第12話 ゾーヤ
「神の血とは凄まじいものだな」
セシエルと並んで歩きながら、カイルは感心しきりだ。旅立つカイルにとっても、サイゼラ村が魔獣から守られるのであれば、これ以上のことはない。
「なにせ私は獣の神だからな。獣たちは私の匂いを畏れるし、ましてや血の匂いなどすれば決して近付きはしない。そのように生まれ落ちたのだからどうしようもない」
二人は、ミルボの森とキジークの海に挟まれた海道を西へと歩いている。セシエルと共にある限りは、ミルボの中を北へ突っ切ろうと何の憂いもないのだが、カイルが父の辿った道を歩きたがった。
「冗長なことだ」とセシエルはごちたが、すんなりと夫の希望を聞き入れたのだった。
「それにしても、俺とセシエルが共にある限り血の結界が有効というのは、一体どういうカラクリなんだ?」
カイルはほんの少し疑問に思ったことを聞いてみた。
獣の神はいたずらっぽく笑う。
「あれは嘘だ」
口を開けたまま言葉が出ないカイルに向けて、セシエルは続けてこう言った。
「私とお前が共にあろうが離れていようが関係ない。私の血の結界は100年や200年では消えはせぬよ。その頃にはカイル、お前は私の腹の中だろうがな」
何と優しい嘘なのだろうと、少年は思った。神の心は人の身では量りきれない。しかしカイルは、この異形の神をますます好きになった。
好きになったついでに、もう一つ聞いてみた。実際のところはさして聞く必要もなかったが、心が軽やかになった少年は戯れに聞いたのだ。
「さて、俺がセシエルの腹に収まるのはいつ頃になるだろうかな?」
セシエルはまたも、いたずらっぽく問い返す。
「なんだ?今になって命が惜しくなったか?」
残酷なようでいて、実に愉快なやり取りだ。
「もちろん惜しいさ!せっかくこうしてセシエルと夫婦になれたんだ。一刻でも長く共に生きたいし、一つでも多くセシエルのことを知りたい」
カイルはおかしなほどに饒舌だ。浮かれていると言っても良い。
「ふふ…、おかしいな。人とはもっと複雑な会話を嗜むものと思っていたが、カイル、お前はよくも恥ずかしげもなく心の姿をさらけ出せるものよ」
愉快そうに笑って、セシエルは答えた。
「永の命を生きる私にとって、人の一生など瞬きする間の出来事に過ぎんよ」
カイルは満面の笑みで言葉を返す。
「うん、知ってた」
嬉しそうな少年の顔が気に障ったらしく、セシエルは尾の先で少年の頭をはたいてやった。
そんな風にして二人が歩き始めて、しばらく経った頃だ。行く手に、ミルボの森から一頭の魔獣が現れた。
その姿は馬と似通っており、しかし馬よりはるかに巨躯であり、額からは一本の角が生えている。青く美しい毛並みが陽光を弾き、その佇まいは神々しくさえある。
"青毛"とカイルが呼んだ一角の魔獣である。
魔獣はセシエルの匂いを畏れ近寄らないのではなかったか、とカイルは思ったが、口には出さなかった。夫の心中を察してか、セシエルが言うにはこういうことだ。
「あれは聡い獣だ。聡い獣は無闇に人を襲うこともないし、無闇に神を忌避することもない。しかしこれは…」
"青毛"は静かに頭を垂れながら二人に近付く。害意は全く感じられない。毛色よりも澄んだ青い瞳でカイルを見据えると、小さく嘶いた。
「…どうやら"彼女"は、我らに同行したいようだぞ」
不思議なことにカイルにも、なんとはなしに"青毛"の意思は伝わった。それはこれまで、ミルボの森で何度か出会った頃からそうだった。
カイルは何の迷いもなく、これを応諾した。青毛の魔獣は心なしか軽やかな足取りでカイルに駆け寄る。
「…ほぅ、神の男に色目を使うとは…、豪気なことだな」
「ヒ、ヒヒンッ!?」
何だか憐れを誘う悲鳴を上げる魔獣の姿が、妙におかしかった。
「うん?そうか、お前が望むのなら、それも良かろう」
セシエルはさらに、青毛の魔獣と何やら会話をしているようだ。
「"彼女"はカイル、お前に名を付けて欲しいそうだ」
元来獣に人の名など必要ない。彼らは彼らの理の中で、それぞれを認識しているのだから。人の名を望むということはすなわち、人と共に生きるという決意の表れだ。
「…ゾーヤ」
暫く考えてからカイルは答えた。
「その名の意味は?と聞いている」
セシエルが通訳してくれた。
カイルは、ゾーヤと名付けた魔獣の美しい体にそっと触れながら、こう答えた。
「母の名だ」




