二本目
第13話「二本目」
四回裏。
大阪タイタンズ、4対0。
金沢ゴールデンシャークスの先発・高倉健吾は、三回までとはまた少し配球を変えてきた。
大阪は走者を出す。
金沢の内野守備を見ながら揺さぶりをかける。
だが金沢も踏ん張った。
際どいコースを丁寧について、決定打を許さない。
大阪も無理に仕掛けない。
結果――
追加点なし。
4対0のまま、試合は五回へ入った。
そして。
星野慎一が再びマウンドへ向かう。
五回表
金沢ベンチでは、一つの結論が出ていた。
「もう考えすぎるな」
村井監督が選手たちを見る。
「130か100か。それを決めつけるから振り遅れる。待ちすぎるから差し込まれる」
四回。
慎一は速球主体。
三者連続三振。
100キロ前後のボールさえ、ほとんど必要としなかった。
なら。
金沢も読むのをやめる。
来た球を打つ。
それだけ。
六番・中田琉生がヘルメットをかぶった。
「行ってきます」
村井監督が送り出す。
「振れる球は振ってこい」
「はい」
しかし。
金沢には重大な誤算があった。
彼らがここまで見てきた慎一の球速帯は――
130キロ前後。
そして100キロ前後。
その二つだけだった。
六番 中田琉生
中田が右打席へ。
藤原航がしゃがむ。
慎一がマウンドでボールを握った。
航がサインを出す。
慎一が首を振る。
もう一度。
首を振る。
三つ目。
うなずいた。
大阪ベンチ。
正則の目が変わる。
智雄も気づいた。
有村が小さく言った。
「来るか」
初球。
慎一が投げる。
腕の振りは速い。
中田も130キロ前後を想定して始動した。
ところが――
ボールが来ない。
「……え?」
浮いているようにすら見える。
だが実際には、強い回転を保ったままストライクゾーンへ向かってくる。
約60キロ。
中田の身体が完全に前へ出た。
腰が開く。
バットが出る。
しかしボールは、まだ来ない。
中田が必死に残そうとする。
もう無理だった。
バットが空を切る。
その後から。
パシッ。
航のミットへ収まった。
球審。
「ストライク!」
東京ドームがざわめいた。
水野沙織
「……今の球速、60キロ台です!」
三浦佳奈
「出ましたね。これは今までとはまったく違います」
金沢ベンチ。
村井監督が立ち上がった。
「なんや、今の……」
スコアラーが表示を見る。
「約60キロです」
「60?」
慎一は何事もなかったように次のボールを受け取った。
中田は打席で慎一を見る。
今の腕の振り。
もっと速い球が来ると思った。
ところが60キロ。
それでも――
ストライク。
今度は速い
二球目。
中田は考える。
また来るか。
60。
慎一が投げた。
今度は130キロ前後。
「速っ!」
中田が振る。
遅れる。
ファウル。
0ボール2ストライク。
二球で約70キロの速度差。
しかも同じ投手から。
三球目。
中田の頭は混乱していた。
次はどっちだ。
速いのか。
遅いのか。
慎一が投げる。
100キロ前後。
中間。
中田のタイミングが合わない。
引っ掛ける。
三塁方向へのゴロ。
朝倉美羽が捕る。
一塁へ。
アウト。
一死。
三浦
「これは厳しいですね。130、100、60。三段階です」
水野
「しかも初球から60キロでした」
「そこが重要です。普通なら、追い込んでから使う決め球だと考えたくなる。でも慎一投手は初球から使った」
金沢ベンチが騒がしくなる。
「初球でも来るぞ!」
「60ある!」
「頭入れとけ!」
しかし。
その声を聞いた有村が大阪ベンチで笑った。
「頭に入れた時点で、もう効いとる」
正則もうなずく。
「130待ちにくくなるもんな」
七番 森川颯太
森川が打席へ。
今度は最初から60キロを警戒する。
初球。
慎一。
130キロ前後。
森川は少し待ってしまう。
振り遅れ。
ストライク。
二球目。
100キロ前後。
ファウル。
0ボール2ストライク。
森川が考える。
追い込まれた。
ここだ。
さっき中田には初球。
でも今度は決め球として使うかもしれない。
60キロ。
来る。
慎一が投げる。
130キロ前後。
外角いっぱい。
森川は見送った。
「ストライク! バッターアウト!」
見逃し三振。
森川が一瞬、球審を見る。
速球だった。
60を待っていた。
その一瞬の迷いで、バットが出なかった。
二死。
水野
「今度は60キロを一球も使いませんでした!」
三浦
「これなんですよ。一度見せれば、投げなくても効果がある。森川選手は明らかに頭の中に遅い球がありました」
八番 杉本海斗
二死。
杉本が打席へ。
もう金沢には分からない。
初球か。
追い込んでからか。
走者がいる時か。
いない時か。
右打者だけか。
左打者にも使うのか。
カウントによる規則性がない。
航がサインを出す。
慎一が投げる。
初球。
130キロ前後。
ボール。
二球目。
100キロ前後。
ストライク。
1ボール1ストライク。
杉本は必死にタイミングを修正する。
三球目。
約60キロ。
「来た!」
分かっていても。
身体が待てない。
杉本の前足が着く。
腰が回る。
バットが出る。
それでもボールはまだホームベースまで来ていない。
フォームが完全に崩れる。
泳ぎながら、なんとかバットを止めようとする。
だが止まらない。
空振り。
1ボール2ストライク。
杉本が打席を外した。
一度深呼吸する。
金沢ベンチ。
「次、速いぞ!」
別の声。
「いや、また遅いかもしれん!」
村井監督が制する。
「決めつけるな!」
だが。
決めつけなければ、今度はタイミングを作れない。
杉本が打席へ戻る。
慎一が投げる。
四球目。
130キロ前後。
杉本が振る。
空振り。
三振。
スリーアウト。
完全に消えたタイミング
五回表。
金沢打線。
三者凡退。
慎一がベンチへ戻る。
正則が笑う。
「えげつな」
慎一が答える。
「何が?」
「60見せたあとに130投げる方がえげつないわ」
智雄も笑う。
「70キロ差やぞ」
航がマスクを外した。
「でも大事なんは、60を投げたことちゃう」
有村が続ける。
「いつ投げるか分からんことや」
その通りだった。
初球にも来る。
追い込んでからも来る。
そもそも一球も使わない打者もいる。
130。
100。
60。
その三つを規則的には並べない。
カウントにも固定しない。
金沢がデータを集めても、
「このカウントなら60」
という答えが出てこない。
さらに厄介なのは。
約60キロのボールが――
ストライクになることだった。
見逃せばいい。
そう簡単には言えない。
見逃せば、ストライクを取られる。
打ちにいけば、130キロ前後との約70キロ差で身体が崩される。
100キロ前後まで間に入る。
金沢のスコアラーがチャートを見つめていた。
130。
100。
60。
数字は書ける。
しかし。
規則が書けない。
村井監督が静かに言った。
「厄介やな」
「はい」
「速い球を待ったら60で崩される」
チャートを見る。
「60を待ったら130に遅れる」
さらに。
「その間に100まである」
金沢ベンチに初めて、明確な戸惑いが広がった。
データがないからではない。
データが増えたのに――
答えが見えなくなった。
大阪タイタンズ、4対0。
星野慎一の秘密兵器。
約60キロ。
おちょくりスローボール。
全国大会初披露。
その一球は、ただ遅いだけではなかった。
金沢打線のタイミングそのものを――
完全に壊し始めていた。
次回予告
第14話「60を待つな」
ついに姿を現した約60キロのおちょくりスローボール。
130。
100。
60。
三つの速度帯。
しかも投げるカウントに規則性はない。
金沢ベンチは対策を始める。
村井監督。
「60を打とうとするな」
「来たら見送れ」
だがスコアラーが答える。
「監督。あの球、ストライクに入ってます」
見送ればストライク。
待てば130キロに振り遅れる。
打とうとすればフォームを崩される。
そして慎一は、同じ約60キロでもコースまで変え始める。
外角。
内角。
低め。
ストライクゾーンの端。
金沢が出す答えは何か。
そして大阪打線は、4対0から試合を決定づける追加点を奪えるのか。
次回、第14話。
「60を待つな」
遅いから簡単なのではない。
遅いのに、逃げられない。




