第128話 遠回りでも
魔物と離れてから、俺たちはしばらく無言で古い道を進んだ。
さっきの戦闘で大きな怪我をした人はいない。ミアの左脚も、移動を再開する前に神代さんとフェナが確認しており、固定が緩んだ様子はなかった。それでも歩く速度は少し落としている。戦ったあとのリュシアやザイルにも疲れはあるし、日が落ちるまでの時間を気にして無理をすれば、別の事故につながるからだ。
《帰り道》の淡い光は、変わらず前へ続いていた。
フェナの記録に残る古い経路とも、今のところ大きく外れていない。ただ、道そのものは進むほど形を変えていた。木々の間を抜ける平らな場所が続いたかと思えば、急に岩が増え、その先には再び古い石組みが現れる。同じ一本の道でも、長い時間の中で崩れたり埋もれたりしながら、少しずつ今の形になったのだと思う。
しばらく進んだところで、先頭のフェナが足を止めた。
リュシアも隣へ寄り、記録板を覗き込む。
「どうしたの?」
俺が聞くと、フェナが前方を指した。
道が二つに分かれている。
右側は岩の間を抜ける細い道で、地面には人が通ったような跡が残っていた。一方、左側は木々の間へ続く緩やかな下りになっており、見るからに右側より遠回りになりそうだった。
俺は足元を確認する。
《帰り道》の光は、迷うことなく左へ伸びている。
「光は左です」
神代さんが右側を見る。
「右には伸びてないんですね」
「はい」
リュシアがフェナへ何かを確認し、こちらを振り返った。
『右、近い』
「町まで?」
『うん。左より近い』
ザイルも右側を指しながら何か言う。
『ザイルも、こっち使えば早いって』
確かに、右側には今まで歩いてきた古い道より新しい足跡が残っている。フェナの記録にも載っているらしい。
「今も使う道なの?」
『たまに使う』
「じゃあ、普通に帰れる道ではあるんですね」
リュシアは少し考えてから答えた。
『歩ける人なら』
その言葉に、神代さんも右側へ目を向ける。
「ミアさんを連れて行く場合は難しいんですか?」
フェナが記録板を確認しながら説明し、リュシアが訳した。
『途中、急な上りある。一人ずつ登る』
「どのくらい?」
リュシアが両手を使って高さを示す。
人の背丈より高い段差が何度か続き、岩へ手を掛けながら登らなければならないらしい。完全な崖ではないが、二人で横から支えながら進める道ではなさそうだった。
ザイルが何か言う。
『ミア背負えば行けるって』
ザイルの体格なら、ミアを背負うこと自体はできるだろう。
ただ、できることと、安全に帰せることは同じではない。
神代さんが聞いた。
「ザイルさん一人なら、その上りを問題なく通れますか?」
『できる』
「ミアさんを背負った状態では?」
リュシアが伝える。
ザイルはすぐ頷いたが、神代さんはさらに確認した。
「登る時、両手を使えますか?」
今度は返事が少し遅れた。
『片手は使える』
「もう片方はミアさんを支える?」
『うん』
ザイル自身も、絶対に問題ないと言い切れる状況ではなさそうだった。
俺はもう一度、左へ続く淡い光を見る。
ザイルが俺へ聞いた。
『光は左?』
「はい」
『右、近い』
「そうみたいですね」
『何で左?』
「分かりません」
ザイルが眉を寄せる。
『また?』
「またです」
リュシアが少し笑った。
ザイルにとっては、《帰り道》が見えているなら理由まで分かると思うのかもしれない。
でも、俺にも光が左を選んでいる理由は分からない。
右側に魔物がいるのかもしれないし、途中の地形が変わっているのかもしれない。あるいは、単純にミアを連れた七人で進むには負担が大きいだけかもしれない。
どれも推測でしかなかった。
「俺に分かるのは、今ここにいる全員で帰るなら左の方向が見えてるってことだけです」
リュシアが訳す。
ザイルは右側の道と俺を交互に見たあと、何かを言った。
『右、見ない?』
俺も少し考える。
光が左を示しているからといって、右側を確認してはいけないわけではない。
むしろ、今使える道があるなら状態を確認しておいた方が判断しやすい。
神代さんが提案する。
「入口から確認できる範囲だけ見ましょう。全員で入る必要はありません」
フェナも頷いた。
俺たちはミアを分岐の手前で休ませることにした。
ザイルとガルドがそばに残り、神代さん、リュシア、フェナの三人で右側の道を確認する。俺も残ることにした。俺が一緒に行ったところで、危険を見つけられるわけではないし、今は救難対象と離れない方がいい。
三人は右側へ入ったが、姿が完全に見えなくなるほど奥までは進まなかった。
しばらくして、最初にリュシアが戻ってくる。
『やっぱり狭い』
「登るところ?」
『うん。前より悪い』
続いて神代さんとフェナも戻ってきた。
神代さんが説明する。
「一人で歩ける人なら通れます。ザイルさんも一人なら問題ないと思います」
「ミアさんを背負った場合は?」
「私は勧めません」
神代さんは右側を振り返る。
「途中に身体を横へ向けて登る場所があります。背負ったままだとミアさんの左脚を岩へ当てる可能性がありますし、ザイルさんが足を滑らせた場合、二人を外から支えられる場所もありません」
フェナも似た判断らしい。
リュシアが記録板を指した。
『昔はもう少し広かった。今、岩落ちて狭い』
「記録と変わってる?」
『うん』
右側の道そのものが使えなくなっているわけではない。
怪我をしていない人なら今でも通れる。
ただ、ミアを含めた今の七人で帰る道として考えると、負担と危険が大きい。
ザイルは説明を聞いたあと、しばらく右側を見ていた。
それでもすぐに反論はしなかった。
やがてミアが何かを言う。
「何て?」
リュシアが訳した。
『ミア、右は嫌だって』
「本人もそう思いますよね」
『落ちたら、もっと帰れなくなるって』
俺は頷いた。
ミア自身が不安を感じている道を、わざわざ選ぶ理由はない。
ザイルもミアの言葉を聞くと、右へ行くとは言わなくなった。
俺は左側を見る。
《帰り道》の光は、最初から変わらずそちらへ伸びている。
「じゃあ、左で行きましょう」
リュシアが聞く。
『遠いよ』
「うん」
『時間かかる』
「それでも、今の七人ならこっちの方が進みやすい」
リュシアは一度左側を見たあと、頷いた。
ザイルにも伝える。
返ってきた言葉を聞いて、リュシアが少し笑う。
「何です?」
『遠回り嫌いだって』
「俺も好きじゃないです」
『でも行くって』
「なら十分です」
神代さんが少し笑った。
「納得はしてないんですね」
「帰る方向が同じなら大丈夫でしょう」
再び移動の準備を始める。
フェナと神代さんがミアの固定を確認し、水も少し飲ませた。左側は右側ほど急ではないが、距離は長くなる。この先でまた障害があれば、日が落ちる前に町へ着けない可能性もある。
だからこそ、時間を気にして無理に速度を上げない。
ザイルとガルドがミアを左右から支え、フェナが記録板を持って前へ出る。リュシアも先頭近くで周囲を確認し、俺は《帰り道》を見ながらその後ろを進む。
出発する前に、俺はもう一度だけ右側の道を見た。
もし《帰り道》がなければ、距離の短い右を選びたくなったかもしれない。
それでも、右側が絶対に帰れない道だったとは言えない。ザイルがミアを背負い、十分に時間をかければ通れた可能性もある。
だから、《帰り道》が右側にある危険を察知して左を選んだとは言えなかった。
実際に俺たちが確認して分かったのは、右側が今の七人には使いにくく、左側ならミアを二人で支えながら進めるということだけだ。
俺たちは左の道へ入った。
こちらは最初から緩やかな下りになっており、道幅にも余裕がある。ザイルとガルドが並んでミアを支えても、まだ周囲を確認できるだけの幅が残っていた。
少し進んだところで、ザイルが後ろから何か言う。
リュシアが笑った。
「何です?」
『ザイル、こっち楽だって』
「でしょうね」
『でも遠い』
「そこは我慢してください」
『ナオト、歩くの遅い』
「俺のせいじゃないでしょう」
神代さんが後ろから言う。
「久世さん、言い返してないで前を見てください」
「はい」
さっきまで近道を選びたがっていたザイルも、今はミアの歩幅に合わせて進んでいる。
距離が短いことと、全員が帰りやすいことは同じではない。
《帰り道》が何を基準に左を示したのかは分からないままだ。
それでいい。
俺に必要なのは、理由を当てることではない。
光が示した方向を実際に使えるか確認し、使えるなら進む。使えないなら立ち止まり、別の方法を考える。
今までと同じだった。
しばらく歩くと、フェナが記録板を確認しながら声を上げた。
リュシアが横から覗き込む。
『この先、昔の道と今の道がつながるって』
「今も使ってる道?」
『うん。町へ行く道』
神代さんが聞く。
「そこまで行けば、古い記録だけを頼りにしなくて済むんですね」
『うん』
ここまでずっと古い道を確認しながら進んできただけに、その言葉で少しだけ先が見えた気がした。
俺は足元へ目を向ける。
《帰り道》の淡い光は、そのまま前へ伸びている。
遠回りではある。
それでも、今ここにいる七人が一緒に進める道だった。
近い道を選ばなかった理由を、《帰り道》が教えてくれたわけではない。
俺たち自身が確認し、今の七人にはこちらの方がいいと判断した。
それで十分だった。




