四番からの鶴橋
「四番からの鶴橋」
一回を終えて、2-0。
大阪タイタンズが先制した。
しかし、チーム打率.310を誇る鶴橋ライオンズの本当の怖さは、ここからだった。
二回表は四番・岡田大翔から。
正則がマウンドへ向かう途中、捕手の藤原航を呼び止めた。
藤原もマスクを持ったままマウンドへ寄ってくる。
「多分、今度は速球に合わせてくるぞ」
正則が言った。
藤原もうなずく。
「一回で球速帯はある程度見られたからな」
一回、正則は145キロを記録した。
その一方で120キロ台から130キロ前後まで球速を変え、内角、外角、高め、低めとストライクゾーンを目いっぱい使った。
だが、鶴橋は速球への対応力が高い。
一巡目で見極め、次の打席から合わせてくる。
それがこのチームの強さだった。
藤原が小さな声で聞いた。
「あれ、行くか?」
正則はすぐに意味を理解した。
60キロ前後。
ほぼ同じフォームから投じる超スローボール。
「そうやな」
正則が答える。
「あれでタイミング狂わせて、速球で仕留める」
一度間を置いて、ニヤッとする。
「逆もありやな」
藤原も笑った。
「速球見せてから、最後にあれか」
「どっちが来るか分からんようにしとこ」
多投はしない。
必要なところだけで使う。
二人はそれだけ確認すると、それぞれの位置へ戻った。
二回表 鶴橋ライオンズ
四番・岡田大翔
岡田が打席へ入る。
鶴橋の四番。
正則はまず速球で入った。
岡田のスイングを見た瞬間、藤原が気づく。
速い。
一回の上位打線とは違う。
明らかに正則の速球へタイミングを合わせてきている。
次の球。
正則が投げ込む。
岡田が踏み込んだ。
「カキーン!」
鋭い打球。
正則の横を抜ける。
二塁手・亜由美と遊撃手・眞子が反応する。
しかし速い。
二人の間を抜けた。
センター前ヒット。
ノーアウト一塁。
鶴橋が、この試合初めて走者を出した。
岡田は一塁上で小さく拳を握る。
鶴橋ベンチから声が上がった。
「よっしゃ!」
「合ってきたぞ!」
正則は打球の行方を見届けると、藤原から新しいボールを受け取った。
「さすがに合わせてきたか」
驚いてはいなかった。
むしろ、想定していた通りだった。
正則が藤原を見る。
藤原も正則を見る。
言葉はいらなかった。
正則がわずかに笑う。
「じゃあ――」
グラブの中でボールを握り直す。
「あれを解禁するか」
五番・宮原航平
ノーアウト一塁。
宮原も速球を意識して打席へ入った。
正則が投げる。
一球目。
速球。
宮原が見送る。
二球目。
今度はコースを変える。
宮原が反応する。
三球目。
追い込んだ。
1ボール2ストライク。
藤原からサインが出た。
正則がうなずく。
四球目。
投球フォームは、それまでとほとんど変わらない。
足を上げる。
踏み込む。
腕を振る。
宮原も始動する。
速球を待っていた。
ところが――
来ない。
「えっ……」
ボールが、まだ空中にいる。
60キロ前後。
おちょくりスローボール。
宮原の身体はすでに前へ出ていた。
一度止めようとする。
だが止まらない。
崩された体勢のまま、どうにかバットを出した。
「コツッ!」
力のないゴロ。
二塁方向。
亜由美が前へ出る。
捕球。
「眞子!」
二塁ベースへ入った川上眞子へ送る。
「アウト!」
眞子がすぐ一塁へ転送。
三宅奈緒が捕球した。
「アウト!」
4-6-3。
ダブルプレー。
一瞬で走者が消えた。
ツーアウト、ランナーなし。
鶴橋ベンチが静かになった。
宮原は一塁付近で振り返り、マウンドを見る。
「なんや、今の……」
一回に145キロを記録した投手が、ほとんど同じようなフォームから60キロ前後の球を投げてきた。
速度差は最大で80キロ以上。
しかも超スローは、ただ遅いだけではない。
ストライクゾーンを通る。
打たなければストライクになる。
藤原がマスクの奥で笑った。
正則は何事もなかったようにボールを受け取った。
二塁の亜由美が声を飛ばす。
「正則〜!」
「なんや〜!」
「今の、ほんまにおちょくっとるやろ!」
「名前通りや〜!」
「開き直るな〜!」
それでも、正則は続けて投げなかった。
川原監督から言われている。
多投するな。
一球で十分だった。
六番・石田琉生
ツーアウト、ランナーなし。
石田が打席へ入る。
頭には当然、今の超スローボールが残っている。
だが正則は速球へ戻した。
石田も簡単には崩れない。
超スローを警戒しながらも、速球へ食らいつく。
そして甘く入った一球。
石田が振り抜いた。
「カキーン!」
打球が三塁線を襲う。
美羽が飛びつく。
届かない。
打球はレフト線へ抜けた。
村瀬が追う。
石田は一塁を蹴った。
二塁へ。
返球が戻る。
「セーフ!」
ツーベースヒット。
ツーアウト二塁。
鶴橋が再び得点圏へ走者を進めた。
正則が小さく息を吐く。
さすがチーム打率.310。
超スローを一球見せただけで、打線全体が崩壊するほど甘い相手ではない。
七番・森川拓海
ツーアウト二塁。
一点返せば1-2。
鶴橋にとって重要な打席だった。
藤原がサインを出す。
今度は超スローではない。
正則が投げる。
速球。
森川が振る。
ファウル。
次は外角。
見送る。
そして内角。
森川が振り遅れる。
追い込んだ。
森川の頭には二つの速度がある。
速球。
そして60キロ前後。
どちらが来るのか。
正則がセットする。
藤原がミットを構えた。
投球。
森川が振った。
「バシッ!」
藤原のミットに収まる。
「ストライク、バッターアウト!」
三振。
スリーアウト。
二回表終了
鶴橋ライオンズは無得点。
鶴橋ライオンズ 0-2 大阪タイタンズ。
しかし一回とはまるで違った。
四番・岡田大翔が二遊間を破るヒット。
五番・宮原航平は超スローボールを引っかけて4-6-3のダブルプレー。
六番・石田琉生がレフト線へのツーベース。
七番・森川拓海は三振。
鶴橋は一イニングで二安打。
確実に正則の速球へ合わせ始めている。
スコアラー席では、真央と絵里がその変化を記録していた。
「やっぱり修正が速い」
真央が言う。
絵里もうなずいた。
「でも、超スローを見せたことで次から選択肢が増えた」
正則が実際に投げた超スローボールは、まだたった一球。
それでも鶴橋の打者は、これから打席へ立つたびに考えなければならない。
145キロが来るのか。
120キロ台か。
130キロ前後か。
それとも――
60キロ前後か。
正則と藤原が狙っていたのは、その迷いだった。
そして二回裏。
今度はタイタンズ打線が、一回だけで40球を投げた大西晴斗をさらに攻める
次回「五十球を越える前に」
一回だけで40球。
鶴橋先発・大西晴斗に、早くも重い球数がのしかかる。
二回裏の大阪タイタンズは八番・村瀬涼太から。
九番には、この日145キロを記録した河内正則。
そして打順は再び一番・梶原和樹へ戻っていく。
早打ちはしない。
だが甘い球は逃さない。
大西が常に全力に近いフォームで投げ続けるなら、その体力を削る。
一方、鶴橋ベンチでは、正則がついに投じた60キロ前後のおちょくりスローボールへの対策が始まる。
速球だけを待つことは、もうできない。
次回、
「五十球を越える前に」
投手を攻略する方法は、ヒットを打つことだけではない




