24:冬来りなば、春遠からじ
キャロラインが去り、ヨアンが自己改革を始めたのを見て、ライアンはレインバード邸の借財を清算することに決めた。他人の家の財政状況に首を突っ込むのは本意ではないが、これはアリシアの為、そしてルシアの為であった。
彼はこれまでないがしろにされ続けていたレインバード邸の財産管理人を呼び、ヨアンを含めて話し合うことにした。同席者はアリシアとルシアだ。アリシアはレインバード邸の娘という義務と権利からライアンが出席を承知してもらったが、ルシアはそれらがないにもかかわらず、さも当然のように部屋にいた。
それから頼れる義弟・ウィリアム・アンダーソンが戻って来たので、彼にも加わってもらう。ウィリアムは妻子を残し、事務手続きなどをしに、ここしばらく自分の屋敷に帰っていたのだ。ライアンも本来ならば、そろそろアークライト州のブルーム邸に顔を出さなければならないのだが、ここで足止めを食らっていた。
その原因であるアリシア・クロウは不安そうだ。
「こちらの財政状況を教えて下さい」
ライアンの求めにヨアンはすぐに返事をしなかった。思案顔だ。
「お願いしたい気持ちはあるのですが……」
そう言ってルシアの方を見たが、つんとそっぽを向かれたしまった。
「どうすれば……」
「もう! 煮え切らない!
あなたが考えても仕方がないことって、世の中にはたくさんあるのよ。
これはその一つでしょう? あなたが決めるべきことはミスター・ジョーンズに任せるかどうかってこと!」
ルシアが耐えきれずに叫ぶ。
ようやく考えることに前向きになったヨアンにレインバード邸の財政はいきなり難問すぎる。これでまた気分が萎えてしまったら元も子もない。それに、素人が手を出してなんとかなる状況はとっくに過ぎているのだ。
「お兄さま、ミスター・ジョーンズは信用できると思います」
母・アンナがジョーンズを信頼して、よく相談していたのをアリシアは覚えていた。
ヨアンは頷き、ジョーンズは説明を始める。
結果として、レインバード邸の財政状況は大変、悪いことが分かった。悪いが、まだ手立てが無い訳ではないとのことだった。しかしながら王都のクロウ家の別宅は当然として、さらにレインバード邸の維持費を考えると、ここも手放すしかなさそうだ。それで得た資金と、残された土地のあがりで細々と返していけば、その内、借財は完済される可能性がある。
ジョーンズの話が終わった後、しばしの沈黙が訪れた。
口火を切ったのはライアンだった。
「レインバード邸を買わせていただきたいのですが」
「え?」
アリシアが信じられない思いでライアンを見る。一方、ルシアはその提案を気に入った。
「いいわね! 私、ミドル州がとても気に行ったわ。どこか適当な屋敷があればいいなとずっと思っていたの。ここならミスター・ブレイクの屋敷にも近いし、理想的だわ」
クロウ兄妹は他人とは言えないものの、思い出深い屋敷が人の手に渡ることに衝撃を受けていた。それしか方法がないのだ、仕方がない。そう言い聞かせようとした二人に、もう一つの提案がなされる。
「でも、ほら、私の性格からだとすぐに飽きちゃうかも」
ソーン家の我儘娘が意味ありげに首を傾げた。
「それではもったいないですね。ソーン家に資産があっても、これではいくらあっても足りませんよ」
ウィリアムが眉間に皺を寄せる。これまでにもルシアに振り回されて、彼はなんども居を移す手伝いをしていた。出来ればここに落ち着いて欲しい。
「借りる、という契約はありますか?」
ライアンの問いにジョーンズは難色を示した。出来れば一気に返済したい。
「どうしても立ち行かなくなったらそうしましょう。それまではこちらでこの屋敷をお借りします。
その代わり、土地からのあがりを増やす方向で考えたいのです。
見た所……失礼ですが、少し歩かせてもらいました。クロウ家の領地はまだまだ改良の余地があります。
土地を肥沃にすれば収穫も増えます」
「ミスター・ソーンはソーン家の領地をそうやって改革し、今ではかなりの収穫を得ています」
「……先代のミスター・ソーンが始めたことを受け継いだだけです」
その娘の燃え上がった瞳を前に、ライアンは項垂れながら訂正する。
ルシアはどれだけ転居しようとも、ブルーム邸にだけは未だ足を踏み入れていない。ライアンのものになった我が家で世話になるなど、彼女の自負心が許さなかったのだ。
「いずれにしろ、その方法をご存じで?」
ヨアンの瞳が期待に輝いていた。
「……それにはまず、もっとこちらの土地を知る必要があります。早速、いろいろ調べてみたいので……ご同行をお願いします」
「え……」
及び腰になったヨアンに、ルシアではなくライアンが押し込んだ。
「あなたの土地で、あなたの借金です。あなたが、なんとかするのです。忠告はしましょう。
ですが決めるのは、あくまでもあなたなのですよ」
兄の代わりにアリシアが大きく頷いた。
***
土地の視察は散歩と変わらないわよ、というルシアに励まされ、ヨアンはライアンとウィリアムと一緒に自分の領地を見て回った。まったく手の入っていない農地はミドル州の気候の良さがあっても貧弱だった。ウィリアムは「これは手の入れがいがありますね。もしも、上手くいったら収入は倍以上になります。これなら借金の返済も思ったよりも早く終わるかも」と安堵とやる気を見せた。
「小作人たちにも還元すべきだろう。これまでミスター・クロウは領主としての責務をまったく果たさず、彼らを貧困のままにした」
厳しい顔に厳しい意見を言うのはライアンだ。
ヨアンがあまり長く歩けないこともあって、視察は時間がかかったが、彼は根気強くそれに従った。
馬を使えば早いし、歩かなくて済むというウィリアムの提案には、ルシアが激しい拒絶を示した。
「駄目よ。馬なんて駄目!」
彼女の父の死因は落馬だった。
「あなたにもしものことがあったらどうするの? 絶対に、馬には乗らせない」
またもやヒステリーの発作を起こしそうなルシアに、ヨアンはびっくりした様子で言った。
「乗らないよ。だって、私は馬に乗ったことがないからね」
ぼんやりとした笑い顔にルシアは脱力した。いつもそうだ。ルシアが感情を昂ぶらせることも、彼には大したことがないのだ。だからルシアは自分の反応が過剰だったことに気が付いて落ち着くことが出来るのだ。
けれども今回の事は別だ。これは些細なことではないからだ。
「約束してね。馬には乗らないって」
「勿論だよ」
ヨアンは即答した。
男たちが視察に出ている間、アリシアとルシアはジョセフとユージェニーの面倒を見ていた。アリシアがすっかりレインバード邸に落ち着いてしまったので家庭教師の職を果たせないでいたのだ。そこで、ユージェニーがレインバード邸にくることになった。メアリーがそう決めた。なぜならば、ユージェニーはジョセフのいるレインバード邸では借りてきた猫のように大人しく、勉強に励むからだ。ミスター・ブレイクの昼間の安寧にも繋がる。
ユージェニーが学んでいる間、ジョセフはルシアから外国語を教わることになった。ユージェニーがアリシアになつくように、ジョセフもすっかりルシアを頼りにするようになった。
情の薄い両親の元に生まれた少年は、ルシアの過剰なまでの感情表現に戸惑いはしたものの、それを心地よく思った。
「ここはその内、私の家になるけど、ジョセフは遠慮なく遊びに来るといいわ!」
レインバード邸の賃貸契約は結ばれ、クロウ家父子は屋敷を出ることになった。行き先に迷った彼らに手を差し伸べたのは隣人のミスター・ブレイクだった。つまりはソーン家とクロウ家は滞在する家を取りかえる形になる。
ミスター・ブレイクにしてみれば、騒々しいルシアとユージェニーをレインバード邸に追いやれるのならば、大人しいクロウ家を引き受けるなど造作もないことだ。クロウ父子は格安でミスター・ブレイクの屋敷の一角に逗留出来ることになった。
土地を改良しなければならないヨアンにとっても、レインバード邸の近くに居を構えることは便利だったので、ミスター・ブレイクに頼ることを決めた。
ミドル州には秋が訪れていた。冬に閉ざされる前に春に向けての準備をしなくてはならない。
肥料や農具、灌漑工事に費用はかかったが、ジョーンズは「まぁ、前向きな借金ですからね。いざとなったら、農地ごと売り払えばいいでしょう」とある意味、力強い言葉を吐いた。
ライアンは率先してヨアンと共に農地を巡り、自身の経験と知識からくる様々な忠告をした。時には身体を動かしてもみせた。
それを見たアリシアはライアンへの尊敬と感謝の念を深くすることになる。彼はいじけるだけでなく、与えられた場所で最善の努力が出来る人だ。おまけに彼に苦渋を飲ませた男とその妹の為に、惜しみ無い尽力してくれる。
ドーソン夫人が「彼がソーン家の跡を継いだのは良いことだ」と褒めていたのを思い出し、同時に、その頃の自分の気持ちまで蘇ってきたように胸が高鳴ったが、当時のようにその感情を表に出そうなどとはしない。
冬の間も作付計画を練り、春にやるべき作業を確認し手順を決めるなどやることはたくさんあった。
それはクロウ家の土地だけでなく、他の家の土地にも言えることだった。アンダーソン家の分はウィリアムがすでに使用人たちに申しつけてあるのでそれ程、心配はないが、問題はソーン家である。
ライアンは身動きする余裕も、その気持ちも少なく、すっかりブルーム邸にはご無沙汰になっていた。ブルーム邸には優秀な使用人がいるし土地の改良も済んでいるとはいえ、しかし、彼の責務として、そろそろ帰るべきだろう。
「申し訳ありませんが、ブルーム邸に戻ることになりました。
ミスター・アンダーソンがいるので、農地改革の方は心配いりませんよ。彼はソーン家の土地の管理を手伝ってくれているので慣れたものです。
……王都の方にも用事がありますし、冬の間はこちらに帰ることはないでしょう。
ドーソン夫人たちにも会いますよ。ミス・クロウ、何か言伝があれば持って行きますので、どうぞご遠慮なく申しつけて下さい」
ライアンにそう言われたアリシアははっとした。彼の王都での用事とは、すなわち社交界に顔を出すことだということに気が付いたからだ。
考えてみれば当たり前のことなのに、アリシアはひどく気落ちした。
彼は誰と踊るのだろうか。マーサとは礼儀と立場上、必ず踊るだろうが、その他の女性とは踊るだろうか。そこで妻となる女性を見つけるだろうか。
「ミス・クロウ?」
思いもしない嫉妬に苦しめられることになったアリシアはライアンに「手紙を書きますので、届けて下さると嬉しいです」と言って、彼の前から逃げた。
ドーソン夫人とマーサへの手紙を書きながらも、ライアンを見送る時も、冬の間中、ルシアや残ったアンダーソン家の面々、兄と甥、ミスター・ブレイクなどと暖かい室内で談笑している時も、アリシアの胸中には常に、その思いが去来しては、彼女を苦しめた。
早く春が来て、彼に会いたい。このまま冬に閉ざされ、永遠にこのままでいたい。
アリシア・クロウはレインバード邸で、またもやライアンへの気持ちに苦しめられることになる。
その気持ちとは勿論、恋だ。
彼女は再び、ライアン・ソーンに恋をしてしまった。
今度の恋は以前のようにお気楽で根拠のない自信に裏付けられた楽しいものではなかった。ほぼ絶望的で敗れるのを待つだけの苦しいだけのものだった。
少なくとも、アリシアはそう思っていた。
ライアンからレインバード邸に手紙が届くたびに、緊張で身が固くなった。いつ、「婚約しました」という一文が出てくるのかと思うと、平静を保つのがやっとだった。
もしもアリシアの懸念が真実になっていたら、かつてのルシアのように胸が張り裂けて死んでしまいそうになっただろう。
そういう意味で、ライアン・ソーンはやはり彼女にとって『死神』だった。
一方で、ライアンもほぼ同じ思いを抱き、冬を過ごした。
彼はそれでも律儀にアリシアとの約束を守ろうとしたのだ。
自分はすぐにいなくなるからユージェニーの家庭教師になって欲しいと申し出て承諾してもらったのに、いつまでも去る気配を見せないのはいけないと思った。
レインバード邸は安全な場所と信じてもいた。
だが、どんな運命の悪戯で彼の大事なアリシアが他の男と出会うかしれない。
彼は運命というものを呪っていた。ライアンは自分の運命を信用していなかった。
春は、永遠に訪れないかもしれないとすら思った。




