20:嵐の中で叫ぶ
メアリーに頼まれた以上、アリシアはすぐに図書室を辞す訳にはいかなかった。しかし、ライアンがアリシアに打ち明け話をするかどうか確証はなかった。
仕方がないので残された本をめくっていると、ライアンが自分をじっと見ているのに気が付く。それはあたかもルシアがエドワードを見つめるが如くだ。
アリシアは頬を熱くなるのが分かった。
「あの……ミス・ソーンを怒らせてしまいました」
アリシアから言葉を掛けた。
「そうですか。ルシアは我儘です。元来、感情が激しい性質でしたが、それを助長させてしまいました。私の責任です。
私はどうしても彼女の願いを退けることが出来ないのです」
ライアンは項垂れる。
「ですが今回のことは別です。
ああ、ローズウッド邸にルシアを連れてこなければ良かった」
「聞いてもよろしいですか?」
「なんでも。あなたの質問ならばなんでも答えましょう。ミス・クロウ」
ふっと微笑んだライアンにアリシアは慌てて後ろを向く。
弱っているライアンは危険だ。彼女の情け心が刺激される。今にも駆け寄って、抱きしめたくなる。
「なぜこちらに? 元いた所も海沿いの保養地で、そこではミス・ソーンも落ち着いて過ごしていたと聞きました」
情報の主なものはユージェニーからだった。ユージェニーはルシアを訪ね、浜辺で遊び、釣りまでしたという。お転婆娘も満足な保養地だったようだ。
「それが……」
なんでも答えると言ったくせに、ライアンは口ごもる。
「どうもルシアにしつこく言い寄ってきた男がいたらしく。それでルシアはその土地ごと嫌気がさして、もう一日だって、ここに居たくないと言い出したのです。
そうなったらもう誰も彼女を止められません。
ルシアはローズウッド邸に目を付けました。
……あなたが私のブルーム邸を乗っ取ったのだから、私があなたのローズウッド邸をもらうわ、と」
「そうでしたか……」
本が置かれていない本棚では、視線はさまよってしまう。それでもアリシアは本棚の方を向き続けた。
「ちなみに、その言い寄ってきた男というのが何を隠そうサム・ブラックウェルなのです」
サム・ブラックウェルはルシア・ソーンに嫌われ、自尊心を傷つけられたままマーサ・ドーソンを攻略しようとして果たせず、その鬱屈した憎しみがアリシアに向けられたのだ。
「まぁ! なんてこと!」
ライアンはアリシアをこちらに向かせることに成功した。案の定、アリシアに不快なことを思い出させることになったのだが、この時のライアンはただ、アリシアの顔がみたくてたまらなかったのだ。その点だけ抜き出せば、彼の策略は成功した。
「そうです。彼です。
私は迂闊にもルシアが嫌がった男がいる場所に、彼女を連れてこようとしていたのです。
ルシアは男の名前を言いませんでした。彼女は自分が興味のない人間の名前はあまり覚えていないようで。
たまたまルシアと一緒にいた使用人が気が付いて、この間、教えてくれました。
あの男は知っていたでしょうね。私がルシアの兄だということを。まったく図太い性格をしていたものです。
が、さすがにルシアと鉢合わせするのは避けたかったのでしょうね。
奴が先に帰っていたこと、それに関しては感謝してもしたりません。ミセス・シルビア・ドーソンにもメアリーを通じて知らせてあります。マーサに奴が近づかないように、しっかりと見張ってくれることでしょう。ついでに他の令嬢方も。あのミセス・ドーソンならばやってくれます。
しかし、ルシアにとって、ここはやはり安住の場所ではなかった。まさかあのミスター・マーチンに……」
深いため息をついたライアンは途方に暮れた顔でアリシアを見上げた。
「私は一体どうすればいいのでしょう?」
「……お答えできませんわ。私には……あなたには何も……」
「お願いです。ミス・クロウ。なんでもかまいません。
私を罵る言葉でも、構わないのです。
何か……何か、私にあなたの言葉を下さいませんか?」
「いいえ。何も言葉はありません」
「ミス・クロウ!」
ライアンの懇願を、アリシアは受け付けなかった。それは頑なに、強硬に、絶対に何も言うまいという姿勢だった。
「なぜですか?」
「言うべき言葉がないからですわ。すみません。これで失礼を……」
アリシアは部屋を出る。これ以上、二人だけの空間に耐え切れなかったのだ。
彼女は約束を破りたくなかった。ユージェニーと約束したではないか。
決してライアン・ソーンに恋心を抱かないと。
***
アリシア・クロウが約束に拘泥する人間ならば、エドワード・マーチンは恩義を大事にする男。
ライアンはそう二人を評した。
その恩義を大事にするエドワードの本領がルシア相手にも発揮された。
ルシアはライアンに言いつけた。
この今にも風前の灯の命には牧師が必要だ、と。牧師を呼んできて欲しいと。
かくして誰も反対することが出来ないまま、エドワードはローズウッド邸にやってきた。
そこでどのような話し合いが行われたのかは誰にも分からなかったが、部屋から出て来たエドワードはどこかさっぱりしていた。反対にルシアは泣き崩れ、脅しではなく本当に命が消え去る寸前のように憔悴した。それが示す事実は明らかだった。
エドワードはきっぱりとルシアを退けたのだ。彼は愛情よりも恩義を取った。
師の恩義。そして、ここに迎え入れてくれたドーソン夫人への恩義。その二つを守るために、彼はルシアを捨てた。なぜならば、彼はルシアになんの恩もなかったからだ。むしろ、彼女の存在が恩人たちにとって害悪ならば、自分にとっても同じものだと判断する。そのせいで、彼女の命がどうなろうと、エドワードには関係のないことだった。エドワード・マーチンという男の精神構造は単純な作りをしていた。それが彼の名誉と評判だけは守ることになった。
「あなたは残酷な人だったわね。でもミセス・イブリン・マーチンは幸せ者だわ。彼女が裏切られることはないでしょう。いつかミスター・マーチンの命を救う恩人でも現れない限り……ね」
アリシアは事の次第を知り、そう一人、呟き、彼から貰った例の長い言い訳の手紙を暖炉にくべて燃やしてしまった。
***
ルシアは枕から頭が上がらないほど気力が落ちた。我儘さえも彼女の口からでなくなった。静かなルシア・ソーンは不気味で、ユージェニーはますます不安を募らせた。
そして代わりに天気が荒れ狂った。
激しく窓を叩く雨にユージェニーは眠ることが出来ずにアリシアの部屋を訪れた。
「眠れないのですか? ミス・アンダーソン」
「怖いわ、アリシア先生。幽霊が外を歩いている」
「幽霊?」
「真っ白な人影が外にいるの。私、見たわ。
死神かもしれない。あれが本当の死神なんだわ。ルシアを連れて行ってしまうんだ!」
アリシアはユージェニーの言葉を否定しないようにしていた。するにしても一度は信じるようにしていたので、この時も、格好として外を見た。そして息を呑んだ。
「あ……あれは……!
ミス・アンダーソン。ここにいなさい。怖いのならばお母さまの所にいくのです」
そう言って自分は外套を取り出し、寝間着の上に羽織ると、外に向かう。
「待って! アリシア先生! どこに行くの!」
「出てはいけないわ。約束よ。そこにいなさい」
後に続こうにも、強風に乗って激しい雨が叩きつけ、目も開けられないような状況だ。小さな枝や葉も飛び交っている。もしかすると、大きな枝も折れてくるかもしれない。
「アリシア先生!!」
そんな暴風雨の中、アリシアは白い人影の元に辿り着く。
白金の髪を振り乱し、まさに幽鬼のように立ちすくむルシアがそこにいた。
「何をなさっているの! ミス・ソーン。早くお屋敷の中に」
「いいえ……私、このままどこかにいなくなってしまいたい」
こんな細い体がよくも風に飛ばされないものだとアリシアは感心した。自分も今にも嵐に身を持って行かれそうだ。そこで彼女はルシアの細い腰にとりついた。二人分の体重ならば、ある程度の風に耐えられるかもしれない。
振りほどかれたり、嫌がられたりするかと思いきや、ルシアはなんの反応もない。ただ漫然と死を受け入れようとしている。彼女の激しすぎる感情が身の内に籠って、肉体と精神を崩壊させつつあるようにアリシアには見えた。
「叫んでください!」
「なんですって?」
アリシアが言うと、ルシアは現実に引き戻されたようになり、愁眉を潜めた。
「大きな声で叫んで吐き出すんです!
エドワード・マーチンの大馬鹿野郎って!」
風が轟々とアリシアの耳元で鳴っていた。それに負けないように、アリシアは尚も叫んだ。
「エドワード・マーチンの大馬鹿野郎! サム・ブラックウェルの下衆! ……ライアン・ソーンの卑怯者!」
叫んでみると、すっきりした。
「エドワード……マーチンの……大馬鹿野郎! 馬鹿! 屑! 最低! 大っ嫌い! お前なんか、こっちから願い下げよ!!」
ルシアも初めは遠慮がちに、次第に大きくはっきりとエドワードを罵った。
雨と風に周囲を囲まれ、二人の淑女は心置きなく男を罵倒した。そして笑った。
「どうして私、あんな男が好きだったのかしらね?」
「え……」
「嘘よ。今でも大好きだわ。心が苦しいくらいに。でも彼は私のことは好きだけど一緒にはなれないって。自分にはイブリンがいて、彼女のことを裏切る訳にはいかないって。あなた、イブリン・マーチンに入れ知恵したわね」
「ごめんなさい」
「いいわ。いいの……」
小さな枝や葉が当たり、ルシアの綺麗な顔が細かい傷だらけになっていた。髪の毛も絡まり、そこにやはり小さな枝や葉が絡んでいる。みっともない姿だったが、アリシアにはとても美しく見えた。憎しみに心を奪われているよりもずっといい。
「私、あなたのことが好きだったわ! エドワード・マーチン!」
最後に一言叫ぶと、糸が切れたようにルシアは倒れた。
この嵐の中でルシアを運ぶことが出来るだろうかとアリシアが途方にくれかけたが、そこにライアンとウィリアムがやって来た。
ライアンはルシアをウィリアムに任せ、自分はアリシアを抱きかかえた。
「自分で歩けます!」
驚いて抵抗するアリシアにライアンがきっぱりと言った。
「いけません。すぐに屋敷に戻って身を乾かさないと。ぐずぐず歩いている暇なんてありませんよ。
さぁ、言う事を聞いて下さい。さもないと……」
「さもないと?」
「あなたが私を卑怯者呼ばわりしたことを許しませんよ」
「それは!」
ことのついでにライアン・ソーンまで詰ったことを、本人に聞かれていた。
「でも本当のことですわ。あなたは卑怯者だと思います」
外套を羽織っているとはいえ、薄い寝間着姿のままライアンに抱き上げられ、アリシアは常の冷静さを失っていた。おまけに心の内の叫びまで聞かれた。その余勢もある。
つまりは様々なことが重なり、彼女の心は無防備に近くなり、つい昔の迂闊な彼女が顔を見せてしまった。
びっくりしたライアンはアリシアを抱き上げたまま固まって、彼女を見下した。
「そういう顔で見られると、私、とても困るんです。
なんだか捨て置けない気分になってしまって……」
「あなたは私を見捨てて行ってしまったではないですか。あの図書室で」
どういう顔だろうかと思いつつ、早足で歩きながらもライアンはアリシアに文句を言う。それでやっと、アリシアは自分の心が緩んでいるのを察し、気を引き締める。
「ええ。そういう気分になるだけですから」
だから卑怯者なのだ、とアリシアは思った。彼は自分の心の弱さに付けこもうとしている気がした。
「……あなたを苦しめるつもりはないのですが……」
悲しそうにライアンが言ったところで、二人は屋敷内に入った。すぐに待ち構えていた女性使用人によってアリシアは濡れた服を脱がされ、乾いた布で身体を拭かれた。
「家庭教師のお嬢さん、無茶がすぎますよ。
今、お湯を沸かしていますからね。お風呂に入って温まって下さい。
あなたまで風邪をひいたらどうするんですか」
「そうですよ。一体、誰がユージェニーお嬢さまの面倒を見るんで?」
ごしごしと乱暴に布で擦られ、アリシアは悲鳴を上げそうになった。
「平気です。身体は頑丈なんです。ミス・ソーンは?」
「分からないねぇ。
なんともないといいけど……この嵐ではお医者さんがくるのも一苦労だし」
「かと言って、近くの牧師を呼ぶわけにもいかない……」
「当たり前です!」
「家庭教師のお嬢さんは見た目と違って、おっかないねぇ。
ま、そうでないとあのユージェニーお嬢さまの相手なんかできないだろう」
「あのお転婆お嬢さまが家庭教師のお嬢さんの前では借りてきた猫みたいだもんな。
見事な手腕だ。しかも、今回はルシアお嬢さままで手懐けて」
「いや、まったく見上げたもんだ」
好き勝手なことを言いながら使用人たちはアリシアを風呂へと追い込んだ。
***
アリシアが熱いお風呂で温まっている間、ライアンは自分の部屋で着替えをしていた。
お湯は女性陣に優先して回していたので、暖炉の火と温かい紅茶で身を温めている。
「卑怯者……か……」
もしかすると、アリシアは自分と同じように感情を押し殺しているのかもしれないとライアンは思った。
なぜならばライアンから見るとアリシアこそが卑怯者に思えたからだ。
彼女は自分に興味がないように振舞うくせに、ライアンが自分を惑わすのだと怒る。
「卑怯者はそっちじゃないか……」
憮然としてライアンは言ってから、にやりと笑った。ルシアには申し訳ないが、こちらの恋にはまだ希望が残っていそうだ。




