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河内正則・栄光への道  作者: リンダ


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レギュラー争いの本格化、譲れないポジション

 河内正則 栄光への道

 第52話「レギュラー争いの本格化、譲れないポジション」

 第一章 五月、レギュラーへの厚い壁

 五月中旬。


 福岡市にある爆笑発電所スポーツ事業部の野球施設では、博多フューチャーズの選手たちが練習に励んでいた。


 河内正則と加藤亜由美が博多南中学校へ進学して、一か月余り。


 二人は寄宿舎での共同生活にも慣れ、授業と野球を両立する毎日を送っていた。


 先日の筑紫野フェニックスとの対外練習試合では、正則が先発して二回一失点。


 亜由美はベンチスタートから途中出場し、勝ち越しのタイムリーヒットを放った。さらに二塁守備でも好プレーを見せ、チームの4対2の勝利に貢献した。


 中学生として初めての対外試合。


 二人にとって、大きな自信につながったことは間違いなかった。


 しかし、喜んでばかりもいられなかった。


 博多フューチャーズには、実力のある三年生や二年生が大勢いる。


 投手としての制球力。


 直球と変化球の組み立て。


 強い打球への守備。


 状況に応じた走塁。


 どれを取っても、小学生時代とは要求される水準が違っていた。


 その日の練習開始前。


 城戸直哉監督が選手たちを集めた。


「みんな、集合!」


 選手たちはグラウンド中央へ集まった。


「先日の対外練習試合、お疲れさまでした。新入部員にもよかプレーがあったね」


 正則と亜由美は、姿勢を正した。


 城戸監督は続けた。


「ただし、一試合で結果を残したからといって、次も同じポジションで出場できるとは限らんとよ」


 選手たちの表情が引き締まった。


「これから夏の大会へ向けて、レギュラー争いが本格化します。三年生だから必ず試合に出られるわけでも、一年生だから出場できんわけでもありません」


 続いて平松真帆コーチが話し始めた。


「選手の起用は、打撃や守備の技術だけでは決めません。走塁、判断力、チームとの連係、そして体調も含めて考えます」


 正則がうなずいた。


 亜由美も真剣な表情で聞いていた。


「それから、みんなに一つ覚えておいてほしかことがあります」


 平松コーチは、選手たちを見渡した。


「同じポジションを争う仲間は、敵やなかとよ。お互いのよかところを学び合って、チーム全体が強くなっていく。それが本当の競争やと思います」


 城戸監督がうなずいた。


「それでは、ポジション別の練習を始めましょう」


 選手たちが動き始めた。


 正則は投手陣のブルペンへ。


 亜由美は二塁守備の練習場へ。


 それぞれの目の前に、決して簡単には越えられない壁が待っていた。

 第二章 藤岡蓮司の直球、水上遼太の配球

 第一グラウンドのブルペン。


 三年生の藤岡蓮司。


 二年生の水上遼太。


 一年生の河内正則と国分颯斗。


 四人が順番に投球練習を行っていた。


 最初にマウンドへ上がったのは、三年生エースの藤岡蓮司。


 捕手は同じ三年生の相原健悟だった。


「蓮司、まずは真っすぐからいこう!」


「おう!」


 藤岡が大きく腕を振った。


 バシィィン!


 重い捕球音が響く。


 球速表示は132キロ。


 続く二球目は外角低め。


 131キロ。


 三球目。


 藤岡は直球とほとんど変わらない腕の振りから、鋭いスライダーを投げ込んだ。


 相原がミットを動かさずに捕球する。


「ナイスボール!」


 正則は思わずつぶやいた。


「……ほんま、すごいな」


 隣にいた国分颯斗もうなずいた。


「蓮司先輩、直球も速かし、変化球もよかところに決まるね」


 続いて二年生の水上遼太が投げ始めた。


 藤岡ほどの球速はないものの、直球とカーブ、チェンジアップを巧みに使い分ける。


 低めへ丁寧に投げ込み、打者のタイミングを外す技術に優れていた。


 正則は、その投球をじっと観察していた。


 城戸監督が尋ねた。


「河内君、藤岡君と水上君の違いは何やと思う?」


 正則は少し考えた。


「藤岡先輩は、速い直球と変化球の組み合わせがすごいです。水上先輩は、コースと球速差の使い方がうまいと思います」


 城戸監督はうなずいた。


「よう見とるね。じゃあ、河内君自身の強みは?」


「……制球力です。それから、打者の反応を見て配球を考えることです」


「そうやね。その長所をもっと磨いていこう」


 そして、少し真剣な表情で続けた。


「ただし、今のままで十分というわけじゃなかよ。フォームの安定や、変化球への取り組みも必要になってきます。体の成長を考えながら、段階的に進めていこう」


 正則は力強くうなずいた。


「はい!」


 今度は正則がマウンドへ上がった。


 捕手は一年生の森下悠一。


「正則君、いこう!」


「おう!」


 正則は外角低めへ直球を投げ込んだ。


 バシッ!


「ストライク!」


 続いて内角への直球。


 しかし、少し高く外れた。


 正則は一度深呼吸した。


(……焦ったらあかん)


 三球目。


 今度は丁寧に腕を振った。


 外角低め。


 森下がミットをほとんど動かさずに捕球する。


「ナイスボール!」


 正則は小さく拳を握った。


 しかし、藤岡や水上の投球を見ると、まだまだ自分には足りないものがあると感じる。


 練習が終わると、藤岡が近づいてきた。


「正則君、今日の直球、前よりよくなっとるね」


「ありがとうございます!」


「でも、焦って球速を上げようとせんでよかよ。俺も一年生の頃から今の球を投げられたわけじゃなかけん」


 正則は顔を上げた。


「そうなんですか?」


「そうたい。体をつくって、フォームを何回も見直して、少しずつ速くなったとよ」


 正則は静かにうなずいた。


 そして笑った。


「でも、先発の座は絶対に狙います!」


 藤岡も笑顔になった。


「望むところたい! 俺も簡単には譲らんよ!」


 二人はグラブを合わせた。


 先輩であり、仲間であり、ライバル。


 正則は、その関係が少し誇らしかった。

 第三章 二塁手の座を争う四人

 一方、第二グラウンド。


 亜由美は二塁守備の練習に参加していた。


 競争相手は三人。


 三年生の三浦康平。


 二年生の川野颯太。


 そして、同じ一年生の女子選手、牧田和美だった。


 和美は昨年まで博多リトルスターズで二塁手として活躍し、全国大会優勝を経験している。


 鋭い一歩目と広い守備範囲。


 捕球から送球までの素早い動作。


 さらに遊撃手もこなせる器用さを持つ選手だった。


 亜由美と和美は同じ学年、同じポジションを争う女子選手同士である。


 当然、お互いの存在を強く意識していた。


「亜由美ちゃん、今日もよろしくね!」


 和美が笑顔で声をかけた。


 亜由美も笑った。


「こちらこそ! でも、うち、負けへんからな!」


 和美はニヤリと笑った。


「私も負けんけんね!」


 二人はグラブを軽く合わせた。


 その様子を見ていた三浦康平が笑った。


「二人とも、気合い入っとるね!」


 川野颯太も続けた。


「でも、俺たちも簡単にはポジションを譲らんばい!」


 亜由美が頭を下げた。


「もちろんです!」


 和美も笑顔で答えた。


「先輩たちにも負けんごと頑張ります!」


 平松コーチが声をかけた。


「それじゃ、まずは強いゴロへの対応から始めるよ!」


 最初は三浦康平。


 三年生の南条悠斗が、二塁方向へ強いゴロを打った。


 カキーン!


 三浦は打球が飛ぶ前から一歩目の準備をしていた。


 素早く横へ動き、丁寧に捕球する。


 そして、遊撃手の秋山紘太へ正確に送球した。


 秋山が二塁ベースを踏み、一塁へ転送する。


「アウト! アウト!」


 見事なダブルプレー。


 平松コーチがうなずいた。


「三浦君、よかね!」


「ありがとうございます!」


 続いて川野颯太。


 今度は二遊間の深い位置へ打球が飛んだ。


 川野は俊足を生かして追いついた。


 しかし、二塁へ送球しても走者をアウトにできないと判断する。


 すぐに一塁へ送球した。


「アウト!」


 平松コーチが拍手した。


「川野君、今の判断はよかったよ!」


「ありがとうございます!」


 続いて牧田和美。


 南条が鋭く打ち返した。


 打球は一、二塁間へ。


 和美は低い姿勢から素早く横へ動いた。


 パシッ!


 捕球成功。


 そして、二塁へ素早く送球した。


 秋山が一塁へ転送する。


「アウト! アウト!」


 ダブルプレー!


 和美は小さく拳を握った。


「よし!」


 亜由美は、その一連の動作を見つめていた。


(……速い)


 和美は、打球が飛んでから捕球するまでの時間が短い。


 特に、一歩目の反応が鋭かった。


 和美は亜由美へ声をかけた。


「亜由美ちゃん、次はあなたの番たい!」


「うん!」


 亜由美は二塁へ入った。


 打者は三年生の早田航。


 早田が鋭く振り抜く。


 カキィィン!


 二塁方向への強烈なゴロ。


 亜由美は一歩踏み出した。


 しかし、打球は予想より右へ飛んできた。


 グラブを伸ばす。


 ボールが指先をかすめた。


「あっ!」


 捕球できなかった。


 亜由美は悔しそうに唇をかんだ。


「……すみません!」


 平松コーチが声をかけた。


「加藤さん、もう一回いこう!」


「はい!」


 次の打球。


 今度は正面へのゴロだった。


 亜由美は落ち着いて捕球した。


 そして、二塁へ送球する。


 しかし、送球が少し低くなった。


 秋山は捕球したものの、一塁への転送が遅れた。


「一塁、セーフ!」


 亜由美は小さく息を吐いた。


「……あかん」


 そこへ三浦が近づいた。


「亜由美さん、今の送球、体が少し流れとったね」


「そうでしたか?」


「うん。捕球したあと、足を一回入れ替えてみんしゃい」


 三浦は、ゆっくりと動作を見せた。


 亜由美は真剣に見つめた。


「……なるほど」


 続いて和美も声をかけた。


「亜由美ちゃん、最初の打球、あと一歩やったね!」


 亜由美は苦笑した。


「うん。もうちょっと早く動けたら捕れたと思うねん」


 和美は笑った。


「ほな、一緒に一歩目の練習しよう!」


 亜由美が顔を上げた。


「……ええの?」


「もちろんたい! でも、レギュラーは譲らんよ!」


 亜由美もニヤリと笑った。


「当たり前や! うちも譲るつもりないで!」


 二人は笑い合った。


 しかし、練習が続くにつれて、亜由美の表情は少しずつ険しくなっていった。


 三浦の安定した守備。


 川野の広い守備範囲。


 和美の鋭い一歩目。


 自分にも長所はあるはずだ。


 それでも、総合的な技術ではまだ上級生に及ばない。


 しかも、同じ一年生の和美も着実に成長している。


(……うちも練習しとる)


 亜由美は思った。


(でも、みんなも練習しとるんや)


 その現実が、思っていた以上に重く感じられた。

 第四章 あと一歩、届かない

 守備練習の後半。


 平松コーチは、二塁手候補の四人に実戦形式の課題を与えた。


 一死一塁。


 打者は三年生の篠崎玲奈。


 一塁走者には、俊足の松崎結月が入る。


「打球が来たら、二塁でアウトを狙うのか、一塁で確実にアウトを取るのか、自分で判断してみよう!」


 最初は三浦康平。


 篠崎が二塁方向へ鋭いゴロを放った。


 三浦は素早く捕球すると、秋山へ正確に送球した。


 二塁アウト。


 さらに一塁へ転送。


「アウト!」


 ダブルプレー。


 続いて川野颯太。


 打球は二遊間の深い位置へ飛んだ。


 川野は追いついたものの、二塁へ投げても間に合わないと判断した。


 そのまま一塁へ送球する。


「アウト!」


 次は和美。


 篠崎の打球は、一、二塁間への強いゴロだった。


 和美は素早く横へ移動して捕球した。


 二塁へ投げるには体勢を立て直す必要がある。


 そこで和美は、一塁へ送球する判断をした。


「アウト!」


 平松コーチが拍手した。


「和美ちゃん、よか判断やったね!」


 和美は笑顔で答えた。


「ありがとうございます!」


 そして、亜由美の番。


 篠崎が打球を放つ。


 二塁方向への鋭いゴロ。


 亜由美は素早く動き、捕球した。


(……よし!)


 しかし、一塁走者の松崎は、すでに二塁近くまで走っている。


 亜由美は二塁へ送球した。


 だが、わずかに間に合わなかった。


「セーフ!」


 さらに、一塁への転送も間に合わず、二人の走者が残ってしまった。


 亜由美は悔しそうにグラブを握った。


「……またや」


 平松コーチが近づいた。


「亜由美さん、今のプレー、どうすればよかったと思う?」


 亜由美は少し考えた。


「二塁に投げても間に合わへんと判断して、一塁で確実にアウトを取るべきでした」


「そうやね。捕球できたのはよかったよ。次は走者の足と打球の強さを、もう少し早く判断してみよう」


「はい!」


 その後も練習は続いた。


 亜由美にも好プレーはあった。


 二遊間の打球を捕って、正確な送球でアウトにしたこともある。


 しかし、次の打球では送球が乱れる。


 一方、三浦は終始安定した守備を見せていた。


 和美も時折ミスをしながら、それを次のプレーで修正している。


 亜由美は、グラブを握り直した。


(……なんでやろ)


(うちも少しずつ上手になっとるはずやのに、なかなか追いつけへん)


 胸の奥で、焦りが少しずつ大きくなっていった。

 第五章 出番のなかった紅白戦

 その翌週。


 博多フューチャーズでは、夏の大会へ向けた紅白戦が行われた。


 亜由美はベンチスタートだった。


 先発二塁手は三浦康平。


 三浦は初回から安定した守備を見せ、二回には二遊間の難しいゴロを処理した。


 四回からは牧田和美が二塁へ入った。


 和美も鋭い打球へ素早く反応し、落ち着いてアウトを取っていた。


 さらに、打席では外角の直球をライト前へ運び、安打を記録した。


 六回には川野颯太が出場した。


 俊足を生かして、二塁後方への難しい飛球を捕球する。


 亜由美は、その様子をベンチから見つめていた。


 野球ノートには、各選手の長所やプレー内容が書き込まれている。


 しかし、とうとう自分の名前は呼ばれなかった。


 試合終了。


 亜由美は、ほかの選手たちと一緒にグラウンド整備を行った。


 そして道具の片づけを終えると、ベンチへ腰掛けた。


(……今日は一回も試合に出られへんかった)


 不満を口にしたいわけではない。


 三浦も和美も川野も、よいプレーをしていた。


 それぞれ、出場するだけの理由を持っている。


 だからこそ、悔しかった。


「亜由美ちゃん」


 顔を上げると、和美が立っていた。


「まだ帰らんと?」


「うん。ちょっと今日の試合を振り返っとっただけや」


 和美は隣へ腰掛けた。


「今日の三浦先輩、すごかったね」


 亜由美がうなずいた。


「ほんまやね。あの二遊間のゴロ、よう捕ったわ」


「私もああいう守備ができるようになりたか」


 亜由美は少し驚いた。


「和美ちゃんでも、そう思うん?」


 和美は笑った。


「当たり前たい!」


 そして、少し真剣な表情になった。


「去年、私はリトルスターズで全国優勝したやろ?」


「うん」


「でも、中学に入ったら、そんな実績だけじゃレギュラーにはなれんとよ。三浦先輩も川野先輩もおるし、亜由美ちゃんもおるけん」


 亜由美は静かに聞いていた。


 和美は続けた。


「私ね、亜由美ちゃんの観察力、すごかと思っとる」


「……えっ?」


「前の筑紫野フェニックス戦。亜由美ちゃん、ベンチでずっと相手投手を観察しよったやろ?」


「うん」


「それで、途中から出てタイムリーを打った。あれ、すごかったよ」


 亜由美は少し照れた。


「……ありがとう」


 和美は微笑んだ。


「私も、ああいう考え方を身につけたか」


 亜由美は顔を上げた。


 自分が和美の守備をすごいと思うように、和美も自分の長所を認めてくれている。


 しかし、和美はすぐに笑顔で付け加えた。


「でも、セカンドのレギュラーは譲らんけんね!」


 亜由美も笑った。


「うちも譲るつもりないで!」


 二人は声を上げて笑った。


 しばらくすると、和美は次の練習の相談をして帰っていった。


 亜由美は、一人になったベンチでグラウンドを見つめた。


(……和美ちゃんも必死に頑張っとるんや)


 三浦も川野も同じだ。


 自分だけが努力しているわけではない。


 それは分かっている。


 それでも、どうやって自分の強みを磨いていけばよいのか、答えはまだ見つかっていなかった。

 第六章 正則だから気づいた亜由美の変化

 夕方。


 正則と亜由美は、寄宿舎へ向かって歩いていた。


 普段なら、練習の感想を話しながら歩く二人だったが、この日の亜由美は口数が少なかった。


 正則が尋ねた。


「亜由美、どうしたん?」


「……別に」


「ほんまか?」


「うん」


 正則は少し考えた。


 そして、静かに尋ねた。


「今日、試合に出られへんかったこと、気にしとるんやろ?」


 亜由美は足を止めた。


「……分かる?」


「そら、幼なじみやからな」


 亜由美は少し笑った。


 しかし、すぐに真剣な表情になった。


「正則、うちな、セカンドのレギュラーを絶対に取りたいねん」


「うん」


「三浦先輩はすごくうまいし、川野先輩も実力がある。和美ちゃんも反応が速くて、どんどん成長しとる」


 正則は静かにうなずいた。


「そうやな」


「うちも練習しとる。でも、みんなも練習しとるから、なかなか追いつけへん気がするねん」


 亜由美は、小さく息を吐いた。


「……うち、何をもっと頑張ったらええんやろ」


 正則は少し考え込んだ。


「亜由美」


「何?」


「俺も似たようなもんやで」


 亜由美が顔を上げた。


「正則も?」


「当たり前やろ。藤岡先輩の球は速いし、水上先輩は変化球がうまい。国分もフォームが安定しとる」


 正則は続けた。


「俺が練習しとる間に、みんなも成長しとるんや」


 亜由美は静かにうなずいた。


「……そうやね」


 正則は少し笑った。


「でもな、藤岡先輩とまったく同じ投手になる必要はないと思うようになってきた」


「どういうこと?」


「俺には俺の制球力があるし、打者を観察して配球を考えるのも好きや。そういうところをもっと磨きたいねん」


 亜由美は少し考えた。


「……なるほど」


 正則は続けた。


「亜由美にも、亜由美のええところがあるやろ?」


「……そうかな」


「あるで。相手の特徴をよう見とるし、打席で考えることも得意になってきたやん。前の試合でも、ベンチから観察してタイムリー打ったやろ?」


 亜由美は少し照れた。


「……ありがとう」


 しかし、すぐに顔を上げた。


「でもな、正則。うち、自分でもうちょっと考えてみたいねん」


 正則はうなずいた。


「うん」


「ほかの世界で頑張っとる人の話も聞いてみたい」


「例えば?」


 亜由美は少し迷ってから答えた。


「……ファイブピーチ★のみんな」


 正則は驚いた。


「ファイブピーチ★!?」


「うん。音楽の世界も、上手な人がいっぱいおるやろ? その中で、どうやって自分たちの強みを磨いてきたんか、聞いてみたいねん」


 正則は少し考えた。


 そして笑った。


「ええやん!」


 亜由美も笑顔になった。


「野球とは違う世界やけど、何かヒントがあるかもしれへん」


 正則はうなずいた。


「相談してみたらええと思うで!」


 二人は、再び歩き始めた。


 亜由美の胸には、まだ迷いが残っていた。


 しかし、誰かに相談してみようと思えたことで、気持ちは少し軽くなっていた。

 第七章 ファイブピーチ★への相談

 その夜。


 博多南中学校の寄宿舎。


 亜由美は夕食と入浴を済ませ、自主学習を終えていた。


 同室の桐原澪は、机で科学の参考書を読んでいる。


 亜由美は、少し迷ったあと、スマートフォンを手に取った。


 以前、柳川家を訪問した際に連絡先を交換していた柳川優子へメッセージを送る。

 亜由美:優子さん、こんばんは。突然すみません。少し相談したいことがあるんです。もしお時間があるときに、ファイブピーチ★の皆さんからお話を聞かせていただけませんか?


 しばらくして、返信が届いた。

 優子:こんばんは、亜由美さん! もちろんよかよ。どげんしたと?


 亜由美は、現在の悩みを伝えた。


 二塁手のレギュラー争いが厳しいこと。


 自分も努力しているが、ほかの選手も同じように成長していること。


 そして、自分の強みをどう磨けばよいのか、少し分からなくなっていること。


 ほどなくして、優子から再び返信が届いた。

 優子:そうやったんね。ちょうど今日は五人で仕事しよるけん、みんなに聞いてみるね。


 亜由美は、ほっと息を吐いた。


 しばらくすると、もう一通届いた。

 優子:亜由美さん、五人とも今なら少し時間が取れるばい! 寮の自由時間はまだ大丈夫?


 亜由美は時計を確認した。


 まだ、決められた自由時間内だった。


 同室の澪にも事情を話し、イヤホンを用意する。

 亜由美:はい、大丈夫です! ありがとうございます!


 そして、優子からビデオ通話の案内が届いた。


 亜由美は、一度深呼吸した。


 画面が切り替わる。


 そこには、五人の姿が並んでいた。


 ファイブピーチ★のリーダー、赤嶺美香。


 ベース担当の青柳光子。


 ドラム担当の柳川優子。


 ギター担当の大畑奏太。


 キーボード担当の大畑小春。


 全員が福岡にゆかりを持ち、日常会話では博多弁を話す五人だった。


 今日はスタジオでの打ち合わせを終えたところらしく、背景には楽器や譜面台が見えている。


「こんばんは!」


 亜由美は思わず姿勢を正した。


「こんばんは! 加藤亜由美です!」


 優子が笑った。


「亜由美さん、そげん緊張せんでよかって!」


 光子も続けた。


「そうたい! 今日は気楽に話そうや!」


 美香は穏やかに微笑んだ。


「優子から話は聞いたよ。何か悩みがあるっちゃろ?」


 亜由美はうなずいた。


「はい」


 奏太も声をかけた。


「自分の言葉で、ゆっくり話してくれてよかよ」


 小春も優しく続けた。


「うちらの経験が参考になるか分からんけど、一緒に考えてみようね」


 亜由美は、深く頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 そして、現在の気持ちを話し始めた。

 第八章 美香が語る、努力と評価の違い

「……うち、セカンドのレギュラーを絶対に取りたいんです」


 亜由美は、ゆっくりと言葉を選んだ。


「大阪タイタンズではずっとセカンドを守っていて、全国大会でも準優勝できました。それで、自分なりに自信を持ってたんです」


 五人が静かに聞いていた。


「でも、中学に入ってみたら、三年生の三浦先輩はすごくうまいし、二年生の川野先輩も実力があります。同じ一年生で女子選手の牧田和美ちゃんも、反応がすごく速いんです」


 美香がうなずいた。


「そうなんやね」


「うちも練習しているんです。でも、周りもどんどん上達していて、なかなか追いつけへん気がするんです」


 亜由美は少しうつむいた。


「前の対外試合ではタイムリーを打てたんですけど、この前の紅白戦では出番がありませんでした」


 そして、顔を上げた。


「皆さんに聞きたいんです。音楽の世界にも、上手な人がたくさんいますよね。その中で、どうやって自分たちの強みを磨いてきたんですか?」


 最初に口を開いたのは美香だった。


「亜由美さん。まず一つ、伝えたかことがあるとよ」


「はい」


「うちらは、努力したから必ず評価されるとは思っとらんのよ」


 亜由美は少し驚いた。


「……そうなんですか?」


 美香はうなずいた。


「うん。何か月もかけて曲を作ることもあるし、演奏も何度も練習する。でも、その曲がたくさんの人に聴いてもらえるかは、発表してみらんと分からんこともあるっちゃん」


「はい」


「自分たちでは会心の出来やと思っても、思ったほど反響がないこともあるしね。逆に、予想しとらんかった曲が、たくさんの人に愛されることもあるとよ」


 亜由美は、静かに聞いていた。


 美香は続けた。


「やけん、評価だけを見て、自分の価値を決めんようにしとるの」


「……評価だけで決めない?」


「そう。評価は大切たい。でも、自分で改善できることと、自分だけじゃ決められんことは、分けて考えたかとよ」


 亜由美は、はっとした。


 レギュラーを決めるのは監督とコーチだ。


 努力しても、必ず選ばれるとは限らない。


 しかし、守備や打撃の技術を磨くことは、自分自身で取り組める。


 美香は、穏やかに微笑んだ。


「今、亜由美さんがレギュラーじゃないからって、これまでの努力が無駄になるわけじゃなかろ?」


 亜由美は小さくうなずいた。


「……はい」


「それに、今すぐ選ばれんかったとしても、これから成長する可能性までなくなるわけじゃなかよ」


「はい」


「今できることを、一つずつ増やしていく。その積み重ねが、これからの自分を支えてくれると思うっちゃん」


 亜由美は、静かに頭を下げた。


「ありがとうございます」


 美香の言葉は、優しいだけではなかった。


 努力が必ず報われるとは限らない。


 しかし、だからといって努力が無意味になるわけでもない。


 その現実を、正面から伝えてくれたのである。

 第九章 「必ず売れる保証なんて、どこにもなかとよ」

 続いて、光子が口を開いた。


「亜由美さん、うちらもね、何もかも順調にいっとるわけじゃなかとよ」


「はい」


「ファイブピーチ★は、ありがたいことに世界中で演奏させてもらいよる。でもね、新しい曲を作ったら必ず売れるっていう保証なんて、どこにもなかと」


 亜由美は目を丸くした。


「……世界的に有名な皆さんでも、ですか?」


 光子は大きくうなずいた。


「もちろんたい!」


 優子も続けた。


「音楽の世界には、ものすごか才能を持っとる人がたくさんおるっちゃん。毎年、新しいバンドやミュージシャンも出てくるけんね」


「はい」


 光子は、少し真剣な表情になった。


「うちらが感性を磨くことを怠ったら、あっという間に置いていかれる可能性だってあるとよ」


 優子も静かに言った。


「何年かしたら、『そういえば、そんなバンドもあったね』って言われても、おかしくなか世界たい」


 亜由美は思わず息をのんだ。


 世界を舞台に活躍するファイブピーチ★。


 その五人が、そんな厳しい現実を意識しながら活動しているとは想像していなかった。


 光子は続けた。


「やけん、うちらは感性を磨くことをやめんとよ」


「……はい」


「いろんなジャンルの音楽を聴いたり、世界中の人と交流したり、知らん文化に触れたりする。音楽と直接関係なさそうな経験が、新しい曲のヒントになることもあるけんね」


 そこで亜由美は、以前の出来事を思い出した。


 柳川家では、黄色と水色のマグカップ。


 青柳家では、黒い高級セダンと赤い軽自動車。


 そんな身近なものから、光子と優子は即興のギャグコントを作り上げていた。


「……あのマグカップと車のコントも、そういうことなんですね」


 光子が笑った。


「そうたい!」


 優子も笑顔になった。


「何でもなかものでも、違う角度から見てみたら面白か発見があるかもしれんやろ?」


 そして、光子は少し真剣な表情へ戻った。


「でもね、亜由美さん。新しかことばっかり追いかけて、自分たちのよさを忘れてしまったら、それも違うと思うとよ」


 亜由美がうなずいた。


「……はい」


「うちらは基本の演奏技術も磨き続ける。そのうえで、新しかものを取り入れる。今の成功に満足して何もせんようになったら、そこから成長が止まるかもしれんけんね」


 優子も続けた。


「それは野球でも、ほかのスポーツでも同じやと思うっちゃん」


 亜由美は静かに考えていた。


 自分は、三浦や和美のような守備を身につけたいと思っていた。


 しかし、その二人の真似をすることだけが、自分の成長ではない。


 基本的な技術を磨く。


 ほかの選手から学ぶ。


 そして、自分の強みをさらに伸ばしていく。


 どれも欠かせないことなのだ。


 そのとき、優子が少し悪戯っぽく笑った。


「それにね、亜由美さん」


「はい?」


「うちら、年取っても現役で演奏するつもりやけんね!」


 光子が大きくうなずいた。


「そうたい! 七十歳になっても、ヘビーメタルのベースを弾きまくるばい!」


 優子も負けじと続けた。


「うちは高速ツーバスで勝負たい!」


 小春が吹き出した。


「二人とも、七十歳になっても張り合うつもりなん!?」


 奏太も笑った。


「でも、二人ならほんとにやりそうたい!」


 美香は、穏やかに笑った。


「そのためにも、今からちゃんと体のケアを続けんとね」


 光子は即答した。


「もちろんたい!」


 優子も笑った。


「生涯現役ばい!」


 五人の笑い声がスマートフォンの向こうから響いた。


 亜由美も思わず笑ってしまった。


 しかし、その笑いの中にも、五人が本気で音楽と向き合い続けようとしていることが伝わってきた。

 第十章 奏太が語る、自分の音を磨くこと

 続いて、大畑奏太が話し始めた。


「亜由美さん、僕はギターを担当しとるやろ?」


「はい」


「世の中にはね、僕よりずっと速くギターを弾ける人もおるし、難しか曲を正確に演奏できる人もおるとよ」


 亜由美は驚いた。


「奏太さんより、ですか?」


 奏太は笑った。


「もちろんたい。世界は広かけんね」


 そして、少し真剣な表情になった。


「でもね、誰よりも速く弾けることだけが、ギタリストの価値じゃなかと思うっちゃん」


「……はい」


「同じメロディーでも、弾く人によって音の表情が違うとよ。音色、強弱、間の取り方、曲全体の中でどんな役割を果たすか。それぞれ違うけんね」


 亜由美は静かにうなずいた。


 奏太は続けた。


「もちろん、基本的な技術が足りんかったら、自分が表現したかことも表現できん。やけん、技術の練習は欠かせんとよ」


「はい」


「でも、ほかの人とまったく同じ演奏をしようとするだけじゃ、自分のよさが見えんようになることもあるっちゃん」


 亜由美は顔を上げた。


「……それって、野球にも当てはまりますか?」


 奏太はうなずいた。


「当てはまると思うばい」


「例えば?」


「三浦君には三浦君のよさがある。川野君にも川野君のよさがある。そして和美ちゃんにも、和美ちゃんのよさがあるやろ?」


「はい」


「でも、亜由美さんにも、亜由美さんの長所があるはずたい」


 亜由美は少し考えた。


「……うち、観察することは好きです」


 奏太がうなずいた。


「そうやろ?」


「相手打者の構え方とか、投手の配球を考えるのが好きなんです」


「それなら、その力をもっと磨いてみたらどうやろ?」


「……観察力を?」


「そうたい。それを守備位置の判断にも生かせるかもしれんし、投手への声かけにもつなげられるかもしれん」


 亜由美は静かにうなずいた。


 奏太は続けた。


「ただし、それだけでレギュラーになれる保証はなかよ。でも、自分が何を磨きたいか分かれば、練習の目的もはっきりしてくると思うっちゃん」


 亜由美は深く頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 奏太は優しく微笑んだ。


「うん。応援しとるよ」

 第十一章 小春が語る、支える人の大切さ

 次に口を開いたのは、大畑小春だった。


「亜由美さん、私はキーボードを担当しとるやろ?」


「はい」


「ファイブピーチ★では、曲によってキーボードが前に出ることもあれば、ほかの楽器を支えることもあるっちゃん」


 亜由美はうなずいた。


 小春は続けた。


「美香お姉ちゃんがトロンボーンを演奏する曲では、私がピアノを担当することもあるとよ」


 美香が微笑んだ。


「そうやね」


「でもね、私がどの曲でも自分の音を一番目立たせようとしたら、どうなると思う?」


 亜由美は少し考えた。


「……ほかの楽器の音を邪魔してしまうことがあると思います」


 小春はうなずいた。


「そうたい。やけん、自分がその曲で何をするべきか考えることが大切なんよ」


 亜由美は、静かに聞いていた。


「野球でも、同じことが言えると思うっちゃん」


「……はい」


「例えば、派手なファインプレーだけが守備じゃなかろ? 確実にアウトを一つ取ることも、仲間が守りやすいように声をかけることも大切やと思うとよ」


 亜由美はうなずいた。


「そうですね」


 小春は続けた。


「それに、ベンチにおるときだって、自分にできることはあるっちゃない?」


 亜由美は、筑紫野フェニックスとの練習試合を思い出した。


 ベンチから相手投手の球筋を観察した。


 カウントごとの配球を記録した。


 そして、途中出場した打席で、その情報を生かしてタイムリーヒットを放った。


「……はい。ベンチから相手投手を観察することもできます」


 小春は笑顔になった。


「そうたい。でも、その情報は自分だけのものにせんでもよかと思うとよ」


 亜由美は顔を上げた。


「どういうことですか?」


「先に打席へ立つ仲間へ、相手投手の特徴を伝えることだってできるやろ?」


 亜由美は、はっとした。


 これまでは、自分がどうすればレギュラーになれるかばかり考えていた。


 しかし、自分の観察力で得た情報を仲間に伝えれば、チーム全体の力にもなる。


 小春は微笑んだ。


「それは、レギュラーを目指すことと矛盾せんと思うっちゃん」


 亜由美は静かにうなずいた。


「……ありがとうございます」


 小春は続けた。


「それにね、亜由美さん。今は出番が少なくても、そこで学んだことが、あとから自分を助けてくれることもあるとよ」


「……はい」


「だから、自分の役割を大切にしながら、次の出番に向けて準備していけばよかと思う」


 亜由美は、少し笑顔になった。


「分かりました!」

 第十二章 競争相手は、敵じゃなかとよ

 すると、光子が口を開いた。


「亜由美さん、ちょっと聞いてよか?」


「はい!」


「和美ちゃんのこと、嫌いになっとる?」


 亜由美は驚いた。


「えっ!? 全然そんなことないです!」


 光子は微笑んだ。


「そうやろうね」


 亜由美は続けた。


「和美ちゃんは、うちが守備で失敗したときも励ましてくれます。一歩目の動き方を一緒に練習しようって言ってくれたこともあるんです」


 優子がうなずいた。


「よか仲間やね」


「はい。ほんまにいい子です。でも、セカンドのレギュラーは絶対に譲りたくないって思っています」


 光子は笑顔になった。


「それでよかとよ!」


 亜由美は少し驚いた。


「……いいんですか?」


「もちろんたい。仲間やけんって、遠慮して自分の目標を諦める必要はなかよ」


 優子も続けた。


「ただし、競争相手が失敗することを喜ぶようになったら、それは違うと思うっちゃん」


 亜由美は力強くうなずいた。


「はい!」


 光子は続けた。


「和美ちゃんがいいプレーをしたら、すごかねって認める。そのうえで、自分ももっと上手になろうって考えたらよかとよ」


 優子も微笑んだ。


「三浦先輩も川野先輩も同じたい。相手を尊重することと、レギュラーを目指すことは両立できるけんね」


 亜由美は静かにうなずいた。


 そこで、美香が尋ねた。


「亜由美さん。最後に一つ聞いてもよか?」


「はい」


「亜由美さん自身は、どげんな二塁手になりたかと?」


 亜由美は、しばらく考えた。


 レギュラーになりたい。


 全国大会で優勝したい。


 正則と一緒に強いチームで戦いたい。


 その気持ちは、どれも本当だった。


 しかし、美香が聞いているのは、その先のことだと感じた。


 亜由美は、ゆっくりと答えた。


「……うちは、守備でチームを助けられる選手になりたいです」


 美香がうなずいた。


「うん」


「打球が飛んできたとき、仲間が安心できるようなセカンドになりたいです」


「よかね」


「それから、相手打者の特徴を見て、守備位置を考えたり、投手に声をかけたりできる選手になりたいです」


 亜由美は、少しずつ言葉に力を込めた。


「打撃でも、簡単にアウトにならへん選手になりたいです」


 そして最後に、はっきりと言った。


「自分の実力で、レギュラーを取りたいです!」


 画面の向こうで、美香が微笑んだ。


「それなら、目標はちゃんと見えとるね」


 光子も笑った。


「そうたい!」


 優子が続けた。


「あとは、その目標に向かって何をするか、一つずつ考えていけばよかとよ」


 奏太も笑顔になった。


「周りの選手から学びながら、自分の長所も磨いていこうね」


 小春も微笑んだ。


「それから、レギュラー争いで悩んだときほど、野球そのものの楽しさを忘れんでね」


 亜由美は大きくうなずいた。


「はい!」


 美香は、少し真剣な表情になった。


「あと、休むことも大切やけんね。焦って練習を増やしすぎんことよ」


「分かりました」


「困ったことがあったら、監督やコーチにも相談してよかけんね」


 亜由美はうなずいた。


「はい!」


 五人の言葉を聞くうちに、胸の中で絡まっていたものが少しずつほどけていくような気がした。


 レギュラー争いの厳しさは変わらない。


 三浦康平も、川野颯太も、牧田和美も、明日からさらに練習を重ねるだろう。


 それでも、自分が何をすべきか、少しずつ見えてきた。


 亜由美は画面の向こうの五人へ、深く頭を下げた。


「皆さん、今日は貴重な時間を割いていただき、本当にありがとうございました」


 美香が微笑んだ。


「こちらこそ、話してくれてありがとうね」


 光子も笑った。


「また何かあったら相談してね!」


 優子が続けた。


「でも、一人で抱え込まんごとね!」


 奏太も声をかけた。


「応援しとるけん!」


 小春も微笑んだ。


「一つずつ頑張ってね!」


 亜由美は、もう一度頭を下げた。


「はい! 本当にありがとうございました!」


 そして、通話を終了した。


 スマートフォンを机へ置く。


 亜由美は、しばらく画面の消えたスマートフォンを見つめていた。


(……あんなにすごい人たちでも、今も勉強し続けとるんや)


 世界を舞台に活躍する五人が、今の成功に満足せず、常に感性を磨き続けている。


 その姿勢が、何より印象に残った。


 亜由美は静かに息を吐いた。


「……うちも、まだまだこれからやね」

 第十三章 澪が見つけた、野球と科学の共通点

 そのとき、同室の桐原澪が参考書を閉じた。


「亜由美ちゃん、相談はどうだった?」


 亜由美は笑顔で答えた。


「うん。めちゃくちゃ勉強になったわ」


「よかったね」


 亜由美は、ファイブピーチ★の五人から聞いた話を伝えた。


 曲を作っても、必ず売れる保証はない。


 ほかのミュージシャンも、常に新しい技術を学んでいる。


 だから、自分たちも感性を磨き続ける。


 そして、周りの優れたところを認めながら、自分たちの音楽を追求していく。


 澪は、興味深そうに聞いていた。


「それ、科学の研究にも似ているね」


 亜由美が顔を上げた。


「科学にも?」


「うん。新しい発見があれば、それまで正しいと思っていた考え方を見直す必要があることもあるでしょう?」


「そうやね」


「それに、自分とは違う方法で研究している人から学べることもあるんだよ」


 亜由美は少し笑った。


「ほんま、いろんな世界につながっとるんやね」


 澪もうなずいた。


「そうだね」


 そして、亜由美は野球ノートを開いた。


 新しいページに、大きな文字を書き込む。


『自分の強みを磨く』


 その下には、具体的な目標を一つずつ書いていった。


 一歩目の反応を早くすること。


 捕球から送球までの動作を安定させること。


 打者の特徴を観察し、守備位置の判断に生かすこと。


 ベンチから得た情報を、仲間とも共有すること。


 そして、狙いを持って打席に立つこと。


 最後に、もう一つ書き加えた。


『三浦先輩にも、川野先輩にも、和美ちゃんにも負けたくない。でも、みんなのよさを認めて、そこから学ぶ』


 亜由美は、ゆっくりとペンを置いた。


「……よし」


 澪が微笑んだ。


「何か、すっきりした顔になったね」


 亜由美は笑った。


「うん。まだ悩みが全部なくなったわけやないけど、何を練習したらええか、ちょっと分かった気がするねん」


「それならよかった」


 そして、亜由美は机の上に置いた大阪タイタンズの集合写真を見つめた。


 全国準優勝を達成したときの、仲間たちの笑顔。


 あの頃も、一つ一つの練習を積み重ねてきた。


 中学へ進学したからといって、それが変わるわけではない。


「……明日も頑張ろう」


 亜由美は静かにつぶやいた。

 第十四章 正則にも、簡単には譲れないマウンドがある

 翌日の放課後。


 博多フューチャーズのブルペンでは、正則が投球練習を行っていた。


 捕手は森下悠一。


 城戸監督は正則へ、新しい課題を与えていた。


「正則君、今日は速い球を投げることより、フォームを安定させて同じコースへ投げることを意識してみよう」


「はい!」


 正則が投げ込む。


 バシッ!


 外角低め。


 ストライク。


 続いて内角への直球。


 今度は少し高く外れた。


 正則は深呼吸した。


(……焦ったらあかん)


 そして、もう一度外角低めへ投げ込んだ。


 森下が、ミットをほとんど動かさずに捕球する。


「ナイスボール!」


 正則は小さくうなずいた。


 少し離れたところでは、三年生の藤岡蓮司が投球練習を行っていた。


 百三十キロを超える直球。


 鋭く曲がるスライダー。


 正則がまだ十分に扱えない球種を、安定して投げ込んでいる。


 二年生の水上遼太も、球速差を生かした投球を続けていた。


 同じ一年生の国分颯斗も、フォームの安定感を増している。


 正則は思った。


(……俺が練習しとる間に、みんなもうまくなっとる)


 しかし、そのことを以前ほど焦ってはいなかった。


 自分が何を磨くべきか、少しずつ分かってきたからだ。


 練習終了後。


 正則は、城戸監督へ尋ねた。


「監督、僕の今の一番の課題は何ですか?」


 城戸監督は少し考えた。


「制球とフォームの再現性やね。それから、中学生の打者に対して、どげんな配球が有効なのか経験を積むことたい」


 正則はうなずいた。


「はい!」


「球速もこれから伸ばしていく必要はあるけど、今すぐ三年生と同じ球を投げようとする必要はなかよ」


「分かりました!」


 城戸監督は続けた。


「河内君には、打者の反応を観察するという長所があるやろ? その力を投球に生かしていこう」


 正則は深く頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 そして、少し笑った。


「でも監督、僕、絶対に先発投手になりたいです!」


 城戸監督も笑った。


「その気持ちは大切たい。ただし、先発を任されるだけじゃなく、チームが安心してマウンドを任せられる投手になろうね」


「はい!」


 正則は、グラブをしっかり握り直した。


 マウンドには一人しか立てない。


 それでも、仲間から学べることはいくらでもある。


 そのことを、少しずつ理解し始めていた。

 第十五章 「和美ちゃん、うちにも教えて」

 同じ頃。


 第二グラウンドでは、亜由美が二塁守備の練習に参加していた。


 三浦康平、川野颯太、牧田和美。


 四人は、それぞれの課題に取り組んでいた。


 練習が一段落したところで、亜由美は三浦と和美のところへ歩いていった。


「三浦先輩、和美ちゃん」


 二人が振り返った。


「何ね?」


「亜由美ちゃん、どうしたと?」


 亜由美は少し真剣な表情で話した。


「練習が終わったあと、捕球から送球までの動きを、もう一回見てもらえませんか?」


 三浦は笑顔になった。


「もちろんよかよ!」


 和美もうなずいた。


「私も一緒に練習したか!」


 亜由美は深く頭を下げた。


「ありがとうございます!」


 そして、和美へ向き直った。


「和美ちゃん。うち、あんたの一歩目の速さ、ほんまにすごいと思っとる」


 和美は少し照れた。


「……ほんと?」


「うん。特に二遊間の打球への反応が速いと思うねん」


 和美は笑った。


「ありがとう!」


 亜由美は続けた。


「うちも、ああいう動きを身につけたいねん。どういうところを意識しとるか、教えてもらえへん?」


 和美は大きくうなずいた。


「もちろんたい!」


 そして、少し笑った。


「でも、私も亜由美ちゃんに聞きたかことがあるとよ」


「何?」


「相手打者を見て、守備位置を考える方法たい。亜由美ちゃん、ああいうの得意やろ?」


 亜由美は少し驚いた。


「……うん。まだ勉強中やけど」


 和美は笑顔で続けた。


「私も覚えたかけん、教えてくれん?」


 亜由美は、嬉しそうに笑った。


「もちろんや!」


 三浦が二人の会話を聞いていた。


 そして、笑いながら口を挟んだ。


「二人とも、教え合うのはよかけど、俺もレギュラー争いの真っ最中やけんね!」


 亜由美が答えた。


「もちろんです!」


 和美も元気よく続けた。


「三浦先輩にも負けません!」


 三浦は大笑いした。


「よかよか! その調子たい!」


 こうして三人の練習が始まった。


 強いゴロ。


 捕球への一歩目。


 体の向き。


 そして、送球。


 亜由美は和美の動きを観察した。


 和美も、亜由美が相手打者の何を見て守備位置を調整しているのか、質問した。


 三浦は二人の動きを確認し、無駄な動作があれば具体的に指摘した。


 何度も繰り返しているうちに、亜由美の一歩目が少しずつ速くなった。


 和美も、打者の構えや投球コースを考慮して守備位置を調整する練習に取り組んだ。


 しかし、すべてがうまくいったわけではない。


 亜由美は送球を乱した。


 和美も捕球を焦って、ボールをこぼすことがあった。


 三浦でさえ、強烈な打球に対応しきれない場面があった。


 そのたびに三人は、何が起きたのか確認して練習を続けた。


 そこへ平松コーチがやってきた。


「三人とも、よか練習ができとるね」


 三人は頭を下げた。


「ありがとうございます!」


「でも、今日はそろそろ終わりにしようか。疲れとる状態で無理して続けても、故障につながることがあるけんね」


「はい!」


 練習を終えた亜由美は、和美へ声をかけた。


「和美ちゃん、今日はありがとう!」


 和美も笑った。


「こちらこそ! 亜由美ちゃんの話、すごく参考になったばい!」


 亜由美は少し照れた。


「そう言ってもらえるとうれしいわ」


 すると、和美がニヤリと笑った。


「でも、セカンドのレギュラーは絶対に譲らんけん!」


 亜由美も笑顔で答えた。


「うちもや! 絶対に負けへんで!」


 二人はグラブを合わせた。


 同じ一年生の女子選手。


 同じ二塁手。


 そして、同じ目標を持つ仲間。


 二人の競争は、まだ始まったばかりだった。

 第十六章 大阪でも、ライバルたちは成長する

 その頃、大阪市の西九条中学校。


 池永智雄、宮本さくら、西村奈緒たちも、上級生とのレギュラー争いに挑んでいた。


 智雄は、三年生エースの若狭大地から投球フォームについて指導を受けていた。


 しかし、球速も変化球の精度も、まだ若狭には及ばない。


「智雄、今の球、ちょっと高かったで」


 若狭が声をかけた。


「はい!」


「速い球を投げようとして、上体が前に突っ込んどるな」


 智雄はうなずいた。


「分かりました!」


 もう一度マウンドへ上がる。


 今度は力任せに投げず、フォームを意識した。


 バシッ!


 捕手の藤原航が声を上げた。


「おっ! 今のええ球や!」


 智雄が笑った。


「ほんまか!?」


「うん! さっきより制球が安定しとるで!」


 その言葉に、智雄は小さく拳を握った。


 一方、宮本さくらは、三年生の野崎真里から外野守備の判断について教わっていた。


 西村奈緒も、一塁手の多田野健太から強いゴロへの対応を学んでいた。


 練習終了後。


 さくらが奈緒へ話しかけた。


「奈緒、中学野球って、ほんまに大変やね」


 奈緒がうなずいた。


「せやな。でも、面白いわ」


 そこへ智雄が近づいてきた。


「俺もや! 若狭先輩の壁、めちゃくちゃ厚いで!」


 さくらが笑った。


「でも、諦めへんやろ?」


 智雄は即答した。


「当たり前や!」


 そして、少し笑った。


「正則も博多で頑張っとるんや。俺も負けてられへん!」


 奈緒もうなずいた。


「うちらも、もっと上手になろうな!」


 さくらは笑顔で答えた。


「もちろん!」


 大阪でも博多でも、レギュラー争いは厳しかった。


 しかし、その競争が選手たちを少しずつ成長させていた。

 第十七章 悠翔が見つめる、一年後

 一方、博多リトルスターズでは、全国大会へつながる地区予選の次戦へ向けた練習が続いていた。


 キャプテンの柳川悠翔は、四番打者として打撃練習を行いながら、後輩たちの守備にも目を配っていた。


 新四年生の岡野芽衣は、二塁守備の練習に取り組んでいた。


 強いゴロが飛んでくる。


 岡野が素早く反応した。


 パシッ!


 捕球成功。


 そして一塁へ送球。


「アウト!」


 悠翔が拍手した。


「芽衣ちゃん、ナイスプレー!」


 岡野は笑顔になった。


「ありがとうございます!」


 そこへ村瀬杏奈が近づいてきた。


「悠翔、亜由美さん、中学でセカンドのレギュラー争いが大変らしかね」


 悠翔がうなずいた。


「そうたい。三浦先輩も川野先輩も上手やし、和美ちゃんもおるけんね」


 杏奈は少し笑った。


「でも、亜由美さんも負けず嫌いやけんね」


 悠翔も笑った。


「そうたい!」


 そして、少し真剣な表情になった。


「僕も来年中学へ進学したら、正則君たちと一緒にレギュラー争いに挑むことになるっちゃんね」


 杏奈がうなずいた。


「そうやね」


「やけん、今のうちにもっと強くなっとかんといかん」


 悠翔はグラブを握り直した。


「今年はリトルスターズで、もう一回全国制覇を目指す。そして来年は、フューチャーズでも頑張るばい!」


 杏奈も笑顔になった。


「うちも負けんよ!」


 二人は再び練習へ戻っていった。


 全国大会へ向かう道は、まだ長い。


 しかし、新チームは一歩ずつ前進していた。

 第十八章 夢を追うということ

 その日の夜。


 博多南中学校の寄宿舎。


 亜由美は、いつものように野球ノートを開いていた。


 そこには、今日の練習で気づいたことが書かれている。


 一歩目の速さ。


 捕球から送球までの動作。


 併殺プレーの判断。


 守備位置の調整。


 そして、仲間との声かけ。


 亜由美は、大阪タイタンズ時代の集合写真を見つめた。


 全国大会準優勝。


 その経験は、今でも大切な思い出だった。


 しかし、それだけで中学校のレギュラーになれるわけではない。


 三浦康平は、今日も安定した守備を見せていた。


 川野颯太は、俊足を生かして守備範囲を広げている。


 牧田和美も、鋭い一歩目に磨きをかけていた。


 みんな、成長を続けている。


 そして、自分も成長を続けている。


 亜由美は、ファイブピーチ★の五人の言葉を思い出した。


 曲を作っても、必ず売れる保証はない。


 今の人気が、未来まで続く保証もない。


 それでも、感性を磨くことをやめない。


 新しいものを学び続ける。


 自分たちの音楽を、よりよいものにするために。


 亜由美は静かに笑った。


「……うちも同じやね」


 そして、ノートの最後に一つの文章を書き込んだ。


『レギュラーは、誰かから与えてもらうものではない。自分の実力でつかみにいく。でも、そのために仲間への敬意を忘れない』


 その下に、もう一行。


『和美ちゃんは大切な仲間。そして、絶対に負けたくないライバル』


 亜由美は、ゆっくりとペンを置いた。


 今はまだ、レギュラーではない。


 明日の練習で、また失敗するかもしれない。


 試合に出られない日もあるだろう。


 しかし、もう自分の進む方向を見失うつもりはなかった。


 その頃、男子居住区域では正則も野球ノートを開いていた。


 藤岡蓮司の直球。


 水上遼太の変化球。


 国分颯斗の安定したフォーム。


 それぞれの長所を書き込み、自分が次に何を磨くべきか考えていた。


 正則は小さくつぶやいた。


「……まだまだこれからや」


 大阪では、池永智雄も投球練習の記録を振り返っていた。


 博多リトルスターズでは、柳川悠翔が地区予選の次戦へ向けて準備を進めていた。


 それぞれが違う場所で、同じように成長を求めていた。


 夢を追うということ。


 それは、ただ目標に向かって努力することではない。


 自分より優れた人を認めること。


 失敗した理由を考えること。


 新しい考え方を取り入れること。


 そして、自分の強みを磨き続けること。


 河内正則と加藤亜由美の中学校生活は、まだ始まったばかりだった。


 レギュラーの壁は厚い。


 しかし、その壁の高さを知った二人は、越えるための方法を少しずつ見つけ始めていた。


 次回予告

 第53話「守備からつかむ信頼、亜由美と和美の新しい武器」

 博多フューチャーズで続く、厳しいレギュラー争い。


 三年生の三浦康平。


 二年生の川野颯太。


 そして、一年生の女子選手、加藤亜由美と牧田和美。


 四人はそれぞれ異なる長所を持つ二塁手として、日々切磋琢磨していた。


 ファイブピーチ★の五人から教わった、自分の強みを磨き続けることの大切さ。


 その言葉を胸に、亜由美は打球への反応と守備判断を徹底的に磨き始める。


 一方、和美も亜由美の観察力に刺激を受け、打者の特徴に合わせた守備位置の調整に取り組んでいた。


「亜由美ちゃん、私も負けんけんね!」


「うちもやで! 絶対にレギュラー取ったる!」


 互いを尊重しながらも、一歩も譲らない二人。


 そんな中、城戸直哉監督は、新たな対外練習試合を計画する。


「今回は、守備の連係と状況判断を重点的に確認するけんね」


 相手は、機動力に優れた中学生チーム。


 盗塁。


 送りバント。


 エンドラン。


 そして、一瞬の隙を突く積極的な走塁。


 二塁手に求められるのは、ただゴロを捕る技術だけではなかった。


 一方、正則は投手として、走者を背負った場面での投球や、捕手との連係に取り組む。


 大阪の西九条中学校では、池永智雄たちも公式戦へ向けた準備を進めていた。


 そして、博多リトルスターズでは、柳川悠翔が新チームを率いて全国大会へつながる地区予選の次戦を迎えようとしていた。


 次回、第53話「守備からつかむ信頼、亜由美と和美の新しい武器」。


 自分にしかできないことを探すのではなく、自分ができることを一つずつ増やしていく。その積み重ねが、やがて大きな強みになる。亜由美と和美、二人の女子選手による二塁手争いは、さらに熱を帯びていく。

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