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「とりあえず、オードリーとトールは勉強してて。勉強するにこしたことはないんだから」
言って、僕は一人、教室を出る。
先に述べたとおり、問題を盗むことは難しい。それならば、カンニングペーパーのようなものを仕込んでおいて、それで凌ぐという古典的な手段はどうか、とも思うのであるが──トールの不器用さであれば、カンニングペーパーから答えを探しているうちに、試験を監督する沼田に見つかってしまうに違いない──となると、僕の解答をトールに伝えるというのが、もっとも実現の可能性が高いように思える。あとは、どうやってそれを伝えるかという方法だけの問題である。それには──オードリーの発案が役に立つ。
僕はカンニングの算段をして、その準備に必要なもの、二つを思い浮かべる。そして、より重要なのはこちらであろう、と考えて──僕はまず職員室に向かう。
「失礼します」
告げて、職員室に足を踏み入れるや、教師の視線がいっせいにこちらに向き──そして散る。オードリーやトールでは、とてもこうはいくまい。あれらは、視線を集めるだけ集めて、さらには緊張を走らせるようなタイプの問題児である。その点、僕ときたら人畜無害──唯一の欠点は、オードリーの幼馴染であることくらいなのであるからして、職員室を訪れるには最適の人材と言えよう。
僕は、何用か、といぶかしげな視線を向ける教員たちの間を縫うようにして、職員室の奥の沼田の席を目指す。沼田の肥満体は、遠くからでもよく目立つ。
「沼田先生」
「──宮川、どうした?」
僕の神妙な声に、沼田はいぶかしげな顔で汗をぬぐう。もう十月だというのに、沼田は半袖である。
沼田は──沼田先生は、筆記試験をこよなく愛する、肥満教師である。あまりにも小テストが多いことと、そのあふれ出る汗の臭いから、生徒から好かれているとはお世辞にも言えない。
「ちょっと無理なお願いかもしれないんですが──」
言いながら、僕は前屈みになり、沼田に顔を近づけて、声を潜める。
「追試のことで──」
そう続けると、沼田の顔が目に見えて曇る。
「確かに、お前の普段の成績からすれば、追試は不本意かもしれんが──」
沼田は、僕が追試をまぬがれようとしていると勘違いしたようで、懇々と諭し始めるのであるが──僕の本意はそこにはない。
「いいえ、そういうことではなく──追試の日程をずらしていただけないかと思いまして」
「──何か理由があるのか?」
沼田は、僕が言うからには、と問い返す。
「実は、僕は演劇部なんですが、次の舞台のオーディションと日程がかぶってしまって──」
「それで、日程をずらしてほしい──と?」
嘘である──そんなオーディションなど存在しないのであるが、僕は神妙な顔で頷いて返す。沼田は思案するように宙を見る。
「まあ──それは運が悪かったと思って、あきらめてもらうしかない。それも罰のうちだからな」
沼田は、僕の懇願を、ばっさりと切り捨てる。ここまでは、沼田の人となりを理解しているゆえの、想定どおりの問答である。
「それでは──せめて、追試の解答を終えたら、早期の退出を認めてもらえないでしょうか」
こちらが本命である。トールが追試の最中であっても、僕は教室を出ることができる──その状況をつくりたいのである。
「まあ、そのくらいなら──」
沼田は、生徒の望みを無碍に切り捨てたという負い目からか、続く願いは驚くほどあっさりと認めてくれる。交渉術とは、かくありたいものである。
「部長、お願いが──」
「断る」
演劇部の部室──僕の懇願を、机に脚を放り投げて目をつぶる部長、堂島桜子は一言で切り捨てる。
「見ればわかるだろう。今、次回作の構想を練ってるんだ」
はた目には居眠りしているようにしか見えないのであるが──実際のところ、部長は次の公演の案を練っているのである。
文化祭の新説白雪姫の評判が思いのほかよかったために、柄にもなく次回作へのプレッシャーを感じているようで、部長は終始ピリピリしており、それを察した部員たちは自主練に出払っているため──だいたいにおいて、僕がその矢面に立つことになる。
「まあまあ、大事なことなんだ。ちょっとだけでも話を聞いてよ」
僕の再びの懇願に、部長は渋々と言った様子で、薄目を開く。
「今度、僕とオードリーの追試があるんだけど──」
僕は、追試についての詳細を語り──そのとき、演劇部の部員を借りたいことを話す。
「部員を借りて──どうするんだ?」
「──発声練習」
僕の顔と声音で、何かよからぬことをたくらんでいることを察したのであろう、部長は眉をひそめる。
「オードリーの発案かあ? そんなことしなくても、お前なら追試くらい問題ないだろ」
「トールも追試を受けるんだ」
僕の言に、部長は続く言葉を詰まらせる。
「──トールかあ」
部長はしみじみとつぶやく。
トールは、留年する前は、部長の級友であったのだという。彼が過去に起こした事件が原因で停学、そして留年となる時、クラスメイトたちは学校側に激しく抗議したと聞いている。その先鋒に立ったのが、部長──桜子だったとも。
「あいつ、いいやつだろ」
「──うん」
部長は、かつてのトールとの日々──きっと馬鹿げた日々を思い起こしているのであろう、彼女にしてはめずらしく、くすり、と思い出し笑いをする。
「仕方ねえなあ。今回だけだからな」
部長はそう言って、僕の願いを聞き入れてくれる。それがカンニングの片棒を担ぐことくらい、わかっているであろうに──僕は部長の不器用な優しさに感謝する。




