日向の声が入った。
『久世さん、神代さん、聞こえます?』
「聞こえてる」
『二人とも怪我なし?』
「大丈夫」
神代さんも答える。
「問題ありません」
続いて相馬さんの声が入る。
『四人は』
「全員、町まで帰しました。ミアさんは向こうで治療を受けてます」
『久世たちは』
「今、人間側です。これから地上へ戻ります」
『分かった。話は帰ってから聞く』
それだけだった。
俺は思わず聞き返す。
「もっと何か言わないんですか」
『何がだ』
「初めて向こうまで行って帰ってきたんですけど」
『帰ってくるのは前提だ』
「そうですけど」
『地上まで帰ってから話せ』
通信が切れた。
神代さんが少し笑っている。
「相馬さんらしいですね」
「もう少し心配してくれてもいいと思うんですけど」
「かなり心配してたと思いますよ」
「そう見えました?」
「見えました」
俺にはよく分からなかった。
そこから先は、よく知っている御影ダンジョンだった。
《帰り道》も正規の退避経路と同じ方向へ伸びている。今回は救難対象を搬送しているわけではなく、俺と神代さん自身が帰るだけだが、それでも地上へ出るまでは帰還の途中だった。
御影ダンジョンの入口を越え、俺と神代さんがそろって外へ出る。
その時、足元の淡い光がゆっくり薄くなり、そのまま見えなくなった。
「消えました」
神代さんが聞く。
「全員が地上へ出てから?」
「はい」
俺は一度だけダンジョンの入口を振り返った。
あの奥に境目がある。
その向こうには、さっきまで歩いていた土地と、リュシアたちの町がある。
けれど、今はまず今回の救難を終わらせる方が先だった。
救難所へ戻ると、瀬川が端末を準備して待っていた。
小日向も近くにいる。
「おかえりなさい」
「ただいま」
「本当に向こうまで行ったんですね」
「行ったよ」
「どうでした?」
俺が答える前に、相馬さんが口を挟む。
「感想はあとだ。先に救難記録」
「俺、観光してないですよ」
「なら問題ない」
瀬川が端末をこちらへ向ける。
「確認できた事実からお願いします」
俺たちは、向こうで起きたことを順番に説明した。
ザイルとフェナがすでに救難対象二人と合流していたこと。ミアは左足首を負傷しており、自力で長い距離を移動するのが難しかったこと。既知の帰路が崩落し、リュシアだけが通って戻れた迂回路では負傷者を搬送できなかったこと。
俺と神代さん、リュシアが四人と合流し、全員で町へ帰ることを確認したあと、《帰り道》が町方向へ表示されたことも伝える。
ただし、光が示す方向をそのまま歩くだけで帰れたわけではない。
古い道には崩れた場所があり、橋が失われた亀裂では倒木を使って通れる状態を作った。途中で見つけた近道も、歩ける人だけなら使えそうだったが、負傷したミアを連れて通るには危険が大きかったため使わなかった。
町へ到着してミアとガルドが現地の人たちへ引き継がれ、フェナが二人と別行動になったあとも光は残っていた。ザイルとリュシアの報告先まで同行したところで、その表示は消えた。
その後、俺と神代さんが人間側へ帰ろうとした時には、境目方向へ新たに《帰り道》が表示された。境目を越えたあとも光は地上方向へ続き、二人とも地上へ出たところで消えた。
瀬川は話を聞きながら記録を作っていく。
しばらくして、端末をこちらへ向けた。
『魔族側にて救難対象者二名および先行救難者二名と合流後、同行者を含む集団で町方向への表示を確認。町到着後、救難対象者二名およびフェナが別行動となった後も表示継続。ザイル、リュシアと報告場所まで同行した後、表示消失。その後、人間側へ帰還する二名について境目方向への表示を確認。境目通過後も地上方向への表示が継続し、二名の地上帰還後に消失。』
俺は一通り読む。
「これでいいと思います」
相馬さんも画面を見る。
「推測は入れてないな」
瀬川が答える。
「はい。今回確認した表示の変化だけです」
「それでいい」
今回だけを見れば、いろいろな解釈はできる。
それでも、まだ一度の事例だ。
《帰り道》が人間と魔族をどう扱っているのかも、どこを「帰る場所」と判断しているのかも分からない。
相馬さんが俺を見る。
「久世」
「はい」
「今回できたからって、次も同じだと思うな」
「分かってます」
「向こうへ入れば魔族を何でも帰せる、にもするな。《帰り道》が向こうの地理を調べる道具になったわけでもない」
「はい」
相馬さんは一度頷いた。
「ならいい」
小日向が記録を見ながら言う。
「でも、今回帰れなかった四人は帰せたんですよね」
「うん」
「それなら十分ですか」
俺は少し考えてから頷いた。
「十分だと思う」
今回、《帰り道》に新しい機能が増えたわけではない。
魔族側のことが詳しく分かったわけでもない。
それでも、帰れなくなっていた四人は帰った。
救難として必要なのは、まずその結果だった。
神代さんが隣から聞く。
「向こうへ行った感想、本当に聞かなくていいんですか?」
小日向がすぐ反応する。
「聞きたいです」
相馬さんが言う。
「仕事に関係あることだけにしろ」
「厳しいなあ」
俺が言うと、相馬さんがこちらを見る。
「じゃあ一つだけ聞く」
「何です?」
「また向こうから救難要請が来たらどうする」
答えは、ほとんど考える必要がなかった。
向こうの世界を見たいから行くわけじゃない。
魔族の町を調べたいわけでも、知らない土地を歩きたいわけでもない。
今回だって、四人が普通に帰れていたなら、俺と神代さんが境目を越える理由はなかった。
「必要なら行きます」
相馬さんが聞く。
「何のために」
「救難なら」
それで十分だった。
行かなくても帰せるなら行かない。
向こうへ行かなければ帰せないなら、その時に必要な準備をして行く。
境目の向こうに何があるのかより、俺にはその方がずっと分かりやすい。
端末に残った記録を見る。
そこに書かれているのは、俺たちが知らない世界を歩いた記録ではない。
帰れなくなった四人を、帰る場所まで連れていった救難の記録だった。




