第112話 弱いのに信用できる
リュシアたちとの最初の話し合いから二日後、俺たちは再び御影ダンジョンの監視映像を見ていた。
今回は偶然ではない。前回の話し合いでは次にいつ境目へ来るのかを決められないまま終わったため、御影側が監視映像を確認する時間帯だけを伝えていた。こちらから向こうへ連絡する方法はまだないので、午後二時から三時の間にリュシアたちが境目へ来た場合は、そのまま会話を始めるという簡単な決め方だ。
午後二時を少し過ぎた頃、青い境目の向こうに三人の姿が現れた。今日もリュシア、ザイル、フェナの三人だ。
「本当に来ましたね」
小日向が言う。
「来るって言ってたからね」
「久世さん、ちょっと嬉しそうですよ」
「普通です」
隣にいた神代さんまでこちらを見る。
「少し嬉しそうですよ」
「神代さんまで」
二対一になったので、それ以上は言わなかった。
相馬さんは俺たちの会話を気にせず、御影側との接続を確認している。今日も現地へ大勢を集めることはせず、境目手前に設置した有線設備を使って話す。こちら側にいるのは相馬さん、俺、神代さん、小日向、瀬川。それに御影ダンジョンの管理責任者が別回線で参加していた。
画面の中で、リュシアが収音機の近くまで来る。
『ナオト』
「こんにちは」
『こんにちは』
以前より返事が早い。
「覚えたんですね」
『フェナに聞いた』
リュシアが隣を見る。
フェナは前回と同じ薄い灰色の髪を後ろでまとめており、今日は手に薄い板のようなものを持っていた。表面には細かな文字らしきものが並んでいる。
俺が気になって見ていると、リュシアが説明した。
『フェナ、言葉、読む仕事もする』
「日本語を?」
『少し』
フェナ自身がこちらへ近づき、慎重に口を開く。
『……こんにちは』
発音は少し硬いが、意味は十分に分かる。
「こんにちは」
俺が返すと、フェナは安心したようにリュシアを見る。
リュシアが少し得意そうな顔をした。
『フェナ、昔の文字、読む。人間の言葉、少し分かる』
相馬さんが聞く。
「昔の文字というのは、リュシアさんが前に話していた、人間の言葉が書かれた物のことですか?」
リュシアはフェナへ確認してから頷いた。
『そう。古いもの。全部分からない。少しだけ』
フェナが持っている板も、その記録の一つなのかもしれない。ただ、今日の目的はそこを詳しく調べることではなく、相馬さんもそれ以上は追及しなかった。
「今日は、前回話せなかったことを少しずつ確認します。まず、その二人がどういう立場なのか聞いてもいいですか」
リュシアが二人へ説明すると、最初にザイルが答えた。低い声で何かを話し、それを聞いたリュシアが日本語に直す。
『ザイル、私たちの仕事の、まとめる人』
「上司みたいなもの?」
俺が聞く。
リュシアは少し考える。
『上……たぶん』
ザイルが何か言うと、リュシアが顔をしかめた。
『違うって』
「どっちなんですか」
『ナオトの言葉、難しい』
どうやら人間側の組織と完全には一致しないらしい。
相馬さんが助け舟を出す。
「リュシアさんが外で仕事をする時、ザイルさんが判断したり指示したりすることがある?」
『ある』
「なら今は、それくらいでいいです」
次にフェナのことを聞くと、リュシアは説明する言葉を探しながら答えた。
『フェナ、道を記録する。変わった場所、獣が出た場所、危ないところ。あと、古い文字も見る』
「地図を作る人?」
『地図も作る』
フェナが手にしていた板を少し持ち上げる。そこに書かれているものは俺には全く読めないが、線と記号がいくつも組み合わされている。
瀬川が少し身を乗り出した。
「記録担当なんですね」
リュシアが瀬川の言葉を聞き取れず、こちらを見る。
俺が簡単に説明する。
「起きたこととか、道とかを残す人です」
『そう。フェナ、それ』
瀬川が小さく頷いた。たぶん少し親近感があるのだろう。
相馬さんはザイルを見る。
「ザイルさんが今回来たのは、リュシアさんが人間側で何をされたのか確認するためですか?」
通訳された質問に、ザイルはすぐ答えた。
リュシアが聞き終える。
『それもある。リュシアが戻って、話をした。人間に助けられた。でも、全部信じるのは危ないって』
「普通だと思います」
俺が言う。
リュシアがそのまま訳すと、ザイルはこちらを見て短く何かを話した。
『ナオトは、変だって』
「またですか」
『人間なのに、人間をすぐ信用するなって言うから』
「知らない相手をいきなり信用する方が危ないでしょう」
リュシアが訳すと、ザイルは少し考えたあと、フェナへ何かを言った。フェナも答え、二人そろって俺を見る。
「何です?」
『ナオト、本当に戦えないのかって』
またその話だった。
「本当ですよ」
リュシアがすぐ付け足す。
『すごく弱い』
「そこまで言わなくていいです」
『本当』
神代さんが横で少し笑う。
俺はそちらを見る。
「否定してくださいよ」
「戦闘に関しては否定できません」
「言い方ってものがあるでしょう」
リュシアが神代さんへ何か聞き、本人にも伝わらないと分かると日本語で言い直した。
『ミナミは、ナオトより強い?』
「かなり」
即答だった。
「早くないですか?」
「事実なので」
フェナが初めて少し笑った。
ザイルは相変わらず表情を崩さなかったが、何かを尋ねると、リュシアがこちらへ向き直る。
『ザイル、聞いてる。そんなに弱いナオトが、どうして救難するのか』
「それ、前にも似たこと聞かれませんでした?」
『今日はザイルがちゃんと聞きたい』
俺は少し考えた。
戦えないのに、なぜ救難をするのか。以前なら自分でも答えに困ったかもしれないが、今はそこまで難しくない。
「俺ができることがあるからです」
リュシアが訳す。
ザイルが続きを待っている。
「強い魔物を倒すことはできません。でも、怪我をした人を運ぶこともできるし、道を確認することもできます。《帰り道》が使える時なら、全員で帰れる方向も見える。救難って、強い人が一人いれば全部終わる仕事じゃないので」
リュシアが途中で何度か意味を確認しながら伝える。
ザイルは黙って聞いていた。
「神代さんみたいに戦える人も必要です。怪我を見る人も、記録する人も、通信する人も必要です。俺一人じゃほとんど何もできません」
神代さんが少しこちらを見る。
相馬さんは何も言わない。
リュシアが最後まで訳し終えると、ザイルはフェナと短く話した。
『ザイル、少し分かったって』
「少しなんですね」
『全部は信じてない』
「それでいいです」
ザイルがまた何か言うと、リュシアは一瞬笑いそうになった。
「今度は何です?」
『弱いのに、信用できるのは少し分かったって』
「それ、褒められてます?」
小日向が答える。
「たぶんかなり」
「小日向に聞いてないよ」
フェナがリュシアへ何かを尋ねる。
今度はリュシアが少し考えてから、日本語に直した。
『フェナ、聞いてる。《帰り道》がない時も、助ける?』
「もちろん。むしろ、使わない救難の方が普通です」
俺がすぐ答えると、三人がそろってこちらを見る。その反応で、リュシアたちは《帰り道》が俺の救難そのものだと思っていたのかもしれないと気づいた。
「この前リュシアを見つけた時も、《帰り道》で探したわけじゃないです。声と地図と現地の人たちの捜索で見つけましたよね」
『そう』
「光が出なかった時でも、帰れる方法を探すことはあります。《帰り道》は使える時に使うだけです」
リュシアがその説明を二人へ伝えると、フェナの反応が少し変わった。手にしている板へ何かを書き込んでいる。
瀬川がそれを見て、小声で言う。
「記録してる」
「似てるね」
俺が答えると、瀬川は少し嬉しそうだった。
ザイルがまた質問する。
『もし、《帰り道》が間違ったら?』
一瞬だけ返答を考える。
「光が間違っているかどうかは、俺には分かりません。だから、見えた道をそのまま進むんじゃなくて、人間が通れるか確認します」
『光があるのに?』
「あります。でも崩れてたら通れないし、怪我人が越えられない場所なら、そのまま進めないです」
第二森下ダンジョンで光が出なかった時も、御影の亀裂でも同じだった。
道が見えることと、その道を使えることは別だ。
リュシアが訳し終えると、ザイルはしばらく黙っていた。今度はすぐに否定もしない。
神代さんがリュシアを見る。
「そちらでは、危険な場所で怪我をした人が出たらどうするんですか?」
リュシアは少し驚いたようだった。
『助ける』
「誰が?」
『私たちもする』
俺はその答えに引っかかった。
「リュシアたちが?」
『うん』
以前、リュシアは町の外へ出て、危険な道や人が通れる場所を確認する仕事をしていると言っていた。
どうやら、それだけではないらしい。
詳しく聞こうとしたところで、相馬さんが口を挟んだ。
「今日は一度に増やしすぎるな」
「まだ聞いただけですよ」
「お前の顔が続きまで聞く顔してる」
今度は俺が顔で読まれた。
リュシアが笑う。
『ソウマ、分かる』
「変なところで仲良くならないでください」
相馬さんは気にせず、画面の三人へ話す。
「その話は次に聞かせてもらいましょう。今日は、お互いがどういう立場なのか確認できただけでも十分です」
リュシアが訳すと、ザイルは反対しなかった。フェナはまだ何かを記録している。
会話を終える前、ザイルがリュシアへ一言伝えた。
リュシアが俺を見る。
『ザイル、ナオトのこと、前よりは信用するって』
「それなら良かったです」
『でも弱い』
「そこはもういいです」
フェナがまた笑い、神代さんまで口元を緩めた。
俺としてはあまり納得していないが、少なくとも前回より空気は柔らかくなっていた。
魔族について分かったことは、まだほとんどない。それでも、ザイルはリュシアたちの仕事をまとめる立場で、フェナは道や危険を記録する人らしい。そしてリュシアたち自身も、危険な場所で誰かを助けることがある。
中でも最後の一つが、一番気になった。
人間側だけが誰かを助けているわけではない。
向こうにも、帰れなくなった誰かを連れ戻す人たちがいるのかもしれない。
その話は、次に詳しく聞くことになりそうだった。




