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河内正則・栄光への道  作者: リンダ


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夏の初陣、ベンチから始まる戦い

 河内正則 栄光への道

 第56話「夏の初陣、ベンチから始まる戦い」

 第一章 その判定、本当にアウトなのか

「アウト!」


 二塁塁審の右手が、高々と上がった。


 その瞬間、博多フューチャーズのベンチから驚きの声が上がった。


「ええっ!?」


「ちょっと待って! ボール落としたやろ!?」


「今の、セーフやなかったと!?」


 二塁ベースのそばには、白球が転がっていた。


 盗塁を試みた早良夏美は、滑り込んだ姿勢のまま、信じられないという表情で塁審を見上げている。


 相手の二塁手、大庭悠真が、捕手からの送球を受けてタッチした。


 タイミングは、確かにアウトだったかもしれない。


 しかし、タッチの直後にボールがグラブからこぼれ落ちたのだ。


 ベンチでは河内正則が立ち上がっていた。


「……あれでアウトなんか?」


 隣の加藤亜由美も首をかしげた。


「うちには落球したように見えたで。タッチがちゃんと成立しとったんやろか?」


 牧田和美も、二塁ベースを見つめている。


「私も疑問たい。ボールが落ちたのは、タッチした直後やったよね」


 城戸直哉監督も納得できない表情だった。


 しかし、判定はアウト。


 この一つのプレーが、夏の初戦に思いがけない波紋を広げることになる。


 時を少し戻そう。

 第二章 全国大会へつながる夏の初戦

 七月上旬。


 福岡市内の野球場には、朝から強い日差しが降り注いでいた。


 博多フューチャーズが迎えるのは、全国中学校野球大会、いわゆる全中へつながる夏の地区予選初戦。


 この物語の大会では、参加資格を満たした中学校の野球部と地域クラブチームが、地区予選から同じ全国大会を目指す。


 相手は、久留米市を拠点とする強豪クラブ、久留米セントラルズ。


 昨年も県内大会で上位進出を果たした実力派チームである。


 特に、先発投手の香月大河は直球とカーブを巧みに投げ分ける好投手として知られていた。


 さらに、一番の望月颯真、二番の花田海斗は足が速く、三番の村松大翔、四番の椎名翔悟、五番の黒瀬蒼汰へとつながる打線は、長打力も兼ね備えている。


 守備にも定評があり、二塁手の大庭悠真と遊撃手の花田海斗による二遊間の連係は、相手チームからも警戒されていた。


 試合前。


 城戸監督は、夏の大会に登録された二十人の選手たちを集めた。


「みんな、いよいよ初戦たい。今日まで練習してきたことを、しっかり出していこう」


 選手たちが大きな声で答えた。


「はい!」


「誰だってエラーはしたくなかよね。でも、エラーするのが怖くて、捕れそうな打球を追いかけんようになったらいかんよ」


 平松真帆コーチもうなずいた。


「失敗を減らすために準備することと、失敗が怖くて消極的になることは違うけんね。仲間と声をかけ合って、思い切ってプレーしよう」


 正則は静かにうなずいた。


 青柳家と柳川家で見せてもらった、小学四年生の光子と優子の演奏映像を思い出す。


 二人は、最初から上手に演奏できていたわけではない。


 何度も間違えながら、基本練習を繰り返してきた。


 そして世界的なミュージシャンとなった今でも、自分たちの演奏が完成したとは考えていない。


『うちらは、自分で自分の限界を決めんとよ』


 その言葉が、正則の胸に残っていた。


 そして城戸監督が、初戦のスターティングメンバーを発表した。

 第三章 両チームのスターティングメンバー

 夏の地区予選・初戦 先発オーダー

 打順博多フューチャーズ(後攻)守備久留米セントラルズ(先攻)守備

 1早良夏美(3年)中堅望月颯真(3年)中堅

 2秋山紘太(3年)遊撃花田海斗(3年)遊撃

 3篠崎玲奈(3年)三塁村松大翔(3年)三塁

 4南条悠斗(3年)一塁椎名翔悟(3年)一塁

 5早田航(3年)左翼黒瀬蒼汰(3年)左翼

 6相原健悟(3年)捕手原口優斗(2年)右翼

 7三浦康平(3年)二塁大庭悠真(3年)二塁

 8桑野光(3年)右翼宮原颯真(3年)捕手

 9藤岡蓮司(3年)投手香月大河(3年)投手


 久留米セントラルズの監督は川添剛士。


 控え選手には、代打として起用される二年生の鳥越直哉や、救援投手の三年生・塚本陽向らが控えていた。


 一方、博多フューチャーズは、経験豊富な三年生九人を先発に並べた。


 ベンチには二年生の水上遼太、土屋悠真、川野颯太、江尻栞、松崎結月。そして一年生の河内正則、加藤亜由美、牧田和美、国分颯斗、森下悠一、坂井雄二が控えている。


 城戸監督は一年生たちへ向き直った。


「正則君、相手打線の特徴をよう見とってね。途中から登板する可能性もあるけん」


「はい!」


「亜由美さんと和美ちゃんは、香月君の配球や相手内野手の動きを確認しておいてください」


「分かりました!」


「はい!」


 正則は野球ノートを開いた。


 亜由美と和美も、記録する準備を整えた。


 ベンチにいても、できることはある。


 それは、ファイブピーチ★の大畑小春から教わったことでもあった。


 城戸監督が最後に言った。


「ベンチにおる時間も、試合に参加しとる時間たい。みんなで戦おう!」


「はい!」


 両チームが整列した。


「よろしくお願いします!」


 いよいよ、全国大会へつながる大切な一戦が始まった。

 第四章 一回表、藤岡蓮司の立ち上がり

 一回表。


 マウンドに上がったのは、博多フューチャーズの三年生エース、藤岡蓮司。


 捕手は相原健悟。


 先頭打者は、久留米セントラルズの一番・望月颯真だった。


 望月は左打席に入り、バットを短めに持って構えた。


 藤岡が投げ込む。


 初球は外角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目はスライダー。


 望月は見送った。


 ボール。


 三球目。


 藤岡の直球を、望月が打ち返した。


 打球は遊撃方向へのゴロ。


 秋山紘太が落ち着いて捕球し、一塁へ送球する。


「アウト!」


 一死。


 続く二番・花田海斗。


 花田は、外角の直球を左翼方向へ打ち上げた。


 左翼手の早田航が落下点へ入る。


 パシッ!


「アウト!」


 二死。


 そして三番・村松大翔。


 村松は、藤岡の直球をセンター前へ打ち返した。


 カキーン!


 二死一塁。


 四番の椎名翔悟が打席に入った。


 体格のよい右打者だった。


 藤岡は、落ち着いてサインを確認した。


 初球。


 内角への直球。


 ストライク。


 二球目。


 外角へ外れる。


 ボール。


 三球目はスライダー。


 椎名が空振りした。


 1ボール2ストライク。


 四球目。


 藤岡が外角低めへ直球を投げ込んだ。


 椎名のバットが空を切る。


「ストライク、バッターアウト!」


 三アウト。


 藤岡は初回を無失点で切り抜けた。


 正則はベンチから大きな拍手を送った。


「藤岡先輩、ナイスピッチング!」


 藤岡が笑った。


「ありがとう! まだまだこれからたい!」


 正則は野球ノートに書き込んだ。


 村松には直球を打たれた。


 椎名には直球とスライダーを組み合わせ、最後は外角低めの直球で三振を奪った。


 同じ直球でも、投げる位置と前後の配球によって打者の反応は変わる。


 正則は、改めてその奥深さを感じていた。

 第五章 初回、盗塁をめぐる不可解な判定

 一回裏。


 久留米セントラルズの先発は、香月大河。


 先頭打者は早良夏美。


 香月は、直球とカーブを使いながら慎重に攻めた。


 早良も粘り強くボールを見極めた。


 そして、フルカウントからの六球目。


 外角へわずかに外れた。


「ボールフォア!」


 早良が一塁へ向かった。


 無死一塁。


 続く二番・秋山紘太が打席へ入った。


 初球は直球。


 ストライク。


 二球目はカーブ。


 ボール。


 三球目をファウル。


 四球目は低めへ外れた。


 これで2ボール2ストライク。


 一塁走者の早良が、少しずつリードを広げていた。


 久留米セントラルズの捕手、宮原颯真が一塁方向を見つめる。


 二塁手の大庭悠真は、わずかに二塁ベース寄りへ動いた。


 亜由美が小さくつぶやいた。


「……夏美先輩、走るかもしれへんな」


 和美もうなずいた。


「そうやね。タイミングを見よる」


 五球目。


 香月が投球動作に入った瞬間、早良がスタートした。


「走った!」


 秋山はバットを振らなかった。


 投球は低めへ外れ、ボール。


 カウントは3ボール2ストライクとなった。


 捕手の宮原が素早く立ち上がり、二塁へ送球する。


 送球は正確だった。


 二塁手の大庭がベース近くに入り、グラブを差し出した。


 早良が滑り込む。


 大庭がタッチする。


 しかし、その直後。


 ポロッ。


 白球がグラブからこぼれ落ちた。


 ベンチの正則が立ち上がる。


「セーフや!」


 亜由美も声を上げた。


「ボール落としたで!」


 しかし、二塁塁審は右手を高々と上げた。


「アウト!」


「ええっ!?」


 博多フューチャーズのベンチが騒然となった。


 早良も、思わず二塁塁審を見上げた。


「……今の、アウトですか?」


 塁審は短く答えた。


「アウトです」


 タイミングは確かに早かった。


 しかし、タッチとほとんど同時にボールが落ちたようにも見えた。


 果たして、タッチは有効に成立していたのだろうか。


 城戸監督の表情も険しくなっていた。

 第六章 「落球したのに、どうしてアウトなんですか?」

 城戸監督は球審にタイムを求め、判定について確認したいと申し出た。


 球審の了解を得ると、伝令役の二年生・土屋悠真に声をかけた。


「土屋君、二塁塁審に確認してきてくれんね。タッチと落球の関係を、どう判断されたのか聞いてみて」


「はい!」


 土屋は二塁へ向かった。


 塁審の前で立ち止まり、丁寧に頭を下げた。


「すみません。監督から判定について確認するように言われました」


「はい」


「先ほどの盗塁なんですが、送球が届いたタイミングはアウトだったかもしれません。でも、二塁手がボールを落としましたよね?」


 塁審はうなずいた。


「落球したことは確認しています」


 土屋は続けた。


「タイミングがアウトでも、落球したらセーフになるんじゃないですか?」


 塁審は落ち着いた口調で答えた。


「私の判断では、二塁手はボールを確実に保持した状態で走者にタッチしていました。そのあとで落球したと判断したため、アウトとしました」


 土屋は、少し考えた。


「でも、タッチした直後に落としたように見えたんです。タッチの衝撃で落ちた場合もアウトになるんですか?」


 塁審は答えた。


「私は、タッチが成立したと判断しています。判定はアウトです」


 それは、塁審の判断についての説明だった。


 しかし、タッチの衝撃でボールが外れた場合と、有効なタッチを終えたあとでボールを落とした場合とでは、ルール上の扱いに違いが生じ得る。


 土屋には、そこまでの説明が十分になされたとは思えなかった。


 それでも、それ以上言い争うことはしなかった。


「分かりました。監督に伝えます。ありがとうございました」


 土屋は頭を下げてベンチへ戻った。


 城戸監督は説明を聞き、眉を寄せた。


「……タッチしたときには保持しとった、という判断やね」


「はい。ただ、タッチの直後に落ちた場合については、詳しい説明はありませんでした」


 城戸監督は二塁方向を見つめた。


(タッチが早かったことと、ボールを確実に保持して有効なタッチが成立したことは、別の問題たい)


 監督には、まだ疑問が残っていた。


 しかし、試合は始まったばかりだった。


 これ以上長く判定の確認を続ければ、選手たちの集中にも影響する。


 城戸監督は、静かに答えた。


「分かった。ありがとう、土屋君」


 そして、選手たちへ声をかけた。


「みんな、切り替えよう! まだ初回たい!」


 早良もベンチへ戻ってきた。


「監督、今のは……」


 城戸監督はうなずいた。


「疑問が残る判定やったね。でも、今は試合に集中しよう。試合が終わったら、ルールをちゃんと確認するけん」


 早良は深呼吸した。


「……はい!」


 打席の秋山はフルカウントから遊撃ゴロに倒れ、二死。


 続く三番の篠崎玲奈も右翼フライ。


 三アウト。


 博多フューチャーズは、初回の好機を生かせなかった。


 ベンチでは正則が野球ノートを開いていた。


 しかし、しばらくペンが動かなかった。


「……なあ、亜由美」


「何?」


「今の判定、お前はどう思う?」


 亜由美は少し考えた。


「うちにはセーフに見えた。でも、ボールがいつ、どういう理由で落ちたかまでは、あの位置から断言できへんな」


 和美もうなずいた。


「私もたい。二塁手やけん、なおさら気になる。ちゃんとルールを確認したかね」


 正則はうなずいた。


「……せやな」


 そして、ノートに書いた。


『一回裏。早良先輩の二塁盗塁。大庭選手がタッチした直後に落球。判定はアウト。タッチが有効に成立したかは要確認』


 見えたことと、まだ分からないことを分ける。


 それも、青柳家と柳川家で教わった観察の基本だった。

 第七章 久留米セントラルズ、先制点を奪う

 二回表。


 打席には五番・黒瀬蒼汰が入った。


 黒瀬は左打席でバットを構え、藤岡の初球を見送った。


 ストライク。


 二球目。


 外角の直球を、黒瀬が鋭く打ち返した。


 カキーン!


 打球は左中間を抜けた。


 黒瀬は二塁へ滑り込む。


「セーフ!」


 無死二塁。


 続く六番・原口優斗が送りバントを決め、一死三塁となった。


 ここで七番・大庭悠真。


 先ほど盗塁の判定をめぐるプレーで、二塁守備についていた選手だった。


 大庭は、落ち着いて打席へ入った。


 初球。


 内角への直球。


 ファウル。


 二球目。


 外角へ外れる。


 ボール。


 三球目。


 藤岡の直球を、大庭がセンターへ打ち上げた。


 早良夏美が落下点へ入る。


 捕球。


 三塁走者の黒瀬がタッチアップした。


 早良から本塁へ送球。


 しかし、黒瀬の足がわずかに早かった。


「セーフ!」


 0対1。


 久留米セントラルズが先制した。


 ベンチでは正則が小さく息を吐いた。


「……長打一本と送りバント、犠牲フライで点を取ったんやな」


 亜由美もうなずいた。


「ヒットを何本も打たんでも、ちゃんと点が取れるんやね」


 続く八番・宮原颯真は、藤岡の外角低めの直球に空振り三振。


 三アウト。


 藤岡は一点を失ったものの、それ以上の失点は許さなかった。


 二回裏。


 博多フューチャーズは四番・南条悠斗が四球で出塁した。


 しかし、五番・早田航は空振り三振。


 六番・相原健悟は遊撃ゴロを放ち、一塁走者の南条が二塁で封殺された。


 二死一塁。


 七番・三浦康平も中堅フライに倒れ、得点は入らなかった。


 久留米セントラルズの香月大河は、走者を出しても慌てず、直球とカーブを丁寧に投げ分けていた。

 第八章 三回、早良夏美が自分のバットで取り返す

 三回表。


 久留米セントラルズの九番・香月大河は遊撃ゴロ。


 一番・望月颯真は中堅フライ。


 二死となってから二番・花田海斗がセンター前ヒットで出塁したが、三番・村松大翔は空振り三振に倒れた。


 三アウト。


 そして三回裏。


 博多フューチャーズの先頭は八番・桑野光。


 香月の直球を右前へ運び、無死一塁となった。


 続く九番・藤岡蓮司は送りバントを決めた。


 一死二塁。


 そして、打席には一番・早良夏美。


 初回、盗塁を試みた際にアウトと判定された選手だった。


 早良はバットを握り直した。


(……今度は自分のバットで返すばい)


 香月の初球は外角への直球。


 ストライク。


 二球目はカーブ。


 ボール。


 三球目。


 香月が投げ込んだ直球を、早良がセンター方向へ打ち返した。


 カキーン!


 打球は二遊間を抜けた。


「センター前ヒット!」


 二塁走者の桑野が三塁を回る。


 本塁へ送球される。


 しかし、桑野の足が早かった。


「セーフ!」


 1対1。


 博多フューチャーズが同点に追いついた。


 ベンチから大きな歓声が上がった。


「夏美先輩! ナイスバッティング!」


 早良は一塁上で小さく拳を握った。


 しかし、続く秋山紘太は遊撃ゴロ。


 花田海斗が捕球し、大庭悠真へ送球する。


 二塁アウト。


 さらに大庭から一塁へ。


「アウト!」


 ダブルプレー。


 三アウト。


 追加点は入らなかった。


 それでも、早良は初回の判定に気持ちを引きずられることなく、同点打を放った。


 正則は、ベンチからその姿を見つめていた。


「……強いな、夏美先輩」


 亜由美が尋ねた。


「何が?」


「さっきの判定、納得できへんかったと思うねん。でも、打席ではちゃんと自分の仕事をしとる」


 亜由美はうなずいた。


「ほんまやね。うちも見習わなあかんわ」

 第九章 強豪同士、一歩も譲らない

 四回表。


 久留米セントラルズの先頭は四番・椎名翔悟。


 藤岡の直球を見極め、四球で出塁した。


 無死一塁。


 続く五番・黒瀬蒼汰が、左中間へ二塁打を放った。


 椎名は三塁へ進み、無死二、三塁。


 ベンチでは城戸監督が、静かに守備位置を確認していた。


 六番・原口優斗。


 藤岡は内角への直球を投げ込んだ。


 原口はセンターへ高い飛球を打ち上げた。


 早良が落下点へ入る。


 捕球。


 三塁走者の椎名がスタートした。


 本塁へ送球する。


 しかし、椎名が先にホームベースへ触れた。


 1対2。


 久留米セントラルズが勝ち越した。


 一死二塁。


 七番・大庭悠真は、藤岡のスライダーに空振り三振。


 二死二塁。


 八番・宮原颯真は遊撃ゴロに倒れ、三アウトとなった。


 四回裏。


 博多フューチャーズは三番・篠崎玲奈が中堅フライに倒れたあと、四番・南条悠斗が左前安打で出塁した。


 五番・早田航は三振。


 二死一塁。


 六番・相原健悟が右前安打を放ち、二死一、二塁とした。


 しかし、七番・三浦康平は中堅フライ。


 得点は入らなかった。


 1対2。


 再び久留米セントラルズが一点をリードしていた。


 五回表。


 九番・香月大河は遊撃ゴロ。


 一番・望月颯真が右前安打で出塁したものの、二番・花田海斗は左翼フライ。


 三番・村松大翔も空振り三振。


 藤岡は五回を投げ切り、二失点でマウンドを降りた。


 ベンチへ戻った藤岡に、正則が声をかけた。


「藤岡先輩、ナイスピッチングでした!」


 藤岡は少し笑った。


「ありがとう。でも、二点取られたけんね。まだまだ磨かないかんところがあるばい」


 正則は、静かにうなずいた。


 世界的なミュージシャンになっても、もっと上手になりたいと話していた光子と優子。


 藤岡もまた、今の自分の技術に満足していなかった。


「……僕も、もっと上手になりたいです」


 正則がそう言うと、藤岡は笑顔になった。


「よかね。お互い頑張ろう!」

 第十章 五回裏、四球を選ぶことも立派な仕事

 五回裏。


 先頭は八番・桑野光。


 香月の直球を右前へ打ち返し、無死一塁となった。


 九番・藤岡蓮司は、この日二度目の送りバントを決めた。


 一死二塁。


 一番・早良夏美。


 早良は、低めの直球をセンター前へ運んだ。


 二塁走者の桑野が三塁を回る。


 ホームイン!


 2対2。


 再び同点となった。


 続く二番・秋山紘太は、冷静に四球を選んだ。


 一死一、二塁。


 三番・篠崎玲奈は中堅フライ。


 二死一、二塁。


 四番・南条悠斗も四球で出塁し、二死満塁となった。


 しかし、五番・早田航は香月のカーブに空振り三振。


 三アウト。


 逆転には至らなかった。


 ベンチへ戻った早田は、悔しそうにバットを置いた。


「……あと一本やった」


 城戸監督が声をかけた。


「そうやね。でも、まだ二回攻撃が残っとる。次の打席へ向けて準備しよう」


 早田はうなずいた。


「はい!」


 試合は2対2。


 両チームの選手たちが、最後まで粘り強い戦いを続けていた。

 第十一章 六回表、思いがけない失策

 六回表。


 博多フューチャーズは投手交代を行った。


 藤岡蓮司に代わり、二年生の水上遼太がマウンドへ上がった。


 捕手は引き続き相原健悟。


 久留米セントラルズの先頭は、三番・村松大翔だった。


 村松は、水上の直球を左中間へ打ち返した。


 カキーン!


 打球は外野手の間を抜ける。


 村松は二塁へ到達した。


 無死二塁。


 続いて四番・椎名翔悟。


 椎名は送りバントの構えを見せた。


 水上が投げ込む。


 コンッ!


 打球は三塁方向へ転がった。


 三塁手の篠崎玲奈が素早く前進する。


 捕球。


 しかし、急いで一塁へ送球しようとした瞬間、足の位置が乱れた。


「あっ!」


 送球が一塁手の南条悠斗の右側へそれた。


 南条がグラブを伸ばす。


 しかし、ボールはグラブの先をかすめて後方へ転がった。


 椎名は一塁へ到達。


 二塁走者の村松も三塁へ進んだ。


 無死一、三塁。


 記録は三塁手の失策だった。


 篠崎は悔しそうに声を上げた。


「……ごめん!」


 しかし、南条はすぐに返した。


「玲奈、まだ無死たい! 次のプレーへ集中しよう!」


 遊撃手の秋山も声をかけた。


「大丈夫! 一つずつアウトを取ろう!」


 篠崎は深呼吸した。


「……うん!」


 続く五番・黒瀬蒼汰。


 水上が外角への直球を投げ込む。


 黒瀬が振り抜いた。


 カキーン!


 打球はセンターへ高く上がった。


 早良夏美が後退する。


 そして捕球した。


 三塁走者の村松がスタート。


 早良は本塁へ送球したが、村松の足が先だった。


「セーフ!」


 2対3。


 久留米セントラルズが再び勝ち越した。


 一死一塁。


 しかし、水上はここから踏ん張った。


 六番・原口優斗が、外角への直球を打ち返す。


 打球は遊撃方向へのゴロ。


 秋山が捕球し、二塁ベースへ入った三浦康平へ送球した。


 二塁アウト。


 さらに三浦から南条へ。


「アウト!」


 ダブルプレー!


 三アウト。


 ベンチから大きな拍手が起こった。


「秋山先輩! 三浦先輩! ナイスプレー!」


 水上は安堵した表情でベンチへ戻った。


 篠崎は、申し訳なさそうに頭を下げた。


「みんな、ごめん。私のエラーで点を取られてしまった」


 城戸監督は静かに答えた。


「確かに、あの失策が失点につながったね。でも、今ここで自分を責め続けても、次のプレーはよくならんとよ」


 篠崎が顔を上げる。


「はい」


「捕球まではよかった。送球へ移るときに足が整っとらんかったことが課題たい。試合が終わったら、もう一回確認しよう」


「分かりました」


 平松コーチも声をかけた。


「まだ攻撃が残っとるよ。玲奈さんにも、次の打席があるかもしれんけんね」


 篠崎は少し笑った。


「はい!」


 正則は、その様子を見つめていた。


 誰もエラーをしたくてするわけではない。


 その一つのプレーで試合の流れが変わることもある。


 しかし、失敗した選手を責め続けても、失った一点は戻ってこない。


 必要なのは、次のプレーをどうするかだった。

 第十二章 亜由美、夏の公式戦初打席

 六回裏。


 博多フューチャーズは一点を追いかけていた。


 先頭は六番・相原健悟。


 相原は遊撃ゴロに倒れ、一死走者なし。


 ここで城戸監督が球審へ選手交代を告げた。


「代打、加藤亜由美」


 亜由美は大きく返事をした。


「はい!」


 場内アナウンスが響く。


「七番、三浦君に代わりまして、加藤さん」


 亜由美はヘルメットをかぶり直し、打席へ向かった。


(……やっと来た)


 大阪タイタンズ時代、全国準優勝を経験した亜由美。


 しかし、中学へ入ってからは上級生の速球や変化球に何度も苦しんできた。


 打てなかった日もある。


 守備で失敗して、レギュラー争いの厳しさを思い知らされた日もある。


 それでも、練習を続けてきた。


 ファイブピーチ★の五人から学んだこと。


 光子と優子が小学生の頃、何度も同じフレーズを練習していたこと。


 結音と灯乃が、親世代とは違う自分たちの音楽を追求していること。


 亜由美は、それらを思い出していた。


(……うちも、うちの野球を磨いてきたんや)


 そして、バットを構えた。


 相手投手は香月大河。


 初球。


 外角への直球。


 ストライク。


 二球目。


 低めのカーブ。


 亜由美はバットを止めた。


「ボール!」


 1ボール1ストライク。


(……焦ったらあかん)


 以前の自分なら、球種を当てようとしすぎてタイミングを失っていたかもしれない。


 しかし今は、打てる球を待つという考え方が少しずつ身についていた。


 三球目。


 香月が直球を投げ込んだ。


 少し外角寄り。


 高さは、亜由美の狙っていたところだった。


(……これや!)


 カキーン!


 鋭い打球が遊撃手の花田海斗の右側へ飛んだ。


 花田が横へ動く。


 グラブを伸ばす。


 しかし、打球はその先を抜けた。


「センター前ヒット!」


 亜由美は一塁へ駆け込んだ。


 一死一塁。


 夏の公式戦、初安打。


 ベンチから歓声が上がった。


「亜由美! ナイスバッティング!」


 正則も投球練習をしながら声を上げた。


「よう打ったな!」


 亜由美は一塁上で小さく拳を握った。


「……よし!」


 しかし、まだ一点負けている。


 喜ぶのは試合が終わってからだ。


 続く八番・桑野光が送りバントを決めた。


 二死二塁。


 亜由美が二塁へ進む。


 そして、城戸監督がもう一人の一年生を送り出した。


「代打、牧田和美」


 和美が大きく返事をした。


「はい!」


 九番、水上遼太に代わって、和美が打席へ入った。


 正則はベンチ近くから二人を見つめた。


(……亜由美と和美。今度は二人が同じ攻撃の中で戦うんやな)

 第十三章 和美の一打が、同点への道をつくる

 二死二塁。


 打席には牧田和美。


 二塁走者は加藤亜由美。


 中学へ進学して以来、同じ二塁手のポジションを争い続けてきた二人だった。


 和美は、ゆっくりとバットを構えた。


(……亜由美ちゃんをホームへ帰したか)


 初球。


 香月の直球は外角低め。


 ストライク。


 二球目。


 内角へ外れる。


 ボール。


 三球目はカーブ。


 和美は見送った。


 ボール。


 2ボール1ストライク。


 四球目。


 香月が外角へ直球を投げ込んだ。


 和美は、強引に引っ張ろうとはしなかった。


 コンパクトにバットを出す。


 カキン!


 打球は一、二塁間へのゴロ。


 二塁手の大庭悠真が横へ動いた。


 しかし、打球は大庭の右側を抜けかけた。


 大庭が飛びつく。


 グラブの先にボールが当たる。


 しかし、打球はそのまま外野の芝生へ転がった。


「ライト前ヒット!」


 和美が一塁へ駆け込んだ。


 二塁走者の亜由美は、三塁で止まった。


 二死一、三塁。


 和美は一塁上で小さく拳を握った。


「……よし!」


 ベンチでは平松コーチが拍手した。


「和美ちゃん、よかバッティングやったね!」


 正則も声を上げた。


「和美! ナイス!」


 亜由美は三塁上から和美へ笑顔を向けた。


「和美ちゃん、ありがとう!」


 和美も笑った。


「亜由美ちゃん、次は絶対にホームへ帰るけんね!」


 続く打者は一番・早良夏美。


 初回の盗塁判定。


 三回の同点打。


 五回の同点打。


 早良は、この試合ですでに何度も重要な場面を経験していた。


 香月の初球はカーブ。


 ボール。


 二球目。


 外角への直球。


 早良は、逆らわずに打ち返した。


 カキーン!


 打球は二遊間を抜けた。


「センター前ヒット!」


 三塁走者の亜由美がホームイン!


 3対3。


 博多フューチャーズが同点に追いついた。


 ベンチから大きな歓声が上がった。


「夏美先輩! ナイスバッティング!」


「亜由美! ナイスラン!」


「和美! ようつないだね!」


 一塁走者の和美は二塁へ進んだ。


 二死一、二塁。


 しかし、続く二番・秋山紘太は左翼フライ。


 三アウト。


 勝ち越しには至らなかった。


 それでも、亜由美と和美の連続安打が、同点への道をつくった。


 二人はベンチで顔を合わせた。


「和美ちゃん、ありがとう!」


 和美が笑った。


「亜由美ちゃんが先にヒットを打ってくれたけんたい!」


 亜由美は笑顔で続けた。


「次は、お互いもっとええ当たりを打とうな!」


「もちろんたい!」


 二人はグラブを合わせた。


 同じポジションを争うライバル。


 しかし、同じチームで戦うときは、心強い仲間でもある。


 そのことを、二人は改めて実感していた。

 第十四章 七回表、正則がマウンドへ

 七回表。


 3対3の同点。


 博多フューチャーズは投手交代を行った。


 水上遼太に代わり、河内正則がマウンドへ上がる。


 九番の打順には正則が入った。


 二塁には、三浦康平に代わって出場した亜由美がそのまま守備についた。


 正則は、深呼吸した。


(……夏の大会や)


 小学生時代の全国大会とは、また違う緊張感があった。


 中学生として初めての夏の公式戦。


 しかも同点の七回。


 一点も許したくない。


 捕手の相原健悟がマウンドへ近づいてきた。


「正則君、緊張しとる?」


 正則は苦笑した。


「めちゃくちゃ緊張してます」


 相原は少し笑った。


「そりゃそうたい。でも、今まで練習してきたことをやればよかよ」


「はい!」


「俺のミットを見て、思い切って投げてきんしゃい」


 正則は大きくうなずいた。


「分かりました!」


 相原がホームベースへ戻る。


 そして、七回表が始まった。


 久留米セントラルズの先頭は七番・大庭悠真。


 初回の盗塁判定で、二塁手としてタッチを行った選手だった。


 正則は、大庭を見つめた。


(……今は判定のことを考えたらあかん。目の前の打者や)


 初球。


 外角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目。


 内角へ外れる。


 ボール。


 三球目。


 外角への直球を、大庭がファウルにした。


 1ボール2ストライク。


 四球目。


 相原のミットが外角低めへ構えられた。


 正則は丁寧に腕を振った。


 大庭がバットを振る。


 空振り!


「ストライク、バッターアウト!」


 一死。


 正則は小さく拳を握った。


(……よし!)


 続く八番・宮原颯真。


 宮原は、正則の直球をセンター前へ打ち返した。


 カキーン!


 一死一塁。


 正則は一塁走者の動きを確認した。


 そして、相原とサインを交換する。


 ここで久留米セントラルズの川添監督が動いた。


「九番・香月に代打、鳥越直哉!」


 二年生の鳥越直哉が打席へ入った。


 鳥越は、バントの構えを見せている。


 正則は、落ち着いて投げ込んだ。


 初球は外角への直球。


 ストライク。


 二球目。


 鳥越がバットを引き、打ち返した。


 打球は二塁方向へのゴロ。


 亜由美が素早く反応した。


 パシッ!


 捕球成功。


 一塁走者の宮原はすでに二塁へ近づいていた。


 亜由美は無理に二塁へ投げず、一塁へ正確に送球する。


「アウト!」


 二死二塁。


 正則はマウンドから声をかけた。


「亜由美! ナイスプレー!」


 亜由美は笑った。


「正則! あと一人やで!」


 そして打席には、一番・望月颯真。


 足の速い左打者だった。


 二塁走者は宮原颯真。


 一本の安打で勝ち越される可能性がある。


 正則は深呼吸した。


 初球。


 外角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目。


 内角へ外れた。


 ボール。


 三球目。


 望月が鋭く振り抜いた。


 カキーン!


 打球はセンター方向へ高く上がった。


 中堅手の坂井雄二が後退する。


「俺が捕るばい!」


 坂井が落下点へ入った。


 両手でグラブを構える。


 パシッ!


「アウト!」


 三アウト。


 七回表を無失点に抑えた。


 正則はマウンド上で大きく息を吐いた。


「……よっしゃ!」


 ベンチから歓声が上がった。


「正則! ナイスピッチング!」


 亜由美も駆け寄ってきた。


「正則、よう抑えたな!」


 正則は笑った。


「亜由美もナイス守備やったで!」


 相原が二人へ声をかけた。


「二人とも、よかプレーやったね!」


 しかし、城戸監督がすぐに言った。


「みんな、まだ試合は終わっとらんよ! 今度は打つほうたい!」


 選手たちは大きな声で答えた。


「はい!」


 七回裏。


 3対3。


 博多フューチャーズは、最後の攻撃を迎えた。

 第十五章 篠崎玲奈、失策の悔しさをバットに込める

 七回裏。


 博多フューチャーズの攻撃。


 久留米セントラルズは、代打で出場した鳥越直哉に代えて、三年生の救援投手・塚本陽向をマウンドへ送った。


 塚本は、直球の勢いを生かして打者を押し込むタイプの投手だった。


 先頭は三番・篠崎玲奈。


 六回表、三塁への送りバントを処理する際に送球を乱し、失点につながる失策を記録した選手である。


 篠崎は打席へ向かいながら、あの場面を思い出していた。


(……一つのエラーで、みんなに迷惑をかけてしまった)


 しかし、すぐに別の言葉が浮かんだ。


 城戸監督の言葉。


『今ここで自分を責め続けても、次のプレーはよくならんとよ』


 そして、ファイブピーチ★のメンバーが話していたこと。


 失敗したら、その理由を考える。


 今できないことでも、次はできるかもしれない。


 自分で自分の限界を決めない。


 篠崎は、静かにバットを構えた。


 初球。


 塚本が外角へ直球を投げ込んだ。


 ストライク。


 二球目。


 低めへ外れる。


 ボール。


 三球目。


 塚本が投げ込んだ直球を、篠崎が鋭く振り抜いた。


 カキィィン!


 打球は左中間へ飛んだ。


 左翼手の黒瀬蒼汰が追いかける。


 中堅手の望月颯真も走る。


 しかし、打球は二人の間へ落ちた。


「長打だ!」


 篠崎は一塁を蹴り、二塁へ向かった。


 滑り込む。


「セーフ!」


 無死二塁。


 ベンチから歓声が上がった。


「玲奈先輩! ナイスバッティング!」


 亜由美も和美も、大きく拍手した。


 篠崎は二塁上で小さく拳を握った。


(……まだ終わっとらん)


 続く四番・南条悠斗。


 南条は、塚本の直球を二塁方向へ打ち返した。


 大庭悠真が捕球する。


 一塁へ送球。


「アウト!」


 その間に篠崎は三塁へ進んだ。


 一死三塁。


 そして、五番・早田航が打席へ入った。


 久留米セントラルズの川添監督は、守備位置を確認した。


 外野手たちも、浅い飛球で三塁走者を簡単に生還させないよう準備している。


 早田は、ゆっくりとバットを構えた。


 初球。


 内角へ外れる。


 ボール。


 二球目。


 外角低めへの直球。


 ストライク。


 三球目。


 塚本が投げ込んだ直球を、早田が振り抜いた。


 カキーン!


 打球は中堅方向へ高く上がった。


 望月颯真が後退する。


 落下点に入った。


 そして捕球。


「アウト!」


 しかし、その瞬間。


 三塁走者の篠崎がスタートした。


 望月が素早く本塁へ返球する。


 捕手の宮原颯真がミットを構えた。


 篠崎が滑り込む。


 送球が届く。


 宮原がタッチを試みた。


 しかし、篠崎の足が先にホームベースへ触れた。


「セーフ!」


 4対3!


 博多フューチャーズのサヨナラ勝ちだった。


 一塁側ベンチから歓声が上がった。


「やったぁ!」


「初戦突破たい!」


「早田先輩、ナイスバッティング!」


 篠崎は立ち上がり、早田のところへ駆け寄った。


「航、ありがとう!」


 早田は笑った。


「玲奈が二塁打を打ってくれたけんたい!」


 南条も加わった。


「俺の進塁打も忘れんでね!」


 篠崎が吹き出した。


「もちろんたい!」


 三人は声を上げて笑った。


 それを見ていた正則は、静かにうなずいた。


「……すごいな」


 亜由美が尋ねた。


「何が?」


「エラーしても、次の打席でちゃんと仕事しとる。三年生って、やっぱりすごいわ」


 亜由美もうなずいた。


「ほんまやね。うちらも、もっと成長せなあかんわ」


 和美が笑った。


「そうたい!」


 三人は拳を合わせた。

 第十六章 夏の初戦、4対3で勝利

 夏の地区予選・初戦 試合結果

 チーム1234567計

 久留米セントラルズ01010103

 博多フューチャーズ0010111×4


 博多フューチャーズ 4-3 久留米セントラルズ

 博多の投手リレー:藤岡蓮司(5回2失点)、水上遼太(1回1失点)、河内正則(1回無失点)。久留米の投手リレー:香月大河(6回3失点)、塚本陽向(7回途中1失点)。

 試合終了後。


 両チームは整列した。


「ありがとうございました!」


 久留米セントラルズの選手たちは、悔しそうな表情を浮かべていた。


 特に、七回裏に救援登板した塚本陽向は、しばらくマウンドを見つめていた。


 そこへ捕手の宮原颯真が近づいた。


「陽向、最後の球、悪い球じゃなかったよ」


 塚本は小さくうなずいた。


「……でも、打たれた」


 宮原は続けた。


「次は、もっといい球を投げよう。俺も配球を考え直すけん」


 塚本は顔を上げた。


「……ありがとう」


 そして、二人はグラブを合わせた。


 一方、博多フューチャーズの選手たちは、初戦突破の喜びをかみしめていた。


 しかし、城戸監督は全員を集めると、静かに話し始めた。


「みんな、初戦突破おめでとう!」


「ありがとうございます!」


「今日は接戦を勝ち切れたね。でも、勝ったから全部よかったというわけじゃなかよ」


 選手たちがうなずいた。


「守備で失策もあったし、走者を進める攻撃では相手のほうがうまかった場面もあったね。次の試合へ向けて、改善していこう」


 そして、正則へ向き直った。


「正則君、七回の投球はよかったよ」


「ありがとうございます!」


「でも、宮原君にはセンター前へ打たれたね。走者が出てから、どげん配球するかも、もっと勉強していこう」


 正則はうなずいた。


「はい!」


 続いて亜由美へ。


「亜由美さん、六回の安打はよかったね。守備でも落ち着いてアウトを取れとった」


「ありがとうございます!」


 そして和美へ。


「和美ちゃんも、よか安打やったよ。亜由美さんを三塁へ進められたことが、同点につながったね」


 和美は笑顔で答えた。


「ありがとうございます!」


 しかし、城戸監督は続けた。


「二人とも、まだレギュラー争いは続いとるけんね。三浦君も川野君もおる。もっと上手になれるように頑張ろう」


 亜由美と和美は、そろって答えた。


「はい!」


 城戸監督は最後に、全選手へ向き直った。


「それから、初回の盗塁判定については、改めて話したかことがあります」


 早良夏美が顔を上げた。


「監督、あの判定のことですか?」


「そうたい」


 城戸監督は静かにうなずいた。


「試合には勝ったけど、ルールの解釈について疑問が残っとる。だから、正式に確認したいと思います」

 第十七章 勝っても、判定への疑問は残る

 試合終了後。


 城戸監督は平松コーチと一緒に、初回の二塁盗塁について改めて確認していた。


 試合記録には、早良夏美の盗塁死が記されている。


 一回裏。


 無死一塁。


 二番・秋山紘太のカウントは2ボール2ストライク。


 五球目に早良がスタート。


 捕手の宮原颯真が二塁へ送球した。


 二塁手の大庭悠真がタッチ。


 しかし、その直後に落球した。


 そして、判定はアウト。


 城戸監督は、静かに言った。


「真帆さん。今日のプレー、どう見えました?」


 平松コーチは少し考えた。


「私には、タッチの直後にボールがこぼれたように見えました。でも、タッチの瞬間にどれくらい確実に保持できていたかまでは、断言できません」


 城戸監督はうなずいた。


「そうやね」


「塁審は、保持した状態でタッチが成立したと判断されたんですよね」


「うん。でも、そのあとすぐに落球したことを、どう評価するのか。そこが気になるとよ」


 平松コーチは続けた。


「タッチの衝撃で落球したのか、それとも有効なタッチを終えたあと、別の動作でボールが落ちたのか。その違いは大切ですね」


 城戸監督は静かにうなずいた。


「そうたい」


 そして、少し考えた。


「試合中に何度も説明を求めて、審判と押し問答を続けることは避けたかった。でも、疑問が残っとることを、そのままにしてよかとは思わんとよ」


 平松コーチも同意した。


「選手たちがルールを正しく理解するためにも、確認したほうがよかですね」


 城戸監督は決意した。


「大会運営団体を通して、全国中学校野球連盟へ公開質問状を送ろう」

 第十八章 城戸監督の公開質問状

 その日の夕方。


 爆笑発電所スポーツ事業部の会議室。


 城戸監督と平松コーチは、パソコンの画面を見つめながら、公開質問状の文章を作成していた。


 二人が大切にしたのは、特定の審判を責めることではなかった。


 確認したいのは、タッチプレーと落球に関するルールの解釈である。


 そして、今後同じようなプレーが発生した場合、選手や指導者が正しく理解できるようにすることだった。

 公開質問状(物語中の文面)


 宛先:全国中学校野球連盟


 本日の夏季地区予選において、二塁盗塁を試みた走者に対し、二塁手がタッチした直後にボールを落とすプレーが発生しました。


 当該プレーはアウトと判定され、塁審からは「ボールを確実に保持した状態でタッチが成立し、その後に落球した」との説明を受けました。


 今後のルール理解と適切な指導のため、以下の点についてご教示いただきたく存じます。

 1. 走者へのタッチが成立するためには、どのようなボールの保持状態が必要でしょうか。

 2. 走者へタッチした瞬間、または直後に落球した場合、タッチの有効性はどのように判断されるのでしょうか。

 3. タッチの衝撃による落球と、タッチ成立後の独立した動作による落球は、どのように区別されるのでしょうか。

 4. 判断が難しいプレーについて、監督が審判団へ適切に確認するための手順をご教示ください。

 5. 選手・指導者の理解を深めるため、具体的な判定事例を公開していただくことは可能でしょうか。

 なお、本質問は試合結果の変更や特定の審判員の責任追及を目的とするものではありません。


 公平な競技運営と、選手・指導者のルール理解向上のため、正式な解説をお願い申し上げます。


 博多フューチャーズ


 監督 城戸直哉


 文章を読み終えた城戸監督は、小さく息を吐いた。


「……これなら、聞きたいことが伝わるやろうか」


 平松コーチはうなずいた。


「はい。感情的な抗議じゃなくて、ルールの確認になっとると思います」


 そして、少し真剣な表情になった。


「ただ、今日の実際の判定が正しかったかどうかは、プレーの瞬間を十分に確認できる資料がなければ、断定できませんね」


 城戸監督もうなずいた。


「そうやね。そこも正直に伝えよう」


 そして、完成した質問状を大会運営団体へ提出し、連盟への正式な照会を依頼した。


 回答は、まだ届いていない。


 しかし、疑問を正しい手順で問いかけるという最初の一歩は踏み出された。

 第十九章 大阪にも届いた、初戦突破の知らせ

 その頃、大阪市の西九条中学校では、池永智雄たちが夏の公式戦へ向けて練習を続けていた。


 三年生エースの若狭大地が、ブルペンで投げ込んでいる。


 バシィィン!


 智雄は、その投球を注意深く観察していた。


 若狭が声をかけた。


「智雄、最近、直球の制球がよくなってきたな」


 智雄は笑った。


「ありがとうございます!」


「でも、次の試合では、もっと強い打者も出てくるで」


「はい!」


 その後、練習の休憩時間。


 智雄のスマートフォンへ、正則からメッセージが届いた。

 正則:智雄! 夏の初戦、4対3で勝ったで! 俺も七回を投げて無失点に抑えた!


 智雄は思わず声を上げた。


「おおっ!」


 隣にいた宮本さくらが尋ねた。


「どうしたん?」


「正則たち、初戦突破やって!」


 西村奈緒も笑顔になった。


「すごいやん!」


 智雄はすぐに返信した。

 智雄:正則、おめでとう! 七回を無失点か。やるやん!


 正則から再び返信が届いた。

 正則:おおきに! でも、まだまだ課題はいっぱいや。もっと制球を磨かなあかん!


 智雄は笑った。


「……ほんま、あいつらしいな」


 さくらも笑った。


「正則も中学に入って、いろいろ勉強しとるんやね」


 奈緒がうなずいた。


「うちらも負けてられへんで!」


 智雄は力強く答えた。


「当たり前や!」


 そして、三人は再びグラウンドへ向かった。


 大阪でも、博多でも、同じように暑い夏が始まっていた。

 第二十章 悠翔も考える、タッチと落球

 同じ日の夜。


 柳川家では、優子と拓実、結音、灯乃、悠翔が夕食を囲んでいた。


 悠翔は、正則たちの初戦突破を聞いて喜んでいた。


「正則君たち、勝ったっちゃね!」


 優子が笑顔で答えた。


「そうたい! 初戦から接戦やったらしかよ」


 結音も続けた。


「亜由美さんもヒットを打ったっちゃって!」


 灯乃が笑った。


「和美ちゃんも、安打で同点につながるチャンスを広げたらしかね!」


 悠翔は嬉しそうにうなずいた。


「すごかね!」


 しかし、正則から届いた試合の話には、もう一つ気になる出来事があった。


 初回の二塁盗塁をめぐる判定だった。


 悠翔は父の拓実へ尋ねた。


「お父さん、タッチした直後にボールを落としたら、アウトになると?」


 拓実は少し考えた。


「大切なのは、どういう状態でタッチしたかということだね」


「……そうなん?」


「うん。ボールを確実に保持して有効なタッチが成立したのか、それともタッチの衝撃でボールが外れたのか。そこを正しく判断する必要があるんだ」


 悠翔はうなずいた。


「なるほど」


 優子も話し始めた。


「悠翔、城戸監督が正式に質問しとるらしかけん、まずは説明を待とうね」


「うん」


「でも、疑問に思ったことをちゃんと調べるのは大切たい」


 結音も続けた。


「うちらも曲をつくるとき、知らんことがあったら調べるけんね。思い込みだけで進めたら、あとで困ることもあるとよ」


 灯乃が笑顔でうなずいた。


「最初に思いついたことが、必ず正しかとは限らんもんね」


 悠翔は、静かに考えていた。


 野球でも、音楽でも、卓球でも同じだ。


 自分が見たものや、最初に考えたことが必ず正しいとは限らない。


 だから、確かめる。


 そして、学ぶ。


 悠翔は笑顔になった。


「僕も、もっとルールを勉強したか!」


 拓実がうなずいた。


「よかね。ルールを理解していれば、自分のプレーにも生かせるからね」


 優子は少し悪戯っぽく笑った。


「ただし、分からんことがあったら、まず自分でも調べてみんしゃい。何でも『お母さーん!』って呼ばんごとね!」


 悠翔が吹き出した。


「お母さん! 最後にそこへ持っていくと!?」


 結音も灯乃も大笑いした。


 柳川家の食卓には、いつもの明るい笑い声が響いていた。

 第二十一章 勝ったからこそ、見直すことがある

 その夜。


 博多南中学校の寄宿舎。


 正則は、同室の寺島湊と今日の試合について話していた。


「正則君、初戦突破おめでとう」


 湊が笑顔で声をかけた。


 正則は笑った。


「おおきに!」


「正則君自身はどうだった?」


「七回を無失点に抑えられたで。でも、ヒットも打たれたし、まだまだやと思う」


 湊はうなずいた。


 正則は続けた。


「それに、初回の判定も気になるねん。監督が正式に質問状を出したらしいから、俺もちゃんと勉強したいわ」


「そうだね」


 正則は、野球ノートを開いた。


 そこには、今日の試合の記録が書かれている。


 久留米セントラルズの九人の打者について、それぞれの特徴を整理していた。


 望月颯真の俊足。


 花田海斗の堅実な打撃と守備。


 村松大翔の長打。


 椎名翔悟の選球眼。


 黒瀬蒼汰の左打席からの鋭い打球。


 原口優斗の送りバントと犠牲フライ。


 大庭悠真の二塁守備。


 宮原颯真の捕手としての送球。


 香月大河の直球とカーブ。


 そして、代打で出場した鳥越直哉、七回に救援登板した塚本陽向。


 正則は、ノートを見つめながら静かに言った。


「……相手の選手も、みんな必死に練習してきたんやろな」


 湊がうなずいた。


「そうだね」


「だから、勝ててうれしいけど、久留米セントラルズもすごいチームやったと思う」


 正則は少し笑った。


「……また対戦したいわ」


 そして、ノートの最後に書き加えた。


『勝ったからといって、自分たちが完璧だったわけではない。相手のよかったところも学ぶ』


 一方、女子居住区域。


 亜由美は同室の桐原澪と、今日の試合を振り返っていた。


「亜由美ちゃん、夏の初戦でヒットを打てたんだってね!」


 澪が笑顔で声をかけた。


 亜由美も笑った。


「うん! ほんまにうれしかったわ」


「すごいね!」


「でもな、うちがホームへ帰れたのは、和美ちゃんが次につないでくれたおかげでもあるねん」


 澪がうなずいた。


「いいチームワークだね」


 亜由美は笑顔になった。


「そうやろ?」


 そして、少し真剣な表情になった。


「うちと和美ちゃん、今でもセカンドのレギュラー争いをしとる。でも、試合では本当に頼りになる仲間やねん」


 澪は優しく微笑んだ。


「いい関係だね」


 亜由美はうなずいた。


「うん。でも、次の試合では、うちがもっと打って守れるようになりたいわ」


 そして、野球ノートへ書き込んだ。


『仲間を尊重することと、負けたくないと思うことは矛盾しない』


 さらに、もう一行。


『自分が見たことも、必ず正しいとは限らない。だからこそ確かめる』


 亜由美は、ゆっくりとペンを置いた。

 第二十二章 次の一球へ

 翌日。


 博多フューチャーズの選手たちは、いつもどおり練習場へ集まっていた。


 初戦突破の喜びはある。


 しかし、次の試合はすぐにやってくる。


 城戸監督が全員へ話しかけた。


「みんな、昨日はお疲れさまでした。今日は試合で見つかった課題を確認していこう」


「はい!」


「守備の連係、走者がおる場面での判断、そして投手の配球。もう一度、練習していこうね」


 そして、少し間を置いた。


「初回の盗塁判定については、正式に質問状を提出しました。回答が届いたら、みんなにも説明するけんね」


 早良が頭を下げた。


「ありがとうございます」


 城戸監督はうなずいた。


「よかよ。疑問を確認することは大切たい。でも、今は次の試合へ向けて準備しよう」


「はい!」


 正則は投手陣の練習へ向かった。


 亜由美と和美は二塁守備の練習場へ。


 坂井は外野守備。


 森下は捕手の練習。


 上級生たちも、それぞれの課題に取り組み始めた。


 正則が亜由美へ声をかけた。


「亜由美!」


「何?」


「昨日はナイスバッティングやったな!」


 亜由美は笑った。


「ありがとう! 正則も七回、よう抑えたやん!」


 和美も近づいてきた。


「二人とも、次も頑張ろうね!」


 正則がうなずいた。


「おう!」


 亜由美も笑った。


「でも、うち、次はもっと打ちたいわ!」


 和美も負けずに答えた。


「私もたい!」


 正則はニヤリと笑った。


「ほな、俺はお前ら二人を抑えられるくらい、もっとええピッチャーになるで!」


 亜由美が即座に返した。


「何言うてんねん! 正則の球は、うちらが打ったるわ!」


 和美も大笑いした。


「そうたい!」


 三人は笑顔で拳を合わせた。


 初戦突破。


 しかし、全国大会への道は、まだ始まったばかりだった。


 これから、もっと強い相手が待っている。


 思うようにいかない試合もあるだろう。


 納得できない出来事が起きることもあるかもしれない。


 しかし、選手たちは、自分で自分の限界を決めるつもりはなかった。


 そして、勝利の喜びに浸るだけで、昨日の疑問や失敗を忘れるつもりもなかった。


 勝ったからといって、すべてが正しかったわけではない。疑問を確かめ、失敗を見直し、次の一球へ生かす。それもまた、成長するために必要なことだった。


 博多フューチャーズの夏は、まだ始まったばかりである。


 次回予告

 第57話「公開質問状への回答、タッチプレーの真実」

 夏の地区予選初戦を4対3で制した博多フューチャーズ。


 しかし、一回裏の二塁盗塁をめぐる判定には、疑問が残っていた。


 早良夏美が二塁へ滑り込む。


 捕手の宮原颯真から送球を受けた二塁手・大庭悠真がタッチ。


 その直後、ボールはグラブからこぼれ落ちた。


 それでも、判定はアウト。


 城戸直哉監督は、正式な手続きを経て全国中学校野球連盟へ公開質問状を提出した。


 タッチした瞬間、ボールは確実に保持されていたのか。


 タッチの衝撃による落球は、どのように判断されるのか。


 そして、審判の判定に疑問が生じたとき、監督や選手はどのような手順で確認すればよいのか。


 やがて、連盟から回答が届く。


 しかし、その内容を読んだ正則と亜由美、和美たちは、さらに大切なことを考えるようになる。


 一方、地区予選は二回戦へ。


 次の相手は、投手力に定評のある強豪チーム。


 城戸監督は、選手たちの起用を改めて検討し始める。


 正則は救援投手としての信頼を高め、亜由美と和美は二塁手のレギュラー争いを続けていた。


 大阪の西九条中学校では、池永智雄たちが次の公式戦に挑む。


 そして博多リトルスターズでは、柳川悠翔が四番打者兼キャプテンとして、全国大会へつながる地区予選を勝ち進んでいた。


 次回、第57話「公開質問状への回答、タッチプレーの真実」。


 ルールを知ることは、勝つためだけではない。公平な勝負を守り、相手を尊重するためでもある。正則たちは、野球の技術と同じくらい大切なことを、また一つ学ぼうとしていた。

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