第117話 俺には探せない
「リュシア。宮坂さんのところまでの状況を、最初から教えて」
『分かった』
監視画面の向こうで、リュシアが一度呼吸を整えた。
宮坂さんを見つけたのはフェナだった。境目周辺の地面に新しい亀裂が増えていないか確認していたところ、少し離れた場所から人の声を聞き、ザイルと一緒に向かったらしい。
『境目から、左。森の手前。大きい岩、落ちた』
リュシアが身振りを交えながら説明する。
「宮坂さんはその岩に挟まれてる?」
『脚。右』
「意識は?」
『ある。話せる。でも痛い』
神代さんがすぐ確認する。
「出血は?」
リュシアは少し考えてから首を横に振った。
『いっぱいは出てない。服、破れてる。でも血、少し』
「足先は動かせますか?」
『分からない』
神代さんはそのまま、皮膚の色や感覚、脚のどの位置が挟まれているのかを一つずつ確認していった。リュシアだけでは答えられないことも多く、そのたびに「フェナが見た」「ザイルが見ている」と返ってくる。
宮坂さんのそばに残っている二人も、今できる範囲で状態を確認しているらしい。
現地救難班長が、人間側の未記録亀裂と境目の位置だけを書いた簡単な図を広げた。
「宮坂さんがいる場所を、こちらの座標で出すのは無理ですよね」
俺が聞くと、班長が頷いた。
「向こう側に測量の基準がないからな。距離も方向も、リュシアさんたちの説明から考えるしかない」
俺たちはリュシアに、境目から宮坂さんまでの距離も確認した。
『まっすぐなら、近い』
「今は?」
『道、崩れた。回る。歩いたら……五分くらい』
どうやら宮坂さんが遠くへ移動したわけではなく、崩落によって境目から直接近づけなくなっているらしい。
事故映像でも、宮坂さんは傾いた岩盤と一緒に境目側へ滑り、その先で監視カメラの死角に入っている。境目を通ったあとにどの位置で止まり、そこからどう動いたのかまでは確認できないが、少なくとも「境目を越えた瞬間に別の場所へ移動した」と考える材料はなかった。
相馬さんが言う。
「事故の仕組みは後だ。今は宮坂さんを戻す方法だけ考えろ」
「はい」
俺もそのつもりだった。
俺は改めて足元へ意識を向ける。
宮坂修司さん。御影ダンジョンの設備担当で、今は境目の向こう側にいて、右脚を岩に挟まれたまま動けなくなっている。
その人を帰したい相手として意識して《帰り道》を確認したが、足元に淡い光は現れなかった。
神代さんが俺を見る。
「やっぱり出ませんか」
「はい」
班長が聞く。
「本人がいる場所まで分かっても?」
「聞いて分かっただけなので、今までと同じだと思います。俺はまだ宮坂さんと合流してないし、一緒に帰る状態にもなってません」
《帰り道》は人を探す能力ではない。
遭難者の名前や顔、いる方向が分かったからといって、その人までの道を示してくれるわけではない。本人と合流し、一緒に帰る段階になって初めて使える。
今回もそこは変わらなかった。
俺は画面の中のリュシアを見る。
「リュシア。宮坂さんのところまで、俺たちを案内できる?」
リュシアはすぐには答えず、境目の周囲を確認してからこちらを見た。
『今は危ない』
「境目のところ?」
『そこも。こっちの道も』
「どのくらい?」
リュシアは説明する言葉を探す。
『昨日まで通ったところ、割れた。宮坂が来た時、地面動いた。今は細い道で回る』
フェナたちが宮坂さんまで行けた以上、完全に道がなくなったわけではない。ただし、一人ずつ通れるような細い迂回路を、人間側の救難班が装備を持って安全に進めるかどうかは別の話だった。
神代さんが聞く。
「リュシアさんたちは通れたんですよね?」
『通れた。でも狭い。一人ずつ』
「宮坂さんを運んで戻るのは?」
リュシアは首を横に振った。
『そのまま無理』
一人が通れるだけの道では、負傷者を抱えたり担架へ乗せたりした状態で戻るのは難しい。さらに宮坂さんは岩に脚を挟まれているため、搬送方法を考える前に、まずその場から動かせる状態にする必要があった。
相馬さんが聞く。
「岩は動かせそうか」
『ザイル、一人無理。フェナと二人でも難しい』
「使えそうな道具は?」
『少しある。でも大きいのない』
リュシアたちが普段持ち歩く装備だけでは足りないらしい。
班長が倉庫担当へ確認する。
「携帯ジャッキと救出用のエアバッグは?」
「あります。ただ、今の境目を通して問題ないかは確認が必要です」
以前、タイマー式の音響装置を境目の向こうへ投げた時は問題なく通過しており、リュシアの剣も人間側と魔族側の両方を行き来している。
物を境目へ通した例はある。
ただし、今の境目は位置が変わり、周囲の床まで崩れている。以前通ったから今回も問題ないと決めるわけにはいかなかった。
相馬さんが言う。
「まず軽い物で確認する」
御影側の管理責任者が答える。
『境目の手前まで人を入れますか』
「入れない。事故が起きたばかりの床だ」
『では、どうやって送ります?』
すぐには答えが出なかった。
境目周辺は立入禁止になっている。物を渡すためだけに人を事故現場へ戻せば、宮坂さんを助ける前に救難対象を増やす可能性がある。
リュシアは画面越しにこちらの様子を見ていたが、会話の全部を理解できていなくても、何に困っているかは分かったらしい。
『道具、渡したい?』
「そう。でも、こっちから境目のところまで行くのが危ない」
リュシアは少し考えた。
『私、そっち行く?』
俺が聞き返す。
「人間側へ?」
『うん。取る』
「それは駄目です」
『私の方、足場大丈夫』
リュシアが境目のすぐ向こう側を指す。
人間側では床が沈み、事故のあとに亀裂も増えている。一方、リュシアが立っている魔族側は完全に安全とは言えないものの、少なくとも今の映像では大きな崩れは見えなかった。
それでも、だからこちらへ越えていいという話にはならない。
相馬さんが言う。
「リュシアさんは越えなくていい。こちらから近づけないなら、別の方法を考える」
『でも宮坂、待ってる』
「分かってます」
『痛い』
「それも分かってます。だから助ける側まで帰れなくなる方法は使わない」
リュシアは少し黙り、相馬さんの言葉を考えるように画面を見ていた。
しばらくして頷く。
『分かった』
神代さんが俺へ聞く。
「向こう側で岩を外せれば、次の段階へ進めますよね」
「はい。まず宮坂さんを岩から助ける。そのあと、あの細い道をどうやって運ぶか考えることになります」
「一度に全部解決する必要はありませんね」
「ですね」
今できることから一つずつ進めればいい。
宮坂さんの居場所については、リュシアたちがすでに見つけている。向こう側にはザイルとフェナも残っており、俺たちが同じ場所まで行けなければ何も始まらないという状況ではなかった。
それでも、自分が向こうへ行けば《帰り道》が出るかもしれないという考えは頭に浮かぶ。
宮坂さんと合流できれば、帰る方向を示す可能性はある。
ただし、それは可能性でしかない。
人間が自分の意思で境目を越え、再びこちらへ戻った例はまだない。事故で向こう側へ行った宮坂さんでさえ、どう帰せるか分かっていない。
そんな場所へ《帰り道》が出るかもしれないという理由だけで入ることはできなかった。
相馬さんが言う。
「久世」
「はい」
「自分が行けば光が出るかもしれないって考えたな」
「少しは」
「それを理由に入るな」
「分かってます」
「お前まで戻れなくなったら、助ける側が一人増えるんじゃない。救難対象が一人増える」
「はい」
第二森下ダンジョンで、《帰り道》が出なかった時のことを思い出す。
あの時も、能力を持っているから必ず帰れるわけではないと分かった。まして今回は、俺たちがまだほとんど知らない境目の向こう側だ。
「俺には今、宮坂さんを探すことも、ここから帰り道を出すこともできません」
「そういうことだ」
だから、できる方法を探す。
救難を始めた頃なら、《帰り道》が使えない状況で、自分が何のためにいるのか考えてしまったかもしれない。
今は違う。
能力が使えないなら、使わなくても進める方法を考えればいい。
その時、小日向から通信が入った。
『久世さん、設備関係で一つ案があります』
相馬さんが回線へ入る。
「言え」
『事故前に撤去予定だった監視カメラの有線ケーブル、亀裂入口側までまだつながってますよね』
班長が確認する。
「つながってる。カメラ側の台座は傾いてるけど、線は生きてる」
『そのケーブル沿いに、細い補助索を送れませんか? 人が境目まで行かなくても、入口側から索を送り込めれば、小さい物なら境目付近まで運べるかもしれません』
別の設備職員が図面を見る。
「固定具の外側を通せる細さなら可能です。既設ケーブル自体を引くわけじゃなく、入口から別索を沿わせます」
相馬さんが聞く。
「試すなら何を送る」
「まず軽い試験用の袋を付けます。境目まで届いても、リュシアさんが安全に取れなければそこで中止します」
「やれ」
作業が始まった。
人間側では未記録亀裂の入口から細い補助索を送り込み、既設の有線ケーブルに沿わせながら少しずつ奥へ進めていく。境目周辺へ人は入らず、傾いた監視カメラの映像を使って、先端がどこまで届いたかだけを確認した。
やがて、補助索の先に付けた小さな袋がカメラ付近まで届く。
そこから先は、人間側から索を押すだけでは境目まで動かせなかった。
画面を見ていたリュシアが言う。
『私、取る』
相馬さんが答える。
「境目を越えず、今いる側から届くなら」
『分かった』
リュシアは足元を確認しながら青い膜へ近づき、手を伸ばした。しかし少し距離が足りず、無理に身体を乗り出すことなく一度下がった。
『届かない』
設備職員が画面を見る。
「長い物があれば引っかけられるかもしれません」
俺はリュシアの腰にある剣を見る。
「剣、抜かなくていいから、鞘の先を使えない?」
『やってみる』
リュシアは剣を鞘に収めたまま持ち、魔族側から先端だけを伸ばした。何度か位置を合わせたあと、小袋につながる輪へ鞘の先が引っかかる。
『取れた』
リュシアがゆっくり引く。
小袋が床を滑り、青い境目へ触れた瞬間、映像に少しだけノイズが入った。
そのまま袋は膜を通過し、リュシア側へ出る。
補助索も切れていない。
リュシアが袋を開けると、中に入れていた布と軽い金属片にも、見た目で分かる変化はなかった。
班長が言う。
「通ったな」
相馬さんがすぐ続ける。
「一回通っただけだ。これで何でも安全に通せるとは決めるな」
「はい」
そこは全員同じだった。
次は少し重い簡易固定具や小型ライト、折り畳み式の工具を順番に送り、同じ方法で境目を通ることだけを確認した。
人間まで安全に通れるという話にはならない。
今分かったのは、少なくとも今回使う救助用品を向こうへ渡せる可能性があるということだけだった。
班長が装備を選ぶ。
「大型の物は避けます。小型油圧ジャッキ、支点用の板材、固定ベルト、止血材、簡易副木。まずこれを送る」
神代さんが聞く。
「ザイルさんたちに使えますか?」
リュシアが答える。
『見れば分かるもの、ある。難しいのは教えて』
「宮坂さん本人が説明できるかもしれません」
俺が言う。
宮坂さんは設備担当だ。ジャッキや固定具の扱いなら知っている可能性が高い。ただし負傷している以上、本人に頼りきるわけにもいかない。
班長も同じ判断だった。
「こちらで使い方をリュシアさんへ説明する。現場に戻ってザイルさんたちへ伝えてください。宮坂さんが話せるなら本人にも確認してもらう。それで難しければ別の方法を考えます」
『分かった』
相馬さんが聞く。
「リュシアさん、一人で戻れる?」
『戻れる』
神代さんが言う。
「途中の道も崩れているんですよね。急がなくていいので、足元を確認してください」
『分かってる』
俺もリュシアを見る。
「宮坂さんに、こっちも助ける準備をしてるって伝えてください。それと、岩を動かせる状態になる前に無理に引っ張らないように」
『言う』
一度に全部持つのは難しいため、まず救急用品と軽い工具を持っていき、必要なら残りはもう一度取りに来ることになった。
リュシアが道具をまとめたところで、こちらのカメラを見る。
『ナオト』
「はい」
『来ない?』
何を聞かれているのかはすぐ分かった。
「今は行きません」
『宮坂、帰したい?』
「帰したいです」
『なら、来ない?』
俺は少し考えてから答えた。
「帰したいから、今は行かないです。俺が向こうへ入って帰れなくなったら、宮坂さんを助ける人が一人増えるんじゃなくて、助けないといけない人が一人増えますから」
リュシアは俺を見たまま、しばらく黙っていた。
やがて小さく頷く。
『分かった』
向こうにも救難があるなら、たぶんこの考え方は伝わる。
助ける側が無理をして帰れなくなれば、救難はさらに難しくなる。
そこに人間か魔族かの違いはなかった。
リュシアは道具を持ち、来た道を戻っていった。
黒い木々の向こうへ姿が見えなくなるまで、俺たちは監視映像を見ていた。
小日向の声が回線から入る。
『久世さん』
「何?」
『ここからは、向こうに任せるしかないですね』
「うん」
宮坂さんの居場所はリュシアたちが見つけてくれた。本人が生きていて、右脚を岩に挟まれていることも分かっている。向こうにはザイルとフェナが残り、今からリュシアも必要な道具を持って戻る。
こちらでは、追加の装備と帰還後の受け入れを準備できる。
今までの救難なら、俺自身が対象者のところまで入り、合流してから《帰り道》を確認していた。
今回は、それができない。
俺には宮坂さんを探すことも、離れた場所から帰り道を示すこともできない。
だから今は、向こう側で実際に宮坂さんのそばにいる三人へ任せる。
相馬さんが言う。
「久世」
「はい」
「任せるのも救難だ」
俺は監視画面を見たまま頷いた。
自分で現場へ入るより、待つ方が難しい。
それでも、宮坂さんが帰れるなら、誰が岩をどかしたのか、誰が最初に手を伸ばしたのかは重要ではない。
人間側でできることをこちらがやり、向こう側でできることをリュシアたちがやる。
今はそれが、宮坂さんを帰す一番安全な方法だった。




