第113話 越えない約束
次にリュシアたちと話したのは、その翌日だった。
今日は昨日までとは少し目的が違う。相手を知るために質問を重ねるのではなく、人間側と魔族側が境目の周辺でどう動くか、最低限の決め方を作ることになっていた。
大げさな条約や協定を作るわけではない。今の段階でそんなものを決められるほど、俺たちは互いのことを知らない。
ただ、知らないからこそ、勝手に境目を越えるようなことだけは避けたい。
相馬さんは話し合いが始まる前に、そう説明した。
「久世」
「はい」
「今日は余計な話を広げるなよ」
「信用ないなあ」
「昨日、リュシアさんたちの救難の話が出た瞬間、聞きたそうな顔してただろ」
「少しだけです」
「今日はその話じゃない」
「分かってます」
神代さんが隣から言う。
「私も見てましたけど、かなり聞きたそうでしたよ」
「神代さんはどっちの味方なんですか」
「現場の味方です」
一番反論しづらい答えだった。
午後二時を少し過ぎると、境目の向こうに三人が現れた。今日もリュシア、ザイル、フェナだ。
リュシアが有線設備の前へ来る。
『こんにちは』
「こんにちは」
昨日より自然になっている。
フェナも続けた。
『こんにちは』
「こんにちは」
ザイルは言わなかったが、こちらも無理に言わせる必要はない。
相馬さんが話を始める。
「今日は、境目の周りでお互いが勝手なことをしないための話をしたいと思います」
リュシアが訳すと、ザイルは頷いた。
「まず人間側です。少なくとも御影ダンジョンの管理側と救難側は、理由なく境目を越えません」
通訳された内容を聞き、ザイルがすぐ何かを返す。
『魔族側も、勝手に越えない』
相馬さんが確認する。
「リュシアさんたち以外も?」
三人で少し話し合い、今回はフェナもかなり会話に加わっている。
『町の人、勝手に来ないようにする。境目の近くも、行く人を決める』
「こちらも同じです。旧採掘区画は封鎖して、一般の探索者は入れないようにしています」
ここまでは問題なく決まった。
次に話したのは魔物の扱いだった。
御影側の管理責任者が別回線から聞く。
『境目の向こうにいる魔物が、こちら側へ入ってきた場合はどうしますか』
リュシアが少し考える。
『人間側へ行ったら、人間が倒していい』
「逆は?」
『人間側の獣がこっちへ来たら、こっちで倒す』
神代さんがそこで確認を入れた。
「追いかけて境目を越えるのは?」
リュシアがザイルを見る。
ザイルはすぐ答えた。
『しない』
神代さんも頷く。
「こちらも同じです。向こうへ逃げた魔物を追って境目を越えません」
戦闘を理由に境目を越えないことは、かなり重要だと思う。魔物を一匹追った結果、知らない土地へ人間が入り込めば、それだけで新しい問題が起きかねない。
相馬さんは次に、人間や魔族自身が誤って境目を越えた場合について聞いた。
「もし、そちらの人が間違ってこっちへ来たら?」
リュシアは少し考える。
『帰す』
「怪我をしてたら?」
『助けてから帰す』
「こっちの人間がそちらへ行った場合は?」
ザイルが答える。
リュシアが訳した。
『敵じゃないなら、すぐ殺さない』
一瞬、部屋が静かになった。
「もう少し安心できる言い方ないですか?」
俺が言う。
リュシアがザイルを見ると、本人は何か短く返した。
『嘘は言わないって』
「それはそうなんですけど」
相馬さんは特に気にした様子を見せなかった。
「十分だ。向こうから見れば、知らない武装した人間が突然現れる可能性もある」
その通りだ。
こちらだって、知らない魔族が武器を持ってダンジョン内へ現れれば警戒する。
相馬さんが続ける。
「人間側にも探索者がいます。全員がこちらの指示を聞くとは限らない。封鎖はしますが、絶対に誰も境目を越えないとは言い切れません」
リュシアが訳すと、ザイルの表情が少し険しくなった。
何か長く話す。
『ザイル、もし人間が武器を持って町へ来たら、敵かもしれないから止めるって』
「当然だと思います」
俺が答える。
リュシアがこちらを見る。
『ナオト、いいの?』
「俺たちだって同じでしょう。いきなり知らない魔族が町に武器を持って入ってきたら、止めると思います」
リュシアが訳すと、ザイルは少しだけ頷いた。
相馬さんが言う。
「だから、まず勝手に越えない。それをお互いに守る」
この点については、すぐに双方が納得した。
次は連絡方法だった。
今は人間側に有線設備があり、魔族側から境目まで来れば会話できる。しかし人間側から向こうへ直接連絡する方法はない。
フェナが何か提案し、リュシアが聞き終えてから説明した。
『毎日、同じ時間に見る?』
小日向が答える。
「それが一番簡単かもしれませんね」
相馬さんが聞く。
「毎日は必要か?」
『何もない日は来ない』
「じゃあ、何か話したい時だけ午後二時から三時の間に境目へ来てもらう。人間側はその時間に映像を確認する」
御影側の管理責任者も了承した。
それで通常時の連絡方法は決まった。
問題は緊急時だ。
「急いで知らせたい時は?」
俺が聞く。
リュシアが境目のこちら側に設置されたカメラを見る。
『来て、呼ぶ』
「結局それしかないですよね」
境目の向こうには、人間側のような通信設備がない。少なくとも今の俺たちが知っている範囲では、他に方法はなかった。
フェナが何か言う。
『夜でも?』
「監視自体は続けてます。誰かがカメラの前に来たら、御影側で分かると思います」
相馬さんが補足する。
「ただし、こちらからすぐ久世たちを呼ぶとは限りません。内容を聞いて、その時に必要な人間を出します」
リュシアが少し不満そうな顔をする。
『ナオト、いない時ある?』
「普通にありますよ」
『呼べば来る?』
「救難ならたぶん」
相馬さんがこちらを見る。
「勝手に決めるな」
「たぶんって言いました」
「決めるのは俺だ」
リュシアが二人のやり取りを見て笑う。
『ナオト、やっぱり下』
「上下の話じゃないんですけどね」
昨日から説明している気がする。
一通り決めたあと、神代さんが確認した。
「武器についても決めておいた方がいいと思います」
リュシアが自分の剣へ手を置く。
『置いてくる?』
「境目まで来る途中に魔物がいるなら、無理に置いてくる必要はないと思います。ただ、人間側へ来る時は別です」
ザイルが神代さんを見る。
何か聞く。
『ミナミは、こっちへ来る時、剣置く?』
神代さんは少し考えた。
「今のところ、私はそちらへ行くつもりはありません。でも、もし行く必要が出た時は、その時に相談します」
『必要が出る?』
「救難とか」
俺も神代さんを見る。
相馬さんがすぐ口を挟んだ。
「仮定の話を広げるな」
「すみません」
神代さんまで注意されたので、少しだけ安心した。
この日決まったことは、それほど多くない。
理由なく境目を越えないこと、魔物を追って越えないこと、通常の連絡は決めた時間帯に有線設備を使うこと、緊急時は境目へ来て知らせること。そして相手側へ入る必要が生じた場合には、その時に改めて相談すること。
今の段階なら、それくらいで十分だと思う。まだ互いに知らないことが多すぎる以上、細かな決まりを大量に作っても、現実に合わない可能性が高い。
話し合いが終わりかけたところで、フェナが何かをリュシアへ伝えた。
『フェナ、聞いていい?』
「どうぞ」
『人間の救難、知らない人も助ける?』
俺は質問の意味を考える。
「知り合いじゃなくてもってこと?」
『そう』
「助けますよ」
『敵でも?』
少し難しい質問になった。
俺が答える前に、相馬さんが言う。
「救難が必要なら、まず助ける。ただし、助けたあとに警察や警備へ渡すことはある」
リュシアが訳す。
三人で少し話し合い、ザイルはどうにも納得していないようだった。
『ザイル、敵を助けるのは分からないって』
相馬さんは特に反論しない。
「状況による。こっちだって何でも同じようにはできない」
フェナがさらに聞く。
『魔族でも?』
今度は俺の方を見る。
前にも似た質問をされた。
俺は少し考えてから答える。
「危険じゃないことを確認できて、帰れなくて助けを求めてるなら、俺は救難として考えます」
フェナがその答えを記録している。
リュシアは俺を見る。
『ナオト、同じ』
「何が?」
『前と同じこと言う』
「そりゃ考え方が変わってないので」
ザイルが何か言う。
『そこは信用できるって』
「そこは?」
『弱いところは信用してる』
「それ、もう信用って言わないですよね」
神代さんが少し笑った。
話し合いはそこで終わった。
人間と魔族が仲間になったわけでもなければ、互いを信用したわけでもない。それでも、勝手に境目を越えないという最低限の約束だけはできた。
知らない相手と最初に必要なのは、近づくことではなく、勝手に踏み込まないことなのかもしれない。
もし、どうしても境目を越えなければならない理由が生まれたなら、その時に改めて考えればいい。
少なくとも今は、境目の両側にそれぞれ帰る場所がある。
それを壊さないことの方が大事だった。




