第7話 角を折らずに置かれたカード
ベルナール家の当主が亡くなったという報せは、朝のうちに届いた。
長くないと聞いてはいた。聞いてはいたけれど、こういうものは急に来る。
「ジェラール。ベルナール家へ参ります」
「母上が」
「ほかに誰が参りますか」
息子は書斎から出てこなかった。あの子は近ごろ、束を抱えて書斎にこもっている。
匣を出した。
しばらく使っていなかったので、蓋の内側に粉が溜まっていた。わたくしのカードは十二枚ある。刷り直したのは五年前で、まだ足りる。
弔いのときは、角を折る。
左上である。わたくしは先代の奥様からそう教わった。教わったとおりに、ずっとやってきた。
指で左上をつまんで、折った。折り目をつけて、匣に戻す。
昼過ぎにベルナール家へ着いた。
玄関広間には、既に十枚ほどのカードが置かれていた。喪の家に人が集まるときの、あの静かな混みようである。
執事に取り次いでもらい、卓の端に一枚置いた。
置いてから、隣の一枚に目が行った。
角が、下についている。
その隣も下だった。もう一枚見た。やはり下である。十枚のうち、上を折ってあるのはわたくしのものだけだった。
取り戻して折り直すことも、できないではない。卓に手を伸ばしかけて、やめた。人の家の玄関で、置いたものに触れる作法はない。
十枚のうちの一枚が、こちらのものだと分かる形で残る。それだけのことである。
執事が戻ってきて、当家の者はまだ人前に出られる状態ではないと言った。当然のことである。わたくしは黙礼をして、外へ出た。
馬車の中で、あの折り目のことを考えた。
考えたけれど、答えは出ない。左上は左上である。先代の奥様がお教えくださったのだから、それが作法だった。
だった、という言い方をしてしまったことに、自分で気がついた。
十日が経った。
ベルナール家からは何も来ない。返礼の使いも、次の集まりの報せも。
ヴァレ家の伯母様のところへ見舞いに参ろうとして、日にちを確かめようとした。束の八月の頁が見当たらない。息子が書斎へ持ち出したままなのだと思う。
ヴァレ家へ使いを出した。
返ってきたのは、当分は静かにしておりますので、という一行だった。
シャロン家の法要の日取りも、こちらへは来なかった。あの家は毎年、こちらへ先に報せる。先に報せるのが順序だからである。今年は来ない。
ブランシャール家の当主夫妻が、来年の春に銀婚をお迎えになる。その祝いの相談も、例年ならこの時季にどこかの家から回ってくる。回ってこない。
家令に確かめさせたら、案内はどの家にも出ているという返事だった。
それからさらに三日目に、ようやく分かった。
ベルナール家の遺族は、あの日わたくしが置いたものを、弔問ではないと受け取った。角が上についていたからである。祝いの折の形で置いていった、と。
そう受け取られてから、親族の中を話がどう回るかは、こちらにも見当がつく。回り方だけは覚えている。
わたくしは書斎へ行った。
「ジェラール。リディアさんの家をご存じですか」
「なぜです」
「参りますから」
息子は束から顔を上げなかった。上げないまま、通りの名だけを言う。
翌日の午後、その通りへ行った。
小さな家である。門というほどのものはなく、扉が通りに面していた。刻限は四時を過ぎている。
叩くと、あの侍女が出てきた。
「大奥様」
「リディアさんはご在宅ですか」
「本日はお約束のない方はお通しいたしません」
「わたくしは約束の要る間柄ではありません」
侍女は少し頭を下げた。下げてから、同じことをもう一度言う。言い方も、声の高さも、一度目と変わらなかった。
「ご用向きを承ります」
「承っていただく話ではありません」
「では、お預かりいたします」
侍女が手を出す。
出された手の意味が、すぐには分からなかった。分かってから、匣を開けて、カードを一枚出した。
カードは五年前に刷ったものである。縁に薄く型が押してあって、指の腹で触ると分かる。
出してから、指が止まった。
角を、どこに折ればよいのか。
弔いではない。祝いでもない。用向きを預けにきたわけでもない。この場合に折る角を、わたくしは教わっていない。
侍女は手を出したまま、待っている。急かしもしないし、目もそらさない。
折らずに渡した。
侍女はそれを受け取って、玄関の内側の卓に置いた。置くところまで、こちらから見える。
「お帰りの道が暗くなりますので」
扉が閉まった。閉まる音は、屋敷のものより軽い。
馬車を待つあいだ、通りに立っていた。パン屋の匂いがして、犬が二軒隣で吠えていた。
三十七家の順番なら言える。誰と誰が同じ卓に着けないかも言える。ベルナール家の当主が先代と学友だったことも、シャロン家の法要でアルヴェールが四番目に読まれることも、全部言える。
先代の奥様がお教えくださったのは、二十四のときである。紙は一枚だった。あの一枚に書いてあったのは、日付と家名だけ。角の折り方は、口で伺った。
伺ったのは一度きりで、そのあとは誰にも確かめていない。
言えるのに、角の折り方が今どちらなのかを、誰も教えてくれなかった。
わたくしは、何を覚えていたのかしら。
馬車が来た。乗るときに、御者が手を貸した。
屋敷に着いたのは六時前だった。
翌朝、玄関広間へ入ると、卓の上に何か置いてある。
近づいて見た。わたくしのカードである。昨日あの家の卓へ渡した、あの一枚。預かると言っておいて、返してきた。
角を折らずに置かれたカードが、卓の上でまだ真四角のままだった。




