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河内正則・栄光への道  作者: リンダ


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夏のベンチ入り、運命の選考

 河内正則 栄光への道


 第55話「夏のベンチ入り、運命の選考」


 第一章 六月中旬、夏の大会が近づいてきた


 六月中旬。




 福岡市にある爆笑発電所スポーツ事業部の野球施設では、朝から選手たちの威勢のよい声が響いていた。




 博多フューチャーズは、夏の大会へ向けた準備を本格化させている。




 河内正則と加藤亜由美が博多南中学校へ入学して、二か月余り。大阪から親元を離れ、寄宿舎での共同生活を始めた二人は、学校生活にも野球にも少しずつ慣れてきた。




 しかし、野球の世界では、慣れたことと実力が通用することは別問題だった。




 三年生の藤岡蓮司が投げる百三十キロを超える直球。




 二年生の水上遼太が巧みに操る変化球。




 三浦康平の安定した二塁守備。




 川野颯太の俊足。




 そして、同じ一年生でありながら、鋭い反応と素早い送球を武器にする牧田和美。




 全国大会準優勝という実績を持つ正則と亜由美でも、簡単にレギュラーの座をつかめる環境ではなかった。




 この日、城戸直哉監督は練習開始前に選手たちを集めた。




「みんな、集合!」




 全員がグラウンド中央へ駆け寄る。




「夏の大会まで、残された時間が少なくなってきました。今日は一つ、大事な話があります」




 選手たちの表情が引き締まった。




「今週末、ベンチ入り選手を決めるための最終実戦練習を行います」




 正則は思わず背筋を伸ばした。




 亜由美も、和美も、真剣な表情で監督を見つめている。




 城戸監督は続けた。




「試合での結果は大きな判断材料になります。でも、一回の失敗だけで選手を決めつけることも、一回の好プレーだけでレギュラーを約束することもせんよ」




 平松真帆コーチが説明を引き継いだ。




「これまでの練習内容、実戦での判断力、技術の安定性、チーム全体の構成を総合的に見ます。選ばれた人も、選ばれなかった人も、そこで成長が終わるわけじゃなかけんね」




 その言葉を聞いて、亜由美は静かにうなずいた。




 以前、ファイブピーチ★の五人に相談したとき、美香が話してくれたことを思い出した。




 努力すれば、必ず評価されるわけではない。




 しかし、だからといって、その努力が無意味になるわけでもない。




 城戸監督は、選手たちを見渡した。




「同じポジションを争う相手も、大切な仲間たい。お互いに遠慮する必要はなか。でも、相手への敬意は忘れんごとね」




「はい!」




 選手たちの声が、グラウンドに響き渡った。




 いよいよ、夏の大会を前にした最後の競争が始まろうとしていた。




 第二章 同じマウンドを目指す四人


 第一グラウンドのブルペン。




 三年生の藤岡蓮司。




 二年生の水上遼太。




 一年生の河内正則と国分颯斗。




 四人の投手が順番に投球練習を行っていた。




 藤岡の直球は、相変わらず力強かった。




 バシィィン!




 捕手の相原健悟のミットに、重い音が響く。




 球速表示は133キロ。




「ナイスボール!」




 相原が声をかけた。




 続いて水上が投げ込む。




 直球から、球速を落としたカーブ。




 さらにチェンジアップ。




 相手打者のタイミングを外すため、腕の振りとコースを丁寧に確認していた。




 正則は、その投球を見つめた。




(……ほんま、先輩たちはすごいな)




 だが、以前のように、ただ感心するだけではなかった。




 藤岡は、なぜ今のコースへ投げたのか。




 水上は、なぜそのカウントで変化球を選んだのか。




 自分なら、どう組み立てるか。




 正則は一球ずつ考えていた。




 その様子を見た藤岡が声をかけた。




「正則君、何ば考えよると?」




 正則は答えた。




「先輩たちの配球です。僕やったら、どこに投げるか考えとったんです」




 藤岡は笑った。




「よかことたい。じゃあ、さっきの俺の三球目、どう思った?」




「外角の直球を見せたあとで、同じような腕の振りからスライダーでした。打者は直球を待っとったら、振り遅れると思います」




「そうやね。でも、次も同じ組み立てが通用するとは限らんよ」




 正則はうなずいた。




「はい!」




 水上も話しかけた。




「正則君、最近、直球の制球がよくなってきたね」




「ありがとうございます!」




「でも、まだ三年生の打者に打たれることもあるやろ?」




「はい。特に高めへ甘く入ったときは、強い打球を打たれます」




 水上はうなずいた。




「そこをもっと安定させられたら、変化球も生きてくると思うとよ」




 正則は、ふと別のことを思い出した。




 小学四年生の光子が、ベースの簡単なフレーズを何度も練習していた映像。




 優子が、ドラムの基本的なリズムを繰り返していた映像。




 二人は今、世界的なミュージシャンになっている。




 それでも、基本練習をやめていない。




 正則は静かに言った。




「……僕、今日もフォームを確認してから投げます」




 藤岡がうなずいた。




「それでよかと思うばい」




 国分颯斗も笑顔で声をかけた。




「正則君、僕も負けんけんね!」




 正則はニヤリと笑った。




「望むところや! 俺も絶対にマウンドを取りにいくで!」




 藤岡も笑った。




「俺だって、まだまだ譲るつもりはなかよ!」




 水上が続けた。




「もちろん、僕もたい!」




 四人は笑い合った。




 親しい仲間でありながら、一つのマウンドを争うライバル。




 それぞれの思いは、決して軽いものではなかった。




 第三章 亜由美と和美、譲れない二塁


 第二グラウンド。




 二塁手候補の四人も、厳しい練習を続けていた。




 三年生の三浦康平。




 二年生の川野颯太。




 一年生の加藤亜由美と牧田和美。




 四人は、二塁守備と併殺プレーの連係を重点的に練習していた。




 三浦は、経験を生かした安定した守備が持ち味だった。




 川野は、守備範囲と走力に優れている。




 和美は、鋭い一歩目と素早い送球。




 そして亜由美は、相手打者の特徴や投球コースから、打球の方向を予測する能力を磨き続けていた。




 平松コーチが声をかけた。




「今日は、打球の処理だけじゃなくて、走者の動きも確認しながら守ってね!」




「はい!」




 最初は三浦。




 一死一塁の状況で、三年生の早田航が強いゴロを放った。




 三浦は素早く捕球する。




 遊撃手の秋山紘太へ送球。




 二塁アウト。




 さらに一塁へ転送。




「アウト!」




 見事なダブルプレーだった。




 続いて川野。




 打球は二遊間の深い位置へ飛んだ。




 川野は俊足を生かして追いつき、二塁への送球は間に合わないと判断した。




 一塁へ送球する。




「アウト!」




 今度は和美。




 三年生の篠崎玲奈が強く振り抜いた。




 カキーン!




 一、二塁間への鋭い打球。




 和美は低い姿勢から素早く横へ動く。




 パシッ!




 捕球成功。




 送球先を確認すると、迷わず一塁へ投げた。




「アウト!」




 平松コーチがうなずいた。




「和美ちゃん、よか判断やったね!」




 和美は笑顔になった。




「ありがとうございます!」




 そして、亜由美の番。




 篠崎が打席に入る。




 亜由美は、打者の構えを見つめた。




 バットの位置。




 足の開き方。




 投球コース。




 しかし、そこで打球方向を決めつけることはしなかった。




(……予測は予測。実際に飛んできた打球を、ちゃんと見なあかん)




 投手の水上遼太が投げ込む。




 カキーン!




 打球は二遊間へ飛んだ。




 亜由美が素早く反応する。




 パシッ!




 捕球成功。




 一塁走者はすでに二塁へ近づいていた。




 亜由美は二塁への送球を諦め、一塁で確実にアウトを取った。




「アウト!」




 平松コーチが拍手した。




「亜由美さん、今の判断はよかったよ!」




「ありがとうございます!」




 隣で見ていた和美も笑った。




「亜由美ちゃん、一歩目が速くなっとるね!」




 亜由美は笑顔で答えた。




「和美ちゃんに教えてもらったおかげや!」




 和美は少し照れた。




「いやいや、私も亜由美ちゃんからいっぱい教えてもらいよるけん!」




 すると、三浦が笑った。




「二人とも、よかライバルやね!」




 川野も続けた。




「でも、俺たちも負けとられんばい!」




 和美が力強く答えた。




「私も絶対にレギュラーを取りたかです!」




 亜由美も続けた。




「うちもです!」




 四人は笑顔でグラブを合わせた。




 しかし、亜由美は分かっていた。




 今の好プレーだけで、三浦を上回ったとは言えない。




 和美も同じだ。




 四人とも、まだまだ成長を続けている。




 そして、亜由美の胸には、ファイブピーチ★の五人から教わった言葉が残っていた。




 今が一番だと思ったら、そこで成長が止まってしまうかもしれない。




 自分が一つ上手になれば、仲間もまた新しい技術を身につける。




 だからこそ、練習をやめられない。




 そのことが、今では少し楽しくも感じられていた。




 第四章 親と同じ道でも、親と同じ音楽ではない


 その日の練習後。




 一年生たちがグラウンドの片づけを終えた頃、爆笑発電所の音楽スタジオから演奏の音が聞こえてきた。




 ギターの鋭い音。




 低く響くベース。




 力強いドラム。




 そして、複数の声が重なる歌声。




 正則が顔を上げた。




「……何や、この曲?」




 亜由美も足を止めた。




「ファイブピーチ★とは、ちょっと違う感じやね」




 そのとき、スタジオの扉が開いた。




 姿を見せたのは、柳川結音と柳川灯乃だった。




「正則君! 亜由美さん! みんなもお疲れさま!」




 結音が明るく声をかけた。




 灯乃も笑顔になった。




「今日は野球の練習やったと?」




「そうたい!」




 和美が答えた。




 正則も笑った。




「おう! 夏の大会のレギュラー争いや!」




 結音はうなずいた。




「そうやったんね。うちらも今、新曲の練習をしよったとよ」




 亜由美が尋ねた。




「ピーチブロッサム★の新曲?」




「そうたい!」




 結音は笑った。




「まだ完成しとらんけどね」




 灯乃が続けた。




「今日は曲の展開をちょっと変えてみたとよ。最初につくったバージョンとは、かなり違う感じになったっちゃん」




 坂井雄二が興味深そうに尋ねた。




「何で変えたと?」




 灯乃は少し考えた。




「最初のアレンジでも演奏はできたんよ。でも、歌詞が伝えたか気持ちと、演奏の雰囲気が少し違う気がしたけんね」




 正則はうなずいた。




「なるほど」




 結音が続けた。




「うちらのバンドは、もうプロとして活動しよるけど、曲をつくるときに迷うこともあるとよ」




 ピーチブロッサム★。




 ファイブピーチ★の次世代にあたる音楽ユニットとしてプロデビューし、同年代の若者たちから絶大な人気を集めているバンドだった。




 しかし、その音楽性は、親世代のファイブピーチ★とは異なる。




 結音と灯乃は、同年代の子どもたちが抱える夢や悩み、友情、恋心、日常の小さな喜びを、自分たち自身の言葉と音楽で表現していた。




 亜由美が尋ねた。




「結音ちゃんたちって、お母さんたちと同じような音楽を目指してるん?」




 結音は笑った。




「影響はいっぱい受けとるよ。でも、同じ音楽をそのままやろうとは思っとらんとよ」




 灯乃もうなずいた。




「お母さんたちの音楽は大好きたい。でも、うちらにはうちらが伝えたかことがあるけんね」




 正則は、少し驚いた。




「……そうなんや」




 結音は続けた。




「うちらが今感じとることと、お母さんたちが大人になってから感じてきたことは、同じじゃなかやろ?」




「せやな」




「やけん、自分たちの言葉で曲をつくりたかとよ」




 灯乃が笑顔で続けた。




「もちろん、演奏技術はまだまだ磨かんといかん。でも、上手に演奏するだけじゃなくて、聴いてくれる人に何を届けたいかも大切にしとるっちゃん」




 亜由美は、静かにうなずいた。




 自分たちと年齢の近い少女たちが、すでにプロとして音楽を世の中へ届けている。




 しかも、親世代の名声だけに頼ろうとはせず、自分たちの音楽を追求している。




 その姿は、想像していた以上に刺激的だった。




 第五章 結音と灯乃が語る、親とは違う自分たちの音楽


 スタジオの休憩スペース。




 結音と灯乃は、博多フューチャーズの一年生十一人を前に、自分たちの音楽について話し始めた。




 結音が口を開いた。




「みんな、うちらの曲って聴いたことある?」




 坂井雄二が即答した。




「もちろんたい! 学校でも人気あるけんね!」




 長谷川日菜も笑った。




「私、通学するときによく聴きよるよ!」




 結音は嬉しそうに笑った。




「ありがとう!」




 しかし、すぐに真剣な表情になった。




「でもね、うちらも最初から自分たちの音楽ができとったわけじゃなかとよ」




 亜由美が尋ねた。




「そうなん?」




「うん。小さい頃は、お母さんたちの演奏を見て、すごかねって思いよった。うちらもあげんなりたかって、何回も真似したことがあるとよ」




 灯乃が続けた。




「でもね、あるとき気づいたっちゃん。どれだけ上手に真似しても、ファイブピーチ★にはなれんって」




 正則が驚いた。




「……どういうことや?」




 灯乃は少し考えた。




「お母さんたちには、お母さんたちが経験してきたことがあるやろ? 楽しかったことも、つらかったことも、たくさんあるとよ」




「うん」




「でも、うちらが今感じとることは、それとは違うっちゃん。学校での出来事とか、友達との会話とか、好きな人のこととか、将来への不安とかね」




 結音がうなずいた。




「やけん、うちらはうちらの言葉で歌いたかって思ったとよ」




 和美が顔を上げた。




「それって、ファイブピーチ★と違う曲をつくるってこと?」




「そうたい。でも、違うことをするためだけに、無理して変わった曲をつくるわけじゃなかよ」




 結音は続けた。




「自分たちが本当に伝えたかことを考えたら、自然と違う音楽になっていったっちゃん」




 亜由美は、静かにうなずいた。




 自分は三浦康平のような守備を身につけたいと思っている。




 和美のように、一歩目が鋭い二塁手にもなりたい。




 しかし、三浦や和美とまったく同じ選手になることが、最終目標ではない。




 結音は、さらに話を続けた。




「それに、プロデビューしたからって、何でもうまくいくわけじゃなかとよ」




 森下悠一が尋ねた。




「結音さんたちでも、失敗すると?」




 灯乃が笑った。




「もちろんたい!」




 そして、少し苦笑しながら続けた。




「新曲の練習で、ギターの音が思ったように出らんこともあるし、歌い方を何回も変えることもあるとよ」




 結音もうなずいた。




「曲が完成しかけとったのに、やっぱり何か違うって思って、構成を最初から見直したこともあるけんね」




 正則は驚いた。




「そこまでやるんか?」




「そうたい」




 結音は、少し真剣な表情になった。




「だって、自分たちが納得できんまま出したら、あとで絶対に後悔すると思うっちゃん」




 亜由美は静かに聞いていた。




「でもね、亜由美さん。納得できる曲ができたからって、必ず大ヒットするとは限らんとよ」




「……そうやね」




「うちらの音楽を好きって言ってくれる人もおれば、好みに合わんっていう人もおる。それは当然のことやと思う」




 灯乃も続けた。




「だから、人気があるっていうことだけで、自分たちの音楽が完成したとは思わんようにしとるとよ」




 正則は、光子と優子の言葉を思い出した。




 自分で自分の限界を決めない。




 今が一番だと思ってしまえば、成長する機会を失うかもしれない。




 その考え方は、娘たちにも確かに受け継がれていた。




 ただし、結音と灯乃は親の言葉をそのまま繰り返しているわけではなかった。




 自分たちがプロの舞台で経験してきたことを、自分たちの言葉で話していたのである。




 第六章 「上手になりたい」は、恥ずかしいことじゃない


 ここで、亜由美が手を挙げた。




「結音ちゃん、灯乃ちゃん。ちょっと聞いてもええ?」




「もちろんたい!」




「二人とも、もうプロとして人気があるやん。それでも、ほかのアーティストを見て焦ることってあるん?」




 結音は、少し考えた。




「あるよ」




 亜由美が驚いた。




「……やっぱり?」




「うん。ほかのバンドのライブを見て、すごか演奏やねって思うこともあるし、同じ世代の人が新しか音楽を発表したら、刺激を受けることもあるけんね」




 灯乃が続けた。




「でも、その人の成功を嫌がるより、自分たちももっとよかものをつくろうって考えたほうが、絶対に楽しかと思うっちゃん」




 和美がうなずいた。




「……私たちのレギュラー争いと似とるね」




「そうかもしれんね」




 結音は微笑んだ。




 和美は続けた。




「私、亜由美ちゃんの観察力、すごかって思っとる。でも、セカンドのレギュラーは絶対に取りたかとよ」




 亜由美も笑った。




「うちも和美ちゃんの守備、めちゃくちゃすごいと思っとる。でも、負けたくないねん」




 結音は嬉しそうにうなずいた。




「それでよかと思うよ!」




 そして、少し真剣な表情になった。




「ただね、レギュラーになれんかったからって、自分には才能がなかって決めつけんでほしかとよ」




 亜由美は、静かに顔を上げた。




 結音は続けた。




「今日できんかったことでも、半年後にはできるかもしれん。一年後には、もっと上手になっとるかもしれんやろ?」




 灯乃もうなずいた。




「うちらも、去年より今年のほうが演奏できる曲が増えたし、前は難しかったフレーズも、今は弾けるようになったものがあるけんね」




 国分颯斗が尋ねた。




「じゃあ、結音さんたちも、毎日基本練習をしよると?」




「もちろんたい!」




 結音が即答した。




「ギターの基本練習もするし、歌の練習もするよ」




 灯乃が続けた。




「速か曲を弾くときも、最初はゆっくりしたテンポで確認することがあるっちゃん。できんところは、できる速さまで落として練習するとよ」




 正則は、思わずうなずいた。




「……何か、投球フォームの練習と似とるな」




 結音が笑った。




「そうなん?」




「うん。俺も速い球を投げたくて、腕を力いっぱい振ろうとしたら、フォームが崩れることがあるねん」




 灯乃がうなずいた。




「ほら、似とるやん!」




 そこで、森下悠一が尋ねた。




「でも、上手になりたいって思うだけで、ほんとに上手になると?」




 灯乃は首を横に振った。




「思うだけじゃ、上手にはならんと思うよ」




 そして、はっきりと言った。




「上手になりたかって思うから、何を練習するか考えるとよ。そこで初めて、行動が変わるっちゃん」




 結音も続けた。




「それに、できるようになったことは、ちゃんと喜んでよかとよ。自分の成長を認めることと、そこで満足して練習をやめることは、違うけんね」




 亜由美は、深くうなずいた。




「……ありがとう」




 結音は笑顔になった。




「こちらこそ! みんなの野球の話も、うちらには勉強になるとよ」




 灯乃も笑った。




「今度、野球場の音を曲に取り入れてみようかって話もしよるけんね!」




 正則が吹き出した。




「また野球が曲になるんか!」




 結音はニヤリと笑った。




「そうたい! ただし、正則君の三振まで曲にするかは、まだ考え中たい!」




 正則は即座に突っ込んだ。




「そこはヒットの音にしてくれや!」




 灯乃が大笑いした。




「ほな、タイムリーヒットを打ってもらわんとね!」




 一年生たちの笑い声が、スタジオの休憩スペースに広がった。




 しかし、その言葉の一つ一つは、確かに胸に残っていた。




 自分たちと世代の近い少女たちが、すでにプロとして活動しながら、もっと上手になりたいと考えている。




 しかも、親世代の音楽を大切にしながら、自分たち自身の表現を探し続けている。




 正則と亜由美だけでなく、その場にいた十一人全員が、大きな刺激を受けていた。




 第七章 最終選考、紅白戦のメンバー発表


 土曜日。




 博多フューチャーズの第一グラウンドには、選手たちが早朝から集まっていた。




 この日は、夏の大会へ向けた最終選考の紅白戦だった。




 城戸直哉監督と平松真帆コーチは、試合でのプレーを確認するため、これまでの練習内容も踏まえて二つのチームを編成していた。




「みんな、集合!」




 城戸監督が選手たちを集めた。




「今日は五回制の実戦練習を行います。途中で選手を交代し、いろんな状況でのプレーを確認するけんね」




 そして、先発メンバーが発表された。




 白組は、投手が三年生の藤岡蓮司、捕手が相原健悟。一塁は南条悠斗、二塁は加藤亜由美、三塁は篠崎玲奈、遊撃は秋山紘太。左翼には一年生の岸田誠一、中堅は早良夏美、右翼には一年生の長谷川日菜が入った。




 一方、紅組は、投手が二年生の水上遼太、捕手が土屋悠真。一塁は江本哲也、二塁は牧田和美、三塁は江尻栞、遊撃は久保田航輝。左翼は三年生の早田航、中堅に一年生の坂井雄二、右翼には桑野光が入った。




 さらに、途中から正則、国分颯斗、森下悠一、立花朋輝、早瀬伊織、藤崎大輝、三浦康平、川野颯太、松崎結月らにも出場機会が与えられることになっていた。




 正則が顔を上げた。




「監督、僕の登板は何回からですか?」




 城戸監督が答えた。




「三回から紅組のマウンドに上がってもらう予定たい」




「はい!」




「相手は上級生を中心にした打線です。自分の直球がどこまで通用するか、しっかり確かめてください」




「分かりました!」




 一方、亜由美は、白組の先発二塁手に選ばれていた。




 和美は紅組の先発二塁手。




 つまり、二人はそれぞれ違うチームで守ることになった。




 和美が笑顔で近づいてきた。




「亜由美ちゃん、今日は敵同士たい!」




 亜由美も笑った。




「そうやね! でも、遠慮せえへんで!」




「私もたい!」




 そして、和美は少し真剣な表情になった。




「亜由美ちゃん、今日の試合、絶対にいいプレーしようね」




 亜由美はうなずいた。




「うん。でも、うちのほうがもっとええプレーしたる!」




 和美が笑った。




「負けんばい!」




 二人はグラブを合わせた。




 少し離れたところでは、正則と国分が話していた。




「颯斗、今日はお互いに投げるんやな」




「そうたい!」




「絶対に負けへんで!」




 国分も笑った。




「僕も負けん!」




 そのやり取りを見た藤岡が、声を上げて笑った。




「二人とも、俺を忘れんごとね!」




 正則が即座に答えた。




「もちろんです! 藤岡先輩も超えるつもりです!」




 藤岡はニヤリと笑った。




「そりゃ楽しみたい!」




 グラウンドには、いつもと違う緊張感が漂っていた。




 今日の一球。




 今日の一打。




 今日の一つの守備。




 それが、夏の大会のベンチ入りを左右するかもしれない。




 しかし、全員が分かっていた。




 一回の結果ですべてが決まるわけではない。




 それでも、今日の勝負に全力を尽くしたい。




 その思いは、誰も同じだった。




 第八章 先輩にも、失敗する日はある


 午前九時三十分。




 紅白戦が始まった。




 先攻は白組。




 紅組の先発、水上遼太がマウンドへ上がる。




 先頭打者は早良夏美。




 水上が外角低めへ直球を投げ込んだ。




 ストライク。




 続く二球目。




 早良は変化球を見送った。




 ボール。




 三球目。




 外角への直球を、早良が鋭く打ち返した。




 カキーン!




 センター前ヒット。




 無死一塁。




 続く秋山紘太が送りバントを決め、一死二塁。




 三番、篠崎玲奈。




 水上が投げ込んだ直球を、篠崎が左方向へ打ち返した。




 レフト前ヒット。




 二塁走者の早良が三塁を回る。




 ホームイン!




 白組が一点を先制した。




 一方、一回裏。




 紅組の一番、坂井雄二が藤岡蓮司の直球を打ち返した。




 センター前ヒット。




 無死一塁。




 ベンチの一年生たちが沸いた。




「雄二! ナイスバッティング!」




 坂井は一塁上で笑った。




「よっしゃ!」




 続く久保田航輝が送りバントを決め、一死二塁。




 三番の早田航は一塁ゴロ。




 坂井は三塁へ進んだ。




 二死三塁。




 しかし、四番の桑野光はセンターフライに倒れ、得点には至らなかった。




 その後、二回表。




 白組は南条悠斗の四球と送りバントで一死二塁のチャンスをつくった。




 打席には亜由美。




 相手投手は水上遼太。




 亜由美は、落ち着いてバットを構えた。




(……変化球もある。でも、今は打てる高さの直球を狙おう)




 初球は外角低めのカーブ。




 見送ってボール。




 二球目は内角への直球。




 ストライク。




 三球目。




 水上が投げ込んだ直球を、亜由美が鋭く打ち返した。




 カキーン!




 打球は一、二塁間へ飛んだ。




 和美が横へ動く。




 グラブを伸ばした。




 しかし、わずかに届かなかった。




 ライト前ヒット。




 二塁走者の南条が三塁を回り、ホームイン!




 白組が2対0とリードを広げた。




 一塁上で亜由美は小さく拳を握った。




「……よし!」




 和美は、二塁の位置で一度グラブを握り直した。




(……あと一歩やった)




 しかし、悔しがるだけでは終わらなかった。




(次は、もっと早く準備しよう)




 試合はその裏、紅組が江本哲也の二塁打と江尻栞の犠牲フライで一点を返した。




 2対1。




 両チームの実力が拮抗する展開だった。




 そして三回。




 紅組は水上に代わって、正則が登板した。




 白組も藤岡に代わり、国分颯斗がマウンドへ上がった。




 ところが、試合が進むにつれて、普段は安定している上級生にもミスが出始めた。




 白組の三塁を守る篠崎玲奈は、強烈なゴロを捕球しようとした際、打球がグラブの先に当たって後方へ転がってしまった。




 普段なら捕れていた打球だった。




「……しまった!」




 篠崎は悔しそうにボールを追いかけた。




 しかし、次の瞬間には顔を上げた。




「ごめん! 次、いこう!」




 遊撃手の秋山が声をかけた。




「玲奈、まだ終わっとらんばい!」




 篠崎は大きくうなずいた。




「うん!」




 一方、紅組でも、和美が強い打球への対応を誤り、一度ボールをこぼしてしまった。




「……あっ!」




 和美は、慌てずボールを拾い直した。




 しかし、一塁への送球は間に合わなかった。




 エラー。




 和美は悔しそうに唇をかんだ。




 そこへ、遊撃手の久保田航輝が声をかけた。




「和美ちゃん、次の打球で取り返そう!」




 和美はうなずいた。




「はい!」




 誰だって失敗する。




 三年生でも、二年生でも、一年生でも同じだ。




 しかし、失敗したあと、次のプレーへどう向き合うか。




 その姿勢もまた、選考では大切な要素だった。




 第九章 正則と亜由美、幼なじみ同士の真剣勝負


 三回表。




 紅組のマウンドには正則が立っていた。




 先頭の長谷川日菜を直球で見逃し三振に打ち取る。




 続く早良夏美にはセンター前ヒットを許したものの、秋山紘太を二塁ゴロに打ち取った。




 和美が捕球し、二塁へ送球。




 一塁走者をアウトにした。




 さらに篠崎玲奈を外野フライに打ち取り、三回表を無失点で終えた。




 正則はマウンドで小さく拳を握った。




(……よし。まずは一回、抑えたで)




 三回裏には、白組の国分颯斗が登板した。




 国分は先頭の正則を内野ゴロに打ち取ったものの、坂井雄二へ四球を与えた。




 続く久保田航輝はセンターフライ。




 二死一塁。




 ここで早田航が左中間へ二塁打を放ち、坂井が一塁から一気に生還した。




 2対2。




 紅組が同点に追いついた。




 国分はその後、桑野光を内野ゴロに打ち取り、追加点を防いだ。




 四回表。




 正則は再びマウンドへ向かった。




 先頭の南条悠斗にセンター前ヒットを許し、続く国分が送りバントを決める。




 一死二塁。




 そして、打席へ向かったのは亜由美だった。




 正則は、思わず小さく笑った。




(……亜由美か)




 大阪タイタンズ時代。




 何度も一緒に練習した幼なじみ。




 正則は投手。




 亜由美は二塁手。




 同じチームで、数え切れないほどの試合を戦ってきた。




 しかし、今日は違う。




 正則が投げ、亜由美が打つ。




 しかも、夏のベンチ入りを左右する最終選考である。




 亜由美が打席へ入った。




「正則!」




 マウンドの正則が顔を上げる。




「何や?」




 亜由美はニヤリと笑った。




「遠慮せんと、全力で投げてきいや!」




 正則も笑った。




「当たり前や! お前も本気で打ちにこいや!」




 二人は、それぞれ表情を引き締めた。




 捕手の土屋悠真がサインを送る。




 正則はうなずいた。




 初球。




 外角低めへの直球。




 バシッ!




「ストライク!」




 亜由美は見送った。




(……正則、ええ球投げるようになったな)




 二球目。




 内角への直球。




 亜由美はファウルにした。




 0ボール2ストライク。




 正則は深呼吸した。




(……追い込んだ。ここからや)




 三球目。




 外角へ投げ込んだ球は、少し高くなった。




 亜由美の目が、その球を捉えた。




(……これや!)




 カキィィン!




 鋭い打球が右中間へ飛んだ。




 中堅手の坂井雄二が追いかける。




 右翼の桑野光も走る。




 しかし、打球は二人の間へ落ちた。




「長打だ!」




 二塁走者の南条が三塁を回る。




 ホームイン!




 亜由美は二塁へ到達した。




 勝ち越しのタイムリーツーベースヒット!




 白組が3対2とリードした。




 一塁側のベンチから歓声が上がった。




「亜由美! ナイスバッティング!」




 三浦康平が拍手する。




 川野颯太も声を上げた。




「今のはよか当たりやったね!」




 亜由美は二塁上で小さく拳を握った。




「……よし!」




 しかし、マウンドの正則は、悔しそうに息を吐いた。




(……打たれてもうた)




 捕手の土屋がマウンドへ近づいた。




「正則君、どうやった?」




 正則は答えた。




「……外角を狙ったんですけど、少し高く入りました」




 土屋はうなずいた。




「そうやね。でも、次の打者もおるけんね」




 正則は顔を上げた。




「はい!」




 続く相原健悟を内野フライに打ち取り、さらに岸田誠一を一塁ゴロに抑えて、追加点は許さなかった。




 ベンチへ戻る途中。




 亜由美が正則へ声をかけた。




「正則!」




「何や?」




「ナイスピッチングやったで!」




 正則は苦笑した。




「お前に打たれたんやけどな!」




 亜由美も笑った。




「でも、あの外角の直球、ほんまに難しかったわ。ちょっとでも低かったら打てへんかったと思う」




 正則は、静かにうなずいた。




「……そうか」




 そして、ニヤリと笑った。




「次は絶対に抑えたる!」




 亜由美も負けずに答えた。




「何回来ても打ったるで!」




 二人は笑いながら拳を合わせた。




 そこへ和美がやってきた。




「亜由美ちゃん、ナイスバッティング!」




「ありがとう!」




 和美は少し悪戯っぽく笑った。




「でも、私はまだ負けたつもりなかけんね!」




 亜由美も笑った。




「もちろんや!」




 三人の笑い声が、グラウンドに響いた。




 第十章 亜由美の失策、和美の悔しさ


 四回裏。




 紅組の攻撃。




 先頭の江本哲也がセンター前ヒットで出塁した。




 続く江尻栞が送りバントを決め、一死二塁。




 そして打席には和美が入った。




 白組のマウンドは国分颯斗。




 和美はバットを短く持った。




(……一つずつ。打てる球をしっかり見る)




 国分が投げ込む。




 初球は外角低め。




 ストライク。




 二球目。




 和美は変化球を見送った。




 ボール。




 三球目。




 国分が投げ込んだ直球を、和美が強く打ち返した。




 カキーン!




 打球は二塁方向へ。




 亜由美が素早く反応した。




(……来た!)




 しかし、打球は予想より少し強く跳ねた。




 亜由美のグラブに当たる。




 ボールがこぼれた。




「あっ!」




 亜由美は慌てて拾い直した。




 しかし、一塁への送球は間に合わない。




 二塁手の失策。




 一死一、三塁。




 亜由美は、悔しそうにグラブを握った。




(……何でや)




 先ほど、自分は正則からタイムリーを打った。




 しかし、今度は守備で失敗してしまった。




 しかも、打ったのは同じ二塁手の和美だった。




(……こんな大事なところで)




 そのとき、遊撃手の秋山紘太が声をかけた。




「亜由美さん!」




 亜由美が顔を上げる。




「はい!」




「まだ一死たい。次のプレーに集中しよう!」




 亜由美は深呼吸した。




「……はい!」




 続く土屋悠真が、ライトへ飛球を打ち上げた。




 長谷川日菜が捕球する。




 三塁走者の江本がタッチアップした。




 本塁へ送球するものの、江本の足が一瞬早かった。




 3対3。




 紅組が同点に追いついた。




 亜由美は、悔しさをかみしめた。




 しかし、次の打者となった正則が二塁方向へゴロを打つと、今度は落ち着いて捕球した。




 そして、一塁へ正確に送球する。




「アウト!」




 三アウト。




 亜由美は、ゆっくりと息を吐いた。




(……次は絶対に、同じ失敗をせえへん)




 ベンチへ戻る途中、和美が近づいてきた。




「亜由美ちゃん」




「……何?」




「さっきの打球、強く打てたのはよかったけど、私もまだまだたい」




 亜由美は少し驚いた。




「……そうなん?」




 和美はうなずいた。




「うん。ほんとは右方向へ鋭く打ち返したかったと。でも、ちょっと詰まって二塁方向へ転がったけんね」




 亜由美は、静かにうなずいた。




「……なるほど」




 和美は続けた。




「亜由美ちゃんも、前より打球への反応は速くなっとるやろ? 今日は捕れんかったけど、次は捕れるかもしれんたい」




 亜由美は、少し笑った。




「……ありがとう」




 そして、顔を上げた。




「でも、次は絶対にアウトにしたる!」




 和美も笑った。




「私も次は、もっといい打球を打つけん!」




 二人は笑い合った。




 しかし、その笑顔の裏には、互いに譲れない思いがあった。




 親友であり、チームメイトであり、ライバル。




 だからこそ、相手のよいプレーは素直に認める。




 そして、自分も負けたくないと願う。




 それが、二人の関係だった。




 第十一章 最後の一球、目立たなかった選手の仕事


 五回表。




 白組は、長谷川日菜のセンター前ヒットからチャンスをつくった。




 早良夏美が送りバントを決め、一死二塁。




 続く秋山紘太の外野フライで、走者は三塁へ進んだ。




 二死三塁。




 しかし、篠崎玲奈は変化球にタイミングを外され、空振り三振。




 追加点は入らなかった。




 3対3。




 そして五回裏。




 紅組の最後の攻撃。




 先頭は坂井雄二。




 坂井は、白組投手の国分颯斗が投げ込んだ外角の直球を、センター前へ打ち返した。




 カキーン!




 無死一塁。




 坂井は一塁上で小さく拳を握った。




「よっしゃ!」




 続く二番打者のところで、城戸監督が選手交代を告げた。




「代打、森下君」




 捕手の森下悠一だった。




 これまで森下は、捕手としての守備や配球を磨くことに力を入れてきた。




 打撃では、上級生の速球に苦戦する場面が多く、目立った結果を残せていなかった。




 森下は、少し緊張した表情で打席へ向かった。




 城戸監督が声をかけた。




「森下君、状況は分かっとるね?」




「はい。一塁走者を二塁へ進めます」




「そうたい。落ち着いていこう」




 森下は大きくうなずいた。




「はい!」




 打席に入る。




 国分が投球動作を始めた。




 森下は、バットを寝かせた。




 コンッ!




 打球は一塁線寄りへ転がった。




 一塁手が前進して捕球する。




 森下は、一塁へ全力で走った。




 送球。




「アウト!」




 しかし、一塁走者の坂井は二塁へ進んだ。




 一死二塁。




 送りバント成功。




 紅組のベンチから拍手が起こった。




「森下! ナイスバント!」




「よう決めたね!」




 森下はベンチへ戻り、ほっと息を吐いた。




「……よかった」




 そこへ土屋悠真が声をかけた。




「森下君、よかバントやったね」




「ありがとうございます!」




「あの場面で、落ち着いて決められたことが大切たい」




 森下は、嬉しそうにうなずいた。




 続く早田航がライトへ飛球を打ち上げた。




 右翼手が捕球する。




 坂井は二塁からタッチアップし、三塁へ進んだ。




 二死三塁。




 そして、四番の桑野光が打席に入った。




 初球。




 外角への直球。




 ストライク。




 二球目。




 内角へ外れる。




 ボール。




 三球目。




 桑野が振り抜いた。




 カキーン!




 打球はセンター前へ飛んだ。




 中堅手の早良夏美が追う。




 しかし、打球は前に落ちた。




 三塁走者の坂井がホームイン!




 4対3。




 紅組のサヨナラ勝ちだった。




 ベンチから歓声が上がった。




「桑野先輩! ナイスバッティング!」




 坂井も笑顔でホームベースを踏んだ。




 しかし、桑野が最初に声をかけたのは森下だった。




「森下君、さっきのバント、よかったばい!」




 森下は驚いた。




「……僕ですか?」




「そうたい! あれで坂井が二塁へ進めたやろ? あのバントがなかったら、今のヒットでも点が入ったとは限らんけんね」




 森下は、少し照れた。




「ありがとうございます!」




 坂井も駆け寄ってきた。




「森下! ありがとう!」




 森下は笑った。




「いやいや、雄二君が出塁したからたい!」




 そして、二人は拳を合わせた。




 それまで目立った打撃成績を残せていなかった一年生が、重要な場面で役割を果たした。




 決して派手なプレーではない。




 しかし、チームの勝利につながる大切な仕事だった。




 その光景を、城戸監督と平松コーチは静かに見守っていた。




 第十二章 好プレーも、失敗も、すべてが選考材料


 紅白戦が終了すると、選手たちはグラウンド中央へ整列した。




 城戸監督が話し始めた。




「みんな、お疲れさまでした。今日は紅組が4対3で勝ったけど、それだけで選手の評価を決めるわけじゃなかよ」




 選手たちがうなずいた。




「白組にも紅組にも、よかプレーがありました。でも、同時に課題も見つかったね」




 そして、正則へ視線を向けた。




「河内君、今日の投球はどうやった?」




 正則は答えた。




「三回は無失点に抑えられました。でも、四回に亜由美にタイムリーを打たれました」




「その原因は?」




「外角を狙った直球が少し高く入りました。打者の狙いも考えましたけど、最後は自分の投げたいところへ投げ切れませんでした」




 城戸監督はうなずいた。




「そうやね。でも、打たれたあとに崩れんかったのはよかったよ」




「ありがとうございます!」




 続いて、亜由美へ向き直った。




「加藤さん、今日は二本の適時打があったね」




「はい!」




「でも、四回には守備で失策もありました」




 亜由美は深く頭を下げた。




「はい。打球が思ったより強く跳ねて、捕球しきれませんでした」




「どう改善したい?」




「もっといろんな打球に対応できるよう、捕球姿勢と一歩目を磨きたいです。それから、予測した方向だけに意識を向けすぎんようにします」




 城戸監督はうなずいた。




「よかね」




 続いて和美へ。




「牧田さんも、今日は一度捕球ミスがあったね」




 和美が答えた。




「はい。でも、次は同じような打球でも捕れるようにしたかです」




「そうやね。打球の方向を読むことも、もっと練習していこう」




「はい!」




 そして森下へ声をかけた。




「森下君、最後の送りバントはよかったね」




 森下は少し照れた。




「ありがとうございます!」




「大きなヒットを打つことだけが、打撃の仕事じゃなかとよ。あの場面で自分の役割を理解して、しっかり実行できたことは評価します」




 森下は力強くうなずいた。




「はい!」




 城戸監督は、全員を見渡した。




「それから、今日出場機会が少なかった選手や、思うような結果を出せんかった選手もおると思います。でも、これまでの練習を含めて評価するけんね」




 その言葉に、岸田誠一や立花朋輝、長谷川日菜、早瀬伊織、藤崎大輝らも静かにうなずいた。




 彼らも、全力で練習を続けてきた。




 夏の大会に出たいという気持ちは、誰にも負けていない。




 しかし、ベンチ入りできる人数には限りがある。




 城戸監督は続けた。




「選考結果は、明日の練習終了後に発表します」




 選手たちの表情が引き締まった。




 正則は、思わずグラブを握り直した。




 亜由美も和美も、顔を見合わせた。




 そして、静かにうなずいた。




 いよいよ、運命の発表が近づいていた。




 第十三章 発表までの長い一夜


 その日の夜。




 博多南中学校の寄宿舎。




 正則は夕食と入浴を済ませ、自室で野球ノートを開いていた。




 同室の寺島湊は、翌日の授業の準備をしている。




 しかし、正則はどうしても落ち着かなかった。




「……なあ、湊」




「どうしたの?」




「明日、夏の大会のベンチ入りメンバーが発表されるんや」




 湊は顔を上げた。




「そうだったね」




「俺、選ばれるかな……」




 湊は少し考えた。




「それは僕には分からないよ。でも、正則君が一生懸命練習してきたことは知っている」




 正則は静かにうなずいた。




「……ありがとう」




 そして、野球ノートを見つめた。




 初めて三年生の速球を見た日のこと。




 変化球にまったく対応できなかった紅白戦。




 青柳家と柳川家で教わった観察力。




 藤岡から学んだ直球の大切さ。




 そして、今日の亜由美との真剣勝負。




 二人は幼なじみだった。




 大阪タイタンズ時代には、何度も力を合わせて戦ってきた。




 しかし、あの打席では、亜由美が自分の直球を見事に打ち返した。




 正則は、少し笑った。




「……亜由美、ほんまにうまくなっとるな」




 湊が尋ねた。




「悔しかった?」




「そら悔しかったで!」




 正則は即答した。




 しかし、すぐに続けた。




「でも、何かうれしかったんや」




「うれしかった?」




「うん。あいつも、めちゃくちゃ練習しとるからな。それがプレーに出たんやと思う」




 湊は微笑んだ。




「いいライバルなんだね」




 正則も笑った。




「せやな。でも、次は絶対に抑えたる!」




 そして、もう一度ノートを開いた。




『亜由美に打たれた外角の直球。狙いより高かった。次は同じ場面でも、もっと正確に投げたい』




 その下に、もう一行。




『三回を無失点に抑えられたことは自信にする。でも、今の制球で十分だとは思わない』




 書き終えると、正則は小さく息を吐いた。




「……よし」




 明日の発表は、もう自分には変えられない。




 しかし、その結果を受けて何をするかは、自分で決められる。




 そのことだけは忘れないでおこうと思った。




 一方、女子居住区域。




 亜由美も、同室の桐原澪と話していた。




「亜由美ちゃん、明日が発表なんだよね?」




「うん」




「緊張している?」




 亜由美は苦笑した。




「めちゃくちゃ緊張しとるわ」




 そして、少し考えた。




「今日な、正則からタイムリーを打てたんや」




 澪が笑顔になった。




「すごいね!」




「うん。でも、そのあと和美ちゃんの打球をエラーしてしまってん」




 亜由美は、少しうつむいた。




「正直、あのエラーは悔しかったわ」




 澪は静かに聞いていた。




「でもな、和美ちゃんが声をかけてくれたんや」




「何て?」




「次は捕れるかもしれんって。うちの守備も前よりよくなっとるって」




 澪は微笑んだ。




「優しいね」




 亜由美はうなずいた。




「ほんまにええ子やで。でも、同じセカンドのポジションを争っとるんや」




 そして、小さく笑った。




「うちも、和美ちゃんに負けたくないねん」




 澪は、少し考えてから答えた。




「亜由美ちゃん。競争しているからこそ、相手のすごいところがよく見えることもあるんじゃないかな」




 亜由美は顔を上げた。




「……そうやね」




 そして、ふと思い出した。




 結音と灯乃の言葉。




 親世代と同じ音楽を、そのまま演奏するつもりはない。




 自分たちには、自分たちが伝えたいことがある。




 それでも、基本練習をやめるつもりはない。




 亜由美は、ゆっくりとうなずいた。




「……うちも、自分の野球を磨いていきたいな」




 そう言うと、ノートの最後に新しい文章を書き込んだ。




『レギュラーになりたい。だからこそ、結果がどうなっても、学ぶことをやめない』




 その夜、亜由美はいつもより少し早く眠りについた。




 翌日の発表に備えるためだった。




 第十四章 運命のベンチ入り発表


 翌日の夕方。




 博多フューチャーズの第一グラウンド。




 練習を終えた選手たちが、城戸監督の前へ集まった。




 誰もが、少し緊張した表情をしていた。




 城戸監督は、手元の資料を確認した。




 そして、静かに話し始めた。




「みんな、今日まで本当によく頑張ってくれました」




 選手たちが頭を下げた。




「ありがとうございます!」




「これから夏の大会の登録メンバーを発表します。今回は二十人です」




 その瞬間、グラウンドに緊張が走った。




 二十人。




 しかし、チームにはそれ以上の選手がいる。




 全員がベンチに入れるわけではない。




 城戸監督は続けた。




「これは、今のチーム構成と大会へ向けた準備状況を考えた結果です。選ばれなかった選手の努力が足りなかった、という意味ではありません」




 そして、少し間を置いた。




「それでは発表します」




 最初に呼ばれたのは、三年生だった。




「藤岡蓮司」




「はい!」




「相原健悟」




「はい!」




「三浦康平、篠崎玲奈、南条悠斗、早田航、秋山紘太、桑野光、早良夏美」




 名前を呼ばれた九人が、次々と返事をした。




 続いて二年生。




「水上遼太、土屋悠真、川野颯太、江尻栞、松崎結月」




 五人が姿勢を正した。




 そして、いよいよ一年生。




 正則は思わず唾を飲み込んだ。




 亜由美も和美も、監督を見つめている。




 城戸監督が名前を呼んだ。




「河内正則」




 正則は、一瞬息をのんだ。




 そして、大きな声で答えた。




「はい!」




「加藤亜由美」




 亜由美が顔を上げた。




「はい!」




「牧田和美」




 和美も力強く答えた。




「はい!」




「国分颯斗」




「はい!」




「森下悠一」




「はい!」




「坂井雄二」




「はい!」




 これで二十人。




 城戸監督は、静かに資料を閉じた。




「以上が、夏の大会の登録メンバーです」




 一瞬、グラウンドが静まり返った。




 正則は胸の奥が熱くなるのを感じた。




(……選ばれた)




 亜由美も、ゆっくりと息を吐いた。




 和美は、少しだけ目を閉じた。




 そして、二人へ視線を向けた。




 三人の目が合った。




 しかし、誰も大声で喜ぶことはしなかった。




 なぜなら、すぐ近くには名前を呼ばれなかった仲間たちがいたからである。




 岸田誠一。




 立花朋輝。




 長谷川日菜。




 早瀬伊織。




 藤崎大輝。




 五人とも、同じ一年生として練習を重ねてきた。




 青柳家や柳川家で一緒に勉強した仲間でもある。




 その五人は、静かに立っていた。




 悔しくないはずがなかった。




 第十五章 選ばれなかった五人


 発表が終わると、平松コーチが全員へ声をかけた。




「今日はここまでにします。ただ、選考について個別に聞きたいことがある人は、監督か私に相談してね」




 選手たちが頭を下げた。




「ありがとうございました!」




 そのあと。




 正則は、立花朋輝のところへ歩いていった。




「朋輝……」




 立花は振り返った。




「何ね?」




 正則は少し言葉に詰まった。




「……俺、何て言うたらええか」




 すると、立花は小さく笑った。




「正則君、そげん気を遣わんでよかよ」




「でも……」




 立花は続けた。




「悔しかよ。そりゃ、めちゃくちゃ悔しか」




 正則は静かに聞いていた。




「僕も夏の大会に出たかった。でも、先輩たちの守備を見ると、まだまだ覚えんといかんことがいっぱいあるって分かるとよ」




 そして、正則へ向き直った。




「正則君、せっかく選ばれたっちゃけん、頑張ってきんしゃい」




 正則は顔を上げた。




「……ありがとう」




 立花は笑った。




「でも、次の大会は僕も絶対に狙うけんね!」




 正則も笑顔になった。




「おう!」




 一方、亜由美は長谷川日菜と早瀬伊織のところへ向かった。




 長谷川は、少し目を赤くしていた。




「……亜由美さん、選ばれてよかったね」




 亜由美は、静かに頭を下げた。




「ありがとう」




 早瀬が口を開いた。




「私ね、今日の発表、絶対に泣かんつもりやったとよ」




 亜由美は何も言わず、続きを待った。




「でも、やっぱり悔しかね」




 早瀬の声が少し震えた。




 長谷川も、小さくうなずいた。




「私もたい」




 亜由美は、ゆっくりと言った。




「……うん」




 そして、少し間を置いて続けた。




「うちも、大阪タイタンズにおったとき、思うように試合に出られへん子の気持ちを全部分かっとったわけやないと思う」




 二人は静かに聞いていた。




「でも、今回一緒に練習して、日菜ちゃんも伊織ちゃんも、ほんまに頑張っとることは知っとる」




 早瀬は、少しだけ顔を上げた。




 亜由美は続けた。




「やから、うちも恥ずかしいプレーはできへん。選ばれた以上、全力で頑張るわ」




 長谷川は、涙を拭った。




「……うん。頑張ってね」




 早瀬も小さく笑った。




「でも、私も次は負けんけんね」




 亜由美はうなずいた。




「うん。うちも負けへんで」




 少し離れたところでは、藤崎大輝が遊撃手の秋山紘太へ質問していた。




「秋山先輩、僕、次は絶対にベンチに入りたかです。今日までの練習で、何が足りんかったか教えてもらえますか?」




 秋山は、真剣な表情でうなずいた。




「もちろんたい。藤崎君、守備範囲は広がってきとる。でも、捕球から送球までの動きは、まだ安定せんことがあるけんね」




「はい」




「一緒に練習していこう」




 藤崎は深く頭を下げた。




「ありがとうございます!」




 その様子を、平松コーチが静かに見守っていた。




 選ばれなかった選手たちは、悔しさを抱えている。




 それでも、今後の成長まで諦めたわけではない。




 そして、選ばれた選手たちも、仲間の気持ちを軽く扱うつもりはなかった。




 第十六章 亜由美と和美、二人とも選ばれたけれど


 その日の帰り道。




 亜由美と和美は、練習場の近くで少し話していた。




「……和美ちゃん」




「何ね?」




「うちら、二人とも選ばれたね」




 和美は静かにうなずいた。




「そうたい」




 亜由美は続けた。




「でも、セカンドの先発はまだ決まったわけやないんやろ?」




「そうやね。三浦先輩がおるし、川野先輩もおるけん」




 二人は、しばらく黙っていた。




 そして、和美が口を開いた。




「亜由美ちゃん。私、今日ちょっとだけ怖かったとよ」




 亜由美が顔を上げた。




「……何が?」




「名前を呼ばれんかったら、どうしようって」




 亜由美はうなずいた。




「……うちもや」




 和美は続けた。




「でも、結音さんと灯乃さんが言いよったやろ? 今できんことがあっても、自分の限界を決めんごとって」




「うん」




「今日選ばれんかったみんなも、次はもっと上手になっとるかもしれん。私たちだって、今のままでおったら追い越されるかもしれんやろ?」




 亜由美は、静かにうなずいた。




「……ほんまやね」




 和美は、少し笑った。




「やけん、私、もっと上手になりたか」




 亜由美も笑った。




「うちもや!」




 そして、少し悪戯っぽく続けた。




「でも、和美ちゃん。セカンドの先発は絶対に狙うで!」




 和美は即座に答えた。




「私もたい!」




「負けへんからな!」




「私も負けん!」




 二人は顔を見合わせた。




 そして、声を上げて笑った。




 競争は終わっていない。




 むしろ、これからが本番だった。




 しかし、亜由美はもう、和美の上達を恐れるだけではなかった。




 和美が上手になるなら、自分ももっと上手になりたい。




 自分がいいプレーをしたら、和美も負けじと練習する。




 そんな関係を築けたことが、何よりうれしかった。




 第十七章 大阪の智雄、親友への祝福


 その夜。




 正則は、寄宿舎の自室から大阪の家族へ電話をかけた。




 画面には、父の河内修司、母の河内恵子、そして姉の一香が映っていた。




「正則! 元気にしとるか?」




 修司が声をかけた。




 正則は笑った。




「元気やで!」




 恵子が尋ねた。




「今日は夏の大会の発表やったんやろ?」




 正則は大きくうなずいた。




「うん! 俺、ベンチ入りできたで!」




 その瞬間。




「おおっ!」




 修司が声を上げた。




 恵子も満面の笑みになった。




「よかったなぁ、正則!」




 一香も笑った。




「やるやん、正則!」




 正則は少し照れた。




「ありがとう!」




 しかし、一香はすぐにニヤリとした。




「で、グラブはちゃんと持っとるんやろな?」




 正則が目を丸くした。




「姉ちゃん! まだその話するんか!」




 一香は大笑いした。




「出発前に机の下へ忘れとった男やからな!」




 修司と恵子も吹き出した。




「ははははっ!」




 正則は苦笑した。




「もう忘れへんって!」




 そして、少し真剣な表情になった。




「でもな、父ちゃん、母ちゃん。まだ先発が決まったわけやないねん」




 修司がうなずいた。




「そうか」




「藤岡先輩も水上先輩も、めちゃくちゃうまい。国分も頑張っとるしな」




 恵子は優しく答えた。




「そら、みんな一生懸命やもんな」




「うん。俺も、もっと練習せなあかん」




 修司は静かに言った。




「正則、試合に出ることは大切や。でも、どんな役割を任されても、ちゃんと準備しとくんやで」




 正則は力強くうなずいた。




「分かった!」




 一香が続けた。




「それに、寮生活もちゃんと続けるんやで。洗濯物ため込んだらあかんで!」




 正則は吹き出した。




「分かっとるわ!」




 家族の笑い声が、画面の向こうから響いた。




 通話を終えると、今度は池永智雄からメッセージが届いていた。




 智雄:正則! 夏の大会、ベンチ入り決まったんやってな! おめでとう!




 正則は笑顔になった。




 正則:おおきに! でも、まだ先発は決まっとらんで!




 すぐに返信が届いた。




 智雄:そらそうやろ。俺も若狭先輩から先発を奪うつもりやけど、簡単にはいかへんわ!




 正則は笑った。




 正則:お互い頑張ろうな!




 智雄:せやな! 次に会うときは、もっとすごい球投げたるで!




 正則も即座に返した。




 正則:俺もや! 負けへんで!




 大阪と博多。




 離れていても、二人の友情と競争は変わらなかった。




 第十八章 「選ばれたこと」がゴールではない


 翌朝。




 博多南中学校の寄宿舎。




 正則は、いつもどおりの時間に起床した。




 洗面を済ませ、寝具を整える。




 机の上には、夏の大会の予定表と野球ノートが置かれていた。




 正則は、ノートの新しいページを開いた。




 そして、大きな文字で書き込んだ。




『夏の大会、ベンチ入り決定』




 その下に、少し考えてからもう一行。




『でも、まだ何も成し遂げたわけではない』




 さらに、具体的な目標を書いた。




 直球の制球を安定させること。




 走者を背負った場面でも落ち着いて投げること。




 捕手や内野手との連係を確認すること。




 そして、どんな場面で登板を任されても、自分の役割を果たすこと。




 正則は、静かにうなずいた。




「……よし」




 一方、女子居住区域。




 亜由美も野球ノートを開いていた。




 ベンチ入りが決まった喜びは、もちろんある。




 しかし、昨日の発表で名前を呼ばれなかった仲間たちの顔も忘れられなかった。




 岸田。




 立花。




 長谷川。




 早瀬。




 藤崎。




 全員が、自分と同じように練習を重ねてきた。




 そして、これからも成長を続けるだろう。




 亜由美は、ファイブピーチ★の五人の言葉を思い出した。




 今の人気が、未来まで続く保証はない。




 出した曲が、必ず売れる保証もない。




 だから、感性を磨くことをやめない。




 基本練習をおろそかにしない。




 そして、結音と灯乃が話してくれたこと。




 親世代と同じ道を歩んでいても、親と同じ音楽を奏でる必要はない。




 自分たちが伝えたいことを、自分たちの言葉と演奏で表現していく。




 亜由美は、少し笑った。




「……うちも、自分の野球を磨いていこう」




 そして、ノートに書き込んだ。




『三浦先輩の安定感を学ぶ。川野先輩の守備範囲を学ぶ。和美ちゃんの一歩目を学ぶ。でも、うちはうちの観察力と判断力も磨き続ける』




 その下に、もう一行。




『選ばれたことに満足しない。次は、チームの勝利に必要とされる選手になる』




 亜由美は、ゆっくりとペンを置いた。




 第十九章 悠翔にも届いた、夏の知らせ


 同じ頃。




 柳川家では、悠翔が朝食を終え、野球用具の準備をしていた。




 母の優子が声をかけた。




「悠翔、今日も練習やろ?」




「うん!」




「暑くなってきたけん、水分補給はちゃんとするんよ」




「分かっとるよ!」




 そこへ姉の結音がやってきた。




「悠翔、正則君たち、夏の大会のベンチ入りが決まったらしかよ!」




 悠翔が顔を上げた。




「ほんと!?」




 灯乃も笑顔で続けた。




「正則君も、亜由美さんも、和美ちゃんも選ばれたっちゃって!」




 悠翔は嬉しそうに笑った。




「すごかね!」




 そして、すぐにスマートフォンを取り出した。




 悠翔:正則君、亜由美さん、和美ちゃん! 夏の大会のベンチ入り、おめでとう!




 ほどなくして、三人から返信が届いた。




 正則:ありがとう! でも、まだ先発は決まってへんで!




 亜由美:ありがとう! うちも絶対に試合で結果を出したいわ!




 和美:ありがとう! 私も頑張るけんね!




 悠翔は笑った。




 そして、三人へ返信した。




 悠翔:みんな、頑張ってね! 僕もリトルスターズで全国大会を目指すばい!




 優子が、そんな息子の姿を見て微笑んだ。




「悠翔、正則君たちのこと、うれしかろ?」




「うん!」




 悠翔は、少し真剣な表情になった。




「でもね、お母さん。僕も負けとられんとよ」




 優子がうなずいた。




「そうやね」




「正則君たちが中学で頑張りよる間に、僕ももっと上手になりたか」




 すると、結音が笑った。




「悠翔、よかこと言うね!」




 灯乃も続けた。




「うちらも新曲、もっとよかものにするけんね!」




 悠翔は笑顔になった。




「うん! みんなで頑張ろう!」




 そのとき、父の拓実が声をかけた。




「悠翔、練習へ行く前に、一つだけ聞いてよか?」




「何ね?」




「今日の練習で、一番大切にしたいことは?」




 悠翔は少し考えた。




 そして、はっきりと答えた。




「四年生のみんなが、失敗を怖がらずにプレーできるようにすること。それから、僕自身も打撃と守備をもっと磨くことたい!」




 拓実は笑顔になった。




「よかね!」




 優子も嬉しそうにうなずいた。




「そうたい! でも、怪我せんごとね!」




「分かっとる!」




 そして、悠翔はグラブを持ち、元気よく玄関へ向かった。




「行ってきます!」




 家族の声が重なった。




「行ってらっしゃい!」




 博多リトルスターズも、夏へ向けて前進していた。




 第二十章 これからが、本当の勝負


 六月の空に、白い雲がゆっくりと流れていた。




 博多フューチャーズの選手たちは、夏の大会を目前に控えている。




 ベンチ入り二十人が決まった。




 しかし、先発メンバーや試合中の起用は、まだ決まっていない。




 三年生の藤岡蓮司。




 二年生の水上遼太。




 一年生の河内正則と国分颯斗。




 投手陣の競争は続く。




 二塁手も同じだ。




 三浦康平。




 川野颯太。




 加藤亜由美。




 牧田和美。




 四人は、同じポジションを目指しながら、互いの技術を学び合っていた。




 そして、今回ベンチ入りできなかった選手たちも、次の大会へ向けて練習を続けていく。




 誰も、自分の可能性を今の実力だけで決めつける必要はない。




 光子と優子が、小学四年生の頃に必死になって演奏していたように。




 結音と灯乃が、親世代とは違う自分たちの音楽をつくり続けているように。




 一度の成功で満足しない。




 一度の失敗で諦めない。




 自分より優れた仲間を尊重する。




 そのうえで、自分ももっと上手になりたいと願う。




 正則は、マウンドへ向かいながらつぶやいた。




「……絶対に、もっとええピッチャーになったる」




 亜由美は、二塁の守備位置でグラブを構えた。




 和美が、隣から声をかけた。




「亜由美ちゃん、今日も負けんよ!」




 亜由美は笑った。




「うちもやで!」




 そして、二人は力強くうなずいた。




 彼らの前には、まだまだ厚い壁がある。




 しかし、その壁を越えるために、何を学び、何を磨けばよいのか。




 少しずつ、自分たちで考えられるようになっていた。




 ベンチ入りは、ゴールではない。新しい挑戦への出発点である。




 夏の大会。




 その舞台で、正則と亜由美たちは何を見せるのだろうか。




 そして、選ばれなかった仲間たちは、どれほど成長して再び競争へ戻ってくるのだろうか。




 答えは、これからの練習と試合の中にある。




 博多フューチャーズの新しい夏が、いよいよ始まろうとしていた。




 次回予告


 第56話「夏の初陣、ベンチから始まる戦い」


 夏の大会のベンチ入り二十人が決まった博多フューチャーズ。




 しかし、選手たちに休んでいる暇はなかった。




 初戦の相手は、昨年も上位進出を果たした実力派チーム。




 城戸直哉監督は、初戦の先発メンバーを発表する。




 エースの藤岡蓮司を中心に、経験豊富な三年生が先発を任される一方、一年生たちはベンチから試合を見つめることになる。




「ベンチにおる時間も、試合に参加しとる時間たい」




 その言葉を胸に、正則は相手打線の特徴を観察し、亜由美と和美は相手投手の配球や内野守備の動きを記録する。




 しかし、試合は序盤から予想外の展開となる。




 相手打線の巧みな配球への対応。




 思いがけない失策。




 そして、試合途中で監督が下す選手交代の判断。




 正則にも、亜由美にも、和美にも、出場の機会が訪れる可能性が生まれる。




 一方、大阪の西九条中学校では、池永智雄たちが次の公式戦に挑む。




 そして博多リトルスターズでは、柳川悠翔が四番打者兼キャプテンとして、全国大会へつながる地区予選の次戦を迎えようとしていた。




 結音と灯乃も、ピーチブロッサム★の新曲制作を続けながら、同世代の仲間たちの挑戦を応援していた。




 次回、第56話「夏の初陣、ベンチから始まる戦い」。




 選ばれた者には責任がある。選ばれなかった者にも、次の挑戦がある。そして、仲間を尊重することと、勝負に全力を尽くすことは矛盾しない。正則と亜由美たちの、熱い夏が始まる。

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