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結局、石山は最後まで何も言わず──無言で部室を後にする。それが、きっと奴の精一杯の抵抗だった。
「終わり──ですよね?」
嶺岸由希子が、緒方慎司に上目で問いかける。
「ああ、多分な」
緒方慎司は頷いて──ようやく長い放課後が終わる。西日はすでに落ちており、部室を照らすのは無機質な蛍光灯のみ──それがかえって心地のよい静寂をつくり出している。
「あの──ありがとうございました」
言って、大友久美子が頭を下げる。
「私だけだったら、どうしていいかわからないまま、うやむやになっていたかもしれません」
彼女は、石山が罪を認めたことで、ようやく溜飲が下がる思いなのであろう、今は晴れやかな顔をしている。
「本当に、ありがとうございました」
再び言って、一礼──大友久美子は部室を後にする。
残された僕らは、顔を見あわせて、小さく笑う。緒方慎司の冤罪を晴らす──そのために、ずいぶんと奔走したものである。ようやく目的を果たして、心地のよい倦怠感が身体を満たしている。
「さて、無事に俺の冤罪も晴らすことができたし、そろそろ──」
さすがの緒方慎司も疲れたのであろう、皆に帰宅をうながそうとした──その時である。
「──由希子、まだ残ってるの?」
言葉とともに、部室の扉が開く。
「早く帰りなさ──」
扉を開いた格好のまま、嶺岸和歌子は言葉を呑み込む。緒方慎司の姿を認めた彼女の瞳が、猫のように肥大する。
嶺岸和歌子の眼光に気圧されるかのように、緒方慎司は反射的にポケットのふくらみに触れる。そして、自らの犯した失態に気づいたのであろう、目に見えてうろたえる。冤罪は近く晴らされる──とはいえ、今はまだ容疑者なのである。風紀委員に捕まれば、当然、秘蔵のフィルムとやらも押収されてしまう。こんなことになるならば、事件の解明を急ぐより先に、フィルムをどこかに隠しておけばよかったものを、と彼の誤算を憐れむのであるが──もう遅い。
嶺岸和歌子は、後ろ手で扉を閉めながら、そろりと忍び寄る。
「待て! 俺は犯人じゃない!」
「犯人じゃないのなら、おとなしく捕まりなさい。逃げるから追われるのよ」
後ずさる緒方慎司に、嶺岸和歌子はじりじりと間合いを詰める。
「待て、はやまるな──そうだ! 部活動はどうした、部活動は。大切だぞ、部活動」
もう六時になろうかというのに部活動も何もないものだ、と思わないでもなかったが、風紀委員としての職務をまっとうする嶺岸和歌子の気を何とかしてそらしたいのであろう、涙ぐましい努力である。
「盗撮騒ぎのせいで、バスケットボール部は休部中なのよ」
嶺岸和歌子は、誰かさんのせいでね、と言いたげに、半眼で緒方慎司をにらむ。
「おとなしく捕まりなさい。それとも──やましいことでもあるの?」
続く問いは、きっと風紀委員としてのものではなく──緒方慎司を心配する、級友としてのものである。
「──あんたが、やったの?」
「やってない、信じてくれ! 犯人だってみつけた! 俺は無実なんだ!」
上目で問う嶺岸和歌子に、緒方慎司は必死に返す。
「でも──あんた、バスケットボール部の写真は盗み撮りしてるじゃない」
「バスケットボールは猥褻じゃない」
緒方慎司の断言に、嶺岸和歌子は、はあ、とあきらめのため息をつく。盗み撮りしているのは、まぎれもない事実なのであろう。
「とりあえず、言い訳は生徒会室で聞きましょう──かっ!」
言葉と同時に、嶺岸和歌子は床を蹴る。緒方慎司を捕らえようとする彼女の腕が、蛇のように迫る。緒方慎司は、うなる腕を振り払い、机の合間を縫うようにして部室の奥へと逃げる。暗幕を背に彼女と対峙して、その位置関係を対角線に保つ。彼女が右にいけば左へ、左にいけば右へ。壁際に追い込もうと少しずつ前進してくれば、裏をかくようにその隣をすり抜ける。
「写真部のくせにちょこまかと!」
「文化部差別だ!」
バスケットボール部のホープを前にして、確かに緒方慎司は写真部にしてはよい動きをしている。
「いい加減にしなさい!」
言って、嶺岸和歌子は目の前の机を蹴り倒す。蹴り倒された机は、まるでドミノ倒しのように他の机をも巻き込む。倒れた机の群れは、見事に緒方慎司の逃げ道を塞いでいる。
「それが風紀委員のやることか!」
「風紀委員だからできるのよ!」
机を蹴り倒しながら、嶺岸和歌子が迫る。包囲網はすでに完成している。折り重なった机の山は、助走なしでは飛び越えられそうもない。
「観念しなさい!」
嶺岸和歌子は、両手を広げて、威嚇するように歩み寄る。彼女の圧力に後ずさる緒方慎司の背中が、暗幕に触れる。
緒方慎司は、勢いをつけて振り返り、暗幕に飛びつく。天井に取りつけた暗幕用のカーテンレールが、きしみながらも彼の体重を支える。飛びついた勢いで暗幕がレールを流れて、その身体ごと机の山を越えていく。
「逃がさん!」
しかし、それを見逃す嶺岸和歌子ではなかった。緒方慎司を追うようにして暗幕に飛びつく。
「わ、馬鹿! 定員オーバーだ!」
「──あ」
漏れた声と同時に、暗幕がレールから外れる。受け身を取る間もなく、机の山脈をはさんで廊下側に緒方慎司が、窓側に嶺岸和歌子が墜落する。
形勢は、緒方慎司に有利である。彼は、床で強打した痛みをこらえるようにして、必死に扉に向かって這っていく。勝利への脱出まで、あと少し。
「──姉さん!?」
扉を目の前にした緒方慎司を止めたのは、嶺岸由希子の声である。演技とは思えぬ緊迫した響きが、緒方慎司を振り返らせる。
見れば、嶺岸和歌子は、うずくまったまま起きあがらない。
「大丈夫!?」
緒方慎司は、追われていたことも、自らの痛みも忘れたかのように、彼女に駆け寄り──。
「──捕まえた」
その死んだふりとでも言うべき演技に騙されて、ぎゅっと抱きつかれる。
「隠してるもの、出してもらうからね」
言って、嶺岸和歌子は緒方慎司のズボンをまさぐる。
「あ、ちょっと、そこは違うって──」
こうして──緒方慎司は、秘蔵のフィルムを没収された挙句に、風紀委員のお縄にかかったのである。




