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河内正則・栄光への道  作者: リンダ


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公開質問状への回答、タッチプレーの真実

 河内正則栄光への道

 第57話「公開質問状への回答、タッチプレーの真実」

 第一章 連盟から届いた一通の回答

「監督、これ、やっぱりセーフになる場合があるってことですよね?」


 加藤亜由美が、少し驚いた表情で尋ねた。


 隣では河内正則が、配られた資料を真剣に読んでいた。


「せやけど、ただボールを落としたからセーフっていう話でもないみたいやな」


 牧田和美もうなずいた。


「タッチしたときだけじゃなくて、そのあとボールがどげんな状態やったかが大切なんやね」


 七月上旬。


 博多フューチャーズの夏の地区予選初戦から、三日が過ぎていた。


 久留米セントラルズとの試合は、4対3で博多フューチャーズがサヨナラ勝ちを収めた。


 しかし、一回裏の二塁盗塁をめぐる判定には、疑問が残っていた。


 一塁走者の早良夏美が、二塁盗塁を試みた。


 久留米セントラルズの捕手・宮原颯真からの送球を、二塁手の大庭悠真が受ける。


 そして、走者がベースへ到達する直前にタッチ。


 ところが、タッチの直後にボールがグラブからこぼれ落ちた。


 判定はアウト。


 城戸直哉監督は説明を求めたものの、納得できない部分が残った。


 そこで大会運営団体を通じ、全国中学校野球連盟へ公開質問状を提出したのである。


 そして、その回答が届いた。


 城戸監督は、練習開始前に選手たちを集めた。


「みんな、今日は練習に入る前に、少しルールの勉強をしようか」


 選手たちがうなずいた。


「はい!」


「前の試合で、夏美さんが盗塁を試みた場面を覚えとるね?」


 早良が手を挙げた。


「はい。二塁へ滑り込んだとき、相手の二塁手がボールを落としたんです。でも、アウトになりました」


 城戸監督はうなずいた。


「そうやね。あの判定について、連盟から回答が届きました」


 その言葉に、選手たちの表情が引き締まった。


 正則も亜由美も、真剣な表情で資料を見つめていた。

 第二章 タッチした瞬間にボールを持っていればいいのか

 城戸監督は、まず野球規則におけるタッチプレーの基本を説明した。


「みんな、走者にタッチするときは、野手がボールを確実に保持しとらんといかんよね」


 捕手の相原健悟が答えた。


「はい。ボールを持っとらんグラブで触っても、アウトにはできんけんです」


「そうたい」


 城戸監督は続けた。


「でもね、今回確認したかったのは、タッチした直後にボールを落とした場合たい」


 そして、回答書を読み上げた。

 タッグプレーでは、野手がボールを確実に保持した状態で走者に触れ、完全にボールを支配していたことが認められる必要があります。


 走者に触れた瞬間、またはその直後に落球した場合は、原則として有効なタッグとは認められません。


 一方、有効なタッグが完了したあと、例えば次の送球動作に移る過程でボールを落とした場合は、すでに成立したアウトが取り消されるわけではありません。


 したがって、落球の有無だけでなく、ボールの確実な保持と落球に至った一連の動作を確認する必要があります。


 正則は思わず顔を上げた。


「……ちょっと待ってください」


 城戸監督がうなずいた。


「何ね?」


「相手の大庭選手は、タッチした直後にボールを落としたんですよね。それやったら、タッチが成立してへん可能性もあるってことですか?」


「そうたい。そこが重要なところやね」


 亜由美も手を挙げた。


「監督、うちも質問があります」


「どうぞ」


「タッチのタイミングが早かったとしても、ボールを確実に保持できてへんかったら、アウトにはならへんってことですよね?」


 城戸監督はうなずいた。


「そのとおりたい」


 三浦康平が尋ねた。


「じゃあ、タッチしたあとにボールを落としたら、全部セーフになるとですか?」


 城戸監督は首を横に振った。


「いや、そういうわけじゃなかよ」


 そして、グラブとボールを取り出した。


「実際にやってみようか」

 第三章 実際にボールを使って確認する

 城戸監督は、二塁手の三浦康平と牧田和美に協力を求めた。


「三浦君、グラブを構えてみて」


「はい!」


 城戸監督は、ボールをグラブへ入れた。


 そして、走者役の和美へゆっくりとタッチするように指示した。


「まず、しっかりボールを持ったままタッチしてみよう」


 三浦が和美の腕へ軽くタッチする。


 そのあと、ボールを保持したままグラブを離した。


「ここまで、確実にボールを持っとるね」


「はい」


「このあと、例えば次の塁へ送球しようとしてボールを落としたとしても、すでに有効なタッチが成立しとれば、アウトは取り消されんとよ」


 正則がうなずいた。


「なるほど」


 次に城戸監督は、別の動きを見せた。


「今度は、タッチした衝撃でボールがグラブから外れた場合を考えてみよう」


 三浦はボールを持ったグラブで和美に軽く触れた。


 その直後、ボールを地面へ落とす。


「この場合は、ボールを確実に支配しとったことが証明できんけん、有効なタッチにはならんというのが基本たい」


 亜由美は静かにうなずいた。


「……そういうことなんですね」


 和美も考え込んだ。


「じゃあ、私たち二塁手は、ただ走者に早くタッチするだけじゃ足りんとですね」


 三浦が続けた。


「タッチしたあとも、ボールを確実に保持せんといかんってことたい」


 城戸監督はうなずいた。


「そうやね。ただし、走者を強くたたく必要はなかよ。確実に送球を捕って、安全にタッチすることが大切たい」


 そこで、平松真帆コーチが口を開いた。


「それから、走者側も注意せんといかんよ。相手に故意にぶつかってボールを落とさせるような危険なプレーは、別の問題になるけんね」


 和美が大きくうなずいた。


「はい!」


 正則は、ふと思い出した。


 青柳家と柳川家で教わった、観察力の話。


 見たこと。


 分かったこと。


 そして、まだ分からないこと。


 それらを分けて考えるという習慣だった。


「……監督」


「何ね?」


「じゃあ、あの試合の判定は、やっぱり間違いやったんですか?」


 城戸監督は、すぐには答えなかった。


 そして、静かに言った。


「そこは、まだ断定できんとよ」

 第四章 判定の真実は、簡単には決められない

 城戸監督は、回答書の続きへ目を落とした。

 今回の具体的な判定については、審判員からの報告と提出された試合記録を確認しました。


 ただし、走者への接触と落球の瞬間を十分な精度で確認できる映像資料がなく、タッグが有効に成立していたかについて、事後的に断定することは困難です。


 審判員が「タッグ成立後に落球した」と判断した場合でも、その判断にはボールの確実な保持という要件が含まれていなければなりません。


 特に、走者に触れた瞬間または直後の落球については、保持の継続を慎重に確認する必要があります。


 今回の照会を踏まえ、関係する審判員へのルール確認と、今後の講習における事例の共有を行います。


 城戸監督は、ゆっくりと資料を置いた。


「つまり、今回の判定が正しかったと断定されたわけでも、誤審やったと断定されたわけでもなかとよ」


 正則がうなずいた。


「……なるほど」


「ただし、落球したのがタッチ直後やった場合は、保持が成立したかどうかを慎重に判断せないかん、ということが明確になったとよ」


 早良夏美が、静かに手を挙げた。


「監督、私からもよかですか?」


「もちろんたい」


「正直、あのときは納得できんかったです。でも、相手の大庭君が悪いことをしたわけじゃなかですよね?」


 城戸監督は、すぐにうなずいた。


「もちろんたい。大庭君は一生懸命プレーしただけやけんね」


 早良は続けた。


「審判の方も、ちゃんと見ようとしてくれたと思います。でも、判断を間違えることはあるかもしれんってことですよね」


「そうやね。審判員も人間やけん、難しかプレーでは判断が分かれることもあるとよ」


 そして、城戸監督は少し真剣な表情になった。


「だからこそ、ルールを学んで、分からんことは適切な方法で確認する。それが大切たい」


 亜由美がうなずいた。


「審判に怒鳴っても、ルールを理解できるわけやないですもんね」


「そうたい」


 和美も静かに言った。


「私たちも、もし守備で同じようなプレーがあったら、確実にボールを持っとかんといかんね」


 城戸監督は微笑んだ。


「そういうことたい」


 そして、選手たちを見渡した。


「勝ったから問題にせん、負けたから抗議する。そういう考え方ではなく、公平な競技のためにルールを確認する。それが今回、質問状を出した理由です」


 正則は、静かに頭を下げた。


「……勉強になりました」


 早良も、少し笑顔になった。


「私も、次はもっといいスタートを切れるように練習します!」


 城戸監督は大きくうなずいた。


「よかね!」


 この日、選手たちは一つの大切なことを学んだ。


 正しい判定を求めることと、審判を責めることは違う。


 そして、自分の見たものが必ず正しいとは限らない。


 だからこそ、事実と規則を確かめる必要があるのだった。

 第五章 亜由美のルームメイト、桐原澪

 その日の夜。


 博多南中学校の女子寄宿舎。


 亜由美は、同室の桐原澪と今日の勉強会について話していた。


 澪は広島県出身の一年生。


 科学が得意で、物事を観察したり、数字を整理したりすることが好きな少女だった。


 机の上には、理科の参考書や実験記録が並んでいる。


「澪ちゃん、今日な、野球のルールについていろいろ勉強したんや」


 亜由美が話しかけた。


「どんなこと?」


「前の試合で、相手の二塁手がタッチしたあとにボールを落としたんやけど、アウトって判定されたんよ」


 澪は興味深そうに顔を上げた。


「タッチしたあとに落としたんだね」


「うん。それで監督が正式に質問して、連盟から回答が来たんや」


 亜由美は、今日教わったことを説明した。


 タッチした瞬間のボールの保持。


 タッチの直後に落球した場合。


 有効なタッチが成立したあと、次の送球動作で落球した場合。


 そして、審判の判断と事実確認の難しさ。


 澪は、静かにうなずいた。


「それ、科学の実験と似ているところがあるね」


 亜由美が顔を上げた。


「科学と?」


「うん。同じ現象を見ても、観察する角度やタイミングで、見え方が変わることがあるでしょう?」


「……そうやね」


「それに、最初に考えた説明が正しいかどうかは、ちゃんと確かめないと分からないよね」


 亜由美は、少し考えた。


「確かに」


 澪は続けた。


「でも、今回の試合で一番気になるのは、落球した瞬間を正確に確認できなかったことだと思うの」


「……うん」


「もし、十分な映像があれば、タッチした瞬間と落球した瞬間を、もっと詳しく比べられたかもしれない。でも、映像がないなら、分からないことまで決めつけるべきじゃないよね」


 亜由美は大きくうなずいた。


「ほんまやね」


 そして、ふと笑った。


「澪ちゃん、野球にも科学的な考え方って使えるんやな」


 澪は微笑んだ。


「使えると思うよ。投球の記録とか、打球の方向とか、守備位置の違いとか、いろいろ調べられそうだし」


 亜由美は、少し驚いた。


「……澪ちゃん、野球のデータを調べるの、興味あるん?」


 澪は少し考えた。


 そして、笑顔で答えた。


「あるよ。実は、前から亜由美ちゃんの野球ノートを見て、面白そうだなって思っていたんだ」


 その言葉に、亜由美の目が輝いた。


「……ほな、うちから監督に相談してみようか?」


 澪は驚いた。


「えっ?」


「スコアラーとして、チームの記録を手伝ってもらうねん!」


 澪は、少し考え込んだ。


 そして、静かに笑った。


「もし私でも役に立てるなら、やってみたいな」


 亜由美は嬉しそうに笑った。


「よっしゃ!」


 こうして、博多フューチャーズに、新しい仲間が加わるきっかけが生まれた。

 第六章 科学が得意な少女、野球部の新しい仲間に

 翌日の放課後。


 博多フューチャーズの練習場。


 亜由美は、桐原澪を連れて城戸直哉監督のところへ向かった。


「監督、少しお話があるんですけど、よろしいですか?」


 城戸監督が振り返った。


「もちろんたい。どうしたと?」


 亜由美は隣の澪を紹介した。


「うちのルームメイトの桐原澪ちゃんです。科学が得意で、観察したことを記録したり、数字を整理したりするのが好きなんです」


 澪は、少し緊張した表情で頭を下げた。


「桐原澪です。よろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくね」


 亜由美は続けた。


「監督、澪ちゃんに、チームのスコアラーをお願いできへんかなと思いまして」


 城戸監督は興味深そうな表情になった。


「スコアラー?」


「はい。野球の試合を記録して、打球の方向とか、投球の傾向とかを整理してもらえたら、うちらの練習にも役立つんちゃうかと思うんです」


 澪が少し遠慮がちに口を開いた。


「あの、私、野球の専門知識はまだあまりないんです。でも、データの整理や分析なら、お手伝いできるかもしれません」


 城戸監督は微笑んだ。


「それは、ありがたい話たい」


 しかし、すぐに真剣な表情になった。


「澪さん、野球のスコアをつけたことはある?」


「いいえ。まだありません」


「じゃあ、最初は基本から覚えてもらう必要があるね」


 澪は大きくうなずいた。


「はい。勉強したいです」


 そこへ平松真帆コーチがやってきた。


「どうしたと?」


 城戸監督が事情を説明すると、平松コーチも笑顔になった。


「よかね! 試合の記録を整理してくれる人が増えるのは助かるよ」


 そして澪へ向き直った。


「でもね、記録する内容によっては、試合中に許可なく機器を使えんこともあるけん、そこは大会の規定を確認せんといかんよ」


 澪はうなずいた。


「はい」


 城戸監督も続けた。


「それから、澪さんは学校の勉強もあるやろ? 無理せん範囲で参加してほしかとよ」


「分かりました」


「保護者と学校にも確認して、大会運営側にも記録係としてどこで活動できるか相談しよう。正式なベンチ入り選手とは別の立場になるけんね」


「はい!」


 こうして、必要な手続きと保護者の了承を得たうえで、澪は博多フューチャーズのチーム記録係として活動することになった。


 夏の大会では、大会運営側から認められた記録席を使い、紙のスコアブックを中心に記録を行う。


 試合が終わったあとは、パソコンでデータを整理し、監督とコーチへ分析資料を渡す。


 正式な試合記録を裁定する立場ではなく、あくまでチームの練習や戦術研究を支えるスコアラーである。


 その日の練習終了後。


 正則と和美たち一年生が、澪のところへ集まってきた。


「澪ちゃん! よろしくな!」


 正則が笑顔で声をかける。


 澪は少し照れた。


「うん。よろしくお願いします」


 和美も笑った。


「澪ちゃん、科学が得意なんやろ? すごかね!」


 澪は首を横に振った。


「まだまだ勉強中だよ。野球のことは、みんなに教えてもらうことのほうが多いと思う」


 亜由美が笑った。


「ほな、うちらも科学のことを教えてもらおうな!」


 正則が大きくうなずいた。


「ええやん!」


 こうして、博多フューチャーズに新しい仲間が加わった。

 第七章 澪がつくった、最初の分析表

 最初に澪が取り組んだのは、これまでの対外練習試合で残されていたスコアと、選手たちの野球ノートを整理することだった。


 正則が記録していた投球内容。


 亜由美が書き留めていた相手投手の配球。


 和美の守備位置に関するメモ。


 そして、監督やコーチが記録した打撃成績。


 澪は、それらを一つずつ確認した。


「……なるほど」


 亜由美が尋ねた。


「何か分かった?」


 澪は、ノートを指さした。


「亜由美ちゃん、ここに『外角の直球が多かった』って書いてあるでしょう?」


「うん」


「でも、実際に何球投げて、そのうち何球が外角だったかまでは書かれていないよね」


 亜由美は、はっとした。


「……ほんまや」


 澪は続けた。


「それだと、本当に外角が多かったのか、それとも印象に残っただけなのか、区別するのが難しいと思うの」


 正則が感心した。


「なるほどな!」


 澪は小さく笑った。


「だから、まずは記録できた球数と、確認できなかった球数を分けてみたいんだ」


 そして、用意した表を見せた。

 澪が作成した投球観察シート

 記録項目確認する内容

 打者と投手氏名、左右の打席・投球腕

 カウント投球前のボール・ストライク数

 球種直球・変化球など、判別できた範囲

 コース高低・内外角の大まかな位置

 打者の反応見送り、空振り、ファウル、打球

 打球方向左翼・中堅・右翼、内野の各方向

 走者の状況アウト数、走者の位置

 観察の確かさ確認済み・推定・不明



 正則は目を輝かせた。


「これ、めっちゃええやん!」


 亜由美もうなずいた。


「うちのノートより、ずっと整理されとるわ!」


 和美も興味深そうに表を見つめていた。


「澪ちゃん、球種が分からんときはどうすると?」


 澪は即答した。


「無理に決めないで、『不明』って書くの」


「……不明?」


「うん。間違った情報を、正しい情報みたいに扱うのは危険だからね」


 正則は、柳川家で悠翔が見せてくれた野球ノートを思い出した。


『分かったことと、まだ分からないことを分ける』


 まさに、同じ考え方だった。


 澪は続けた。


「それに、例えば十球しか見ていない投手と、百球見ている投手では、分かることの多さが違うでしょう?」


 亜由美がうなずいた。


「そうやね」


「だから、少しの記録だけで『この投手は絶対に外角へ投げる』とは言えないと思うの」


 正則は大きくうなずいた。


「そらそうや!」


 澪は、少し照れたように笑った。


「まだ野球の勉強を始めたばかりだけど、こういうところなら私にも役に立てるかもしれないね」


 その話を聞いていた城戸監督は、満足そうにうなずいた。


「澪さん、よか考え方たい。数字を集めることだけが目的にならんように、実際のプレーにどう役立つかも一緒に考えていこう」


 澪は深く頭を下げた。


「はい!」

 第八章 二回戦の相手、豊前シーウインズ

 翌日。


 博多フューチャーズでは、二回戦の対戦相手が正式に発表された。


 相手は、豊前市を拠点とする豊前シーウインズ。


 周防灘に面する地域で練習を重ね、海から吹き込む風や、日によって変化する風向きに対応することを得意とするチームだった。


 昨年も県内大会で好成績を残している。


 特に、逆方向への打撃技術が高く、長打を打てる選手が多い。


 右打者が右翼方向へ大きな打球を運ぶこともあれば、左打者が左中間へ強いライナーを放つこともある。


 さらに、相手投手のわずかな失投を逃さない集中力を備えていた。


 城戸監督は選手たちを集めた。


「みんな、二回戦の相手は豊前シーウインズに決まったよ」


 選手たちの表情が引き締まった。


「このチームは、風の影響を考えた守備と打撃がうまかとよ」


 正則が尋ねた。


「風、ですか?」


「そうたい。海の近くで練習することが多いけん、風が強か日でも打球をよく見て動くことに慣れとる」


 亜由美も顔を上げた。


「じゃあ、フライの落下点も変わることがあるんですね」


 平松コーチがうなずいた。


「そうやね。風向きと強さによっては、思ったより伸びたり、押し戻されたりするけんね」


 そこで澪が手を挙げた。


「監督、少しよろしいですか?」


「どうぞ」


「風の影響を調べるなら、試合中の風向きと強さを記録してみたいです」


 城戸監督は興味深そうにうなずいた。


「よかね」


 澪は続けた。


「ただし、風だけで打球の距離が決まるわけではないと思うんです。打球の速さや角度、回転も関係しますから」


 正則が感心した。


「……なるほどな」


 亜由美も笑った。


「澪ちゃん、さっそく科学者みたいやね!」


 澪は少し照れた。


「いやいや、まだ勉強中だよ」


 城戸監督は微笑んだ。


「でも、その考え方は大切たい。打球が伸びた理由を全部風のせいにしてしまったら、打者の技術を見落とすかもしれんけんね」


 和美もうなずいた。


「そうたい。相手が上手に打ったことも、ちゃんと認めんといかんね」


 こうして、博多フューチャーズは二回戦へ向けた準備を始めた。

 第九章 豊前シーウインズ、九人の強敵

 城戸監督は、豊前シーウインズの主要選手を紹介した。


 豊前シーウインズ・二回戦の先発予定メンバー

 打順氏名学年守備特徴

 1安永颯太3年中堅俊足と選球眼

 2中津川晴斗3年二塁進塁打と状況判断

 3平野海里3年右翼左打ち、広角への打撃

 4藤堂大和3年一塁右打ち、逆方向への長打

 5新田柊介3年左翼風を読んで打ち分ける強打者

 6武内紗耶2年三塁強い打球と安定した守備

 7橋本海斗3年遊撃堅実な守備と粘り強い打撃

 8沖田咲良3年捕手配球の組み立てと強肩

 9芦田遼一3年投手低めの制球、カーブとスライダー


 監督は海野修平。


 救援投手として、二年生の三輪晴彦も控えている。


 城戸監督は、特に四番の藤堂と五番の新田を指さした。


「この二人は要注意たい。高めへ甘く入った直球を、逆方向へ強く打ち返すことができるとよ」


 正則は静かにうなずいた。


「……なるほど」


 藤岡蓮司も腕を組んだ。


「逆方向へ長打を打てる選手は、外角への直球も簡単には通用せんけんね」


 水上遼太も続けた。


「変化球でタイミングを外す必要もありそうですね」


 城戸監督はうなずいた。


「そうやね。ただし、変化球なら必ず抑えられるというわけでもなかよ」


 そして、選手たちを見渡した。


「一球の配球ミスや失投が、長打につながる可能性があるチームたい。だからこそ、相手をよく観察して、丁寧に投げていこう」


 正則は、グラブを握り直した。


(……強そうな相手やな)


 しかし、不安だけではなかった。


 藤堂大和。


 新田柊介。


 そして、豊前シーウインズの選手たち。


 どれほどの技術を持っているのか、実際に対戦して確かめてみたい。


 そんな気持ちも強くなっていた。

 第十章 海から吹く風、豊前で迎えた二回戦

 そして、二回戦当日。


 舞台は豊前市の海に近い野球場だった。


 グラウンドの向こうには、青々とした山並みが広がっている。


 しかし、球場に到着した博多フューチャーズの選手たちを驚かせたのは、風の強さだった。


 外野の上に掲げられた旗が、勢いよくはためいている。


 この日は左翼から右翼方向へ吹く風が目立ち、時折、突風のように強くなることもあった。


 正則が声を上げた。


「うわっ! めっちゃ風強いやん!」


 亜由美も帽子を押さえた。


「ほんまやね。これ、フライが上がったら大変やで」


 和美が外野方向を見つめた。


「こげん風が吹きよったら、守備位置も難しかね」


 そこへ、記録係の澪がやってきた。


「みんな、ちょっと見て」


 澪は、記録用のノートを開いた。


 そこには、風向きを示す簡単な図が描かれていた。


「今日は、左翼から右翼へ向かう風が多いみたい。でも、ときどき向きや強さが変わるから、ずっと同じだとは考えないほうがいいと思う」


 正則はうなずいた。


「なるほどな」


 澪は続けた。


「それから、風が強いからって、全部の打球が同じように流れるわけじゃないよ。高く上がった飛球と、低いライナーでは影響の受け方も違うと思う」


 亜由美が笑った。


「澪ちゃん、さっそく頼りになるなぁ!」


 澪は少し照れた。


「まだ観察を始めたところだよ」


 城戸監督も近づいてきた。


「みんな、今日は外野の飛球だけじゃなくて、内野の小さかフライにも気をつけようね」


 そして、相手チームの練習を指さした。


 豊前シーウインズの選手たちは、強い風の中でも落ち着いて守備練習を続けていた。


 外野手たちは打球の落下点を早めに予測し、必要に応じて小刻みに足を動かしている。


 一方、打撃練習では、右打者が右翼方向へ鋭い打球を放っていた。


 藤岡が感心したように言った。


「……こりゃ、ほんとに逆方向へ打つのがうまかね」


 正則も、真剣な表情になった。


「はい」


 城戸監督は選手たちを見渡した。


「相手は風に慣れとるかもしれん。でも、風の影響を受けるのは両チーム同じたい。こっちも落ち着いて対応していこう」


「はい!」


 こうして、二回戦の準備が始まった。

 第十一章 先発、水上遼太

 試合開始前。


 城戸監督がスターティングメンバーを発表した。


 初戦から中数日ということもあり、藤岡蓮司はこの日、ベンチスタート。


 先発投手には二年生の水上遼太が指名された。


 夏の地区予選・二回戦 先発オーダー

 打順博多フューチャーズ(後攻)守備豊前シーウインズ(先攻)守備

 1早良夏美中堅安永颯太中堅

 2秋山紘太遊撃中津川晴斗二塁

 3篠崎玲奈三塁平野海里右翼

 4南条悠斗一塁藤堂大和一塁

 5早田航左翼新田柊介左翼

 6相原健悟捕手武内紗耶三塁

 7三浦康平二塁橋本海斗遊撃

 8桑野光右翼沖田咲良捕手

 9水上遼太投手芦田遼一投手


 城戸監督は水上へ声をかけた。


「遼太君、今日は君に先発を任せるよ」


「はい!」


「相手は直球の失投を逃さんチームたい。低めへ丁寧に投げていこう」


「分かりました!」


 続いて正則へ向き直った。


「正則君、今日は途中から登板してもらう可能性があります」


 正則は大きくうなずいた。


「はい!」


「相手の打者を、しっかり観察しとってね」


「分かりました!」


 亜由美と和美にも声がかかった。


「二人は、相手投手の球筋と内野守備を確認しておいてください。途中出場の準備も忘れんごとね」


「はい!」


「分かりました!」


 記録席では、澪がスコアブックを開いていた。


 試合中に使用するのは、許可された紙の記録用具が中心だった。


 澪は風向きの変化を別の欄に記録し、打球の方向と見比べる準備をしている。


 そして、選手たちが整列した。


「よろしくお願いします!」


 二回戦が始まった。

 第十二章 初回、豊前シーウインズの機動力

 一回表。


 先頭打者は、豊前シーウインズの一番・安永颯太。


 水上は初球から外角低めを狙った。


 しかし、わずかに外れる。


 ボール。


 安永は慎重に投球を見極めた。


 そしてフルカウントからの六球目。


「ボールフォア!」


 無死一塁。


 続く二番・中津川晴斗は、送りバントを決めた。


 一死二塁。


 打席には三番・平野海里。


 左打者の平野は、バットをやや短く持って構えた。


 水上が投げ込んだカーブを、平野が打ち返した。


 カキーン!


 打球はセンター方向へ高く上がった。


 早良夏美が落下点へ入る。


 しかし、打球は風に押され、予想より少し右翼寄りへ流れた。


 早良は慌てずに足を動かし、捕球した。


「アウト!」


 二死。


 その間に二塁走者の安永は、三塁へ進んだ。


 そして四番・藤堂大和。


 右打席に入った藤堂は、外角への直球をじっと見つめた。


 初球はストライク。


 二球目はファウル。


 0ボール2ストライク。


 水上は外角低めへカーブを投げ込んだ。


 しかし、わずかに高くなった。


 藤堂が振り抜く。


 カキィィン!


 鋭い打球が右翼方向へ飛んだ。


 桑野光が追いかける。


 しかし、打球はその前へ落ちた。


「ライト前ヒット!」


 三塁走者の安永がホームイン。


 0対1。


 豊前シーウインズが先制した。


 ベンチでは正則が、思わず息をのんだ。


「……今の、うまいな」


 亜由美がうなずいた。


「追い込まれとったのに、外角の球を右へ運んだんやね」


 和美も続けた。


「しかも、そんなに大振りしとらんかった」


 続く五番・新田柊介は中堅フライに倒れ、三アウト。


 水上は一点を失ったものの、追加点は許さなかった。


 記録席では澪が、藤堂の打球方向を書き込んでいた。


 しかし、そこに「風で伸びた」と断定することはしなかった。


『右打者の右翼前安打。外角寄りの投球。打球は低いライナー。風の影響は不明』


 観察した事実と、推測を分ける。


 澪が大切にしている考え方だった。

 第十三章 二回、南条悠斗の長打と同点の犠牲フライ

 一回裏。


 博多フューチャーズの攻撃は、先頭の早良夏美が二塁ゴロ、秋山紘太が遊撃ゴロに倒れ、二死。


 三番・篠崎玲奈は中堅前へ鋭い打球を放ったが、安永颯太が前進して好捕した。


 三アウト。


 豊前シーウインズの先発、芦田遼一は、直球とカーブを低めへ丁寧に投げ分けていた。


 二回表。


 六番・武内紗耶は三塁ゴロ。


 七番・橋本海斗がセンター前ヒットで出塁したものの、八番・沖田咲良は二塁ゴロ。


 三浦が捕球して二塁へ送球し、橋本を封殺した。


 二死一塁。


 九番・芦田遼一は中堅フライに倒れ、三アウトとなった。


 そして二回裏。


 先頭は四番・南条悠斗。


 芦田が投げ込んだ直球を、南条が鋭く打ち返した。


 カキーン!


 打球は左中間を抜けた。


 南条は一塁を蹴り、二塁へ向かった。


 滑り込む。


「セーフ!」


 無死二塁。


 続く五番・早田航。


 早田は右方向へのゴロを放ち、南条を三塁へ進めた。


 一死三塁。


 そして六番・相原健悟。


 相原は、芦田の直球をセンターへ打ち上げた。


 安永が落下点へ入る。


 捕球。


 その瞬間、三塁走者の南条がスタートした。


 安永から本塁へ送球される。


 しかし、南条の足が早かった。


「セーフ!」


 1対1。


 博多フューチャーズが同点に追いついた。


 七番・三浦康平は右翼フライに倒れ、三アウト。


 それでも、南条の二塁打から進塁打、犠牲フライと、少ない好機を確実に得点につなげた。


 亜由美は、ベンチで拍手を送った。


「南条先輩、ナイスランです!」


 和美もうなずいた。


「相原先輩も、よかバッティングやったね!」

 第十四章 三回、逆方向へ伸びた一打

 三回表。


 豊前シーウインズの先頭は九番・芦田遼一。


 水上は外角低めの直球で空振り三振に仕留めた。


 一死。


 一番・安永颯太も二塁ゴロに倒れ、二死となった。


 しかし、二番・中津川晴斗が左前安打で出塁した。


 二死一塁。


 続く三番・平野海里が四球を選び、二死一、二塁。


 そして四番・藤堂大和が打席へ入った。


 初回、外角寄りの球を右翼前へ運んだ強打者だった。


 水上は、捕手の相原とサインを交換した。


 初球。


 外角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目。


 カーブは低めへ外れる。


 ボール。


 三球目。


 水上は、外角の直球を選んだ。


 しかし、狙いより少し高く入った。


 藤堂の目が、その球を捉えた。


 カキィィィン!


 鋭い打球が右翼方向へ飛んだ。


「大きい!」


 右翼手の桑野が後退する。


 風は左翼から右翼方向へ吹いていた。


 打球は高く上がりすぎず、鋭い弾道のまま右翼線寄りへ伸びていく。


 桑野が懸命に追いかけた。


 しかし、打球はその先へ落ちた。


 そして、右翼フェンスへ到達した。


「長打だ!」


 二塁走者の中津川が三塁を回る。


 ホームイン!


 一塁走者の平野も三塁へ進んだ。


 藤堂は二塁へ到達した。


 勝ち越しのタイムリーツーベースヒット!


 1対2。


 豊前シーウインズが再びリードした。


 ベンチの正則は、思わずつぶやいた。


「……外角の直球を、あそこまで運ぶんか」


 藤岡が静かにうなずいた。


「そうたい。しかも、打球が強かね」


 水上は、マウンドで一度深呼吸した。


(……ちょっと高く入った)


 四番打者の藤堂は、そのわずかな失投を逃さなかった。


 続く五番・新田柊介は空振り三振に倒れ、三アウト。


 追加点こそ許さなかったが、水上は改めて相手の強さを思い知らされていた。


 記録席では澪が、藤堂の打球を記録していた。


 そして、小さくつぶやいた。


「……風の影響だけじゃない」


 外角の直球。


 高めに入った失投。


 右翼方向への強い打球。


 風は確かに左翼から右翼へ吹いていた。


 しかし、打球が長打になったのは、藤堂自身の技術があったからこそだ。


 澪は、記録の横に一つの言葉を書き加えた。


『打球方向は確認。風による飛距離への寄与は判定できない』


 亜由美は、そのノートを見せてもらい、静かにうなずいた。


「……ほんま、決めつけたらあかんね」


 澪は微笑んだ。


「うん。相手が上手に打ったことも、ちゃんと考えたいから」


 その言葉に、正則は大きくうなずいた。


「俺も、もっと投球を磨かなあかんな」

 第十五章 追いついても、相手は簡単に引き下がらない

 三回裏。


 博多フューチャーズは八番・桑野光が空振り三振、九番・水上遼太が一塁ゴロに倒れた。


 二死から一番・早良夏美が四球を選んだものの、二番・秋山紘太は右翼フライ。


 無得点。


 四回表。


 豊前シーウインズは六番・武内紗耶が四球で出塁した。


 七番・橋本海斗が送りバントを決め、一死二塁。


 しかし、八番・沖田咲良は三塁へのファウルフライ。


 九番・芦田遼一も右翼フライに倒れ、追加点は入らなかった。


 そして四回裏。


 先頭の篠崎玲奈が左前安打で出塁した。


 無死一塁。


 四番・南条悠斗は空振り三振。


 一死一塁。


 続く五番・早田航が、芦田の直球を右翼方向へ打ち返した。


 カキーン!


 打球は一、二塁間を抜け、右翼線寄りを転がった。


 右翼手の平野海里が追う。


 早田は二塁へ到達。


 篠崎は三塁へ進んだ。


 一死二、三塁。


 そして六番・相原健悟。


 相原は、外角の直球を中堅へ打ち上げた。


 安永颯太が落下点へ入る。


 捕球。


 三塁走者の篠崎がタッチアップした。


 本塁へ送球される。


 しかし、篠崎が先にホームベースへ触れた。


「セーフ!」


 2対2。


 博多フューチャーズが再び同点に追いついた。


 二死二塁。


 続く三浦康平は二塁ゴロに倒れ、三アウトとなった。


 ベンチでは、亜由美と和美が拍手していた。


「相原先輩、ナイスバッティング!」


「よか犠牲フライやったね!」


 しかし、豊前シーウインズは簡単には引き下がらなかった。


 五回表。


 先頭の一番・安永颯太がセンター前ヒットで出塁した。


 無死一塁。


 続く二番・中津川晴斗の二塁ゴロで、安永が二塁へ進む。


 一死二塁。


 三番・平野海里は四球。


 一死一、二塁。


 そして四番・藤堂大和。


 水上は、今度こそ低めへ投げ切ろうとした。


 初球は外角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目はカーブ。


 ファウル。


 0ボール2ストライク。


 三球目。


 外角低めへのスライダー。


 藤堂は見送った。


 ボール。


 四球目。


 水上の直球を、藤堂が右翼方向へ高く打ち上げた。


 右翼手の桑野が落下点へ入る。


 風に流されながらも、落ち着いて捕球した。


「アウト!」


 二死一、二塁。


 しかし、続く五番・新田柊介が打席へ入った。


 右打者の新田は、外角寄りの球を逆方向へ運ぶことを得意としている。


 水上は、相原のサインにうなずいた。


 初球。


 低めへのカーブ。


 ストライク。


 二球目。


 内角へ直球。


 ファウル。


 0ボール2ストライク。


 三球目。


 相原は外角低めへミットを構えた。


 しかし、水上の直球は、狙いより少し高くなった。


 新田が鋭く振り抜いた。


 カキィィィン!


 打球は右翼線方向へ飛んだ。


 桑野が走る。


 しかし、打球はその先へ落ちた。


 白球は右翼フェンスへ転がっていく。


「長打だ!」


 二塁走者の安永が三塁を回る。


 ホームイン!


 さらに一塁走者の平野も三塁を回った。


 本塁へ送球される。


 しかし、平野が先にホームベースへ触れた。


「セーフ!」


 二点適時二塁打!


 2対4。


 豊前シーウインズが二点を勝ち越した。


 水上はマウンドで小さく息を吐いた。


(……また、外角の直球を打たれた)


 続く六番・武内紗耶は空振り三振に倒れ、三アウト。


 水上は、五回まで四失点。


 強打者たちの逆方向への打撃に、苦しい投球を強いられていた。

 第十六章 澪の記録が示した、もう一つの事実

 五回表が終わると、城戸監督は記録席から提出された澪の分析メモを確認していた。


 そこには、豊前シーウインズの中軸打者について、簡潔な記録がまとめられていた。


 藤堂大和。


 初回は外角寄りの球を右翼前へ運び、三回には同じ方向へ二塁打を放った。


 新田柊介。


 五回に外角の失投を右翼線へ打ち返し、二点適時二塁打。


 しかし、澪が注目していたのは、単に右翼方向へ長打が出ていることだけではなかった。


「……監督、少しよろしいですか?」


 澪が声をかけた。


「もちろんたい」


「今のところ、藤堂選手と新田選手は、外角寄りの球を逆方向へ強く打っています。でも、風の影響より、投球の高さが関係しているかもしれません」


 城戸監督はメモを確認した。


「なるほどね」


 澪は続けた。


「二人とも、強い打球になったときは、狙いより高めに入った直球だったように見えました」


 そこへ藤岡蓮司が近づいた。


「確かに、あの二人は高めへ入った球を逃さんね」


 正則もノートを確認した。


「……ほんまや。俺もそう思います」


 しかし、澪は付け加えた。


「ただ、私は記録席から見ているので、コースの細かな違いまでは分からないことがあります。そこは推定として書いています」


 城戸監督はうなずいた。


「よかね。分からんことを正直に分からんと記録するのも、大切なことたい」


 そして正則へ向き直った。


「正則君、次に登板するとしたら、何を一番意識したか?」


 正則は少し考えた。


「低めへの制球です。それから、相手が逆方向へ打てるからって、外角を全部避けるんやなくて、どの高さなら打ちにくいか考えたいです」


 藤岡が笑った。


「よかね」


 城戸監督も微笑んだ。


「そうたい。じゃあ、準備しておこう」


「はい!」


 このとき、正則は改めて感じていた。


 自分たちが練習して技術を磨いているように、相手チームもまた、努力を重ねている。


 豊前シーウインズの選手たちは、ただ風を利用しているわけではなかった。


 風のある環境で繰り返し練習し、打球の伸び方を学び、逆方向へ強く打つ技術を身につけてきた。


 それが、今の試合で表れているのだ。


(……相手が強いのには、ちゃんと理由があるんやな)


 正則はグラブを握り直した。


(せやからこそ、俺ももっと上手になりたい)

 第十七章 六回、正則がマウンドへ

 五回裏。


 博多フューチャーズは八番・桑野光が左前安打で出塁した。


 続く九番・水上遼太が送りバントを決め、一死二塁。


 一番・早良夏美は中堅フライ。


 桑野はタッチアップして三塁へ進んだ。


 二死三塁。


 しかし、二番・秋山紘太は一塁ゴロに倒れ、得点できなかった。


 2対4。


 二点を追いかけたまま、試合は六回へ入った。


 六回表。


 城戸監督が投手交代を告げた。


「ピッチャー、河内正則!」


 正則がマウンドへ向かった。


 ベンチの亜由美が声をかける。


「正則、頼むで!」


 和美も続けた。


「正則君、頑張ってね!」


 正則は笑顔で答えた。


「おう!」


 しかし、マウンドへ上がると、表情は真剣になった。


 相手は豊前シーウインズ。


 簡単には抑えられない打者が並んでいる。


 正則は、捕手の相原健悟とサインを交換した。


 先頭は七番・橋本海斗。


 初球。


 外角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目。


 橋本は低めの球を打ち返した。


 カキーン!


 センター前ヒット。


 無死一塁。


 正則は深呼吸した。


(……まだ慌てたらあかん)


 続く八番・沖田咲良は送りバントを決めた。


 一死二塁。


 豊前シーウインズは、九番の芦田遼一に代打・米倉拓を送った。


 米倉は、初球から積極的に振ってくる打者だった。


 正則は、相原のサインを確認した。


 外角低めへの直球。


 ストライク。


 続いて内角への直球。


 ファウル。


 0ボール2ストライク。


 三球目。


 相原は外角低めへミットを構えた。


 正則は、丁寧に腕を振った。


 米倉がバットを振る。


 空振り!


「ストライク、バッターアウト!」


 二死二塁。


 正則は小さく拳を握った。


 そして、一番・安永颯太。


 俊足と選球眼を兼ね備えた打者だった。


 初球は外角への直球。


 ストライク。


 二球目は低めへ外れる。


 ボール。


 三球目。


 安永が振り抜いた。


 カキーン!


 打球は右翼方向へ高く上がった。


 桑野光が後退する。


 風は、依然として左翼から右翼方向へ吹いていた。


 桑野は、打球を見上げながら慎重に足を動かした。


 一歩、二歩。


 そして、落下点へ入る。


 パシッ!


「アウト!」


 三アウト。


 正則は六回表を無失点に抑えた。


 マウンド上で大きく息を吐く。


「……よっしゃ!」


 ベンチから歓声が上がった。


「正則! ナイスピッチング!」


 相原が近づいてきた。


「正則君、よか投球やったね」


 正則は笑った。


「ありがとうございます!」


 しかし、相原は続けた。


「でも、まだ七回もあるかもしれんけんね。気を抜かんごと」


 正則は大きくうなずいた。


「はい!」

 第十八章 亜由美と和美、同じチームのために

 六回裏。


 豊前シーウインズは、代打の米倉に代えて救援投手の三輪晴彦をマウンドへ送った。


 博多フューチャーズの先頭は三番・篠崎玲奈。


 篠崎は、三輪の直球を左前へ運んだ。


 無死一塁。


 続く四番・南条悠斗。


 南条は、外角の直球を右翼方向へ打ち返した。


 カキーン!


 打球は右翼線寄りへ落ちた。


 右翼手の平野海里が追いかける。


 南条は二塁へ。


 篠崎も三塁へ進んだ。


 無死二、三塁。


 ベンチが沸いた。


「南条先輩! ナイスバッティング!」


 そして五番・早田航。


 早田は、三輪の直球を中堅へ高く打ち上げた。


 安永が落下点へ入る。


 捕球。


 三塁走者の篠崎がスタートした。


 ホームイン!


 3対4。


 一点差。


 さらに、二塁走者の南条も送球の行方を確認しながら三塁へ進んだ。


 一死三塁。


 六番・相原健悟。


 相原は、外角の直球を左中間へ打ち返した。


 カキィィン!


 鋭い打球が外野手の間を抜けた。


 南条がホームイン!


 4対4。


 再び同点!


 相原は二塁へ滑り込んだ。


 一死二塁。


 ここで城戸監督が動いた。


「相原君、お疲れさま。代走、牧田和美!」


 和美は大きく返事をした。


「はい!」


 相原に代わり、和美が二塁走者となった。


 続いて、七番・三浦康平の打順。


「代打、加藤亜由美!」


 亜由美はバットを持ち、打席へ向かった。


 二塁走者は和美。


 打者は亜由美。


 同じ二塁手のポジションを争う二人が、再び同じ攻撃の中で力を合わせることになった。


 和美は二塁上から声をかけた。


「亜由美ちゃん、頼むばい!」


 亜由美は笑った。


「任せとき!」


 しかし、相手の三輪も簡単には打たせてくれなかった。


 初球。


 外角への直球。


 ストライク。


 二球目。


 カーブ。


 ボール。


 三球目。


 亜由美は、外角の直球を右方向へ打ち返した。


 カキン!


 打球は二塁方向へのゴロ。


 中津川晴斗が捕球した。


 一塁へ送球する。


「アウト!」


 亜由美は一塁でアウトになった。


 しかし、和美は三塁へ進んだ。


 二死三塁。


 ベンチへ戻った亜由美は、少し悔しそうだった。


「……ヒットにできへんかった」


 しかし、平松コーチが声をかけた。


「亜由美さん、走者を三塁へ進められたよ。今の打席にも意味があったけんね」


 亜由美はうなずいた。


「はい!」


 続く八番・桑野光は空振り三振。


 三アウト。


 逆転には至らなかった。


 それでも、4対4。


 博多フューチャーズは試合を振り出しに戻した。


 和美がベンチへ戻ってくると、亜由美が声をかけた。


「和美ちゃん、次は絶対にホームへ帰してあげたかったわ」


 和美は笑った。


「気持ちは伝わったばい! 私も次は自分のバットで打ちたか!」


 亜由美はうなずいた。


「うん!」


 二人の競争は続いている。


 しかし、チームが勝つために必要な場面では、互いを信頼できる仲間だった。

 第十九章 七回表、風に負けない守備

 七回表。


 4対4。


 博多フューチャーズは、守備の交代を行った。


 捕手には一年生の森下悠一。


 二塁には代打で出場した加藤亜由美。


 投手は引き続き河内正則。


 そして、ベンチでは牧田和美がグラブを握りながら試合を見守っていた。


 城戸監督は、守備につく選手たちへ声をかけた。


「みんな、あと一回たい。集中していこう!」


「はい!」


 先頭打者は、豊前シーウインズの二番・中津川晴斗。


 正則は、森下のサインを確認した。


 初球。


 外角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目。


 中津川は内角の球を見送った。


 ボール。


 三球目。


 正則が投げ込んだ直球を、中津川が鋭く打ち返した。


 カキーン!


 打球は左前へ抜けた。


 無死一塁。


 正則は小さく息を吐いた。


(……また先頭を出してもうた)


 しかし、すぐに気持ちを切り替えた。


 続く三番・平野海里。


 左打者の平野は、バントの構えを見せた。


 正則が投げ込む。


 コンッ!


 打球は一塁方向へ転がった。


 一塁手の南条悠斗が前進して捕球する。


 そして、一塁カバーへ入った二塁手の亜由美へ送球した。


「アウト!」


 一死二塁。


 亜由美は、ボールを持ったまま正則へ声をかけた。


「正則! 次の藤堂、気ぃつけや!」


 正則はうなずいた。


「おう!」


 四番・藤堂大和。


 この日、初回に適時打、三回にも適時二塁打を放っている強打者だった。


 正則は、慎重にサインを確認した。


 初球。


 外角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目。


 内角へ外れる。


 ボール。


 三球目。


 藤堂が鋭く振り抜いた。


 カキィィン!


 打球は右翼方向へ高く上がった。


 桑野光が後退する。


 風に押され、打球は少し右翼線方向へ流れた。


 桑野は何度も足を動かしながら、落下点を確認した。


「俺が捕る!」


 そして、グラブを差し出した。


 パシッ!


「アウト!」


 二死。


 二塁走者の中津川は、タッチアップして三塁へ進んだ。


 二死三塁。


 次は五番・新田柊介。


 五回に二点適時二塁打を放った強打者だった。


 正則はマウンドで深呼吸した。


(……ここが勝負や)


 相手は逆方向への長打を得意としている。


 外角へ甘く入れば、また打たれるかもしれない。


 しかし、外角をすべて避ければよいわけでもない。


 正則は、自分の直球を信じることにした。


 初球。


 内角低めへの直球。


 ストライク。


 二球目。


 外角へ外れる。


 ボール。


 三球目。


 森下は外角低めへミットを構えた。


 正則は、丁寧に腕を振った。


 新田がバットを振り抜く。


 カキーン!


 打球は二塁方向への強烈なゴロ。


 亜由美が鋭く反応した。


 一歩目。


 二歩目。


 そして、グラブを低く構える。


 パシッ!


 捕球成功。


 しかし、打球が強かったため、体勢が少し崩れた。


 亜由美は慌てなかった。


 足を整える。


 そして、一塁へ正確に送球した。


「アウト!」


 三アウト!


 正則は大きく息を吐いた。


「……よっしゃ!」


 一塁側のベンチから歓声が上がった。


「亜由美! ナイスプレー!」


 和美も大きな声で叫んだ。


「亜由美ちゃん! すごか守備やったよ!」


 亜由美は笑顔で答えた。


「ありがとう!」


 正則も駆け寄った。


「亜由美! ほんま助かったで!」


 亜由美は笑った。


「今のは絶対に捕りたかったんや!」


 そして、正則へ向き直った。


「でも、正則もよう投げたな!」


「おう!」


 二人はグラブを合わせた。


 七回裏。


 いよいよ、博多フューチャーズの最後の攻撃が始まる。

 第二十章 最終回、正則のバットから始まった反撃

 七回裏。


 4対4。


 豊前シーウインズのマウンドには、救援投手の三輪晴彦が立っていた。


 先頭打者は九番・河内正則。


 正則は、ゆっくりと打席へ向かった。


(……投げるほうは抑えた。今度は打つほうや)


 ベンチの亜由美が声をかける。


「正則! 頼むで!」


 和美も続けた。


「正則君、頑張ってね!」


 正則は軽くうなずいた。


 初球。


 三輪が外角低めへ直球を投げ込んだ。


 ストライク。


 二球目はカーブ。


 正則は見送った。


 ボール。


 三球目。


 内角への直球をファウルにした。


 1ボール2ストライク。


 正則は、一度バットを握り直した。


(……焦ったらあかん)


 青柳家と柳川家で学んだことを思い出した。


 観察する。


 予測する。


 しかし、予測だけに頼らず、目の前の球を見る。


 四球目。


 三輪が外角への直球を投げ込んだ。


 正則は、バットを少し遅らせながら振り抜いた。


 カキーン!


 打球は中堅方向へのライナー。


 安永颯太が前進する。


 しかし、打球はその前へ落ちた。


「センター前ヒット!」


 正則は一塁へ駆け込んだ。


 無死一塁。


 ベンチから歓声が起こった。


「正則! ナイスバッティング!」


 正則は一塁上で小さく拳を握った。


「……よっしゃ!」


 続く一番・早良夏美。


 早良は、送りバントの構えを見せた。


 三輪が投げ込む。


 コンッ!


 打球は一塁線寄りへ転がった。


 一塁手の藤堂大和が前進する。


 捕球。


 そして、一塁カバーへ入った二塁手の中津川晴斗へ送球した。


「アウト!」


 一死二塁。


 正則が二塁へ進んだ。


 そして二番・秋山紘太。


 秋山は、三輪の外角への直球を左方向へ打ち返した。


 カキーン!


 打球は三遊間を抜け、左翼前へ転がった。


 左翼手の新田柊介が素早く前進して捕球する。


 正則は三塁へ進んだが、三塁コーチの指示で止まった。


 一死一、三塁。


 ベンチから拍手が起こった。


「秋山先輩! ナイスバッティング!」


 そして三番・篠崎玲奈。


 初戦では、七回裏に二塁打を放ち、サヨナラの走者となった選手だった。


 今日はどうなるのか。


 豊前シーウインズの海野修平監督は、守備位置を確認した。


 外野手は、三塁走者を簡単に生還させない位置まで前進している。


 篠崎は、ゆっくりとバットを構えた。


 初球。


 外角への直球。


 ストライク。


 二球目。


 低めのカーブ。


 ボール。


 三球目。


 三輪が投げ込んだ直球を、篠崎が鋭く振り抜いた。


 カキィィン!


 打球は中堅方向へ高く上がった。


「大きい!」


 中堅手の安永が後退する。


 風は、依然として左翼から右翼方向へ吹いていた。


 打球はわずかに右翼寄りへ流れながらも、十分な飛距離を保っていた。


 安永が落下点へ入る。


 捕球。


「アウト!」


 しかし、その瞬間。


 三塁走者の正則がスタートした。


 安永は素早く本塁へ送球する。


 捕手の沖田咲良がミットを構えた。


 正則が懸命に走る。


 本塁へ滑り込んだ。


 沖田が送球を捕ってタッチを試みる。


 しかし、正則の足が先にホームベースへ触れた。


「セーフ!」


 5対4!


 博多フューチャーズのサヨナラ勝ちだった。


 グラウンドに歓声が響き渡った。


「やったぁ!」


「二回戦突破たい!」


「玲奈先輩! ナイスバッティング!」


 正則は立ち上がり、大きく息を吐いた。


 そして、ベンチから飛び出してきた仲間たちに囲まれた。


 亜由美が笑顔で駆け寄る。


「正則! よう走ったな!」


 正則は笑った。


「お前も七回の守備、めっちゃ助かったで!」


 和美も声を上げた。


「二人とも、すごかったばい!」


 そこへ篠崎玲奈がやってきた。


「正則君、ナイスラン!」


 正則は頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 篠崎は笑った。


「でも、正則君が先頭で出てくれたけんたい!」


 そして、早良も近づいてきた。


「私のバントも忘れんごとね!」


 秋山も笑った。


「俺のヒットもたい!」


 一同、大笑い。


 試合は、五人の力がつながって決まった。


 正則の安打。


 早良の送りバント。


 秋山の安打。


 そして、篠崎の犠牲フライ。


 どれか一つが欠けても、同じ形での得点にはならなかったかもしれない。


 それこそが、野球という競技の面白さだった。

 第二十一章 風の強さだけでは説明できない勝負

 夏の地区予選・二回戦 試合結果


 | チーム | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 計 |

 |---|---:|---:|---:|---:|---:|---:|---:|---:|---:|

 | 豊前シーウインズ | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 0 | 4 |

 | 博多フューチャーズ | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 2 | 1× | 5 |


 博多フューチャーズ 5-4 豊前シーウインズ

 投手リレー:博多は水上遼太(5回4失点)、河内正則(2回無失点)。豊前は芦田遼一(5回2失点)、三輪晴彦(6回から登板、3失点)。七回裏、篠崎玲奈の犠牲フライでサヨナラ勝ち。

 試合終了後。


 両チームが整列した。


「ありがとうございました!」


 豊前シーウインズの選手たちは、悔しさをにじませていた。


 特に四番・藤堂大和と五番・新田柊介は、最後まで強い打球を放ちながらも、勝利には届かなかったことを悔やんでいた。


 藤堂が新田へ話しかけた。


「柊介、悔しかな」


 新田はうなずいた。


「うん。でも、俺たちが練習してきたことは、ちゃんと出せたと思う」


 藤堂は、博多フューチャーズのベンチを見つめた。


「七回の河内君、あれはよか投球やったね」


 新田も静かにうなずいた。


「そうやね。俺も最後、低めの球を打たされてしまった」


 そして、二人はグラブを合わせた。


「次はもっと強くなろう」


「うん」


 一方、博多フューチャーズでは、城戸監督が全員を集めた。


「みんな、二回戦突破おめでとう!」


「ありがとうございます!」


「今日は、ほんとに難しか試合やったね」


 選手たちがうなずいた。


「豊前シーウインズは、風を読むだけじゃなくて、逆方向へ強い打球を打つ技術が高かった。あのチームから学べることは、たくさんあると思います」


 正則は大きくうなずいた。


「はい!」


 城戸監督は続けた。


「そして、今日の勝利も一人の力でつかんだものじゃなかよ。守備、投球、走塁、打撃。みんなが役割を果たしてくれたから勝てたとよ」


 亜由美と和美は、顔を見合わせた。


「ほんまやね」


「そうたい」


 そこへ澪が近づいてきた。


「監督、今日の記録をまとめてみます」


 城戸監督は微笑んだ。


「ありがとう、澪さん。今日の試合で、どげんなことが分かった?」


 澪は少し考えた。


「豊前シーウインズは、確かに逆方向へ強い打球を打っていました。でも、全部の打球が風に助けられたわけではないと思います」


「うん」


「それから、博多フューチャーズの選手も、風のある状況で落下点を修正して捕球できた場面がありました」


 澪は続けた。


「まだ一試合だけなので、どちらのチームが風に強いかを数字だけで判断することはできません。でも、次に同じような条件で試合をするとき、参考になる記録は残せたと思います」


 城戸監督は満足そうにうなずいた。


「よかね。分析のための分析じゃなくて、次の練習へ生かせるようにしていこう」


 澪は深く頭を下げた。


「はい!」


 正則は、その様子を見つめながら笑った。


「……澪ちゃん、ほんまにスコアラーらしくなってきたな」


 澪は少し照れた。


「まだまだだよ。でも、もっと勉強したいな」


 亜由美も笑った。


「うちらも負けてられへんな!」


 和美がうなずいた。


「そうたい!」


 新しい仲間の加入は、チームに新しい視点をもたらし始めていた。

 第二十二章 データは答えを決めるものではない

 その日の夜。


 博多南中学校の寄宿舎では、正則と亜由美が、それぞれ今日の試合を振り返っていた。


 女子居住区域では、澪が試合記録を整理していた。


 亜由美は、隣から画面を見つめている。


「澪ちゃん、今日の試合、ほんまにいろんなことが分かったな」


 澪はうなずいた。


「うん。でも、まだ分からないこともいっぱいあるよ」


「例えば?」


「風がなかった場合、藤堂選手の二塁打がどうなっていたかは分からないでしょう?」


 亜由美はうなずいた。


「そうやね」


「それに、同じコースへ投げたとしても、次も同じ打球になるとは限らないよね」


「確かに」


 澪は、少し笑った。


「だから、データは未来を決める答えじゃなくて、考えるための材料なんだと思う」


 亜由美は、はっとした。


「……考えるための材料」


「うん。それをどう使うかは、実際にプレーする選手たちが考えることだと思うの」


 亜由美は、ゆっくりとうなずいた。


「……ありがとう、澪ちゃん」


 そして、自分の野球ノートを開いた。


 今日の打席では、安打を打てなかった。


 しかし、走者を三塁へ進めることはできた。


 七回の守備では、強烈な二塁ゴロを処理し、正則の無失点投球を助けた。


 一つずつ考えれば、以前の自分よりできることは確実に増えている。


 しかし、それで満足してよいわけではない。


 亜由美は、光子と優子の言葉を思い出した。


『うちらは、もっと上手になりたかけん、今でも練習を続けよるとよ』


 そして、結音と灯乃が話してくれたこと。


 親世代の音楽を大切にしながらも、自分たち自身の音楽を追求していく。


 亜由美は静かに笑った。


「……うちも、うちの野球をもっと磨きたいな」


 澪も微笑んだ。


「私も、もっと役に立てるスコアラーになりたいな」


 二人は顔を見合わせた。


 そして笑い合った。


 一方、男子居住区域。


 正則は、同室の寺島湊へ今日の試合を話していた。


「湊、今日は二回投げて無失点やったで!」


 湊が笑顔になった。


「すごいね! おめでとう!」


 正則は少し照れた。


「おおきに!」


 しかし、すぐに真剣な表情になった。


「でもな、豊前の四番と五番、ほんまにすごかったわ」


「どんな選手だったの?」


「右打者やのに、外角の球を右翼へ思い切り打ち返すねん。しかも、めちゃくちゃ強い打球やった」


 湊は感心したようにうなずいた。


「そうなんだ」


 正則は続けた。


「俺も、もっと制球を磨かなあかん。それから、打者がどんな狙いを持っとるか、もっと勉強したいわ」


 そして、野球ノートを開いた。


 そこには、新しい目標が書き込まれていた。


『打たれた理由を、球種だけで決めつけない。高さ、コース、打者の技術、自分のフォームを確認する』


 さらに、もう一行。


『相手が強いからこそ、自分ももっと上手になれる』


 正則は、ゆっくりとペンを置いた。


「……次も頑張るで」

 第二十三章 大阪と博多、それぞれの夏

 その頃、大阪市の西九条中学校では、池永智雄たちが次の公式戦へ向けた練習を終えたところだった。


 智雄のスマートフォンへ、正則からメッセージが届いた。

 正則:智雄! 二回戦も勝ったで! 5対4のサヨナラ勝ちや!


 智雄は思わず声を上げた。


「おおっ!」


 隣の宮本さくらが尋ねた。


「どうしたん?」


「正則たち、また勝ったって!」


 西村奈緒も笑顔になった。


「すごいやん!」


 智雄は返信した。

 智雄:おめでとう! また接戦やったんか! お前ら、ほんまに粘り強いな!


 正則から返事が届いた。

 正則:相手もめちゃくちゃ強かったで。右打者が逆方向へ長打を打ってきよった!


 智雄は、少し驚いた。

 智雄:そら強敵やな。俺もそういう打者に通用する球を磨かなあかんわ!


 そして、最後にこう送った。

 智雄:正則、全国まで勝ち進めよ! 俺らも負けへんからな!


 正則も、すぐに返した。

 正則:おう! お互い全国を目指そうな!


 離れた場所で、それぞれの夏を戦う二人。


 しかし、目指している場所は同じだった。


 一方、博多リトルスターズでは、柳川悠翔が地区予選の次戦へ向けて練習を続けていた。


 後輩の四年生たちも、少しずつ公式戦で自分の役割を果たせるようになってきている。


 悠翔は、正則たちの二回戦突破を聞いて嬉しそうに笑った。


「正則君たち、また勝ったっちゃね!」


 そして、グラブを握り直した。


「僕らも負けられんばい!」


 博多フューチャーズ。


 西九条中学校。


 博多リトルスターズ。


 それぞれが違う場所で、全国大会を目指していた。

 第二十四章 新しい仲間と、終わりのない成長

 翌週。


 博多フューチャーズの練習場。


 城戸監督は選手たちを集めた。


「みんな、二回戦突破おめでとう!」


「ありがとうございます!」


「今日は、これまでの二試合を振り返ってみよう」


 そして、隣に立つ澪を紹介した。


「今回から、桐原澪さんが正式にチームの記録係として参加してくれることになりました」


 選手たちが拍手した。


 澪は、少し緊張しながら頭を下げた。


「桐原澪です。まだ野球のことは勉強中ですが、皆さんの役に立てるように頑張ります。よろしくお願いします」


「よろしくお願いします!」


 正則が笑顔で声をかけた。


「澪ちゃん、頼りにしとるで!」


 和美も笑った。


「一緒に頑張ろうね!」


 亜由美は、嬉しそうに拍手していた。


 城戸監督は続けた。


「今回、澪さんが記録を整理してくれたことで、相手の打球方向や投球の傾向を、以前より詳しく振り返ることができるようになったとよ」


 そして、少し真剣な表情になった。


「でもね、数字が全部の答えを教えてくれるわけじゃなかよ。実際にプレーするみんなが、何を感じて、どう判断するかも大切たい」


 正則はうなずいた。


「はい!」


 城戸監督は、さらに話を続けた。


「それから、初戦の盗塁判定についても、連盟から回答が届いたね。あの出来事を通して、みんなは何を学んだ?」


 早良夏美が手を挙げた。


「自分が見たものだけで、すぐに決めつけんことです。それから、分からんことがあったら、正式な方法で確認することです」


 城戸監督はうなずいた。


「そうたい」


 和美も手を挙げた。


「私たち二塁手は、タッチするときにボールを確実に保持することが大切だって分かりました」


「よかね」


 亜由美も続けた。


「それから、疑問があるからって、審判の人を感情的に責めるのは違うと思いました」


 城戸監督は微笑んだ。


「そうやね」


 そして、最後に選手たちを見渡した。


「勝つために技術を磨くことは大切たい。でも、野球を正しく理解して、相手を尊重することも、同じくらい大切やけんね」


 選手たちは、力強くうなずいた。


「はい!」


 正則は、隣の亜由美と和美へ声をかけた。


「なあ、俺ら、ほんまにいろんなことを学んどるな」


 亜由美が笑った。


「せやね。野球の技術だけやないもんな」


 和美もうなずいた。


「そうたい! まだまだ知らんことがいっぱいあるけんね」


 正則は、少し考えた。


 そして、笑顔になった。


「でも、それって面白いよな」


 亜由美が尋ねた。


「何が?」


「知らんことがいっぱいあるってことは、これからもっと覚えられることがあるってことやろ?」


 和美は大きくうなずいた。


「そうたい!」


 亜由美も笑った。


「ほんまやね!」


 そして三人は、グラブを合わせた。


 新しく加わった澪も、その様子を笑顔で見つめていた。


 自分たちの限界を決めない。


 知らないことを学ぶ。


 失敗した理由を確かめる。


 そして、仲間を尊重しながら、もっと上手になろうと努力する。


 その姿勢は、ファイブピーチ★の五人から教わったことにも通じていた。


 世界的なミュージシャンになっても、基本練習を続ける光子と優子。


 プロデビューを果たしながら、親世代とは違う自分たちの音楽を追求する結音と灯乃。


 そして今、博多フューチャーズの一年生たちも、自分たちの野球を少しずつ磨き始めていた。


 知ることは、成長するための第一歩。


 そして、学んだことを実際のプレーへ生かすことで、その知識は初めて自分の力になる。


 全国大会への道は、まだ長い。


 しかし、正則と亜由美たちは、確かに一歩ずつ前へ進んでいた。


 次回予告

 第58話「三回戦、変則投手との対決」

 夏の地区予選二回戦を5対4で制した博多フューチャーズ。


 しかし、次の三回戦では、これまでとは異なる特徴を持つ強豪チームが待っていた。


 相手のエースは、独特の投球フォームから直球と変化球を投げ分ける変則投手。


 上手投げとは違う球の軌道。


 見慣れないリリース位置。


 そして、打者のタイミングを巧みに外す配球。


 博多フューチャーズの打者たちは、思うようにボールを捉えられず苦戦する。


 そんな中、城戸直哉監督は、正則と亜由美、和美、そして新しく加わったスコアラー・桐原澪へ新しい課題を与える。


「相手投手の特徴を、見たことと推測したことに分けて考えてみよう」


 澪は、投球の軌道と打者の反応を丁寧に記録する。


 亜由美と和美は、自分たちが打席で何を狙うべきか考え始める。


 一方、正則は投手として、相手チームの打者を研究しながら次の登板に備える。


 しかし、三回戦は序盤から厳しい展開となる。


 そんな中、大阪の西九条中学校でも、池永智雄たちが次の公式戦に挑む。


 そして、博多リトルスターズでは柳川悠翔が、四番打者兼キャプテンとして地区予選を勝ち進んでいた。


 次回、第58話「三回戦、変則投手との対決」。


 技術を磨くだけでは、勝てない相手がいる。だからこそ、観察し、考え、試し、修正する。新しい仲間・桐原澪の分析も加わり、博多フューチャーズはさらに難しい勝負へ挑もうとしていた。

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