打撃の鶴橋
「打撃の鶴橋」
大阪府大会決勝。
勝てば全国大会。
大阪タイタンズの最後の相手が決まった。
鶴橋ライオンズ。
ここまでタイタンズが戦ってきた相手とは、明らかに性格が違うチームだった。
準決勝の天王寺ゴールデンスターズが投手力を武器に勝ち上がってきたのに対し、鶴橋は徹底して打って勝つ。
試合前日。
タイタンズのミーティングルームには、森下真央と新田絵里がまとめた資料が映し出されていた。
数字が示す、正反対の二チーム
真央が最初の画面を表示する。
鶴橋ライオンズ チーム打率 .310
大阪タイタンズ チーム打率 .285
打率では鶴橋が上。
一方、防御率は完全に逆だった。
鶴橋ライオンズ チーム防御率 3.85
大阪タイタンズ チーム防御率 1.98
亜由美が数字を見比べる。
「めちゃくちゃ分かりやすいチームやな」
正則がうなずいた。
「取られたら、それ以上取る」
「そういうこと」
真央が答えた。
鶴橋は、投手陣が二点、三点と失っても崩れない。
むしろ、
三点取られたなら四点取る。
五点取られたなら六点取り返す。
そんな野球で決勝まで勝ち上がってきた。
絵里が過去の試合結果を表示する。
接戦だけではない。
点の取り合いになった試合もある。
それでも最後には相手以上の得点を積み上げてきた。
「問題は、どうやって打ってるか」
真央が映像を切り替えた。
鶴橋の打者が速球を捉える場面が続く。
一球。
二球。
三球。
最初は振り遅れている。
しかし打席が進むにつれて、徐々にタイミングが合ってくる。
そして甘く入った速球を一気に仕留める。
「ここまで鶴橋が対戦してきた投手には共通点があります」
絵里が説明する。
「速球中心です」
正則が画面を見る。
「なるほどな」
球速そのものは決して遅くない。
それでも、速い球を続けて見せれば打者は慣れる。
特に鶴橋は、その修正が速い。
一巡目でタイミングを測る。
二巡目で合わせる。
そして三巡目には完全に捕まえる。
川原監督が腕を組んだ。
「速いだけでは押し切れへんいうことやな」
「はい」
真央が答えた。
そのとき正則が手を挙げた。
「監督」
「なんや」
正則が少しだけ口元を緩める。
「おちょくりスローボール、行きますか」
何人かが吹き出した。
60キロ前後。
140キロ近い速球と、ほとんど同じフォームから投じられる超スローボール。
正則たちが青柳翼の“おちょくりサーブ”から着想を得て磨いてきた球だった。
速球へ合わせる能力が高い鶴橋だからこそ、80キロ近い速度差は強烈な武器になる。
しかし川原監督はすぐに釘を刺した。
「使う。ただし、多投するな」
正則の表情が引き締まる。
「はい」
「効くからいうて投げ続けたら、それも慣れられる。秘密兵器は秘密やから怖いんやない。いつ来るか分からんから怖いんや」
智雄が小さくうなずいた。
慎一も同じだった。
準決勝で実際に超スローを使った二人には、その意味がよく分かる。
速球。
内角。
外角。
高低。
その中に突然、60キロ前後の球が落ちてくる。
超スローそのものを軸にするのではない。
速球を生かすために超スローを使い、超スローを生かすために速球を使う。
川原監督は正則を見る。
「明日の先発は、お前や」
「はい」
河内正則。
大阪府大会決勝の先発が正式に決まった。
スコアラーが鶴橋を丸裸にする
ここからが長かった。
真央と絵里が用意していた資料は、一軍の中心選手だけでは終わらなかった。
スタメン九人。
控え野手。
代打。
代走。
控え捕手。
そして登板する可能性がある投手。
ベンチ入りする鶴橋の選手全員。
一人ずつ分析していた。
真央が言う。
「決勝なので、スタメンだけ覚えても意味ありません。終盤に必ず交代があります」
控え選手たちも前へ身体を乗り出した。
自分が途中出場する可能性もある。
だからレギュラーだけが知っていればいい情報ではない。
鶴橋打線の傾向
真央が打者別の資料を開く。
上位打線は初球から積極的。
特に速球系のストライクには迷わずバットを出す。
一方、中軸は少し違う。
最初の数球を見ながら投手の球速とリリースを測り、二巡目以降に強くなる。
下位打線にも油断できない打者がいる。
打率だけなら目立たなくても、走者がいる場面で右方向へ進塁打を打つ選手。
バントが得意な選手。
ファウルで球数を稼ぐ選手。
代打では初球打ちの割合が高い選手もいる。
「そして一番注意してほしいのがこれ」
絵里が映像を止めた。
速球を空振りした鶴橋の打者。
次の打席。
同じ投手の速球をセンター前へ。
さらに次の打席。
今度は長打。
「試合中の修正速度が速い」
正則がつぶやいた。
「はい。だから同じ攻めを三打席続けないでください」
藤原航がメモを取る。
バッテリーにとって非常に重要な情報だった。
一巡目に外角中心なら、二巡目は内角を増やす。
速球を見せ続けたあとに超スロー。
あるいは逆に、一度超スローを見せたあと、しばらく使わない。
打者に答えを与えない。
それが決勝の配球テーマになる。
投手陣にも特徴がある
次は鶴橋の投手。
防御率3.85。
数字だけを見れば、天王寺ほどの圧倒的な投手陣ではない。
しかし真央は注意した。
「3.85だから打てる、とは考えないでください」
投手ごとに特徴が違う。
先発候補はストライク先行型。
速球そのものは正則たちほど速くないが、早いカウントから打たせてくる。
二番手候補は変化球が多く、打者のタイミングをずらすタイプ。
さらに終盤には、短いイニングなら球速を上げられる救援投手もいる。
そして鶴橋投手陣には共通点があった。
走者を出したあとに配球が単調になりやすい。
一塁に走者を置くと、盗塁を警戒して速球系が増える。
二、三塁になると、低めへ集めようとする意識が強くなる。
「つまり」
亜由美が言った。
「出塁したら、そこからさらに崩せる可能性がある」
「そう」
絵里がうなずく。
ただ打つだけではない。
四球。
バント。
盗塁。
エンドラン。
進塁打。
準決勝で天王寺を攻略したような攻撃も使える。
控え選手にも情報を共有する
ミーティングはまだ終わらない。
川上眞子。
朝倉美羽。
宮本さくら。
三宅奈緒。
藤原航。
加藤亜由美。
梶原和樹。
村瀬涼太。
正則たち投手陣。
そして控え選手まで、全員が同じ資料を見る。
川原監督が言った。
「明日は誰がヒーローになるか分からん」
スタメンが打てないかもしれない。
負傷や疲労で交代するかもしれない。
終盤、一本の代打が必要になるかもしれない。
一点を守るための守備固めが必要になるかもしれない。
一塁から一気にホームへ帰れる代走が必要になるかもしれない。
「控えやから関係ない、は決勝では通用せえへん。全員で覚えろ」
真央と絵里は最後に、鶴橋の打者一人ひとりの狙い球、打球方向、追い込まれた後の対応、バント傾向、走塁傾向まで確認した。
投手についても、カウント別の球種。
走者の有無による配球変化。
疲労したときに甘くなりやすいコース。
すべて共有する。
正則が資料を閉じた。
打率.310。
強力打線。
速球へ合わせる能力。
それでも、不思議と怖さはなかった。
正則には、自分たちにしかできない投球がある。
140キロ近い速球。
60キロ前後のおちょくりスローボール。
そして、その間にある無数の選択肢。
隣にいた亜由美が言った。
「正則」
「ん?」
「点取られても、うちらが取り返すから」
正則が笑った。
「鶴橋みたいなこと言うな」
「ええやん。打つで」
投手が抑える。
打者が取る。
守備が守る。
スコアラーが支える。
控え選手も準備する。
全国大会への切符を懸けた最後の一試合。
大阪タイタンズ対鶴橋ライオンズ。
投手力のタイタンズ。
打撃力のライオンズ。
正反対の二チームが、大阪の頂点を懸けてぶつかる。
次回予告
第○話「決勝プレーボール」
チーム打率――
鶴橋ライオンズ、.310。
大阪タイタンズ、.285。
チーム防御率――
鶴橋ライオンズ、3.85。
大阪タイタンズ、1.98。
数字だけを見れば、特徴は鮮明。
打って勝ってきた鶴橋。
抑えて勝ってきたタイタンズ。
決勝のマウンドへ向かうのは河内正則。
相手は、速球へ合わせることを得意とする強力打線。
正則が握るもう一つの武器は、60キロ前後のおちょくりスローボール。
だが、多投は禁止。
一方、タイタンズ打線には、真央と絵里が徹底分析した鶴橋投手陣のデータが渡される。
全国大会へ行けるのは、どちらか一つ。
次回、
「決勝プレーボール」
大阪府大会決勝。
大阪タイタンズ対鶴橋ライオンズ。
全国への最後の七イニングが始まる




