第105話 地上じゃない
「地上じゃないです」
俺がそう言うと、その場にいた全員の視線が亀裂へ向いた。
俺にしか見えない淡い光は、足元から伸びている。いつもなら地上へ戻る通路を示すはずなのに、今回は反対だった。俺たちが通ってきた旧採掘区画へは戻らず、そのまま地図にない亀裂の奥へ続いている。
見間違いではない。ただし、それが何を意味するのかは別の話だ。
現地救難班長が最初に口を開いた。
「もう一度確認してもらえますか」
「はい」
俺は意識を切らずに光を見る。位置は変わっておらず、亀裂の手前で途切れているわけでもない。その奥へ向かって、今も同じように伸びている。
「変わりません。向こうです」
「地上側へ伸びる光は?」
「ないです。二本見えてるわけでもなく、これ一本だけです」
班長は小さく頷き、すぐに通信機を取った。
「地上へ。久世さんの《帰り道》を確認。表示方向は地上側ではなく、未記録亀裂内部です。現時点で移動はしません」
『了解。設備側でも記録します』
通信が終わると、リュシアが俺を見る。
「帰る道?」
「たぶん」
「たぶん?」
「見えてるのは道だけです。この先がどこにつながってるかまでは分かりません」
リュシアの表情が少し曇る。
「私の町じゃない?」
「そこまでは分からないです。今はリュシアを一緒に帰すつもりで見ています。その状態で出ている道なのは確かです」
「なら、帰れる」
「可能性はあります。でも、見えたからそのまま進めるとは限りません」
納得していない顔だった。
神代さんが横から補足する。
「久世さんの光は、先に何があるかを教えてくれるものではありません。道が見えても、そこを安全に通れるかは別です」
「でも道」
「はい。でも、あの亀裂が崩れるかもしれないし、向こう側に魔物がいるかもしれません。帰るために使える道かどうかは、まだ確認できていません」
リュシアは黙った。
少なくとも意味は伝わったらしい。
班長も続ける。
「今日は亀裂の中へ入りません。まず外から確認します」
リュシアがすぐ反応した。
「でも、道ある」
「あるからこそです。使えるか分からない道に、怪我人を先に入れるわけにはいきません」
「私は歩ける」
「歩けることと、安全に帰れることは別です」
班長は譲らなかった。
俺は亀裂の奥へ伸びる光を見る。
第二森下ダンジョンでは、《帰り道》そのものが見えなかった。その時は、使える経路を人間側で作ったあとに光が現れた。
今回は逆だ。光はすでに見えているのに、その道を使っていいのか判断できない。
結局、見えるだけでは足りない。
そこは今までと何も変わらなかった。
神代さんが俺を見る。
「久世さん、リュシアさんが動いたら光も変わりますか?」
「分かりません」
「少しだけ試しても?」
班長がすぐ確認する。
「亀裂へ近づけるという意味じゃないですよね」
「もちろんです。反対側へ少し動いてもらうだけです」
神代さんがリュシアを見る。
「一歩だけ、こちらへ」
「なぜ」
「久世さんの光が、あなたの位置で変わるか確認したいんです」
「分かった」
リュシアが俺たちの来た方向へ一歩下がる。俺は光を見続けたが、方向にも形にも変化はない。
もう一歩下がってもらっても結果は同じだった。
「そのままで止まってください」
俺が言う。
「変わった?」
「いえ。亀裂の方を示したままです」
「じゃあ行く」
「そういう話じゃないです」
思わずすぐ返してしまうと、神代さんが少し笑いそうになった。
「何です?」
俺が聞く。
「いえ。久世さん、だいぶ慣れてきたなと思って」
「何に?」
「リュシアさんに」
「まだ二日目ですけど」
リュシアが俺たちを見比べる。
「何」
「何でもないです」
納得していない顔だったが、今度は追及してこなかった。
班長は亀裂の手前へ移動し、救難員へ指示を出した。
「内部確認。カメラだけ入れます。人は入らない」
「了解」
昨日使ったものより長いケーブルの小型カメラが用意されていた。救難員が先端を亀裂へ差し込み、全員で端末の画面を見る。
最初に映ったのは狭い岩の隙間だったが、少し進むと徐々に幅が広がっていった。床には小さな石が散らばっているものの、少なくともカメラで確認できる範囲に大きな崩落はない。
「昨日より奥まで行けます」
救難員が言う。
班長は画面から目を離さない。
「ゆっくりお願いします」
カメラがさらに進む。
十メートルほど先で通路は緩く曲がっていた。
通信越しに設備担当者の声が入る。
『施設図にはない区画です』
「そこは分かってます」
『岩質も見たいので、壁寄りに映せます?』
救難員がカメラを少し動かす。
画面いっぱいに岩肌が映った。
しばらくして設備担当者が言う。
『少なくとも手前側は、御影ダンジョンと同じ岩に見えます』
「手前側は?」
『映像だけなので断定はできません。ただ、今のところ急に別の空間へ切り替わっているようには見えません』
俺はリュシアを見る。
「ここ、知ってる?」
リュシアは画面をしばらく見たあと、首を横に振った。
「知らない」
「来た時に通ってない?」
「暗かった。逃げた。よく見てない」
それなら仕方ない。
カメラをさらに進めると、今度は床に黒い跡が見えた。
班長がすぐに止める。
「何です?」
救難員が画面を拡大する。
「血ですかね」
神代さんが画面を見た。
リュシアも身体を少し前へ寄せる。
「私」
「分かるんですか?」
「服、切れたあと。ここ通った」
昨日見た血の跡と色も似ている。
本人の記憶と一致するなら、少なくともこの通路がリュシアの来た経路である可能性は高い。
班長が通信へ報告する。
「亀裂内部で血痕らしき跡を確認。本人は自分のものと申告」
『記録します』
カメラはさらに奥へ進んだ。
十数メートルを越えたあたりで、突然映像に細かな乱れが走る。
救難員が手を止めた。
「何か当たった?」
「いや、ケーブルは引っかかってないです」
映像には細かなノイズが入り、通信の音声まで少し途切れ始めた。
『映像、落ちてます』
設備担当者の声もわずかに乱れている。
俺はリュシアを見る。
「この辺り、来た時に何か変な感じありませんでした?」
リュシアは画面を見ながら考える。
「空気、変わった」
「空気?」
「音、遠くなる。体、軽い。少しだけ」
班長が聞く。
「この辺ですか?」
「たぶん」
カメラの映像が一度大きく乱れたあと、急に安定する。
戻った画面を見て、全員が少し黙った。
それまで灰色に近かった岩肌が、わずかに青みを帯びている。
俺は画面へ顔を近づけた。
「これ、照明のせいですか?」
設備担当者がすぐ返す。
『カメラのライトは変わってません』
神代さんが言う。
「岩自体が変わってる?」
『可能性はあります。ただ、映像だけでは判断できません』
班長が救難員を見る。
「そこから先は?」
救難員がさらに進めようとしたが、すぐに手を止める。
「届かないです」
「何メートル?」
「二十三くらいです」
画面の奥には、さらに道が続いていた。幅は狭いものの、人が通るだけの余裕はありそうだ。
俺にしか見えない《帰り道》の光も、その道と同じ方向へ伸びている。当然、カメラの映像には何も映らない。
亀裂の奥を見ながら、ここから先へ進めば何かが分かるかもしれないと思う。それでも、今はまだ入らない。光が示しているという理由だけで、確認できていない場所へ踏み込むつもりはなかった。
班長が言う。
「今日はここまでにします」
リュシアがすぐ反応した。
「まだ先ある」
「ありますね」
「なら見る」
「ここから先は、人が入らないと確認できません」
「私、行く」
「行きません」
また同じやり取りになった。
リュシアが俺を見る。
「ナオト」
「俺を見ても変わりませんよ」
「道、ある」
「あります」
「なら帰る」
「帰りたいのは分かってます。でも、その道が安全に使えるか確認してるんです」
リュシアは明らかに苛立っていた。
俺も少し困る。
ただ、焦る理由は分かる。あの亀裂がいつまで残るのか誰にも分からない以上、リュシアからすれば一刻も早く帰りたいはずだ。
神代さんがリュシアの前へ立つ。
「リュシア」
「何」
「昨日、あなたは私たちに亀裂へ入るなと言いましたよね」
リュシアが黙る。
「危ないから止めたんですよね」
「そう」
「今は私たちも同じことをしています」
「違う」
「何が?」
「私は知ってる」
神代さんはそこで急かさず、落ち着いて聞いた。
「全部?」
リュシアが言葉に詰まる。
「向こうが今どうなっているか、全部分かってるわけではないですよね」
「……分からない」
「なら同じです。帰るために危ない場所を通らなければいけない時はあります。でも、先に確認できることがあるのに、確認せず進む必要はありません」
「ミナミ、慎重」
「神代です」
「今それ?」
俺が言うと、神代さんはこちらを見る。
「大事です」
リュシアの口元が少しだけ緩んだ。
さっきまでより、苛立ちは弱くなっている。
班長が撤収を指示した。
「カメラ回収。今日は地上へ戻ります」
救難員がケーブルをゆっくり引く。
画面の景色が逆向きに流れていく。
青みを帯びた岩。
映像が乱れた地点。
灰色の岩肌。
リュシアのものと思われる血の跡。
そして最後に亀裂の入口が映り、カメラがこちら側へ戻ってきた。
俺はその間も《帰り道》を見続ける。
光は消えていない。
「まだ出てます?」
班長が聞く。
「はい」
「戻り始めても?」
「確認します」
俺たちは亀裂から離れた。
五メートル、十メートルと距離が開いても、光は同じ方向を示したままだった。
リュシアの歩調に合わせて旧採掘区画を戻りながら、俺は何度も足元を確認する。
「どうです?」
神代さんが聞く。
「まだ亀裂の方です」
「昨日は管理棟で出なかったんですよね」
「はい」
班長も会話を聞いている。
「どこで消えるか見ます?」
「リュシアに負担がかからない範囲なら」
「なら、戻りながら確認しましょう」
昨日リュシアを見つけた地点を通る。
光は残っている。
崩落箇所を回り込み、旧採掘区画の出口まで戻っても方向は変わらない。
「昨日と違いますね」
神代さんが言う。
「そうですね」
「一度光が出たから?」
「分かりません」
「場所の条件が変わった?」
「それも分かりません」
理由ならいくつでも考えられる。
リュシアと亀裂の距離かもしれない。
俺の認識の変化かもしれない。
経路自体が変わった可能性もある。
ただ、どれも仮説でしかない。
第五層の主経路へ戻っても光は消えなかった。
階段の手前で俺が立ち止まる。
「ここでも出てます」
班長が端末へ記録する。
「地上まで確認します?」
「できれば」
リュシアが言う。
「私、歩ける」
「無理はしないでくださいね」
「大丈夫」
今日は一回だけだった。
少し進歩している。
第四層、第三層と上がっても光は残ったままだった。第二層へ入っても方向は変わらず、地下の亀裂側を示している。
「地上まで続くのかな」
神代さんが言う。
「方向だけ見ると、ずっと同じです」
「でも昨日は管理棟で出なかった」
「そこが分からないんですよね」
第一層へ着き、入口が見えてきても光は消えなかった。
班長が俺を見る。
「どうです?」
「まだあります」
「記録は第一層でも表示継続、で?」
「それでお願いします」
そのまま地上へ出る。
自然光の下でリュシアが空を見上げたが、昨日ほど驚いてはいない。
俺はすぐ足元を確認した。
光はまだある。
地上へ出ても消えておらず、方向も変わらない。御影ダンジョンの入口を背にしても、俺の足元から建物の向こう、地下の亀裂がある方角へ伸びている。
「地上でも出てます」
俺が言う。
班長が少し驚いた。
「昨日は管理棟で出なかったんですよね」
「はい」
神代さんが少し考える。
「昨日と今日の違いが何なのかは、まだ分からないですね」
「ですね」
リュシアが俺を見る。
「道、まだある?」
「あります」
少しだけ安心した顔になる。
「消えない?」
「今のところは」
「なら、明日も?」
「そこは分かりません」
また不満そうな顔になった。
班長が言う。
「とりあえず管理棟へ戻ります。久世さんは光を確認しながらお願いします」
「はい」
昨日《帰り道》を確認した救護室まで戻る。
同じ場所に立って足元を見ると、今日はそこにも光が出ていた。
俺は少し眉を寄せる。
「昨日はここで出なかったんですけどね」
班長が確認する。
「今日は出ている」
「はい」
リュシアがベッドへ腰を下ろしながら聞いた。
「何が違う?」
「俺が知りたいです」
神代さんが言う。
「昨日は、亀裂が本当にリュシアの帰る場所と関係しているのか、久世さん自身にも判断材料がなかった」
「今日も向こうが何なのかは分かってませんよ」
「でも、《帰り道》が亀裂を示したことは知っています」
「俺の認識の違いってことですか?」
「可能性の一つです」
あり得なくはない。
《帰り道》は俺の認識と完全に無関係ではない。誰と一緒に帰るのか、どこまでを同じ帰還として扱っているのかは、これまでも影響していた。
ただ、それだけで今回の変化を説明してしまうのは早い。
「記録は事実だけにしましょう」
俺が言う。
班長も頷いた。
「昨日、管理棟で表示なし。本日、亀裂前で表示確認。その後、地上へ移動しても表示継続」
「それでお願いします」
「原因は書きません」
「助かります」
最近、こういうやり取りにも慣れてきた。
その時、相馬さんから連絡が入った。
班長が通信をつなぐ。
『相馬だ』
「御影です。確認終わりました」
『どうだった』
「光が出ました。地上ではなく、未記録亀裂の内部を示しています」
少し間が空いた。
『中には入ったか』
「入ってません」
『ならいい』
班長が続ける。
「カメラを二十三メートルほど入れました。途中で岩の色が変わって見える区域と、通信映像が乱れる地点を確認しています」
『人は』
「入れてません」
『それでいい』
俺が横から声をかける。
「相馬さん」
『聞こえてる』
「地上に戻っても光が消えません」
少し沈黙した。
『昨日は』
「管理棟で出ませんでした」
『今日は出てる』
「はい」
『理由は』
「分かりません」
『それでいい』
本当にぶれない。
相馬さんが続ける。
『次どうする』
班長が答えた。
「亀裂内部の安全確認を、もう少し進めたいです。人を入れる場合も、リュシアさんを最初にはしません」
リュシアがすぐ口を挟む。
「行く」
相馬さんにも聞こえたらしい。
『今のが本人か』
「はい」
『元気だな』
「結構」
リュシアが通信機を見る。
「誰」
俺が答える。
「俺たちの上司みたいな人」
「強い?」
「戦う方じゃないです」
『聞こえてるぞ』
「すみません」
相馬さんはそのまま俺へ聞いた。
『久世』
「はい」
『光が奥を向いたからって、向こうが何だと思ってる』
質問の意味は分かる。
「リュシアの帰る場所につながってる可能性はあると思ってます」
『魔界だと思ってるか』
俺は一瞬黙った。
リュシアが使ったのは「魔族」という言葉であって、彼女の住んでいる場所を「魔界」と呼んだわけではない。
人間側が勝手に名前を付けようとしているだけだ。
「まだ、そうとは思ってません」
『ならそのままでいろ』
「はい」
『知らない場所に名前を付けると、それで分かった気になる。今分かってるのは、お前の光が地上じゃなく亀裂を示した。それだけだ』
「分かってます」
『リュシアさん本人は何て言ってる』
俺はリュシアを見る。
「自分の場所につながってると思ってる?」
リュシアはすぐ頷く。
「近い。たぶん」
「近いと思うけど、確信はないそうです」
『なら、それも本人の認識として記録しろ。事実と混ぜるな』
「はい」
通信が切れる。
班長が少し息を吐いた。
「厳しいですね」
「いつもあんな感じです」
神代さんが言う。
「でも、必要だと思います」
「ですよね」
リュシアだけが会話についていけていない。
「ナオト」
「はい」
「あの人、偉い?」
「一応」
「怖い?」
「怖くはないです」
神代さんが横から言う。
「怒らせると面倒です」
「神代さん」
「違います?」
「否定しづらいですけど」
班長が咳払いした。
「話を戻しましょう」
今日は何度も戻されている。
机の上には、御影ダンジョン第五層の地図が広げられた。
旧採掘区画の端にある未記録亀裂。
昨日まではそこで地図が終わっていたが、今日のカメラ映像をもとに、その先へ細い線が書き足されている。
二十三メートル。
途中に映像が乱れた地点。
さらに先に、岩の色が変わった地点。
そこから先は空白だった。
班長が言う。
「次は、まずこの二十三メートルが人の通行に耐えられるか確認します」
リュシアが地図を見る。
「私も」
「最初は現地班だけです」
「なぜ」
「安全確認だからです」
「私、道知ってる」
神代さんが聞く。
「本当にこの通路を覚えていますか?」
リュシアは地図を見ながら黙った。
「ここ、知らない」
「ですよね」
「でも向こう、少し分かる」
「どこから?」
「空気変わるところ」
俺は、カメラ映像が乱れた地点を思い出した。
「あそこを越えたら?」
リュシアが頷く。
「たぶん、私の側」
班長の手が止まる。
「側?」
「こっち、人間。向こう、私たち」
単純な言葉だったが、意味は大きい。
神代さんが確認する。
「その場所を越えると、あなたがいた場所なんですか?」
リュシアは「場所」という言葉を考えるようにしてから頷いた。
「たぶん」
やっぱり、たぶんだ。
それでも昨日よりは少し進んでいる。
もしリュシアの話が正しいなら、映像が乱れた辺りに何か境目のようなものがあるのかもしれない。
御影ダンジョン。
未記録の亀裂。
その先にある、リュシアのいた場所。
ただし、まだ全部が仮説だ。
班長が聞く。
「こちら側から安全確認を進めて、そこまで行けたらどうします?」
リュシアは迷わなかった。
「帰る」
「一人で?」
「一人で帰れる」
「怪我は?」
「歩ける」
神代さんが聞く。
「向こうに魔物がいる可能性は?」
リュシアが黙る。
「ありますよね」
「ある」
「なら、一人で返すかどうかはそこを見てからです」
「でも」
「昨日と同じです。帰るために必要なら進みます。でも、確認できることを飛ばして進む必要はありません」
リュシアは少し不満そうに神代さんを見る。
「ミナミ、一緒?」
「神代です」
「一緒?」
神代さんは少し考えた。
「必要なら」
今度はリュシアが俺を見る。
「ナオトも?」
「俺も必要なら」
「弱いのに?」
「そこ、毎回確認します?」
リュシアが少し笑った。
神代さんも笑っている。
班長は呆れたような顔をしながらも、地図の空白へ視線を戻した。
俺も足元の光を見る。
今も消えていない。
淡い光は管理棟の床を抜けるようにして、御影ダンジョンの奥へ向かっている。
これまで《帰り道》は、地上へ帰るためのものだと思っていた。
正確には、それ以外の帰る場所を持つ相手に会ったことがなかったから、そうとしか考えてこなかった。
けれどリュシアには、リュシアの家があり、町があり、仲間がいる。
俺たちにとっての地上が、彼女にとっての帰る場所とは限らない。
だから光が奥へ向いた。
そう考えれば筋は通る。
それでも、一度の出来事だけで《帰り道》の新しいルールだと決めるつもりはなかった。
俺たちが実際に確認できたのは、リュシアを帰すつもりで《帰り道》を見た時、光が地上ではなく亀裂を示したことだけだ。
それ以上はまだ分からない。
俺は地図の空白部分を見る。
その先に何があるのかは、誰も知らない。
リュシアの町へ続く土地なのか、別のダンジョンのような場所なのか、それとも俺たちが想像もしていない何かなのか。
分からないなら、帰すために必要な分だけ確認する。
攻略するためではない。
未知の世界を見に行くためでもない。
帰れなくなった一人を帰すために、道を使える状態か確かめる。
そこだけは、これまでの救難と変わらない。
しばらく地図を見ていたリュシアが、その空白部分を指した。
「この先、帰れると思う」
俺はリュシアを見る。
「何で?」
「道あるから」
「俺の光?」
リュシアは首を横に振る。
「違う。空気。匂い。近い」
「分かるんですか?」
「少し」
「昨日は?」
「怪我して、獣いて、分からなかった。でも今日、近くで分かった」
神代さんが聞く。
「あなたのいた場所の空気に近い?」
「そう」
班長はその言葉も記録した。
「本人申告として残します」
リュシアはよく分からない顔をしている。
俺は少し笑った。
「何でも記録するんです」
「人間、面倒」
「それも記録されるかもしれませんよ」
「いらない」
今度は神代さんが笑った。
その日は、それ以上亀裂へ近づかなかった。
帰れるかもしれない道は見つかった。
ただ、まだ使える道かどうかは分からない。
次にやることは決まっている。
道幅。
足場。
崩落の危険。
魔物。
通信。
人が通れるか。
負傷したリュシアを連れて戻れる状態なのか。
それを一つずつ確かめる。
《帰り道》が見えたからといって、それだけで帰れるわけではない。
帰れる道を使える状態にするのは、結局いつも現場にいる人間の仕事だ。
今回は、その救難対象が人間ではなく魔族になった。
今のところ、違うのはそれだけだった。




