2 緒方慎司の話(1)
松原高等学校は戒厳令下にあった。生徒の自主性に任せた校風は一変し、今や休み時間のたびに、生徒会直属の風紀委員が廊下を闊歩しているのである。
「生徒会直属じゃない風紀委員会なんてありませんよ」
うるさい。
休み時間だけではない──放課後、部活動の時間になっても、見まわりが止むことはなかった。窓から見下ろす校庭に彼らの威容をみつけるたびに、俺は脅えて隠れる羽目になる。
「何をそんなにびくついてるんですか?」
本当にうるさい。
「まさか、本当に先輩がやったんじゃないでしょうね?」
「俺じゃないって!」
めずらしく口数の多い後輩を無視することができずに、思わず声を荒げてしまう。そんな俺の反応に、冗談ですよ、なんて軽く返しながら、俺以外の唯一の写真部員である嶺岸由希子は、小憎らしい面で腕時計に目を落とす。
そもそもの発端は、体育館の女子更衣室から、ビデオカメラが見つかったことだった。放課後に忘れ物を取りに戻った女子生徒が発見したのだという。更衣室の棚に自分の忘れたタオル以外にも鞄が残っており、おかしいと思った彼女が中身を確認して、事が露見したというわけである。
彼女からの届け出を受けた教員が中身を確認したところ、ビデオカメラにはテープが入っていなかった。果たして、ビデオテープは最初から入っていなかったのか。それとも──誰かの手によって抜き取られたのか。
噂は瞬時に広まった。出所は件の女子生徒だった。噂が噂を呼んで、全校生徒の知るところとなる頃には──校内の疑いの目は、一気に写真部へと向かっていたというわけである。
「普段から盗撮まがいの写真ばかり撮ってるからですよ」
「盗撮じゃない!」
力説する俺に、どうだか、と返す嶺岸。先輩を敬うという姿勢は皆無である。
「いつも許可も得ずに女子の写真ばかり撮ってるじゃないですか。陸上部とバスケットボール部の女子から苦情がきてましたよ」
「確かに──多くは許可を取っていないかもしれない」
というよりも、許可を取ったことなどなかった。
「でもな!」
と、同意を求めるように身を乗り出す。
「俺は、被写体がカメラを意識してる写真なんて、撮りたくないんだよ!」
俺の魂からの叫びもどこ吹く風、嶺岸は小指で耳をほじる。
「猥褻な写真なんて撮ってない! 芸術はいかがわしくない! 男ならわかるだろう!?」
「わかりませんよ、女なんですから」
小指の先に付着した粉状の耳垢を、ふっと吹きながら嶺岸が返す。
「性別の問題じゃない! 性別を越えたところにある男の部分だ! 女の中にもある男の部分の話だ!」
「意味がわかりませんよ」
俺の主張を一言で切り捨てながら、嶺岸は再び腕時計に目を落とす。
普段から横暴だとは思っていたが、今日のそれはいつもの比ではない。人目をはばかることなく、机の上に無造作に脚を放り投げて──そのふてぶてしさたるや、とても一年生のものとは思えない。
「先輩」
急に呼びかけられて、脚に目がいったことを見とがめられたのか、と身構えるが。
「そろそろですよ」
嶺岸は腕時計を指先でこつこつと叩きながら、意味のわからない言葉を続ける。
「何が?」
「風紀委員の立ち入り検査」
背中に冷たいものが吹き出す。
「聞いてないよ?」
「今、言いましたよ」
次の瞬間、俺は座っていた椅子から跳ね起きる。
部室の隅にある棚に無造作に放り込んでいた愛用のカメラを避けて──棚に並んだカメラ雑誌をなぎ倒して、その裏から何本かの秘蔵のフィルムケースを取り出して、ポケットに詰め込む。
「後ろめたいことでもあるんですかあ?」
背中から嶺岸の楽しそうな声が届く。言い返したいことは山ほどあるのだが、迫りくる風紀委員の足音が、それを許さない。廊下に面した窓から俺が飛び出るのと同時に、部室の扉が開いて、風紀委員がなだれ込む。
幸いなことに、部室の外に待機している風紀委員はいなかった。間抜けな話だ。俺が風紀委員ならば、部屋の前に何人か残しておいて、囲みを破られた場合に備えておいたであろうに。風紀委員の無能に感謝しながら、廊下を駆け出す。
写真部の部室は、倉庫として利用していた小さな教室を改装したもので、西校舎三階の奥まった場所に位置している。いつもは窓からグラウンドを見下ろしながら、これほど撮影に適した部室もあるまい、などと考えていたのであるが、いざ追われる身になってみると、これほど逃げにくい場所もない。外に出てしまえば、いくらでも好きなように逃げられるのであろうが、三階の窓から飛び降りるわけにもいかない。何とかして一階までたどり着かなければならないのである。
「逃げたぞ! まだ近くにいるはずだ! 追え!」
後にした部室から、風紀委員の怒鳴り声が届く。ぐずぐずしている暇はない。古びた板張りの廊下をきしませながら走り、突きあたりの階段を五段抜かしで飛び下りる。着地して顔をあげて。
「──ここまでやるか?」
思わず声が漏れる。
階段を降りた先、二年生の教室前の廊下は、机のバリケードで覆われていた。ご丁寧なことに、机は二段重ねられており、簡単には乗り越えられそうもない。先ほどの無能さとは打って変わって、逃がさない、という風紀委員の意気込みが伝わってくる。
「公権力までもが、俺を犯人扱いかよ」
愚痴がこぼれる。だが、ここで立ち止まるわけにはいかない。
三階の部室から二階の廊下までは一本道である。俺が部室から逃げ出した場合、必ずこの場所を通ることになる。それを理解した上で、この場所にバリケードを築くということは、この先には行ってほしくない──言い替えると、別の道に進んでもらいたい、ということになる。
罠──脳裏にその言葉が浮かぶ。別の道──すなわち、一階へと降りる階段、東校舎へと移る渡り廊下、そのどちらに進んでも、別働隊が待ち構えているのであろう。それぞれの道の先にある細い通路、そこで待ち伏せる屈強な風紀委員の姿が容易に思い浮かぶ。バリケードは人数不足を補うためのアイデアというところであろうか。
思案する間にも、階上からは追手の足音が近づいてくる。逃げ場はどこにもない。
「おい、どうだ。見つかったか?」
「こっちにはいません!」
風紀委員同士の確認しあう声が、かすかに届く。
「一階と東校舎の連中にも確認を取れ。お前らは念のためバリケードの向こうも確認してこい」
「はい!」
上級生の命令に下級生が素直に従う。先輩と後輩との関係は、常にこうありたいものである。
「──それにしても」
心中で愚痴をこぼす。
勢いで駆け込んだ掃除用具入れの中は、非常に狭かった。整理整頓がなされていれば、もう少し余裕もあったのかもしれないが、乱雑に放り込まれた掃除用具は無秩序に空間を浸食しており、一本だけ飛び出した短めの箒が脇腹をえぐる。
慣れない運動で噴き出した熱気が、密閉された空間に充満する。熱気は冬服にこもり、さらに不快感を煽る。
長時間の滞在は自殺行為である。扉の外の物音に耳を澄ます。
「──行った、かな?」
扉一枚隔てた向こう側では、バリケードに使用した机を撤去する音のみが響き、それ以外の音は聞こえてこない。幸いなことに、この掃除用具入れはバリケードの築かれた廊下からは死角になっている。
息を潜めて、そっと扉を開く。隙間から入り込む秋の外気は、雑巾のすえた臭いよりは、幾分か心地がよい。
「──よし」
周囲に誰もいないことを確認して、足音を殺しながら歩み始める。
先ほどの風紀委員の話からすると、やはり一階と東校舎には別働隊がいるようである。バリケードの方も、一部解体が進んでいるとはいえ、目の前に作業中の風紀委員がいるのでは駆け抜けることもできない。
残る選択肢は、一つしかなかった。




