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ハズレスキル《帰り道》しかないF級探索者、遭難したS級パーティを全員連れて帰ったら救難依頼が殺到しました  作者: ころもぐら


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第103話 魔物ではない

「魔族だ」


女性がそう名乗った直後も、建物の外では警報が鳴り続けていた。


聞いたことのある言葉ではある。けれど俺が知っているのは昔話やゲームの中だけで、現実のダンジョンで使われる分類ではない。少なくとも、これまで救難の現場で耳にしたことはなかった。


現地救難班長も同じらしく、女性を見たまま数秒黙っていたが、すぐに通信機へ意識を戻した。


『第五層西側、四足型三体を確認。さらに奥で反応あり。数はまだ確定できません』


「旧採掘区画から出そうですか?」


『今のところ西側内部を移動中です。ただ、さっきまでより動きが速いです』


「一般探索者は?」


『第五層西側は立入制限済み。主経路側にも退避指示を出します』


「了解。こちらから二名追加します」


班長は通信を切ると、救護室の入口にいた現地救難員へ声をかけた。


「第五層へ。もう一人と合流して西側出口を確認。無理に旧区画へ入るな。主経路へ出てきた個体だけ止める」


「了解」


救難員が走っていく。


神代さんも剣へ手を伸ばした。


「私も行きます」


班長は一瞬だけ考えたあと、頷いた。


「お願いします。ただし討伐が目的ではありません。第五層西側を封鎖できれば、それで十分です」


「分かっています」


神代さんが救護室を出ようとしたところで、女性が呼び止めた。


「カミシロ」


神代さんが振り返る。


「はい」


「獣、強い」


「さっきあなたを襲ったものですか?」


「同じ、たぶん」


「特徴は?」


女性は日本語の単語を探しながら、自分の手も使って説明した。


「黒い。四つ足。口、大きい。速い」


そこまでは先ほど聞いた話と同じだったが、今度はさらに続ける。


「一つ、前から来る。見ると、横から来る」


神代さんの表情が変わった。


「一体が正面から注意を引いて、別の個体が横から来るんですか?」


「そう」


「群れで狩るんですね」


女性は頷いた。


「頭、いい。獣の中では」


班長がすぐ、その情報を地下へ流した。


「第五層班へ。対象者から追加情報。正面の個体へ注意を向けさせて、側面から別個体が接近する可能性あり。左右の確認を優先してください」


『了解』


神代さんが再び出口へ向かうと、女性がもう一度声をかけた。


「あと」


「まだあります?」


女性は神代さんの剣を見た。


「爪、長い。届くと思うより、遠い。それと、首、硬い」


神代さんは小さく頷く。


「助かります」


その言葉に、女性の方が意外そうな顔をした。


神代さんはそのまま班長と救護室を出ていく。俺も後を追おうとしたが、班長に止められた。


「久世さんはここで」


「ですよね」


「今、下に行っても仕事ないですから」


「分かってます」


昨日の高峰ダンジョンでもそうだったが、戦闘になれば俺にできることはほとんどない。《帰り道》で魔物の位置が分かるわけでもなく、俺自身に戦う力があるわけでもない。しかも今回は、地下に帰す相手が残っているわけでもなかった。


俺は救護室に残る。


女性はベッドの上からこちらを見ていた。


「ナオトは、行かない?」


「久世です」


訂正するつもりはもうなかったのに、反射的に言ってしまった。


女性が少し眉を寄せる。


「クゼ」


「そうです。俺は行きません。戦えないので」


女性は意外そうに俺を見る。


「弱い?」


「はっきり言いますね」


「違う?」


「違わないですけど」


女性は少し考えたあと、納得したように頷く。


「弱い」


「二回言わなくていいです」


救急担当が顔を伏せた。たぶん笑ったのだと思う。


ついさっきまで、人間ではないかもしれない相手として全員が緊張していた。それでも、こうして言葉を交わしていると、妙なところで遠慮がない。


女性は地下へ続く方向を見る。


「カミシロ、強い」


「かなり」


「一番?」


「何の一番です?」


「人間」


「人間全部の中で一番かってこと?」


女性が頷く。


「それは分かりません。でもS級です」


「エス?」


「説明すると長いです」


「また長い」


「そっちもさっき魔族の説明を長いって言ったでしょう」


女性は少し考えたあと、ほんのわずかに口元を動かした。笑ったのかもしれない。


警報はまだ続いている。状況そのものは笑っていられるものではないが、少なくとも目の前の女性から今すぐ襲われるような感覚はなかった。


もちろん、俺の感覚だけで判断していい話でもない。人間ではない存在が突然現れ、自分を魔族と名乗った。その事実自体は何も変わっていない。


通信機から声が入る。


『第五層西側、接触。四足型二体、主経路側へ出ました』


救護室にいた全員が通信機を見る。


続いて金属音が聞こえた。


『一体、正面!』


別の声が重なる。


『右来る!』


女性の顔が強張った。


「言った」


「横から?」


「そう」


次の瞬間、神代さんの声が聞こえる。


『右、止めます』


短い衝突音が続き、続いて救難員の声が入った。


『正面個体、こちらで抑えています』


『右、一体処理しました』


神代さんの声は落ち着いている。


『正面は追わないでください。下がるなら、そのまま行かせます』


女性が俺を見る。


「追わない?」


「逃げるなら追わないです」


「なぜ?」


「倒しに行ったわけじゃないから」


女性は意味が分からないようだった。


「獣、いる」


「いますね」


「危ない」


「危ないです」


「なら倒す」


「必要なら倒します。でも、逃げていくやつまで追いかけてたら、救難じゃなくなるので」


説明しながら、これでどこまで伝わるのかと思う。


女性はしばらく考えていた。


「カミシロ、戦う人」


「はい」


「なのに追わない」


「今は救難に来てるので」


女性は再び通信機へ視線を戻した。


俺たちにとっては、もう何度も繰り返してきたことだ。神代さんが強いからといって、目の前の魔物を全部倒す必要はない。必要なものだけ止め、帰る人を優先する。


それを目の前の女性は不思議そうに見ている。彼女の住んでいた場所では、考え方が違うのかもしれない。


しばらくして通信が入った。


『正面個体、旧区画側へ後退。追撃なし』


続いて別の救難員から報告が入る。


『西側入口、閉鎖できます』


班長の声が返った。


『閉めてください。ただし、中に人員が残っていないことを確認してから』


『確認済み。神代さん含め全員こちら側です』


重い扉が動く音が通信越しに聞こえた。西側旧採掘区画と主経路を隔てる扉を閉めたらしい。


これで一度は落ち着くかと思ったが、数秒後、設備担当者の声が入った。


『待ってください。旧区画の反応、減ってません』


班長が聞く。


『どういう意味です?』


『扉の向こうに五……いや、六。奥にもあります』


『出口はここだけ?』


少し間が空いた。


『施設図上は』


俺はその言葉に引っかかった。


施設図上では、だ。


今日、俺たちは地図にない亀裂を見つけている。


女性も同じことに気づいたらしく、ベッドの上で身体を起こした。


「道、ある」


俺は彼女を見る。


「別の?」


女性が頷く。


「私、来たところ。獣も、来る」


「同じ亀裂から?」


「分からない。でも道、つながる」


俺はすぐ通信機を取った。


「班長」


『どうしました』


「彼女が、別の道から来るかもしれないって」


『詳しく』


俺は女性へ向き直る。


「さっき俺たちが見た隙間。あそこから獣も来られます?」


女性は少し考えてから答えた。


「私、通った。獣、追った。途中、石落ちた。何匹来たか分からない」


そのまま班長へ伝える。


少し沈黙したあと、班長が答えた。


『了解。主経路側だけ見ないようにします。設備担当、未記録亀裂周辺と旧図面照合。地上側は第一層まで警戒範囲を上げてください』


救護室の外が一気に慌ただしくなる。一般探索者の導線変更が始まり、管理棟の職員にも指示が飛んだ。


女性がベッドから起きようとする。


「何してるんですか」


俺が止めた。


「剣、返して」


「だから今は駄目です」


「道知ってる」


「怪我してるでしょう」


「動ける」


「さっき長く歩けないって言ってましたよね」


女性が黙った。


こういうところは妙に分かりやすい。


「あなたは救助された側なんだから、今は休んでてください」


「救助……された?」


「助けられた側です」


女性は少し嫌そうな顔をした。


「嫌ですか?」


「弱いみたい」


「俺なんてずっと助けてもらってますよ」


「ナオトは弱いから」


「そこはもう分かりました」


また救急担当が顔を伏せた。


女性はまだ何か言いたそうだったが、脇腹を押さえて諦める。


通信から班長の声が聞こえた。


『未記録亀裂側を確認します。神代さん、来てもらえます?』


『はい』


俺は少しだけ嫌な予感がした。


今日見つけたあの亀裂。女性が来た場所。


そこから魔物まで来ているのなら、単に一人だけが偶然迷い込んだという話ではなくなる。


女性が通信を聞きながら俺を呼ぶ。


「ナオト」


「はい」


今度は訂正しなかった。


「カミシロ、あそこ行く?」


「たぶん」


「止めて」


それまでとは声の調子が違った。


俺は女性を見る。


「危ない?」


「奥まで、行くな」


「理由は?」


女性は日本語を探すように眉を寄せた。


「今、道……変」


「道が?」


「私が来た時、壊れた。ここと、向こう、近くなった」


意味が分からない。


「近くなった?」


「本当は、遠い」


「何が?」


女性は苛立ったように息を吐いた。自分が言いたいことを日本語にできないのだろう。


「ここと、私の場所。本当は、つながらない」


俺の手が止まった。


「つながらない場所から来たんですか?」


女性は頷く。


「なのに道、開いた」


「それで落ちた?」


「そう」


ようやく少しだけ意味が見えてきた。


地図にない亀裂が、単なる未記録通路ではない可能性がある。少なくとも彼女自身は、そう考えているらしい。


俺はすぐ通信機を取った。


「神代さん、聞こえます?」


『聞こえてます』


「奥へ入らないでください」


『もともと入る予定はありません』


「ですよね」


少し安心する。


神代さんが続ける。


『何か聞けました?』


「彼女が来た道は、本来こことつながってない場所らしいです。うまく説明できないみたいですけど、道が開いて落ちたって」


通信の向こうが少し静かになった。


班長の声が入る。


『了解。亀裂そのものには入らず、こちら側だけ確認します』


「お願いします」


女性も会話を聞いていた。


「入らない?」


「入らないって」


その言葉を聞いて、女性の肩からわずかに力が抜けた。


今さらだが、この女性は神代さんのことまで心配している。助けられた相手だからなのか、それとも単純にあの道の危険を知っているからなのかは分からない。


ただ、少なくとも人間がどうなっても構わないと考えているようには見えなかった。


しばらくして通信が入る。


『亀裂前、到着』


神代さんの声だった。


『血痕確認。さっき見た場所です』


班長が指示する。


『中には入らない。外から確認できる範囲だけ』


『了解』


少し雑音が入り、そのあと神代さんの声が低くなった。


『何かいます。亀裂の奥、四足型一体』


俺は通信機を握る。


女性もベッドの上で身体を固くした。


『こちらに気づきました』


班長がすぐ指示する。


『下がってください。狭いところで受けないで』


『はい』


足音が聞こえ、その直後、魔物らしい低い唸り声が通信に混じる。


女性が顔を上げた。


「それ」


「同じやつ?」


「そう」


通信の向こうでは、神代さんたちが広い側道へ戻っている。


『出てきます』


『神代さん、前お願いできます?』


『分かりました』


金属音が鳴り、床を強く蹴るような音が続いた。


『左へ抜けます』


神代さんの声に救難員が応じる。


『了解』


直後、重いものが壁へぶつかったような音が響いた。


『口、かなり大きいです』


女性が通信を聞きながら、低く言う。


「横」


俺はすぐ通信機へ声を飛ばした。


「神代さん、横も来るかも」


『見てます』


返事の直後、別の救難員が叫んだ。


『もう一体、亀裂!』


女性が言っていた通りだった。一体目へ注意を向けさせ、その間に二体目が亀裂から出てきたらしい。


『二体目はこっちで止めます!』


『無理なら下がってください!』


神代さんの声が重なり、そのあと激しい戦闘音が続いた。


ベッドの上の女性は拳を握ったまま、通信機から目を離さない。戦っているのはついさっきまで自分へ剣を向けていた人間たちなのに、その表情からは彼らの無事を気にしていることが伝わってきた。


少なくとも、俺にはそう見えた。


やがて神代さんの声が入る。


『一体、処理しました』


班長がすぐ聞く。


『もう一体は?』


『負傷して亀裂側へ戻ります』


『追わない。そのまま離れてください』


『了解』


戦闘音が次第に消えていき、俺もようやく肩の力を抜いた。隣を見ると、女性も握っていた拳を開いている。


「大丈夫みたいですよ」


俺が言う。


「カミシロ、強い」


「だから言ったでしょう」


「強すぎる」


「本人に言ったら困ると思います」


たぶん褒められているのだろう。


少しして、また通信が入る。


『周辺確認します』


その後、神代さんから報告が続いた。


『一体目の死体を確認。先ほど第五層で見つかった個体と同種です』


班長が聞く。


『亀裂の中は?』


『見える範囲にもう一体います。ただ、こちらへ来る様子はありません』


『なら接近しないでください』


『はい。それと、もう一つ』


神代さんの声が少し止まる。


『最初に見つけた魔物の死体、確認しました。傷がかなり深いです。刃物で首の付け根を切られてます』


班長が救護室にいる俺たちを意識したのか、少し間を置いて聞いた。


『彼女の武器と一致しそうですか?』


『形としては。ただ、断定はできません』


俺は女性を見る。


「あなたが倒したやつ?」


女性は頷いた。


「一つ」


「襲われたから?」


「そう。逃げた。あれ、追った」


話の内容は、現場に残っているものと合っている。


女性の血痕。


魔物の死体。


彼女自身が負った傷。


それに今、亀裂から出てきた魔物は人間へ迷わず襲いかかった。


もちろん、これだけで女性を全面的に信用していいわけではない。それでも、彼女と魔物が同じ側の存在として一緒にこちらへ来たと考える方が不自然になっていた。


神代さんたちが戻ってきたのは、それから二十分ほどあとだった。


管理棟へ戻った神代さんの装備には少し汚れがついていたものの、怪我はない。


救護室へ入ってきた神代さんを見るなり、女性が聞いた。


「怪我?」


「ありません」


「本当に?」


「はい」


神代さんは少し意外そうに女性を見る。


「心配してくれたんですか?」


女性は黙った。


神代さんも追及しない。


代わりに俺が口を挟んだ。


「さっきかなり心配してましたよ」


「ナオト」


「はい」


「黙る」


「日本語上手くなってません?」


女性に睨まれ、神代さんが小さく笑った。


初めて会った時より、二人の間の空気は明らかに変わっている。まだ信用し合っているわけではないし、女性の正体についても分からないことばかりだ。


それでも彼女は、神代さんたちへ魔物の習性を伝え、危険な亀裂へ入らないよう警告した。その情報を使って、神代さんたちも無事に戻ってきた。


少なくとも、一方的に警戒するだけの相手ではなくなり始めている。


現地救難班長も少し遅れて戻ってきた。


「旧採掘区画は当面全面封鎖にします。未記録亀裂についても、人を入れずに監視設備を置く方向で動きます」


「魔物は?」


俺が聞く。


「旧区画側にまだ複数います。ただ、こちらへ出てくる経路は今のところ二か所。主経路側の扉と例の亀裂です。両方とも監視します」


「討伐は?」


「必要なら専門班を呼びます。救難班が奥まで追う仕事じゃありません」


相馬さんと同じ考え方だった。


女性がその会話を聞いている。


「追わない」


班長が女性を見る。


「必要がなければ」


「変」


「そうですか?」


女性は頷く。


「獣、近くにいたら倒す」


「あなたたちのところでは?」


「危ないから」


班長は否定しなかった。


「考え方が違うのかもしれませんね」


女性は少し考えてから言う。


「人間、変」


「それ、今日何回目だろう」


俺が言う。


神代さんが横から答えた。


「たぶん初めてです」


「印象としてはもっと言われてる感じがします」


班長が咳払いする。


「話を戻します」


少しだけ怒られた。


班長は女性を見る。


「あなたが魔族だという話について、確認したいことがあります」


女性の表情が少し固くなる。


「何」


「魔物とは違う、と言いましたね」


「違う」


「どう違うんです?」


質問は単純だった。


ただ、女性はすぐには答えない。日本語の問題もあるのだろう。


しばらく考えたあと、自分を指した。


「私は、考える。話す。町に住む。仲間いる」


それから地下を指す。


「あれ、獣」


神代さんが聞いた。


「あなたのいた場所にも、ああいう魔物がいるんですか?」


女性は質問を理解するまで少し時間をかけてから頷く。


「いる。小さい、大きい。飛ぶ。水にもいる」


「あなたたちも襲われる?」


「襲われる」


「じゃあ、あなたたちにとっても危険な生き物なんですね」


俺が聞くと、女性はすぐ頷いた。


班長がさらに確認する。


「魔族と魔物は、別の生き物?」


「違う」


今度は強い返事だった。


「魔族には町がある?」


「ある」


「家族は?」


女性は一瞬止まったあと、頷く。


「いる」


「仕事は?」


少し考える。


俺が身振りも交えて説明した。


「毎日やることです。働くとか」


「ある」


「国は?」


「国……分からない」


日本語の問題なのか、制度そのものが違うのかは分からない。


それでも、かなり見えてきた。


少なくとも女性の説明では、魔族には社会がある。暮らしがあり、町があり、仲間や家族がいる。そして魔物は、彼女たちにとっても危険な存在らしい。


俺たちは今まで、その二つを区別していなかった。


いや、そもそも区別する必要があることすら知らなかった。


神代さんが女性の角を見る。


女性もその視線に気づいた。


「人間、角ない」


「ないですね」


「だから同じと思った?」


神代さんは少し迷ってから答えた。


「可能性は考えました」


「魔物と?」


「はい」


女性は明らかに嫌そうな顔をした。


「失礼」


「それは、すみません」


神代さんが普通に頭を下げると、女性の方が戸惑った。


「謝る?」


「間違っていたなら」


「まだ私、敵かもしれない」


「そうですね」


神代さんはそこを否定しなかった。


「でも、魔物と同じだと決めつける理由にはなりません」


女性は黙った。


俺は二人を見る。


神代さんらしい答えだった。


信用したとは言っていない。


警戒を解いたわけでもない。


それでも、分からないものを勝手に決めつけない。


相馬さんたちがずっとやってきたことと同じだった。


女性は少し考えてから神代さんを見る。


「カミシロ」


「はい」


「あなた、嫌いじゃない」


俺は思わず神代さんを見る。


神代さんも一瞬だけ反応に困った顔をした。


「ありがとうございます……でいいんでしょうか」


「たぶん褒めてますよ」


俺が言うと、女性が頷く。


「褒めた」


「なら、ありがとうございます」


妙な会話だった。


けれど、さっきまで剣へ手をかけて向かい合っていた二人とは思えない。


班長は端末へ記録を入れながら言った。


「現時点では、本人の申告として『魔族』。魔物とは異なる存在で、集落または町を形成し、言語による意思疎通が可能。魔物とは敵対する場合がある」


神代さんが補足する。


「『敵対する場合がある』でいいと思います。全部がそうなのかは分からないので」


「ですね」


一度見たことだけで、全部を決めない。


そこは《帰り道》の時と同じだった。


女性は俺たちの会話を聞いているが、たぶん半分も理解できていない。


そこで、ふと気になったことがあった。


「そういえば、あなたは人間の言葉をどこで覚えたんです?」


女性の表情が少し変わる。


「言葉?」


「日本語です。俺たちが話してるやつ」


「ああ」


女性は少し考えた。


「前から、少し聞いた」


「人間から?」


女性は首を横に振る。


「向こうで」


「向こう?」


「私の場所」


部屋が静かになる。


班長が聞く。


「あなたのいる場所で、人間の言葉を聞いたことがある?」


女性は頷いた。


「古い声。物。書いたもの」


「人間がいるんですか?」


「知らない」


「知らない?」


女性は困ったように眉を寄せた。


「昔から、少しある。意味、全部は分からない。話せる人、少ない」


また一つ、新しい情報が増えた。


彼女のいる場所には、人間の言葉が何らかの形で残っているらしい。だから彼女は不完全ながら日本語を知っていた。


どうしてそんなものがあるのか。


いつからなのか。


誰が持ち込んだのか。


聞きたいことはいくらでも浮かぶが、班長はすぐに質問を重ねなかった。


「その話は、あとで落ち着いて聞きましょう」


女性は負傷している。


今ここで、全部を聞き出す必要はない。


俺も同意だった。


今日だけで、十分すぎるほど分からないことが増えている。


女性が再びベッドへ身体を預けたところで、俺はまだ名前を聞けていなかったことを思い出した。


「そういえば、名前」


女性がこちらを見る。


「さっき、あとでって言ってましたよね」


女性は少し黙ったが、今度は拒否する様子を見せなかった。


口を開きかけたところで、班長の通信機が鳴る。


『第五層監視より。旧区画内の反応、移動停止しました。地上側への接近なし』


班長が応じる。


「了解。監視継続。討伐班到着までは接触しないでください」


『了解』


これで少なくとも、すぐにまた戦闘になることはなさそうだった。


班長が女性を見る。


「今日はもう休んでもらった方がいいですね」


俺もそう思う。


女性は少し不満そうだったが、さすがに疲れている。


「名前は次でもいいですよ」


俺が言うと、女性は首を横に振った。


「言う」


「大丈夫です?」


「名前、短い」


「それなら」


女性は俺を見たあと、神代さんにも視線を向けた。そして自分の胸へ手を置く。


「私は、リュシア」


今まで話していた日本語とは違い、その名前だけはとても滑らかな発音だった。


俺は頭の中で一度繰り返してから呼ぶ。


「リュシアさん?」


女性の眉が動いた。


「さん?」


「また説明すると長いです」


「いらない」


「そうですか」


神代さんが小さく笑った。


「リュシア」


神代さんが名前を呼ぶ。


女性――リュシアは神代さんを見る。


「ミナミ」


今度は神代さんが少しだけ固まる。


「神代で大丈夫です」


「ナオトはクゼ。ミナミはカミシロ?」


「そうです」


「難しい」


「私もそう思います」


さっき俺が言ったのと似たことを神代さんが言った。


リュシアは俺と神代さんを見比べる。


「人間、面倒」


「それは否定できないです」


今日初めて会った相手だ。


人間ではなく、自分では魔族だと言っている。どこから来たのかも、なぜこの世界とつながったのかも、まだ何も分からない。


それでも名前を知っただけで、少し見え方が変わった。


もう「名簿にいない声」ではない。


角のある正体不明の女性でもない。


魔族という名前だけで片づける相手でもない。


リュシアという名前があり、彼女は魔物から逃げて怪我をし、知らない場所へ迷い込んだ末に、救難用の通信へ何度も声を送り続けていた。


俺たちにとっては初めての出来事ばかりだが、そこだけを見れば、これまで助けてきた遭難者とそれほど違わない。


ただ、一つだけ大きく違う。


リュシアが帰りたい場所は、俺たちが知っている地上ではなかった。

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