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河内正則・栄光への道  作者: リンダ


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まだ見せない

第10話「まだ見せない」


三回表。


大阪タイタンズ、3対0。


二回まで金沢打線を無得点に抑えている星野慎一が、三度マウンドへ向かった。


金沢ベンチでは、一回と二回の投球データが整理されていた。


コース。


球速。


プレートを踏む位置。


カウント別の配球。


右打者への攻め方。


二回、杉本海斗を三振に仕留めた外角低めへのクロスファイヤー。


大阪が金沢の守備データを分析しているように、金沢も慎一を分析していた。


だが――


そこにはまだ存在しない数字がある。


約60キロ。


大阪タイタンズが全国大会まで隠してきた超スローボールだった。


「使うんか?」


投球練習を終えた慎一を見ながら、ベンチの正則がつぶやく。


「そろそろ使うんか?」


隣の智雄が腕を組む。


「まだ三回やぞ」


有村恒一郎も慎一を見る。


「見せたら、その瞬間から向こうのデータに入るからな」


正則がうなずいた。


大阪府大会では使った。


だが全国大会の相手にとっては、まだ未知のボール。


慎一自身も、その価値を理解していた。


マウンドで藤原航を見る。


航がサインを出す。


慎一はうなずいた。


まだ。


60キロは使わない。


ただし――


同じ速度だけで投げ続けるつもりもなかった。


九番 高倉健吾


三回の金沢打線は九番・高倉から。


水野沙織

「三回表。金沢の攻撃は九番・高倉健吾からです」


三浦佳奈

「金沢も慎一投手の130キロ前後のボールには少しずつ目が慣れてくる頃です」


その言葉通りだった。


金沢ベンチも考えていた。


慎一の中心は130キロ前後。


ならば、そこへ照準を合わせる。


高倉が構える。


慎一。


初球。


130キロ前後。


高倉が見送る。


二球目。


再び速い。


高倉の目が追う。


そして三球目。


慎一の腕の振りは大きく変わらない。


高倉がタイミングを取る。


130キロ。


そう思って踏み込んだ。


ところが――


来ない。


「えっ」


100キロ前後。


約30キロ遅い。


身体が先に開いた。


それでもバットを止められない。


当たった。


ボテッ。


三塁方向へのゴロ。


朝倉美羽が前へ出る。


捕球。


一塁へ。


アウト。


三球。


正則が笑った。


「出したな」


智雄も分かっている。


「でも60ちゃう」


有村が答える。


「その前や」


一番 前田蒼真


打順が先頭へ戻る。


前田は一回、セカンドゴロ。


金沢ベンチから声が飛ぶ。


「遅い球あるぞ!」


慎一にも聞こえている。


それでも表情は変わらない。


初球。


今度は130キロ前後。


前田が振る。


ファウル。


二球目。


慎一が投げる。


また速い。


前田は見送った。


そして三球目。


前田は考える。


さっき100キロ前後を使った。


なら。


今度は遅いか。


一瞬だけ待つ。


しかし慎一が投じたのは――


130キロ前後。


前田は慌ててバットを出す。


差し込まれた。


打球は二塁方向へ。


亜由美が正面に入る。


捕る。


一塁へ。


アウト。


二死。


水野

「今度はセカンドゴロ! 星野慎一、二人を六球で打ち取りました!」


三浦

「これは球速差が効いていますね。一度100キロ前後を見せられると、打者は頭から消せなくなります」


二番 北川悠人


二死。


北川が打席へ。


一回はサードゴロ。


金沢ベンチも考え始めていた。


130キロ前後。


そして100キロ前後。


約30キロの速度差。


慎一は緩急を使う投手。


その情報が金沢のチャートへ追加される。


しかし。


大阪ベンチの正則は笑っていた。


「向こう、100キロのこと書いとるやろな」


智雄も笑う。


「書いとるやろ」


「遅い球は100キロくらいって思うかな」


有村が答える。


「思わせといたらええ」


本当の最低速度は――


さらに約40キロ下。


まだ誰も知らない。


北川への初球。


130キロ前後。


ストライク。


二球目。


慎一が投げる。


北川は速球に合わせて始動する。


しかし。


今度は100キロ前後。


待ち切れない。


身体が前へ出る。


バットの先。


引っ掛けた。


打球はショート方向へ。


川上眞子が前へ出る。


軽快に捕球。


一塁へ。


アウト。


スリーアウト。


チェンジ。


水野

「三者凡退! 星野慎一、三回表をわずか九球で終えました!」


三浦

「三つとも内野ゴロです。130キロ前後のボールに100キロ前後を混ぜたことで、金沢打線のタイミングがかなり崩れました」


三回表。


九球。


三者凡退。


三つのアウトは、すべて内野ゴロ。


慎一は悠々とベンチへ戻ってくる。


正則が迎える。


「100キロで十分やん」


慎一がグラブを置く。


「今はな」


智雄が聞く。


「60は?」


慎一は水を一口飲んだ。


「まだ」


航もマスクを外す。


「今100キロでタイミング崩れとるのに、わざわざ見せる必要ない」


有村がうなずく。


「それでええ」


金沢のチャート


一方。


金沢ベンチ。


スコアラーが慎一の投球データへ新しい情報を書き加える。


主力球。


130キロ前後。


緩い球。


100キロ前後。


速度差、およそ30キロ。


村井監督がチャートを見る。


「なるほどな」


これで慎一の緩急は分かった。


そう考える。


だが。


分かっていない。


100キロは最も遅い球ではない。


むしろ――


前段階。


大阪タイタンズのベンチには、誰も口にしない共通認識があった。


約60キロを投げれば。


100キロから、さらに約40キロ落ちる。


130キロ前後からなら――


およそ70キロもの速度差。


しかも腕の振りは、速球とほとんど変わらない。


川原監督が静かに言う。


「効くからいうて、投げ続けたら慣れられる」


慎一が聞いている。


「秘密兵器は、秘密やから怖いんやない」


正則。


智雄。


有村。


航。


全員が監督を見る。


「いつ来るか分からんから怖いんや」


慎一が笑った。


「じゃあ、もうちょい隠しときます」


三回裏。


大阪タイタンズの攻撃へ。


だがそのころ。


金沢ゴールデンシャークスは、まだ気づいていなかった。


自分たちが完成させようとしている星野慎一の投球チャートには――


一番厄介な数字が、まだ書かれていないことを。


次回予告


第11話「消えた40キロ」


三回表。


130キロ前後。


100キロ前後。


その速度差だけで三つの内野ゴロ。


星野慎一、九球で三者凡退。


金沢は慎一の投球チャートを書き換える。


「緩い球は100キロ前後」


しかし大阪ベンチ。


正則。


「完全に100キロが一番遅いと思っとるな」


智雄。


「その下に、まだ40キロあるけどな」


約60キロ。


まだ投げない。


まだ見せない。


一方、三回裏。


大阪打線にも金沢の新しい対策が待っていた。


データを捨てたわけではない。


データに縛られない守備へ。


そして試合は、中盤へ向かう。


次回、第11話。


「消えた40キロ」


見えている数字だけが、すべてではない。

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