第125話 知らない帰り道
古い道へ入ってすぐ、俺たちの歩く速度は自然と落ちた。
フェナの記録に残っているとはいえ、今も使われている道ではない。低い植物が足元を覆い、ところどころには落ちた枝や小さな岩が積もっている。人が定期的に通っていれば踏み固められているはずの場所も、今はどこまでが道なのか分かりにくかった。
それでも、《帰り道》の淡い光は前へ伸びている。
俺は光だけを見て進まず、フェナの古い記録と実際の足場を見比べながら歩いた。先頭をリュシアとフェナが進み、その後ろではザイルとガルドがミアを左右から支えている。俺は少し後ろから《帰り道》を確認し、神代さんが最後尾について周囲を警戒していた。
しばらく進んだところで、フェナが足を止めた。
記録板へ目を落とし、それから右手にある大きな岩を見る。何度か見比べたあと、岩の表面へ近づいて削れた部分を指でなぞった。
リュシアが説明する。
『記録に、この岩ある』
「同じ岩?」
『たぶん』
フェナが指している場所には、自然にできた傷とは少し違う跡が残っていた。
リュシアも確認する。
『道の印』
「昔の?」
『うん』
記録だけではなく、ここが実際に道として使われていた痕跡も残っているらしい。
神代さんが俺へ聞いた。
「《帰り道》も同じ方向ですか?」
「はい。今のところ、フェナの記録と重なってます」
「なら、《帰り道》が誰も知らない道を見つけたわけではないんですね」
「そうですね」
そこは大事だった。
俺に見えている光が、突然この場所に新しい道を作ったわけではない。フェナたちの側には昔から存在していた経路が記録として残っていて、今は使われなくなっているだけだ。
《帰り道》が、その方向と重なっている。
今分かっているのはそれだけだった。
リュシアが首を傾げる。
『ナオト、道知らないのに、分かる?』
「方向は分かる」
『変』
「俺もそう思う」
『便利じゃないのに変』
「それ、褒めてないですよね」
リュシアが少し笑う。
後ろからザイルが何か言った。
『ザイル、話してないで前見ろって』
「それは正しいです」
俺たちは再び歩き始めた。
古い道は、最初のうちは思ったより形を残していた。左右に並ぶ木々の間隔がある程度揃っていて、地面も周囲よりわずかに平らになっている。ところどころには古い石組みのようなものも残っており、以前は人が行き来していたことが分かった。
ただ、しばらく進むと様子が変わった。
フェナが再び立ち止まり、今度は記録板と周囲を何度も見比べる。
「どうしたの?」
俺が聞くと、リュシアも横から記録を覗き込んだ。
二人でしばらく話したあと、リュシアがこちらを見る。
『ここ、記録と違う』
「何が?」
フェナが前方を指した。
記録上では道が真っすぐ続いているらしいが、実際にはその先の地面が大きく盛り上がり、崩れた岩と土が道の半分近くを塞いでいた。いつ崩れたのかは分からないものの、少なくとも記録が作られた時とは地形が変わっている。
完全に通れないわけではなさそうだった。
俺は足元の《帰り道》を確認する。
淡い光は消えていない。
ただし、崩れた場所を真っすぐ抜けるのではなく、少し右へ寄って、その脇を回るように伸びていた。
神代さんが聞く。
「光は?」
「右です。この崩れたところの横を回ってます」
リュシアが俺の示した方向を見る。
『道ない』
「記録にはない、ってことですよね」
フェナもそちらへ近づき、足元を確認する。
やはり記録板には載っていないらしい。
ザイルが何か言った。
『ザイル、光が道作ったのかって』
「作ってません」
『でも記録ない』
「今の記録にないだけです。崩れたあとでも通れる場所が残ってるのかもしれない」
それ以上は言えなかった。
昔ここに別の道があったのか、地形が変わったあとに人が通れる隙間ができたのか、それとも今の状態なら単純に脇を抜けられるだけなのか。
《帰り道》は理由まで教えてくれない。
神代さんが前へ出た。
「確認します。まだ誰も入らないでください」
リュシアも一緒に進もうとしたが、神代さんが止める。
「まず見える範囲だけです」
リュシアは少し不満そうだったが、そこで待った。
神代さんは崩れた場所の右側まで進み、足元を剣の鞘で確かめながら数歩先まで確認する。地面の状態と斜面の角度を見たあと、一度こちらへ戻ってきた。
「一人なら通れそうです。ただ、ミアさんを左右から支えたまま進むには少し狭いですね」
ザイルも説明を聞いたあと、自分の目で前方を確認した。
片側には岩壁があり、反対側は崩れた斜面になっている。人一人なら十分に歩けるものの、二人でミアを挟む形では外側の一人が不安定になりそうだった。
「ここだけ運び方を変えた方がいいですね」
俺が言うと、神代さんも頷く。
「一人が前で身体を支えて、もう一人が後ろから補助した方が安全だと思います」
フェナがミアへ説明する。
ミアは左脚へ体重をかけないようにしながら、右脚だけでゆっくり立ち上がった。痛みはあるようだが、意識ははっきりしている。
ザイルが前に立ち、ミアの両腕を自分の肩へ回す。
ガルドが後ろから腰を支え、神代さんとフェナが負傷した左脚と足元を確認することになった。
俺とリュシアは少し距離を取り、その後ろからついていく。
「ゆっくりで」
俺が言うと、リュシアが訳した。
ザイルも歩幅を小さくする。
最初の数歩は問題なかった。
右側には岩壁があり、左側は崩れた斜面になっている。幅は広くないが、足を置ける場所を選べば進める。
途中でミアの右足が小さな石を踏み、身体が大きく傾いた。
ザイルがすぐに前から支え、ガルドも後ろへ引き戻す。
神代さんが言った。
「一度止まりましょう」
全員がその場で動きを止める。
ミアの状態を確認すると、驚きはしたものの、左脚の痛みが急に強くなったわけではないらしい。固定にも緩みはなかった。
リュシアが聞く。
『大丈夫?』
ミアが頷く。
無理に急ぐ必要はない。
少し休ませたあと、足元の小石を先にどかし、今度は進む位置をわずかに変える。
そこからはさらに速度を落とし、数分かけて全員が崩れた場所を抜けた。
反対側には少し広い地面があった。
ミアを座らせ、フェナと神代さんが脚の状態をもう一度確認する。固定は保たれており、腫れも急に強くなったようには見えない。
俺もそこでようやく足元へ目を向けた。
《帰り道》の光は、まだ前へ続いていた。
神代さんが聞く。
「消えてませんか?」
「はい。この先です」
フェナが記録板を見る。
今度は少し困った表情をした。
リュシアが横から覗き込み、何かを確認する。
「どうしたの?」
『ここから先、古い』
「さっきまでの記録より?」
『もっと古い』
リュシアがフェナへ詳しく聞く。
返ってきた答えによると、この先の記録はフェナ自身が作ったものではなく、彼女が使い始めるより前から残っていたものらしい。
フェナが別の記録板へ替える。
道を示す線は続いているが、先へ行くほど書き込みが少なくなっている。
『ここから、今の形分からない』
俺は前を見る。
木々の密度が少し高くなり、道らしい平らな場所は残っているものの、遠くまでは見通せない。
その中へ、《帰り道》の淡い光が続いている。
ザイルが俺に聞く。
『まだ行く?』
「行けるか確認しながらなら」
『道、分からないのに?』
「分からないから、確認しながら行くんです」
リュシアが訳すと、ザイルは腕を組んだ。
まだ俺の能力を完全に信用しているわけではないのだと思う。
当然だった。
人間側でも、《帰り道》があるから何でも任せればいいという扱いにはしていない。
相馬さんなら、今の状況を見ても同じことを言うだろう。
使えるものは使う。
ただし、それだけに頼らない。
俺はザイルを見る。
「光が出てても、危なかったら止まります。この道が使えないなら、別の方法を考える。光があるから進むんじゃなくて、安全に進めるなら使うだけです」
リュシアが訳す。
ザイルはしばらく俺を見たあと、短く答えた。
『分かった』
フェナも頷く。
神代さんが空を確認する。
「日が落ちるまで、あとどのくらいですか?」
リュシアも空を見上げた。
『まだある。でも遅くしたくない』
「私もです」
このまま安全に進めるなら進む。
難しい場所があれば、その場で止まる。
それでいい。
少し休ませたあと、ミアをもう一度立たせる。
今度はザイルだけに負担を集中させないよう、ガルドと交代しながら支えることにした。フェナは古い記録を手に先頭近くへ移り、俺も《帰り道》の方向を確認する。
「光はこのまま前です。少し先で左に曲がってます」
リュシアがフェナへ伝える。
フェナが記録板を確認し、しばらくして線の一部を指した。
『同じ』
「曲がる場所も?」
『たぶん同じ』
少なくとも今のところ、《帰り道》が示す方向は、古い記録に残っている経路から大きく外れていない。
ただし、記録通りに安全な道が残っている保証はない。
さっき通った崩落箇所のように、地形が変わっている場所もある。
《帰り道》が古い道を元に戻してくれるわけでも、フェナの記録にないことを説明してくれるわけでもない。
示しているのは、全員で帰れる可能性の高い方向だけだ。
俺たちは再び歩き始めた。
少し進むと、《帰り道》の光が示した通り、道が左へ緩く曲がる。
フェナの記録とも一致していた。
その先には、崩れかけてはいるものの、道の両側に古い石組みが残っていた。
リュシアが足を止める。
『ここ、昔の道』
「分かるの?」
『ここまで形残ってるの、初めて見た』
フェナも周囲と記録板を見比べながら頷いている。
長く使われていなかっただけで、この道そのものは昔から存在していた。
俺は足元の淡い光を見る。
《帰り道》が、誰も知らない道を作り出したわけではない。
俺たちが知らなかっただけだ。
ここには俺たちが来る前から道があり、それを使った人がいて、記録を残した人もいる。
《帰り道》は、その全部を教えてくれるわけではない。
ただ今は、この七人で帰るために使える可能性の高い方向を示している。
俺たちは古い記録と目の前の道を一つずつ確かめながら、その先へ進んだ。




