先発をつかめ! 正則の新たな課題と二塁手争い
河内正則 栄光への道
第54話「先発をつかめ! 正則の新たな課題と二塁手争い」
第一章 あの映像が、頭から離れない
六月上旬。
福岡市にある爆笑発電所スポーツ事業部の野球施設には、朝から金属バットの快音が響いていた。
博多フューチャーズの選手たちは、夏の大会に向けて練習を重ねている。
河内正則と加藤亜由美が博多南中学校へ進学して、約二か月。大阪タイタンズ時代に全国準優勝を果たした二人も、中学野球では思うようにいかないことの連続だった。
それでも、二人の野球に向き合う姿勢は、少しずつ変わってきていた。
きっかけの一つは、前週の土曜日に開かれた勉強会だった。
博多フューチャーズの一年生十一人は、青柳家と柳川家に分かれ、ファイブピーチ★のメンバーや家族から、技術を磨くことの意味を学んだ。
そこで見せてもらったのが、小学四年生の青柳光子と柳川優子の演奏映像だった。
当時の光子は、自分のベースを抱え、楽譜に書かれた音を一つずつ追うことで精一杯だった。
優子も同じだった。ドラムのスティックを動かしながら、右手と左手、足の動きを合わせるのに苦労していた。
今では世界的なミュージシャンとして活躍する二人にも、そんな時代があったのである。
しかし、一年生たちを最も驚かせたのは、その後の二人の言葉だった。
「うちらは一度も、もう自分たちの演奏は十分うまかって思ったことはなかとよ」
光子は、そう話していた。
優子も続けた。
「今でも、もっと上手になりたかって思いながら練習しよるけんね。自分で自分の限界を決めたら、そこで成長する機会を逃してしまうやろ?」
その言葉が、一年生たちの心に深く残っていた。
世界中の観客を魅了する二人でさえ、完成したとは思っていない。
今でも基本練習を続け、新しい技術を学び、演奏を磨いている。
それなら、自分たちはどうだろう。
中学に入ったばかりの自分たちが、少し打てなかったから、少し守れなかったからといって、できないと決めつけてよいはずがない。
そして、その考え方は、ただ感動して終わるものではなかった。
十一人は、それぞれの練習で何を変えるのか、具体的に考え始めていた。
第二章 一年生十一人の目標
この日の練習開始前。
城戸直哉監督は一年生を集めた。
「先週、青柳家と柳川家で話を聞かせてもらったね。みんな、何か気づいたことはあった?」
十一人がうなずいた。
「はい!」
「じゃあ今日は、そこで学んだことを、実際の練習にどう生かすか考えてみようか」
平松真帆コーチが続けた。
「ただ『もっと頑張ります』だけじゃ、何をするのか分かりにくかろ? 自分が今日取り組むことを、一つずつ言ってみて」
最初に手を挙げたのは正則だった。
「僕は、直球の制球とフォームを磨きます。それから、打者の反応を見て投球を組み立てる練習をしたいです」
続いて亜由美。
「うちは、打球への一歩目と、捕球したあとの送球判断です。守備位置を考えるだけやなくて、ちゃんとアウトを取れる二塁手になりたいです」
牧田和美が答えた。
「私は、打球への反応の速さをもっと磨きたかです。それから亜由美ちゃんに教えてもらった、打者の特徴を見て守備位置を考えることにも取り組みます!」
坂井雄二は中堅手としての目標を語った。
「僕は、打球の落下点をもっと早く判断することです。捕るだけやなくて、どこへ返球したら走者を止められるかも考えます!」
岸田誠一は左翼手として、返球の正確さを挙げた。
「強い打球が来ても慌てんごと、捕球から返球までを安定させたいです。打撃では、ただ遠くへ飛ばすことばっかり考えんようにします」
一塁手の立花朋輝は、送球を捕る技術を磨きたいと話した。
「内野のみんなが投げてきた球を、確実に捕れる一塁手になりたかです。ちょっと低い送球でも、簡単に諦めんごとしたいです」
捕手の森下悠一は、少し考えてから答えた。
「僕は、配球だけやなくて、内野手との連係や走者の動きも、もっと見られる捕手になりたかです」
国分颯斗は投手として、フォームの再現性と走者への対応を挙げた。
右翼手の長谷川日菜は、外野への打球を処理したあとの中継プレーを課題とした。
三塁手の早瀬伊織は、強い打球とバントの両方に対応できる準備を目標にした。
遊撃手の藤崎大輝は、二塁手との連係と送球判断を磨きたいと答えた。
全員の発表が終わると、城戸監督は満足そうにうなずいた。
「よかね。みんな、それぞれの課題を考えられとる」
しかし、すぐに付け加えた。
「ただし、今日一日で全部できるようになるわけじゃなかよ。練習して、失敗して、原因を考えて、また試す。その繰り返しが大切たい」
平松コーチも続けた。
「それから、自分の目標だけに集中しすぎて、仲間の動きを見失わんごとね。野球は九人で守る競技やけん」
正則は、十一人の顔を見回した。
大阪から来た自分と亜由美。
博多リトルスターズで全国優勝を経験した和美たち。
それぞれ違う経験を持っている。
しかし、今は全員が同じ一年生だった。
(……みんな、いろんなことを考えとるんやな)
正則は、静かにグラブを握り直した。
第三章 直球だけでは、簡単に抑えられない
第一グラウンド。
正則は、実戦形式の投球練習に参加していた。
捕手は森下悠一。
打席には三年生の南条悠斗が入っていた。
状況は一死一塁。
城戸監督が告げた。
「河内君、今日は実際の試合だと思って投げてみよう。打者の反応を見ながら、自分で考えてね」
「はい!」
正則はセットポジションに入った。
初球。
外角低めへの直球。
南条が見送る。
「ストライク!」
正則は小さくうなずいた。
二球目。
今度は内角への直球。
しかし、少し高く外れた。
ボール。
三球目。
正則は外角へ直球を投げ込んだ。
カキーン!
南条が鋭く打ち返した。
打球はライト前へ抜けた。
一死一、二塁。
正則は、少し悔しそうに息を吐いた。
(……また打たれた)
続いて五番の早田航。
正則は低めへ直球を投げ込んだ。
早田はファウルで粘る。
二球目も直球。
今度は見送られた。
ボール。
三球目。
正則は内角を狙った。
しかし、少し甘く入ってしまった。
カキィィン!
打球は左中間へ飛んだ。
「長打だ!」
外野手が追いかける。
二人の走者が次々とホームインした。
早田は二塁へ到達。
二点適時二塁打。
正則はマウンド上で唇をかんだ。
(……あかん。直球だけやと、タイミングが合ってきたら打たれる)
その後、正則は落ち着きを取り戻し、後続を打ち取った。
しかし、練習を終えたあとも、南条と早田に打たれた二本が頭から離れなかった。
ブルペンへ戻る途中。
正則は、三年生の藤岡蓮司へ声をかけた。
「藤岡先輩」
「何ね?」
「僕、もっと変化球を磨かなあかんと思うんです」
藤岡は、正則の顔を見つめた。
「そう思った理由は?」
「今日も、三年生の打者に直球を打たれました。何球も投げとったら、タイミングを合わせられてしまうんです」
藤岡はうなずいた。
「そうやね」
正則は続けた。
「変化球がもっと使えたら、打者のタイミングを外せると思うんです」
藤岡は少し考えた。
そして、静かに答えた。
「正則君。変化球を覚えることも大切たい。でもね、まずは自分の直球をもっと信頼できるようになろう」
正則は顔を上げた。
「……直球を?」
藤岡はうなずいた。
「そうたい。今日、打たれた二本を思い出してみんしゃい」
正則は少し考えた。
「……どっちも甘く入りました」
「そうやろ?」
「はい」
「じゃあ、もし狙った外角低めへ投げられとったら、同じ打球になったと思う?」
正則は、すぐには答えられなかった。
藤岡は続けた。
「もちろん、低めでも打たれることはある。でも、今日の二本は変化球がなかったことだけが原因じゃなかろ?」
正則は静かにうなずいた。
「……そうですね」
「変化球を覚えたとしても、狙ったところへ投げられんかったら、結局甘い球を打たれることになるけんね」
正則は、少し考え込んだ。
藤岡は笑った。
「まずは直球の高さとコースを安定させることたい。それから変化球も、監督と相談しながら段階的に磨いていけばよか」
正則は大きくうなずいた。
「はい!」
藤岡は続けた。
「それに、同じ直球でも高さやコースが違えば、打者の反応は変わるけんね」
正則は、はっとした。
直球だから打たれた。
変化球がないから打たれた。
そう考えていたが、実際にはもっと多くの原因があったのだ。
「……ありがとうございます!」
藤岡は笑顔で答えた。
「お互い頑張ろう!」
正則も力強く答えた。
「はい!」
第四章 国分颯斗の言葉、速さより大切なもの
その日の投球練習が終わると、正則は国分颯斗と一緒にブルペンの土をならしていた。
「正則君、今日はちょっと苦しかったね」
国分が声をかけた。
正則は苦笑した。
「せやな。南条先輩にも早田先輩にも、ええ当たりを打たれてもうた」
「でも、最後はちゃんと打ち取ったやろ?」
「うん。何とか踏ん張れたわ」
国分は少し考えた。
「僕もね、最近ずっとフォームのことで悩んどったとよ」
正則が顔を上げた。
「颯斗も?」
「うん。速い球を投げたくて、腕を思い切り振ろうとしたら、かえってコントロールが悪くなったっちゃん」
正則はうなずいた。
「……分かるわ」
国分は続けた。
「でも、先週の光子さんと優子さんの映像を見て、ちょっと考えが変わったとよ」
「どんなふうに?」
「二人とも、最初はゆっくりした演奏から練習しよったやろ? 優子さんなんか、簡単なリズムでも何回もやり直しよった」
正則は、あの映像を思い出した。
小さな優子が、ドラムのスティックと足の動きを合わせようと必死になっていた姿。
何度も失敗し、それでも諦めずにやり直していた。
国分は笑った。
「僕も、まずは無理せず同じフォームで投げられるようにしようって思ったとよ」
正則は静かにうなずいた。
「……なるほどな」
「正則君も、変化球を覚えたい気持ちは分かるけど、今の直球をもっとよくできると思うばい」
正則は、少し笑った。
「颯斗、お前もなかなかええこと言うやん」
国分も笑った。
「いやいや、僕もまだまだたい!」
二人はグラブを持ち直した。
同じ一年生。
同じ投手。
そして、同じマウンドを目指すライバル。
正則は国分へ向き直った。
「颯斗、俺、絶対に先発の座を取りたいねん」
国分は、まっすぐに答えた。
「僕もたい!」
「負けへんで!」
「僕も負けん!」
二人は笑いながら拳を合わせた。
第五章 亜由美と和美、違う長所を一つのプレーへ
第二グラウンドでは、亜由美と和美が二塁守備の練習に取り組んでいた。
三年生の三浦康平。
二年生の川野颯太。
そして一年生の亜由美と和美。
四人が同じポジションを争う状況は変わっていない。
その中で亜由美と和美は、先週の勉強会から一つの約束を交わしていた。
相手の優れたところを見つけたら、ただ感心するだけで終わらせない。
何を意識しているのか聞く。
自分でも試してみる。
うまくいかなければ、理由を考える。
そして、もう一度練習する。
その繰り返しだった。
「亜由美ちゃん、今日は最初の一歩を意識してみようね」
和美が声をかけた。
亜由美はうなずいた。
「うん。和美ちゃんは、打者の構え方を見てみてな」
「分かったばい!」
打席には三年生の篠崎玲奈。
投手は二年生の水上遼太。
亜由美が二塁へ入った。
篠崎は少しバットを短く持っている。
(……強引に引っ張るより、コンパクトに打ってきそうやな)
亜由美は、水上の投球コースを確認した。
そして、守備位置をわずかに調整した。
水上が投げる。
カキーン!
打球は二遊間へ飛んだ。
亜由美が鋭く反応した。
パシッ!
捕球成功。
そのまま一塁へ送球した。
「アウト!」
三浦が拍手した。
「亜由美さん、今の一歩目、よかったばい!」
亜由美は笑った。
「ありがとうございます!」
続いて和美。
今度は篠崎が、やや引っ張るような構えを見せた。
和美は、亜由美から教わったことを思い出した。
(……引っ張るかもしれん。でも決めつけたらいかんね)
和美は二塁の守備位置を少しだけ変えた。
水上が投げ込む。
篠崎が振り抜いた。
カキーン!
一、二塁間への強いゴロ。
和美は、低い姿勢から素早く横へ動いた。
グラブを伸ばす。
パシッ!
「捕った!」
一塁へ正確に送球した。
「アウト!」
平松コーチが拍手した。
「和美ちゃん、よかプレーやったね!」
和美は笑顔になった。
「ありがとうございます!」
亜由美も駆け寄った。
「和美ちゃん、すごいやん!」
和美は少し照れた。
「亜由美ちゃんに教えてもらったこと、試してみたとよ!」
亜由美は嬉しそうに笑った。
「うちも、和美ちゃんの動き、参考にしたで!」
そこへ三浦が近づいてきた。
「二人とも、よか感じやね」
しかし、すぐに少し真剣な表情になった。
「じゃあ、次は走者がおる場面でやってみようか」
「はい!」
一死一塁。
打者は早田航。
走者は坂井雄二。
今度は、亜由美が二塁に入った。
早田が直球を打ち返した。
鋭い二塁ゴロ。
亜由美は捕球した。
しかし、坂井はすでに二塁へ向かっている。
(……二塁でアウトにできるか?)
一瞬、迷った。
その間に、坂井がさらに進む。
亜由美は二塁への送球を諦め、一塁へ投げた。
「アウト!」
一塁で確実に打者走者をアウトにした。
亜由美は、ほっと息を吐いた。
「……間に合った」
しかし、三浦は声をかけた。
「亜由美さん、今のは一塁でアウトを取れたけんよかった。でも、判断にちょっと時間がかかったね」
亜由美がうなずいた。
「はい。二塁へ投げるか迷いました」
三浦は続けた。
「そげんときは、捕る前から走者の足も確認しとくとよかね」
「はい!」
そして、和美の番。
同じ状況で打球が飛んできた。
和美は素早く捕球した。
しかし、今度は二塁へ送球した球が少し高くなった。
遊撃手の藤崎大輝が捕球したものの、一塁への転送は間に合わなかった。
二塁で一つアウトを取っただけだった。
和美は悔しそうに言った。
「……もうちょっと低く投げられとったら」
平松コーチがうなずいた。
「そうやね。でも、二塁でアウトを取れたのはよかったよ。次は送球の高さも意識しよう」
「はい!」
亜由美と和美は、顔を見合わせた。
どちらにも長所がある。
どちらにも課題がある。
そして、どちらもまだ成長の途中だった。
「和美ちゃん、次も頑張ろうな!」
「もちろんたい!」
二人は笑顔でグラブを合わせた。
第六章 捕ることだけでは、守備は完成しない
その日の午後。
平松コーチは、一年生九人を守備位置につかせた。
投手は正則。
捕手は森下悠一。
一塁は立花朋輝。
二塁は亜由美。
遊撃は藤崎大輝。
三塁は早瀬伊織。
左翼は岸田誠一。
中堅は坂井雄二。
右翼は長谷川日菜。
国分颯斗と和美は、途中から交代する予定だった。
相手は、三年生を中心とする上級生打線。
簡単にはアウトを取れない。
城戸監督が告げた。
「今日は、一年生だけで守ってもらいます。自分のポジションの仕事だけじゃなくて、仲間がどげん動いとるかも確認してね」
「はい!」
最初の打者は早田航。
正則が投げ込んだ直球を、早田が鋭く打ち返した。
カキーン!
打球は三塁線へ。
早瀬伊織が横へ飛びついた。
グラブの先にボールが当たる。
しかし、完全には捕球できなかった。
「あっ!」
打球は左翼へ転がった。
左翼手の岸田誠一が素早く前進する。
そして捕球すると、二塁へ正確に返球した。
打者走者は一塁で止まった。
早瀬は、悔しそうに声を出した。
「……すみません!」
しかし、岸田が声をかけた。
「伊織、気にせんでよか! 俺がカバーするけん!」
坂井も中堅から叫んだ。
「次、いこう!」
早瀬は顔を上げた。
「ありがとう!」
続く打者は南条悠斗。
正則が投げ込んだ球を、南条が右方向へ打ち返した。
カキーン!
打球は一、二塁間を抜け、右翼へ転がった。
長谷川日菜が素早く前進する。
一塁走者が二塁を回った。
「三塁!」
中堅手の坂井雄二が、大きな声で指示を出した。
長谷川は、直接三塁へ無理に投げようとはしなかった。
二塁手の亜由美が中継位置へ入る。
長谷川から亜由美へ。
亜由美は、三塁走者の動きを確認した。
そして、早瀬へ送球する。
「三塁!」
早瀬が捕球する。
走者は、間一髪で三塁へ滑り込んだ。
「セーフ!」
アウトにはできなかった。
しかし、長谷川から亜由美への返球は正確だった。
中継の位置も、以前よりよくなっていた。
坂井が声をかけた。
「日菜、ナイス返球!」
長谷川が答えた。
「ありがとう!」
亜由美も続けた。
「今の、中継しやすかったで!」
長谷川は笑顔になった。
「よかった!」
しかし、次の打者が打ち上げた飛球では、別の課題が表れた。
浅いセンターフライ。
坂井が前進する。
藤崎も後退する。
二人の間へ打球が落ちかけた。
「俺が捕る!」
坂井が大声を出した。
藤崎はすぐに進路を譲った。
坂井が捕球する。
「アウト!」
その直後、三塁走者がタッチアップした。
坂井は素早く本塁へ返球する。
しかし、送球は少し一塁側へそれた。
森下が捕球してタッチしたものの、走者のほうが早かった。
「セーフ!」
一点を失った。
坂井は悔しそうに言った。
「……返球がそれた」
森下がマスクを外した。
「でも、ちゃんと声を出して捕れたやろ? 次は返球も練習しよう!」
坂井はうなずいた。
「うん!」
城戸監督が全員へ声をかけた。
「今のプレー、どこがよかったと思う?」
早瀬が答えた。
「坂井君が声を出したことです!」
「そうたい。藤崎君も、すぐに進路を譲れたね。じゃあ、改善できるところは?」
坂井が答えた。
「本塁への返球です!」
城戸監督はうなずいた。
「そうやね。捕球できたから全部成功、というわけじゃなかとよ。次の走者の動きまで考えられるようになろう」
九人は、力強くうなずいた。
「はい!」
第七章 ボールが来ない場所にも仕事がある
守備練習は、さらに続いた。
今度は正則に代わり、国分颯斗がマウンドへ上がった。
二塁には和美が入る。
亜由美はベンチから、一連の動きを観察する役割になった。
国分が投げ込んだ直球を、三年生の篠崎玲奈が打ち返した。
打球は一塁線への強烈なゴロ。
立花朋輝が体を低くした。
パシッ!
捕球成功。
しかし、一塁ベースから離れた位置で捕ったため、そのまま自分でベースを踏むには時間がかかる。
国分が一塁カバーへ走った。
「颯斗!」
立花が声をかけた。
そして、国分へ送球する。
国分が一塁ベースを踏みながら捕球した。
「アウト!」
ベンチから拍手が起こった。
「ナイスプレー!」
立花は国分へ笑顔を向けた。
「颯斗、よう走ったね!」
国分もうなずいた。
「朋輝君、ナイス送球!」
城戸監督が声をかけた。
「今のプレー、よかったよ。投手の一塁カバーは、忘れたらいかん大切な仕事たい」
国分はうなずいた。
「はい!」
そして、次の打者。
三浦康平が、三塁前へセーフティーバントを試みた。
打球はゆっくり転がる。
早瀬伊織が前進した。
しかし、無理な体勢から一塁へ投げようとして送球がそれた。
立花が大きく体を伸ばす。
グラブの先にボールが当たった。
しかし、捕球できなかった。
打者走者は一塁へ到達した。
早瀬は悔しそうに言った。
「……焦ってもうた」
立花が声をかけた。
「伊織、次は落ち着いていこう!」
しかし、平松コーチは二人へ尋ねた。
「今のプレー、どうすればよかったと思う?」
早瀬が答えた。
「無理な体勢から投げずに、まず足を整えるべきでした」
「そうやね。ただし、足を整えたら必ず間に合うとは限らんよ。打者走者の足も考えて判断しよう」
立花も話した。
「僕も、送球がそれても捕れるように、もっと練習したかです」
平松コーチはうなずいた。
「そうたい。内野手がいつも完璧な送球をできるとは限らんけんね。一塁手には、そういう球を捕る技術も必要になるとよ」
立花は力強く答えた。
「はい!」
その後も、九人は繰り返し守備練習を行った。
藤崎大輝は、二塁手との併殺連係で送球する位置を修正した。
長谷川日菜は、右翼からの返球で中継する内野手の位置を確認した。
岸田誠一は、左翼線への打球を追ったあと、二塁へ正確に返球する練習を重ねた。
森下悠一は、捕手として内野全体へ声をかけ、次のプレーを確認した。
誰か一人だけが上手になればよいわけではない。
一つのアウトを取るためには、何人もの選手が同じ状況を理解していなければならない。
それは、ファイブピーチ★の五人が教えてくれた、バンド全体の音を聴くという話にも通じるものだった。
第八章 十一人の中に生まれた変化
練習終了後。
一年生十一人は、ベンチへ集まった。
正則が口を開いた。
「なあ、みんな」
「何ね?」
「今日、いつもとちょっと違う感じがせえへんかった?」
和美がうなずいた。
「私も思った。みんな、声をかけ合うことが増えたよね」
坂井も笑った。
「うん! 外野でも、次にどこへ投げるか考えながら守れた気がする」
森下が続けた。
「僕も、配球だけじゃなくて、内野の動きも見るようになったとよ」
亜由美は、少し考えた。
「うちら、先週の勉強会で、ただ技術を磨くだけやなくて、その技術をどう使うか考えることが大事やって教わったやろ?」
立花がうなずいた。
「そうたい!」
長谷川も続けた。
「でも、実際の練習でやってみると、難しかね」
早瀬が苦笑した。
「私、バントの打球で焦って送球を乱してもうたし」
すると、藤崎が声をかけた。
「でも、伊織ちゃん、前より打球へ出るのが速くなっとると思うよ」
早瀬が顔を上げた。
「ほんと?」
「うん。あとは送球たい」
国分も笑った。
「僕も、一塁カバーを忘れんごと練習せんとね」
正則がうなずいた。
「せやな。俺も、まだまだ直球を磨かなあかん」
亜由美は、全員の顔を見渡した。
「でも、何か楽しいな」
和美が笑った。
「何が?」
「できへんことがいっぱいあるけど、どうやったらできるようになるか、みんなで考えるのって面白いやん」
和美は大きくうなずいた。
「そうたい!」
そして、少し悪戯っぽく笑った。
「でも、亜由美ちゃん。レギュラー争いは別やけんね!」
亜由美もニヤリと笑った。
「分かっとる! うちも負けへんで!」
一同、大笑い。
しかし、その笑い声の中には、以前とは少し違う自信があった。
自分だけが成長しようとしているわけではない。
仲間と一緒に、もっと強いチームをつくろうとしている。
そのことが、十一人の表情を明るくしていた。
第九章 大阪、西九条中学校の公式戦
同じ週末。
大阪市では、西九条中学校の野球部が中学生になって初めての公式戦を迎えていた。
対戦相手は、大阪市内の強豪として知られる浪速中央中学校。
池永智雄、宮本さくら、西村奈緒にとっても、中学野球で初めての公式戦だった。
試合前。
三年生エースの若狭大地が、智雄へ声をかけた。
「智雄、今日は途中から投げてもらう可能性がある。準備しといてくれよ」
智雄は背筋を伸ばした。
「はい!」
しかし、表情には緊張が浮かんでいた。
若狭は少し笑った。
「何や、緊張しとるんか?」
智雄も苦笑した。
「そらしますよ。公式戦ですから」
「そうやな。でも、緊張すること自体は悪いことちゃうで」
智雄が顔を上げた。
若狭は続けた。
「その中で、自分が何をすべきか考えることが大事や」
「はい!」
「俺も一年生の頃は、今みたいな球なんか投げられへんかった。だから、今の自分にできることをやったらええ」
智雄は静かにうなずいた。
その言葉を聞きながら、正則から届いたメッセージを思い出していた。
正則も博多で苦戦している。
上級生の球速に驚き、変化球に翻弄され、それでも一つずつ技術を磨いている。
(……あいつも頑張っとるんや)
智雄はグラブを握り直した。
(俺も負けへんで)
試合は、序盤から緊迫した展開となった。
西九条中学校の先発は若狭大地。
三回まで相手打線を一失点に抑える。
その裏、西九条中学校が二点を奪って逆転した。
2対1。
そして五回表。
監督が智雄の名前を呼んだ。
「池永、いくぞ」
「はい!」
智雄はマウンドへ向かった。
最初の打者。
初球の直球を、鋭く打ち返された。
レフト前ヒット。
無死一塁。
続く打者は送りバントを決め、一死二塁。
智雄は、少し焦りを感じた。
(……あかん。ここで点を取られたら)
しかし、すぐに思い直した。
(落ち着け。まずは目の前の打者や)
三番打者を二塁ゴロに打ち取り、二死三塁。
ところが、四番打者に外角の直球を打ち返された。
センター前ヒット。
三塁走者がホームイン。
2対2。
試合は同点になった。
智雄は悔しそうに唇をかんだ。
しかし、次の打者は外角低めへの直球で三塁ゴロに打ち取り、追加点は許さなかった。
ベンチへ戻ると、若狭が声をかけた。
「智雄、どうやった?」
智雄は答えた。
「……打たれました。最後は抑えたけど、一点取られてしまいました」
若狭はうなずいた。
「そうやな。でも、あのあと崩れへんかったのはよかったで」
智雄は顔を上げた。
「……はい」
「次は、何で打たれたか考えよう。悔しいだけで終わったら、もったいないからな」
智雄は力強くうなずいた。
「分かりました!」
六回表からは、三年生の別の投手が登板した。
その裏、西九条中学校は一死二塁のチャンスをつくった。
ここで代打として登場したのが宮本さくらだった。
相手投手の直球を打ち返す。
カキーン!
鋭い打球が三遊間へ飛んだ。
しかし、相手遊撃手が横へ飛びついた。
パシッ!
捕球成功。
一塁へ送球。
「アウト!」
さくらは悔しそうに顔をしかめた。
「……惜しかった!」
しかし、二塁走者は三塁へ進んだ。
続く西村奈緒が、代打として打席に入る。
初球の変化球を見送った。
ボール。
二球目。
外角への直球。
奈緒がバットを振り抜いた。
カキーン!
打球はライト前へ抜けた。
三塁走者がホームイン。
3対2。
西九条中学校が勝ち越した。
ベンチが沸いた。
「奈緒! ナイスバッティング!」
さくらも笑顔で拍手した。
「よう打ったな!」
奈緒は一塁上で小さく拳を握った。
「よっしゃ!」
七回表。
西九条中学校は無失点で相手の攻撃を抑え、3対2で勝利した。
試合終了後。
智雄はベンチで、今日の投球内容を振り返っていた。
初めての公式戦。
一回一失点。
決して満足できる結果ではなかった。
しかし、初めて中学生の公式戦でマウンドに立ち、強打者と勝負した経験は、何にも代えがたいものだった。
さくらが近づいてきた。
「智雄、どうしたん?」
「今日の投球、考えとるんや」
奈緒も隣へ腰掛けた。
「うちらも反省するところはいっぱいあるで」
さくらが笑った。
「うち、さっきの打球、もうちょっと強く打てたら抜けとったかもしれへん」
奈緒もうなずいた。
「うちも、タイムリーは打てたけど、変化球への対応はまだまだや」
智雄は、少し笑った。
「……そやな」
そして、三人は顔を見合わせた。
「もっと上手になろうな!」
智雄の言葉に、さくらと奈緒がうなずいた。
「もちろんや!」
第十章 博多リトルスターズ、キャプテン悠翔の挑戦
一方、福岡市内の野球場では、博多リトルスターズが全国大会へつながる地区予選の次戦を迎えていた。
初戦では、東区マリナーズを5対3で破っている。
今日の相手は、香椎オーシャンズ。
投手力と機動力を兼ね備えたチームだった。
試合開始前。
キャプテンの柳川悠翔は、新四年生たちを集めていた。
辻本晴斗。
岡野芽衣。
平尾翔。
日高莉奈。
久米蒼士。
塚本奈々。
六人は、初戦に続く公式戦を前に、少し緊張した表情をしていた。
悠翔が尋ねた。
「みんな、今日の目標は何ね?」
辻本が答えた。
「エラーせんごと頑張ります!」
岡野も続けた。
「私も、今度は絶対にエラーしたくないです!」
悠翔は、少し考えた。
そして、笑顔で答えた。
「エラーを減らそうって考えることはよかよ。でも、エラーするのが怖くて、捕れそうな打球を追いかけんのはもったいなかろ?」
岡野はうなずいた。
「はい」
「思い切ってプレーしよう。失敗したら、そのあとで何が原因やったか考えればよかとよ」
平尾が尋ねた。
「じゃあ、三振したときもですか?」
「そうたい!」
悠翔は続けた。
「どげんな球で三振したか、次は何を狙えばよかか。それを考えることが大切たい」
そして、一人一人の顔を見つめた。
「僕たちも、まだまだ上手になれるけんね。自分で自分の限界を決めんごとしよう!」
その言葉に、岡野が顔を上げた。
「……はい!」
村瀬杏奈が、隣から笑顔で声をかけた。
「悠翔、よかこと言うね!」
悠翔は少し照れた。
「いやいや、僕もまだまだたい!」
岡部結菜も笑った。
「でも、みんなで頑張ろうね!」
選手たちは、力強くうなずいた。
「はい!」
やがて試合が始まった。
先発投手は岡部結菜。
四番打者は柳川悠翔。
悠翔は遊撃手として出場した。
初回。
香椎オーシャンズは一番打者が四球で出塁すると、すぐに盗塁を決めた。
続く打者が送りバントで走者を三塁へ進める。
三番打者がセンターへ犠牲フライを打ち上げ、先制点を奪った。
0対1。
博多リトルスターズは、初回から追いかける展開となった。
しかし、二回裏。
村瀬杏奈が二塁打で出塁すると、悠翔が打席に入った。
初球。
外角への直球。
ストライク。
二球目。
内角へ外れる。
ボール。
三球目。
相手投手が投げ込んだ直球を、悠翔が鋭く打ち返した。
カキーン!
打球は右中間へ飛んだ。
外野手が追いかける。
しかし、打球は二人の間へ落ちた。
杏奈が三塁を回る。
ホームイン!
1対1。
悠翔は二塁へ滑り込んだ。
タイムリーツーベースヒット。
ベンチから歓声が上がった。
「悠翔! ナイス!」
「キャプテン、よう打った!」
悠翔は二塁上で笑った。
「よっしゃ!」
その後、試合は互いに譲らない展開となった。
四回表には香椎オーシャンズが一点を追加。
1対2。
しかし、五回裏。
博多リトルスターズは四年生の岡野芽衣が送りバントを決め、走者を二塁へ進めた。
続く川島蒼空がライト前へ打ち返し、同点に追いついた。
2対2。
岡野はベンチで嬉しそうに笑った。
「……やった!」
悠翔が声をかけた。
「芽衣ちゃん、ナイスバント!」
岡野は笑顔で答えた。
「ありがとうございます!」
そして六回裏。
博多リトルスターズは、柳川悠翔の安打をきっかけにチャンスをつくった。
山内翔吾が送りバントで走者を進め、西野美優が四球を選ぶ。
一死一、二塁。
ここで岡部結菜が、外角の直球を右中間へ打ち返した。
カキーン!
悠翔が三塁を回る。
ホームイン!
さらに一塁走者の西野も三塁へ進んだ。
3対2。
続く有田蓮がライトへ犠牲フライを打ち上げ、もう一点を追加した。
4対2。
七回表。
香椎オーシャンズは最後まで粘ったものの、博多リトルスターズの投手陣が踏ん張り、追加点を許さなかった。
試合終了。
博多リトルスターズが4対2で勝利した。
地区予選、二試合連続の勝利だった。
試合終了後。
悠翔は、四年生たちへ声をかけた。
「みんな、今日も頑張ったね!」
辻本が笑った。
「ありがとうございます!」
岡野も続けた。
「悠翔先輩、私、今日はバントを決められました!」
悠翔がうなずいた。
「そうたい! よか仕事やったね!」
そして、少し真剣な表情になった。
「でも、まだ次の試合があるけんね。今日できたことに満足せず、もっと上手になろう!」
六人は、そろってうなずいた。
「はい!」
その様子を見ていた篠田正孝監督が、穏やかに微笑んだ。
悠翔は、四番打者としてだけではなく、キャプテンとしても少しずつ成長していた。
第十一章 試合で使えなければ、身についたとは言えない
翌週の放課後。
博多フューチャーズの練習場。
城戸直哉監督は、全選手を集めていた。
「みんな、ここ数週間で練習への取り組み方が変わってきたね」
選手たちがうなずいた。
「特に一年生は、声をかけ合うことが増えたし、自分の課題を理解しながら練習できるようになってきたと思います」
正則と亜由美は、静かに聞いていた。
城戸監督は続けた。
「でも、ここで一つ考えてほしかことがあるとよ」
そして、選手たちを見渡した。
「練習でできたことが、試合でも必ずできるとは限らんよね」
三年生の三浦康平がうなずいた。
「そうですね」
「練習では打球が来る方向が分かっとることもある。でも、試合では相手がどこへ打つか分からん。走者も自分で判断して動くし、相手もこっちの守備を見とるけんね」
平松コーチも続けた。
「だから、練習で身につけたことを、今度は実戦の中で使えるようにしていこう」
そして、一年生たちへ視線を向けた。
「みんな、青柳家と柳川家で何を学んだか覚えとる?」
和美が答えた。
「はい! 今できることに満足せず、もっと上手になろうとすることです!」
亜由美も続けた。
「それから、基本の技術を磨きながら、その技術を試合でどう使うか考えることです」
正則がうなずいた。
「僕は、自分で自分の限界を決めんことやと思います」
城戸監督は微笑んだ。
「そうやね」
そして、少し真剣な表情になった。
「でもね、限界を決めんというのは、無理をすることじゃなかとよ。今の自分に何ができて、何ができんのかを確認して、少しずつできることを増やしていくことたい」
正則は静かにうなずいた。
平松コーチが続けた。
「野球の上達には、練習だけじゃなくて、十分な休養も必要たい。特にみんなは成長期やけんね」
「はい!」
そして、城戸監督は一枚の資料を取り出した。
「夏の大会の日程が近づいてきました。来週からは、ベンチ入り選手を決めるための最終段階に入ります」
グラウンドの空気が変わった。
正則は背筋を伸ばした。
亜由美も、グラブを握り直した。
「練習の内容、実戦でのプレー、チームの構成を総合的に見て判断します。誰が選ばれるかは、まだ決まっとらんよ」
選手たちの表情が引き締まった。
藤岡蓮司が、静かにうなずいた。
三浦康平も、和美も、亜由美も、真剣な表情だった。
競争は、いよいよ次の段階へ進もうとしていた。
第十二章 「昨日より上手になった」と言えること
練習終了後。
亜由美と和美は、二塁ベースの近くでグラブを持ったまま話していた。
「和美ちゃん」
「何ね?」
「今日の守備、前よりちょっとよくなった気がせえへん?」
和美は笑った。
「うん! 亜由美ちゃんも一歩目が速くなっとったし、私も打者を見るようになったけんね」
亜由美はうなずいた。
「でも、三浦先輩の守備を見ると、まだまだやなって思うわ」
和美も笑った。
「そうたい。でも、三浦先輩だって、もっと上手になろうとしよるやろ?」
「……ほんまやね」
少し離れた場所では、三浦康平が川野颯太と送球練習を行っていた。
三浦も、今の自分の技術に満足しているわけではない。
和美は、その姿を見つめながら言った。
「亜由美ちゃん、私ね、前はリトルスターズで全国優勝したことが、すごい自信になっとったとよ」
亜由美がうなずいた。
「うん」
「でも、中学に入ってから、まだまだ知らんことがいっぱいあるって分かったっちゃん」
亜由美は少し笑った。
「うちもや。全国準優勝したからって、最初から通用するわけやなかった」
和美もうなずいた。
「でも、それが面白かね」
亜由美が顔を上げた。
「……面白い?」
「そうたい! まだ知らんことがあるってことは、これから覚えられることもいっぱいあるってことやろ?」
亜由美は、少し考えた。
そして、笑顔になった。
「……そうやね!」
和美は続けた。
「光子さんと優子さんだって、小学四年生の頃は、あげん苦労しながら演奏しよったもんね」
亜由美も笑った。
「ほんまやね。今では世界中で演奏してはるのに、まだ上手になりたいって言うてはった」
和美は大きくうなずいた。
「私たちも負けとられんね!」
亜由美は笑った。
「うん! でも、セカンドは譲らへんで!」
和美もニヤリとした。
「私も譲らんばい!」
二人は笑いながらグラブを合わせた。
そして、亜由美が少し真剣な表情になった。
「……和美ちゃん」
「何ね?」
「もし、うちがレギュラーに選ばれへんかったとしても、和美ちゃんのこと、ちゃんと応援するで」
和美は、少し驚いた。
そして、ゆっくりとうなずいた。
「私もたい。亜由美ちゃんが選ばれたら、全力で応援するけん」
亜由美は微笑んだ。
「ありがとう」
和美も笑った。
「でも、まだ決まっとらんけんね!」
「もちろんや!」
二人は、もう一度グラブを合わせた。
競争相手の成功を願うこと。
それでも、自分が選ばれるために全力を尽くすこと。
その二つは、決して矛盾しない。
亜由美と和美は、少しずつそのことを理解し始めていた。
第十三章 正則、もう一度直球と向き合う
同じ日の夕方。
正則は、藤岡蓮司と一緒にブルペンの片づけをしていた。
「藤岡先輩」
「何ね?」
「今日、僕の直球、どうでしたか?」
藤岡は少し考えた。
「前より低めに集まるようになっとるね」
正則は笑顔になった。
「ほんまですか?」
「うん。でも、まだ疲れてきたときに球が高くなることがあるけんね」
正則はうなずいた。
「……そうですね」
藤岡は続けた。
「正則君、変化球を覚えたいって言いよったやろ?」
「はい」
「その気持ちは大切たい。でも、何で変化球が必要なのか、ちゃんと考えたほうがよかよ」
正則は顔を上げた。
「……どういうことですか?」
藤岡は、少し笑った。
「ただ直球を打たれたくないから、変化球を投げる。それだけじゃ、相手に読まれることもあるけんね」
正則は静かに聞いていた。
「直球でどこを攻めるか。変化球をどのカウントで使うか。どうやって打者のタイミングを外すか。そういうことまで考えて、初めて球種が武器になるっちゃん」
正則は、大きくうなずいた。
「……なるほど」
藤岡は続けた。
「それに、打者が速い球を待っとるところへ、同じ速さの球ばっかり投げたら、タイミングを合わせられることもある。でも、直球のコースや高さを変えるだけでも、打者の反応は違うとよ」
正則は、少し考えた。
そして、笑った。
「……僕、変化球がないから打たれるって、決めつけとったかもしれません」
藤岡はうなずいた。
「そうやね。変化球も必要になってくるけど、今の直球にも、まだ磨けるところがいっぱいあるけん」
正則は、静かにグラブを握り直した。
小学四年生の光子と優子。
あの頃、二人は簡単な楽譜を演奏することから始めていた。
しかし、その基本を何度も繰り返し、少しずつ技術を磨いていった。
そして今でも、基本練習を続けている。
自分も同じだ。
ただ球速を上げるだけではない。
ただ変化球を増やすだけでもない。
まずは、自分が今持っている技術を磨き続けること。
そのうえで、新しい技術を身につけていく。
正則は藤岡へ深く頭を下げた。
「ありがとうございます!」
藤岡は笑った。
「よかよか。俺も、まだまだ勉強中たい!」
そして、少し悪戯っぽく続けた。
「でも、先発の座は簡単には譲らんけんね!」
正則もニヤリと笑った。
「僕も絶対に狙います!」
「望むところたい!」
二人は笑いながらグラブを合わせた。
第十四章 十一人の野球ノート
その夜。
博多南中学校の寄宿舎。
正則は、同室の寺島湊がクラリネットの練習記録を整理しているのを見ながら、自分の野球ノートを開いた。
湊が尋ねた。
「正則君、最近は練習の記録が増えたね」
正則は笑った。
「せやな。前は球速とか、何人三振を取ったかばっかり書いとったけど、今はもっといろんなことを書いとるんや」
湊は、少し興味深そうに尋ねた。
「例えば?」
「直球が高くなったときのフォームとか、打者がどの球を狙っとったかとか、守備の仲間とどう連係したかとかや」
湊はうなずいた。
「なるほど。僕もクラリネットの練習で、音がうまく出なかったときの原因を書くようにしているよ」
正則は顔を上げた。
「そうなんや!」
「うん。最初は、ただ音が出なかったって書いていたんだけど、最近は息の使い方や指の動きを振り返るようになったんだ」
正則は少し笑った。
「……何か、俺ら似たようなことやっとるな」
湊も笑った。
「そうだね!」
一方、女子居住区域。
亜由美は、同室の桐原澪と今日の練習について話していた。
「澪ちゃん、うち、最近ちょっと分かったことがあるねん」
「何?」
「前は、エラーしたら、何でこんなこともできへんのやろって思っとった」
澪がうなずいた。
「うん」
「でも、今はどこで判断が遅れたか、足の動きがどうなっとったか、そういうのを考えるようになったんや」
澪は微笑んだ。
「それは、すごく大切なことだと思うよ」
亜由美は笑った。
「それに、和美ちゃんにもいろいろ教えてもらっとるしな」
「仲よくなったんだね」
「うん。でも、セカンドのポジションは絶対に譲らへんで!」
澪が吹き出した。
「亜由美ちゃんらしいね!」
亜由美も大笑いした。
そして、野球ノートを開いた。
そこには、今日の練習記録が書かれていた。
打球への一歩目。
捕球から送球までの動作。
走者の位置。
守備位置の調整。
そして、仲間との連係。
亜由美は、その下に新しい文章を書き込んだ。
『今日できたことに満足しない。でも、今日できたことを喜ぶことも忘れない』
そして、もう一行。
『自分で自分の限界を決めない』
亜由美は、ゆっくりとペンを置いた。
同じ頃、博多フューチャーズの一年生たちも、それぞれの家庭や部屋で練習を振り返っていた。
和美は、打者を観察して守備位置を変えた場面を記録していた。
坂井は、外野からの返球で改善したいことを書いていた。
岸田は、捕球後の動作を整理していた。
立花は、一塁で低い送球を捕るための練習方法を考えていた。
森下は、捕手として守備全体へ声をかけるタイミングを振り返っていた。
国分は、フォームの安定と一塁カバーについて書き込んでいた。
長谷川は、中継プレーでの返球位置を確認していた。
早瀬は、バント処理で焦った場面を振り返っていた。
藤崎は、二塁手との併殺連係をもっと滑らかにする方法を考えていた。
十一人は、全員が違う課題を持っていた。
しかし、目指していることは同じだった。
昨日より、少しでも上手になること。
そして、その成長をチームの力につなげること。
第十五章 自分の限界を決めない
六月の夜が、静かに更けていく。
正則は、机の上に置いた大阪タイタンズ時代の写真を見つめた。
全国大会決勝。
あのとき、自分たちは博多リトルスターズに敗れた。
悔しかった。
しかし、その敗戦があったからこそ、今の挑戦がある。
博多へ来て、三年生の速球に驚いた。
変化球にも苦しんだ。
思うように打てず、何度も悔しい思いをした。
それでも、少しずつ成長している。
そして、自分の周りには、もっと上手になろうと努力する仲間がいる。
正則は、写真を見つめながら静かにつぶやいた。
「……智雄、俺も負けへんで」
大阪では、池永智雄も新しい環境で成長を続けている。
いつか再び対戦するとき、お互いにどこまで強くなっているだろう。
その日が、今から楽しみだった。
一方、亜由美は、ファイブピーチ★の演奏映像を思い出していた。
小学四年生の光子と優子。
楽譜の音符を一つずつ追いかけ、何度も演奏をやり直していた二人。
その二人が、今では世界中の舞台で観客を魅了している。
それでも、本人たちは今も自分の演奏に満足していない。
もっと上手になりたい。
もっとよい演奏をしたい。
新しい表現を身につけたい。
その気持ちを持ち続けている。
亜由美は、静かに笑った。
「……うちらも同じやね」
今はまだ、レギュラーではない。
三浦康平の壁は厚い。
川野颯太も、和美も、着実に成長している。
しかし、亜由美はもう、そのことを焦る理由だけにはしたくなかった。
自分より上手な仲間がいるからこそ、学べることがある。
競争する相手がいるからこそ、もっと強くなりたいと思える。
そして、自分自身の可能性を、今の技術だけで決めつける必要もない。
その頃、青柳家では、光子がベースの練習を終え、楽器を丁寧に片づけていた。
翼が声をかけた。
「今日も練習していたんだね」
光子は笑った。
「そうたい! まだまだ磨きたかところがいっぱいあるけんね!」
翼も微笑んだ。
「そうだね。僕も明日はテニスの練習があるよ」
光子は、少し悪戯っぽく笑った。
「お互い、生涯現役たい!」
翼も笑った。
「そうだね」
一方、柳川家でも、優子がドラムの練習を終えたところだった。
悠翔が声をかけた。
「お母さん、今日も練習しよったと?」
優子は笑った。
「もちろんたい!」
「でも、お母さん、もうめちゃくちゃ上手やん!」
優子は少し考えた。
そして、優しく笑った。
「ありがとうね、悠翔。でも、もっと上手になりたかことは、まだまだいっぱいあるとよ」
悠翔は、静かにうなずいた。
「……僕もたい」
「そうやろ?」
「うん。もっと打てるようになりたいし、守備もうまくなりたい。それから、キャプテンとしても成長したか」
優子は笑顔になった。
「よかね! その気持ちを大切にしんしゃい」
悠翔は力強くうなずいた。
「うん!」
そして、少し笑った。
「でも、お母さんと光子おばちゃん、七十歳になってもベースとドラムで張り合いよるんやろ?」
優子が大笑いした。
「そうたい! まだまだ若いもんには負けんばい!」
悠翔も吹き出した。
「それ、今から何十年も先の話やろうもん!」
優子はニヤリと笑った。
「そのために、今から練習しよるとよ!」
二人の笑い声が、柳川家に響いた。
その夜。
博多フューチャーズの一年生十一人は、それぞれの場所で新しい目標を胸にしていた。
河内正則。
加藤亜由美。
牧田和美。
坂井雄二。
岸田誠一。
立花朋輝。
森下悠一。
国分颯斗。
長谷川日菜。
早瀬伊織。
藤崎大輝。
十一人は、まだ中学生になったばかりだ。
経験も技術も、上級生には及ばないところが多い。
しかし、誰一人として、自分の可能性を今の実力だけで決めつけるつもりはなかった。
昨日より今日、今日より明日へ。
そして、今日できたことも、明日はさらに磨ける。
ファイブピーチ★の五人が教えてくれた、終わりのない成長への道。
その考え方は、確かに十一人の野球へと受け継がれ始めていた。
夏の大会へ向けた、最後の選考が近づいている。
誰が先発するのか。
誰がベンチに入るのか。
そして、誰が悔しい思いをすることになるのか。
まだ、何も決まっていない。
しかし、正則と亜由美には、一つだけはっきり分かっていることがあった。
自分の限界を決めるのは、まだ早すぎる。
二人の挑戦は、これからさらに厳しさを増していく。
それでも、二人は前を向いていた。
次回予告
第55話「夏のベンチ入り、運命の選考」
夏の大会を目前に控え、博多フューチャーズではベンチ入り選手の選考が最終段階に入る。
三年生の藤岡蓮司を中心とする投手陣。
二年生の水上遼太。
一年生の河内正則と国分颯斗。
それぞれが、自分の長所を生かしながら先発や救援の座を争っていた。
一方、二塁手の争いも激しさを増している。
三年生の三浦康平。
二年生の川野颯太。
一年生の加藤亜由美と牧田和美。
四人は互いに技術を磨き合い、練習でも好プレーを見せ始めていた。
しかし、レギュラーとして先発できるのは一人だけ。
ほかのポジションでも、坂井雄二、岸田誠一、立花朋輝、森下悠一、長谷川日菜、早瀬伊織、藤崎大輝たちが、上級生との厳しい競争を続けている。
そんな中、城戸直哉監督が告げる。
「次の実戦練習が、夏の大会へ向けた選考の大きな判断材料になります」
一年生たちの表情が引き締まる。
正則が言う。
「俺、絶対にマウンドに立ちたい!」
亜由美も続ける。
「うちも、実力でセカンドのポジションをつかみたい!」
和美も負けずに答える。
「私も負けんけんね!」
しかし、実戦練習では思いがけない展開が待っていた。
好調だった選手が失敗する。
これまで出場機会の少なかった選手が、重要な場面で結果を残す。
そして、監督とコーチは難しい決断を迫られることになる。
一方、大阪の西九条中学校では、池永智雄たちが公式戦初勝利を経て、次の強豪との対戦へ向けて準備を進める。
博多リトルスターズでも、柳川悠翔が四番打者兼キャプテンとして、全国大会へつながる地区予選を勝ち進んでいた。
次回、第55話「夏のベンチ入り、運命の選考」。
努力すれば、必ず選ばれるとは限らない。しかし、選ばれるために重ねた努力は、決して無意味ではない。勝負の厳しさと仲間への敬意を胸に、正則と亜由美たちは夏の大会へ向かう。




