11:手紙をめぐるやり取りについて
ひとしきりドーソン夫人が結婚について語り、ようやくエドワードの手紙に返事を書くことになった。
「それにしても本当に驚いたわ。驚いて手が震えて、とても手紙なんて書けませんわ。
アリシア、悪いけど私の代わりに書いて下さらない。
あら、そう言えば、あなたのお手紙は読まなくてもいいの?」
「私の手紙も結婚したことについての報告でしょうし、すぐに読む必要はないと思います」
「まぁ、それもそうね。
けど、私にはともかく、アリシアにも知らせてなかったなんて薄情だわ。
まさかミスター・マーチンがそんな人とは知りませんでした」
「きっと何か事情があったに違いありません。そんなに責めないで下さい」
アリシアは文机に座ると、便箋を取り出しペンを持って、ドーソン夫人の言葉を文に落とし込もうと集中した。
「あら、勿論よ! ただびっくりしているだけよ。
帰ってきたらお祝いしましょうね。お嫁さんはどんな人かしら? 手紙では恩師の姪御さんらしいけど、美人な方かしら? 持参金はあるのかしらね? ああ、それは書かなくて結構よ。
どうせすぐに分かるでしょう。手紙でミスター・マーチンに聞くよりも、お嫁さんに直接聞いた方がずっとよく分かります。本人に会うまでどんな人か空想するのも楽しい時間ですしね。
それに男の人って、そういうこととなると、とんと駄目なんですもの。こちらが聞きたい事にはちっとも答えて下さらないの。ミスター・マーチンの手紙も、こんな大事なお話なのに簡単な事実だけ。出会いとか、お嫁さんの人となりとか、どんな結婚式だったのか、どんなドレスだったのか、全然、書いていないのですもの。これが私やウエスト夫人でしたら、読んだ人が目に浮かぶようなこと細やかな手紙を書いたはずよ。
私の手紙は評判が良くってね。みなさん楽しみにして下さるのよ。だからもっと書いて差し上げたいのだけど、私ったら、どうもずっと机の前に座っている性分でもないから、あんまりたくさん書けないのが申し訳ないと、いっつも思っているの」
ドーソン夫人は自分宛の手紙よりも、アリシア宛の手紙が分厚いことに気が付いていなっかった。
そこに一体、どんな言い訳が書き連ねてあるのだろうか。
ライアンはアリシアが文机の側に置いたひしゃげた手紙を、皮肉っぽい気持ちで見やった。
なかなか本題に入らないドーソン夫人のおしゃべりに、アリシアは手持無沙汰になってしまう。
白い便箋を見て、彼女は思った。
そう言えば、まだ母親に手紙を書いていなかった。エドワード・マーチンと婚約してもいいかどうかを問う手紙をだ。
こうなってしまえばそれで良かったはずだが、彼女は手紙を書くことを忘れてしまっていた事実に愕然としてしまう。何が理由かと考えるまでもなく、ライアンの存在と求婚のせいに違いない。平静を保っていたはずなのに、心のどこかで揺らいでしまったのだ。
エドワードの前でライアンと食事を一緒に取ったのはたった一度だけなのに、それも親しげな様子を見せたつもりもない。しかし、エドワードは敏感に何かを感じ取ってしまったのではないか。それで自分を見捨てて、他の女性と結婚してしまったのではないか。そんな疑惑がアリシアの胸に湧き上がった。
やはりライアンは『死神』だ。キャロラインが流したような意味ではなく。アリシアにとってのだ。アリシアの恋にとってのだ。
彼はいつも彼女が新しい恋に目を向けようとすると現れ、それを妨害するように思われた。
「アリシア? アリシア? 聞いてる? 私の言葉、ちゃんと書いている?」
アリシアが考え事をしている間に、やっとドーソン夫人は本題に入ったようだ。すっかり聞き逃してしまったアリシアは慌てた。ドーソン夫人は彼女の雇い主で、アリシアは今、仕事をしているのだ。
「申し訳ありません。ドーソン夫人。ペンの調子が悪くて……」
それくらいの言い訳は、一年の勤め人の経験としてアリシアは言うことが出来た。
「あら、そうなの?
お祝いの手紙ですものね。綺麗な字でなくっちゃいけませんよ」
ドーソン夫人が自分の怠惰を疑わなかったことに、アリシアの心は痛んだ。今度こそ心を込めて手紙を書こうとペンナイフを取ろうとした。
「確かに、これはいけませんね。私が削りましょう」
ライアンが寄って来て、アリシアが取る前にペンナイフを手に取り、羽ペンの先端を整え始めた。
「あらまぁ、ご親切に! ミスター・ソーン!」
「お礼は不要です。ドーソン夫人。
さぁ、これでいい。今度こそきっと上手に手紙が書けますよ、ミス・クロウ」
綺麗に整えられたペンを渡す時、ライアンはアリシアに励ますような視線を向けた。この苦境にあっても動じず、裏切り者の男への手紙を代筆しなければいけない彼女を彼は心から応援する気持ちだった。
「ありがとうございます。助かりますわ、ミスター・ソーン……」
男の親切を、アリシアは不思議と素直な気持ちで受け取った。
もう一度、励ますような微笑みを投げかけ、ライアンは窓辺のマーサの元に行った。ドーソン夫人だけでなくマーサも興奮しており、アリシアにエドワードの結婚についていろいろ聞いてくるので、それだけでも彼女から遠ざけようとする配慮だった。
ドーソン夫人の仰々しいお祝いの手紙は長くなるはずだったが、シルビア・ドーソンからの言伝が届き、途中で馬車が故障してしまい昼まで到着することは出来ないことが伝えられると、ドーソン夫人の関心はすっかりそちらに移ってしまい、手紙は思ったよりも短く結ばれた。
続けてウエスト夫人もやって来たものだから、エドワードの結婚とシルビアの到着が遅れていることについて、ドーソン夫人がとりとめもなく話し始めることになった。
マーサは母親の事が心配なのに加え、二人の夫人の絶え間ないおしゃべりに頭痛がしてきた。そこで、自室に引くことにした。
ライアンもすぐにはシルビア・ドーソン一行が来ないと判断し退室することを申し出て、ついでにアリシアを散歩に誘った。アリシアはライアンと行動することに躊躇しなかった訳ではないが、このままこの場に留まれば、ドーソン夫人とウエスト夫人という二人の女性に質問責めに合うに決まっている。おまけにドーソン夫人は最初の興奮が去ると、エドワードはアリシアと結婚させる腹積もりだったことを思い出してきた。アリシアは可愛そうにエドワードに振られてしまったのだ! ウエスト夫人と一緒に慰めてあげなければ! 新しい相手は誰が良いかしら?
普段はドーソン夫人のお節介とも言える親切をありがたく受け取っているアリシアも、さすがにそれだけは勘弁してもらいたい心境だった。それならば、まだライアンと一緒に外を散歩した方が気が晴れそうだ。
かくして、アリシアはライアンの誘いに乗って、部屋を出ることにした。
「ミス・クロウ。忘れ物ですよ」
ライアンの囁きと視線の先には、アリシア宛のエドワードの手紙があった。アリシアはドーソン夫人の注意をひかないように素早くそれを取り上げ、今度こそ、その場を辞した。
ハートヒル邸からやや離れた場所に出ると、ライアンはアリシアに向き直り、優しく言った。
「ここに休むのにちょうど良い東屋がありますね」
「ドーソン夫人のお気に入りのスミスさんが建てたのですわ。夫人はローズウッド邸の改修にも是非、どうぞ、と」
アリシアがそう答えると、ライアンは今の本題はそんなことではないと言う風に人差し指を振った。
「座って下さい、ミス・クロウ。
そして、その手紙を読むなり、男の不誠実さを詰るなり、お好きに過ごして下さい。
私はしばらくあちらに行っていましょう」
「あ……」
どう返事をしてもいいものか、アリシアが迷っているとライアンは上着の裾を翻して行ってしまった。近くでもなく遠くでもなく、姿は見えるものの声は聞こえない、そんなような距離だった。
ハートヒル邸では感情を露わに出来ないアリシアの為に、散歩に誘ってくれたことに気が付いた彼女は、ありがたい気持ちでいっぱいになった。
あんな風に求婚を蹴ったというのに、なんと思いやりがあって親切なのかしら。
エドワードとの約束があった以上、ライアンの求婚を断ったことに後悔はしていない。今、そのエドワードが自分を裏切り、別の女性と結婚してしまったが、それでも彼女自身はエドワードに対して、清廉潔白な身で向き合えることこそ、大事なことだと考えていた。
ライアンは自身の求婚を断った挙句、エドワードとの結婚もご破算になった自分のことを愚かで哀れな人間と思っているに違いないが仕方がないことである。
あの時、エドワードに告白された時、自分はすぐに返事が出来なかったのだ。それが全ての間違いだった。
彼女はまた、機を逸したことを悟った。あれほど決断力を養おうと努力したのに、肝心な時にそれが発揮出来なかった。もしも、婚約する約束ではなく、結婚する約束だったならば、エドワードも今回のような振る舞いは彼の良心からして決して出来ないはずだったからだ。
その思いは、エドワードからの手紙を読んで、さらに強いものとなった。
『親愛なるミス・アリシア・クロウ
このような手紙をあなたに送ることをお許しください。
私は結婚することになりました。あなたとではなく、恩師であるミスター・ダンの姪であるミス・イブリン・ダンとです。
イブリンは二十五歳の娘さんで、ご両親は早くに亡くなり師の元で育てられました。師はイブリンが早く結婚することを望み、その相手をずっと探していました。
私が師の元へ赴き、そろそろ結婚しようかと思う、という話をした時、あなたの名を出す前に師がイブリンの名を出しました。
自分はもう老い先短く、これと言った財産もなく一人残される娘のように可愛がっているイブリンのことが心配だと目に涙を浮かべ、私の手を取り訴えてきました。
私はとても迷いました。師に結婚を考えている娘がいることも話しました。師は約束をしたのかを聞いてきました。そこで私は正直に答えました。婚約することを許してもらいに来たのだ、と。
そうすると師はおっしゃいました。ならばまだ約束をした訳ではない。その娘との婚約は成立していなのだと。ならばイブリンと結婚するのになんら問題はないのだと。私の行為は裏切りには当たらないと。
確かに師のおっしゃる通りです。私とあなたの間には婚約は整っていませんでした。師は大変、勤勉で素晴らしい人格者です。私を騙したりすることは決してありません。私は師に恩義があります。そう、恩義です。
ドーソン夫人にも同様に恩義はありますが、夫人は特に私にあなたと結婚するように求めたことはありません。それはあなたもご存じのはずです。つまり、ドーソン夫人は私とあなたとの結婚を表だって望んだことはないのです。だから私が別の女性と結婚したとしてもドーソン夫人の意向を無視したとは言えません。夫人は私たちが側にいると賑やかで楽しく、人生にはりがあるとおっしゃって下さいました。それはすなわち、お側にいることこそが恩返しになるでしょう。今ここに、ハートヒル邸に新しい隣人を加え、さらに賑やかな環境を提供することをきっと喜んで下さるでしょう。
ミス・アリシア・クロウ。とは言え、私も苦しんだのです。あなたと約束すると約束したのに、それを反故していいものか。それでこんなにも長く決断に時間がかかったのです。この長い時間は私のあなたへの愛情と思って下さると嬉しいです。
しかしながら、あなたの愛情はどうでしょうか? 考えていくうちに、私とあなたの間には友情とか尊敬と言うものはあっても、男女の愛情はないように思えてしかたがありません。
それに引き換え、イブリンは私を好いてくれました。すぐさま愛情を示してくれました。
求婚した時も、迷うことなく返事をしてくれました。
結婚は愛する男女がすべきものだと思います。
あなたにもきっと、そのような男性がいることでしょう。しかし、それは私ではないのです。
どうか私の結婚を許し、祝福して下さい。いつも優しく親切なミス・アリシア・クロウならば、きっとそうして下さると信じております。
どうかこれからも私との友情を育み、妻のイブリンにもその情けをかけて下さることを、心よりお願い申し上げます。
そして、なにとぞ、ドーソン夫人にもよしなに。
エドワード・マーチン』




