26:アリシアの辿りついた場所
もうこれでしばらくは故郷に戻ってはこれないだろう。
そんな思いが、アリシアの足を外に向けていた。思い出深い地を巡る。
早咲きの薔薇の茂みにたどり着いた時、彼女はかつてここにライアンと来たことを思い出した。花どころか蕾もまだつけておらず、若々しい葉が茂っていた。
この薔薇が咲き誇るまで、ここにはいられない。
それでもその風景を焼き付け、さて、レインバード邸に戻ろうとした彼女に目に、真っ直ぐにこちらに向かってくるライアンの姿が入る。
これまでのように散歩の途中に偶然居合わせた風はかなぐり捨てたライアンに、アリシアは避けることも逃げることも出来ずに彼を待った。
「ミス・クロウ。お話があります」
「な……なんでしょうか?」
真剣な顔つきにアリシアは圧倒される。
「私は結婚することにしました」
「今、なんと?」
「結婚することにしたのですよ、ミス・クロウ」
一番、聞きたくなかった言葉にアリシアは俄かに気が遠くなった。
「……! ミス・クロウ!?」
ふらついて倒れそうになったアリシアをライアンは咄嗟に支えた。
「大丈夫ですか?」
「いいえ……いいえ、ミスター・ソーン。
私、今にも死んでしまいそうですわ。あなたが、私を殺すんです。あなたはやはり私の『死神』でした」
気が動転したアリシアは顔を覆ってライアンを責めた。ライアンには身の覚えないない批判だ。なにしろアリシアは彼が好きなことを押し殺し、ひたすら隠し通していたのに、いきなり非難される由縁はない。
「なぜそんなにも嘆き悲しむのですか? 私が結婚するのがそんなにもお嫌ですか?
あなたには喜んで受け入れて欲しいのです」
ライアンはあくまで穏やかにアリシアに言った。アリシアも心の動揺を必死に宥める。
「申し訳ありません。お祝い申し上げますわ」
毅然と顔を上げてアリシアは微笑んでさえ見せた。
「誰と結婚するか、知りたくはないのですね」
「……私はもうすぐここを離れる身の上です。もう、関係のないことです」
俯くと涙がこぼれそうになるので、アリシアは顔を上げ続ける。
「そのことですが、『約束』の件、ユージェニーから聞きました」
本当はユージェニーはまったく覚えておらず、側で聞いていたルシアから教えてもらったのだが、この時点でそのことまで話している余裕はなかった。
現に、アリシアは動揺し、ライアンの側から飛びのいた。顔が真っ赤になっている。
「あなたは確かに、ユージェニーとの約束を破ったようですね」
ライアンはにやりと笑った。
「ひどい……」
「ええ、私はひどい人間です。卑怯者なのです。あなたがそう詰ったように。
しかし私から言わせると卑怯者はあなたの方ですね、ミス・クロウ。
このまま私の元から去ろうなどと、卑怯者のすることですよ」
「そ……それは……」
アリシアはしどろもどろになった。
追いつめれた子兎のようだとライアンは微笑む。可哀そうではあるが、このまま逃がしはしない。彼は断固たる決意でもってアリシアの前に立っていた。アリシアから「諾」の言葉を貰わない限り、一歩も引くつもりはなかった。
「それでも私はあなたを愛しています。
ええ、ミス・アリシア・クロウ。私は結婚することにしました。あなたとね」
ライアンの求婚にアリシアは後ずさったが、例の早咲きの薔薇の茂みに阻まれてしまった。
「どうか今度こそ、私の気持ちを受け取って下さい」
ついにライアンはアリシアに再び跪いた。
しかしここにきて、ライアンは一気に不安に襲われる。拒まれるのが怖くて頭を上げられない。
アリシアは俯いたままのライアンの後頭部をじっと見つめた。
決断を、しなければならなかった。今度こそ、正しい選択を。
けれどもアリシアは何も考えられなかった。ただ、手を差し伸べた。
視線が地面に向いているライアンはそれにすぐに気がつくことはなきなかった。そこでアリシアも膝を折った。
「ミス・クロウ?」
アリシアは胸がいっぱいになっていた。頭に浮かぶことは、とにかく彼と一緒になりたい、それだけだ。
「ミス・アンダーソンに許してもらわないといけないのですが、それに母や兄にも相談を……あの、でも、私……私、どんなに反対されても、後悔することになっても、私もあなたと結婚したいです」
「後悔はさせません。
あの……つまり、私と結婚してくれるのですね?」
信じられないライアンは恐る恐る確認した。
二度目の返事も間違いなく「はい」だった。
喜びのあまりライアンはアリシアを力いっぱい抱きしめた。それから言った。
「ユージェニーはあの約束のことはすっかり忘れてしまっていますよ。それよりもあなたと離れるのが嫌だそうです。
……ああ、でも、あなたは私と一緒にブルーム邸に来るのです。
だから結局はユージェニーの家庭教師は辞めなければいけませんね。
それは勿論、歓迎しますよ。どうぞ、お辞めになって下さい。
今日ここで、あなたを解雇します」
ライアンに笑顔で頸になったアリシアはさすがに苦笑した。
「ご不満ですか?」
「だって、私、ちょっとは家庭教師として役に立っていると思っていましたのに、そんな風に言われると、なんだか自信をなくしていまいます」
「やれやれ、あなたはやはり卑怯な方だ」
「え……」
「あなたはユージェニーにとって素晴らしい先生でしたよ。メアリーとユージェニーはさぞやがっかりするでしょうね。
……そう言って欲しいのでしょう?」
アリシアは恥ずかしくなった。
「そんな顔をなさらないで下さい。
それもまた本心です。
今度はどうかブルーム邸の素晴らしい女主人になって下さい」
「……はい……約束します」
「約束!?」
ライアンが大きな声をあげたので、アリシアはびっくりした。ライアンの顔がますます嬉しそうに輝く。
「約束! そうですね、約束しましょう、ミス・クロウ。約束しましたよ」
彼女が約束に律義なことを知っているライアンはこれでもう確約を得たと踊りだしそうな気分になった。踊る……それもいいかもしれない。ここで、アリシアと踊るのだ。
そう提案しようとしたライアンにアリシアが言った。
「あ! そう言えば、約束を忘れていましたわ!」
「え? また何を約束していたのですか?」
驚くライアンにアリシアは悪戯っぽく笑う。
「ひどいですわ。忘れてしまったのね。ああ、伯父も姪もすぐに約束を忘れてしまうのですね」
ふくれっ面になったアリシアにライアンは請うように微笑む。
「早咲きの薔薇。
一緒に見る約束でしたわ」
「……そうでしたね。そうでした。今度こそ、必ず、ここに二人で戻ってきましょう」
「約束ですよ」
「はい。約束です」
二人は手を繋いでレインバード邸への道を歩いて戻った。
***
アリシア・クロウとライアン・ソーンの結婚を反対する人間は誰もいなかった。
レインバード邸のアリシア・クロウは、ブルーム邸のアリシア・ソーンになったが、兄夫婦の住むミドル州にはしょちゅう遊びに来た。
ヨアンとルシアもまた、無事に結婚することが出来たのだ。ルシアの持参金はなかなかの金額だったが、ヨアンはなるべくそれを頼ることなく、財政を立て直そうと奮闘した。土地のあがりは徐々に増え、いつか借財は返済されるだろう。ヨアンはまた、アリシアの母・アンナも自分の母親としてレインバード邸に呼び戻し、面倒をみることにした。はじめは渋ったアンナだったが、新しいヨアン夫婦とジョセフの熱心な誘いと、アリシアにも頻繁に会えることもあって、こちらもレインバード邸に戻ってきた。
ユージェニーもジョセフに会いに、レインバード邸にやって来たが、この幼い恋心が叶うかどうかは、まだ分からない。ともあれ、ジョセフは新しい母親にも慣れ、可愛い妹も出来て、愛情というものをたっぷり受け取り、また与えられることが出来た。
アリシアは毎年、必ず、早咲きの薔薇が咲く季節にはライアンに連れられてレインバード邸に滞在した。 ライアンは律義にアリシアとの約束を守ろうとしたのだ。
過去を払拭して、良き伴侶を得たライアンは明るく前向きな性格になり、『死神』の噂も絶えた。
今、彼は自分の運命に満足し幸せだったし、アリシアも幸せだった。




