魔王討伐のお時間です。
まだ戦時中だという実感が掴めないまま、俺はついに魔王討伐の旅路に赴くことになってしまった。
魔王どころか、魔物すら倒したことがないというのに、俺に何ができるというのだろう。
先のことを考えるだけで、不安の波に飲み込まれそうになる。
そもそも、なぜ俺たち三人しか召集されなかったのか。
不思議でならない。
この国は、そんなに人材が枯渇しているのかとさえ思ってしまう。
だから俺は、この機会に王国のこと、
魔王のこと、
現在の戦局や戦略について、
思うところを全部聞いてみることにした。
明日は魔王討伐という、一世一代——
いや、俺にとっては二世一代の大仕事だというのに、あの娘は相変わらず自室に閉じこもり、研究に明け暮れていた。
日は沈み、明日への英気を養う頃。
俺はくたびれた扉の前で、ミルディンに入室の許可を求めた。
「ミルディン、明日のことで聞きたいことがあるんだけど、入ってもいいかな?」
「えっ、あっ、はい! いいですけど、ちょっと待ってくださいね!!」
中からドタバタと慌ただしい音が聞こえてくる。
数秒後、「入ってください!!」という声が響いた。
扉を開けると、そこはいつものように本とメモ用紙で溢れ返っていた。
ドタバタという物音は片付けをしてたわけじゃないのかと疑問に思うも、部屋に訪れた目的を思い出す。
早速、本題に入り、俺は次々と質問を浴びせた。
結局、夜が明けるまで質問を続けてしまった。
俺たちは眠い目をこすりながら城門へと向かった。
命懸けの旅路だというのに、まるで修学旅行の学生のような浮ついた気分だった。
城門には、俺たち以外にも騎士たちが隊列を組んでいた。
彼らは地獄をくぐり抜けてきた見習いなどではなく、立派な正規の騎士たちだ。
その前に立ち、力強く兵を鼓舞しているのは、王国近衛騎士団長にして騎士道の体現者、レオニダス・プリムスだった。
レオニダスはこちらに気づくと、魔王ですら腰を抜かしそうな大声で叫んだ。
「おーい!! もうすぐ出発するぞ!
お前らもさっさと馬車に乗り込め!!」
俺たちは寝癖と隈の浮いた顔のまま、馬車に乗り込んだ。
乗り込むやいなや、馬車はすぐに走り出した。
念のため、魔王討伐までの計画をもう一度確認する。
「確か、魔王軍の包囲網を抜けられる抜け道があって、そこから一気に奇襲をかけて魔王を討つ作戦だったよな?」
ミルディンは大きなあくびをしながら、「ふぁい……そうです……」と答えた。
レオニダスがそれを見て助言を投げる。
「ミルディン、抜け道の手前に到着するのは半日かかる。
今のうちに少しでも寝ておいた方がいい」
さすがのミルディンも素直にその言葉に従った。
俺も限界だったが、一つだけ心配なことがあり、尋ねてみた。
「なぁ、俺たちが眠っている間に襲撃されたらどうするんだ?」
「その指摘はもっともだな。
だが安心しろ。そのために、アイツらが付き添ってくれているんだ」
「つまり、俺たちを護衛してくれているのか?」
「ハッハッハ、その通りだ! まるで貴族令嬢の護送隊だな! オレもアイツらを信じて一眠りするとするか!!」
全く眠る人間の声量ではなかったが、むしろそのおかげで憂いは吹き飛んだ。
まあ、このくらいの賑やかさの方が、緊張や恐怖に押し潰されずに済む。
こうして俺たちは、激しく揺れる馬車の中で目を閉じた。
揺れが収まった時、俺は目を覚ました。
空はすっかり漆黒に染まっていた。
到着後は徒歩で移動し、携帯食を片手に抜け道を目指す。
その携帯食に妙な既視感を覚え、記憶の引き出しを漁り漁ってようやく気づいた。
これは、ミルディンの手料理だった。
彼女は普段から、魔法で栄養を凝縮した食材の塊を料理と呼んでいたが、やはり普通の食事ではなかった。
まあ、おかげで腹は膨れるし、体力も持つのだが。
数時間後、俺たちは目的地に到着した。
漆黒の空から、微かな月光が差し込んでいる。
これまでは森林を抜けてきたが、目の前にはより濃密な緑の湿地林が広がっていた。
雨上がりの独特な土の匂いが鼻腔を刺激する。
先の見えない、深淵のような闇が広がっている。
騎士たちは重い甲冑を脱ぎ捨て、中に着ていた黒いボディスーツのようなインナーだけになった。
俺も同じ装いに着替える。
ミルディンも、いつもより薄手のローブに着替えていた。
全員がブーツに履き替え、暗視の魔法を発動して暗闇へと足を踏み入れた。
足元は踏み込むたびに地面がまとわりつくような不快感がある。
木々はタコの足のようにうねった、不気味な形状をしていた。
とても軍隊が進軍し、戦闘を行うような場所ではない。
上空も木々の葉で完全に覆われ、光は一切届かない。
完全な暗闇だった。
だからこそ、この湿地林は奇襲作戦の抜け道に選ばれたのだろう。
辺りは異様な静けさに包まれていた。
皮膚に吸い付くような湿った空気がまとわりつく。
緊張と恐怖が、心をじわじわと侵していく。
水滴が一滴、二滴……
ポタポタと落ちる音。
鼓動が激しく脈打つ。
無意識のうちに、五感が極限まで研ぎ澄まされていく。
『水竜の足摺』
俺の聴覚が、微かにその呟きを捉えた。
刹那——湿地も、空気も、木々も、あらゆる場所から水滴が吸い上げられ、巨大な水竜を象った怪物が上空に出現した。
その両眼が蒼く輝き、牙を剥き出しにして、こちらを丸呑みにせんとする。
俺は、迫り来る水竜の眼光の中に、人影が潜んでいることを視認した。
もはや詠唱の隙はない。
身体系の魔法である武技を使うしかない。
人体に張り巡らされた神経を、
肉体の限界を何度も超越させる死を常に実感する訓練により、
筋繊維と神経を一体化させ、
脳の命令と同時に肉体を稼働させる。
さらに、極限まで鍛え上げられた肉体は、脳のリミッターから完全に解放されていた。
加えて、筋肉が保持する水分は魔力を帯びた魔水へと変わる。
これらが重なり合うことで、武技は初めて発動する。
俺は脳内で唱えた。
『武技:軒轅の獣鎧』
筋肉に蓄えられた魔水がエネルギーに変わり、筋肉が激しく収縮する。
一本一本の筋繊維が鉄のワイヤーのように鋼鉄へと変貌する。
収縮の摩擦熱で魔水が蒸発し、体表から白い蒸気が噴き上がった。
俺は迫り来る水竜の正面に、腕をクロスさせた。
腕が肌色から赤みを帯び、ついには黄金色へと輝きを変える。
爪は獅子のそれのように鋭くなり、黄金のガントレットへと形作られていく。
最大の防御をもって、攻撃を迎え撃つ。
――水竜が、俺たちを飲み込んだ。
内部は激流というより回転する刃の嵐だった。
水の刃が四方八方から襲いかかる。
猛攻は水竜と共に後方へと流されていった。
――後方から、爆撃のような重低音が響き渡る。
俺は瞬時に振り返った。
そこには、先ほどまで進んできた湿地林ではなく、中央に巨大なクレーターを穿った荒廃した大地が広がっていた。
そしてその中央に、二つの人影が見えた。
煙が立ち込めていて、よく見えない。
凝視する。
煙の中から、一つの人影が飛び出してきた。
しかも、まっすぐこちらに向かって。
煙を抜けた瞬間、その全貌が露わになった。
視界に飛び込んできたのは
——迅速な動作で、流線的に黒い鱗に覆われた腕を振りかぶり、
剛健な拳を振り上げんとする、
狂喜的な笑みを浮かべる幼女の姿だった。




