全国大会の前に――完熟りんご
第1話「全国大会の前に――完熟りんご」
大阪府大会を制し、全国大会への切符を手にした大阪タイタンズ。
東京ドームへ向かう日まで、あとわずか。
練習は続いていたが、府大会期間中の張り詰めた空気からは少しだけ解放されていた。
そんな日の練習後。
加藤亜由美が、荷物をまとめていた河内正則のところへやってきた。
「正則」
「ん?」
「全国行ったら、またずっと野球やろ?」
「そらそうやな」
「最近、二人でどっか行ってへんな」
正則の手が止まった。
「そういや、そうやな」
幼いころから一緒にいる。
学校でも顔を合わせる。
野球でも一緒。
それなのに、二人だけで遊びに行く機会は最近ほとんどなかった。
亜由美が尋ねる。
「全国行く前に、久しぶりにどっか行かへん?」
「ええで」
即答だった。
亜由美が少し笑う。
「どこ行く?」
「うーん……」
正則が考える。
映画。
買い物。
遊園地。
いくつか候補が出たあと、亜由美が言った。
「水族館は?」
「ええやん」
正則はあっさり決めた。
「ほな、水族館行こ」
「決まりな」
二人にとっては、それだけの会話だった。
少なくとも――
正則はそう思っていた。
当日の朝
正則が玄関で靴を履いていると、背後から声が飛んできた。
「正則」
姉の河内一香だった。
「なんや?」
「今日どこ行くん?」
「水族館」
「誰と?」
「亜由美」
一香の目が細くなる。
「へえ」
正則が嫌そうな顔をする。
「なんやねん、その『へえ』は」
「別に?」
「絶対なんかあるやろ」
「幼馴染の女の子と二人で水族館ねえ」
「せやから?」
「デートやん」
正則の動きが止まった。
「は?」
「デート」
「ちゃうわ!」
「何がちゃうん?」
「普通に遊びに行くだけや!」
「二人で?」
「そうや」
「女の子と?」
「亜由美や!」
「だからデートやん」
「なんでやねん!」
一香は楽しそうで仕方がない。
「いやあ、青春やなあ」
「やめろ!」
「全国大会前に水族館デートかあ」
「デートちゃう言うとるやろ!」
そこへ――
ピンポーン。
インターホンが鳴った。
正則が固まる。
一香の笑顔がさらに大きくなる。
「来たんちゃう?」
「たぶん」
玄関を開ける。
そこには亜由美が立っていた。
「おはよう、正則」
「お、おう」
後ろから一香が顔を出す。
「亜由美ちゃん、おはよう」
「おはようございます、一香さん」
一香が聞く。
「今日は二人で水族館?」
「はい」
「へえ。何しに?」
正則が振り返る。
「姉ちゃん!」
だが亜由美は平然としていた。
むしろ少し楽しそうに正則を見る。
そして――
「はい。今から正則とデートに行ってきます」
「なっ――!」
正則の顔が一瞬で赤くなった。
耳まで赤い。
首筋まで赤い。
一香が正則を見る。
数秒。
そして爆笑。
「ちょっと待って! 正則!」
「なんや!」
「あんた、真っ赤に熟したりんごより赤いやん!」
亜由美も吹き出す。
一香は止まらない。
「完熟りんごやん!」
「誰が完熟りんごや!」
「河内正則改め、河内完熟りんご!」
「改名すな!」
亜由美が腹を抱える。
「正則……ほんま赤い……」
「亜由美が余計なこと言うからやろ!」
「何が余計なん?」
「デートって!」
亜由美が正則を見上げる。
「違うん?」
「え?」
「男の子と女の子が二人で水族館行くんやろ?」
「まあ……」
「それ、デートちゃうん?」
「……」
正則、沈黙。
一香が横から追撃する。
「完熟度が上がっております」
「姉ちゃん黙れ!」
「現在、糖度18度くらい」
「俺は果物ちゃう!」
亜由美がさらに笑う。
「もうやめて……お腹痛い……」
一香は玄関から二人を送り出す。
「ほな完熟りんご君、亜由美ちゃんをちゃんとエスコートするんやで」
「その名前で呼ぶな!」
「帰ってきたら感想聞かせてな」
「野球の試合ちゃうぞ!」
亜由美が振り返った。
「行ってきます、一香さん」
「行ってらっしゃい。楽しんできて」
そして亜由美は、わざわざもう一度付け加えた。
「デート、楽しんできます」
正則の顔が再び真っ赤になる。
「亜由美ぃ!」
玄関の向こうから、一香の爆笑が聞こえた。
二人きりになって
しばらく歩いてから、正則がぼそっと言った。
「絶対わざとやろ」
「何が?」
「姉ちゃんの前でデートって言ったやつ」
「さあ?」
「その顔は絶対わざとや」
亜由美が笑う。
「でも、ええやん」
「何が?」
「デートで」
正則が再び止まった。
亜由美はそのまま数歩先へ進む。
振り返った。
「ほら。置いてくで、完熟りんご」
「お前まで言うな!」
二人の笑い声が朝の街に響いた。
数日後には東京へ向かう。
全国大会。
全国各地から集まる強豪。
そして二人の人生を大きく変えることになる、博多リトルスターズとの出会い。
だが今日だけは、それを少しだけ忘れる。
幼いころからずっと隣にいた二人が、久しぶりに野球から離れて過ごす一日。
正則にとっては――
どうやら本人が思っていた以上に、ちゃんとしたデートになりそうだった。
次回予告
第2話「水族館デート」
水族館へやってきた正則と亜由美。
巨大水槽。
イルカ。
ペンギン。
色とりどりの魚たち。
ところが野球少年・正則。
魚の泳ぎを見ながら、なぜか投球フォームの話を始める。
亜由美。
「正則」
「なん?」
「今日くらい野球忘れへん?」
「……はい」
さらに二人で記念写真。
距離が近い。
正則、再び完熟。
全国大会直前。
束の間の休日。
次回、
「水族館デート」
果たして河内完熟りんごは、一日で何回熟すのか。




