第122話 越える理由
リュシアから救難要請を受けたあと、御影ダンジョンではすぐに、境目までの接近経路を確認する作業が始まった。
とはいえ、宮坂さんの事故が起きた床へ再び人を入れるわけではない。救難後に遠隔カメラと長い測定器具で調べていた壁際の岩盤を中心に、亀裂入口からどこまで安全に近づけるかを改めて確認する。
俺と神代さんは装備を整えながら、その結果を待っていた。
まだ、向こうへ行くと決まったわけではない。
監視画面の向こうでは、リュシアが境目の前に残っている。相馬さんはまず、帰れなくなっている四人について詳しく状況を聞いていた。
「ザイルとフェナは動けるんだな」
『動ける』
「残りの二人の名前は?」
『ガルドと、ミア』
ガルドが男性で、ミアが女性。二人とも魔族側で道の状態を確認する仕事をしており、予定の時間になっても町へ戻らなかったため、リュシア、ザイル、フェナの三人が探しに出たらしい。
発見した時、ガルドは自力で歩けた。問題はミアだった。
『左の足、ひねった。腫れてる。立てるけど、歩くと痛い』
神代さんが聞く。
「足首ですか? 膝ですか?」
リュシアは自分の足首に近い場所を指した。
『ここ』
「変な方向に曲がっていたり、形が変わったりしてますか?」
『ないと思う』
「出血は?」
『ほとんどない』
今の情報だけでは、捻挫なのか骨折なのかまでは分からない。ただ、自力で長い距離を歩かせるべき状態ではなさそうだった。
相馬さんが続ける。
「今、四人がいる場所は安全か」
リュシアは少し考えてから答えた。
『広い岩のところ。前と後ろ、見える』
「魔物は?」
『小さいの見た。でもザイルが追い払った』
「大型は」
『見てない』
小日向が記録しながら確認する。
「水と食料は?」
俺が聞き直すと、リュシアは頷いた。
『今日なら大丈夫。でも明日は少ない』
今すぐ命に関わるほど切迫した状況ではない。
だからこそ、焦って境目を越える必要もない。ただし、夜になれば魔物の動きが増え、翌日になれば水や食料にも余裕がなくなる。ミアの怪我も、無理に動かせば悪化する可能性がある。
相馬さんが次に確認したのは、四人が帰れなくなった理由だった。
「行きに使った道は、完全に通れないのか」
『崩れた。大きい穴できた』
「別の道は?」
『私が戻った道だけ』
「そこをザイルは通れる?」
『一人なら通れる。でもミア持つと無理』
リュシアは両腕で人を抱えるような動きをしたあと、身体を横に向けてみせる。
『狭いところ、こうしないと通れない。下、深い』
負傷したミアを背負えば、身体の幅も大きくなる。途中には手を使って登る場所もあるため、抱えたまま進むのは難しいらしい。
神代さんが聞いた。
「ミアさんを固定して、一人ずつ受け渡しながら進むのは?」
リュシアは少し考えたあと、首を横に振る。
『途中、渡す場所ない』
「両側から支えるのも無理?」
『狭いところ、一人だけ』
今分かっている迂回路は、負傷者の搬送には向いていない。
相馬さんが言う。
「昨日、昔の道があるって言ってたな」
『ある』
「どこへ出る」
『町の方。でも今は使ってない』
「最後に使ったのは?」
リュシアは首を横に振った。
『分からない。フェナの古い板にあるだけ』
フェナが持っている記録には、現在使われていない古い経路が残っている。しかし、その途中には今の記録がない区間もあり、道そのものが残っているかどうかさえ確認できていない。
俺が聞く。
「ザイルたちは、その道を見に行ってない?」
『ミア置いて行けない。フェナも一人で行かせない』
その判断は正しいと思う。
負傷者を残したまま人数を分けて未知の道を確認すれば、今度は別の場所で帰れなくなる人が出るかもしれない。
「リュシアが戻ってきた細い道と、その古い道は別?」
『別』
「古い道の入口は、今いる四人の近くにある?」
『少し戻る。でも行ける』
そこまで聞いて、今回俺が向こうへ行く意味がようやく見えてきた。
四人の居場所は分かっている。捜索する必要はなく、リュシアも現場まで案内できる。一方で、現在確認できている帰路では負傷者を連れて戻れない。
もし俺が四人と合流し、神代さんやリュシアも含めて全員で帰る集団になれば、《帰り道》が別の方向を示す可能性がある。
ただし、それはあくまで可能性だ。
相馬さんも同じ点を確認する。
「久世」
「はい」
「お前が行く意味は何だ」
質問の意図は分かった。
「四人を探すためじゃありません。居場所はもう分かってます」
「ああ」
「今分かってる道では、ミアさんを連れて帰れない。俺が四人と合流できれば、《帰り道》が全員で帰れる方向を示す可能性があります」
「出なかったら?」
「そこで勝手に先へは進みません。四人と一緒に安全な場所で待って、別の方法を考えます。光が出る前提では入りません」
相馬さんは一度頷くと、今度は神代さんを見る。
「神代さんが行く意味は?」
「魔族側には魔物がいる可能性があります。負傷者を含む集団で移動するなら、帰路を確保するための戦闘対応が必要です。ただし、討伐は目的にしません」
「逃げた魔物は追う?」
「追いません」
「久世が光の方向を確認するために危険な場所へ入ろうとしたら?」
「止めます」
「分かりました」
続いて、相馬さんはリュシアへ聞く。
「人間二人を、四人のところまで連れていけるか」
『できる』
「途中で道が変わってたら?」
『戻る』
「魔物が出たら?」
『戦う。でも無理なら戻る』
「目的は?」
リュシアは少し考えてから答えた。
『四人、帰す』
相馬さんは一度だけ頷いた。
そこへ、御影側から連絡が入る。
『境目までの接近経路、確認終わりました』
小日向が回線を切り替える。
現地救難班長が報告を始めた。
『事故地点中央部は引き続き使用不可です。ただ、壁際の露出岩盤側は、前回確認した範囲から目立った変化はありません。入口側の固定点から独立した安全索を取り、壁沿いを一人ずつ通るなら、境目手前の安定した位置まで接近可能と判断します』
相馬さんが聞く。
「宮坂が事故に遭った床を使うか」
『使いません。そこには入らない経路です』
「一度に何人」
『一人ずつです。境目手前でも待機は一人まで。後続は距離を取ります』
「救難装備を持って通れるか」
『通常の装備なら問題ありません。大型の物は持ち込まない前提です』
相馬さんが神代さんを見る。
「剣は?」
「携行できます」
俺も続ける。
「俺は水、救急用品、ロープ、固定具、ライト程度にします」
現地班長が言った。
『境目そのものについては、安全とは判断していません。宮坂さんの帰還時に人と装備が通過した事実はありますが、それ以上は言えません』
「それでいい」
境目を人と物が通過した事実はある。
だからといって、次も同じように通れると保証されたわけではない。
そこは全員が理解していた。
相馬さんが監視画面へ向き直る。
「リュシアさん。境目を越えたあと、人間二人が立てる場所はあるか」
『ある。すぐ前、岩のところ』
「そこから四人の場所まで、どのくらいだ」
『普通なら二十分くらい。今は回るから、もっと』
「一時間はかかる?」
『そこまでは、たぶんかからない』
「途中で休める場所は?」
『ある』
人間側から境目までは、事故地点を避けて近づける。境目を越えた先には立てる場所があり、リュシアは四人のところまで案内できる。
条件は少しずつ揃ってきた。
それでも相馬さんは、すぐには許可を出さなかった。
「最後に確認する」
俺を見る。
「久世。向こうに着いても光が出なかった場合、勝手に古い道を探しに行くな」
「はい」
「光が見えたとしても、その先が安全か確認せずに進むな」
「分かってます」
「《帰り道》は道を示すだけだ。障害物も魔物も、お前の代わりに片づけてくれるわけじゃない」
「はい」
相馬さんは神代さんにも言う。
「神代さん。久世が無茶したら止めてください」
「分かりました」
「リュシアさんも同じだ」
俺が伝えると、リュシアはすぐ頷いた。
『止める』
「そこは即答なんですね」
『ナオト、弱い』
「今それ関係ないでしょう」
神代さんが横で少し笑った。
相馬さんは気にせず続ける。
「今回は攻略でも調査でもない。向こうの町を見に行くためでもない」
俺たちは黙って聞く。
「四人が帰れなくなってる。だから行く。それ以外のことはするな」
「はい」
それなら、俺にも分かりやすかった。
知らない世界だから行くわけではない。魔族の町を見たいわけでも、ザイルたちに借りを返すためでもない。
帰れない人が四人いて、その四人を帰すために俺たちが必要になる可能性がある。
理由はそれだけでいい。
相馬さんが御影側へ指示を出す。
「越境救難を許可する。久世、神代さん、リュシアさんの三人。人間側から追加の人員は出さない」
『了解』
小日向が俺を見る。
「久世さん、本当に向こうへ行くんですね」
「救難だからね」
「観光してこないでくださいよ」
「する余裕ないでしょ」
相馬さんがすぐ割って入る。
「余裕があってもするな」
「分かってますよ」
装備を最終確認する。
持っていくのは、最低限の救急用品、短いロープ、固定具、水、ライト。神代さんはいつもの剣を携行するが、戦うこと自体が目的ではない。
俺には《帰り道》がある。
ただし、今はまだ光が出ていないし、向こうへ行けば必ず使えるとも限らない。
そこだけは勘違いしないようにする。
監視画面の向こうで、リュシアがこちらを見ていた。
『ナオト』
「今から行きます」
リュシアの表情が少し変わる。
『来る?』
「はい。ただし、四人のところまで行って、帰すために必要なことだけします」
『分かった』
「寄り道なし」
『私もしない』
「本当に?」
『ナオトより分かってる』
また言われた。
神代さんが装備を背負う。
「久世さん、行きますよ」
「はい」
俺も荷物を持ち上げた。
これまで、人間が自分の意思で境目の向こうへ救難に入ったことはない。
今回が初めてになる。
それでも、やること自体は変わらない。
帰れない人を帰す。
そのために必要だから、俺たちは境目を越える。




