17:死神を翻弄する我儘娘とお転婆娘
「ルシアは見た目ほどとっつき難くはないのよ。
ただ、すっごく我儘だけど!」
お転婆娘であるユージェニー・アンダーソンにして『我儘』と言わしめる女、それがルシア・ソーンだった。
ルシアは例の先代のミスター・ソーンの娘で、父親が若くして亡くなった後、母親に連れられて外国で過ごすことになった。
「でも、ルシアのお母さまは他に男を作って、ルシアが邪魔になったから引き取って欲しいって、伯父さまに」
「ミス・アンダーソン、なんて口の効き方を……そんな言い方はしてはいけません」
すっかりユージェニーに懐かれたアリシアは、彼女の子ども部屋でお茶をしていた。改装が済んだローズウッド邸の住み心地は良いようだ。窓から見える景色がハートヒル邸と変わらないこともあって、場所にはすぐに慣れそうだ。問題は人の方だが、ユージェニーがアリシアに心を許してくれそうなのは歓迎すべきことだったが、物言いが粗雑で乱暴なのが家庭教師的に気になった。
「ルシアがそう言ったんだもの。
その母親ってばひどいのよ。ライアン伯父さまのこと、散々、私の大切な夫を殺した悪魔だ、人殺しだなんだって罵ったくせに、数年後にはその大事な旦那さまをきれいさっぱり忘れて再婚したんだって」
ライアンがキャロラインの流した『死神』という噂に傷ついていた原因は、ルシアの母親に責められた記憶もあったからだということをアリシアは知った。
だからと言って、ユージェニーを嗜めない訳にはいかない。
「再婚することはままあることですよ。忘れ去った訳ではないと思うわ。ただ、一人ではお淋しかったのでしょう。私の母も後添えだったわ」
「ふん、だ。
やっぱりあなったっていい子ぶりっこね。私だって、再婚が悪いとは言ってないわ。
でもルシアが捨てられたのは事実なの!」
アリシアの甥のジョセフがユージェニーと同じ年だった頃には考えられないほどの口の達者っぷりだ。男の子と女の子ではこうも違うものなのか。甥を扱った経験から、小さな子どもは得意だと思っていたアリシアはその差に不安を覚える。
「とにかくルシアはそのせいですごく傷ついているの。おまけに病弱で、少しの衝撃にも耐えられない。
なにかあったらすぐに寝込んじゃうの。
で、ライアン伯父さまはそれを自分の責任だと思って、ルシアの言いなりなのよ。
結果、ルシアはすごーくすごーく我儘なの」
『大好きなライアン伯父さま』をそんなにも手を焼かせているというのに、ユージェニーはルシアには敵意がないようだ。
それを聞くと、ユージェニーは悪戯っぽく笑った。
「腹が立つこともあるけど、私にはそんなにひどくない。気分と機嫌が良い時は一緒に遊んでくれたりもするのよ。それがとっても面白いの! 裸足になって一緒に草原を歩いたり!草の葉は気持ちいいわよ。ミス・クロウもいかが?」
「遠慮します。靴を脱ぐなんて……はしたないことです」
夜会では胸元が大きく開いたドレスを着ても、足元は決して見せないのが淑女というものだ。
「ミス・クロウって、つまらないわね。もっと面白い人だと思ったのに。
家庭教師にして失敗したかも」
「歩くのは好きですよ。きちんと靴を履いてね。
毎日、散歩しましょう。草花の名前や、景色を詠んだ詩の勉強をするのもいいでしょう」
ユージェニーは前半の誘いには嬉しそうな顔をしたが、後半の提案には渋い顔になった。
「勉強も靴も無しだったら、もっと楽しいのに」
「いけません」
ジョセフのように穏やかに言い聞かせるだけでなく、厳しい態度で臨まなければ、この少女を上手に扱えない。
アリシアは有無を言わせぬ口調と微笑みをユージェニーに向けた。
「つまんない、つまんない、つまんなーい!」
ユージェニーは扱いにくい子どもだったが、アリシアのローズウッド邸での生活は悪くなかった。満足しているといってもいいだろう。
ユージェニーはアリシアがライアンを誘惑しないようにという理由で常に側に置いた。おかげでアリシアを誘惑しようと待ち構えていたライアンの策はことごとくユージェニーに邪魔をされることになる。散歩の時間までユージェニーがまとわりついてくるのだ。
アリシアがハートヒル邸にいる頃、下心を悟られないように控えめな態度を取っていたことも祟っていた。アリシアはすっかりライアンは自分を恋愛対象外と見做しているのだと思い、安心し、自らも同じように彼をユージェニーの心優しい伯父さんとしか見做さない。
行き詰ったブルーム邸の主人、ライアン・ソーンの恋に対し、ローズウッド邸の女主人、ルシア・ソーンには劇的な恋が、あまりに突然に始まることとなった。
***
ルシアは旅の移動が身に堪えたのか、数日、ベッドに臥せっていた。ユージェニーの言う通り、彼女は我儘で食事は好き嫌いが多く、小鳥がついばむほどしか口にしない。そのくせ心配するライアンとユージェニーの母・メアリーに、あれが食べたいこれが食べたいと言い出し、用意させては、持って来るまでが長いから気が変わったと、やっぱり食べないのであった。
部屋が暑いと言うので窓を開ければ寒いと言う。使用人の歩く足音がうるさいと言うので、全員に底の柔らかい靴を履かせ、静かに歩くようにさせれば、今度は音が無い屋敷は不気味で怖いと文句を言う。深夜に呼び出しのベルを何度も鳴らし、ライアンを意味もなく呼びつける。
ライアンは彼女の父親の事故に対する後ろめたさから、言いなりになっているのだ。
さすがにアリシアは眉を顰めざるを得なかった。そうまでする必要があるのだろうか。彼は確かにお金が欲しいと願ったのだろう。キャロラインに裏切られ、財産の無い身を呪い、親戚である資産家をうらやんだかもしれない。人間として未熟な部分もあっただろうが、事故があくまで偶然であり、彼の責任ではないというのに。
その朝も、ルシアの我儘は絶好調だった。ようやく身を起こせるようになった彼女は居間に陣取り、ソファーに座ったまま、あれこれ指図していた。今は、わざわざライアンが王都から取り寄せた雑誌をパラパラとめくっただけで床に放り投げた所だ。
「つまらないわね、これ。ああ、つまらないわ。つまならいの」
言う事が八歳児と変わりない。
「もっと面白いものはないの?」
ライアンが思案気に腕を組んだ。彼にはもうこれ以上、ルシアを満足させることが思いつかないようだ。
そこに、彼が来たのだ。
家令が扉を開け、新しく加わった教区の人間を見舞いにローズウッド邸を訪れたエドワード・マーチンの名を告げた。
その瞬間、ルシアは退屈と言うことを忘れた。
エドワードはアリシアと初めて会った時と同じように質素な身なりの若者のままだった。上品で教養があって、恩義に厚く、だからこそ、アリシア・クロウとの約束を無かったことにし、イブリン・ダンを妻として迎えた男は、この日、初めてそのことを後悔することになる。
居間の中央に座る女王然とした女性のなんと美しいことだろう。優美で儚げで、今にも消えてしまいそうで、夢を見ているようだ。
扉の前で固まる牧師に、誰も声を掛けることが出来なかった。その場にいたすべての人間が、エドワードがルシアに見惚れ、ルシアはエドワードに夢中になったことを知った。
「あ……あの……」
「初めまして。ルシア・ソーンですわ。あなたは?」
熱に浮かされたような口調でルシアは尋ねた。まだ名前すらも知らないのだ。
「エドワード・マーチンです。その……牧師をしています」
「まぁ、立派なお方ですのね」
「いえ……そういう訳では」
情熱的なルシアに対して、エドワードは自分の気持ちに戸惑っている。妻帯者である自分がこんな気持ちを持つのは罪深いことなのだということが分かっていた。
が、ルシアにはそれがなかった。彼女は良い意味では素直で感受性が豊かだった。彼女の母親は、夫を失った時、ライアンをあらんかぎりの罵倒でもって糾弾したことからも分かるように、非常に喜怒哀楽が激しい性格だった。その娘であるルシアもその血と性格を受け継いでいた。愛も憎しみも、ほどほどということがなかった。母親は気力も体力も充実していたが、娘の方はそうではなかったので、自らの感情の動きに身体がついていかない。彼女の体調不良の多くは、そんな苛烈な精神が肉体にもたらした枷というべきものだった。
ルシアはエドワードに立ち上がって挨拶しようとして、気を失う。
慌ててルシアを抱き上げたライアンは、エドワードに軽く会釈して、そのままルシアの寝室へと運んだ。
呆然としたままのエドワードに、いち早く冷静さを取り戻したウィリアム・アンダーソンが座ることを進めた。その妻のメアリーがお茶を所望する。彼女もまた突然の事態に、お茶でも飲んで一息つけたい気持ちだった。
ユージェニーは好奇心に目を輝かせ、アリシアのドレスの裾を引っ張った。
「ねぇ、アリシア先生? ルシアはどうしちゃったのかしらね?」
「立ちくらみをおこしたのね。まだ本調子じゃなかったのよ。お可哀想に」
「そうじゃないでしょう? そうじゃ……」
「ミス・アンダーソン」
「はーい」
アリシアの厳しい口調にユージェニーは引き下がったが、諦めた訳ではなさそうだ。
「ねぇねぇ、牧師さま? ルシア姉さまはとても綺麗な方でしょう?」
「……え? ええ、そうですね……とても……」
容姿を褒めることは罪になるだろうか。エドワードは頭にこびりついて離れない、美しいルシアの姿を思う。
「ミス・ユージェニー・アンダーソン。お部屋に戻りますよ。さぁ、早く」
「いいわよ」
あっさりとユージェニーはアリシアに従った。今の所、聞きたいことも見たいことも、彼女は全て見聞きした。次に彼女がしたいのは、それこそアリシアと二人っきりで、この件を語り合うことだ。
アリシアはにやりと笑うユージェニーの真意を悟ったが、このまま彼女をこの場に留めて置くくらいならば、自分が犠牲になった方がましだと思った。
「申し訳ありません。失礼させて頂きます。
ミスター・マーチン……その、奥様はお元気で?」
「……はい。ミス・クロウ。妻は……今日もドーソン夫人のご機嫌伺いに行っております。
お気遣い、ありがとうございます」
あなたは結婚していて、奥様がいるのですよ、というアリシアの忠告に、エドワードはなんとか自分を取り戻した。
ユージェニーと子ども部屋に向かう途中の廊下でライアンとすれ違う。道を開けたアリシアにライアンは「あなたのせいじゃありませんよ」とだけ言った。
その時のアリシアは罪悪感にかられていたのだ。
男と女が一目で恋に落ちた。それは運命の出会いだったかもしれない。ルシア・ソーンとエドワード・マーチン。だが、エドワードはもう結婚した後だった。そうさせる切っ掛けになったのはアリシアではないか。
アリシアが将来に不安を覚えエドワードに相談した結果、彼は彼女に婚約の話を持ちかけた。その許可をもらいに訪れた恩師の家でイブリンと結婚することになったのだ。
つまり、つまりだ、アリシアとの婚約話が出なければ、エドワードはイブリンとも、勿論、アリシアとも結婚しておらず、独身のまま。ルシアとの恋もなんら障害がなかったに違いない。
そんな気持ちをライアンはすぐに分かったのだ。
彼の言葉を聞き、アリシアは持ち直した。
このことはライアンが『死神』と呼ばれるに至った出来事と同じように、ただの偶然であり、人知の及ぶことではない。
ライアンは居間に、アリシアは子ども部屋に分かれる前に、少しだけ彼女の口元に笑みが浮かんだ。それを見て、ライアンも微笑み返し、去って行った。
その後ろ姿に、アリシアはライアンのルシアに対する態度も仕方がないと思うようになった。
偶然とはいえ、あまりに過酷な事実を受け入れるには、そうするしかなかったのだろう。
ただし、アリシアがエドワードの為にしてあげられることはなかった。妻ある身の男の恋の助けなど、言語道断だ。
それはライアンとて同じこと。いくら罪滅ぼしにルシアの我儘を受け入れていようとも、こればかりは手助けすることは出来なかった。出来れば二人を会わせたくはない。
長々と寝込む癖があるルシアだったが、今回は早々にベッドから起き上がり、とびきりのお洒落をしてハートヒル邸に向かった。エドワードは妻帯者であり、そこに彼の妻が入り浸っていると、どこからか聞き出したからだ。
帰って来たルシアは疲れ果て、意意気消沈しているように見えたが、目だけは異様なまでに輝いていた。
「思ったよりも全然、素敵でも綺麗な人でもなかった。頭も悪そうだし、なによりも卑屈で下品なのが許せないわ。なぜミスター・マーチンはイブリンなんかと結婚したのかしら? あなたご存知?」
そう聞かれてもアリシアは答えられなかった。




