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「私が──犯人?」
緒方慎司を真っ直ぐに見すえて、石山は笑わない。
その両眼が、教師然とした威圧を持って、僕らの身体を貫く。突然の圧迫感──予習を忘れた授業で不意に名前を呼ばれたような緊張が、僕の胃のあたりを締めあげる。
「学内には多くの女性がいるわ。その中で、私こそが犯人だというその理由は何かしら?」
石山は挑むように問いかける。緒方慎司の論理では、自らを犯人と断定することはできない、と高をくくっているのであろう、と思う。
「鍵の問題です」
「──鍵?」
緒方慎司の言に、石山は首を傾げる。
「ここまでの議論では、より多くの可能性を考慮するということで、合鍵やピッキングについても触れてきました。しかし、実際にはどうでしょう。学校側に管理されている鍵を複製する、ピッキングの技術を身につける──どちらも不可能とまでは言いませんが、現実性が高いとも思えません。一番簡単なのは──正規の鍵で扉を開くことです」
そう──そもそも、泥棒を生業とするようなものが侵入して、高価なものが盗まれたというような事件ではないのであるからして、そのような可能性は排除してもよいと言えよう。
「五限目の授業前、更衣室にビデオカメラはなかった。五限目、もしくは六限目の授業中、誰かが無人の更衣室に忍び込み、ビデオカメラを設置する。そして、その誰かは放課後になるまでビデオカメラを回収することができなかった」
緒方慎司は確認するように告げて、石山に問う。
「五限目、更衣室の鍵を持っていたのは誰ですか?」
「──私よ」
そう──五限目は、一年八組の体育の授業であり、その担当は石山である。
「更衣室の戸締りを終えた体育委員から預かったわ。基本的に鍵の管理は教師がやるものですからね」
それが何か問題でも、と石山は余裕で答える。
「先生は、五限目に授業を抜け出しましたか?」
「一度──トイレに行ったわ」
緒方慎司の問いに、石山は少し言いにくそうに答える。
「六限目は何をしていましたか?」
「グラウンドで授業よ」
「掃除時間は?」
「担当クラスの掃除の監督」
続く緒方慎司の問いに、石山の声は次第に苛立ち始める。
「放課後は、職員会議だったそうですね」
「そうよ!」
石山は、だから何、と食ってかからんばかりの勢いで吐き捨てる。これは失礼、と慇懃に詫びる緒方慎司に、石山の神経はさらに逆なでされる。
「五限目の授業中、鍵を得た先生は、トイレに行くと偽って更衣室へと向かう。正規の鍵で扉を開き、あらかじめ用意していたビデオカメラを設置する。放課後、早い段階でビデオカメラを回収するつもりが、臨時の職員会議で足止めをされる──辻褄はあいますよね?」
緒方慎司の推理に、石山は聞くに堪えないとでもいうようにかぶりを振る。
「鍵を持っていた人間が疑わしいというのなら、六限目の授業を担当した橋口先生だって疑わしいことになるでしょう。それに、鍵は一つだけじゃない。用務員室にだって置いてあったはずよ」
「確かに、橋口先生は女子生徒にも評判の悪い好色な先生のようですがね──六限目の授業中、橋口先生は席を外してはいませんよ」
緒方慎司の言葉に、六限目の授業を受けた嶺岸由希子が大きく頷く。
「加えて、橋口先生は放課後に更衣室の鍵の借り出しにきた大友さんに、素直に鍵を貸し出しています。彼が犯人だったのなら、職員会議中だから明日にしろ、くらいのことは言ってもいいと思いますがね」
緒方慎司は橋口先生を弁護してみせる。
エロ橋口──もしかすると、石山はそのあだ名を知っていて、彼に罪をなすりつけようとしているのであろうか。彼女の人間性を知った今ならば、あながち考えすぎとも思えない。
「用務員室の鍵にしても同じです。用務員の管理している鍵を使えるものは、用務員しかいません。そして用務員が犯人であるのなら、外部犯の仮定と同様に、いつでもビデオカメラを回収できたはずです」
緒方慎司はそう続けて──石山はタイミングを見計らっていたのであろう、そこで待ったをかける。
「あなたの主張は、すべてあなたの主観にもとづいているだけじゃない。可能性は低いとしても、他の人が犯人の可能性だってあるはずなのに、それらを主観で勝手に切り捨てて、私が犯人だと言いたてる。笑わせるわ」
石山の反論は正しい──しかし、その反論を封じ込めるだけのものが、こちらにはある。
「犯人の候補を先生に絞り込んだのは確かに俺の主観ですが──こちらには重要な証人がいるんです」
「──証人?」
そこで初めて、石山に焦りの色が見える。
「ところで、その証人をお呼びする前に、一つお尋ねしてもよろしいですか?」
緒方慎司は、不意に話題を変えて──石山は戸惑いの表情を浮かべる。
「先ほどの議論の中で、なぜビデオテープがなくなっているという事実について、言及しなかったんですか?」
緒方慎司のその問いに、石山は返答に詰まる。
「犯人はビデオテープを持ち去ったのであり、ビデオカメラ入りの鞄が残っていたからといって、特定の人間の犯行を否定する材料にはならない。そういう反論だって、できなくはなかったはずですよね?」
緒方慎司は意地の悪そうな顔で続ける。
「そんなこと──ビデオテープを抜き取ることができたのなら、鞄ごと持っていくことだってできたはずでしょう。犯人がビデオテープだけを持ち去ったところで、何のメリットもないじゃない。そんな可能性、考えるだけナンセンスよ」
「だから、ビデオテープがなくなっていることに関しては、指摘することさえなかった、と?」
「そうよ」
「俺もそう思います」
「──え?」
不意に緒方慎司に同意を示されて、石山は驚きの声をあげる。
「なくなったビデオテープ。犯人が持ち去ったわけではない。では、ビデオテープを持ち去ったのは誰なのか? そもそも、なぜビデオテープのみを持ち去ったのか? ビデオカメラごと、いや鞄ごと持っていくことだってできたはずなのに。あえてビデオテープのみを抜き取った。何のために? 鞄ごと持っていくことと、ビデオテープのみを持っていくこと。両者の間で何が違う?」
緒方慎司は、疑問をまくしたてる。
「鞄ごと持っていけば──ビデオカメラが発見されなければ、盗撮が行われたという事実さえ消えてしまう。ビデオテープを抜き取った人間がビデオカメラを残したのは、盗撮が行われたという事実を残すため。そして、それを知らしめるため。ビデオテープを抜き取るという行為で最も被害を受けるのは、その犯行を白日のもとにさらされ、かつビデオテープさえ手に入らない──犯人に他ならない。ビデオテープを抜き取った人間には、犯人に対する明確な悪意がある。彼女は、犯人が誰なのか、知っていたに違いない」
「──彼女?」
言葉尻をとらえた石山の疑問の声に、緒方慎司は小さく笑顔を返す。
「嶺岸」
緒方慎司が声をかけると、嶺岸由希子は、待ってました、とばかりに、小走りで部室の隅に駆けて──暗幕に囲まれた暗室のカーテンレールを、勢いよく鳴らす。
「大友──さん?」
石山は初めて動揺をあらわにする。
暗室から、大友久美子が歩み出る。緊張からくるものか、彼女の身体は固く、その歩みは遅々として進まない。
「あなたまで──私が犯人だって言うの?」
信じられない、と首を振りながら石山が訴える。その様を目にして、大友久美子の足が止まり──冷たい視線が石山を射抜く。
「あなたまで、という言い方は正しくありません。私が証言したんです。あなたが犯人だって」
「──どうして?」
「鞄です」
大友久美子は短く告げる。
「九月に先生が没収した鞄──あれは、私が姉からもらったものなんです」
彼女は、涙の滲んだ瞳で、石山を見すえる。
「女子バレー部の部長だった姉が、三年間使い続けた鞄──ところどころに、一緒にインターハイを目指した部員の落書きがあって、まるでチームの象徴みたいで、本当にうらやましかった。だから、卒業した姉に鞄を譲ってもらえた時は、本当にうれしかったんです」
大友久美子は、懐かしむように宙を見る。
「でも、その落書きは、先生にとっては不真面目なものに映ったんでしょうね。鞄はすぐに没収されました。事情を話しても聞く耳を持たない。新しいものを買うように、と指導されました」
石山は、自らに従わない生徒には厳しい。彼女は、そちら側に分類されてしまって、姉の大切な鞄を返してはもらえなかったのであろう、と思う。
「女子更衣室で鞄をみつけた時は、本当に驚きました。盗撮に使用された鞄は、姉からもらったものでした。落書きはほとんど消されていました。でも、かすかに残った文字が、それが姉の鞄の成れの果てなのだと教えてくれました」
大友久美子の握り締めた拳が震える。
「──許せなかった」
彼女はしぼり出すように続ける。
「盗撮されたことなんて、どうでもよかった。姉の鞄を、そんなことのために使われたのが、何よりも許せなかった」
言って、彼女は唇を噛みしめる。怒りのあまりであろう、唇には薄く血が滲んでいる。
「どうすれば犯人を苦しめることができるか、必死に考えて、ビデオテープを抜き取りました」
ビデオテープを抜き取ったのは──大友久美子である。その可能性が高いということに思い至ったところで、僕らは疑問にぶち当たる。その理由がわからない。そんなことをする合理的な理由がない。それならば──いっそ本人に聞いてしまえ、と彼女に問い質したことで、事件の全貌が明らかになったというわけである。
「報告のために職員室に戻った時、最初に声をかけてきたのは石山先生でした。入口から遠い席に座っているのに、不自然に私のところに近づいてきました。その様子を見て確信しました。ああ、石山先生が犯人なんだって」
大友久美子は、石山を先生と呼びながらも、決して教師に向けることはないであろう蔑んだ目で見る。
「最初は、石山先生にビデオテープを突きつけるつもりでした。くだらない理由で姉の思い出を消したことを責めたてるつもりでした。でも、ビデオテープが抜き取られていることに気づいた先生の顔を見て、考えが変わりました。先生の青ざめた顔は、私の嗜虐心を満たしてくれました。ビデオテープが私の手にあるかぎり、私は石山先生よりも優位に立てる。盗撮事件のことが公になればなるほど、先生は脅える。姉の鞄の弔いだと思いました。盗撮事件のことがより広まるように、友達に率先して話しました。先生の進退を私が握っている。それは心地よい感覚でした」
大友久美子は、自らの発言に陶酔するかのように、ほう、と息を吐き出す。頬は紅潮して、瞳は怒りに潤んで──そして、それを恥じるように、やがて瞳は後悔の色に染まる。
「でも──事件の波紋は思わぬ方向に広がりました。風紀委員が腕章をかざして校内を歩きまわる、写真部の活動にも迷惑をかける、女子生徒の不安を煽る。気づいた時には大騒ぎになっていました」
「そこで──俺が相談を受けましてね」
と──緒方慎司が割って入る。実態は異なるのだが、それは置いておく。
「校内の混乱をおさめたいという大友さんの申し出で、この場を取り持ったわけです」
そう話をまとめる緒方慎司に、石山は罪を認めるかのようにうなだれる。鞄は捨てた、その後で誰かが拾ったのであろう、などと抗弁することもできなくはないのであるが、そこまで往生際は悪くないようである。
「自首してください」
緒方慎司は冷たく言い放つ。
「女子生徒を盗撮するなんて輩は、もう教師じゃない──いや、そもそも、あなたは教師の本分すらまっとうできていない。こんなことをしでかす前に辞めるべきだったんですよ」
緒方慎司の辛辣な刃は、石山の良心にちゃんと届いているであろうか。
「あ、最後にもう一つ」
緒方慎司は、打って変わって笑顔になって続ける。
「大友さんの鞄、返してあげてください」




