守備からつかむ信頼、亜由美と和美の新しい武器
河内正則 栄光への道
第53話「守備からつかむ信頼、亜由美と和美の新しい武器」
第一章 五月下旬、ポジション争いはさらに激しく
五月下旬。
福岡市にある爆笑発電所スポーツ事業部の野球施設では、博多フューチャーズの選手たちが、夏の大会へ向けて練習に励んでいた。
河内正則と加藤亜由美が中学校へ進学して、まもなく二か月。
大阪タイタンズ時代には全国大会で準優勝した二人だったが、中学野球では、まだまだ覚えなければならないことが山ほどあった。
特に亜由美にとって、二塁手のレギュラー争いは想像以上に厳しかった。
三年生の三浦康平は、守備範囲が広く、送球も正確だった。
二年生の川野颯太は、俊足を生かした守備と走塁を得意としている。
そして、同じ一年生の女子選手、牧田和美。
昨年まで博多リトルスターズで活躍し、全国大会優勝を経験した和美は、鋭い一歩目と素早い送球が武器だった。
亜由美も決して実力がないわけではない。
相手打者の特徴を観察し、打球方向を予測する能力は高い。配球を考えながら打席に立つ姿勢も、少しずつ身についていた。
しかし、強いゴロへの対応や、併殺プレーでの素早い判断には課題が残っている。
この日の練習でも、それが表れた。
「一死一塁! 次、亜由美さん!」
平松真帆コーチの声が響いた。
亜由美は二塁の守備位置についた。
打者は三年生の早田航。
投手は二年生の水上遼太。
一塁走者には俊足の松崎結月が入っている。
水上が直球を投げ込んだ。
カキーン!
打球は二遊間へ飛んだ。
亜由美が素早く横へ動く。
パシッ!
捕球成功。
しかし、送球しようとした瞬間、わずかに足がもつれた。
二塁へ送球する。
「セーフ!」
さらに一塁への転送も間に合わなかった。
亜由美は悔しそうにグラブを握った。
「……また、判断が遅れてもうた」
平松コーチが近づいた。
「亜由美さん、打球への反応はよかったよ」
「ありがとうございます。でも、送球が遅れました」
「そうやね。捕るところまではできとる。次は捕る前から、どこでアウトを取れるか考えてみようか」
亜由美はうなずいた。
「はい!」
その様子を見ていた和美が声をかけた。
「亜由美ちゃん、次は私も一緒にやってみてよか?」
「もちろん!」
二人は順番に同じ状況の守備練習を繰り返した。
和美は、捕球から送球までの動作が速い。
亜由美は、打者の構えや投球コースを見て、打球が来る位置を予測するのが得意だった。
互いの動きを観察しているうちに、二人は少しずつ気づき始めた。
相手にあって自分にないもの。
自分にあって相手にないもの。
そして、二人ともまだ十分には身につけていないもの。
亜由美が口を開いた。
「和美ちゃん、うちら、お互いの長所を組み合わせたら、もっと上手になれるんちゃう?」
和美は笑顔になった。
「そうたい! 私も亜由美ちゃんの観察力を身につけたか!」
亜由美は笑った。
「うちは和美ちゃんみたいな一歩目の速さが欲しいわ!」
和美も笑った。
「ほな、一緒に練習しよう!」
しかし、すぐにニヤリとした。
「でも、レギュラーは譲らんけんね!」
亜由美も負けずに答えた。
「うちもやで!」
二人は声を上げて笑った。
その様子を、三浦康平と川野颯太が見守っていた。
三浦が笑う。
「二人とも、よかライバルになっとるね」
川野もうなずいた。
「でも、俺たちも負けとられんばい!」
二塁手の争いは、ますます激しくなっていた。
第二章 正則が学ぶ、走者を背負った投球
一方、第一グラウンドでは、正則が投球練習を行っていた。
この日の課題は、走者を一塁に置いた場面での投球だった。
捕手は一年生の森下悠一。
一塁走者には坂井雄二が入り、盗塁のタイミングをうかがっている。
城戸直哉監督が状況を説明した。
「無死一塁。打者は三年生の南条悠斗君。河内君、何を気をつけますか?」
正則は答えた。
「走者の動きを警戒しながら、打者にも集中することです」
城戸監督はうなずいた。
「そうやね。ただし、走者ばっかり見よったら、投球が乱れることもあるけんね」
「はい!」
正則はセットポジションに入った。
一塁走者の坂井が、少しずつリードを広げる。
(……走るか?)
正則は一度、一塁へ目を向けた。
坂井は素早く帰塁した。
そして、次の投球。
正則が投球動作に入った瞬間、坂井がスタートした。
「走った!」
森下が捕球すると、素早く二塁へ送球した。
しかし、坂井の足が一瞬早かった。
「セーフ!」
正則は小さく息を吐いた。
「……あかん」
森下が声をかけた。
「正則君、今のはちょっと投球動作を読まれとったね」
正則が顔を上げた。
「そうなん?」
「うん。セットに入ってから投げるまでの時間が、毎回ほとんど同じやったけん」
正則は少し考えた。
「……なるほど」
そこへ城戸監督が近づいた。
「河内君、投球の間合いも大切たい。ただし、無理に動きを変えて、フォームを崩したらいかんよ」
「はい!」
「まずは走者を見るタイミングと、投球へ集中するタイミングを整理してみよう」
正則は大きくうなずいた。
「分かりました!」
今度は、一塁走者の動きを確認したあと、落ち着いて投球へ入った。
南条が打ち返す。
打球は二塁方向へのゴロ。
守備に入っていた三浦康平が捕球し、遊撃手の秋山紘太へ送球した。
二塁アウト。
さらに一塁へ転送。
「アウト!」
ダブルプレー。
正則は少し笑った。
「……助かった!」
三浦が声をかけた。
「正則君、今のは打者をよう打ち取ったね!」
「ありがとうございます!」
城戸監督は続けた。
「投手一人でアウトを全部取る必要はなかとよ。打たせて守備に任せるのも、大切な投球たい」
正則は静かにうなずいた。
「はい!」
中学野球では、自分が三振を取ることだけが投手の仕事ではない。
仲間の守備を信じること。
走者の動きを警戒すること。
そして、打者に対して自分の球を投げ切ること。
正則は、少しずつその大切さを学んでいた。
第三章 新たな対外練習試合
練習終了後。
城戸監督は選手たちを集めた。
「みんな、来週は糸島ブルーウェーブと対外練習試合を行います」
選手たちの表情が引き締まった。
糸島ブルーウェーブは、機動力を生かした攻撃に定評のある中学生チームだった。
盗塁。
送りバント。
エンドラン。
そして、打球が転がった瞬間の積極的な走塁。
相手の守備に少しでも隙があれば、次の塁を狙ってくる。
城戸監督は続けた。
「今回は特に、走者がいる場面での守備判断を確認します。投手と捕手、二塁手と遊撃手の連係も重要になるけんね」
正則がうなずいた。
亜由美と和美も、真剣な表情で聞いていた。
平松コーチが続けた。
「亜由美さん、和美ちゃん。二人にも実戦での出場機会を考えとるよ」
二人が顔を上げた。
「はい!」
「ただし、どちらが何回出るかは、試合の状況と練習内容を見て決めます。自分の出番に備えて準備しとってね」
亜由美が力強く答えた。
「分かりました!」
和美もうなずいた。
「はい!」
そして、城戸監督は一年生たちへ向き直った。
「それから、もう一つ。今週末は、普段とは少し違う勉強の機会を用意しとるとよ」
正則が顔を上げた。
「違う勉強、ですか?」
城戸監督は微笑んだ。
「青柳家と柳川家の皆さんが、みんなのために時間を取ってくれることになりました」
一年生たちの表情が一斉に明るくなった。
「あっ、光子さんたちのところですか!」
「優子さんの家にも行けると!?」
今回の一年生は、全員が以前から柳川悠翔と知り合いだった。
悠翔を通じて、光子や優子をはじめとするファイブピーチ★のメンバーとも顔見知りになっている。
そのため、初対面の有名人を訪ねるというより、以前から知っている人たちに、新しい相談をする機会だった。
城戸監督は続けた。
「今日は野球の技術そのものを教わるわけじゃなかよ。どうやって技術を磨くのか。失敗したとき、何を考えるのか。そういうことを、違う分野の皆さんから学んでみよう」
そして、少し笑った。
「ただし、遊びに行くだけにならんごとね!」
一年生たちが元気よく答えた。
「はい!」
正則は、隣の亜由美へ小声で話しかけた。
「……またギャグコントの課題が出るんちゃうやろな」
亜由美が吹き出した。
「マグカップと車の夫婦コントの次は何やろね!」
正則が苦笑した。
「……今度は冷蔵庫が漫才するんか?」
亜由美が笑った。
「ありそうで怖いわ!」
二人は顔を見合わせ、大笑いした。
第四章 一年生全員、青柳家と柳川家へ
土曜日の午後。
午前中の練習を終えた一年生たちは、事前に決められた二つのグループに分かれた。
今回参加する一年生は十一人。
青柳家へ向かう六人は、加藤亜由美、牧田和美、坂井雄二、国分颯斗、長谷川日菜、早瀬伊織。
柳川家へ向かう五人は、河内正則、立花朋輝、森下悠一、岸田誠一、藤崎大輝。
全員が訪問先と帰宅・帰寮予定時刻を確認し、必要な許可を取っていた。
青柳家では光子と翼、陽翔、燈真、彩羽が迎え、さらに美香と奏太も参加することになっている。
一方、柳川家では優子と拓実、結音、灯乃、悠翔が待っていた。そこには小春も訪れていた。
二つの家庭はビデオ通話でつなぎ、途中から全員が同じ映像や演奏を見られるように準備されていた。
青柳家の玄関。
「こんにちは!」
亜由美と和美たちが挨拶すると、光子が笑顔で迎えた。
「みんな、よう来たね!」
陽翔も顔を出した。
「亜由美さん、和美さん! こんにちは!」
和美が笑った。
「陽翔、久しぶりたい!」
彩羽も笑顔で近づいてきた。
「今日は野球の勉強会やろ? 楽しみにしとったよ!」
燈真が続けた。
「テニスや卓球の話もするけんね!」
亜由美は頭を下げた。
「今日はよろしくお願いします!」
一方、柳川家。
正則たち五人が到着すると、悠翔が玄関へ飛び出してきた。
「正則君! みんなもよう来たね!」
正則は笑った。
「おう! 今日はよろしく頼むで!」
立花朋輝も声をかけた。
「悠翔、元気にしとった?」
「もちろんたい!」
そこへ優子が姿を見せた。
「みんな、こんにちは! 今日は楽しんでいってね!」
拓実も微笑んだ。
「こんにちは。今日は野球以外の競技からも、いろいろ学んでいこう」
森下悠一がうなずいた。
「はい!」
結音と灯乃も顔を出した。
「みんな、よう来たね!」
「今日は面白か話がいっぱい聞けると思うばい!」
正則は笑った。
「……やっぱり、ギャグコントもあるんか?」
優子がニヤリと笑った。
「それは、どげんやろうね!」
一同、大笑いした。
こうして、二つの家庭を舞台にした、少し変わった勉強会が始まった。
第五章 青柳家、スポーツに共通するもの
青柳家のリビングでは、亜由美と和美たち六人が、光子たちの話を聞いていた。
最初に口を開いたのは青柳翼だった。
「みんな、野球の試合では、何を見ながらプレーしている?」
坂井雄二が答えた。
「打者の構えや打球の方向です!」
国分颯斗も続けた。
「僕は投手なので、打者がどのコースを狙っているか考えます」
翼はうなずいた。
「そうだね。テニスでも、相手の動きを観察して次の球を予測することは大切なんだ」
そして、少し考えた。
「ただし、予測が外れたときにどう対応するかまで準備しておかないと、試合では困ることがある」
亜由美がうなずいた。
「前にも教えていただきました。うち、最近やっと少しずつ分かってきた気がします」
翼は微笑んだ。
「それはよかった。でも、実際にできるようになるには、繰り返し練習する必要があるね」
続いて、陽翔が話し始めた。
「バレーでも同じたい。スパイクがどこへ来るか予想することは大切やけど、予想と違う方向へ来ることもあるけんね」
長谷川日菜が尋ねた。
「じゃあ、どうするんですか?」
「相手の動きを見ながら、まず自分が動ける姿勢をつくるとよ。それから、ボールが来たらすぐ反応できるようにするっちゃん」
早瀬伊織がうなずいた。
「野球の守備と似てますね」
「そうたい!」
燈真も続けた。
「テニスでは、相手が打つ瞬間に合わせて、次の動きへ移れるように準備するとよ。でも、準備することばっかり考えて、肝心のボールを見失ったら意味なかけんね」
彩羽が笑った。
「卓球も同じたい。相手のラケットの角度を見て回転を予想しても、最後は飛んできたボールをちゃんと見らんといかんとよ」
和美は、興味深そうに聞いていた。
「……なるほど。守備でも、打者が振る前の動きばっかり見とったら、ボールが来たときに遅れることがあるもんね」
彩羽がうなずいた。
「そうたい!」
そこで美香が口を開いた。
「みんな、共通するところがあるっちゃね。相手を観察することと、自分が動ける準備をすること。その両方が必要なんよ」
亜由美は、静かにうなずいた。
今まで、自分は相手打者の特徴を観察することに力を入れてきた。
しかし、守備練習では、打球の方向が分かっても捕球や送球が遅れることがあった。
一方、和美は打球への反応が速い。
しかし、守備位置を調整するための情報を読むことは、まだ勉強中だった。
二人は顔を見合わせた。
「和美ちゃん」
「何ね?」
「うちら、やっぱりお互いに足りんところがあるんやね」
和美は笑った。
「そうたい! でも、そこを練習したら、もっとよくなるかもしれんね!」
亜由美も笑顔になった。
「うん!」
第六章 柳川家、考える野球と迷う野球
一方、柳川家では、正則たち五人が拓実の話を聞いていた。
拓実はテーブルの上に卓球のボールを置き、手元のラケットを使って説明していた。
「卓球では、相手のラケットの動きから回転を予測するんだけど、上手な選手ほど、似た動きから違う回転をかけてくるんだ」
正則がうなずいた。
「野球の変化球と似てますね」
「そうだね。だから、一つの予想だけに頼らないことが大切なんだよ」
森下悠一が尋ねた。
「でも、相手が何をしてくるか考えすぎたら、反応が遅れることもありますよね?」
拓実はうなずいた。
「そのとおり。だから、試合中に考えることと、練習中に考えておくことを分けるんだ」
「……分ける?」
「そう。相手の癖や自分の動きの問題点は、練習中にじっくり研究する。試合では、その準備を生かしながら、目の前の一球に集中するんだよ」
正則は大きくうなずいた。
「なるほど!」
そこで優子が口を開いた。
「正則君、前にうちのところで、マグカップのギャグコントをやったやろ?」
正則は苦笑した。
「……はい。あれ、めちゃくちゃ難しかったです!」
優子は笑った。
「そうやろうね! でも、あのとき、黄色と水色のカップから、いろんなことを連想したやろ?」
「はい!」
「でもね、思いついたことを全部一度にしゃべろうとしたら、まとまらんごとなるっちゃん」
正則は顔を上げた。
「……確かに!」
優子は続けた。
「お笑いでも、まず何を伝えたいか決めるとよ。そのあとで必要な言葉を選ぶ。野球でも、打席で何を狙うか整理することに似とるかもしれんね」
立花朋輝が笑った。
「優子さん、野球もギャグコントも同じように考えられるっちゃね!」
優子はニヤリと笑った。
「そうたい! ただし、野球の試合中にギャグのオチを考え始めたら、三振するかもしれんけんね!」
正則が即座に突っ込んだ。
「それは困りますわ!」
一同、大爆笑。
しかし、笑いが落ち着くと、拓実は少し真剣な表情になった。
「みんな、もう一つ覚えておいてほしいことがあるんだ」
五人は姿勢を正した。
「失敗したときに、どうして失敗したのか考えることは大切だよ。でも、自分を責めることと、失敗を分析することは違うんだ」
正則は静かにうなずいた。
拓実は続けた。
「できなかった理由を見つけたら、次はどうすればよいか考える。そこで初めて、失敗が次の練習につながるんだ」
国分とは別の投手を見て学ぶ立場にいる正則にとって、その言葉は印象深かった。
投球を失敗すれば、悔しい。
しかし、悔しがるだけでは次の一球は変わらない。
「……ありがとうございます」
正則は深く頭を下げた。
そのとき、小春が笑顔で声をかけた。
「みんな、そろそろ光子お姉ちゃんたちと映像をつなごうか!」
優子がうなずいた。
「そうたい! 今日は、みんなに見せたか映像があるけんね!」
第七章 小学四年生の光子、初めてのベース
青柳家と柳川家の大きな画面が、ビデオ通話でつながった。
青柳家では、光子がノートパソコンを操作している。
隣には美香と奏太。
柳川家では、優子と小春が映像の準備をしていた。
光子が明るい声で話し始めた。
「みんな、聞こえる?」
柳川家から声が返ってきた。
『聞こえるばい!』
「よし! じゃあ、今からちょっと懐かしか映像を見せるね!」
亜由美が尋ねた。
「どんな映像ですか?」
光子は少し照れたように笑った。
「うちが初めて、自分のベースを演奏したときの映像たい」
和美が目を丸くした。
「光子さんが初めてベースを弾いたとき!?」
「そうたい! 小学四年生の頃やね」
正則も画面の向こうで驚いた。
『小学四年生ですか!?』
光子がうなずいた。
「そうよ。うちらは小さい頃から歌ったりコントをしたりしよったけど、本格的に自分の楽器を担当するようになったのは、また別の挑戦やったっちゃん」
そして、映像が再生された。
画面には、小学四年生の光子が映っていた。
まだ幼さの残る顔立ち。
少し緊張した表情。
体に対して大きく見えるベースを抱え、椅子に座っている。
傍らには譜面台。
光子は、楽譜を何度も確認していた。
『……ここがドで、その次が……』
小さな声が聞こえる。
そして、演奏が始まった。
ボン、ボン、ボン……。
単純な音の並び。
しかし、最初の数小節から、音の長さがそろわなかった。
少し早く弾いてしまうところがある。
反対に、指の移動が間に合わず、音が遅れるところもあった。
楽譜を見るのに精一杯で、リズムまで十分に気が回っていない。
それでも、小学四年生の光子は真剣だった。
弾き間違えると、もう一度最初からやり直す。
何度も指の位置を確認する。
そして、ようやく短いフレーズを弾き終えた。
画面の中の光子は、ほっとしたように笑った。
『……できた!』
その声に、青柳家と柳川家の両方から、自然と拍手が起こった。
しかし、正則たちは驚いていた。
「……えっ?」
正則が画面を見つめる。
「これ、ほんまに光子さんですか?」
光子が笑った。
「そうたい!」
亜由美も驚いた。
「今の光子さんの演奏とは、全然違いますね」
光子はうなずいた。
「そうやろ? あの頃は、楽譜に書いてある音符のとおりに演奏するだけで精一杯やったとよ」
美香が懐かしそうに笑った。
「あの頃、光子は何回も同じところを練習しよったね」
光子が吹き出した。
「そうそう! 指が追いつかんで、何回も止まっとった!」
奏太も笑った。
「でも、あの頃から最後まで弾こうとする根性はあったばい」
光子は少し照れた。
「いやいや、ほんとに大変やったっちゃん!」
正則は、もう一度画面を見つめた。
世界中の観客を熱狂させるベーシスト。
その人が、最初から完璧に弾けていたわけではなかった。
むしろ、音符を一つずつ追いかけることで精一杯だったのだ。
第八章 小学四年生の優子、初めてのドラム
続いて優子が画面に現れた。
「ほな、次はうちの番たい!」
光子が笑った。
「優子、覚悟しときんしゃい!」
優子も笑い返した。
「光子! あんたもさっき映っとったやろうもん!」
画面の向こうで笑いが起きた。
そして、次の映像が再生された。
小学四年生の優子。
まだ小柄な体で、ドラムセットの前に座っている。
スティックを両手に持ち、少し緊張した表情をしていた。
足元にはバスドラムのペダル。
そして、譜面台には簡単なリズム譜が置かれていた。
『……右手がここで、左手がこっち……』
優子は小さくつぶやいた。
そして、演奏を始めた。
タン、タン、ドン、タン。
最初はゆっくりとしたリズムだった。
しかし、途中で右手と左手の動きが少しずれる。
バスドラムを踏むタイミングが早くなる。
慌てて修正しようとすると、今度はスネアドラムを叩くタイミングが遅れた。
『……あれ?』
映像の中の優子が首をかしげた。
そして、最初からやり直す。
タン、タン、ドン、タン。
今度は少し安定した。
しかし、最後の一小節でスティックが思った位置に当たらなかった。
『……うわぁ!』
小さな優子は、思わず苦笑した。
それでも、もう一度やり直す。
何度も同じリズムを繰り返し、ようやく最後まで演奏できた。
画面の中の優子は、満面の笑みになった。
『できたばい!』
その瞬間、二つの家から大きな拍手が起こった。
森下悠一が驚いたように言った。
「優子さん、今はあげん速いツーバスを踏みよるのに、最初はこげんやったとですね!」
優子は大笑いした。
「そうたい! 最初からできるわけなかろうもん!」
正則も笑った。
「何か、めちゃくちゃ親近感が湧きました!」
光子が画面の向こうから声をかけた。
『優子、あの頃は右手と左手がケンカしよったもんね!』
優子が即座に突っ込んだ。
「光子! あんただってベースの指が迷子になっとったやろうもん!」
一同、大爆笑。
しかし、笑いが落ち着くと、美香が静かに話し始めた。
「みんな、今の映像を見て、どう思った?」
坂井雄二が答えた。
「最初は、今みたいに演奏できなかったんですね」
美香はうなずいた。
「そうたい」
和美も続けた。
「でも、何回もやり直しよったね」
「そうやね。二人とも、最初は楽譜の音符を正しく演奏することで精一杯やったとよ」
美香は画面の中の二人を見つめた。
「でも、それは決して無駄な練習じゃなかったんよ。その積み重ねがあったから、今の演奏につながっとるけんね」
亜由美は、静かにうなずいた。
野球でも同じだ。
最初から強い打球を簡単に捕れるわけではない。
最初から百三十キロを超える直球を打てるわけでもない。
地道な練習の積み重ねが、今の技術をつくっている。
そのことを、二人の幼い頃の映像が教えてくれた。
第九章 楽譜どおりに演奏するだけでは、伝わらないもの
美香は、二つの家の一年生たちへ問いかけた。
「みんな、楽譜に書いてある音符を全部正しく演奏できたら、それで完璧な音楽になると思う?」
正則は少し考えた。
『……楽譜どおりに弾けたら、それで完成するんちゃうんですか?』
美香は微笑んだ。
「そう思うよね。でも、実際にはそれだけじゃ足りんこともあるとよ」
亜由美が尋ねた。
「どういうことですか?」
美香は続けた。
「例えば、悲しい気持ちを表現する曲があるとするやろ。その曲を、ただ音符の順番と長さだけ守って演奏したら、どうなると思う?」
和美が少し考えた。
「……音は合っとっても、気持ちが伝わりにくいかもしれません」
「そうたい」
美香はうなずいた。
「音の強さ、息の使い方、音と音のつなぎ方、間の取り方。そういうものによって、同じ楽譜でも聴こえ方が変わるとよ」
奏太も話し始めた。
「ギターも同じたい。同じ音を弾いても、強く弾くか、優しく弾くかで印象が変わるけんね」
小春が続けた。
「ピアノでも、ただ鍵盤を押せばよかってわけじゃなかとよ。曲全体の流れや、ほかの楽器とのバランスも考えんとね」
光子はベースを手に取った。
「うちも、最初は音を間違えんことばっかり考えとった。でも、それだけじゃ曲が伝えたかことの半分も伝わらんって、だんだん分かってきたとよ」
優子も頷いた。
「ドラムもそうたい。リズムが正確なのは大切やけど、曲が盛り上がるところでどう叩くか、静かに聴かせるところでどげん音を抑えるか。それも考えんといかんけんね」
正則は、静かに考えていた。
(……野球でも同じかもしれへんな)
正則が口を開いた。
「例えばピッチャーでも、ストライクさえ入ればええってわけやないですよね」
拓実がうなずいた。
「そうだね」
「打者の特徴を考えて、どこへ投げるか決める。捕手や守備の仲間とも連係する。そういうのが必要なんやと思います」
美香は微笑んだ。
「そうたい。音楽と野球は違うけど、基本の技術を身につけてから、その技術をどう使うか考えるところは似とるかもしれんね」
亜由美も顔を上げた。
「……うちも、ゴロを捕るだけでは足りへんってことやね」
和美がうなずいた。
「そうたい。捕ったあと、どこに投げるかも大切やけんね」
そのとき光子が笑った。
「そういうことたい! じゃあ今度は、今のうちらの演奏を見てみんしゃい!」
二つの家庭の画面に、再び映像が映し出された。
第十章 同じ楽器とは思えない、現在の演奏
最初に映し出されたのは、ファイブピーチ★のライブ映像だった。
ステージには五人の姿がある。
美香はトロンボーン。
光子はベース。
優子はドラム。
奏太はギター。
小春はキーボード。
演奏するのは、五人が制作したオリジナルのインストゥルメンタル曲だった。
静かなキーボードの音から始まり、やがてギターが重なる。
そこへ低く温かいベースの音が入った。
ドラムが加わると、曲の表情が一気に変わる。
そして、トロンボーンが伸びやかな旋律を奏で始めた。
正則は画面に見入っていた。
先ほどの小学四年生の映像とは、あまりにも違っていた。
光子のベースは、単に低い音を並べているのではない。
ドラムのリズムを支えながら、ときにはギターの旋律に寄り添い、曲が盛り上がる場面では力強く前へ出る。
優子のドラムも同じだった。
正確なリズム。
無駄のないスティックの動き。
静かな場面での繊細な演奏。
そして、激しい場面では両足のツーバスを使い、迫力のあるリズムを刻んでいく。
しかし、どれだけ速く叩いても、ほかの楽器の音を邪魔していない。
曲の終盤。
五人の演奏が一つの大きな流れとなり、最後の音が響き渡った。
画面の中の観客から、大きな拍手が起こった。
映像が終わっても、正則たちはしばらく黙っていた。
最初に口を開いたのは岸田誠一だった。
「……すごか」
立花朋輝もうなずいた。
「小学四年生の頃とは、全然違うね」
青柳家では、和美が感心していた。
「最初の映像では、音符を間違えんように弾きよったのに……」
亜由美が続けた。
「今は、曲全体を考えて演奏してはるんですね」
光子は微笑んだ。
「そうたい」
そこで正則が、画面に向かって言った。
「光子さん、優子さん。これがアマチュアとプロの違いなんですね!」
亜由美も大きくうなずいた。
「ほんまにそう思います! 同じ人の演奏とは思えへんくらいです!」
ところが、光子から返ってきた言葉は、二人の予想とは違っていた。
「ありがとうね。でも、うちらは一度も、自分の演奏がもう十分うまかって思ったことはなかとよ」
正則が目を丸くした。
「……えっ?」
優子もうなずいた。
「そうたい。うちら、今でももっと上手になりたかって思いながら練習しよるけんね」
亜由美が驚いた。
「でも、世界中で演奏してはるんですよね?」
光子は笑った。
「そうよ。ありがたいことに、たくさんの人が聴きに来てくれる。でもね、それと自分の演奏が完成したって思うことは、別なんよ」
優子が続けた。
「今の演奏が、自分にできる最高の演奏やって決めつけてしまったら、そこで新しかことを学ぼうとせんようになるかもしれんやろ?」
正則は、静かにうなずいた。
光子は少し真剣な表情になった。
「うちらはね、一度も自分たちの演奏を、これでもう十分、これ以上は上手にならんでよかって思ったことはなかとよ」
優子も続けた。
「自分で自分が上手かって思い込んで、そこで満足してしまったら、成長する機会を逃してしまうけんね」
そして美香が、穏やかに言葉を添えた。
「もちろん、昨日できんかったことが今日できるようになったら、うれしかよ。自分の成長を喜ぶことは大切たい」
光子もうなずいた。
「そうそう! できたことは、ちゃんと喜んでよかとよ」
「でも、それで全部終わりじゃなかけんね」
優子が続けた。
「もっとよか演奏ができるかもしれん。違う表現ができるかもしれん。新しか技術が身につくかもしれん。そう思うから、また練習したくなるっちゃん」
正則は、画面の向こうの二人を見つめていた。
小学四年生の頃。
音符を追いかけるだけで精一杯だった少女たち。
それが今では、世界を舞台に演奏するミュージシャンになっている。
しかし、その二人は、もう十分に上手だとは考えていなかった。
「……すごいですね」
正則が小さくつぶやいた。
亜由美も、静かにうなずいた。
第十一章 五人が今も練習を続ける理由
奏太が、自分のギターを手に取った。
「みんな、ちょっと聞いてくれる?」
一年生たちが姿勢を正した。
奏太は短いフレーズを演奏した。
最初は、ほとんど音の強弱を変えず、一定の調子で弾いてみせる。
続いて、同じ音符をもう一度演奏した。
今度は音の強さを変え、途中でわずかに間を取り、最後の音をゆっくりと響かせた。
坂井雄二が驚いた。
「同じ音なのに、違う曲みたいに聞こえます!」
奏太は笑った。
「そうやろ? 音符が同じでも、どげん弾くかで印象は変わるけんね」
小春もキーボードへ向かった。
「じゃあ、私もやってみようか」
小春は簡単な旋律を弾いた。
まずは一音ずつ正確に、同じ強さで演奏する。
次に、少しずつ音の強さを変え、滑らかにつないでいった。
森下悠一がうなずいた。
「こっちのほうが、歌っとるみたいに聞こえます!」
小春は笑顔になった。
「そうたい。でもね、最初からそういう演奏ができるわけじゃなかとよ。まず音符を正しく弾けるようになって、それからどう表現するか考えていくっちゃん」
美香も話し始めた。
「トロンボーンでも同じたい。音程やリズムが合っとることは大切やけど、息の使い方や音色によって、曲の印象は変わるけんね」
亜由美が尋ねた。
「じゃあ、皆さんは今でも基本練習を続けているんですか?」
美香は即答した。
「もちろんたい!」
奏太も笑った。
「僕も毎日、基本の練習は欠かさんよ」
小春もうなずいた。
「うちもたい。難しか曲だけ練習しても、基本が崩れたら演奏が安定せんけんね」
光子はベースを軽く鳴らした。
「うちも、今でも音の粒をそろえる練習をするよ」
優子も続けた。
「ドラムも、ゆっくりしたテンポから正確に叩く練習を続けとるとよ。速く叩くことだけが上達じゃなかけんね」
正則は、ふと自分の投球練習を思い出した。
毎日繰り返している、外角低めへの直球。
同じフォームで投げること。
狙った場所に投げること。
自分にとっては、あまりに基本的な練習だった。
しかし、あの藤岡蓮司でさえ、今も基本の投球練習を繰り返している。
正則は、静かに言った。
「……野球でも、同じですね」
優子がうなずいた。
「そうたい!」
正則は続けた。
「俺、前は藤岡先輩みたいな速い球を投げたくて、球速ばっかり気にしとったことがあるんです」
「うん」
「でも、まずは同じフォームで、狙ったところへ投げる練習が必要なんやって分かってきました」
光子は微笑んだ。
「よかね!」
そして、青柳家では亜由美が口を開いた。
「うちも、三浦先輩や和美ちゃんの守備を見て、焦っとったことがありました」
和美は隣で静かに聞いていた。
「でも、あの小学四年生の映像を見て、皆さんも最初は一つずつ練習してはったんやなって分かりました」
美香がうなずいた。
「そうたい」
亜由美は続けた。
「うちも、いきなり全部できるようになろうとするんやなくて、一歩目とか送球とか、一つずつ磨いていきたいです」
小春は優しく微笑んだ。
「それでよかと思うよ」
光子は、十一人の一年生たちへ向かって言った。
「みんな、うまくなりたかって思うんやったら、毎日向上心を持って、野球に真剣に向き合うことが大切やと思うとよ」
優子も続けた。
「ただ練習をこなすんじゃなくて、今日は何ができたか、何ができんかったか、明日は何をよくしたかか。そういうことを考えながら取り組むとよ」
美香がうなずいた。
「そして、休むことも練習の一部たい。無理して体を壊したら、野球ができんようになるけんね」
奏太も笑った。
「仲間から学ぶことも忘れんごとね!」
小春が続けた。
「何より、野球が好きやっていう気持ちを、大切にしてほしか」
十一人は、そろってうなずいた。
「はい!」
第十二章 二つの家庭から出された課題
映像の勉強会が終わると、今度はそれぞれの家庭で、簡単な実習が始まった。
青柳家では、光子がテーブルに野球の状況を描いた紙を置いた。
一死一塁。
打者は左打者。
カウントは1ボール1ストライク。
投手は外角の直球を得意としている。
光子が尋ねた。
「みんなが内野手やったら、まず何を考える?」
和美が答えた。
「打球が来る方向を考えます!」
亜由美も続けた。
「走者がスタートするかもしれへんから、二塁ベースへ入る準備も必要やと思います」
光子はうなずいた。
「よかね。じゃあ、観察して分かったことと、まだ分からんことは何やろ?」
亜由美は考えた。
「分かっとるのは、左打者で、投手が外角の直球を得意にしとることです」
和美が続けた。
「でも、実際に次の球がどこへ来るかは、まだ分からんとよ」
「そうたい!」
光子は笑顔になった。
「それなら、どう準備したらよかか、考えてみよう」
六人は、少しずつ意見を出し合った。
坂井雄二は外野手の立場から話した。
「内野を抜けてきたら、次の塁へ進ませないように返球することも大切です!」
長谷川日菜は、打者の足の速さも判断材料になると指摘した。
早瀬伊織は、三塁手としてバントへの備えを挙げた。
国分颯斗は、投手が投げる球種やコースによって、守備側の動き方も変わると話した。
翼が静かにうなずいた。
「いいね。みんな、自分のポジションから違うものが見えている」
そして、光子が笑った。
「そうたい。全員が同じものだけ見とったら、気づかんこともあるっちゃんね」
その言葉に、亜由美と和美は顔を見合わせた。
「……和美ちゃん」
「何ね?」
「うちらも、二人だけで考えとったことが多かったかもしれへんな」
和美がうなずいた。
「そうやね。ショートやピッチャーが何を考えとるかも、もっと聞いてみたかね」
亜由美は笑顔になった。
「うん!」
一方、柳川家では、拓実と優子が別の課題を用意していた。
今度は、走者一塁、無死。
打者は送りバントの構えを見せている。
捕手の森下悠一が、最初に答えた。
「僕なら、投手へバントを警戒するように伝えるとよ」
正則が続けた。
「俺は、打球が転がったときに自分で捕るか、ほかの内野手に任せるかを考えます」
優子がうなずいた。
「じゃあ、相手がバントの構えから普通に打ってきたら、どうすると?」
正則は少し考えた。
「……それもあるんか」
立花朋輝が笑った。
「相手も、こっちの守備を見よるけんね」
拓実がうなずいた。
「そうだね。だから、事前にいくつかの可能性を確認しておくことが大切なんだ」
そして、森下へ尋ねた。
「捕手として、内野手全員が同じ動きをするように、どう伝える?」
森下は少し考えた。
「……誰が二塁に入るか、誰が一塁をカバーするか、試合前に確認しておきます」
「いいね」
岸田誠一も、外野からのバックアップについて意見を出した。
藤崎大輝は、遊撃手として二塁ベースをカバーする場合の動きを説明した。
正則は、自分一人が投球に集中するだけでは不十分だと改めて感じた。
投手。
捕手。
内野手。
外野手。
全員が同じ状況を理解していなければ、一つのアウトを取ることさえ難しくなる。
優子は最後に笑顔で言った。
「みんな、今日聞いたことを、そのまま丸暗記する必要はなかよ。自分の練習で何を試してみたかか、それを考えて帰ってね」
正則は力強く答えた。
「はい!」
こうして、二つの家庭での勉強会は終了した。
帰る前には、十一人がそれぞれ今日の気づきを一つずつ発表した。
正則は、投手として守備全体を考えること。
亜由美は、打球への準備と送球判断をつなげること。
和美は、打者の特徴を事前に観察すること。
国分は、走者がいるときの投球の間合い。
森下は、捕手から仲間へ状況を伝えること。
坂井、岸田、立花、長谷川、早瀬、藤崎も、それぞれの守備位置で改善したいことを話した。
そして十一人は、青柳家と柳川家の人々へ、そろって感謝を伝えた。
「今日はありがとうございました!」
光子が笑顔で答えた。
「みんな、また遊びに来てね!」
優子も続けた。
「でも、宿題と野球の練習も忘れんごとね!」
正則が思わず突っ込んだ。
「優子さん! 何か学校の先生みたいになっとりますやん!」
優子は大笑いした。
「そうたい! 今日だけ臨時の爆笑先生たい!」
光子が画面の向こうから叫んだ。
『優子先生! 生徒の宿題、全部ギャグコントにせんごとね!』
優子が即座に返した。
「光子! あんたが一番やりそうやろうもん!」
二つの家庭に、再び大きな笑い声が響いた。
第十三章 練習の取り組み方が変わった
翌週。
博多フューチャーズの第二グラウンド。
亜由美と和美は、これまでと同じ二塁守備の練習を行っていた。
しかし、二人の取り組み方は少し変わっていた。
打球が飛ぶ前に、打者の特徴を確認する。
どのコースに投球する予定なのかを考える。
走者がどの塁にいるか確認する。
そして、捕球したら、どこでアウトを取るのが適切か判断する。
亜由美は、練習前に和美へ声をかけた。
「和美ちゃん、今日は打球が来る前の準備を意識してみような」
和美がうなずいた。
「そうたい! でも、亜由美ちゃん。捕る前から送球先を決めつけんようにせんとね」
「そうやね。走者の動きで変わることもあるもんな」
二人は笑顔を交わした。
そこへ三浦康平がやってきた。
「二人とも、今日は一死一塁の状況を重点的にやろうか」
「はい!」
最初は和美。
打者は篠崎玲奈。
一塁走者には坂井雄二が入る。
篠崎が二塁方向へ強いゴロを打った。
和美が鋭く反応した。
パシッ!
しかし、一塁走者の坂井はすでに二塁へ近づいている。
和美は二塁への送球を諦め、一塁へ投げた。
「アウト!」
三浦が拍手した。
「和美ちゃん、よか判断やったね!」
和美は笑った。
「ありがとうございます!」
次は亜由美。
今度は早田航が打席に入る。
正則が投げ込んだ直球を、早田が鋭く打ち返した。
カキーン!
打球は二塁方向へ。
亜由美は、打者がバットを振り始めた瞬間から準備していた。
一歩目を踏み出す。
そして捕球。
パシッ!
一塁走者の坂井は、まだ二塁へ到達していない。
亜由美は素早く二塁へ送球した。
秋山紘太がベースを踏む。
「アウト!」
そして一塁へ転送する。
「アウト!」
ダブルプレー!
亜由美は小さく拳を握った。
「……よし!」
和美が拍手した。
「亜由美ちゃん、ナイスプレー!」
亜由美は笑った。
「ありがとう!」
平松コーチも笑顔で近づいた。
「亜由美さん、今のはよかったね。打球へ入る前の準備も、送球の判断も速くなっとったよ」
「ありがとうございます!」
しかし、平松コーチは続けた。
「でも、次も同じようにできるかが大切たい。たまたま一回できたからって、そこで終わりにせんごとね」
亜由美は力強くうなずいた。
「はい!」
その後も、二人は繰り返し練習を行った。
もちろん失敗もあった。
亜由美は、正面のゴロを捕り損ねた。
和美は、二塁への送球を焦って高く投げてしまった。
しかし、以前のように失敗したことだけを悔やんではいなかった。
何が原因だったのか。
どうすれば改善できるのか。
次は何を意識するのか。
二人は、その都度話し合った。
そして、互いの長所を少しずつ自分のものにしようとしていた。
第十四章 糸島ブルーウェーブ戦、再び実戦へ
翌週の土曜日。
博多フューチャーズの第一グラウンドでは、糸島ブルーウェーブとの対外練習試合が行われた。
相手は機動力に優れたチーム。
特に一番打者の畠山壮太と二番打者の香椎真央は、足の速さを生かした攻撃を得意としていた。
城戸監督は、試合前に選手たちを集めた。
「今日は、守備の連係を重点的に確認するけんね」
選手たちがうなずいた。
「先発投手は水上君。二塁手は三浦君でスタートします」
三浦が答えた。
「はい!」
「途中から和美ちゃんと亜由美さんにも二塁へ入ってもらう予定です」
二人は姿勢を正した。
「はい!」
「河内君にも途中から登板してもらいます。走者を背負った場面で、どげん投げるか確認したかけんね」
正則が力強く答えた。
「はい!」
試合開始。
一回表。
糸島ブルーウェーブの先頭打者、畠山壮太がセンター前ヒットで出塁した。
続く香椎真央が送りバントを決め、一死二塁。
三番の八代怜央が二塁ゴロを放ち、走者が三塁へ進む。
二死三塁。
そして四番の日高岳が、センターへ犠牲フライを打ち上げた。
三塁走者がホームイン。
0対1。
糸島ブルーウェーブが先制した。
正則はベンチで試合を見つめていた。
「……ヒット一本で点を取ったんやな」
隣の亜由美がうなずいた。
「そうやね。送りバントと進塁打で、少しずつ走者を進めとる」
和美も続けた。
「内野手が、走者の動きをちゃんと見とらんと危なかね」
三人は、試合の流れを注意深く観察していた。
三回裏。
博多フューチャーズは三浦康平の二塁打からチャンスをつくった。
続く篠崎玲奈がライト前へ打ち返す。
三浦がホームイン!
1対1。
同点に追いついた。
しかし、糸島ブルーウェーブも簡単には引き下がらなかった。
四回表。
正則がマウンドへ上がる。
捕手は森下悠一。
二塁には和美が入った。
「正則君、いこう!」
森下が声をかける。
「おう!」
しかし、先頭打者にセンター前ヒットを許した。
続く打者が送りバントを決め、一死二塁。
そして、三番の八代怜央がライト前へ打ち返す。
二塁走者は三塁で止まった。
一死一、三塁。
正則は小さく息を吐いた。
(……ここで点を取られたらあかん)
しかし、相手は足を生かした攻撃を仕掛けてきた。
四番の日高岳が、初球からバントの構えを見せる。
正則は投げ込んだ。
コンッ!
三塁方向へのスクイズバント。
三塁走者がスタートする。
正則が前進して打球を捕球した。
本塁へ投げても間に合わない。
正則は一塁へ送球した。
「アウト!」
しかし、三塁走者がホームインした。
1対2。
糸島ブルーウェーブが勝ち越した。
正則は悔しそうに唇をかんだ。
(……やられた)
だが、ここで終わるわけにはいかない。
続く五番の秋月凛花が、二塁方向へ鋭いゴロを打った。
和美が素早く反応した。
パシッ!
一塁へ正確に送球。
「アウト!」
三アウト。
和美の好守備で、追加点を防いだ。
正則が声をかけた。
「和美! ナイスプレー!」
和美は笑った。
「正則君も、よう投げとるよ! 次も頑張ろう!」
正則は力強くうなずいた。
「おう!」
第十五章 和美の一歩、亜由美の判断
五回表。
糸島ブルーウェーブは、一死一塁から盗塁を仕掛けた。
走者がスタートする。
森下が素早く二塁へ送球した。
和美は、あらかじめ決めていた連係どおりに二塁ベースへ入った。
送球を捕球し、滑り込んできた走者へタッチする。
「アウト!」
盗塁阻止!
和美は小さく拳を握った。
「よし!」
森下が叫んだ。
「和美ちゃん、ナイス!」
正則もマウンドから声を上げた。
「よう捕ったな!」
和美は笑った。
「みんなの連係がよかったけんたい!」
次の打者を正則が内野ゴロに打ち取り、五回表は無失点。
その裏。
博多フューチャーズは和美の安打から反撃した。
和美がセンター前ヒットで出塁。
続く川野颯太が送りバントを決め、一死二塁。
そして相原健悟が、外角の直球をライト前へ打ち返した。
和美が三塁を回る。
ホームイン!
2対2。
再び同点となった。
ベンチの亜由美は、大きな拍手を送った。
「和美ちゃん! ナイスラン!」
和美は笑顔で答えた。
「ありがとう!」
そして六回表。
城戸監督が、亜由美の名前を呼んだ。
「亜由美さん、二塁へ入ってください」
「はい!」
亜由美はグラブを握り直した。
和美が近づいてきた。
「亜由美ちゃん、次はあなたの番たい!」
亜由美は笑った。
「うん! 任せとき!」
和美は続けた。
「相手の三番と四番、右方向へ強か打球を打つことがあるけん、気をつけてね」
亜由美はうなずいた。
「ありがとう!」
今度は亜由美が二塁へ。
投手は三年生の藤岡蓮司へ交代した。
試合は2対2。
まだ勝負は分からない。
六回表。
先頭打者は八代怜央。
藤岡が投げ込んだ直球を、八代が打ち返した。
打球は二塁方向へ。
亜由美は、打者が振る前から準備していた。
一歩目を踏み出す。
パシッ!
捕球成功。
そして一塁へ正確に送球した。
「アウト!」
一死。
亜由美は小さく拳を握った。
「よし!」
続く四番の日高岳は四球で出塁した。
一死一塁。
五番の秋月凛花。
亜由美は、打者の構えを見つめた。
(……右方向へ打ってくるかもしれへん)
しかし、そこで決めつけない。
藤岡の投球を確認しながら、打球への準備をした。
カキーン!
打球は二遊間へ飛んだ。
亜由美が横へ動く。
パシッ!
捕球成功。
一塁走者は、すでに二塁へ向かっている。
亜由美は迷わず二塁ベースへ送球した。
遊撃手の秋山紘太が捕球し、二塁ベースを踏む。
「アウト!」
さらに一塁へ転送。
「アウト!」
ダブルプレー!
三アウト。
亜由美は、思わず笑顔になった。
「やった!」
秋山が駆け寄った。
「亜由美さん、ナイスプレー!」
亜由美は笑った。
「ありがとうございます!」
ベンチでは、和美が大きく拍手していた。
「亜由美ちゃん! すごかプレーやったよ!」
亜由美も笑顔で応えた。
「ありがとう!」
その様子を見ていた平松コーチが、静かにうなずいた。
「監督、二人とも成長しとるね」
城戸監督も微笑んだ。
「そうですね。和美ちゃんは一歩目と送球が安定してきた。亜由美さんは打球への準備と判断が速くなっとる」
平松コーチは続けた。
「二人とも、まだ課題はありますけどね」
「もちろんです。でも、競争しながら学び合う姿勢は、よかことたい」
そして、城戸監督は二人の姿を見つめた。
「これからが楽しみですね」
第十六章 勝ち越しの一打、そして最後の守備
六回裏。
博多フューチャーズは、先頭の早田航が二塁打で出塁した。
続く南条悠斗が進塁打を放ち、一死三塁。
そして打席には篠崎玲奈。
篠崎は、相手投手の直球を鋭く打ち返した。
カキーン!
打球はセンター前へ抜けた。
三塁走者がホームイン!
3対2。
博多フューチャーズが勝ち越した。
ベンチから歓声が上がる。
「玲奈先輩! ナイスバッティング!」
正則も拍手した。
亜由美と和美も、笑顔で声をかけた。
そして七回表。
糸島ブルーウェーブの最後の攻撃。
藤岡蓮司がマウンドへ上がる。
先頭打者が四球で出塁した。
無死一塁。
続く打者は送りバントの構えを見せた。
亜由美は二塁の守備位置から、投手と走者の動きを確認した。
(……送りバントかもしれへん。でも、バントの構えから打ってくる可能性もある)
藤岡が投げ込む。
打者はバントの構えを引き、普通に打ってきた。
カキーン!
打球は二塁方向へ。
亜由美は慌てなかった。
一歩目を素早く踏み出す。
パシッ!
捕球成功。
一塁走者は二塁へ向かっている。
亜由美は秋山へ送球した。
「アウト!」
そして一塁へ転送。
「アウト!」
ダブルプレー!
二死走者なし。
ベンチから拍手が起こった。
「亜由美! ナイスプレー!」
和美も声を上げた。
「亜由美ちゃん、よう捕ったね!」
亜由美は笑顔でうなずいた。
「ありがとう!」
そして、最後の打者。
藤岡が外角低めへ直球を投げ込んだ。
打者が振り抜く。
しかし、打球は高く上がった。
センターフライ。
「アウト!」
三アウト。
試合終了!
博多フューチャーズが3対2で勝利した。
対外練習試合・最終結果
チーム1234567計
糸島ブルーウェーブ10010002
博多フューチャーズ001011×3
博多フューチャーズ 3-2 糸島ブルーウェーブ
投手リレー:水上遼太(3回)、河内正則(2回)、藤岡蓮司(2回)。二塁守備では牧田和美と加藤亜由美がそれぞれ好プレーを見せた。
試合終了後。
亜由美と和美は、ベンチで顔を見合わせた。
「和美ちゃん、今日はほんまにありがとう!」
和美が笑った。
「こちらこそ! 亜由美ちゃんの守備、すごかったよ!」
亜由美は少し照れた。
「いやいや、まだまだやで」
和美もうなずいた。
「私もたい。もっと練習せんとね!」
そして、少し悪戯っぽく笑った。
「でも、レギュラーは譲らんけん!」
亜由美もニヤリと笑った。
「うちもや!」
二人はグラブを合わせた。
近くでは正則が、藤岡から投球内容について助言を受けていた。
スクイズで失点したこと。
走者を背負った場面での投球。
そして、仲間の守備を信じて打たせること。
正則は、今日の試合でも新しい課題を見つけていた。
決して完璧な投球ではなかった。
しかし、野球が少しずつ奥深いものに感じられるようになっていた。
第十七章 城戸監督が評価したもの
試合終了後。
選手たちは整列して挨拶を済ませ、ベンチへ戻った。
城戸直哉監督は、全員を集めて話し始めた。
「みんな、お疲れさまでした。今日は3対2で勝ちましたが、勝ったという結果だけで終わらせんごとね」
選手たちがうなずいた。
「糸島ブルーウェーブは、少ない安打でも走者を進めて得点を狙う、よかチームやったと思います」
そして、正則へ向き直った。
「河内君、今日の投球はどうやった?」
正則は少し考えた。
「四回のスクイズを防げませんでした。打者だけやなくて、三塁走者の動きも、もっと警戒するべきやったと思います」
城戸監督はうなずいた。
「そうやね。でも、あの場面では自分で打球を処理して、一塁で確実にアウトを取れた。そこも大切なプレーたい」
「はい!」
「投手が全部の走者をアウトにできるわけじゃなか。チーム全体で失点を少なくすることを考えていこう」
続いて、和美へ声をかけた。
「牧田さん。五回の盗塁阻止は、よか連係やったね」
和美が姿勢を正した。
「ありがとうございます!」
「森下君の送球もよかったし、和美ちゃんもベースへの入り方が安定しとった」
森下も頭を下げた。
「ありがとうございます!」
そして、亜由美へ向き直った。
「加藤さん。六回と七回の併殺プレー、よかったよ」
亜由美はうなずいた。
「ありがとうございます!」
「打球への一歩目が早くなっとったし、捕球したあとも迷わず送球できとったね」
「はい!」
しかし、城戸監督は続けた。
「ただし、まだレギュラーを決める段階ではありません。三浦君も川野君も、今日とは違う場面で力を発揮できる選手たい」
亜由美と和美は、そろってうなずいた。
「はい!」
三浦康平が笑った。
「二人とも、今日の守備はよかったばい。でも、俺も負けんけんね!」
川野颯太も続けた。
「俺もたい! これからもっと練習するばい!」
和美が笑った。
「私も負けません!」
亜由美も力強く答えた。
「うちもです!」
四人の間に、自然と笑いが広がった。
競争は続く。
しかし、互いの長所を認め合うこともできる。
それこそが、亜由美たちが目指していた関係だった。
第十八章 大阪と博多、別々の場所で同じ目標へ
同じ頃。
大阪市の西九条中学校では、池永智雄たちが公式戦へ向けた練習に励んでいた。
三年生エースの若狭大地は、今日も力強い直球を投げ込んでいる。
智雄は、その投球を注意深く観察していた。
以前は、球速の違いばかりが気になっていた。
しかし今は、投球フォームの安定や、走者を背負った場面での配球にも目を向けるようになっている。
練習の合間。
智雄が若狭へ尋ねた。
「若狭先輩、どうしたらあんなに安定して投げられるんですか?」
若狭は少し笑った。
「俺もまだ安定せんときはあるで。でも、同じフォームを繰り返す練習は大切にしとる」
智雄がうなずいた。
「なるほど」
「智雄も焦らんと、一つずつ磨いていけばええねん」
「はい!」
一方、宮本さくらと西村奈緒も、上級生の強い打球に対応する練習を続けていた。
さくらが奈緒へ話しかけた。
「奈緒、最近ちょっと打球が見えるようになってきた気がするわ」
奈緒が笑った。
「うちもや。でも、まだまだ三年生の打球は速いな」
そこへ智雄がやってきた。
「俺もや! 正則に負けへんように頑張らなあかん!」
さくらが吹き出した。
「智雄、何でも正則に結びつけるんやな!」
智雄も笑った。
「当たり前や! あいつは俺のライバルやからな!」
三人は笑い合った。
その日の夜、智雄は正則へメッセージを送った。
智雄:正則! 最近どうや? こっちはようやく三年生の変化球に少しずつ対応できるようになってきたで!
しばらくして返信が届いた。
正則:こっちも頑張っとるで! 今日、二回投げて一失点やった。チームは3対2で勝ったで!
智雄:おおっ! おめでとう! でも次に対戦するときは俺が勝つからな!
正則:望むところや!
正則は、スマートフォンを見つめながら笑った。
大阪を離れても、智雄との競争は続いている。
それが、何よりうれしかった。
一方、博多リトルスターズでは、柳川悠翔が次の地区予選へ向けて練習を続けていた。
新四年生の岡野芽衣や辻本晴斗たちも、少しずつ公式戦の雰囲気に慣れ始めている。
悠翔は、練習後に正則たちから試合結果を聞き、嬉しそうに笑った。
「正則君も亜由美さんも和美ちゃんも、頑張っとるっちゃね!」
そして、野球ノートへ新しい目標を書き込んだ。
『後輩たちが安心してプレーできるチームをつくる』
正則と亜由美が中学野球で苦戦しながらも成長しているように、悠翔もキャプテンとして新しい課題に向き合っていた。
今年は、まだ小学六年生。
博多リトルスターズで過ごす最後の一年である。
来年、正則たちが中学二年生になる頃、悠翔も中学校へ進学する。
そのときまでに、自分はどこまで強くなれるのだろうか。
悠翔は、静かにグラブを握り直した。
「……僕も負けられんばい!」
第十九章 うまくなりたい、その気持ちを忘れない
その夜。
博多南中学校の寄宿舎。
正則は、自室で野球ノートを開いていた。
今日の投球内容。
スクイズで失点した場面。
走者を背負ったときの投球間隔。
そして、味方の守備によって追加点を防げた場面。
一つずつ書き込んでいく。
正則は、ふと青柳家と柳川家で見た映像を思い出した。
小学四年生の光子と優子。
楽譜に書かれた音符を、間違えずに演奏するだけで精一杯だった二人。
その二人が、今では世界中の舞台で観客を魅了している。
しかし、本人たちは今でも自分の演奏に満足していない。
「……ほんま、すごいな」
正則は、静かにつぶやいた。
そして、ノートに書き加えた。
『今できることを喜ぶ。でも、そこで満足せず、次の課題を見つける』
一方、女子居住区域。
亜由美も、野球ノートを開いていた。
今日の二つの併殺プレー。
打球への一歩目。
捕球から送球までの動作。
そして、和美と互いに教え合ったこと。
亜由美は、静かに微笑んだ。
「……和美ちゃん、今日もすごかったな」
盗塁を阻止した場面。
あの素早いベースカバーと、確実なタッチ。
自分もああいうプレーができるようになりたい。
しかし、和美もまた、亜由美の観察力を学ぼうとしている。
二人は競争相手だ。
同じ二塁手のレギュラーを目指している。
しかし、どちらかが成長したら、もう一人が損をするという関係ではない。
互いの技術を学び合えば、二人とも成長できる。
そして、それがチーム全体の強さにつながっていく。
亜由美は、ノートに書き込んだ。
『和美ちゃんに負けたくない。でも、和美ちゃんと一緒にもっと上手になりたい』
その下に、もう一行。
『今の自分が完成形だと思わない。いつでも、もっと上手になれるように努力する』
亜由美は、ペンを置いた。
そして、小さく笑った。
「……うちも、もっともっと上手になりたいわ」
今はまだ、レギュラーではない。
三浦康平の壁は厚い。
川野颯太も高い技術を持っている。
和美も、毎日のように成長している。
それでも、亜由美は以前ほど焦っていなかった。
目の前にある課題を、一つずつ克服していけばよい。
そして、自分の強みを磨き続ければよい。
ファイブピーチ★の五人が教えてくれたこと。
それは、華やかな成功の裏にある、地道な努力の大切さだった。
小学四年生の頃、楽譜を追いかけることに精一杯だった光子と優子。
その二人が今、世界的な演奏家になっている。
しかし、本人たちは今でも、もっと上手になりたいと願っている。
その姿勢こそが、正則たちにとって何よりの刺激になっていた。
一度できたことで満足しない。昨日より今日、今日より明日へ。
野球でも、音楽でも、ほかのスポーツでも、成長への道に終わりはない。
河内正則と加藤亜由美。
二人の挑戦は、まだ始まったばかりだった。
次回予告
第54話「先発をつかめ! 正則の新たな課題と二塁手争い」
糸島ブルーウェーブとの対外練習試合を3対2で制した博多フューチャーズ。
河内正則は二回一失点。
加藤亜由美と牧田和美は、二塁守備でそれぞれ好プレーを見せた。
しかし、夏の大会を前に、城戸直哉監督は改めて選手たちへ告げる。
「今日の試合だけでレギュラーが決まるわけじゃなかよ。これからも、みんなの成長を見ていくけんね」
三年生の藤岡蓮司。
二年生の水上遼太。
一年生の河内正則と国分颯斗。
投手陣の競争は、さらに激しさを増していく。
一方、二塁手の争いも簡単には決着しない。
三浦康平の安定感。
川野颯太の守備範囲。
牧田和美の俊敏な動き。
加藤亜由美の観察力と判断力。
それぞれの長所がぶつかり合う中、監督とコーチは次の大会へ向けた選手起用を検討し始める。
そんな中、正則は新しい課題に直面する。
中学生の強打者に対して、直球だけでは通用しない場面が増えてきたのだ。
「俺も、変化球をもっと磨かなあかんな」
しかし、藤岡蓮司は正則へ告げる。
「変化球を覚えることも大切たい。でも、まずは自分の直球をもっと信頼できるようになろう」
一方、亜由美と和美は、二塁手として互いの長所を学び合いながら、さらに高度な守備連係に挑む。
そして大阪では、池永智雄たちが中学校で初めての公式戦を迎えようとしていた。
博多リトルスターズでも、柳川悠翔が率いる新チームが地区予選の次戦に挑む。
次回、第54話「先発をつかめ! 正則の新たな課題と二塁手争い」。
技術を身につけることに終わりはない。今日できたことも、明日はさらに磨ける。正則と亜由美は、成長し続けることの意味を胸に、新しい挑戦へ踏み出す。




