第15話 献杯
食卓には色とりどりの料理が配膳されている。そのどれもが、サイゼラ村では見たこともないものばかりだ。また、料理を彩る器も、その色彩から造形まで、カイルの知るそれとは大きく異なる。
盛大な歓待だ。件の薬師やスポア村長、そして体調の回復した村長の娘も、一同に会している。
西の海では、ポルムと呼ばれる変わった魚が取れる。その醜い姿からスポア村では悪魔の魚と呼ばれ、信心深い村人たちは口にすることはおろかその姿を目の当たりにすることさえ忌避した。
そんなスポア村にあってしかし、どういった塩梅かこの娘ーメグ・スポアは、迷信にとらわれぬ実に好奇心豊かな気性であった。その好奇心は専ら、食に対して強く発揮され、16になる今では、比較的ふくふくとした、実に愛くるしい風貌を呈している。
メグ・スポアはだから、誰もが忌避するポルムの味を知りたがった。
出入りの商人に頼みこみ密かにこれを手に入れ、存外美味なポルム料理に舌鼓を打ったまでは良かった。しかしこの魚は、穏やかな西の海で身を守るため、その肝には毒を宿していた。村の薬師もまさか彼女が悪魔の魚を食したなどとは思いもせず、効果的な治療が施せなかったわけだ。
騒ぎを聞き付けやって来たのが、たまたまこの村に立ち寄っていた魔女、もといリーン・コーラルであった。
娘から事の顛末を聞いた村長は急ぎリーンの元へ参じ、このような宴の席を設けたのだ。スポア村は商いの町である。娘の恩人を無下に放逐したとあっては、村の信用に関わる。信用なくして商売は成り立たない。
「我々は信仰を大切にするが、決して恩知らずではない」
そう言った村長の、ある種是々非々な姿勢に、カイルは奇妙な好感を覚えた。
それにしても、薬師の男の態度の変化には驚いた。自分より二回りも年下の女性に何度も頭を下げる姿は、先ほどまで彼女を仇のように罵倒していた人物とは思えない。
これはひとえに、メグ・スポアの人柄によるところが大きい。
「魔女さんは私の名誉を慮って下さったのですわ」
なるほど確かに、醜悪な下魚を食らって毒にあたったなどと、決して世間体の良いものではない。
メグはこう言ってリーンの思慮深さを説き、重ねて感謝を示した。その上で、目の前でしょげている薬師に向けて、こうも話したという。
「あなたに助けられたことは100や200ではないでしょう?ただの一度、他の方から手助けを受けたからといって、あなたへの感謝は曇りませんよ?」
このような騒ぎが100も200もあったのかと思うと、さすがのカイルも呆れたが、そんな言葉と共に陽だまりのような笑顔を向けられては、薬師の男も素直に非を認めるよりほかなかったようだ。
「いやはや、それにしても、リーン殿の慧眼と思慮深さには恐れ入りました。図々しいとは思いますが、お嬢様に処方した先ほどの薬湯、よろしければ私にもご教授願えませんか?」
「いえ、私はたまたま、あの症状に覚えがあったというだけで、大したことはしていませんよ。この村のお役に立てるなら喜んでお教えします。実はあの薬湯は…」
「なんと!ポルムの毒を下す薬にポルムの肝を用いるのですか!?これは容易には思いつかない…」
「強すぎる薬が毒になるように、毒も薄めれば薬になるんです。ただその抽出方法には手順がありまして…」
リーン・コーラルと薬師の男は、カイルなどにはさっぱり理解できない話題で大いに盛り上がっている。酒でもたらふく嗜んだような饒舌ぶりだが、二人とも一口含んだ程度だ。
薬師の男は10年前、未知の流行り病で妻と幼い娘を失ったという。以来、メグを実の娘のように慈しみ育ててきた。多忙な村長に代わり、時には父親のような役割も果たしただろう。メグの存在こそが彼の生きる意味であり、メグを守ることこそが使命と信じていた。強すぎる情愛がその心を曇らせたとして、一体誰が責められるだろうか。
そして、そんな彼の心の曇りを拭い去ったのもまた、メグであったのだ。
この世界には実に、様々な人生が息づいている。彼らを悉く殴り倒してしまわなくて良かったと、カイルは密かに反省した。
「セシエル、お前はどうしてあの子が魚の毒を食ったと分かったんだ?」
一連の騒動を納めた一番の功労者はセシエルだ。村長は、恩人の恩人としてカイルとセシエルも是非にと宴に招いた。セシエルはその巨体ゆえ、酒宴の輪の外に腰を下ろしているが、村人たちからは遠慮のない好奇の視線が注がれている。
「そうだな、サイゼラ村の近くでは見かけないかも知れないが、ある種の獣は毒の魚を好んで食う。他の獣が見向きもせぬ魚を餌とすることで、森の世界を生き延びるわけだな。そのような獣は生まれながらに毒に耐性があるようだ。あの娘の体から、毒を食らう獣と似たような臭いがしたのだ」
酒も回り、人々の興味は次第に、少年と獣の神という風変わりな客人へと移っていった。初めは恐る恐る、そして間もなく矢継ぎ早に、村人たちは二人の来し方を聞きたがった。
ぽつりぽつりと、カイルは答えた。
彼の半生はとてつもなく壮絶で、時にひどく悲劇的であったが、まるで口伝えのおとぎ話でも語るかのようなカイルの口調は、どこか達観していた。
村長といくたりかの村人は、カイルの父、ダグラス・コストナーのことを良く知っていた。
「彼はとても気持ちのいい男だった」とは、村長の言だ。
「ダグは決して必要以上の対価は受け取らなかった。彼と取引をして我々が得をすることはあっても、損をすることは一度もなかった。子供たちに抱え切れないほどの土産話ができたと、いつも嬉しそうに帰って行ったものだ。商いにおいて何よりも大切な信頼が、彼との間にはあった」
村長はそう言って、ダグラス・コストナーの死を悼んだ。
かつてダグラスに銀龍魚を譲ったという漁師もいた。かなりの高齢に見えるが、実に精悍な老爺だ。
「俺だって本当は幻の魚を他人に譲る気なんてなかったさ。だけども、あのダグラスさんにあそこまで熱心に頼まれちゃあ、断れないじゃねぇか。そうか、お前さんに食わせたかったんだな。なに?不味かった?ハッハッハッ、これは傑作だ!ダグラスさんはそんな不味い魚と引き換えに、高価な薬を山ほどくれたのか!」
村人たちから口々に語られる想い出話に、思いがけず父の足跡を知ることができて、カイルは胸が熱くなるのを感じた。
「ダグに…」
誰からともなく、村人たちは静かに、夜空に盃を掲げた。




