第6話 何をするかは書いてある
八月の欄に、ル・グラン家、喪明け、と書いてあった。
四十枚の束は月ごとに索引がついていて、探すのに手間はかからなかった。
「ギヨーム。ル・グラン家へ、喪明けの祝いを」
「品はいかがいたしましょう」
「そうだな。銀の燭台でいい」
去年、どこかの家に燭台を贈って喜ばれた覚えがある。選んだのは僕ではない。喜ばれたことだけを覚えている。
家令は少し立ったままでいた。
「何か」
「いえ。承知いたしました」
「ほかに、八月の分は」
「ソレル家の先代の一周忌が十一月と書かれております。八月は、ル・グラン家のみで」
「では、それだけだ」
家令は下がった。下がる前に、束の表紙をもう一度見ている。
三日後、燭台が戻ってきた。
箱は開けられた形跡がなかった。紐の結び目まで、こちらで結んだままである。
添えられていたのは短い手紙で、当家では喪明けの祝いを受けぬ習わしにございます、と書いてある。それだけである。理由は書いていない。
束を開き直した。ル・グラン家の頁を探す。八月末、喪明け。その下に、贈らない、とある。
贈らない。
喪明けまでの話だと読んだ。だが、その「まで」がどこにも書かれていない。喪が明けても贈らないのか、明けたら贈ってよいのか、どちらとも書いていない。
母上に聞いてみた。
「あの家は、そういう家なのでしょう」
「なぜです」
「さあ。リディアさんに聞けば分かるでしょうが」
母上は索引の頁を膝に置いたまま、そう言った。
茶会は月末。案内状は僕が自分で書いた。
十二通を一晩で書いた。索引を左に置いて、家名を写し、刻限を入れ、封をする。
十二人を招いた。手配は索引のとおりで、菓子も花も刻限も、書いてあるままにやらせた。手順に不備はないはずである。
前の晩に、ギヨームが名札を並べていた。十二枚。索引の順に置いていく。
「その順でよいのか」
「束にございます順でございます」
「席は」
「席の並びは、書かれておりません」
家令はそう言って、十二枚を卓の縁に沿って等間隔に置いた。
当日、来たのは五人だった。
五人のうち二人は早く帰った。招いた客で残ったのは三人。あとはマノンと、僕である。広間の卓は十二人ぶんに整えてある。
名札が七枚、置かれたまま残った。誰も座らない椅子の前で、紙だけが立っている。
給仕が下げようとしたので、そのままにしておけと言った。
菓子の皿が回ってきたとき、ロジエ家の奥方が手を止めた。杏の砂糖漬けである。
「わたくし、これは」
「お口に合いませんか」
「ええ、少し」
奥方はそれきり皿に触れなかった。
「ジェラール様」
マノンが袖を引いた。
「どうして誰も来てくださらないの」
「都合が悪かったんだろう」
「七人も」
僕は答えない。
理由の一部は、四日後に出てきた。
案内状が三通、まとめて返ってきた。ブランシャール、ヴェルニー、ソレル。三通とも封は開いていて、中に短い断り書きが入っている。
当家にはその名の者はおりませぬ。
三通とも同じ文面だった。
宛名を見た。ブランシャアル。ヴェルニエ。ソレール。
僕が書いた。索引には家名が並んでいて、そのとおりに写したつもりだった。写したつもりで、写せていなかったらしい。
ギヨームを呼んだ。
「これは、お前が出したのか」
「宛名は旦那様がお書きになりました」
「その前に、綴りを確かめなかったのか」
「わたくしは、宛名を確かめる役を承っておりません」
「では誰が確かめていた」
家令は答えなかった。答えないまま、少し頭を下げた。
三通を卓に並べた。ブランシャアルのaが一つ多い。ヴェルニエは、たぶん最後がイではない。ソレールは、伸ばすところが違う。
どれも似ている。似ているから、写せば済むと思っていた。
ヴェルニーは、綴りにeが二つ入る。誰かがそう言っていた気がする。いつ、どこで聞いたのかは出てこない。
母上のところへ持っていくと、母上は三通を順に見て、それから索引を見た。
「索引の綴りは正しゅうございますよ」
「では、僕が」
「あなたがお書きになったのでしょう」
母上は三通を返してきた。返してから、ご自分の予定表を膝に載せて、しばらく黙っていた。あの折り目のついた紙である。
「ヴァレ家の伯母様の見舞いは、来月の一日でしたかしら」
「束に書いてあります」
「そうね。書いてありますね」
夜、書斎で束を最初から読み直した。
一枚目は索引。二枚目、三枚目も索引で、月と家名と刻限の三通りに分かれている。四枚目から本文になる。
一月、ヴァレ家、毎月一日、音の出ないもの。
音の出ないもの。なぜ音の出ないものなのかは書いていない。
二月、ベルナール家、容体次第、砂糖菓子を除く。容体次第というのは、誰がどう判断するのか。砂糖菓子を除く理由も書いていない。
三月、ブランシャール家、当主夫妻が銀婚。品の格は一段上。一段というのは、何を基準にした一段なのか。
六月、ヴェルニー家の長男の婚礼。贈る先は本家と分家の両方、と書いてある。両方に贈る家と、本家だけの家がある。その別がどこから来るのかは書いていない。
七月の第二週、三軒が重なる。品は先に手配すること。先に手配しないとどうなるのかは書いていない。
四十枚を、順にめくった。
日付がある。家名がある。品物がある。刻限がある。全部書いてあって、それだけである。
八月の頁に戻った。ル・グラン家、喪明け。贈らない。
なぜ贈らないのか。
その一行がどこにもない。四十枚のどこにもない。四十枚は、何をするかしか書いていない。
卓の上に、まだ名札が七枚残っている。広間から下げさせていない。
そのうちの一枚を持ってきて、机に置いた。ロジエ家の奥方の名札である。当日、あの方は来られた。来られて、菓子には手をつけずじまい。
書棚から名鑑を出した。
背表紙が硬くて、開くのに力が要った。開いたところは中ほどで、見たことのない家の名が並んでいる。ル・グラン家を探そうとして、どこを引けばよいのか分からなかった。
家名の順なのか、位の順なのか。位の順だとして、位はどこに書いてあるのか。
巻頭に凡例らしき頁があった。読むと、爵位と叙爵の年で並べると書いてある。叙爵の年が分からなければ引けない。ル・グラン家の叙爵が何年かを、僕は知らない。
頁の隅に埃が溜まっていた。指で払うと、指の方が黒くなった。
名鑑を閉じて、机に置く。置いてから、便箋を出した。
書き出しに時間がかかった。
拝啓としてから、消す。前略と書いて、これも消した。二枚を無駄にしてから、便箋を三枚目にした。
リディア、と書いて、その下が続かない。何を頼むのかは決まっている。決まっているのに、頼む理由の書き方が分からない。
困っている、と書けば済むのかもしれない。
結局、三行書いた。
ル・グラン家のことで伺いたい。八月の欄に贈らないとあるが、喪が明けた後はどうすればよいのか。ほかにも同じような箇所がいくつかある。
読み返して、これでは足りないと思った。足りないと思ったが、足す言葉が浮かばない。
ル・グラン家のことだけを訊けば、返ってくるのはル・グラン家のことだけである。同じような箇所は、四十枚のほとんど全部にある。全部を訊くには、四十枚を丸ごと送り返すことになる。
封をして、明日の朝に出すよう、机の端に置く。
置いてから、また束をめくった。
妻の字で書かれた頁には、何をするかだけがあった。なぜするのかが、どこにもなかった。




