第120話 同じ仕事
宮坂さんを乗せた担架が未記録亀裂の入口へ到着した時、《帰り道》の光はそのまま第五層の通路へ続いていた。
境目の向こうから人間側へ戻って以降、宮坂さんの意識状態に大きな変化はない。右脚の痛みは強いものの、救難員からの問いかけにははっきり答えられており、吐き気や強い眠気も訴えていなかった。
亀裂を出たところで待機していた救急担当が状態を確認し、右脚の固定をやり直す。長時間岩に挟まれていたこともあり、ここから先は急いで運ぶことより、全身状態の変化を見ながら地上まで搬送する方が優先された。
俺は担架の少し前を歩き、《帰り道》を確認する。
「このまま正規通路です。今のところ変わってません」
現地救難班長が頷いた。
「了解。速度は宮坂さんに合わせます」
「お願いします」
神代さんは担架の後方につき、周囲を警戒している。
第五層は現在も旧採掘区画を含む一部が封鎖されており、一般探索者はいない。それでも魔物が出ない保証はないため、帰還が終わるまでは通常の救難と同じように動く。
第四層へ向かう途中、担架の上から宮坂さんが声をかけてきた。
「久世さん、ですよね」
「はい」
「すみません。顔、ちゃんと見るの初めてで」
「俺もです」
事故が起きる前に見たのは監視映像だけだった。
宮坂さんは少しだけ身体を起こそうとしたが、救難員に止められてすぐ頭を戻した。
「向こうにいた人たちって……魔族なんですよね」
「本人たちはそう言ってます」
「やっぱり」
「宮坂さんは、話したんですか?」
「少しだけです」
宮坂さんは天井を見ながら、向こう側でのことを思い出すように話し始めた。
境目を越えた直後は、自分がどこにいるのか分からなかったらしい。気づいた時には見たことのない黒い地面の上に倒れており、右脚は崩れた岩に挟まれて動かなかった。携帯していた通信機も使えず、何度か声を出しているうちにフェナが見つけたという。
「最初、角が見えた時は、正直もう駄目だと思いました」
「魔物だと思った?」
「はい。しかも言葉が通じなくて」
それは怖かったと思う。
こちらでも、初めてリュシアを見つけた時には同じように警戒した。
「でも、その人……フェナさんでしたっけ。俺の脚を見たあと、何か叫んで、すぐもう一人呼んできたんです」
「ザイルですね」
「大きい人です。あの人も最初はすごい顔で俺を見てましたけど、岩を動かそうとしてくれて」
宮坂さんは少し笑った。
「言葉なんてほとんど通じないのに、助けようとしてることだけは分かりました」
そのあとにリュシアが来て、日本語で最低限の会話ができるようになった。
人間側から送った道具については宮坂さん自身が使い方を説明し、ザイルとフェナが作業した。脚が岩から抜けたあとはフェナが固定し、三人で相談しながら境目まで運んできたらしい。
「ザイルさん、怖かったですけどね」
「何か言われました?」
「何を言ってるか分からないまま何回か怒られました」
「たぶん無理に動こうとしたとか?」
宮坂さんが黙った。
「したんですね」
「……カメラが気になって」
「それは怒られますよ」
担架を持っていた救難員まで少し笑った。
宮坂さんも諦めたように息を吐く。
「リュシアさんにも怒られました」
「それなら間違いなく宮坂さんが悪いです」
「久世さんまで言います?」
「設備より本人の方が大事なので」
「はい。反省してます」
会話ができるくらいの余裕はある。
それでも負傷していることに変わりはないので、俺たちは途中で何度か休憩を取りながら地上へ向かった。
第三層、第二層と進んでも、《帰り道》は正規の退避経路を示し続けた。今回、光が特別な道を選ぶことはなく、宮坂さんと合流してからはいつも通り地上への方向を示している。
第一層を抜け、御影ダンジョンの入口が見えてくる。
外には救急搬送班と管理職員が待っていた。
担架が入口を越えたところで、俺は足元を見る。
《帰り道》の光が少しずつ薄くなり、宮坂さんを含め、今回一緒に帰ると認識していた救難班全員が地上へ出たところで完全に見えなくなった。
班長が聞く。
「消えました?」
「はい。今です」
「了解」
それだけ確認すると、宮坂さんの担架はすぐ救急側へ引き継がれた。
救急担当が病院への搬送準備を進めている間、宮坂さんが俺たちへ顔を向ける。
「久世さん」
「はい」
「向こうの三人に、ちゃんと礼を言えてないんです」
「次に会ったら伝えます」
「お願いします。俺、生きて帰れたって」
「それは本人たちも見てましたよ」
「地上まで帰ったってことです」
俺は少し考えてから頷いた。
「分かりました。伝えます」
宮坂さんは安心したように笑い、そのまま救急車へ運ばれていった。
扉が閉まり、車両が出発する。
そこまで見送ったところで、ようやく今回の救難が終わった。
管理棟へ戻ると、瀬川がすでに救難記録の下書きを作っていた。
今回は人間側だけで完結した救難ではないが、現場で起きたことを一から読み直す必要はない。瀬川もそこは分かっているらしく、記録は要点だけに絞られていた。
「確認お願いします」
端末には、宮坂さんが設備作業中に監視範囲から消失し、その後、境目の向こう側で発見されたことが記されている。
続いて、リュシアたち三人が宮坂さんを発見して救助し、人間側から必要な資機材を提供したこと。宮坂さんが境目付近まで搬送されたのち、人間側が引き継いで地上へ搬送したことが簡潔にまとめられていた。
最後には、《帰り道》についても一行だけある。
『対象者が人間側へ帰還し、救難班と合流後、地上方向への表示を確認。全員の地上帰還後、表示消失。』
俺は一通り読んだ。
「これでいいと思います」
瀬川が頷く。
相馬さんが聞く。
「『共同救難』とは書いたか?」
「書いてません」
「理由は」
「正式な呼び方ではないので。魔族側三名が救助、人間側が資機材提供と帰還後搬送を実施、までです」
「それでいい」
今回、人間と魔族が同じ一人を助けたことは事実だ。
ただ、それを新しい制度や正式な協力関係のように扱う必要はない。
帰れなくなった宮坂さんがいて、向こう側にはリュシアたちがいた。こちらにはこちらで使える道具や人員があった。
それぞれができることをした結果、宮坂さんが帰った。
記録として残すなら、それで十分だった。
相馬さんは御影側の管理責任者へ連絡を入れる。
「境目周辺は引き続き立入禁止。監視カメラの復旧も急がなくていい」
『了解です』
「床と境目の変化が止まったことを確認するまで、人を入れるな。設備が使えなくなっても、直すためだけに入るな」
『分かりました』
今回の救難は終わったが、事故の原因まで分かったわけではない。
なぜ宮坂さんが境目から離れた場所へ移動したのか、安全索の接続がどうなったのか、境目の範囲がなぜ変化したのか。そこは今後調べるとしても、少なくとも救難側が危険な場所へ先に踏み込んで確かめる話ではなかった。
小日向が聞く。
「リュシアさんたちには、今回の結果を伝えます?」
「次に来た時でいい」
相馬さんが答える。
「今日すぐ知らせるために誰かを境目へ行かせる必要はない」
「了解です」
俺も同じ意見だった。
宮坂さんは地上へ帰った。
次にリュシアたちが来た時、その事実を伝えればいい。
神代さんが椅子に座りながら言う。
「ザイルさんたち、どう受け取るでしょうね」
「何をです?」
「人間を助けたことを」
俺は少し考える。
「普通なんじゃないですか?」
「普通?」
「リュシアが言ってたでしょう。向こうでも帰れない人がいたら助けるって」
神代さんは少し考えてから頷いた。
「確かにそうですね」
相手が人間だったから特別なことをした、と考える必要はないのかもしれない。
少なくとも、ザイルたち自身はそんな話をしていない。
目の前に動けない相手がいて、助けられるから助けた。
それだけだった可能性もある。
翌日の午後、いつもの時間より少し早く、リュシアたちが境目へ現れた。
監視設備の一部は事故で角度が変わっているものの、映像と音声はまだ使える。
今日はリュシア、フェナ、ザイルの三人がそろっていた。
俺たちも回線を開く。
『ナオト』
「こんにちは」
『宮坂は?』
挨拶より先だった。
「ちゃんと地上まで帰りました。病院に運ばれてます。話もできてました」
リュシアがすぐ二人へ伝える。
フェナが安心したように息を吐き、ザイルも小さく頷いた。
「宮坂さんから伝言があります」
『何?』
「三人にありがとうって。それと、生きて地上まで帰れたって伝えてほしいって言ってました」
リュシアが訳す。
フェナは少し笑った。
ザイルは何か短く答える。
「何て?」
『帰れたならいいって』
「それだけ?」
『それだけ』
ザイルらしい。
神代さんがフェナへ向かって言う。
「脚を固定してくださって、ありがとうございました」
リュシアが訳す。
フェナは神代さんの言葉を聞いたあと、自分でも知っている日本語を探した。
『……よかった』
それだけでも十分伝わった。
相馬さんが話に入る。
「今回の件で一つ確認したいことがあります」
リュシアがザイルを見る。
『何?』
「人間側の人間がそちらで帰れなくなった場合、今回のように助けてもらえると考えていいのか。逆に、そちらの人がこちらで帰れなくなった場合、人間側へ救難を求めてもいいのか」
少し長い質問なので、リュシアは何度か確認しながらザイルとフェナへ伝えた。
三人の話し合いはこれまでより長かった。
俺たちは黙って待つ。
やがてザイルが答え、リュシアが日本語へ直した。
『全部は約束できない』
相馬さんが頷く。
「こっちも同じです」
『危ない時、行けない時ある。敵か分からない人もいる。でも、助けられるなら助ける』
「それで十分です」
リュシアが続ける。
『こっちも、人がそっちで帰れなくなったら、助けてって言う』
相馬さんはすぐ答えた。
「救難として対応できる状況なら、対応します」
大きな約束ではない。
人間と魔族が互いを必ず助けると決めたわけでもなく、危険なら行けないし、状況によっては助けられないこともある。
それでも、帰れなくなった相手がいれば、まず助けられるか考える。
少なくとも、その点については双方で考え方が重なった。
ザイルが何かを言う。
リュシアがこちらを見る。
『ザイル、ソウマに聞いてる』
「何だ」
『これは、人間の決まり?』
相馬さんは少し考えた。
「救難所の考え方だ」
『魔族だからじゃない?』
「違う」
相馬さんはそこで一度言葉を切り、いつもの調子で続けた。
「帰れなくなっていて、助けられるなら救難だ。相手が誰かは、そのあと確認する」
リュシアが訳す。
ザイルはすぐには返さなかったが、やがて一度だけ頷いた。
『ザイル、それなら分かるって』
相馬さんも特に表情を変えない。
「そっちも同じなんだろ」
リュシアがザイルを見る。
ザイルが短く答える。
『同じ』
短いやり取りだったが、今はそれで十分だった。
話し合いが終わり、三人が境目から離れていく。
最後にリュシアだけが少し残った。
『ナオト』
「何?」
『昨日、来なかった』
「境目の向こうへ?」
『うん』
「行かなくても、宮坂さん帰れたでしょう」
リュシアは少し考える。
『帰れた』
「なら良かったです」
『でも次は、ナオト必要かも』
「その時は、その時に考えます」
『ソウマに聞く?』
「絶対聞きます」
リュシアが笑う。
『ナオト、やっぱり下』
「だから上下じゃないって」
後ろからザイルに呼ばれ、リュシアが振り返った。
『行く』
「気をつけて」
『そっちも』
リュシアは二人を追いかけ、黒い木々の奥へ消えていった。
監視画面には再び青い境目だけが残った。
今回の救難で、《帰り道》に新しい使い方が増えたわけではないし、俺が境目の向こうへ行ったわけでもない。
それでも宮坂さんは帰ってきた。
向こう側ではリュシアたちが助け、人間側へ戻ってからは俺たちが引き継いだ。
言葉も方法も違う相手同士でも、一人を帰すという目的ならつなぐことができる。
魔族だから助けるわけでも、人間だから助けるわけでもない。
帰れなくなった相手がいて、自分たちにできることがあるなら動く。
境目の向こうにも同じ考えで働く人たちがいる。
今の俺には、それが分かったことの方が、向こうに知らない世界があることよりずっと大きかった。




