第10話 救難依頼が殺到しました
翌朝、救難所の扉を開けた瞬間、俺は帰りたくなった。
電話が鳴っている。
一台じゃない。
受付の固定電話が二台。その奥でも別の電話が鳴り、スタッフがそれぞれ対応に追われていた。
さらに受付横の端末から、メールの受信音が立て続けに聞こえてくる。
何だこれ。
昨日より明らかにひどい。
「おはようございます」
一応声をかけてみる。
誰もこちらを見ない。
「はい、湾岸第一ダンジョン救難所です。……いえ、ですから、久世個人への同行依頼は受け付けておりません」
受付のスタッフが電話口で説明している。
嫌な単語が聞こえた。
俺は静かに踵を返した。
「久世さん!」
後ろから声が飛んでくる。
見つかった。
振り返ると、小日向が大量の書類を抱えてこちらへ走ってくるところだった。
「おはよう」
「帰ろうとしましたよね?」
「忘れ物を思い出して」
「まだ何も置いてないじゃないですか」
よく見ている。
仕方なく中へ入る。
「で、何これ」
俺が受付を指す。
「久世さん宛ての問い合わせです」
「昨日より増えてない?」
「増えてますね」
「何で?」
小日向が信じられないものを見るような顔をした。
「昨日の親子救助の件も広まったからですよ」
「あれ、配信されてないだろ」
「されてません。でも入口にいた人が久世さんを見てたんです」
「また顔?」
「あと神代さんも一緒でしたから」
なるほど。
S級探索者が救難所のF級と一緒に第五層へ入り、負傷者を背負って帰ってきた。
目立たないわけがない。
「それに、例の動画もまだ伸びてます」
「もう見ないぞ」
「今日は見せません」
「助かる」
小日向が持っていた書類を俺の机へ置いた。
どさり、と嫌な音がする。
「その代わり、これを見てください」
「何?」
「久世さん宛ての依頼です」
俺は書類の束を見る。
「全部?」
「全部です」
「何件?」
小日向が端末を見る。
「今朝から三十七件」
時計を見る。
まだ始業して十分も経っていない。
「……帰っていい?」
「駄目です」
即答された。
机に座り、一番上の依頼を取る。
内容を読む。
『第十二層までの攻略に同行してほしい。報酬相談可』
次。
『安全なルートを使って未発見エリアを探索したい』
次。
『彼女とダンジョンデートをするので帰り道を案内してほしい』
俺は書類を置いた。
「救難依頼じゃないだろ、これ」
「ですよね」
「何で俺に回した」
「最初の何件かは、一応確認してもらおうと思って」
「デートまで?」
「それは面白かったので」
「小日向」
「すみません」
まったく反省していない顔だった。
その時、電話対応を終えた相馬さんがこちらへ来た。
朝からすでに疲れている。
「久世」
「はい」
「依頼、全部見る必要ねえぞ」
「今そう思ってました」
相馬さんが書類を何枚か取る。
ざっと目を通し、一枚を抜いた。
「これは却下」
攻略同行。
次。
「これも」
安全な観光ルート案内。
次。
「論外」
ダンジョンデート。
処理が早い。
「相馬さん、基準は?」
小日向が聞く。
「救難かどうか」
「シンプルですね」
「ここは何だ」
「救難所です」
「なら救難しろ」
相馬さんらしい。
俺も残りの書類を見る。
その中には、ちゃんとした相談もあった。
以前、仲間が遭難した場所へ捜索に入ってほしい。
行方不明者の手掛かりが見つかったので確認してほしい。
怪我で途中撤退したパーティが、残した仲間の位置を探している。
ただし、俺の《帰り道》は人を探す能力ではない。
見つけてからなら帰せる。
そこを勘違いしている依頼も多かった。
「《帰り道》って名前がそのまま広まってるんですね」
小日向が言う。
「みたいだな」
「もっと格好いい名前に変えます?」
「何で?」
「《絶対帰還》とか」
「嫌だ」
「《生還の導き》」
「もっと嫌だ」
「《ホーム・ロード》」
「帰り道でいい」
小日向が残念そうに肩を落とす。
別に必殺技じゃない。
名前なんて分かりやすいほうがいい。
そこへまた電話が鳴った。
受付のスタッフが取る。
「はい、湾岸第一ダンジョン救難所です」
俺は書類を整理しながら、小日向に聞く。
「この状況、いつまで続くと思う?」
「話題が落ち着くまでじゃないですか?」
「早く落ち着いてほしいな」
「もったいない」
「何が」
「有名になれるのに」
「ならなくていい」
俺がそう答えたところで、入口の自動ドアが開いた。
誰か入ってくる。
気にせず書類を見ていると、小日向が突然黙った。
何だと思って顔を上げる。
神代さんが立っていた。
今日は最初から探索装備だ。
腰に剣まで下げている。
「おはようございます」
「おはようございます」
俺も返す。
小日向が時計を見る。
「神代さん、早いですね」
「来てもいいと言われたので」
「本当に来たんですね」
思わず言うと、神代さんが俺を見る。
「昨日、また来ますって言いましたよね?」
「言ってました」
「迷惑でした?」
「いや」
むしろ昨日の働きを考えれば助かる。
ただ、翌朝すぐ来るとは思っていなかった。
神代さんが俺の机に積まれた書類を見る。
「何ですか、それ」
「俺宛ての依頼らしいです」
「こんなに?」
小日向が嬉しそうに説明する。
「久世さん、人気者なんですよ」
「人気者ではない」
「今朝だけで三十七件です」
神代さんが目を丸くする。
「すごいですね」
「九割くらい救難じゃないですけど」
俺は一枚持ち上げる。
「ダンジョンデートの案内とか」
神代さんが一瞬固まった。
「……そういう依頼も受けるんですか?」
「受けません」
少しだけ安心したような顔をされた。
なぜだろう。
相馬さんが神代さんへ声をかける。
「神代さん。協力手続き、午前中には終わります」
「ありがとうございます」
「ただ今日は今のところ大きな案件は――」
言い終わる前だった。
救難所内に短い警報音が鳴った。
空気が変わる。
さっきまで鳴り続けていた電話とは違う。
緊急救難要請だ。
受付スタッフが即座に端末を操作する。
相馬さんがそちらへ向かう。
俺たちも続いた。
「状況」
「第九層西区画。探索者十二名が取り残されています」
スタッフがモニターへ情報を出す。
十二名。
一気に人数が増えた。
「原因は?」
「崩落です。約二十分前に西区画の主要通路が複数崩落。現地の一般救難班が一度接触を試みています」
「一度?」
相馬さんの声が低くなる。
スタッフが頷く。
「追加崩落の危険が高く、撤退しています」
モニターに地図が表示された。
赤く塗られた範囲が崩落区域。
かなり広い。
その奥に、十二名の推定位置が示されている。
「生存確認は」
「十一名は通信あり。一名負傷。意識あり。残る一名も同行者の目視で生存確認されています」
全員生きている。
それなら、まだ間に合う。
相馬さんが地図を見る。
「帰還石は?」
「崩落の影響で魔力障害が出ています。使用不能」
昨日と似ている。
ただし今回は第九層。
深さだけなら昨日よりずっと浅い。
問題は人数と崩落だ。
スタッフが続ける。
「さらに、西区画で小規模な地盤変動が続いています。安全確認が取れないため、通常の救難ルートでは接近困難です」
相馬さんが腕を組んだ。
「継続可能時間は?」
「現地判断では、あと一時間程度。それを越えると二次崩落の可能性が高くなると」
一時間。
短い。
俺は地図を見る。
一般救難班が撤退した位置。
遭難者の位置。
その間には複数の通路があるが、どこまで残っているかは分からない。
「久世」
相馬さんに呼ばれる。
「はい」
「行けると思うか」
難しい質問だ。
現場を見ていない。
遭難者にもまだ会っていない。
《帰り道》は万能じゃない。
でも。
「見つけられれば」
俺は答える。
「帰り道は確認できます」
相馬さんが頷く。
「分かった」
すぐにスタッフへ指示を飛ばす。
「第二救難班を準備。久世も同行。現地班と第八層で合流させろ」
「了解」
「小日向」
「はい!」
「地上側の情報整理。遭難者十二名の状態を全部まとめろ」
「分かりました!」
みんなが動き始める。
俺もロッカーへ向かおうとした。
その横に、神代さんがいる。
すでに剣の位置を確認していた。
「神代さん?」
「はい」
「まさか」
「行きます」
即答。
「今日はたまたま来ただけじゃなかったんですか」
「救難活動に参加するために来ました」
確かにそうだった。
でも手続きは午前中と言っていたような。
俺が相馬さんを見る。
「相馬さん」
「緊急時の協力要員として扱う」
もう決めていた。
神代さんが少し嬉しそうにする。
「ありがとうございます」
「ただし神代さん」
相馬さんが続ける。
「現場では久世の判断を優先してください」
「はい」
「危険な魔物が出ても、追う必要がなければ追わない」
「分かっています」
「目的は十二名を帰すことです」
神代さんは迷わず頷いた。
「はい」
昨日一日で、救難のやり方はある程度理解したらしい。
俺は自分の装備を取り出す。
ヘルメット。
ライト。
水。
救急用品。
位置発信機。
いつもの一式。
神代さんが隣で剣帯を締め直している。
小日向が端末を持って走ってきた。
「久世さん!」
「分かった?」
「はい。十二人は大学の探索サークルと引率者です。学生十人、引率の探索者二人」
学生か。
「負傷者は?」
「二十一歳男性。左腕を骨折してる可能性あり。歩行はできます」
「他は」
「今のところ大きな怪我なし。ただ、一人がかなりパニックになってるそうです」
十二人。
そのうち一人負傷。
一人は精神的に不安定。
《帰り道》がどんなルートを出すかは、実際に会うまで分からない。
相馬さんが時計を見る。
「現地到着まで十五分」
俺は装備を背負う。
神代さんも準備を終えた。
小日向が俺たちを見る。
「気をつけてください」
「分かってる」
「昨日より人数多いですよ」
「十二人だろ」
俺がそう言うと、神代さんが微笑んでこちらを見た。
「十二人全員、連れて帰りましょう」
「はい。全員で帰ります」
昨日、第五層で一緒に父娘を連れて帰った時とは少し違う。
車両に乗り込む直前、受付からまた電話の音が聞こえた。
俺宛ての問い合わせなのかもしれない。
攻略の同行。
観光。
ダンジョンデート。
朝からいろいろ来ていた。
でも、今はどうでもいい。
十二人が待っている。
それだけで、行く理由は十分だった。
車両のドアを閉める。
神代さんが向かいの席に座った。
エンジンがかかる。
「久世さん」
「はい?」
「さっき、帰りたいって言ってましたよね」
「言いましたね」
「今も?」
俺は少し考えた。
救難所に着いて十分で帰ろうとしたのは本当だ。
依頼三十七件なんて見たくもなかった。
でも今は。
「十二人連れて帰ってからですね」
そう答えると、神代さんが笑った。
「私も手伝います」
「お願いします」
車両が走り出す。
昨日までは、一人で迎えに行くのが普通だった。
今日は隣にS級探索者がいる。
救難依頼も増えた。
周囲も少し騒がしくなった。
それでも、やることは変わらない。
迷っている人を見つける。
帰れる道を探す。
そして――全員で帰る。
その繰り返しだ。




