初めての訓練のお時間です。
今度は焼き切れるような痛みを覚えながら、目を開けた。
目の前には、甲冑を身に着け剣を構えた騎士たちがずらりと並んでいた。
その背後には、派手なドレスを着た若い女性と、白髪に王冠を載せた老人、そしてその横に深く皺を刻んだ気品ある老婆が立っている。
まるで中世の西洋にタイムスリップしたかのようだった。
ただ一つ、そのイメージと決定的に異なるものがあった。
後ろを振り向くと、俺に向かって杖を突きつけているローブ姿の集団がいる。
呆然と辺りを見回していると、先ほどの麗しい女性が頰を赤らめ、気まずそうに視線を逸らし始めた。
「何がおかしいんだ?」と思った瞬間、自称女神の言葉を思い出した。
慌てて視線を真下に向けると、やはり俺の下半身が丸出しだった。
(女神ならせめてこれくらい配慮してくれよ……)
内心で毒づきながらも、俺はこの気まずい沈黙を破るべく、第一声を放った。
「どなたか。私にお召し物を恵んではいただけませんか?」
豪華な椅子に腰掛けていた老人が、眉をぴくりと動かして溜息をついた。
近くの騎士に何かを命じると、カップラーメンが冷めないほどの短時間で、小綺麗な衣服が手渡された。
薄々察してはいたが、目の前の老人は王様、その隣の老婆は王妃、そして若い女性は王女だろう。
俺はそんな御三方に尻を向けて着替えるという、相当な不敬を働いている自覚があったが、仕方なく粛々と着替えを済ませた。
ようやくまともな格好になったところで、早速王様らしき人物に核心を尋ねた。
「お召し物、感謝いたします。突然で恐縮ですが、私がこうしてお呼び立ていただいた理由をお伺いしてもよろしいでしょうか?」
王様は重い口を開き、女神から勇者を呼ぶよう信託が下ったこと、この王国が人類最後の砦であること、そして俺に魔王を討つ救世主——勇者としての使命が与えられたことを告げた。
自称女神から聞いた話が、より具体的になって返ってきた形だった。
本当に俺は、魔王を倒さなければならないらしい。
まだ実感は湧かないが、あの女神と王様から託された使命を果たすため、俺はその日から過酷な日々を送ることになった。
まずは肉体を極限まで鍛えるところからだった。
警察官だった俺は、一般人よりは丈夫な体だと思っていたが、この世界では見習い騎士程度のレベルでしかなかった。
正直、警官としてのメンツは完全に丸潰れだった。
今でもあの訓練を思い出すと、ただの拷問にしか思えない。
俺たち見習い騎士たちを地獄に叩き落としたのは、近衛隊長レオニダス・プリムスという勇猛な男だった。
出会いは、転生してこの世界の歴史、文化、魔力など必要最低限の教養を学んだ直後だった。
いきなり王様に呼び出され、こう宣告された。
「オーズよ、其方は既に身につけるべき教養は身につけただろう。そろそろ、勇者としての力を磨いてもらおう」
その翌日から、俺はペンではなく剣を握ることになった。
城は広すぎて未だに道に迷うため、筆頭魔術師であるちっこい小娘・ミルディンに稽古場まで案内してもらっていた。
「オーズさん、もう王国の生活には慣れましたか?」
ミルディンは毎回案内するたびに同じ質問をしてくる。
「相変わらず、まだ慣れねえよ。それと、みんな間違えてるけどオーズじゃなくてオオヅだ!」
「すみません。その発音の違いがどうしても……。オーズさんは確か、この世界に来たらいきなり言語が理解できるようになったんですよね?」
発音の違いには目をつぶることにした。
「そうなんだよ。転生した直後、頭が痛いと思ったら知らない言語の知識が流れ込んできた。何がなんだか分からなかったけど、意志疎通の問題がなくなって助かったよ」
「それもそうですね。オーズさんは頭より体を動かす方が好きそうですから。……王様からは聞いてないかもしれませんが、剣術の次は魔法の修行になるんです。でも魔法の適性がない場合は、研究室で監禁生活ですよ……?」
俺は自分に魔法の才能があることを切に願いながら、稽古場に向かった。
稽古場に着くと、数十人の見習い騎士たちが乱雑に集まっていた。なんだかあまりいい思い出のない高校の教室を思い出す。
ミルディンに指示された場所で待機していると、
「ここで待ってて下さいって……。最前列じゃねえかよ!!」
思わず振り返って、さっきまで付き添ってくれていたミルディンを睨みつけた。
すると彼女は微笑みながら、どこか突き放すような口調で言った。
「オーズさん、どうか生きて帰ってきてくださいね! 私は無事に送り届けたので、お先に失礼します」
(生きて帰ってきてって……そんな不穏な言葉を去り際に残すなよ!!)
心の中で叫びながら、俺は内心でビクビクしていた。どんな地獄が待っているのかと身構えていると、
「お待たせしたな~! 見習い騎士のみんな!」
陽気な大声とともに、壁のような大柄な男が俺の真正面に立ちはだかった。
黄金の瞳に、ギザギザとした力強い眉。
髪と髭の境目がわからない、ライオンのたてがみのような豪快な容姿をしている。
まじまじと見つめていると、大男が口を開いた。
「その黒髪に黒い瞳……お前が噂の勇者かぁ!? 勇者にしては随分貧弱な体格だな。本当に大丈夫なのかぁ? ハッハッハ!」
デカブツは俺の肩を、容赦のないバカ力でバンバン叩いてきた。
俺は思わず反抗的な口調になる。
「いい加減にしろよぉ! いきなり人様の肩を叩きやがって、お前は誰だよ!?」
大男は叩くのをやめ、再び大きな声で答えた。
「あぁ? もしかしてオレのことは何も聞かされてねえのか? だったら教えてやるよ。オレはこのアルティシマ王国の近衛隊長、レオニダス・プリムスだぁ!」
そういえばミルディンが、「教育係は近衛隊長になる」とか言っていた気がするが……
まさかこんな脳筋野郎だとは。
俺が内心でぼやいていると、レオニダスは相変わらずバグったような大声でまくしたてた。
「よし! みんな集まってるみたいだな。早速、走り込みからいくぞぉ!! オレについて来い!」
突然の訓練開始に、周りの見習い騎士たちがざわめき始めた。
俺も動揺しつつ、意外と冷静だった。
何を隠そう、警察学校時代は朝夕のランニングが日課だった。
異世界だろうが走ることに苦痛は感じない——はずだった。
しかし体感でとっくに数キロは走っているというのに、終わる気配が一向にない。
見習いとはいえ騎士志望だけあって、かろうじて全員がついてきているが、みんなすでに限界の顔をしていた。
ペース自体はそこまで速くないが、足場が悪い。
普段、整備された道をクッションの効いた靴で走っていたせいか、思わぬところで体力を削られる。
転生時に全盛期の肉体に戻してもらったとはいえ、何十キロも走るのはさすがに無理だった。
息を切らしながら、俺は精一杯の声でレオニダスに聞いた。
「おい……! 一体、何キロ走るんだよ……」
レオニダスは汗一つかかずに答える。
「なんだぁ? もう疲れたのか? 何キロって、毎日百キロに決まってるだろぉ?」
「マジかよ……。また、視界が暗く……」
その言葉を聞いた瞬間、絶望で膝が崩れ落ちた。
「おぉい!! 大丈夫かぁ? さっさと起きろ!」
「うるせえな……!」
意識が戻ると、すぐにレオニダスのバカ声が飛び込んできた。
立ち上がろうとしたが、肺と心臓のあたりがヒリヒリする。
脚も妙に痛む。
それ以上に驚いたのは、さっきまでの激しい疲労感が一切なくなっていることだった。
俺は咄嗟に聞いた。
「なぁ、俺はどれくらい気を失ってたんだ?」
「あ? 一分か二分くらいだろ。もう元気なら続きいくぞ!」
明らかに何かおかしい。数分で疲労が完全に抜けるはずがない。
「起きたら疲労がすっかりなくなってるけど、体が痛むのは何だ? 何かしたのか!?」
「何って、ポーションを飲ませたに決まってるだろ。お前、この訓練について何も聞いてなかったのか?」
「ポーション? 訓練? 俺は何も聞いてねえぞ!!」
「ハッハッハ! ミルディンのヤツもいい加減だな。よし、見るより慣れろだ! とにかくオレの訓練について来い!!」
レオニダスはニヤリと白い歯を輝かせて笑った。
見た目通りのガサツな男だと溜息をつきながらも、俺はとりあえずこの世界の訓練に付き合う覚悟を決めた——
はずだったが、すぐにその言葉を撤回したくなった。
地獄だった。
あれから十キロ、二十キロとノンストップで走り続けた。
この時点で、デカブツ以外は俺を含めて全員がぶっ倒れていた。
もっと地獄だったのは、ポーションの回復痛だ。
ゲームでは一瞬で綺麗に回復しているように見えたのに、実際は靴擦れで肉がむき出しになった足、損傷した筋肉と心肺が抉られるような激痛が再生と同時に襲ってくる。
回復しては走り、回復しては走りを繰り返し、どうにか完走した。
肉体の疲労は消えるが、精神は確実に削られていくのが分かった。
皆が死んだ魚のような目でぐったりしていると、レオニダスが止めを刺すように言った。
「お前らぁ、初めてにしてはよく頑張ったなぁ!! 次は剣術の訓練だぞ!」
俺はこの狂った訓練に思わず弱音を吐いた。
「レオニダス……。さすがに一日に詰め込みすぎだろ!みんなもう限界だって……」
「おい、今何て言った?」
レオニダスの声から、先ほどまでの朗らかさが一瞬で消え、威圧的な空気が立ち込めた。
俺は怯むどころか、一歩踏み出して間合いを詰め、真正面から言い返した。
「だぁかぁらぁ!! 限界だって言ってんだよ! これ以上無理させたら、肉体は大丈夫でも精神が持たねえよ!!」
レオニダスは眉間に深い皺を刻み、鼻先が触れる距離まで顔を近づけ、黄金の瞳で睨みつけてきた。
「おい。異界から来たガキが一丁前に偉そうに言うんじゃねえよ。お前が駄々をこねてる間にも、戦場で散っていく仲間たちがいるんだ。その苦しみを背負う資格がお前にあるのかよ!? これは遊びじゃねえんだよ!!」
俺はレオニダスの胸ぐらを掴んで睨み返した。
「あぁ、分かってるよそんなことは!! 俺だって人生賭けてこの世界に来たんだ。お遊びでやってるんじゃねえ!
俺が言いたいのは、急いだ結果、途中で精神が壊れたら意味ねえだろってことだ! お前こそ自分の都合を押し付けるんじゃねえよ!!」
レオニダスも胸ぐらを掴み返してくる。
「ガキが調子に乗ってんじゃねえ!
そんな途中でくたばるような腑抜けは騎士に必要ねえんだよ!!
甘ったれたこと抜かすんじゃねえ!!」
俺は掴んだ胸ぐらを引き寄せ、額同士をぶつけて言い放った。
「なぁ、見習い騎士の中にまだ下の毛もまともに生え揃ってねえようなガキがいるのに、近衛隊長が直々に指導するほどこの国の兵力が足りてねえんじゃねえのかよ!?そんな貴重な戦力を簡単に切り捨てるんじゃねえ!!」
レオニダスは重なった額を、血が滲むほど強く擦り付けてきた。
「おい。お前は剣を扱ったことはあんのか?」
突拍子もない質問だったが、俺には彼の意図が理解できた。
「あぁ、形状は違うが剣術には心得がある。騎士らしく、剣で白黒つけようって言うんだろ?」
レオニダスは無言のまま木剣を二本持ち出し、一本を俺に投げ渡した。
言葉はもう必要なかった。互いに向かい合い、
汗が地面に落ちるその瞬間——
レオニダスの姿が視界から消えた。




