先制点の作り方
第23話「先制点の作り方」
三回表を終えて、0対0。
大阪タイタンズの先発・池永智雄は、福山シーガルズ打線を完全に封じ込めていた。
一回は三つの内野ゴロ。
二回も三つの内野ゴロ。
三回は三者連続三振。
打者九人。
被安打ゼロ。
四死球ゼロ。
走者ゼロ。
福山がここまでの公式戦で必ず達成してきた「三回までの先制」は、初めて阻止された。
だが、その結果が別の場所へ影響し始めていた。
福山先発・倉橋颯真。
その右腕に、少しずつ焦りが生まれていた。
「打たれたらあかん」
福山ベンチ。
倉橋はグラブを持ったまま、静かにグラウンドを見ていた。
味方打線が三回まで一人も走者を出せていない。
今までとは違う。
これまでは、自分が多少苦しい立ち上がりでも打線が早い段階で点を取ってくれた。
一点。
二点。
その援護が倉橋を楽にしていた。
しかし今日はない。
0対0。
そして相手の智雄は、九人を完璧に抑えている。
倉橋の頭の中に、一つの思いが強くなっていた。
――俺が打たれたらあかん。
――先に一点取られたら、もっと苦しくなる。
それ自体は、投手なら自然な気持ちだった。
だが。
強くなりすぎた。
藤村海斗が倉橋の球を受けながら感じていた。
「颯真」
「ん?」
「力むなよ」
「分かっとる」
そう答えた声にも、少し硬さがあった。
狭くなった投球
大阪ベンチ。
森下真央と新田絵里も変化を見逃していなかった。
真央がスコアシートを見る。
「倉橋、二回途中から外角低めが増えてる」
亜由美が聞く。
「どのくらい?」
「かなり」
絵里も映像を確認する。
「初回より明らかにコースが偏ってます」
打たれたくない。
甘い球を投げたくない。
その意識が強くなった結果、安全だと思う場所へボールを集め始めている。
外角。
低め。
時折カーブ。
本来なら内角も使える投手だった。
だが内角へ投げて甘く入ることを恐れ始めている。
投球の幅が狭くなっていた。
川原監督が言う。
「気づいたな?」
打者たちがうなずく。
「なら簡単に手ぇ出すな」
三宅奈緒が笑った。
「粘る?」
「粘れ」
亜由美も察した。
「球数投げさせるんや」
「そうや」
アウトを取りたい。
早くこの回を終わらせたい。
その心理を――
大阪タイタンズが見逃すはずはなかった。
三回裏 七番・川上眞子
この回は七番・川上眞子から。
眞子が右打席へ入る。
倉橋が投げる。
初球。
外角低め。
ボール。
二球目。
ストライク。
三球目。
外角。
眞子がカットする。
四球目。
カーブ。
ファウル。
五球目。
外角低め。
見送る。
ボール。
眞子は簡単に打たない。
六球目。
ファウル。
七球目。
ファウル。
八球目。
外角。
ボール。
フルカウント。
倉橋がロージンバッグを触る。
眞子が構える。
九球目。
ファウル。
十球目。
またファウル。
大阪ベンチが沸く。
「粘れ!」
「まだ行ける!」
「眞子、そのまま!」
倉橋の表情が少しずつ険しくなる。
――いい加減アウトになりやがれ。
そんな気持ちが、無意識に右腕へ力を入れる。
十一球目。
倉橋が投げ込んだ。
少しだけ高い。
眞子が振り抜く。
カキィン!
打球は三塁線。
三塁手・西原琉生が飛びつく。
届かない。
フェア。
ボールがレフト線を転がる。
神谷直樹
「抜けました! 三塁線を破った!」
眞子が一塁を蹴る。
さらに二塁へ。
レフトから返球。
悠々セーフ。
ツーベースヒット!
無死二塁。
大阪ベンチが一気に盛り上がる。
杉本隆志
「これは大きいですね。十一球目です。川上選手が十球まで粘ったことで、倉橋投手に力みが出ました」
眞子は二塁上で拳を握った。
一人で十一球。
ただの一本ではない。
倉橋の神経まで削った一本だった。
八番・村瀬涼太
無死二塁。
八番・村瀬涼太。
川原監督からサインが出る。
送りバント。
村瀬は初球から構えた。
倉橋が投げる。
一塁側へ転がす。
一塁手・瀬戸航平が前進。
捕球。
一塁ベースを踏む。
アウト。
その間に眞子は三塁へ。
一死三塁。
福山は正確に守った。
エラーはない。
だからこそ、大阪は一つのアウトと一つの塁を交換できた。
九番・池永智雄
一死三塁。
打席には投手・池永智雄。
福山内野が警戒する。
倉橋がセットポジション。
智雄が構える。
藤村が三塁走者・眞子を確認した。
初球。
智雄がバントの構え。
コンッ。
三塁線。
絶妙だった。
強すぎない。
弱すぎない。
三塁手・西原が前へ飛び出す。
眞子がスタート。
「ホーム!」
西原は打球を拾う。
だが一瞬迷う。
ホームへ投げても間に合わない。
一塁へ――
それも間に合わない。
智雄が駆け抜けた。
セーフ。
眞子もホームイン。
セーフティースクイズ成功。
大阪タイタンズ。
ついに先制。
1対0。
神谷
「大阪が先制! 池永智雄、自らのバットで一点を生み出しました!」
杉本
「非常にうまいバントです。福山の守備が悪かったわけではありません。守備側が処理しにくい場所へ完璧に転がしました」
智雄が一塁上で笑う。
正則がベンチから叫ぶ。
「ピッチングだけちゃうやん!」
智雄。
「当たり前や!」
一番・梶原和樹
一死一塁。
一番へ戻って梶原和樹。
倉橋の表情から、余裕が消え始める。
先制された。
しかも。
長打ではない。
二塁打。
送りバント。
セーフティースクイズ。
自分たちの堅守を正面から壊されたわけではない。
守備だけでは防ぎきれない形で一点を奪われた。
梶原が打席へ。
倉橋の球が少し甘くなる。
梶原が振り抜いた。
ライト前ヒット。
智雄が一塁から一気に三塁へ。
梶原は一塁。
一死一、三塁。
大阪がさらに攻める。
二番・朝倉美羽
一死一、三塁。
朝倉美羽。
倉橋はここで踏ん張りたい。
初球。
外角。
美羽は見送る。
二球目。
ファウル。
三球目。
ボール。
四球目。
ファウル。
五球目。
外角低め。
カット。
六球目。
ファウル。
七球目。
ボール。
八球目。
ファウル。
九球目。
またファウル。
美羽は終わらない。
倉橋の球数だけが増えていく。
正則がベンチで数える。
「九球……」
慎一。
「次で十球目」
倉橋が大きく息を吐く。
――またか。
七番の眞子に十一球。
そして今度は美羽。
――いい加減、アウトになってくれ。
十球目。
倉橋が力を込める。
しかし。
力んだ。
ボールが高く入った。
美羽の目が光る。
フルスイング。
カァァァァン!
打った瞬間だった。
神谷
「大きい!」
ライトが下がる。
フェンス際。
見上げる。
その頭上を越えた。
ライトスタンド!
スリーランホームラン!
三塁走者・智雄。
一塁走者・梶原。
そして美羽。
三人がホームへ帰る。
4対0。
大阪ベンチが総立ちになる。
神谷
「朝倉美羽! 十球目を捉えました! 大阪タイタンズ、一気に4対0!」
杉本
「粘り勝ちです。倉橋投手はアウトを急ぎました。そこへ力んだ球が甘く入りましたね」
美羽がホームへ戻る。
亜由美が迎える。
「ナイス!」
美羽が笑う。
「十球待ったかいあったわ」
三番・三宅奈緒
一死走者なし。
三番・三宅奈緒。
倉橋は完全に苦しい。
それでも福山守備陣は声をかけ続ける。
「颯真、切り替えろ!」
「まだ一死!」
「一個ずつ!」
倉橋が投げる。
三宅は甘い球を逃さない。
鋭い打球。
三塁線方向。
だが。
三塁手・西原琉生の正面。
強烈なサードライナー。
西原がしっかり捕った。
アウト。
二死。
福山の堅守が、ここでは倉橋を救った。
四番・加藤亜由美
二死走者なし。
四番・加藤亜由美。
亜由美がゆっくり打席へ入る。
正則がベンチから見つめる。
倉橋はすでに、この回かなりの球数を投げている。
眞子に十一球。
美羽にも十球。
その間にバント。
スクイズ。
ヒット。
3ラン。
投球の幅はさらに狭くなっていた。
亜由美は焦らない。
初球。
見送る。
二球目。
ファウル。
三球目。
外角。
ボール。
そして四球目。
倉橋の球が、少しだけ内側へ入った。
亜由美が踏み込む。
迷いのないスイング。
カァァァン!
打球はレフト方向へ。
高く。
遠く。
レフトが下がる。
フェンスへ。
そして――
越えた。
ソロホームラン!
正則が思わず立ち上がる。
「うわっ!」
レフトスタンドへ飛び込む一発。
亜由美がダイヤモンドを回る。
5対0。
神谷
「加藤亜由美! 今度はレフトスタンド! 大阪タイタンズ、この回五点目!」
杉本
「大阪は本当に多彩ですね。バントで一点を取り、その後は長打。福山に一つの守り方をさせてくれません」
亜由美がホームへ。
美羽とハイタッチ。
正則が言う。
「また打ったな」
亜由美。
「何?」
「いや……すごいなって」
「それだけ?」
正則。
「ナイスホームラン!」
「よろしい」
五番・有村恒一郎
二死走者なし。
五番・有村恒一郎。
倉橋が投げる。
有村が振る。
鋭い打球。
一塁線。
しかし。
一塁手・瀬戸航平が反応した。
ライナーを正面で捕球。
アウト。
スリーアウト。
ようやく福山は長い三回裏を終えた。
五点
スコアボード。
福山 0
大阪 5
大阪タイタンズは、この回だけで五点。
七番・川上眞子。
十一球目を三塁線への二塁打。
八番・村瀬涼太。
送りバント。
九番・池永智雄。
セーフティースクイズで先制。
一番・梶原和樹。
ライト前ヒット。
二番・朝倉美羽。
十球目をライトスタンドへ3ラン。
三番・三宅奈緒。
サードライナー。
四番・加藤亜由美。
レフトスタンドへソロホームラン。
五番・有村恒一郎。
ファーストライナー。
福山はエラーをしていない。
それでも五点を失った。
堅守が崩れたのではない。
大阪が――
守備だけでは防ぎきれない形を次々と作った。
「焦り」を突いた大阪
福山ベンチ。
倉橋が座る。
藤村が隣へ。
しばらく何も言わなかった。
やがて倉橋がつぶやく。
「早くアウト取りたくなった」
藤村が答える。
「分かっとった」
「分かっとったんかよ」
「途中からな」
倉橋は悔しそうにグラブを見る。
味方打線が三回までパーフェクトに抑えられた。
その結果。
自分まで、
――打たれてはいけない。
――一点もやれない。
そう思い込んだ。
そして投球の幅を、自分自身で狭めてしまった。
福山の監督がやってくる。
「颯真」
倉橋が顔を上げる。
「五点全部取り返そうとするな」
「はい」
「お前も五点全部守ろうとするな」
倉橋が監督を見る。
「次の一人を抑えろ。それだけや」
そして打者たちを見る。
「こっちも同じ」
四回表。
福山は一番・山根蒼太から。
打順は上位へ戻る。
「五点差を見るな」
監督が言った。
「まず一人、塁に出ろ」
山根がヘルメットをかぶった。
智雄、再びマウンドへ
大阪ベンチ。
智雄が立ち上がる。
今度は五点の援護をもらった。
正則が声をかける。
「楽になったな」
智雄は首を横に振った。
「いや」
有村がマスクを手に取る。
「その答えで正解」
5対0。
だが全国大会。
まだ四回表。
試合は終わっていない。
有村が言う。
「向こう、今度は何も考えず振ってくるかもしれんぞ」
智雄。
「じゃあ、また反応見て決めよか」
「それでええ」
130。
100。
60。
福山は三回まで、一度も智雄の投球を捉えられていない。
しかし。
追い込まれたチームほど、思い切った変化を見せることがある。
智雄が再びマウンドへ向かった。
福山の先頭。
一番・山根蒼太。
試合は――
新しい局面へ入ろうとしていた。
次回予告
第24話「五点差からの再出発」
三回裏。
大阪タイタンズが一挙五点。
川上眞子の十一球粘っての二塁打。
村瀬涼太の送りバント。
池永智雄のセーフティースクイズ。
梶原和樹のヒット。
そして朝倉美羽の3ラン。
加藤亜由美のソロホームラン。
5対0。
だが福山シーガルズは終わらない。
四回表。
打順は一番・山根蒼太へ戻る。
福山ベンチ。
「三回までに先制する野球は、もう終わった」
「ここからは五点差を追う野球をするぞ」
これまで成功してきた形を捨て、福山が新しい戦い方を探し始める。
一方、大阪。
有村恒一郎。
「五点取った直後が一番危ないぞ」
池永智雄。
「分かっとる」
130。
100。
60。
一巡目で完全に封じ込めた投球は――
二巡目にも通用するのか。
次回、第24話。
「五点差からの再出発」
三回までの結果は、もう変えられない。
だから福山は――
四回から別の試合を始める。




