12:賑わうハートヒル邸
「もう聞いて下さいな! 途中で馬車が故障して大変だったのよ。
何しろ道の途中でしょ? 往来する他の馬車からは親切な人もいましたけど、嫌な輩もいて。笑うのよ。本当に失礼だわ。ハートヒル邸はもう目と鼻の先だっていうのに、随分と長いことかかりました。
お腹もすいたわ。馬車を直す関係で、外にいたから身体中埃っぽいし。お風呂を用意して下さると嬉しいわね。
あら! マーサ! マーサじゃないの! そうよ、お母さまよ。久しぶりねぇ。
見て! このドレスの襟の形、王都の最新流行なの。素敵でしょう?
あなたも元気そうね。血色が良さそうで。でも今、王都では青白くて物憂げな顔が魅惑的ともて囃されているのよ。
それなのにあなったったら! 日に焼けていかにも田舎娘みたいよ。
あら、ウエスト夫人もこんにちは! そうなのよ、変わった流行ね。血色を悪くするために食事を抜くから、みんな病人みたいにふらふらしているわ。
あら、そこにいるのが噂のミスター・ソーン、はじめましてよろしくね。
なぁに、マーサ? どうしたの? お土産ならちゃんと持ってきましたよ。
そうそう、ブラックウェル夫人を紹介しないとね。私の友人なの。それからその息子のサムよ。素敵な紳士でしょう!」
「シルビア、やっと着いたのね。良かったわ。今日中に来れなかったらどうしましょうかと気をもんでいましたの。
馬車が故障したのですって。まったく近頃の馬車は軟弱でいけないわ。私が若い頃は、馬車で悪路を何日走ってもびくともしませんでしたわよ。ウエスト夫人とも話していたの。最近の馬車はお洒落だかなんだか知りませんが、どうも華奢な作りが多い気がするって。
ずっと馬車の側にいたの? 急いでお風呂の準備をさせるから、すぐにお入りなさい。叩けば埃がでそうよ。
ほら、マーサ! 突っ立っていないでお母さまに挨拶なさい。
シルビア、マーサよ。とても元気そうでしょう。頬もこんな赤くて。
それに比べ、あなたったら、どうしたの? そんな青白い顔をするほど長旅だった訳でもないのに。おまけにその襟ったら、なんてみっともないの! そんな妙ちくりんな形、見たことないわ。
そう思わなくって? ウエスト夫人? 本当に、ねぇ。ひどい形!
そうだわ、あなた、ミスター・ソーンにご挨拶はした? ほら、隣のローズウッド邸の。
それからアリシアよ! マーサの家庭教師の!」
シルビア・ドーソンは夕闇が迫る頃にようやく到着した。
ドーソン夫人とシルビアは、見た目はまったく似ていない姑と嫁だったが、おしゃべりな所は血の繋がった母子以上にそっくりだった。もっとも、互いにおしゃべりだからと言って、会話が噛み合う訳ではない。二人は顔を合わせた途端、とにかく自分の話したいことだけを一方的にまくしたてた。二人の会話は大抵、中身がなく相手への配慮を欠くような発言も飛び出たが、話している方は相手の話の内容なんてとんと聞いてはいないので、周りが思っているほど仲は悪くはないという不思議な関係だった。
二人のおしゃべりの合間に客人たちとハートヒル邸の面々はあわただしく挨拶を交わし、ひとまずそれぞれの部屋で旅の荷物を解き着替えて夕食の席に集まることになった。
「では、夕食の席で会いましょう。それまでお休みになるといいですよ。
王都では青白い顔が流行っているそうですが、このハートヒル邸では薔薇色の頬の方がずっと好まれます」
ライアンが未だ傷心だろう娘を気遣ってそう勧めると、アリシアは首を振った。
「いいえ、今日は私は一人で夕食を取ることになると思います。
お身内だけの普段の食事ですら身に余る光栄ですのに、今日のようにお客人がたくさんいる正式の晩餐に家庭教師風情がいては、お客さまに失礼でしょう。
あの……ミスター・ソーンにも失礼を。嫌だわ、なぜこれまで気が付かなかったのかしら……不作法で申し訳ありません」
すっかりドーソン夫人の恩情に甘えて当たり前のようにライアンとも同席していたことに、アリシアはこれまた自分の考え無しの行動に恥じた。
「私はそんなこと気にしていませんでしたが」
「そうよ。私とマーサの二人きりの食卓なんて寂しいもの。食事は大勢であれば大勢なほど楽しいものよ。
アリシアは家庭教師とは言っているけど、マーサにとっては姉みたいなもの。家族も一員なのよ。
マーサがお嫁さんに行っても私の話し相手として残ってもらうつもりなんだし、もう家庭教師じゃなくってそうしちゃう?
だからちっとも気にすることなんかないわよ。そうよね、シルビア?」
「私は構いませんけど。何しろお義母さまの型破りな性格にすっかり慣らされてしまったのですもの。
でも、ブラックウェル夫人はどうかしら?」
シルビアは少し迷う素振りを見せ、同行の夫人に判断を委ねた。
「私も構いませんよ。ねぇ、サム? あなたも気にしませんよね?」
いかにも気のよさそうなブラックウェル夫人はそう言い、隣に立つ息子にも同意を求めた。サム・ブラックウェルは興味深そうにアリシアを見た後、マーサに微笑みかけた。
「ミス・ドーソンの大事な方ならば、私も異論はありませんよ」
「まぁ、感謝します。ミスター・ブラックウェル」
若い男であるサム・ブラックウェルが若い娘であるアリシアに妙な気を起したら、大変、面倒で困る事態になるとシルビアは案じた。何しろ彼はマーサの相手候補という目論見で連れてきた訳だし、若い紳士が家庭教師に誘惑されるようなことになったらハートヒル邸の倫理とか道徳とか、とにかく名誉が失われることを恐れたのだ。けれども、どうやらサムはアリシアよりもマーサの方に魅了されたようだと知り安心する。
サムとして見れば、確かにアリシア・クロウは透き通るような青白い悲しげな当世風な美しさの女性だった。それはちょうどエドワードのことがあっての心痛からのものだったのだが、サムには知りようがない。いずれにしろ、所詮は財産を持たない家庭教師に過ぎない。対してマーサは明るく活き活きとした可愛らしい女性で、しっかりとした後ろ盾と持参金まで付いている。攻略すべきはマーサ・ドーソンであり、アリシアはそのとっかかりであっても、本命ではないと判断した。
「いえいえ、あなたの素敵な笑顔が曇るようなことを私は望みません」
「まぁ」
マーサは頬を染め俯いた。
もうすぐ社交界に出ようとする娘にとって、若い男の称賛はまだまだ新鮮で楽しいものだった。ライアン・ソーンの悲しげな雰囲気も気になるが、サム・ブラックウェルの開けっ広げな愛情の発露も好ましい、と言った心持ちだ。これからこの素敵な男性二人を天秤にかけては、楽しい数日間が送れそうな予感に心が躍った。
アリシアはマーサの心浮き立つ恋の気配を羨ましい気持ちと共に、教え子が軽率な真似をしなようにきちんと見守る必要があると気を引き締めた。なにしろエドワードほどの誠実そうな男ですら、場合によっては簡単に女を裏切るのだから。
***
一旦、解散した面々は、新たな客人を迎えて食堂に集まった。近隣から呼び寄せられた紳士は何度かアリシアとも食事を共にしていたので、彼女がそこにいても不快感を示すどころか、親しげに声を掛け、会話を楽しんだ。アリシアはいつも末席に座っていたが、三人か四人の席では特にその差は感じられなかった。しかし、人が多いこの日はまさしく末席というに相応しい位置にいた。当然、上座のライアンとは遥か遠くに離れており、アリシアはここで改めて視覚的に彼との差、距離を感じることになった。
アリシアはそれでまったく構わなかった。エドワード・マーチンに捨てられたからといって、さらにはライアン・ソーンに求婚されたからといって、ではこちらに乗り換えましょうなどと、彼女には考えられないことだった。
上座ではドーソン夫人とシルビアのおしゃべり合戦が始まっており、ウエスト夫人と気の良いブラックウェル夫人はひたすら聞き役に回っていた。マーサはライアンかサムと何か話そうと機会を伺っていたが、その度に祖母か母親にやっとひねり出した会話の端緒を奪われ果たせずにいた。
そんな中、どうやら新しい家を探しているという会話の流れのようだったが、サムがアリシアの生家・レインバード邸の話題を出して来た。
「そう言えば、ミドル州のレインバード邸はご存じですか? なんでもあそこの当主夫婦、随分と派手に遊んでいて、そろそろ借金がかさみ邸宅を手放すかもしれないという噂です。
あそこは大変素晴らしいと聞いています。贅沢の代償とはいえ、それを手放すなんて非常に惜しい話ですね。
とは言っても、レインバード邸ほどの屋敷を買うとなると、相当な出費を覚悟しないといけないでしょう。
売却ではなく賃貸にしてくれれば、私でもレインバード邸に住む光栄に浴せるかもしれません」
「あらまぁ! レインバード邸が! まぁそうなの。そうですの」
さすがのドーソン夫人も言葉につまった。
事情を良く知らないシルビアは眉をひそめた。
「レインバード邸と言うと……思い出しましたわ。キャロライン・クロウですわね。
あの方、元・家庭教師でしょう? とても条件の良いご主人を捕まえたというのに、残念なことね。
まぁ、あまりいい噂は聞きませんでしたわ。私の口からはとても言えませんが、なんでも大層、妖艶で魅惑的な女性らしく、結婚してからも夫以外の男の人を誘惑したとか。
まさか本当ではないと思いますが、そのせいで、一部の女性から反感をかって、王都から田舎に引っ込んでしまったのよ。何しろ自分の産んだ子供の出自まで疑われては、さすがにいたたまれないでしょうよ。
もっとも、我慢できずに社交界シーズンには王都にやってくるようですけど」
「それはまぁ、お可哀そうなこと」
ブラックウェル夫人が肉料理を頬張りながら呑気な感想を述べたが、その隣のライアンの顔はさっと青ざめた。彼はハートヒル邸の財政状況を知っていたが、それをアリシアに知られないようにしていたのだ。ましてジョセフ・クロウの父親に疑惑があるなど、噂であっても彼女に耳に入れたくない。
それらのことが、どれだけ彼女を傷つけるのか。ライアンはキャロラインの話題で自分が傷つくのを忘れて、それを心配したのだ。
随分と遠くになってしまったアリシアの表情は、蝋燭の明かりでは窺い知れなかった。下座の方では別の話題で盛り上がっているようにも聞こえた。
ウエスト夫人が遠慮がちにアリシアがレインバード邸の娘であることをシルビアに示唆すると、シルビアは驚いた後、懸念を示した。
「そうでしたの。それは災難でしたわね。まったく男しか財産を継げないなんて間違っていますよ。
もしも、ミス・クロウに少しでも権利があれば、そんな風に無残に邸宅を手放す恥辱を受けずに済んだかもしれませんのに。
あのミセス・キャロライン・クロウがいけないのですわ。ええ、きっとそうですわね。
でもお義母さま、マーサ、気をつけた方がいいかもしれませんわよ。ご実家がそんな状態では、ミス・クロウもお金に困っているかも。変に同情して我が家まで巻き込まれないようにして下さいね。
勿論、お義母さまが信頼している家庭教師を侮辱するつもりはありませんよ。
でもねぇ、ほらミセス・キャロライン・クロウもそうだったでしょう? 私、友達の知り合いの知り合いに聞いたのですけどね、十数年前だったかしら? 若い紳士が友人の家の家庭教師の虜になってしまって、傍目にも分かるほどの熱烈な求愛ぶりだったそうですよ。家庭教師の方もまんざらではない様子で、これは二人は結婚するんじゃないかって。男の方も大して裕福ではなかったけど、それでも家庭教師をしているよりも、結婚した方がいいに決まっていますよ。だけど、その家庭教師! もっとずっと資産家の紳士をみつけるやすぐに乗り換えてしまったんですって。
まぁ、ひどい話よね。その貧しい若い紳士も可哀そうだけど、そんな現金な女に引っ掛からなくて幸運
だったとも言えるでしょう。
ミスター・ソーンもミスター・ブラックウェルもお気をつけなさい。
お二人とも資産をお持ちでいらっしゃるから。もしも結婚なさるなら同じように財産を持つ娘を選ぶのが賢明ですよ。そうすれば騙されることなんて万が一にもありませんからね」
シルビアは目を細めて、遠くに座っているアリシアに視線を向けた。そのせいで、近くに座っていたライアンの顔が強張ったのを目にすることはなかった。




