第124話 全員で帰る道
大きな岩のそばまで近づくと、最初にザイルが俺たちの前へ出てきた。
こちらを一度見たあと、神代さんへ視線を移し、最後にリュシアへ何かを聞く。二人の間で短いやり取りが続き、リュシアがこちらへ向き直った。
「何て?」
『本当に人間を連れてきたのかって』
「嫌だった?」
リュシアがザイルへ確認する。
『嫌じゃない。驚いただけ』
ザイル自身も、俺たちを追い返そうとはしなかった。
少し離れたところでは、フェナが座っている女性の脚を確認している。あの人がミアだろう。その隣にいる男性がガルドらしい。
二人とも頭には短い角があり、服装にもリュシアたちと似たところがあるが、今はそこを観察している場合ではない。
俺と神代さんはすぐミアのところへ向かった。
リュシアが俺たちを紹介する。
『ナオト。ミナミ。人間。でも助ける』
「最後の説明、だいぶ簡単ですね」
『分かればいい』
たぶん、今はそのくらいで十分だった。
ガルドは俺たちを警戒するように見ていたが、フェナから何か言われると少しだけ表情を緩めた。ミアも不安そうではあるものの、こちらの話を聞こうとしている。
神代さんがしゃがんだ。
「脚を見てもいいですか?」
リュシアが訳すと、ミアが頷いた。
左足首は確かに腫れている。靴に近い形の装具を外してもらうと、外側を中心に腫れと赤みが見えたが、大きな出血や明らかな変形は確認できなかった。
神代さんはリュシアを通して、足先が動くか、感覚があるか、どこに強い痛みがあるかを一つずつ確認する。ミアは足先をゆっくり動かすことができ、触れられている場所も分かるようだった。
「立った時、一番痛いのはどこですか?」
ミアが足首の外側を指した。
神代さんは確認を終えると、無理に立たせず、そのまま固定を続けることにした。
「ここでは骨折していないとは言い切れません。できるだけ体重をかけない方がいいです」
リュシアが訳す。
フェナも頷き、自分が巻いていた固定布を神代さんへ見せた。
神代さんは状態を確かめる。
「これで大丈夫です。何度も外して確認するより、このまま固定しておきましょう」
その言葉を聞いたフェナの表情が少し緩んだ。
俺はその間にガルドの状態も確認する。
「ガルドさんは怪我してない?」
リュシアが聞くと、ガルドは腕を見せながら答えた。
『少し擦っただけ』
小さな傷はあるが、自分で歩くことに問題はなさそうだった。
ザイルとフェナにも目立った怪我はなく、今ここで自力移動が難しいのはミア一人だと考えてよさそうだった。
周囲は大きな岩を中心に少し開けており、前後も見通せる。リュシアが言っていた通り、今すぐ魔物に囲まれるような場所には見えないが、だからといって長く留まる理由もない。
帰れるなら、明るいうちに帰した方がいい。
境目から離れた時点で、人間側との直接のやり取りはできなくなっていた。境目近くの有線設備から離れた以上、ここから先の状況を伝えるのは戻ってからになる。
ザイルが俺へ何か言った。
「何て?」
『ナオトは、道分かるのかって』
俺は少し考えてから答えた。
「まだ分かりません」
リュシアが訳すと、ザイルが眉を寄せる。
『助けに来たのに?』
「はい」
『道、分からない?』
「はい」
リュシアが訳しながら少し笑っている。
「笑うところ?」
『ザイル、ナオト本当に弱いって』
「道が分からないのと強さは関係ないでしょう」
神代さんまで少し笑った。
ただ、ザイルが疑問に思うのも当然だった。
俺が何をできる人間なのか、向こうの三人にはまだ正確に伝わっていない。リュシアも《帰り道》そのものを見たことはなく、ザイルとフェナに至っては話で聞いただけだ。
「俺は、今ここにいる全員で帰る道なら見えるかもしれません」
リュシアが訳す。
ザイルが聞き返した。
『かもしれない?』
「出ないこともあるから」
『便利じゃない』
「それは俺も知ってます」
今度は神代さんが少し笑った。
ザイルはまだ納得していない顔をしていたが、フェナが何かを言う。
『フェナ、試せばいいって』
「そのつもりです」
ただ、その前に確認しておきたいことがあった。
俺はリュシアを見る。
「四人は、どこへ帰りたい?」
リュシアが少し不思議そうな顔をする。
『町』
「全員?」
ザイル、フェナ、ガルド、ミアへ順番に聞いてもらう。
四人とも答えは同じだった。
町へ戻る。
ガルドとミアはそこで暮らしていて、ザイルとフェナも救難を終えれば同じ場所へ帰る。
次に俺は神代さんを見る。
「神代さん。俺たちは、まずこの四人を町まで帰す。それでいいですよね」
「もちろんです」
俺たち自身が最終的に帰る場所は人間側だ。
それでも、今の救難で最初にやるべきことは、ここにいる四人を安全な場所まで戻すことだった。
リュシアにも確認する。
「リュシアも一緒に行く?」
『行く』
「途中で別行動は?」
『しない』
「分かった」
今ここにいる七人が、同じ場所を目指して一緒に動く。
俺。
神代さん。
リュシア。
ザイル。
フェナ。
ガルド。
ミア。
全員で帰る。
そこまで意識したところで、俺は足元へ目を向けた。
淡い光が現れていた。
人間側のダンジョンで何度も見てきたのと同じ薄い光が、黒い地面の上を這うように伸び、岩の向こうへ続いている。
「出た」
神代さんがすぐこちらを見る。
「《帰り道》ですか?」
「はい」
リュシアも足元を見る。
『どこ?』
「俺にしか見えない」
『知ってる。でもどっち?』
俺は光の伸びる方向を指した。
その瞬間、リュシアの表情が変わった。
『そっち?』
「うん」
ザイルとフェナも、俺が示した方向を見る。
俺たちがここまで来た細い迂回路は背後にある。
しかし、《帰り道》の光はそちらへ戻っていなかった。
大きな岩の反対側。
木々が少し密集している方向へ続いている。
神代さんが聞く。
「リュシアさんが戻ってきた道とは違うんですね」
「違います」
リュシアがフェナへ何かを聞く。
フェナは背負っていた薄い記録板を取り出し、何枚かを見比べ始めた。古い文字と線が書かれた一枚を見つけると、周囲の地形と確認しながらリュシアへ何かを伝える。
『昔の道』
「昨日言ってた道?」
『たぶん』
「たぶん?」
フェナがさらに記録板を確認する。
『入口、この辺にある。でもずっと使ってない。途中の記録も古い』
俺はもう一度、足元の光を見る。
確かに、その方向へ伸びている。
ただし、《帰り道》が見せているのは方向だけだ。
木々の奥にある道の状態も、途中に何があるのかも分からない。
神代さんが聞いた。
「光は、その古い道を使えと言っているんですか?」
「そこまでは分かりません。俺に見えてるのは、今ここにいる全員で帰れる可能性の高い方向だけです」
《帰り道》は地図を見せてくれるわけではない。
途中に崩落があっても教えてくれないし、魔物がいるかどうかも分からない。負傷したミアをどうやって運ぶかも、人間側と同じように自分たちで考えるしかない。
俺はザイルたちを見る。
「光は出ました。でも、すぐには進みません」
リュシアが訳す。
ザイルが何か聞いた。
『何で? 道、見えたんだろって』
「見えてるのは方向だけだから」
『同じじゃない?』
「全然違う」
俺は木々の奥を指す。
「この先に穴があっても分からない。道が崩れてても分からない。魔物がいても分からない。だから確認しながら進む」
リュシアが訳す。
ザイルは少し考えたあと、フェナを見る。
フェナが記録板を確認しながら答えた。
『この道なら、少し先まで記録あるって』
「その先は?」
『古い。今どうなってるか分からない』
「じゃあ、分かるところから確認しながら行きましょう」
神代さんが聞く。
「先頭はどうします?」
俺が答える前に、リュシアが手を上げた。
『私』
ザイルも何か言う。
『ザイルも先に行くって』
「二人だけで先へ行くのはなしです」
リュシアが首を傾げる。
『何で?』
「未知の道で人数を分ける理由がないから。見える範囲を確認しながら、全員で進みましょう」
《帰り道》の集団としてどう扱われるか以前に、知らない道で先行組だけを遠くへ行かせる必要がない。
神代さんも頷く。
「私もその方がいいと思います。危険があれば、その場で全員止まれますから」
リュシアがザイルへ説明する。
少し不満そうではあったが、ザイルも最後には頷いた。
フェナはすでに古い記録板を見ながら、今いる場所との向きを確認している。
次に考えるべきはミアの移動方法だった。
最初からザイルが背負うこともできるが、この先に狭い場所があるかどうかは分からない。神代さんはミアの脚を見ながら提案した。
「支えがあれば歩ける場所では歩いてもらって、難しい場所だけ運び方を変えましょう。最初から一つの方法に決めない方がいいです」
フェナも似た考えらしく、ミア本人も支えてもらえば少しなら動けると答えた。
俺たちは持ってきた固定具と短いロープを使い、ミアの身体を左右から支えやすい状態に整える。右側をガルド、左側をザイルが支え、フェナは古い記録を確認する。
リュシアは前方の足場を見る。
神代さんは周囲を警戒する。
俺は《帰り道》を確認する。
それぞれの役割が自然に決まった。
準備が終わったところで、ザイルが俺へ何かを聞く。
『この道なら帰れる?』
俺は少し考えてから答えた。
「帰れる可能性の高い方向です」
リュシアが訳す。
ザイルがまた首を傾げた。
『同じじゃない?』
「違います」
さっきと同じやり取りになり、俺は少しだけ笑った。
「道が見えても、帰れる状態にするのは俺たちです」
リュシアがその言葉を訳す。
ザイルはしばらく俺を見たあと、短く答えた。
「何て?」
『分かったって』
それなら十分だった。
俺たちは大きな岩を離れ、《帰り道》が伸びる方向へ歩き始めた。
少し進むと、木々の間に今まで気づかなかった隙間が見えてくる。
フェナが記録板と見比べて頷いた。
そこには確かに、人が通っていた跡のようなものが残っている。ただ、長く使われていないのは一目で分かり、低い植物が道の半分を覆い、ところどころには崩れた岩も転がっていた。
俺は足元の光を確認する。
淡い光は、その古い道の奥へ伸びている。
人間側へ戻る境目とは反対方向だった。
ここから先に何があるのか、俺には分からない。
それでも今は、この七人で帰る。
《帰り道》が示しているのは、そのために進むべき方向だった。




