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申し訳ありません、どちらの家の方でしたか  作者: 九葉(くずは)


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8/10

第8話 あなた、わたしの名前も間違えているわ

その夜会に、わたしの席はなかった。


卓に着く人の名札が二十四枚あって、そのどれもわたしのものではなかった。ジェラール様の隣は空いている。空いているのに、そこに置かれた名札には別の家の名が書いてあった。


「連れの方は、こちらでお待ちくださいませ」


案内の者はそう言って、広間の隅の椅子を指した。壁際に三脚だけ並んでいる椅子。座っているのはわたしのほかに、年配の付き添いらしい方が一人だけ。


壁際からでも、上座の名札は読めた。金の縁取りがしてある一枚で、去年嫁いだばかりの方の名である。


序列というものは、齢では決まらない。人柄でも決まらない。夫の位で決まる。


わたしには夫がいない。位がない。位のない者の名は、卓に置かれない。


隣の椅子の婦人が、膝の上で手を組んでいた。慣れた組み方である。


「長うございますよ」と、その方が言った。


「お食事は」


「わたくしたちの分はございません」


その方はそれきり何も言わず、正面を向く。わたしも正面を向いた。


食事が始まると、広間の音が変わった。


椅子が動く音、皿の音、笑い声。壁際からだと、誰が誰と話しているかが全部見える。ジェラール様は右の婦人と話していた。三度話しかけて、三度とも短く返されていた。


左の紳士とは、ほとんど話さない。


一度、卓の向こうの婦人が扇を開いた。開いてから、隣の方に何か言った。二人ともこちらを見ないし、ジェラール様の方も見ない。


その紳士が席を立ったとき、ジェラール様が呼び止めようとして、名前が出てこなかったのが分かった。口が動いて、止まって、それから会釈だけになった。


壁の時計が九つを打つ。それから十を打った。


椅子は硬い。背もたれの高さが合わなくて、姿勢を三度変えた。三度目で、隣の婦人が少しだけこちらを見て、また正面へ戻る。


十時を過ぎて、ようやくこちらへ来た。


「待たせたね」


「ええ」


「あの席順はどうかしている。僕を端から二番目に置くなんて」


「席順は、どなたがお決めになりましたの」


「この家の女主人だろう」


そう言って、ジェラール様は葡萄酒の杯を取る。


「そういえば、ドゥブレール子爵の三女だったな。君の家は」


「ドゥブレです。三女で」


「そうだ、三女だ」


杯の縁に指をかけたまま、ジェラール様は広間の方を見ていた。上座では、去年嫁いだ方が笑っていらした。周りに四人ほど集まっている。


わたしは黙っていた。黙っていると、ジェラール様は葡萄酒を飲んだ。


帰りの馬車で、ジェラール様はずっと窓の外を見ていた。


「今日で七つだ」


「なにがですの」


「招待が減った。今月に入って七つ」


「そんなに」


「ヴェルニー家からは返事もない。ブランシャール家は、こちらの名を綴り違えたと言ってきた」


「綴り違えたって、どなたが」


ジェラール様は答えない。窓の外を見たまま、指で膝を二度叩いた。


「秋の狩りの誘いも来ていない。去年は三つ来た」


「三つも」


「三つだ」


馬車が石畳を渡って、少し揺れた。


屋敷に着いて、広間に入った。


卓の上に、まだ名札が何枚か立っている。前の茶会のものだと分かった。誰も座らなかった席の分である。あれから半月以上経っているのに、下げさせていない。


紙が少し反っていた。近くで見ると、字はきれいだった。書いた人の手が速いことが分かる字である。


暖炉に火が入っていなかった。家令が入れに来て、ジェラール様が下がっていいと言った。


「マノン」


「はい」


「君の家に、うちから何か贈ったことはあるか」


「存じません」


「そうか」


ジェラール様は椅子に座って、束を膝に置いた。あの四十枚である。この人はどこへ行くにも持っている。


「ドゥブレ家の項がないんだ」


「ございませんの」


「三十七家ぶんある。君の家は入っていない」


わたしは椅子の背に手を置いた。


「わたしの家は、三十七のうちに入っていないんですのね」


「そういう話じゃない。贈答の記録がないから、いくらのものを贈ればいいのかが分からないという話だ」


「入っていないから、記録もないのでしょう」


ジェラール様が束をめくる。めくって、ドゥブレの項がないことをもう一度確かめて、それから顔を上げた。


「ドゥブレール子爵家といったか」


そこで、何かが止まった。


「ドゥブレです」


「ああ、ドゥブレか」


「今日、二度目です」


「なんの話だ」


わたしは椅子から手を離す。


口の方が先に動いた。


「あなた、わたしの名前も間違えているわ」


ジェラール様は束を膝に置いたまま、わたしを見る。


見て、少し口を開けて、それから言った。


「招待が七つ減った。返礼を断られた家が三つ。母が親族から外された。それから、」


七つ、三つ。頭の中で足していた。


「それから」


「ル・グラン家に燭台を送って、開けられずに返ってきた。茶会に十二人呼んで、五人しか来なかった。名鑑を開いたが、引き方が分からない。屋敷の者は、僕が指示を出すまで動かない」


十二から五を引くと七。さっきの十と足して十七。


この人の失ったものは、全部数になる。数になるものだけが、この人の口から出てくる。


「母上は、リディアさんに聞けば分かると言った。ギヨームは、確かめる役を承っていないと言った。ヴェルニーの綴りにeが二つ入ることを、僕はどこかで聞いた覚えがある。どこで聞いたのかが出てこない」


「ジェラール様」


「四十枚あるんだ。全部書いてある。全部書いてあるのに、一つも決められない」


「お手紙は、お出しになったんでしょう」


「出した。返事はない」


「もう一度お出しになれば」


「同じことを訊くだけになる」


わたしは待った。


待っていれば、そのあとに何か続くと思った。わたしの名前のことでも、この半年のことでも、この人がわたしに言うべきことでも、何でもいい。


続かなかった。


数え上げに、わたしは入っていない。


数え終えたところで、ジェラール様は束を閉じた。閉じて、暖炉の方を見た。火は入っていない。


「マノン」


「はい」


「君の家の紋は、どういう形だった」


わたしは外套を取った。


「お帰りになりますの」


「ええ」


「送らせよう。誰か呼ぶ。うちの家令は、ええと」


「結構です」


玄関まで、誰も付いてこなかった。家令は下がったままで、ほかに人はいない。扉は自分で開けた。


外は寒かった。馬車を呼ぶあいだ、玄関の前に立っていた。


家では、三女の名を呼ぶ用が少ない。姉が二人いて、用があるのはたいてい上の二人である。だからわたしは、名を呼ばれる場所を探して社交に出た。


半年前、この屋敷の茶会に招かれたとき、わたしの席は末席だった。末席でも、卓には着く。名札もあった。ドゥブレ、と書いてある。家名だけで、下の名前は書かれていなかった。


あのとき、その名札を書いたのは誰なのかを、考えたことがなかった。


この人は、わたしの名前も間違えている。十年かけて間違え続けた相手が、もう一人いたということだ。

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