クソガキ魔法使いのお時間です。
「――さん」
「――ズさん」
「オーズさん!! 起きてください!!」
眠気を振り払うように瞼をこじ開けると、掠れた視界に可愛らしい女の子の姿が映った。
彼女は必死に俺の体を揺すっている。
この異世界で、こんなに心温まる朝の起こし方はないな……
と思いながらも、眠気の波に負けて、再び瞼を下ろしてしまう。
つまり、二度寝だ。
「そうですか、そうですか。
今日から魔法の練習があるからわざわざ起こしに来てあげたのに、その優しさを蔑ろにする勇者さんだったんですね!」
ミルディンの声が少し尖る。
俺はようやく諦めたかと、堂々と二度寝を決め込もうとしていた。
薄目を開けて彼女の困り顔を観察していると、
「……ん? なんでしょう、この出っ張りは?」
ミルディンが不思議そうに何かを凝視している。
「あっ!? オーズさん、もしかして武器でも隠してるんですか!?
そういえば前の世界で、けいぼう? っていう武器を扱ってたって言ってましたよね!! そんなところに隠してないで、ちょっと見せてくださいよぉ~」
ミルディンはゆっくりと、その武器と認識した物体に手を伸ばす。
俺は薄目を開けたまま、彼女がどこへ手を伸ばそうとしているのかを即座に理解した。
「触るな!!!」
咄嗟に上半身を起こし、彼女の小さな手を阻む。
前世から唯一持ち込めた、生まれつきの警棒が発覚するのを阻止した。
ミルディンは一瞬驚いた顔で口をぽかんと開けたが、すぐに怪訝な視線を向けてきた。
「私の動きに気付いたってことは、起きてたってことですよね?」
そして、邪悪な笑みを浮かべる。
「私のことを無視した罰として、その隠してる武器を見せなさい!!」
その瞬間、周囲の風が不自然に流れ始めた。
風は一箇所に集められていく。
行き先を辿ると、それはミルディンの突き出した手のひらだった。
手のひらに集まった風は渦を巻き、周囲の空気を巻き込みながら激しさを増していく。
エメラルド色の髪が靡き、翡翠のような瞳の瞳孔が広がる。
その縁が淡い朱色の輝きを帯び、徐々に炎のように揺らめき始めた。
頂点に達した瞬間、彼女は叫んだ。
『竜の呱聲!』
寝室のあらゆるものが、彼女の手のひら一点に吸い寄せられていく。
俺はベッドにしがみつきながら、強風に煽られる干された布団のように全身を激しく揺さぶられた。
「うわぁぁぁぁ!」
ジェットコースターのような絶叫を上げた直後、俺の大事なものが強風に吸い込まれるのを感じた。
それは天高く舞い上がり、ミルディンの顔を覆うようにひらひらと落ちてきた。
「ん? なんでしょう、これは?」
ミルディンは手のひらを閉じ、頭部を覆った物体を手に取る。
強風が収まり、集められた物と俺が重力に従って落ちた。
「死ぬかと思ったぁ……」
苦情を言うために視線を向けると、そこには俺の下着を手に持ったミルディンの姿があった。
彼女の手が、激しく震え始める。
「なぁ、ミルディン。落ち着けよ? いいな?」
俺は体を起こし、ゆっくりと彼女が握る下着に手を伸ばす――
が、ここで重大な事実に気づいた。
彼女の握る物体の役割だ。
ミルディンは眼前に屹立する異世界産の武器を直視していた。
彼女は両手を突き出し、指先から下着がすり抜け落ちるのと同時に、震え混じりの声で叫んだ。
『竜の息吹!』
刹那、彼女の眼光が銀色に煌めいた。
俺は彼女の冷酷な表情と、燃え盛るような瞳を最後に、意識を失った――。
『…… miraculum sanationis da』
『霊ちの恩威』
意識が戻る。
後頭部に、程よい弾力のある柔らかな感触があった。
そして、どこか埃っぽい実家の押し入れのような懐かしい匂いがする。
目を開けると、珍しいローアングルからミルディンを見上げていた。
俺が目を覚ましたことに気づいたのだろう。
ミルディンは申し訳なさそうな顔で、消え入りそうな声で言った。
「オーズさん、先程は本当に申し訳ありませんでした……。私が魔法を使ったせいで、その……オーガさんの大事なところが見えてしまって、それなのに感情的になって、お怪我までさせてしまって……。面目ありません……」
俺は謝り続けるミルディンを横目に、周囲の惨状を確認した。
何ということだ。
元々一人用の寝室としては広かった部屋が、文字通り広く開放的になっていた。
よく考えれば、俺が今こうして膝枕されているのも、そもそも寝かせるベッドが残っていなかったからだ。
高価そうな置物、壁に飾られていた絵画、部屋の装飾品の数々は、無惨に部屋中に散乱している。
壁は半壊、部屋は崩壊、そして彼女は後悔の色を濃く浮かべていた。
俺はもう腹を立てる気力も残っていなかったので、ミルディンを慰めることにした。
「ミルディン、意地悪してすぐ起きなかった俺も悪いよ。
そんなに申し訳なさそうな顔をするな。
それに、勝手に人の武器を見ようとするのはもう止めてくれ。
俺の大事な相棒なんだからな」
ミルディンは今にも決壊しそうな涙を必死に堪えながら、口を真一文字に結んでコクコクと頷いた。
「わかってくれたならいいよ。
ところでミルディン、この後は予定通り魔法の練習をするのか?」
俺は眼前に広がる惨状を遠い目で見ながら尋ねた。
さすがのミルディンも、俺が何を言いたいのか察したらしい。
他人事のような顔で答える。
「そうですね……。まずは、部屋の片付けから始めましょうか」
俺はベッドのシーツの切れ端をぐるぐる巻きにした腰を起こし、散らばった破片を黙々と集め始めた。
ミルディンもそれに続く。
ずっと無言で作業するのも気まずいので、片付けをしながら気になっていたことを聞いてみた。
「なぁミルディン、魔法っていくつか種類があるのか?」
「はい!大きく分けて二つありますよ。
どうしたんですか?いきなりそんな質問を」
「いや、前にレオニダスと揉めた時に魔法を使ったんだが、使う直前に蒸気みたいなものが全身から沸き出てきてさ。
でもミルディンが魔法を使う時は、瞳の周りに円形の炎が浮かぶだろ?あの違いが気になってたんだ」
「そのことですか! 詳しく説明すると長くなりますが、簡単に言うと自分の身体に魔法を使うか、外に向かって使うかの違いですね!」
「なるほど、そんな違いがあったのか。じゃあこれも――」
結局この日は、魔法の練習もレオニダスとの訓練もお休みとなった。
「ふぅー、ようやく飛び散っていた破片の片付けが終わりましたね!」
ミルディンは額に浮かんだ汗を拭いながら言った。
「ようやく終わった……。お疲れ様」
俺も顔中に汗を浮かべながら、ようやく一段落した達成感に浸っていた。
琥珀色琥珀色の夕陽が、部屋の隅々まで蜜のような光を注いでいた。
俺はその光を背に、目の前の彼女を見つめた。
小柄な体躯でありながら、思わず見入ってしまうほどに美しい。
絹を思わせる白い肌。
無邪気な明るさと、
その身に宿す強さを湛えた、
豊穣の大地を映すような翡翠の瞳。
硝子が取り払われた窓枠から忍び込むそよ風が、
膝の裏まで届く長い髪を静かに靡かせる。
その髪は夕光を絡め取り、
オーロラのごとく幻想的な輝きを放ち、
俺の網膜を峻烈に焼きつけた。
彼女を見ていると、この部屋の空気までもが甘く重くなり、腹の底から熱いものが込み上げてくる。
抑えきれない想いだった。
その熱い視線に気づいたのか、ミルディンが頰をほのかに紅潮させる。
その仕草に、俺はかえって胸を射抜かれ、ずっと胸の奥に押し込めていた言葉が、思わず唇を突いて出た。
「――なぁ、ミルディン。俺、どうしても伝えておきたいことがあるんだ」
ミルディンは俺の目から視線を逸らし、肩をすくめながら、小さな拳をぎゅっと握って頷いた。
俺はその仕草に背中を押され、秘めていた思いを吐き出した。
「――どこか寝泊まりできる場所はないか……?」
ミルディンは頰をさらに赤く染め、歯切れの悪い返事をする。
「えっ、あっ、た、確かにこんな部屋じゃ眠れませんよね!」
俺はその動揺の仕方に少し違和感を覚えつつも話を続けた。
「そうなんだよ。壊れたベッドって、最上位の治癒と魔力回復の付与魔法が込められた特別製なんだろ? あれがないと満足に寝られないから、ずっとどうしようか悩んでたんだよな~」
ミルディンは少し落ち着きを取り戻して答える。
「じゃあ、私の家で泊まります? 同じ仕様のベッドに使ってないものがあったと思います」
「えっ?」
急な提案に、俺の思考が一瞬フリーズした。
ミルディンはそんな俺をよそに、話を進める。
「汗を早く流したいので、さっそくお家に行きましょう?」
そう言うと、彼女は不敵な笑みを浮かべながら俺の手を強引に引っ張り、有無を言わせず連れて行ってしまった。
長い城の廊下と階段を駆け抜け、外からでもはっきりと見える純白の巨大な塔へと導かれる。
ミルディンは塔の入り口を指差して
「ここです!」
とにこやかに言い、ドアノブに手をかけ、『解錠』と唱えた。
俺は目を丸くして、巨大な門がひとりでに開く光景を見つめた。
呆然と立ち尽くしていると、
「さぁさぁ、上がって上がって」
とミルディンに促され、家の中へ連れ込まれる。
一歩踏み入れると、そこには膨大な数の本がぎっしりと並んだ本棚が、吹き抜けの天井まで埋め尽くしていた。
家というより、もはや図書館だった。
さっきまで胸を躍らせていた女の子の家に招かれるという浮ついた気持ちは、この光景を見た瞬間に吹き飛んだ。
「こ、ここが……。ミルディンの家なのか?図書館とかじゃなくて?」
ミルディンは頰を膨らませ、むくれた顔で言った。
「人様の家を図書館呼ばわりするなんて、オーズさん最低ですね!!」
「えっ、いや、そんなつもりは……」
「オーズさん、そんな困った顔しないでくださいよ! 冗談です、冗談!私だってこの家はお世辞にも『家』には見えないってわかってますから」
俺があたふたしているのを見て楽しんでいるらしいミルディンを眺めながら、俺は心の中で密かに決意した。
――こいつには、いつか必ずクソガキの烙印を押してやろうと。




