↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
104/206

第104話 帰りたい

リュシア。


名前を聞いたことで、目の前の女性を少しだけ見やすくなった気がした。


人間ではない。本人は自分を魔族と呼び、俺たちが魔物と呼んでいるものとは別の存在だと言っている。彼女のいた場所には町があり、家があり、仲間もいるらしい。


それでも、分からないことの方が圧倒的に多い。


どこから来たのか。どうして御影ダンジョンにつながったのか。そもそも、リュシアが言う「向こう」がどこなのか。その全部を一度に聞き出すつもりはなかった。


救護室のベッドに横になっているリュシアは、さっきまでより明らかに疲れている。脇腹と右脚の治療を受け、魔物が旧採掘区画に現れたことで緊張も続いていた。


現地救難班長が端末を閉じる。


「今日はここまでにしたいところですが、確認しないといけないことがあります」


リュシアが班長を見る。


「何」


「あなたをどこへ移すかです」


俺もその言葉で現実に戻された。


このまま御影ダンジョンの救護室へ置いておくわけにはいかない。怪我の経過を見る必要があり、人間と身体のつくりが同じなのか分からない以上、医療側の確認も必要になる。


何より、自分を魔族と名乗る存在が初めて現れたのだ。現地の救難所だけで判断していい話ではない。


班長がリュシアへ、できるだけ簡単な言葉を選んだ。


「ここより大きい治療場所へ移したいです」


「治療?」


「怪我を見るところです。医者がいる」


「医者……分かる」


「そこへ行ってもらいたい」


リュシアは少し考えたあと、首を横に振った。


「行かない」


班長も予想していたのか、すぐには反論しなかった。


「理由を聞いても?」


「帰る」


「治療してからでも」


「違う」


リュシアは身体を起こそうとしたが、脇腹を押さえて途中でやめた。


「無理しないでください」


俺が言うと、リュシアは真っすぐこちらを見る。


「ナオト」


「はい」


もう久世と訂正する気はなくなっていた。


「私は、帰りたい」


「分かってます」


「分かってない」


即答され、少しだけ傷ついたものの、たしかに俺はまだ何も分かっていない。


「じゃあ、教えてください。全部じゃなくていいです。どこへ帰りたいのかだけでも」


リュシアはしばらく言葉を探した。


「私の町」


「名前は?」


日本語で伝わるか不安だったが、意味は通じたらしい。


リュシアが何かを口にしたものの、日本語ではなく、俺にはまったく聞き取れなかった。


もう一度聞こうとすると、リュシアは首を横に振る。


「ナオト、言えない」


「俺が?」


「人間の口、違う」


「そこから?」


「少し違う」


何度か発音を真似してみたが、自分でも合っている気がしなかった。


神代さんが横から言う。


「今は地名まで覚えなくてもいいと思います」


「俺もそう思い始めました」


リュシアが俺たちを見る。


「ミナミは、言わない?」


「たぶん私も無理だと思います」


「そう」


少しだけ納得したらしい。


班長が話を戻す。


「その町は、あなたが来た亀裂の向こうにある?」


リュシアはすぐには頷かなかった。


「向こう。でも、すぐじゃない」


「遠い?」


「遠い」


「歩いて?」


「歩く。乗る。いろいろ」


少なくとも、亀裂を越えた瞬間に町があるわけではないらしい。


神代さんが聞く。


「リュシアさんは、あの亀裂を自分で見つけたんですか?」


「違う」


「どうやってこちらへ?」


リュシアは目を閉じ、思い出すように言葉を選んだ。


「仕事で、道を見る」


俺はその言葉に反応した。


「道を見る?」


リュシアがこちらを見る。


「ナオトと違う」


「まだ何も言ってません」


「顔」


神代さんが少し笑う。


最近、本当に顔に出ているらしい。


「どんな仕事です?」


俺が聞く。


「町の外。獣いる。危ない場所、見る。人が通れるか見る」


巡回に近い仕事なのかもしれない。


「境界の近くですか?」


神代さんが聞いたが、「境界」という言葉は伝わらなかったようだ。


俺が手を使って説明する。


「ここと、あなたの場所の間」


「ああ」


リュシアは頷いた。


「近いところ。前から変だった」


「前から?」


「穴、小さい。すぐ消える。入れない」


班長が端末へ記録を入れる。


「そういう現象が以前からあった?」


「ある。でも今回、大きい」


「それで入った?」


リュシアは首を横に振った。


「入ってない。近く見てた。急に地面、なくなった」


「落ちたんですか?」


「落ちた」


昨日から何度か聞いていた「落ちた」という言葉の意味が、ようやく見えてきた。


リュシアは自分からこちらへ来ようとしたわけではなく、向こう側で異常を調べている最中に、足元か周囲が崩れるようにしてこちらへ落ちたらしい。


「気づいたら御影ダンジョンにいた?」


俺が聞く。


「ミカゲ?」


「ここです」


「ああ。暗い場所」


「たぶんそうです」


リュシアは頷いた。


「落ちたあと、戻ろうとした。でも道、変わった。獣来た。戦って、逃げた」


そこから俺たちが見つけた場所まで移動してきたのだろう。


「何日くらい?」


班長が聞く。


リュシアは困った顔をした。


時間の数え方まで違うのかもしれない。


「眠った?」


俺が聞く。


「二回」


「じゃあ二日くらいかな」


正確ではないが、入場記録に残っていない理由については説明がつく。


入口から入っていない。


本人の話が本当なら、御影ダンジョンの奥に突然つながった場所から来たことになる。


班長が聞いた。


「帰り道は分かります?」


リュシアは首を横に振る。


「分からない」


「来た亀裂は?」


「そこまで戻れる。でも、その先分からない」


「向こうへ出れば分かる?」


「たぶん」


その「たぶん」が大きかった。


あの亀裂を越えた先が本当にリュシアのいた場所なのか、それとも途中のどこか別の空間なのか、俺たちには確かめる方法がない。


神代さんが俺を見る。


たぶん同じことを考えたのだと思う。


班長も少し黙ったあと、こちらへ視線を向けた。


「久世さん」


「はい」


来ると思っていた。


「《帰り道》は?」


リュシアが反応する。


「帰り道?」


俺は少し考えてから答えた。


「まだ見てません」


「使えます?」


「分かりません」


「分からない?」


「この人を対象にしたことがないので」


正確には、人間以外を一緒に帰す相手として認識したことがない。魔物を対象にしようと考えたこともなければ、そもそも魔物に「帰りたい」と言われたこともない。


リュシアが俺を見る。


「ナオト、帰る道、分かる?」


「場合によっては」


「さっきの話?」


「何の?」


「カミシロ、言った。ナオト、道見る」


いつ言ったんだろう。


俺が神代さんを見る。


「私ですか?」


「たぶん地下で少し」


「説明した?」


「詳しくはしてません」


リュシアは俺に向かって聞く。


「帰る道、見える?」


「一緒に帰る人がいる時だけです」


「一緒?」


説明が難しい。


俺は椅子へ座り直す。


「俺が、この人たちと一緒に帰るって思ってるとします」


自分と神代さんを指した。


「その時に、みんなで帰れる道が俺には見えることがあります」


「どこへ?」


「今までは地上です」


「今までは?」


リュシアはそこを拾った。


妙に鋭い。


「人間しかやったことないので」


「魔族、ない?」


「ないです」


リュシアは少し考えたあと、迷いなく言った。


「やる」


「いや、ちょっと待ってください」


「帰りたい」


「分かってますけど、今すぐできるかは」


「やる」


かなり強引だった。


俺が班長を見ると、班長も困ったような表情をしている。神代さんだけは口を挟まず、リュシアがどこまで本気なのかを見るように黙っていた。


「神代さん、どう思います?」


俺が聞く。


「確認だけなら、ありだと思います」


「危なくないですか?」


「久世さんが光を見るだけなら」


「それはそうですけど」


「何も出なければ、それも情報です」


たしかにその通りだった。


リュシアを連れて今すぐダンジョンへ戻る必要はなく、ここで確認するだけなら危険はない。


俺は班長を見る。


「相馬さんに連絡してからでも?」


「そうしてください」


当然だった。


班長が通信をつなぎ、少し待つと相馬さんの声が入った。


『相馬だ』


「御影です。久世さんから《帰り道》の確認について相談があります」


『本人に代われ』


俺が通信機を受け取る。


「久世です」


『状況は聞いてる』


「早いですね」


『報告が多いからな』


「そうですよね」


『何だ』


俺は簡単に説明した。


リュシアが自分を魔族と名乗っていること、魔物とは別だと話していること、地図にない亀裂から来たこと、そして自分の町へ帰りたがっていること。


相馬さんは途中で口を挟まずに聞いていた。


「それで、本人から《帰り道》を使ってほしいと言われてます」


『お前はどうしたい』


「確認だけなら、やってもいいと思ってます」


『理由は』


「帰りたいって言ってるので」


少し間が空く。


『それだけか』


「救難の理由として足りません?」


再び少し沈黙したあと、相馬さんが答えた。


『足りる』


短い答えだった。


『ただし、光が出たからってすぐ動くな』


「はい」


『今までと同じだ。見えた道が使えるかは人間が判断する』


「相手、魔族ですけど」


『そこは今どうでもいい』


思わず笑いそうになった。


相馬さんらしい。


『それから、何か出ても仕様にするな。一回目だ』


「分かってます」


『神代さんいるか』


「います」


神代さんへ通信機を渡す。


「神代です」


『久世が変な動きしたら止めてください』


「分かりました」


「俺にも聞こえてますよ」


神代さんが少し笑う。


『聞かせてる』


通信が切れた。


俺はリュシアを見る。


「やってみます」


リュシアの表情が少し変わる。


「帰れる?」


「まだ分かりません」


「道、見える?」


「それもまだです」


「何も分からない」


「俺もそう思います」


リュシアは不満そうだったが、それでも待っている。


俺は一度呼吸を整えた。


今まで何度も《帰り道》を使ってきた。遭難した探索者、怪我をした人、設備員、救難員、大勢の退避者。人数も場所も状況も違ったが、一つだけ変わらなかったのは、自分がその人たちと一緒に帰るつもりでいることだった。


今回も特別なことをするつもりはない。


俺はリュシアを見る。


「確認します」


「うん」


「今から俺は、リュシアを帰すつもりで見ます」


「さん、いらない」


「そこ今?」


「リュシア」


「分かりました」


神代さんが少し笑った。


「久世さん、負けましたね」


「何にです?」


「呼び方です」


俺は気を取り直す。


「リュシアを帰す。そのために俺も一緒に動く。神代さんも?」


「はい」


神代さんはすぐ答えた。


「必要なら一緒に行きます」


リュシアが神代さんを見る。


「ミナミも?」


神代さんは少し間を置いてから言う。


「神代です」


「そこは譲らないんですね」


俺が言うと、神代さんはこちらを見る。


「久世さんが早すぎただけです」


リュシアはよく分からない顔をしている。


班長が咳払いした。


「始めてください」


少し怒られた。


俺は意識を切り替える。


リュシアを帰す。そのために神代さんも俺も一緒に動く。班長たちも今この場で救難に関わっている以上、俺が勝手に誰かだけを対象から外すような考え方はしない。


それでも、自分の中で誰を「一緒に帰る人」と認識しているのかを、俺自身が完全に理解しているわけではなかった。


だから余計なことは考えず、いつものように《帰り道》を確かめる。


目の前へ意識を向け、淡い光を探した。


数秒待っても、何も現れない。


リュシアは期待するように俺を見つめ、神代さんも隣で黙って待っていたが、さらに時間を置いても光は見えなかった。


「出ない?」


リュシアが聞く。


「今のところは」


「帰れない?」


「そこまでは分かりません」


第二森下ダンジョンで、《帰り道》が見えなかった時のことを思い出す。


あの時も、見えないから帰れないと決めつけることはできなかった。実際、使える経路を作ったあとに光は現れた。


今回とは条件が違いすぎるが、「出ない」という事実だけで結論を出さない方がいい。


「場所の問題かな」


俺が言う。


班長が聞いた。


「ここが地上だから?」


「分かりません」


神代さんが続ける。


「リュシアが帰りたい場所と、ここがつながっていない可能性もあります」


リュシアの表情に不安が浮かんだ。


俺はすぐに言う。


「まだ何も決まってません」


「でも見えない」


「見えない時もあります」


「前も?」


「ありました」


「帰れた?」


「帰れました」


その言葉を聞いて、リュシアの表情が少し和らいだ。


俺は彼女が来た場所を思い浮かべる。


未記録の亀裂。


もしリュシアのいた世界とこちら側が本当につながっているのなら、少なくとも接点は地下にある。


「亀裂の近くならどうだろう」


口に出してから、すぐ班長を見る。


「今すぐ行くって意味じゃないです」


「分かってます」


「でも確認するなら、地下かなって」


神代さんが言う。


「本人を連れて行く必要がありますか?」


「そこなんですよね」


光を見るだけなら、俺一人が亀裂付近へ行っても意味がない可能性が高い。リュシアを一緒に帰すつもりなのだから、本人がいない場所で道が出るのかどうかも分からない。


その一方で、怪我をしているリュシアを地下へ戻すことには当然リスクがある。


班長が先に結論を出した。


「今日はやめましょう」


リュシアがすぐ反応する。


「行く」


「今は行きません」


「帰る」


「その身体で戻って、また動けなくなったら意味がないです」


リュシアの顔が険しくなる。


「でも道、消えるかもしれない」


「亀裂が?」


「分からない」


「だったらなおさら、急いで入れません」


班長の声は強くないが、譲る気もなかった。


リュシアが焦る理由は俺にも分かる。


自分の故郷につながるかもしれない道が、いつ消えるか分からないのだ。休んでいろと言われても、簡単に納得できるはずがない。


「リュシア」


俺が呼ぶと、こちらを見る。


「今無理して地下へ戻って、途中で動けなくなったら、帰るのがもっと難しくなります」


「でも」


「俺も行きます」


リュシアの視線が止まった。


「怪我が落ち着いて、現場の安全が確認できたら、一緒にあの亀裂まで行きます」


神代さんも続ける。


「私も行きます」


リュシアは俺と神代さんを見比べた。


「なぜ」


またその質問だった。


「何がです?」


俺が聞く。


「私は魔族」


「聞きました」


「人間じゃない」


「それも聞きました」


「敵かもしれない」


「それも神代さんに言ってましたね」


リュシアは少し苛立ったように言う。


「なのに、なぜ」


俺はしばらく考えたが、格好いい答えは浮かばなかったし、必要もない気がした。


「帰りたいんですよね」


リュシアが黙る。


「だったら、帰れるか確認します」


「それだけ?」


「他に何か要ります?」


リュシアは何も言わなかった。


俺は続ける。


「人間か魔族かは、今の俺にはよく分かりません。でも、帰れなくなって困ってるのは分かります」


神代さんもリュシアを見る。


「久世さんはたぶん、そこしか見てません」


「それ、褒めてます?」


「半分くらい」


「半分なんだ」


リュシアは二人を見比べたあと、少しだけ考えて言う。


「人間、変」


「それは昨日も聞きました」


「今日」


「今日もですか」


ほんの少しだけ空気が緩んだ。


班長が言う。


「では今日は治療。地下の安全確認が終わるまで待機。それでいいですか?」


リュシアはすぐには答えなかったが、最後には頷いた。


「一日」


「約束できません」


「二日?」


「それも」


「遅い」


「安全確認なので」


日本の救難手順を知らない相手に説明するのは大変そうだ。


その日は、リュシアを現地の管理施設内に置くことになった。


一般の病院へ移す案も出たが、身体の違いが分からないこと、人間社会へ不用意に出すべきではないこと、そして本人が強く拒んだこともあり、医療担当者をこちらへ呼ぶ形になった。


御影ダンジョン側も一部区域を閉鎖し、未記録亀裂については遠隔監視を続ける。


夕方になる頃には、相馬さんからも連絡が入った。


『そっちはどうだ』


「本人は元気ではないですけど、話せてます」


『光は』


「地上では出ませんでした」


『記録だけしとけ』


「はい」


『原因は書くな』


「分かってます」


さすがに先回りされる。


「明日、状態が良ければ亀裂付近まで戻る話になってます」


『誰が』


「俺と神代さん、現地班です」


『本人もか』


「そうしないと確認できない気がします」


『気がする、だな』


「はい」


『なら現場で判断しろ。怪我人を無理に連れ回すな』


「分かってます」


通信が切れた。


俺は端末へ今日の記録を入力した。


リュシアを帰還対象として認識した状態で《帰り道》を確認したが、管理棟内では表示を確認できなかった。


書くのはそこまでにする。


帰還先が別の世界だから出なかったのか、地下とつながっていないからなのか、あるいは魔族だからなのか。そのどれも、今の時点では何も分からない。


少しして、神代さんが救護室から出てきた。


「寝ました?」


俺が聞く。


「今は」


「話してたんですか?」


「少しだけ」


「何を?」


神代さんは少し考えた。


「食べ物の話とか」


「急に普通ですね」


「本人が聞いてきたので」


「日本の食べ物?」


「はい」


「何が気になるって?」


「ご飯」


「米?」


「白いのは何だって」


「食べさせたんですか?」


「まだです。身体に合うか分からないので」


そこまで慎重になる必要がある。


本当に何も分からない。


「神代さん」


「はい」


「怖くないです?」


神代さんが俺を見る。


「リュシアさんが?」


「全部です。魔族とか、別の場所とか」


神代さんは少し考えてから答えた。


「怖くないと言ったら嘘になります。ただ、今のところは分からないことが多いだけです」


「分からないものが怖いんじゃないですか」


「そうかもしれません。でも、分からないから危険だと決めるのも違うと思います」


「相馬さんみたいですね」


「嫌ですか?」


「いや。救難向きになったなって」


「久世さんに言われると微妙です」


「何でです?」


「久世さんも最初から救難向きだったわけではないので」


それは否定できない。


二人で少し笑った。


その夜は御影ダンジョン近くの宿泊施設へ泊まることになった。


翌朝、管理棟へ戻るとリュシアはすでに起きていた。


昨日より顔色はいい。右脚はまだ固定されているが、自力で立つことはできるらしい。


救急担当が説明する。


「短距離なら歩行可能です。ただし無理はさせないでください。途中から担架へ切り替える前提で」


班長が頷く。


「地下側は?」


設備担当者が答える。


「夜間、亀裂周辺に大きな変化なし。魔物反応は二度ありましたが、こちら側へは出てません」


「旧区画の扉は?」


「閉鎖維持」


班長が全員を見る。


「亀裂手前まで行きます。中には入りません。久世さんの《帰り道》を確認して、何も出なければ戻ります」


「はい」


神代さんが返事をする。


リュシアも言った。


「行く」


準備を始める。


前日と同じように一般探索者の導線を外し、第五層西側を一時的に封鎖する。


今回入るのは、現地班長、救難員二人、俺、神代さん、リュシアの六人。設備担当者は地上から監視を担当する。


リュシアの武器についてはかなり揉めた。


「持つ」


「駄目です」


「昨日、獣来た」


「神代さんいます」


「私も戦う」


「怪我してます」


「戦える」


「それで傷開いたら帰れなくなりますよ」


俺が言うと、リュシアは黙った。


結局、武器は神代さんが預かることになった。


「必要なら返します」


神代さんが言う。


リュシアは不満そうだったが、


「ミナミなら」


と答えた。


神代さんの眉が少し動く。


「神代です」


「ミナミ」


「……もういいです」


「神代さんも負けましたね」


「久世さんのせいだと思います」


どうやら俺のせいらしい。


地下へ入る。


第一層から第四層までは特に問題なかった。


第五層へ下り、旧採掘区画へ入る頃になると、リュシアの歩幅が少し小さくなっていた。


「大丈夫?」


俺が聞く。


「大丈夫」


「無理なら言ってください」


「大丈夫」


「二回言う人は怪しいんですよ」


リュシアが俺を見る。


「ナオト、うるさい」


「日本語また増えましたね」


神代さんが笑う。


それでも少し先で休憩を入れた。


昨日リュシアを見つけた場所を通る。


血痕はすでに処理されている。


そこからさらに奥へ進むと、地図にない亀裂が見えてきた。


全員の空気が少し変わる。


リュシアも黙った。


班長が先に確認する。


「魔物反応なし」


救難員も周囲を見る。


「変化もなさそうです」


俺は亀裂の手前まで来た。


昨日と同じ、人一人が横向きで通れる程度の隙間だ。その奥は暗く、どこへ続いているのかは分からない。


リュシアが隣へ来る。


「ここ」


「ここから来た?」


「そう」


声が少し硬い。


神代さんがリュシアの横へ立つ。


「怖いですか?」


リュシアは少し考えたあと、素直に頷いた。


「少し」


初めて、そういう弱さを自分から認めた気がした。


俺は亀裂を見る。


「確認します」


班長が全員へ言う。


「光が出ても動かないでください。まず方向だけ確認します」


「はい」


俺はリュシアを見る。


「帰りたい場所、思い浮かべられます?」


「町?」


「町でも家でも」


リュシアは目を閉じた。


「ある」


「じゃあ、俺もリュシアをそこへ帰すつもりで見ます」


神代さんも俺を見る。


「私も一緒に行くつもりです」


「ありがとうございます」


班長たちも同じ場所にいる。誰を含めて誰を含めないのかを、俺が意識的に選び分けるつもりはなかった。今ここで同じ救難に関わり、一緒に帰るつもりでいる者たちの中にリュシアもいる。そのことだけを意識して、《帰り道》を確かめた。


最初は昨日と同じように何も見えなかったが、しばらく意識を向け続けていると、足元に淡い光が浮かんだ。


思わず息を止める。


「出ました」


班長がすぐに聞く。


「どっちです?」


俺は足元から伸びる光を目で追った。


これまでなら、第五層から地上へ向かう通路を示すはずだった。何度も見てきた方向とは明らかに違う。


光は俺たちが来た通路へ戻らず、その反対へ伸びている。


そして、その先には地図にない亀裂があった。


「久世さん?」


神代さんに呼ばれ、俺はようやく口を開く。


「亀裂の方です」


班長の表情が変わった。


「奥へ?」


「はい」


リュシアも俺を見る。


「帰る道?」


俺はもう一度、光を確かめた。


見間違いではない。


淡い光は俺たちの足元から伸び、そのまま亀裂の暗がりへ続いている。


ただし、それが何を意味するのかまでは分からない。


この先がリュシアの町へ続いているのか、彼女のいた世界へ戻れるのか、それとも別の安全な場所を示しているだけなのか。今の俺には判断できる材料がなかった。


それでも、今までとの違いだけははっきりしている。


「地上じゃないです」


俺がそう言うと、リュシアの目が大きく開いた。


俺自身も、亀裂の奥へ伸びている光から視線を外せなかった。


これまで何度も人を地上へ帰すために見てきた《帰り道》が、初めて地上とは反対の方向を示していた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。