第114話 向こうにも救難がある
「昨日の話、聞いてもいいですか?」
リュシアたちとの次の会話が始まってすぐ、俺はそう聞いた。
相馬さんが隣からこちらを見る。
「昨日、広げるなって言った話か」
「今日は聞いてもいいですよね?」
「今日の確認事項には入ってる」
許可は出ているらしい。
画面の中のリュシアは何の話か分からない顔をしている。
「リュシアたちも、人を助けることがあるって言ってましたよね」
『ある』
「どういう時に?」
リュシアはザイルとフェナを見る。二人とも今日は最初から話すつもりだったらしく、すぐに会話が始まった。
最初に答えたのはリュシアだった。
『町の外、危ない。獣いる。道も変わる。戻らない人、いる』
「そういう人を探しに行く?」
『行く』
「リュシアたちが?」
『私も行く』
以前、リュシアは町の外へ出て、危険な道や人が通れる場所を確認する仕事をしていると言っていた。どうやら、それだけではないらしい。
フェナが何か説明し、リュシアが途中で意味を確認しながら日本語へ直した。
『フェナ、記録を見る。誰がどこへ行った。いつ帰る。帰らない時、道を調べる』
瀬川が反応する。
「出発記録があるんですね」
リュシアが分からない顔をしたので、俺が言い換える。
「誰が外へ行ったか残してるんですね」
『うん』
瀬川は端末へ何かを書き込みながら小さく頷いた。
人間側の探索者登録や帰還予定の確認と似ている。もちろん仕組みまで同じとは限らないが、危険な場所へ出た者が戻ってこなければ、誰かが確認するという点は共通していた。
ザイルが話し始める。
リュシアが訳した。
『戻らない人がいたら、最初に行った道を見る。獣が多い場所なら、戦える人も行く。怪我なら運ぶ』
神代さんが聞く。
「魔物を倒すことが目的ではない?」
リュシアがザイルへ伝える。
ザイルはすぐ答えた。
『邪魔なら倒す。でも、人を戻すのが先』
神代さんが少しだけ目を細めた。
「同じですね」
『何が?』
「私たちも、救難中は魔物を倒すこと自体が目的ではありません。帰すために必要なら戦いますけど、逃げた相手を追いかけることはしません」
リュシアが訳す。
ザイルは神代さんを見る。
何か短く言う。
『ミナミは、それができるって』
「この前見たから?」
『うん』
御影の亀裂で、神代さんは逃げた魔物を追わなかった。リュシアだけでなく、ザイルにもその話をしていたらしい。
リュシアが少し得意そうに言う。
『ミナミ、強い。でも変』
「どうしてですか?」
『強い人、追いたくなること多い』
神代さんは少し考えてから答える。
「前は私も、倒せるなら倒した方がいいと思うことはありました。でも救難では、倒すことより先に帰す人がいます。追えばその人から離れることになるので、今は必要がなければ追いません」
リュシアが訳す。
ザイルとフェナが何か話し、フェナが神代さんを見る目が少し変わった。
『フェナ、ミナミも信用できるって』
神代さんが少し笑う。
「ありがとうございます」
俺は横から言う。
「俺より早くないですか?」
「何がです?」
「ザイルさん、俺を信用するのに何回かかかってましたよ」
リュシアが笑う。
『ミナミは強いから』
「結局そこなんだ」
小日向が少し離れたところで笑っている。
相馬さんは気にせず話を続けさせた。
俺は改めて聞く。
「リュシアたちのところでは、その仕事に名前ってあるんですか?」
リュシアは少し考え、ザイルとフェナにも確認する。
三人でしばらく話したあと、リュシアが答えた。
『人を戻す仕事』
「そのままなんですね」
『ナオトたちは?』
「救難です。助けて、安全なところへ帰す仕事です」
リュシアは少し考えたあと、頷いた。
『同じ』
完全に同じ制度ではないと思う。
装備も組織も、危険な場所の性質も違うはずだ。それでも、やろうとしていることはかなり近い。
フェナが自分の持っている板をカメラへ向けた。
線と記号がいくつも書かれている。
『これは、道』
リュシアが説明する。
『黒いところ、危ない。丸、獣。線が切れてる、通れない』
「地図ですね」
瀬川が言う。
今度はリュシアにも少し伝わったようだった。
『地図。そう』
フェナは別の板も見せる。
そこには名前らしき文字と、いくつかの印が並んでいる。
『外へ行った人。戻ったら印。戻らないと、見る』
瀬川が端末から顔を上げる。
「かなり似てますね」
俺も同じことを考えていた。
人間側では探索者の入場記録や退場記録、救難受付、通信記録がある。魔族側では形は違っても、外へ出た者が戻ったかどうかを記録し、戻らなければ確認する人がいる。
相馬さんが聞く。
「リュシアさんが前にやっていた、道が通れるか確認する仕事もその一部ですか?」
『そう。道が変わったら、帰れない人増える』
その答えを聞いて、俺は少し納得した。
リュシアが人間側へ落ちてきた時、彼女はただ危険な区域を歩き回っていたわけではない。誰かが安全に通れる道なのかを確認する仕事をしていた。
つまり、リュシア自身も普段は「帰れる状態を作る側」に近かったのだ。
「だから境目の近くにいたんですね」
『うん。小さい変なところ、前からあった。危ないか見る仕事だった』
以前にも聞いた話だ。
小さな異常が現れたり消えたりしていた場所を確認している途中、今回は大きな変化が起きて足場が消え、人間側へ落ちた。
ザイルが何か言うと、リュシアが少し嫌そうな顔になる。
「何て?」
『一人で近づきすぎたって』
「それは俺もそう思います」
『ナオトは黙る』
「今日二回目ですよ」
ザイルが少しだけ笑ったように見えた。
初めてかもしれない。
リュシアは不満そうだったが、フェナも何か言い始める。
『フェナも、リュシアが悪いって』
「三対一ですね」
『ナオトはそっちじゃない』
「俺もリュシアが悪いと思ってます」
『四対一』
神代さんまで笑っていた。
少し空気が緩んだところで、相馬さんが本題へ戻す。
「そちらで誰かが帰れなくなった場合、全員助けられるんですか?」
リュシアたちの表情が少し変わった。
ザイルが答える。
今度の言葉は長く、リュシアも途中で何度か聞き返している。
『全部は無理。獣が多すぎる時もある。道がなくなる時もある。怪我が重い時もある。見つからないこともある』
俺たちと同じだった。
救難へ行けば必ず助けられるわけではない。強い人がいても、装備があっても、状況次第では間に合わないことがある。
リュシアが少しだけ視線を落とした。
『戻らなかった人もいる』
誰のことかは聞かなかった。
今、無理に詳しく聞く話ではないと思う。
相馬さんもそこには触れず、別のことを確認した。
「リュシアさんを探しに来なかったのは?」
ザイルがすぐ答えた。
リュシアが訳す。
『探した。でも、境目の場所が分からなかった』
「向こう側では?」
『大きい異常が消えたあと、同じ場所を探した。でも道がなかった』
俺は画面を見る。
「じゃあ、リュシアが帰った時に初めて境目がまた見つかった?」
『そう』
リュシアが頷いた。
『私が帰ったところ、前と違う場所だった。でも知ってる森だった。町へ戻って、ザイルたちに話した。そのあと一緒に来たら、境目まだあった』
ここは重要な話だ。
少なくとも現在の三人の認識では、境目は魔族側から自由に作れるものではない。
フェナも記録板を見ながら何か話す。
『前にあった小さい変なところと、今回の境目、同じか分からない』
「そこも分からないままなんですね」
『うん』
相馬さんが俺を見る。
「久世」
「分かってます。決めません」
「ならいい」
言われる前に答えられた。
リュシアが首を傾げる。
『何?』
「何でもないです」
ここでも、一度の出来事から仕組みを決めない。
人間側でも魔族側でも、その点は同じだった。
フェナが俺へ質問する。
リュシアが訳した。
『ナオトの《帰り道》、そっちの救難ではいつも一番大事?』
「一番ではないです」
『でも、帰る道見える』
「見える時は便利です。でも、それだけじゃ帰れません」
俺は少し考えてから説明する。
「この前リュシアを帰した時もそうだったでしょう。光は境目の向こうを示してたけど、怪我したまま一人で行かせるのは危なかった。だから道を確認して、魔物を避ける方法を考えて、神代さんが剣を返して、それから帰ってもらいました」
リュシアが訳す。
フェナは手元へ何かを書き込んでいる。
「《帰り道》が見えても、帰れる状態を作るのは俺一人じゃできません。たぶん、そっちも同じでしょう?」
リュシアがザイルを見る。
ザイルは少し考えてから答えた。
『同じ。道知ってても、通れない時ある』
「ですよね」
そこは本当に同じだった。
俺の能力が特別だから救難ができるわけではない。魔族側には《帰り道》がなくても、地図を残し、危険な場所を確認し、戻らない人を探し、必要なら戦いながら連れ帰っている。
方法が違うだけで、やっていることは似ていた。
神代さんがリュシアへ聞く。
「リュシアさんは、今まで何人くらい助けたんですか?」
リュシアは少し考える。
『数えてない』
「そうなんですね」
『仕事だから』
俺は思わず笑った。
「それ、俺もよく言います」
リュシアがこちらを見る。
『同じ?』
「ちょっとだけ」
『ナオトより私は強い』
「そこを比べなくていいでしょう」
神代さんが笑い、フェナも少し笑った。
ザイルはまた普段の表情に戻っていたが、以前ほどこちらを警戒しているようには見えなかった。
話し合いが終わったあと、俺はしばらく監視画面を見ていた。
三人はすでに境目を離れ、青い光の向こうには黒い土と低い植物だけが映っている。
今まで俺は、向こう側を「リュシアの帰る場所」としか考えていなかった。それで十分だった。
でも今日、少しだけ見え方が変わった。
あの向こうにも町があり、危険な場所へ出ていく人がいて、予定通り帰らなければ心配する人がいる。帰れなくなった相手を探しに行き、怪我をしていれば運び、魔物が邪魔なら戦う人たちもいる。
相馬さんが帰り支度をしながら言う。
「何考えてる」
「向こうにも救難があるんだなって」
「そうらしいな」
「ちょっと意外でした」
「何でだ」
俺は少し考える。
たぶん、魔族という言葉を聞いた時に、自分でも気づかないうちに人間とは全く違うものを想像していたからだ。
でもリュシアには町があり、仕事があり、仲間がいた。今日さらに分かったのは、帰れなくなった人を心配して探す仕事まであるということだった。
「思ってたより、似てるなと思って」
相馬さんはバッグを持ち上げる。
「似てるところもある。それだけだ」
「分かってます」
全部同じだと決めるつもりはない。
それでも、似ているところが一つあるだけで、少しだけ話しやすくなる。
帰れなくなった人を帰す。
その仕事なら、俺たちはもう知っている。
境目の向こうにも同じことをしている人たちがいるという事実だけで、今は十分だった。




